小話「剣と鞘の明日」
剣聖は生涯その人に敵わなかった。
どんな敵よりも強く。
どんな味方より頼もしい。
剣聖がその在り方を曲げず、常に気の赴くままにいられたのは『鞘』となるその人あってこそだった。
彼女こそ。
剣聖にとっての天敵で、最愛の人。
剣爵当主の座は引き継がれた。
アヤメが公務などを担い、平和の象徴としての役目を遂行していく。
そして。
公務から解放されたマリアは自由だった。
無論、最初はアヤメに指導もしていたが飲み込みも早く、数月で教える余地は無くなった。
もはや、後は余暇ばかりの老後。
激動だった当主時代と比べれば静かすぎるほど穏やかに時が流れる。
何をしても良い時間。
選択肢が与えられると、却って困惑した。
何からすべきか。
「マリア」
「ん?」
「おまえさん、暇かい?」
「…………ええ、そうね」
マリアは裏庭で空を見上げていた。
その瞳に力はない。
王国騎士団、三大魔獣討伐、剣爵…………これまでが時代の激流に身を委ねていただけに、役目を失うと現在が空虚に思えた。
先の未来が思い浮かばない。
何をすべきか――それが見つからない。
マリアは小さく嘆息する。
「暇って苦しいわね」
「そうか」
呑気に隣の男――タガネが相槌を打つ。
「私、すっかり仕事中毒なのね」
「そりゃ気の毒なこって」
「…………アンタは任務、何もないの?」
「おう」
タガネは空を見ていない。
覇気のないマリアを観察していた。
「私、何をすべきかしら」
「は?」
「騎士団も、星狩りも、剣爵の仕事もやるべきことだったけど、同時にやりたいことだったから…………それが無くなると、力が抜けるわね」
「ふん」
その言葉をタガネが鼻で笑う。
癪に思ってマリアは隣を鋭く睨みつける。
意に介さない飄然とした顔に一瞬だけ拳の一つでも叩き込みたい気分になったが、今はそんな感情すらすぐ萎むほどに胸の中は虚ろだった。
吐息とともに力が吐き出される。
握りしめた拳が緩められた。
その手を、おもむろにタガネが握る。
驚いて目を見開けば、彼はにやりと笑っていた。
相変わらずの人相の悪い笑顔。
赤子のアヤメを泣かした攻撃力は健在だ。
「何よ」
「おまえさんはやりたいこととやるべきことを両立してたから、現在に拍子抜けしてるんだろう」
「………そうね」
「なら、俺が教えてやろう」
「え?」
「やりたいことに全力を注ぐってことを」
タガネが手を引いて歩き出す。
意図の分からないマリアは大人しく従う。
「な、何をするのよ」
「散歩だ」
「はあ?」
「せっかく暇になったんだ。
何も無い日は、俺もおまえさんと過ごしたかったんだが、良ければ付き合ってくれんか?」
「――――」
マリアは目を見開いて固まる。
それは、青天の霹靂だった。
そうだ。
暇ならば、常日頃から溜まっていた鬱憤も晴らせる。
公務に時間を削られ、全く夫と時間も合わなかった。奇跡的な合致も、他のことに比べれば刹那に等しい体感で名残惜しいばかり。
今ならば、どうだろう。
思う存分、一緒にいられる。
「もう老後生活は始まってるぜ」
「なっ!?」
「些細な思いつきでも実行してれば、暇なんぞ満喫できるもんだ」
「満喫…………か」
マリアは握られた手を見る。
「私、昼寝してみたいわ」
「昼寝?」
「アンタがいつも心地よさそうにしてたし」
「そうかい」
タガネは歩を止めて周囲を見回す。
剣爵家の屋敷から近い平原を指さした。
「あそこでするか」
「散歩は?」
「散歩はまた今度だな」
「また今度?」
「そうだろ。――これからはいつだってできるんだから」
「…………でも、他人に予定を合わせるのアンタは嫌いじゃなかった?」
マリアは意地の悪い笑みで尋ねる。
だが、相手は特に気分を害した様子はない。
タガネは肩をすくめて。
「おまえさんと過ごしたい」
「っ」
「散歩は、その内の一つだ。別に外でも何でも構わんよ」
「な、なななな…………!?」
マリアは顔を真っ赤にして狼狽える。
いつになく。
いつになく、この男が素直だ!?
普段はマリアから甘えることが多いが、こうしてタガネが能動的になることは少ない。多少はマリアを混乱させる為に大胆な行動も取るが、ただ純粋にマリアと共にいたいと普段から面と向かって口にする男ではない。
まさか、また悪戯か。
そんな邪推が脳裏を過る。
ただ、長年傍らで見守ってきた男の表情から悪意が無いことは理解できた。
だからこそ、面映ゆい。
「あ」
「うん?」
「あと、久しぶりに決闘がしたいわ」
「うげっ」
「付き合って、くれるわよね?」
マリアは微笑みながら訊く。
「…………俺で、良ければ」
当然ながら。
タガネに否やは無い。
前言によって、もはや自ら墓穴を掘ったようなものだ。
マリアと過ごすなら、決闘も含まれる。
「少し楽しみになってきたわ」
「…………」
「アンタと余生を過ごすの」
「俺は不安になってきたが」
「なに?」
「いえ、別に」
二人で平原の上に転がる。
草の上に四肢を投げ出す。
伸ばした全身から湧くあまりの解放感に、流れる風も、陽光も、すべてがいつもより鮮やかに感じ取れた。
ん、と快さに声が漏れる。
隣ではタガネも同様だった。
「悪くないわね」
「だろ?」
「ただ、人が働いている尻目でやられるのは腹立つわ」
「面目ない」
隣で同じように大の字で寝るタガネ。
その腕を枕に、懐へと転がり込む。
タガネが振り向いて、二人の視線が至近距離で交わった。
「何だい」
「幸せだわ、私」
「なら良い」
「アンタは?」
「――――」
質問に答える声が風と葉擦れの音に掻き消される。
だが、何を言ったかマリアには分かった。
それだけで満足し、マリアは腕枕の上で目を瞑る。
心地よい風と愛おしい体温の中で、これから先に新たな希望を見出して静かに眠った。
ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。
何といつの間に1000話です。
妄想を詰め込んでいたら、いつの間にかこんな総量になっていました。読んでくれている方がいてくれたから、ここまで書き進められたと思っています。
本作を読んでいただき、本当に有り難うございます。
多分、恐らく、きっと、次から八話『』の話になるかと思います。




