12
港湾都市に新しい朝が来た。
雲に時間ごと遮られ、幾度も同じ日へと発つ。
昨夕に起きた落雷の被害。
それによって崩落した建物を修繕する工事の音で、街はいつもよりいっそう騒がしい。ただ、それだけの惨事がありながら、誰もその間の記憶を持っていなかった。
結果として。
港湾で働く男たちも協力し。
いまは物流の要衝なる港町の復興に注力する方針となった。
そして今。
普段は街の中で最も賑々しい場所。
港こそが閑散としていた。
街の力が中心部へと遷移し、波の音がするだけ。
そんな静かな港湾沿い。
朝靄が立ち、おぼろな水平線が中空に浮かぶ。
遠くに聞こえるカモメの声も、今はよく響き渡っていた。
それを聞きながら。
荒くれ者の宿で、タガネは旅支度を調えた。
寝台の上を片付け、一室を引き払う。
その腰には、ただの長剣を帯びていた。
階下へと降り、宿の受付を担当する宿主にマリアが滞在中の迷惑料なども支払い、また寂しくなった懐事情に悲嘆の息を漏らした。
軽くなった財布を麻袋に収める。
人気のない港を歩き、街の北へ向かう。
しばしば見える人影は、この物寂しくなった港を別世界と感じ、好奇心に集った小さな子どもたちだった。
タガネの気配に気づかず。
足音を忍ばせながら散策する。
それを見送り、タガネは北の路へ。
行く手では。
もう人の声が聞こえる。
商人の客寄せ、工事、町人の巷話。
さまざまな声色が雑踏のように聞こえる。
タガネには新鮮な光景だった。
時間の循環を脱して、ようやく掴み取った『今日』である。
あの、魔神教団を倒して。
訊きたいことは、充分に聞いた。
物憂く気持ちも無く。
新しい今日へと進んで行った。
「さて、宿だな」
異国の言葉、物が入り乱れる。
ときおり娼婦などの強引な勧誘をかわしつつ、タガネは速やかに人波の中をすり抜けた。宿を出て、さっそく体力を削られた。
少し浮き足立っていた。
新しい今日。
それが、どんなものなのか。
ただ、タガネにとっては、騒々しく、人臭いだけの空間だった。もう辟易している。
小路を通って。
目的地まで人を避けて行く。
やがて見えてきたのは、二階まで剥き出しになった宿だった。
一見して惨憺たる風致。
両断され、薙ぎ払われ、魔獣にさんざ破壊された爪跡が痛々しく残っている。
タガネすら顔をしかめた。
「やっと来たわね!」
「遅い」
「ん、おう」
後ろから生意気な声。
そこにマリアとミストが昂然と直立していた。
銀の甲冑やローブではなく平服。
マリアは町娘と変わらない仕上がりを目指したのだろうが、その高貴さのにじむ美貌との矛盾が際立ってタガネには違和感しかしなかった。
服や振る舞いまで上手く馴染んだミストが隣に立つことで、それは一入だった。
それが表情に出ていて。
早々にマリアが不機嫌顔になる。
「文句ある?」
「無い、と思う」
「はあ!?」
適当な返事をして。
タガネはマリアの後ろに立つ影を見遣る。
そこには僧衣のフィリア。
そして。
「迎えに来たぞ、レイン」
「ん」
彼女の手を握る女児。
水色の襟髪を二つに束ねたレインが立っていた。
久しく見る無表情の幼い相貌。
タガネは苦笑した。
「悪いな、フィリア」
「いえ、楽しかったですよ」
「私たちも見たんだけど」
レインが小走りに寄って来た。
タガネの手を握る。
昨夕のこと。
魔素を蓄えたミーニャルテを斬り刻んだことで、魔剣は充分な養分を得たことで、人の形へと変化することが可能になった。
かたどった人の容貌。
それは内在する人格を基にするらしく。
レインそのものになった。
そして。
フィリアとミストは辛くも生き残り、利用不能となった宿を出て、別の旅籠へと移動した。
それぞれが満身創痍とあり。
一旦解散し、ここでの集合を約束した。
女性と男性で区切られたため、タガネは港の無事な荒くれ者の宿に再宿泊したのである。
人の形に戻ったレインは、彼女らに預けて。
「レインちゃん、またね」
「いつかまた遊んであげるわよ」
「お元気で」
「ん」
フィリア達が手を振る。
レインは軽くうなずいて応えた。
タガネは三人を見回す。
「おまえさんら、どうする」
「私は西方島嶼国へ帰ります」
迷いなく。
フィリアは返答した。
長く苦しい巡礼の旅は終わった。最後に一難あったが、それも乗り越えたとあって、その面持ちは清々しいほど晴れやかである。
魔素を取り戻し、血色も良かった。
「ミストは?」
「フィリアの護衛です」
「マリアもか」
「アンタよりミストよ」
「へー、へー」
「また適当ね!!」
叩けば鳴るマリアに。
タガネは呆れつつ耳を塞ぐ。
マリアは、家族ではないけれど気の知れた仲間と合流したとあって、後の行動は――タガネの目論見どおり――ミストに同行することになった。
ミストは、フィリアの護衛。
二人の友情は、あの日を境として夜にはより深まったらしく。
西方島嶼国へ。
亡国の剣姫と宮廷魔導師。
頼もしい猛者を直近に凱旋する。
帰参に名高い戦士を伴う巡礼者は、後にも先にも彼女一人だろう。
フィリアは微笑んだ。
「タガネさんは?」
「俺は、また定住先を探す」
「そうですか」
「ま、人探しも兼ねるが」
タガネの一言に。
ミストとマリアが顔を伏せる。
「ミスト」
「何でしょうか」
「おまえさんの他に、生きてるやつは?」
「………」
省かれたのは。
ミスト以外の――王国の生存者、である。
国王の所在が知れれば僥幸だが。
訊ねた相手の反応から、それも察する。
「王子や国王は判りません」
「ああ」
「ただ、最近来た宮廷調剤師と元革命派の二名」
「ん?」
「彼らは東に脱出し、無事です」
「……そうか」
タガネは我知らず安堵する。
わずか数月前に自身が救った命が生き延びたとあって、いくらか気分が楽になった。
国王も王子も。
安全に逃遁していれば良いが。
そんな一念を片隅に。
タガネは三人に背を向けた。
「それじゃ、俺はこれで」
「はい、お元気で」
「おまえさんも、弟と達者でな」
暇乞いを告げて。
タガネは北へと足を進ませる。
海を渡るつもりは無い。これからの仕事場や定住地探しも、最近は滞在が長かった王国以外になる。
ただ、変わったのはそれだけではない。
片手に握るぬくもり。
レインの小さな手があった。
「行くぞ」
「ん」
二人で歩み出す。
街の出入口に向かうには、人の往来が忙しない大通りを経なければならない。その屈託に重くなる体を進ませた。
そんなことも露知らず。
レインは表情の色が薄い顔に反して、足取りは軽快だった。
そんな姿に和んでいると。
「タガネさん!」
「うん?」
後方からフィリアの声。
顧みれば、手を大きく振っていた。
周囲の視線も意に介さない大きな仕草である。
「報酬の件ですけれど!」
「ああ」
「ぜひ来てくださいね!」
「おまえさんが健在な内に訪ねるよ」
軽口で応答し。
タガネは手を軽く振ってから前を向いた。
大通りまで程なくして合流し。
強い日射を避けるように荷馬車を探す。
これからの旅路は、レインの体も配慮しなくてはならない。存外足枷が増えたかもしれない。
人を伴うという酔狂は、マリアで終わるはずだった。
不思議な感慨を胸に。
一つの幌馬車を見つけて歩み寄る。
「もし」
「あんだい小僧。……おや?」
「あ」
声をかけた馬車。
その先頭で手綱をにぎっていた男と目が合う。
面識のある相手だった。
港町に来た際に、世話になっている。
男が膝を叩いて大笑した。
「あはは、またアンタかい!」
「また、おまえさんか」
「また乗せろって?」
「頼むよ」
「金払えよ」
タガネは無言でうなずいて。
レインを抱えながら荷台に乗った。
ふと。
幌に覆われて薄暗くなった車内に既視感があった。荷物の配置から、量まで前回と似ている。
タガネは、また時間の循環かと身が固まる。
しかし、隣のレインの存在を証に勘違いだと胸を撫で下ろした。
荷台の中に座る。
「なあ、小僧」
「うん?」
先頭から男が肩越しに呼びかけてくる。
タガネも視線だけで応じた。
「何かよぉ」
「……」
「昨日みたいだな」
「もうよしてくれ。懲り懲りだ」
「あん?」
「狐狸に化かされたとしても勘弁だよ」
男の皮肉が冗談に感じられず、タガネは全力で首を横に振って蒼褪める。
五度目なんて後免こうむる。
そんな考えを振り払う。
行く手の空で高くそびえる雲に、本当に繰り返しているのかと怯えながら。
タガネは港町を発った。
ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございます。
次回から本作の趣旨、定住先が再開します。
次章はかわいいヒロイン(自己評価)に振り回されます。