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月は儚く。  作者: miyuz
19/20

現実か夢か。

障子の越しの優しい光で、私は目覚めた。


  ここは…。


  いつの間に眠っていたんだろう。


  この部屋まで戻った記憶がない。


  お酒も飲んでないのに…。


  なんか、頭の中がぼやけてる。


 枕元の眼鏡をかけて、隣に置いてあった腕時計を見た。


  7時か。 食事何時だっけな。


 障子を開けると、穏やかな朝の海。


 私は、思いきり背伸びをして、潮の薫りを深く吸い込んだ。


  やっと、血が巡った感じだわ。


  なんだか…夢を見てた気がするな。


  何を見てたのかな。んー、思い出しそうなんだけど…。

 

 ふと、壁に寄せてあった座卓をみると、昨日女将から渡された、ストラップの香里の写真が目に入った。


  そうだ、香里…。

 

  香里と史也さんがいた。仲良く笑ってた。


  そう、香里が笑ってたのよ…。


  浜辺で見たあの母娘も…。どうして。


  あぁ、確か、お父さんも。


  ぼんやりとした黄色い月灯りの下、みんな集まって楽しそうにしてた。


 不思議な光景だった。なんだか懐かしいような…。


 朝の目覚めとともに、夢の記憶は薄れるどころか、その光景は徐々に色を付け始めていた。


 夢の中の香里が、私に寄ってきて言ってた。


『お母さん、ごめんね。』


 私は、今にも消えそうな香里をただ見つめていた。


 あれだけ夢に出てきてほしいと願ったのに、謝らなきゃと思ったのに。


 早くしないと、消えちゃう。


 でも何も言葉が出てこない。


 私はそっと手を伸ばした。


 『香里、手つないでいい?』


 距離感がつかめない私の手は、遠のく香里に触れることができない。


 すると、香里も手を伸ばしてきた。


 『触れた。あったかい。香里、生きてるみたい。』


  そう、私はずっとこうしたかった。香里に触れたかったのよ。


  やわらかい子供のような小さな手に。温かい頬に。


 私は香里をぎゅっと抱きしめた。


  誰がいいとか悪いとかじゃない。


  言葉よりも、あなたをこうやって抱きしめてあげれば良かった。


 心の中のわだかまりが、すうっと溶けていく気がした。


  香里、消えないでよ。もうしばらく…。


 それから、私は目覚めたのだ。


  香里の体温の記憶がまだ残ってる。


  でも、やっぱり夢だったのよね。


 私はため息をついた。


  なんか、夕べから、不思議な事ばかり。


 そう思いながら、私は布団をたたもうと枕をどけた。

 

 「えっ、これ。やだ、潰れちゃってる。」


 夕べ、大将からもらった笹舟だった。


  これは夢では無かったのね。


  夢の中のみんなって、この舟に乗ってきたのかしら。


  ふっ、定員オーバーじゃない。だから潰れたのかしらね。


 私は、崩れた笹舟を、また組み立てながらそうつぶやいていた。

 


 「ああ、私、何言ってんのよ。そんなことがあるわけないじゃ無い。」


 そのいびつな笹舟を手のひらに載せて、そのおとぎ話を打ち消した。


 すると、コトッと、何かの物音が座卓の方から聞こえた。



 座卓の下をのぞき込むと、奥の方に見覚えのある小瓶が転がっているのが見えた。


  私と香里が持っていたさくら貝を入れた小瓶に似てる。


  ストラップもだけど、小瓶も持ってきてないはずなのに。


  何でここに。


 座卓の下に手を伸ばし、小瓶を手に取った私は驚いた。


 コルクの蓋に


 『はは』と書かれてあったのだ。


 間違いなく香里の字。

 

 でもこの小瓶って、段ボールから見つけて写真の前に置いてあるはず。

 

 なんで?


 打ち消したおとぎ話がまた顔を出してきた。


 もしかして…。説明のできない予感…。


 私は、身体ごと心臓なのかと思うくらいの鼓動を感じながら、小瓶の中のさくら貝を見た。


  やっぱり…。


  二つに…割れている。

 

 それもテープで補強してあるなんて。


  嘘でしょ…。信じられない。




 「香里なの…。」


 私は小瓶を頬に当て、全身の血が心に集まったかのように


 ポロポロと涙が溢れてきた。


 



 ドアを叩く音がした。


「里田さん、夕べはお疲れ様でした。小川です。」


  女将さんだ。


 私は、急いで戸を開け、女将の顔を見つめた。


「あら、里田さん、どうなさったの?そんなに泣いて。」


「娘が、香里が来たかもしれません。このさくら貝、香里のものなんです。私、これ確かに棺に入れたんです。でも、朝起きたら、ここにあって。そんなことあるはずがないのに。おかしいのよ。」


 女将は、優しく、私の手に両手を添えて言った。


「良かったじゃないですか?きっと香里さんがあなたに会いに来たんですね。」


「女将さん、でも、自分で言っときながら言うのも変なんですけど、こんなこと信じられません。私、何が何だか…。あ、そうだ、昨日の夜、私、史也さんって男の人と話してましたよね。それは夢ではないですよね。そこからどうやってここへ来たのか記憶も無いし。」


「大丈夫ですよ。里田さん、この宿はそう言う場所なんです。」


「えっ、女将さん、私をからかってるんですか?こんなとんでもないこと言ってるのに。」


 女将は、私の手を引いて、壁に寄せたままの座卓の前に座った。

 

 そして、ふくよかな笑みを浮かべて私に聞いた。


「夢、見ませんでした?この宿に泊まるとね、よく会いたい人が出てくるんですよ。そして、今の里田さんみたい大騒ぎになってますけどね。」



「見ました、香里も、父も、昨日会った母娘も。みんな笑ってたんです。何故か、史也さんまでいたんですよ。史也さんも…。」


  えっ、史也?


「ちょっと待って。そうだ。そうよ、この名前。思い出した。私が初めて妊娠した時に絶対男の子だと思って、まだ全然小さなお腹をさすってたの。そうよ史也って呼んでた。と言うことは、あの子は、史也は私の子なの?ねえ、女将さん。」


「落ち着いて、里田さん。ごめんね。私には見えなかったのよ。その史也さんって人。昨日、里田さんに写真を渡しに行ったでしょ。やっぱり私には見えなかったわ。」


「そんな。あんなにハッキリと目の前にいたのに。あの時の女将さん、確かに落ち着かない感じだった。バイトの子も私の前にビール置いてくし。おかしいとは思ったけど。見えないなんて、そんなはず。だって大将は普通に話してたわよ。」


「そう、あの人は見えるのよ。これまでにもね、月舟って住所を頼りに来た方には、夜になるとお客さんが訪れるのよ。大将とその方以外には見えないお客さんだけどね。なにかしらその方に関わりのある人みたいだけど。あの人が羨ましいわ。大輔の声も聞こえるときがあるみたいだし。」


「大将ってそんな不思議な力があるの?じゃあ、やっぱり、昨日会った史也さんは私の子なのね。」


「そうですよ。やっぱり混乱してますな。」


 ポロシャツにジーンズにエプロン姿の大将が、そう言いながら入ってきた。


「えっ、大将?」


 その容姿もそうだが、ありえない話を、あっさりと肯定した大将に私は驚いた。


「朝は、そんなテンションではないので。すみません。混乱するのも無理はないね。普通では考えられない事だしね。美智子、ここはもういいから、お客さんの対応お願い。今、もう食べてるから。」


「ごめんなさい。朝食の時間なのね。女将さん、すみません私、興奮してしまって。」


「いいえ、大丈夫ですよ。これも大事な事ですから。」


 女将は、私の手を再び優しく握ってから、部屋を出た。


「あの、大将、聞いていいですか?この宿がその、そういう場所だって、今、女将さんが言ってたんですけど、どういうことなんですか?昨日から、不思議なことばかりで。」


「そうですね。里田さん、あなたが、これまで生きてきた人生に疲れて、どうでも良くなったこともあるでしょう。それでも頑張って生きてきたのに、娘さんが亡くなったことがきっかけで、またどん底へ落ちてしまった。そりゃ生きるって大変ですよ。何のために生きてるのか、分からなくなる。そんな人がここにたどり着くんですよ。」


「本当に私の人生は波乱万丈過ぎて、どこまでも自分が不幸な気がして。こんなに頑張ってるのにって。娘の事もべらべらしゃべっている自分も嫌だし。生きてても自分がだんだん醜くなるだけだし。もう、人生を終わらせることに、ためらいも無くなってました。でも、私には美保がいるんです。今の私は、人には笑顔見せながら崖っぷちで美保に引っ張られている感じだったんです。」


「そんなお母さんを見てられなかったのかもしれませんね。でも里田さん、少し落ち着いてきたようだね。」


「夢の中で、香里と話すことができたんです。この手の抱きしめてあげれたんです。温かかった。ほんとに温かかった。それに、棺に入れたはずの香里のさくら貝がここにあったんです。もしかして、来てくれたんじゃないかと。」


「そうですか。それは良かった、良かった。なんでこんな不思議なことがこの宿では起こるのか、私にもわかりません。でも、自分に言えることだけでもお話しますよ。それで、里田さんがどう受け取るかですね。」


 大将は、夕べと違って、まるで牧師のような温かい雰囲気をまとっていた。


 私はさくら貝の小瓶を握りしめ、そんな大将の話に向き合った。


「ここは以前は親父と自分の兄とで、網代の民宿経営と平行して、観光客相手に釣り船を貸し出したり、夏場は地引き網をしていたんだ。今で言う海の家的な事もね。結局、兄は病気になって、父も歳をとっていくしで、もう看板を下ろすってことになったのを、自分が民宿をやるって言ったんだ。それでここを譲ってもらってリフォームする計画を立ててた頃だったかな。夢なのか現実なのか、今でもよく分からないが、大輔が自分の前に現れてね。夢枕に立つというやつなのかな。こう言ったんだよ。


『僕、舟に乗って、お父さんとお母さんに会いに行くからね。みんな連れてくよってね。』って。それで、屋号を『月舟』にすることに決めたんだ。最初は笹舟は置いてなかったんだけど、ある時、親戚の葬儀でも笹舟を棺に入れてるのを見て、そうか、これがないと大輔これないやって。本気でそう思ってるのか、顔に似合わないことって言われたけどね。そりゃ信じてたわけじゃないけど。息子への気持ちだね。大輔の言葉に応えないとと思ってね。それで笹舟を置くようになって。それからだね、そういうお客さんが来始めたのは。不思議なことだと思うけどね。それに何故か自分にしか見えないし、自分にしか言葉も交わせないんだ。最初は信じられなかったよ。怖さもあったし。でも、大輔の言葉で始まってるような気がして、受け入れるようになったんだ。」


 大将のその優しい面持ちは、すっかり父親の顔になっていた。


「大輔君は、お父さんとお母さんに会いたかったんでしょうね。みんなを連れてくなんて優しい子だったんですね。」


「本気で死ぬことを考えてる時って、そういう素振りを見せないんだ。大輔もそうだった。私たちを心配させないためにね。いじめの事、何も話してくれなかったし、いつも笑ってた。優しくて真面目で、SOSのサインなんて何一つ拾えなかったよ。これは、大いなる推測だけど、この不思議な現象は、大輔のプロデュースで、おそらく大輔自身もそうだったように、話しにくい親や友達じゃなくて、直接的は関わりの無い人だけど見守ってくれるような人が出てくるようにしたんじゃないのかな。里田さんだって、娘さんがでてきたら、感情が壊れてしまうよ。穏やかには話せないだろ。」


「プロデュース?大将、考えもしない言葉ね。でもそうね、香里がいきなり目の前に現れたら、とても冷静にはしてられなかったわ。史也さんだって、何で言ってくれなかったのって思ったけど、自分が堕ろしてしまった子ってわかったら、動揺すると思う。」


「まぁ、そう思う事で、この不思議な現象の辻褄を合わせてるんだけどね。考えてみたら、今自分たちがしてる会話もおかしな話だよね。だって、亡くなってる人が現れるなんてね、幽霊ってことだし。もともとそんなオカルトなんて全く信じてなかったけど、この体験は自分でも説明がつかなくて。」


「でも、私に、史也さんみたいな人が訪ねて来た時、どうしてわかったの?大将にしか見えないんんでしょ。ぱっと見て、ほかの人に見えてないってわからないんじゃ。」


「それはね、月舟って地名で、悩み事のある人はぜひ癒されに来てくださいって、小さな名刺みたいな紙を、何人かに配ったから、そのうち月舟という地名で予約してきた方がそういうお客だってことが分かるようになったんです。ほとんど、おひとり様でね。そのお客を訪ねてくる方の大体時間帯も決まってるし、女将にも確認するんだ。見える?ってね。」



私は、綾からもらったメモを取り出した。


「あぁ、これね。そういう事か。自分の悩みごと話すなんて、誰かとは来ないですものね。だからか、最初にここに電話したしたとき、何も話す前に、おひとり様ですねって女将さんに言われた。だんだんと、謎が解けてきました。大将にしか見えないっていう謎は残るけどね。」



大将が、ポロシャツの胸ポケットから、幾重にも折られた紙を取り出した。


「それは永遠の謎かもしれませんね。それで、これ、史也さんが、あなたにって手紙を書いたから。彼の言葉を私が書いたんだけどね。読んでみて。」


「えっ、そうなの。」

 

私は、どんどんと不思議な世界へと身を沈めていった。


私は受け取った紙を広げて読み始めた。



お母さんへ。

 

夕べは会えて嬉しかったです。


  お母さん…。信じられないけど、やっぱりあなたはあの時の子なのね。



子どもが5人いると聞いたときはどんなに嬉しかったことか。

僕にも、ちゃんと名前も付けてくれて。生まれることが出来なかったけ  

ど、お母さんは区別もせず子どもとして認識してくれたことが嬉しかったです。他の子たちも、同じ思いですよ。


史也 幸太、智花。


お母さん、生まれなかった子たちにも、みんなに名前付けてたよね。だから僕たちは幸せだったよ。


自分を責めないでくださいね。悲しいお母さんを見るのは嫌ですよ。


香里も、大好きなお母さんだって自慢気にたくさん話ししてくれます。急にいなくなってごめんなさいって。香里は甘え方が下手だったんですよ。

 

それと、さくら貝は、香里がお母さんが寂しがるだろうからって。

また『はは』って書いておいたって。


  何言ってるのよ、あなたが寂しくないように、お母さんとの想い出のものを入れたんじゃない。


浜辺にいた母娘は智花ですよ。智花が、おかあさんがいつも孫が欲しいって言ってるからって、形だけでもって見せたかったらしいです。


あと、おじいいちゃんも、美恵はよくやってると。大変だろうけど幸せに生きてほしいって。


 浜波町に、美恵が来てくれて、すごい喜んでたよ。


 お母さんがここへ来てくれたから、思いを伝えることができました。


 ありがとう。


 色々あったと思うけど、お母さんは、僕たちが大好きなお母さんです。


 私たちの願いはただ一つ、美保とお母さんが、悲しい思いから早く立ち直って幸せな人生を送って欲しい事です。




そんな…。


こんなことって…あるんだ。


幸太も智花も、私が付けた名前よ。夫にも言って無い。私の心の中でしかわからない名前なのに。


ありがとう。


こんなお母さんなのに、ありがとう。


私は今まで、何だったんだろうね。


ほんとうに深海に沈んだままだったわ。その方がしっくり来てたのよ。

キラキラする海面の向こうにずっと行くことはないと思ってた。


でも、波も小さくなったな。出れそうな気がするよ。


「どうですか?沈んだものは、ちゃんと浮き上がれる事ができるんですよ。里田さんには浮き輪がたくさんついてるからね。もう、大丈夫。」


「大将、ありがとうございます。今日は朝から、泣いてばかりです。」


「じゃ、お腹すいたでしょう。朝ごはん、食べて来てください。」




 昨日と同じ、『風』の部屋に入ろうとした時、隣の『星』から、朝食を食べ終えて出てきた老夫婦に挨拶をした。


「おはようございます。」


すると、女性の方から思いもよらない言葉が。


「おはようございます。あら、おひとりですか?」


「ええ、一人ですが。」


「てっきり、昨日あなたと一緒にいた方が娘さんかと。お風呂の脱衣所で小さな写真が入った飾りを見つけたんです。お見かけした娘さんだったから、あの母娘だと思いますって、女将に届けたんですよ。女将も不思議そうな顔されてましたけどね。」


「あ、娘です。途中で用事で帰ってしまって。届けてくださってありがとうございます。」


「そう、寂しいわね。お母さんに似てきれいな娘さんだったわね。」


びっくりした。でもあの方、見えるんだ。私には見えないのに…。


 目の前に並べられた朝食も、サプライズ続きのせいか、今一つ、食べる気がしなかった。

 

 そこへ女将が湯気をたてたお味噌汁を運んできてくれた。


 両手でお椀を包んだ味噌汁を、そのまま口にした。


「シジミのお味噌汁、落ち着きます。美味しい。」


「ストラップのこと聞きました?」


「えぇ、今、おひとりですか?って声をかけられたもんですから。香里を見かけたって言うんでビックリして。でも不思議と、本当に香里が来てたのかなって思えるんです。私、昨日から別世界に入り込んだ気分だけど、このお味噌汁は現実ですね。とっても美味しいです。」


 そろそろ…現実に戻らないとね。


帰りの車の中。


助手席には、大将が新しく作ってくれた笹舟と、香里の写真の入ったストラップ。そしてさくら貝の小瓶を乗せた。


大将じゃないけど、現実なのか、夢なのかって感じね…。



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