第五十八話 領主ザフィード
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※ヨハネ視点
フィナンシェ殿と別れたわしは二年振りに戻り、廃墟化がさらに進んだ街を抜け、街の一番高い場所にある領主ザフィード様の屋敷に足を運んでいた。
「街の様子も酷かったが、屋敷の方もこんな状態になっているとは……執事やメイドはおろか、庭師もおらんのか……」
以前は綺麗に整えられてた中庭の庭園も今は荒れ放題に荒れ、草木が生い茂り、人の気配で溢れていた館からは物音ひとつ聞こえてこなかった。
やはり噂は本当であったか……蘇生魔術師を名乗る連中にいいように金を吸い上げられているというのは……。
ガーデンヒルズへの資金援助の工作をしていた王都にまで、領主ザフィードの乱行の噂が聞こえてきたので、急遽戻ってきたが想像以上の酷さになっていた。
わしは荒れた中庭を抜け、屋敷の中に入っていく。
中もすでに荒れ果て、調度品の類はほとんどなく、街の廃墟と変わらない様子になっていた。
この屋敷はザフィード様の父である先代領主フォベッジ様が鉱夫頭として財を成し、鉱夫たちの簡易宿泊所だったガーデンヒルズを都市に成長させ、都市の代表者としてオステンド王国への上納金を納める形で辺境伯の爵位とクレモアの家名をもらい貴族になることとなった財力を示すかのように豪勢な調度品に溢れていたはずだった。
「屋敷の中もこの体たらくとは……ザフィード様はどこに……」
使用人たちは誰もおらず、面会しようとしているザフィード様の姿も屋敷には見られなかった。
まさか、あそこか?
わしはザフィード様の居場所として裏庭にある一族の者が眠る墓地神殿が浮かび上がっていた。
急いで裏庭にある墓地神殿に足を向けると、神殿の奥にザフィード様はいた。
「ザフィード様、王都よりヨハネが戻りました」
目の前にはやせ衰えて眼も頬もくぼんだザフィード様が、火の鳥の神像に向かいぶつぶつと何かを喋っていた。
王都に出る前は痩せていたものの、精気に溢れた顔をしていたザフィード様であったが、今は死人と言われてもおかしくない顔色をしている。
わしが王都に出た直後にご嫡男マルドー様が亡くなられたとは手紙が来て知っていたが、こんなになるほどまでにショックであったのか。
「おぉ、ヨハネか。よく戻ってきた。そなたの帰りを待っておったぞ。で、王都からの援助の件はどうなった? いくらくらい王国から援助を引っ張り出せそうだ?」
変わり果てた容貌をしているが、金に関してはいぜんとして二年前と変わらず興味が強い様子であった。
ザフィード様の代になり、ハイガーデンの金鉱山の鉱脈は尽き、金売却によって得ていた税収がガタ落ちとなり、住民たちの不満も一定に抑えつつ、色々と切り詰めながら二〇年近く都市財政が破綻しなかったのは彼の才覚のおかげであった。
その才覚が今はおかしな方向へ向かっているのだ。
「援助金の件は……残念ながら王国からはいい返事がもらえずにおります……」
「何のためにお前を王都に送ったと思っておるのだ! 王国からの援助金が無ければ、マルドーを再生の炎で復活させる費用が捻出できぬではないかっ!! この無能者めっ!」
狂気ともいえるほどの剣幕でザフィード様が詰め寄ってきた。
ザフィード様の中ではわしが王都に行ったのは街の復興のための資金援助を頼みにいったのではなく、亡くなられたご嫡男マルドー様を蘇生させる費用を捻出するためだったと置き換わっている。
すでにザフィード様には、今の街の状況が認識できないのかもしれない……。
このような事態に陥ってはザフィード様のためにも、住民のためにももう一つの方策を実行するしかあるまい。
バイスがこの街に戻ってきていたことも霊鳥様のお導きであろうな……。
「ザフィード様、恐れながら申し上げます。クレモア家当主の座を異母弟であるバイス・クレモア様に譲り引退されませぬか?」
「なに? 引退だと? それに私に弟などおらぬわっ! その異母弟とやらは偽物であろう!」
「いいえ、先代様直筆の実子であるとの書き付けとともにこのヨハネが預かり五歳まで我が屋敷で育て、二〇年前、ザフィード様が当主になられた際、先代様の遺言で兄弟で争わないようバイス様はクレモア家と関係ない他の街に知人に預けました」
「なんだと!? そのような話は父上からも母上からも一言も聞いておらぬっ!」
「全てはザフィード様の母上に遠慮した先代様が内密にことを進められましたので、知っているのはわしと一部の使用人しかおりません」
自分に異腹の弟がいると聞いたザフィード様は怒りをあらわにしていた。
本当であれば、バイスはクレモア家と関係ない人物として一生を終えるはずだった。
だが、統治者であるザフィード様がこのような事態に陥っている以上、住民のために彼にはクレモア家の血筋の者として立ってもらうしかなかった。
「王国はすでにザフィード様の統治能力に疑問を持ち、問題が拡大すれば領地の取り上げも辞さないと宰相閣下より通達がありました。このままではクレモア家は断絶します」
「馬鹿者っ! そんなどこの馬の骨とも知らぬ男にクレモア家を継がせるわけにはいかぬっ! このクレモア家を継ぐのは我が嫡男マルドーであるぞっ!」
「ザフィード様! マルドー様はすでにこの世のお人ではございませぬっ! 目を覚ましてください!」
「蘇生魔術師のミドリル先生始め、お弟子さんたちが今、マルドーの復活するための準備を進めておるところだ! マルドーの復活が叶えば、クレモア家は断絶などせぬっ! そのためにはもっと金がいるのだ! ヨハネ、どこからでもいいから資金援助を引っ張ってこい! なんなら王国などには三行半を突き付けて外国にこの街を売り渡してもいい! 金だ、金さえあれば!」
「ザフィード様!」
すでに自分が知っているザフィード様はなく、目の前には息子を亡くし、狂気に囚われた孤独な男でしかなかった。
「これは、これはなにやら大きな声がすると思えば、貴方がザフィード様のご重臣と言われるヨハネ殿ですかな?」
わしがザフィード様と言い争っていると、背後から声をかけられた。
振り向くとそこには薄気味悪い仮面を被り、ブカブカのローブを着た男とその弟子と思われる者たちが立っていた。
「これはお恥ずかしいところを見せた。ミドリル先生、お布施の方はすぐに用立てしますので、なにとぞ息子の復活の儀式の準備は進めてください」
ザフィード様は仮面を被った男の前に進み出ると頭を地面に擦り付けている。
これが、噂の蘇生魔術師を名乗る男か。
仮面で表情が読めぬが、それにしても薄気味悪い男であった。
「ザフィード殿、顔をお上げください。お布施の件はまたあとでじっくりとお話するとして、さきほど聞き捨てならない話を耳にしてしまいましてね。ザフィード殿がご領主を引退されるとかどうとか……これでは復活なったマルドー様が継ぐべき家が無くなってしまわれるようで……」
ミドリルの仮面の奥の視線がこちらに向いていた。
きっと、ザフィード様からまだ搾り取れると算段しており、それを邪魔されるのが嫌なのであろうと思われる。
「そのようなことはない、私は引退などはせぬっ! ヨハネが妄言を吐いただけです」
「で、あれば重臣とはいえ家臣に好き勝手させるのは、今後の障害になると思われますが……ああ、失敬。これはご領主であるザフィード殿が決めることでありましたな。でも、よろしければわたしが力をお貸ししてもよろしいが」
「そ、そうですな。ミドリル先生のお力を借りるのは心苦しいが、このヨハネをクレモア家から排除するべきでしょうな」
そう言ったザフィード様の目には狂気しか映っていなかった。
事態はここまで……この詐欺師がここまでザフィード様を支配していたとはうかつだった。
すでに説得で事態を収束できる時期は過ぎてしまっていたということか……。
剣を構えたミドリルの配下を突き飛ばすと、わしは全速力で屋敷から逃げ出すことにした。