動き出す日常
2年H組の調理実習。それは、地獄絵図である。
男子と女子の割合9:1。理系の物理クラス。
そこに身を置く女子は、たったの5人であった。
中途半端なレベルの進学校の物理クラスというのは、女子が少ない。
「ぎゃ~!なにしてるの??!」
突如、家庭科教師の甲高い叫び声が響く。
すぐさま野次馬の男子が集まり、騒ぎ出した。
やることもなく、暇を持て余した男子が、計量カップに醤油を入れて煮詰めていたのだ。
ぎゃははと大声で笑いながら、ちゃかす男子どもに負けず劣らずな声量で、「計量カップは火にかけちゃだめ~~!」と先生のヒステリックな叫び声。
一層、男子たちは盛り上がっていた。
いつか、先生が言っていた。
このクラスの調理実習が私は嫌いだ。と。
そんなざわめきを聞きながら、もくもくと料理を進める私の班。
もとい、私ともう一人の男子。
彼は内山周助という。
この理系クラスでは少々浮き気味なほんわか男子だ。
そして、この調理実習において、料理にまじめに参加してくれるとても貴重な存在。
彼とは2年生ではじめてクラスが同じになった。
何かと趣味が合うこともあり、仲の良いクラスメートの1人であった。
「お、斎藤さん。包丁さばきめっちゃ上手い!どうやってんの?」
「え?ありがとう!」
私の手元をのぞき込みながら、目をキラキラさせる内山くん。
「てか、内山くんも十分上手だよ~。」
リズム良く包丁を動かす彼を誉めると、はにかんだ笑顔を返してくれた。
試食の時間には、私のポーチについていた猫の肉球ストラップについて内山くんと話が盛り上がった。
片付けも積極的に手伝ってくれて、本当に内山くんは貴重な戦力だ。
放課後。
親友の岡田玲奈との帰り道。
玲奈とは中学の時、同じバレーボール部に所属しており仲良くなった。
進学した高校が同じで今でもこうして時折、寄り道を楽しんでいる。
私たちの寄り道スポットとして定着した、おいしいケーキ屋さんで、ティータイムを楽しんでいる時、私は調理実習のほんの少し前の出来事を思い出す。
人生で初めて、ひとめぼれというものを体験した話を。
「ねぇ玲奈。今日ね、凄いことがあったんだ。」
「へぇ。何?」
私の回想をひととおり聞き、玲奈の興味はある程度引き出せたようであった。
「ふ~ん。で、どんな人だったの?」
私は、いまだに鮮明に残っている先輩のイメージを興奮気味に、できるだけ事細かに説明する。
「その先輩見たことあるかも。
去年の掃除の時、よく見かけた人が奈美の言ってる人かもしんない。」
玲奈はその人を思い出すように、考えながら口にした。
「うっわ~。羨ましい!!
てか、玲奈ずるい。
私もまたどっかで会わないかな~。」
私は先輩に思いを馳せながら、美味しいケーキに美味しいコーヒーを堪能する。
「でもさ、奈美。」
おそらくニヤついた顔になっていた私に、少し真剣な顔つきで玲奈が切り出した。
「井上君は?奈美、好きなんじゃないの?」
玲奈の鋭い視線が向けられる。
井上君とは、井上大貴。私の幼馴染で家が隣。まあ、よくある少女漫画のごとく、そのお隣の幼馴染に私は恋をしているわけだ。
ただ、現実はそんなに上手くはいかない。私と大貴の関係はそんな甘いものではなかった。
玲奈から発せられたその言葉に、私はちょっと自嘲気味に笑った。
コーヒーに口をつけ、一息ついてから、一番触れられたくない大貴の話をすることにした。
「分かんないの。自分がどうしたいのか…。
もう、好きかどうかも分かんないや。」
玲奈の方へ目を向ける。
「奈美、何があったの?」
ケーキを口に運ぶ玲奈を眺めながら、記憶から消したい大貴との出来事を思い出す。
「大貴にとって私は、幼馴染以上の存在ではないみたいでね。
2人で遊びに行かないかって、誘ってみたんだ。そしたら、
『2人とかそういうの無理だから』
だって。」
完全にフられたよ~。と玲奈に泣きつく。
「だったら、このままでいいかなって思って!!
自分なりに考えたんだよ。これ以上気まずくなるの嫌だし。
みんなで遊びに行くとかは別にいいみたいだし。
嫌われるぐらいなら、このままでいいの!!
…私はこれでいいの。」
務めて明るく振舞い、玲奈に笑いかけた。
玲奈はなにも言わなかった。
ただ、優しい眼差しと目が合うだけだった。
月曜日の朝。
家を出る時間がいつもよりギリギリになってしまった。
最寄駅までの道をダッシュで駆け抜ける。
電車には間に合いそうだ。ホームで息を整えていつもの車両へ乗り込んだ。
プルルルルル
発車ベルが鳴る。
ガタンゴトン。
小気味よい音を鳴らしながら、今日も定刻通り進みだす。
空いている座席を見つけ、そこに落ち着く。
私の脳裏に突如、金曜日に出会った先輩の顔が浮かんだ。
自分でも不思議であったが、脳裏に焼き付いて消えない先輩の姿。
大貴とうまくいかなくて、自暴自棄になっているのだろうか。
新しい恋を求めているのだろうか。思考がぐるぐると張り巡らされ混乱していく。
大貴を好きになったのはいつのことであったか。
おそらく中学に上がるころには、好きであったと思う。
お互いの家もよく行き来して一番仲の良い存在だと自負していた。
同じ高校への進学が決まった際、この関係はずっと続くと思っていたのだ。
しかしながら、高校に進学すると1年生ではクラスが離れた。
自然と話す機会が減り、家を行き来することもなくなり、時々会った時に挨拶を交わす程度であった。
2年生に進級すると同じクラスになり、また話す機会はあったが大貴の態度はどこかそっけなく、寂しくなった。
そんな折、勇気を振りしぼって大貴を誘ってみたのだ。
結果は、玲奈に告げたとおりの撃沈。
特に私から好きだと告げたわけではなく、少し仲の良いクラスメートという立ち位置に収まっている。
大貴や私の友達の数人は、私たちが幼馴染であることを知ってはいるが、私たちの関係はぎこちない距離感を保っていた。
ひとつため息をこぼし、車内アナウンスが目的地への到着を告げたところで、私の意識は現実に返ってきた。
高校へ進学してからの大貴とのことを考えると、自然と気持ちが沈んでしまう。
月曜日というだけで憂鬱な気分が襲い掛かってくるというのに、さらに気分が落ち込んでいては、青春真っ只中の高校2年生としては失格だ。
気合を入れなおして、高校の最寄り駅のホームへ降り立った。
改札を抜けようと定期券入れを探す。
バックをがさごそと漁って思い出した。
今日の朝は、時間に余裕がなくて胸ポケットへ乱雑へ押し込んでいたのだ。
制服の胸ポケットから定期券入れを取り出し、ようやく改札を抜けた。
パサッ
奈美が改札を抜けた直後、地面に鈍く落ちた手帳。
それは、定期券入れと一緒に胸ポケットから滑り落ちた奈美の生徒手帳であった。
奈美は気付くことなく、歩き出していた。
「ん?うちの生徒手帳?」
その数分後、奈美の生徒手帳を拾い上げる男。
「2年H組。斎藤奈美か。」
奈美はまだ知らない。
奈美の日常の歯車が確かに動き出していることを。




