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短編小説

ものぐさ聖女様は、勇者の処刑を所望する

 魔王の心臓に、聖剣を突き刺した瞬間――俺は〝勇者としてすべきこと〟を悟った。


「レオンさん、ついにやりましたね!!」

 

 歓喜に湧く仲間たちを見つめ、微笑んでささやく。


「あぁ」

 

 どす黒い返り血で塗れた俺は――


「これで、世界は救われる」

 

 笑いながら、ギロチン台に嵌まる自分の首を思い描いていた。











「レオン・ミラエール殿。

 天の大いなる愛があなたの魂を包むまで、死出(しで)の旅路が安寧に満ちる束の間、この神の作り給うた神殿に留まることを赦します」

 

 世界樹の冠を載せた白銀色の長髪、金糸が織り込まれた純白の法衣で身を包んだ聖女様は、女神もかくやといった微笑を交えてそう言った。


「そもそもの話、この世に神なんているわけないじゃないですか? だとするならば、現世で神の次に偉いと言われるわたしがナンバーワンでわ? というか、そうに決まっていますねそうですね決定事項ですね。

 となれば、あなたのもっているその果物はわたしのもの。というか、この世界まるまるわたしのもの。はい、論破。よこしなさい」


 その夜、とんでも理論で俺から木の実を強奪した聖女様は、魔王もかくやといった嘲笑を浮かべてそう言った。


「……聖女様、ひとつ聞いてもいいですか?」

 

 頬袋を満ぱんにして食事に励んでいた聖女様は、銀の瞳をじとりとこちらに向ける。


「は? なんですか? この果物は返しませんよ。昔から言うでしょう? 『大事なものには唾をつける』……すべからく、この聖女の唾液で浄化されたこの実は、低俗なあなたの及ぶものではなくなったのです。やーいやーい」

 

 なんだ、このデカイ子どもみたいな聖女。

 

 先日の昼間、俺を迎え入れた際の純潔の乙女たる様子は、どこにいったというのか……別人だと言われても信じてしまう。


 美の権化たる顔貌はそのままだが、飢えた餓鬼のようにがっつくその様は、憧れを抱くものを失神にまで追いやってもおかしくはない。


「まぁまぁ、30点」

「人から奪ってがっついて、煽りまでしておいてその低得点はないでしょう」

 

 洗濯をする女官たちの手間など考えないのか、聖女様は当たり前のように袖口で口周りを拭いて「ふぅ」と嘆息を吐く。


「わたしは、嘘を愛せぬ女なのです。

 神が『万物を愛しなさい』と言えば『排泄物はさすがに愛せねーよ』と言い、神官が『この世の全ては、清らかなるものです』と言えば『排泄物はさすがにきたねーよ』と言い、民草が『聖女様は、不浄を吐いたりしない』と言えば『もちろん、そのとおり』と言うのです。

 つまり、わたしは排泄なんてしませんまったくしませんノー排泄聖女です」

「……昨日の昼間に謁見させて頂いた際は、〝聖女〟という名に相応しい御姿だったと思うのですが」

「あぁ、あれですか。必要悪ならぬ必要嘘というやつです。神職につくものたちは、聖女という肩書に大いなる冀望きぼうを抱いていますからね。ぷろふぇっしょなるとして、全世界の民草と神官、ついでに神の期待を裏切るわけにはいかないのです」

 

 長い長い旅の間、時たまに届く聖女様からのふみには、確かなる聡明さと慈愛が籠められていて、何度励まされたかわからないものだが……


「あーあれですか、おっさんが書いていますよ。おっさんが。いい歳をしたおっさんたちが、額を寄せ集め暑苦しく語り合って、理想の聖女様を文面上に生産し続けているのです。

 歳のせいか、おっさんたちの生産活動は毎度の如く難産でしたが、一仕事を終えた彼らの顔はママの挟持で輝いておりましたよ」

 

 理想と現実のあまりの隔たりに頭痛を覚えていると、腹を満たして満足げな聖女様は、すすすと俺に寄ってきて小首を傾げる。


「で、あなたは、なぜココに来たのですか?」

「……は?」

 

 驚愕を通り越して呆然とした俺に対して、愛らしい微笑みをたたえた聖女は「だって、詳しい話なんて聞いてませんもん」とつぶやく。

 

 処刑が行われるその日までは、名目上は犯罪者である俺を住まわせることになるのだから、当事者のひとりでもある聖女には当然話が伝わっていると思っていた。思っていたというか、そう信じたかった。


「あ、わかりました。性犯罪ですね。ひと目見た時から、スケベだと思ってました」

 

 だが、現実は、この娘には何の情報も入っていない。入っていないどころか、初対面時に性犯罪者だと認知されていた。


「程度にもよりますが、この国で性犯罪を犯しても処刑になりません。せいぜい、両手を切り落とされる程度でしょう」

「なるほどー、では、余程、酷い性犯罪を犯したのですね」

 

 どうしても、俺のことを性犯罪者にしたいらしい聖女様に呆れつつも、実際に犯した罪を口にしてみる。


「魔族を殺しました」

 

 合点がいっていないらしく、人差し指を唇の隙間に差し込んだ彼女に、俺はもう一度告白する。


「俺は勇者の一員でしたが……魔族を殺したんです、かなり惨たらしく。

 魔族の村にある井戸に毒を流し込み、仲良く暮らしていた二種の魔族の仲違いを引き起こして私刑を起こし、女、子どもの腹の中に爆発物を埋め込んでから家に帰して大量に殺しました」


 黙り込んだ聖女様に対し、俺はなるたけ残忍に視えるように笑みを浮かべた。


「あぁ、楽しかったなぁ魔族殺しは……アイツらの喉を引き裂く感触、耳あたりの良い断末魔、咽び泣いて歪む顔がたまらなかった……勇者が魔王を殺さなければ、もっと愉しむことができたのに……」

 

 ずっと一緒に戦ってきたナイジェルも、イレーネも、俺のこの言葉を聞いた直後に目の色を変えて「クズ」と俺を呼んだ。

 

 だから、彼女もそう呼んでくれると思っていた。


「へー、ふーん」

 

 だが、彼女は、興味がなさそうにそうつぶやいただけだった。そして、立ち上がって、法衣を手際よく払う。


「い、いや、なにか言うことがあるんじゃないですか? 俺に対して、言いたいことが、なにか?」

「あのですね、そういうのやめてくれませんか? 胸中を吐き出してスッキリ~したいのはわかりますが、残念ながら業務時間外です。手当つくんですか? つかないでしょう? つまり、仕事なんてしたくありません。はい以上、解散。美味しい果物をありがとうございました」

 

 颯爽と立ち去っていく聖女様を唖然として見守っていると、彼女は急にぐりんと振り向いて言った。


「お腹が空いたらまた来ます。貢ぎ物を用意して頭を垂れ、親愛なる聖女様の降臨を恋する乙女のように待ち焦がれるように。はい、祝福」

 

 人差し指と中指を額に当ててから唇へ。教義に記されている祝福文字を雑多に描いてから、聖女は悠然と去っていった。

 

 なんで、俺は、今までこんな聖女を有り難く思っていたんだろう。


 アホらしく思いながらも、なぜ、彼女が自分にだけ〝本当の姿〟を見せるのか考えていた。




「だって、あなた、4日後には死ぬじゃないですか」

 

 次の日の深夜、生きとし生けるものの大概が眠りに落ちた後で、聖女様は俺に掌を差し出しつつ〝答え〟を出した。


「これから死ぬ人間に対して、素を出しても問題ナッシング。清らかなる乙女が秘めしミステリアスは、これからも世の民草に蠱惑的な謎を問いかけ続けることでしょう。

 ところで、その古ぼけた手紙は?」


 旅の途中に何度も読み返したせいで、千切れて破れ変色したレイからの手紙を慌てて隠した俺は、何事もなかったかのように話を切り替える。


「それよりも……なんですか、その手は?」

 

 銀髪銀瞳の少女は、ニコリと笑った。


「食べ物を貢ぎなさい」

 

 噴水と彫像、色とりどりの花たちが花弁を広げる庭園で、黙々と手入れを行っていた俺はため息を吐く。


「どうして、いつも腹を空かせているんですか? 教会は魔族殺しの免罪符を発行して、散々に儲けているんだから、飢えとは無縁のはずでしょう?」

「えぇ、まぁ、教会が左団扇なのは認めましょう。魔王が勇者に討ち果たされ、魔族との併合が叫ばれている昨今、正義の名の下に魔族殺しを行っていた連中が、どうにかこうにか戦争法で裁かれぬようにのたうち回っているのが現状ですからね」

「だったら――」

「だったら、しからば、そうであればと言われても、教会の懐に金が入ることとわたしの胃袋に食物が満たされることは無関係。金食い虫じゃないんですから、お金で腹がいっぱいなんて幻想有り得ないのですよ」

「……金食い虫は、そういう虫がいるという意味では」

「は? なんですか? 知ってますが? 聖女、舐めてます? 言っておきますけど、処刑の日取りを早めることだってできますよ? どうぞ、ひれ伏して?」

 

 別に、俺としては、処刑の日取りを早めてもらった方が良いのだが……面倒なので、適当に謝罪を口にする。


「よろしいよろしい喜ばしい。はい、祝福」

 

 その雑な祝福、やめてくれないかな。


 本来の意味としては、唇に当てた人差し指と中指を相手の唇に当て直すことで『これから、同じ物を食べましょう』という意味を指す祝福文字。

 

 つまりは、『差別なくあなたを受け入れます』の意であるのだが、あまりに雑過ぎる上に過程を省いているので『腹減ってるから、とっとと食い物よこせ』のサインにしか視えない。


「教会というのは、節制を主にしているのですよ。大変ムカつくことに、肉が出ることさえ稀なのです。食事の量だって、愛らしい乙女のちっぽけな胃すら満たせぬ、塵芥ほどしか提供されないのですから」

「事情はわかりましたが、今日は何も提供できるものはありませんよ。昨日の木の実だって、庭の手入れをする代わりに頂いたものなんですから」

 

 この回答はよほど聖女様のご機嫌を損ねたのか、彼女はわかりやすく眉根をひそめる。


「は? 昼間、何してたんですか? 貢ぎ物なしでフィニッシュとか、神が赦してもわたしの胃袋は赦しませんよ」

「昼間は、神殿であなたの説法を聞いていたんですよ。なんで、憶えてないんですか?」

「だって、あれは、わたしじゃな――言い訳がましい男ですね、まったく。貢いでなんぼの商売でしょうが」

 

 そんな商いを始めた憶えはないので黙っていると、聖女は首からぶら下げた金鎖を鳴らしながら歩き始める。


 何をするのだろうかと見守っていると、彼女は当たり前のように神殿と教会を囲んでいる柵に手をかけて「よいしょ」と掛け声をかけながら登り始めた。


「い、いや、何をしているのですか! 落ちたら大事ですよ! 下りてきて下さい!!」

「安心なさい。神が天から堕ちてこないように、わたしが地に落ちることもまた有り得な――きゃっ!」

 

 手を滑らせて落下してきた彼女を受け止めた俺は地面を滑り、柔らかな少女を抱きとめて安堵の息を吐く。


「なかなかに、巧みな身のこなしですね。さすが、元は勇者の一員」

「……今はもう、ただ裁きを待つだけの重罪人ですよ」

 

 聖女様は「礼を言います。はい、祝福」と雑な祝福文字を切り、土汚れを払ってからもう一度柵にしがみつき俺の手で引き剥がされる。


「なるほど、不敬ですね。こういった輩には聖女パンチからの聖女キックをお見舞いしてやるのが通例ですが、敬虔なる信徒の告解を聞くような大らかな気持ちで、その涙ぐましい言い訳を聞いてあげましょう」

「危険です。そもそも、こんな夜更けにどこに行くつもりですか? 見つかったら大事ですし、見つからなくても大事ですよ」

「お腹がペコリーヌなので、パン屋の門戸を叩きに。

 ちなみに、わたしのお腹の名前が『ペコリーヌ』という意味ではなく、お腹がペコペコに減ったという意味なのであしからず」

 

 なぜ、赫々(かくかく)たる聖女と語らっているというのに、頭痛がするのだろうか。ココに来るまでの間、この人になら全てを打ち明けてもいいとまで思っていたのに、今ではこんなのに喋ったら終わりだという気しかしない。


「わかりました、俺がなんとかします。なんとかするので、そこから絶対に動かないでください。妙な動きをしたら、今後、一切の協力を拒みます」

「わたしを誰だと思っているのですか、聖女ですよ聖女。動かないで待っているなんて児戯、簡単過ぎてついつい破ってしまいそうですね困りましたどうしよう」

「……そこの木に縛り付けても?」

「わかりました。ここであなたを待つことを、居もしない神に誓いましょう」

 

 信仰心ゼロの聖女は、その場に仰向けになって寝転び、胸の上で両手を組み健やかな笑顔で寝息をかき始める。


 本当に寝ている。有り得ない。寝付きの良さが、遊び疲れた子どもだ。


「こんな聖女を有難がっていたどころか、敬愛していたイレーネは、可哀想としか言えないな」

 

 俺のことを「さすがは、勇者様ね」と笑っていた彼女が、引きつった顔で「最低よ、あんた」と吐き捨てる。

 

 嫌な思い出が脳裏をよぎり、最悪の記憶を打ち払うために首を振った俺は、教会の庭に自生していた野草や菜を採取して回った。

 

 腹を空かせた幼子のために摂ってきた野草と菜をもって修道院に行き、自炊室をお借りして調味料と一緒に炒めてから聖女様の元へと舞い戻る。


「えぇ……なに……できたの……って、なんなのですかコレは」

 

 熟睡していた彼女をゆり起こして、調理具の中に収まっている野草炒めを見せると、怪訝な顔をして顔をしかめる。


「カミサリスとスウェラ葦を塩で炒めたもの。魔族領でも自生していたので、よく旅の道中で食べましたよ。カミサリスは根茎の食感が良いですし、この時期のスウェラ葦はアクを抜かなくても、十二分に美味しいですからね」

「聖女に草を食べさせようとしたお馬鹿さんは初めてですよ。なんですか草って腐ってるんじゃないでしょうね臭くはないみたいで美味うまっ!! なんですかコレ、美味(うま)っ!!」

 

 持ち込んだ食器を使って、頭を突っ込むようにして食べ始めた聖女様を見守り、食べ終えた彼女が腹を擦るのを見つめる。


「40点」

「アレだけ、美味いとか叫んでたくせに」

「口ではなんとでも言えますよ」

 

 勝ち誇ったように笑むこの娘をひっぱたきたくなるが、子ども相手に意地を張るつもりもないので怒りを裡に収める。


「というか、あなた、もしかしなくても昼間は暇男ひまおですね? わたしは、民の敬仰を一身に受ける煩忙たる聖女様なので、身体が五つくらいに分裂しないかなと夢見る愛され乙女ですが」

「いや、暇というわけでは。そもそも、この5日間は、罪を悔い改める時間として設定されたもので、聖女様や神官様からの教示を拝聴するための期間ですから」

 

 実際には、〝都合をつけるため〟だけどな。さすがに魔族殺しの重罪人を、なんのメリットもなしに、聖女様のお傍に寄らせるほど教会はバカじゃない。人目のない深夜に見張りもつけずに、手かせと足かせを解くなんてことするわけもない。


 聖女に近づけても安全安心で〝絶対に逃げたりしない〟俺を選び、最期の瞬間に『改心した』と口にさせ、聖女の献身ぶりを世間に示すことで、教会の権勢を世に知らしめたいんだろう。

 

 俺と教会、互いに〝利のある処刑〟。俺が死ぬことで、俺自身も教会も、欲しいものを手に入れる。

 

 きっと、コレで良い。最期くらい、俺は〝勇者〟でいたい。


「それでは、明日、わたしから声をかけますから、元気に手かせ足かせ舌かせで縛られていてください」

 

 なんで、『黙って、待ってろ』と普通に言えないんだこの子。

 

 食べるだけ食べて満足したらしい聖女様は、ご機嫌な足取りで約束を取り付けた俺から離れていく。

 

 俺は、死ぬまでの短い間、この子の相手をするのかと疲れ果てていた。




 既に枯れ果てた世界樹が存在していた聖地には、敬虔な信者や戦災から逃れてきた難民、そんな彼らを目当てにした商人、免罪符の発行を心待ちにしている〝犯罪者〟が日々の営みに追われていた。

 

 取り巻きの女官と護衛士を引き連れた聖女様は、祝福を求めて群がる民衆に笑顔を投げかけながら、隣を歩いている俺の手かせをぐいぐいと引っ張ってくる。


「前から思っていましたが、俺が怖くないんですか?」

「質問の意図を理解しかねますね。あなた程度に恐怖心を抱いているなら、こんな風にぐいぐい手かせを引っ張って、ニコニコお散歩に励んでいるわけがないじゃないですか。

 というか、コイツら、どうにかなりませんか? 歩く美少女展覧会とまで評されたわたしの祝福を、無料(タダ)でもらえると群がってくてるこの奴隷根性。お飾りの聖女様のことを、脳内の理想像のままに崇拝しちゃって。

 わたしがセクシーポーズとったら、悩殺どころか逝っちゃいますよコイツら」

 

 半ば強制的に誘われた〝お散歩〟。聖女の気まぐれで教会から出された俺は市井に引っ張り出され、手かせだけをつけられて、数人だけの供を連れた彼女の横に並び立つことを許されている。


 俺がその気になれば、この聖女様の首を落とすくらいは容易い。それくらいは、この娘だって承知の筈だ。

 

 だというのに、我が物顔で重罪人を横に引き連れ、住人に悪感情を植え付けているのかわからない。


「あなたは、望んで聖女として生きているのではないのですか?」

「は? 奴隷や娼婦が、望んで身をやつしたとでも?

 世界中の奴隷を解放し、魔族の妻をもった聖人の子……正直言って、わたしは、何者かが書き上げた聖女の人生を〝なぞってきた〟に過ぎないのですよ。自分が聖女として何を成すべきなのかもわからず、心から尊敬できる誰かがソレを教えてくれるのを願うアンニュイお姫様系美少女なんです」

「……それは、随分ともったいない」

 

 ぴたりと足を止めた聖女様は、伸びてくる無尽の手を無視し、救いを求めるそれらを誤魔化して俺を見つめる。


「せっかく、聖女になれたのですから、聖女らしいことを一度くらいはしてみてもいいと思いますよ。聖女としてのあなたが出来る〝唯一のこと〟をしてみるんです。

 きっと、それが、あなたがあなたらしく生きるための筋道になる」


 自分自身が出来ていなかったことを、今更になって説教として口に出すことになるとは、とんでもない皮肉だと口の端が歪む。


 勇者らしい勇者ではなかった俺は、最期の最期になって、俺にしか出来ない〝勇者〟として生きられる。


 コレが――俺の生き方だ。


「わたしが、聖女として出来ること……ま、アドバイスとして、受け取ってあげますよ」

 

 らしくもなく殊勝になった彼女に引きずられて、俺は人混みの中から人混みの中へと移動し、表面上だけは聖女様として生きている彼女の横に張り付く。


「ちょっと」

 

 硬直させた笑顔のまま、ゆるやかに手を振る聖女様は、俺の袖をくいくいと引いて己をアピールした。


「どうしましたか? 怪しい人物でも?」

「怪しい人物なんて、煮ても食えないでしょうが……あの店で、パンを買ってきなさい」

「は?」

 

 目線だけでパン屋を指した聖女は、ひくひくと頬を痙攣させて、イラつきを充足させながら命令を繰り返す。


「パンを買ってきなさい。供に見られたらダメですよ。なるたけ大量に買い込んで、懐に隠しておいてください。つまみ食いはひとつまでは赦しますが、ふたつ目に齧りついた瞬間、神の鉄槌ことわたしの拳がパンに代わってお仕置きします」

「……もしかして、パンを食べたいがために、俺を外に連れ出したんですか?」

「はい? それ以外に、何の意図が? 今現在、あなたが生きとし生けるものを名乗れているのは、聖女たるわたしにパンを買ってくるという大義を帯びているからですよ? 早く、買ってきて?」

 

 一瞬の隙を見て、俺に大量の銅貨を握らせた聖女様は、早く行きなさいと言わんばかりに顎でパン屋を示す。


 指先だけでも聖女に触れようと躍起になっている群衆を押さえつけるのに、必死になっている女官と護衛士の死角を縫うように人混みの外へ、俺はパン屋に行って汚い身なりを怪訝に見られながらもお使いを終える。


「なんで、俺は、聖女の使い走りなんてやらされてるんだ……これから処刑されるのに……」

 

 死ぬ覚悟をするまでの間、アレだけ思い悩んだのがバカらしくなってきて、気力の萎えを自覚しつつ聖女の元に戻ろうとし――右腕を掴まれた瞬間、相手の懐に潜り込み、手かせを用いて〝男〟の首を捻るようにして締めた。


「れ、レオンさ……ぼ、ぼくです……」

「ランディ? お前、どうして、こんなところにいる?」

 

 幼い頃の純朴な顔立ちのままに成長したランディ・ウェルセクは、顔を覆い隠したフードの内側で咳をしながら、解放された喉を擦って辛そうに喘いだ。


「なにをしに来た? 時の〝勇者様〟がこんなところにいて、俺と仲良く談笑している姿なんて見られたら全てが無駄になるぞ」

「と、止めに来たんです! やっぱり、おかしいですよ、こんなの!! なんで、レオンさんが犠牲にならなくちゃいけないんですか!?

 世界を救ったのは、魔王を倒したのは、本当はぼくじゃなくてレオンさ――」


 フードの襟元を時計回りに捻って喉を締め、息が外に漏れて〝お喋り〟を封じた後、俺はごく自然に〝肩を組んでいる〟のを装った状態で歩き……路地裏の壁にランディを叩きつけて、昏い目で彼を眺める。


「いいか、ランディ。お前に〝協力〟してもらっているのは理解している。幾ら感謝してもし足りないくらいに恩を感じているし、俺にとっての最高の友はお前だ。だから、〝お前にだけ〟は、全てを話して共謀してもらった。

 だが、〝今更〟、俺の全てをかけた企みを潰すような真似はやめろ。それだけは、如何にお前だろうと赦さない」


 頼む、俺を嫌え。嫌ってくれ。恨んでくれ。こんなやつ、死んでもいいと思ってくれ。そうしてくれないと、俺は死ぬに死にきれない。きっと、どこかで、助かりたいと願ってしまう。


 ――レオン、絶対に帰ってきてね。ずっと、待ってるからね


 俺は、彼女と、幸せになりたいと思ってしまう。


「レオンさ……あ、あなたは、最低だ……むか、昔から、そういうことしかできない……自分を犠牲に、しないと、誰かを救えないのか……!」

 

 悔しさで唇を噛み切って顎にまで血を滴らせているランディは、幼子のように泣きながらそう訴えてくる。

 

 その潤んだ瞳には、何もかもを諦めた男が映っていた。


「前から、ずっと思ってたよ。ランディ、お前のほうが、よっぽど俺なんかより勇者らしいってな」

 

 手を離すとランディはその場に蹲ってえづき、爛々とした目でこちらを見上げる。


「彼女、レイさん、結婚するらしいですよ」

 

 ――レオン。ずっと、ずっと、ずっと、あなただけを好きでいるからね

 

 子供の頃から大好きだった彼女が、別の男と添い遂げると聞いた瞬間、胸の奥でどす黒い哀しみと気色の悪い嫉妬が渦巻いて、強烈な嘔吐感に襲われるも、俺は無理矢理に呑み下して――


「……よかった」


 彼女が幸せそうな笑顔で、赤ん坊を抱いている姿を夢想し、俺は自分の戦い続けた〝理由〟を叶えたことに笑うことができた。


 愕然と顔を上げたランディは、わななく唇を開く。


「旅の途中、アレだけぼくに惚気けたくせに……この旅が終わったら、レイと結婚するんだと笑っていたくせに……イレーネさんやナイジェルさんにからかわれて、真っ赤な顔で怒ってたくせに……」

 

 絶望に足をとられて沈み込んだ亡者のように、彼は疲れ果てた顔つきでささやいた。


「そんな風に……笑うのか、あなたは……」

 

 よろよろと立ち上がったランディは、もう涙を流そうとはせず、ただ〝覚悟を決めた者〟の顔で決然と眦を決する。


「どうしても、僕には納得できない」

「ごめんな」

 

 レオンさん、レオンさん!! と喜び勇んで稽古を頼んできたランディに、何時もしてやったように頭をぽんぽんと叩く。


 それは、俺とランディにだけ通じる〝稽古はできない〟の合図で、いつの間にか伸びていた少年の背丈にもう戻りはしない時の流れを感じた。


「俺の首が落ちるところを見に来い。

 それが……俺がお前にしてやれる〝最期の稽古〟だ」


 ズタズタになった唇をもう一度噛み締め、ランディは何も言わずに背を向けて――人混みの中へと消えていった。


 もう、戻らない。戻ったりはしない。ランディは世界を救った勇者で、俺は世界を壊した最悪のクズ野郎だ。これから何もかもを失って、歴史には『イカれた極悪人』として記されることだろう。


「レイ……」

 

 出立の日、彼女からもらったネックレスを手にもち、傷と泥に塗れて光沢を失ったソレを見つめる。


「どうか、幸せに」

 

 目を閉じた一瞬、ほんの一瞬――子どもだった俺と彼女は、笑いながら追いかけっこをしていて――その記憶ごと、失った郷愁を胸元に仕舞い込んだ。




「何を書いているんですか?」

 

 二日後に処刑が迫った夜、用意された個室で手紙をしたためていた俺は、唐突に現れた聖女に驚いて思わず腰を浮かせる。


「な、なぜ、ココにいるんですか? あなたが神殿で祈っている姿を確認してから、壁を登って部屋まで来たのに」

「は? 当たり前でしょう? 月が出なくなるのは、明日なんで――げぇほげほっ!! すみません、急に風邪にかかりました」

 

 なんだ、この芝居じみた誤魔化しよう。


 聖女は月光を司ることで奇跡を生み出すことができるというから、明日の新月には出来ない〝何か〟をしていることは間違いないが……下手に足を突っ込んだら、蛇どころか龍に噛みちぎられそうだ。


「で、何を書いているのですか?

 ちなみに、あなたが答えるまで、延々と枕元で『で、何を書いているのですか?』と言い続けるので、互いに寝不足状態に陥り、迎えるは悲しき朝日です。

 鶏は卵を生みますが、争いは何も生まずに食べられません。我々人間は歩み寄ることができるのですから、とっとと洗いざらい吐きなさい。歩み寄ることで得られた、有効射程距離。吐かないと意地を張るのであれば、喉奥まで手首を突っ込むことが可能と知りなさい」


 なんで、この人は、聖女らしからぬ文句と脅迫をスラスラと言い連ねられるのか……俺は観念して、レイに当てた手紙を机上に置いた。


「で、どうやって、食べるのですか?」

「食べません。郷里に当てたふみですよ。昔馴染みが結婚するので、祝福の手紙を……どうせ、読まれずに捨てられるでしょうが」

「愛しているのですね」

 

 優しげな声音に驚いて振り返ると、銀色の髪を編み込んだ彼女は、ただゆったりとした微笑を浮かべていた。


「聖女様には、そう読めますか?」

「聖女でなくとも、そう読むでしょうね。というか、そうとしか読めない。そうと以外、どう読むのか教えて頂きたいくらいです」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺はあと数行で書き終わる手紙を破き捨てて、開け放った窓の外へと差し出した。


 千千に千切れて意味を為さなくなった紙片は、宙空で鮮やかなステップを踏みながら、冷たい夜風に誘われるようにして消えていった。


「愛しているから捨てたのですね。余計なことを言いました」

 

 珍しく核心に触れてくる聖女様に驚嘆しつつ、俺は椅子に座り直して、筆記具をゆっくりとした動作で仕舞った。


「もし、万が一、まず有り得ないでしょうが、あの手紙を彼女が見て〝思い直す〟ことがあってしまったら……俺は、死んでも死にきれません」

「あのランディとかいう男の子、彼と話していた内容と関係があるのですか?」

 

 がたんっ――自分が蹴り倒した椅子の倒れる音が耳朶を打ち、心臓が四方八方に跳ね回っているのを感じた。


 なんで、どうして、聖女様に、聞かれた、計画がばれる、いや、元々、話そうとしていた、だが、もし邪魔されたら、まて、彼女は教会側で――強烈なめまいで倒れそうになるのを自覚しつつある俺を前にして、眠そうにあくびをした彼女は、ベッドに腰掛けてとろんとした目でこちらを見つめる。


「やはり、あなたが、魔王を殺した〝真の勇者〟なのですね」

「な、なぜ……どうして、わかって……そ、そもそも、いつ……」

「最初から」

 

 白いシーツの上で体育座りをした聖女様は、膝頭に顔を埋めるようにして銀色の瞳を覗かせて言った。


「聖女でいるとですね、しがみつかれるんですよ〝人間〟に。

 しがみつく人間は、素直で醜くて実に〝哀れ〟です。簡単に内奥が覗き込める。あなたも例外ではないですよ。最初は、わたしには全てを話すと決めていたんでしょう? だから、初対面時のあなたは、〝わたしにしがみついた〟。

 あの瞬刻――あなたは、わたしに『俺が殺せたのは、〝魔王だけ〟だ』と告白していたんですよ。

 だから、わたしは、あなたがちっとも〝恐ろしくなかった〟」


 出会った瞬間に、全てを見透かされていたのか。


 思いもかけない真実に呆然とする。そんな俺を興味深そうに観察している聖女は、立ち上がって俺に歩み寄る。


「全てを、神ではなく、わたしに告白しなさい」

「今更……今更、何を……何を話せと言うんですか……話したところで、俺は何も……」

「どうせ死ぬんですから、話しても話さなくても一緒でしょう? なら、話しておいたほうがいいですよ。

 死なばもろとも、一蓮托生、貴様だけは道連れだ、と」

「絶対、使うタイミング間違えてますよソレ」

 

 俺は、笑う気力すらも失って、促されるままに昔話を始めた。




「レオンさん。こんな夜更けに、稽古なんてどうしたんですか? イレーネさんとナイジェルさんが、ようやく祝杯に沈んで眠り込んだっていうのに」

 

 魔王を討伐した後、四人だけの祝杯を上げた夜――呼び出したランディは怪訝な顔でやって来て、察したかのようにニヤリと笑った。


「なるほど、レイさんへのプロポーズですね? イレーネさんやナイジェルさんのからかいは酷いですからね、ぼくにアドバイスを求めるのは当然でしょう。

 任せてくださいよ、こう見えても、女の人の心情には多少の心得が――」

「ランディ、今日からお前が勇者だ」

 

 ぽかんと大口を開けた少年は、歴戦をくぐり抜けただけあって、直ぐ様正気を取り戻しニヤケ面になる。


「わかりましたわかりました。今日から、僕が勇者ですね。了解です。それじゃあ、その腰に下がっている聖剣を頂戴しま――」

 

 手渡した瞬間、彼の顔がさっと現実味で彩られる。


「魔王の心臓に聖剣を突き刺した時に、ようやく俺は〝今後〟を考えた。

 魔王を殺した後、この世界は平和になるんだろうか、と」

「な、なるに決まってるじゃないですか! 人間と魔族は延々と争いを繰り返していて、ようやくその歴史に終止符が――」

「打たれない」

 

 真っ直ぐにランディを見つめて、諭すようにささやきかける。


「勇者と呼ばれる人間が行うのは、〝魔王の討伐〟ではなくて〝魔王の暗殺〟だ。

 魔族勢力はあまりにも〝大きすぎる〟。人間全員が武器をもって戦いを挑んでも、勝つことはできない。だからこそ、秘密裏に魔王を消す〝勇者〟という名の暗殺者を必要とした。

 俺たち人間は、魔王を殺すことで、次代の魔王が擁立されるまでの時間を稼いでいるに過ぎない。政治的な混乱を引き起こすことで、勢力の拡大を鈍化させているんだ。世界樹の根と直結した聖女の加護と千里眼がなければ、人類はとうの昔に皆殺しにされている」


 どこかから、イレーネの「れお~ん~、ど~こ~?」という声が聞こえてくる。びくりと反応したランディに「静かに」とハンドサインを送り、静まり返るのを待ってから続きを話し始める。


「ランディ。この世界を平和にするには、本当の意味での安穏を望むには、誰もが望む平穏を手に入れるには……魔王が死んだ今、この空白期に、人間と魔族の併合を無理矢理に推し進めるしかない」

「無理矢理に推し進めるって……どうするつもりですか?」

「お前が勇者になるんだ」

 

 数瞬の空白の後、ランディは声量を抑えて叫んだ。


「いやいやいや! 待ってくださいよ! 僕が勇者になって、どうして、世界が救われるんですか!?」

 

 大袈裟な身振りで否定するランディに聖剣を突きつけると、混乱しつつもソレを受け取ってまじまじと眺める。


「俺は、一度も自分を〝勇者〟だと名乗ったことはない。レイにすら、ただ、〝魔王を倒しに行く〟としか言っていないんだ。聖剣さえ交換してしまえば、勇者の入れ替わりは簡単に済む。

 悪人面している俺よりも、お前のほうが余程勇者に似つかわしいからな」

「入れ替わる方法はわかりました。でも、その、繰り返しますけど、僕が勇者になってどうするんですか? 入れ替わっている間に、レオンさんが世界を救うとか?」

「あぁ、正解だ」

 

 ランディは、満面の笑みで両目を輝かせた。


「さすが、レオンさん! 良い考えがあるんですね! レイさんとの甘い結婚生活を前に、もう一仕事するわけだ!

 まったく、そういうことなら、なんで、僕だけ、に……」


 何かを悟ったかのように瞳から光が消えていき、そんな彼に俺は〝たったひとつの解決方法〟を提示する。


「俺は、世界のために死のうと思う」

「……は?」

 

 理解できないと言わんばかりに頬を引くつかせ、乱高下する感情に合わせるように表情が目まぐるしく変化していく。

 

 めくるめく〝情〟を見つめて、俺はそっとつぶやいた。


「旅の道中、魔族狩りと称して、村の井戸に毒を入れたり、私刑を引き起こしたり、爆薬を用いて無残な殺し方をした連中がいたな。

 あいつらの仕出かしたことを、全て、俺がしたことにする。既に証拠は残してきたし、魔族連中は直ぐ様感づくだろう」

「い、いや、ま、まって、まって、ください、よ」

「勇者の影響力は、絶対的だ。先代の勇者は、文字通り〝世界を変えた〟。彼は各地を巡って僭主の首を切り、奴隷を解放して、〝魔族の妻〟と共に人間領で健やかな人生を過ごして死んだ。

 彼の行った行為は、〝ひとつ足りとも〟批判を浴びることはなかった。だから、今でも、一部の魔族は人間領で暮らすことができている」

「ま、まって、お願いですから、まって、り、理解が、追いつかな」

「勇者になった後、お前は俺を〝糾弾〟するんだ。魔王の暗殺を行うために悪逆無道を辿った俺の行為を非難し、各地の民を煽って味方につけ、魔族領に存在する鉱脈や土地を餌に王侯貴族を釣って、世論を魔族との調和路線に切り替えさせろ。

 その後、魔族側との交渉でタイミングを図って、俺の処刑を執行すればいい。宗教の力添えがあれば御の字、教会の協力を取り付ければ、人間と魔族双方の世論が〝一気に傾く〟」

「に、人間は、それで良くても、魔族側が」

「魔王が死ぬ寸前に教えてくれたよ……『全ての準備は整っている』とな。

 アイツは、最初から、俺に殺されることを契機に、人間との和解を図る腹づもりだった。魔族の中枢は承知の上で、プロパガンダによって、魔族側の世論は和睦路線に切り替わりつつある。

 彼らも彼らで、俺たちとの長い戦いに疲れ果てていたんだよ」


 真っ青な顔でよろめいたランディに、俺はいつものように笑いかけた。


「俺は、勇者として、世界を救ってやりたいんだ。お前たちが暮らすこの世界で、皆に笑っていて欲しいんだ」

 

 月明かりに照らされた笑顔、拒否するかのように、ランディ・ウェルセクは後ずさりをした。


「い、いやだ……そ、そんなのお断りだ……ぼ、僕にだけ、僕たちにだけ、幸せになれっていうのかあんたは……」

「ランディ、頼む。お前にしか頼めないんだ。イレーネも、ナイジェルも、〝耐えられる人間〟じゃない。お前だけなんだ。お前だけが、俺に協力してくれる、唯一無二の信じられる人間なんだ」

「僕に」

 

 少年は、血走った目を上げた。


「僕に!! 僕に、恩人を殺せと言うのかっ!! あなたには、何度、命を救われたかわからない!! 父親のいない僕に、剣を教えてくれた唯一の人だ!! 父同然の人だ!! 乞食同然の暮らしをしていた僕を、この旅に連れて行ってくれたのは、こんなことをさせるためだったんですか!?」

 

 激昂して叫声を上げながら掴みかかってくるランディ、胸元を掴まれて縦に振られて、力の抜けた俺の頭が勢いよく揺れる。


「ランディ、頼む」

「い、嫌だ……僕は、僕の憧れていた勇者は……なんで、あなたが犠牲に……魔王を倒したら、皆、幸せになれるって言ったのに……どうして……どうして、そこに……あなたが含まれてないんですか……」

「ランディ」

 

 俺は、静かに泣き始めた彼の頭を、ぽんぽんと叩いた。


「頼む」

 

 ランディ・ウェルセクは、その三日後、ようやく首を縦に振った。




 何もかもを洗いざらい吐いた後、俺の正面に座っていた聖女様の顔は、窓から差し込む月光で半分だけが青白く艶めいていた。


「自分以外を救うつもりですか?」

「そんな大層なことを仕出かすつもりはありません。ただ、俺は、このやり方しか知らないだけです」

 

 俺の言葉に、聖女は月明かりに満ちた眼差しを返す。


「自己犠牲ですか。欲と利権に目が眩んだ教会とは違って、あなたには明確な〝救いたい世界〟があるのですね。その志は立派で、誰もが褒め称えることでしょう。

 でも、わたしには理解できない」

 

 手首に巻かれた金鎖と銀鎖を交錯させた腕輪が、しゃらんと音を立て、聖女の片手が俺の左胸に押し当てられる。


「わからない。本気でわからない。なぜ、他人のために、そこまでできるのですか? 自己犠牲が美学として語られているのは理解できても、あなたがそうまでできる理由がわからない」

 

 顔中に困惑を浮かび上がらせて、彼女は真剣な面持ちでささやく。


「なぜ、そこまでできるのですか?」

 

 闇と光に分け隔てられた聖女を前に、ただ笑ってみせて――


「俺は、勇者だから」

 

 彼女は、目を見開いた。


「あなたが聖女として、たくさんの人を救ってきたように、俺も勇者として誰かを救わなきゃいけない。

 魔王を倒すだけなら、誰でもできる。でも、世界を救えるのは、勇者(おれ)だけだ」

「……世界を救えるのは、あなただけ、ですか」

 

 噛み潰すかのように笑って、顔を上げた聖女様は、いつものどこかふてぶてしい態度の少女に戻っていた。


 大きく伸びをした彼女は、あくびをしてドアに手を伸ばす。


「では、世界のために、死んで頂きましょう。腐りきってもわたしは聖女様ですからね、あなたを生かして、訪れる平穏とやらを阻害するわけにはいきませんし」

「……ありがとうございます」

「はいはい、祝福、祝福」

 

 雑な祝福を切りながら去っていく彼女を見送ってから、俺はベッドに寝転がって目を閉じ――


「レオン・ミラエール」


 深い眠りから俺を引きずり出したのは、乱暴なノックの音、そしてすぐ後に踏み込んできた神官と兵士たちだった。


「聖女様の命により、処刑の日取りが早まった。

 予定では明日だったが、〝たった今〟、お前には処刑台に上がってもらう」


 急激に覚醒して、俺は微笑みながら立ち上がる。


「それは有り難いな。早く死にたくて、うずうずしてたところだ」

 

 睡眠時には外されていたかせをつけられてから廊下に出ると、世界樹の冠と純白の法衣で正装した聖女様が待っていた。


 白銀に艶めく長髪は、太陽神に祝福されるかのように淡い発光を帯びている。金糸によって祝福文字が模様づけされた法衣は、彼女のすらりとした痩身に張り付いて、世界そのものを白化しかねない白地が荘厳を発していた。


 眉ひとつ動かさず、沈着とした面持ちで、聖女は右手を掲げる。


「あなたの魂の旅路に祝福あれ」

「聖女様」

 

 俺は、笑った。


「あの雑な祝福、アレをくださいよ。あなたに送られるなら、よっぽど、あちらのほうがいい」

「おい、止まるな!!」

 

 追い立てられた進む俺を見つめる彼女の目は、昨日とは別人だと言われても、頭から信じ込んでしまうくらい人間味がなくて――


「聖女様。レオン・ミラエールの処刑は、ご覧になられますか?」

「昼からは、執務室に籠もります。絶対に中を覗かないように」

 

 彼女は、一度もこちらを見ずに廊下の先に消えていき、柄頭でこづかれた俺は処刑台への道のりを歩んでいった。




「おい! レオン・ミラエールの処刑が、今日の正午に行われるとよ!」

「あ? 明日の予定じゃなかったか?」

「なんでも、聖女様のご提案で、日取りが早まったらしい。あの極悪人の首が落ちる瞬間を、誰もが待ち望んでたんだ。あの御方は、それがわかっていらっしゃるんだよ」

 

 処刑が行われる広場まで、二人組の男が駆け出す。


 様子を伺っていた周囲の人々も、釣られるようにして、数日前に既に設置されていた処刑台へと向かっていった。


 彼らの会話を盗み聞きしていたランディは、愕然とした思いで〝全ての準備〟が無為になったことを知り愕然とする。

 

 やられた。計画がバレたんだ。今日の深夜、神官に金を握らせて作った〝抜け道〟を用いて、レオンさんを助け出すつもりだったのに。


「聖女……クソ……レオンさんは、何もしていないのに……!」

 

 秘密裏にレオンを救出して処刑を有耶無耶にし、各地の民衆を己の弁舌と高名で説き伏せようと画策していた彼は、たった一人の犠牲で人間と魔族の併合が成りつつあるのを自覚し――覚悟を決めた。


「こうなったら、僕一人でも、処刑を止め――」

「ランディ、そいつは無理な相談だ」

 

 短剣を首元に押し付けられて、ゆっくりと両手を上げながら振り向き、そこにいる〝見慣れた顔〟に仰天する。


「な、ナイジェルさんにイレーネさん……ど、どうして、こんなところに……?」

「疑問符を使わなきゃわからないようなことか?」

 

 愛用の弓を背負ってニヒルな笑みを浮かべるナイジェル、水晶を埋め込んだ手袋を身に着けたイレーネは無表情で彼の後ろに立ち尽くしている。

 

 レオン、そしてランディと共に旅をして、見事に魔王を討ち果たした〝勇者の一員〟であるナイジェル・フォロワー、イレーネ・マクスウェル……両者が互いに〝武器〟を帯びているのを見て、ランディは全てを悟った。


「止められますか、今の僕が。如何いかにお二人であろうと、レオンさんの聖剣を預かった僕を阻むのは難しいと思いますよ」

 

 ランディは、一瞬の隙をついて短剣の刃を掴み、〝殺意〟を両目に宿らせて彼と彼女を睨めつける。


「邪魔をするなら、あなたたちであろうと容赦はしな――いだぁ!!」

 

 真顔のナイジェルに思い切り頭を殴られ、涙目になったランディは頭頂部を押さえる。


「戯けたこと抜かすな、クソガキ。てめぇ、俺様に、一度足りとも勝てた試しないだろうが。俺はな、他所様に力もらって調子こくようなバカガキが、この世で最もミンチにしたい対象として脳内断トツナンバーワンなんだよ」

「格好つけちゃったところ悪いけどね。ランディ、あんた、勘違いしてるわよ」

 

 金色の髪の毛を掻き上げ、イレーネは微笑みながら宣言する。


「あたしたちは、レオンを助けに来たの」

「えっ」

 

 信じ難い思いで二人を見つめ、頷いたのを確認し、ランディはさらなる混乱へと陥っていく。


「え、いや、ちょっ、まって、なんで、だって、えっ、おふたりは、レオンさんの計画を知らなくて、だって、あんな酷いこと言ったじゃないです、か?」

「演技」

「まぁ、演技よね」

 

 ぽかんと大口を開けた彼に、イレーネはくすくすと笑いかける。


「あのさ、ランディ。あたしとナイジェルは、レオンと同郷の出身で、アイツの嘘の見抜き方なんて熟知しちゃってんのよ。

 正直、長々と誰かが仕出かした最低行為を『自分がやった』って言い出した時は、『なんでコイツ、こんなに冗談がつまらないんだろう』って二人でしらけてたわよ」

「う、嘘だとわかってたなら、なんで止めようとしなかったんですか!?」

「てめぇとは違って、全部が全部、情報開示されてたわけじゃねーんだよ。アイツはな、昔から、隠し事だけは異様に上手かった。だから、その〝隠し事〟を探るためには、演技でも何でもして、アイツにボロを出させる他なかったんだよ」

 

 ものの見事に騙されていたランディは、驚きで一度は言葉を失い、自分よりもよほど純粋なあの人もまた演技を見抜けてはいないだろうと確信する。


「だ、だったら、幼馴染のレイさんが嘘を見抜けないわけがない! イレーネさんから聞いた結婚話! アレも嘘なんですよね!?」

「えぇ、嘘よ。お人好しのあんただったら、この情報をレオンの元にもっていくと思って、わざわざ話して聞かせたわけ」

「実際、我慢できずにレオンの元まで駆けつけたわけだしな。アイツの足取りは掴めてなかったから、勇者の行く先を示す〝聖剣〟に案内してもらうしかなかったわけだ」

 

 鞘と柄を交換して安物の長剣に見せかけていた聖剣を顎で指され、ランディは刀身が熱をもったのを感じた。


「良かった! やっぱり、レイさんはレオンさんをずっと待ってたんだ! アレだけ想っていたんだから、二人の絆は絶対に切れたりしな――」

「本当は、レイは〝三年前〟に結婚してるのよ」

 

 口が止まる。ランディは両脇にじとりとした嫌な汗をかいているのを感じ、イレーネが哀しげに視線を落とすのを見ていた。


「笑えることに、子どももいるぜ。男の子と女の子だ。正直言って、無理もねー話だよなぁ。レオンにとってのレイは、〝最も幸せな日々〟の象徴で、辛い旅路の支えとして変わりない最愛の人だったかも知れねぇが……レイは違う。

 レオンが守り続けてきた平和な世界で、のうのうと幸せに暮らしてきたレイの〝最も幸せな日々〟は、簡単に書き換わっちまうんだ。辛酸を嘗めながらのた打ち回って進んできた俺らとは違って、ヤツらはひょいっと〝新しい幸せ〟を手に入れやがるんだ」

「ナイジェル、やめなさい」

「笑えるよなぁ。愛する女を守るために死ぬ思いで戦ってきて、自分の命を犠牲に世界を救ってやろうってやつが、民衆から石を投げられて罵倒されて死ねとどやされる。その一方で、別の男と寝て、子どもを二人もこさえて、何の犠牲もなしに幸せに暮らしてる女がい――」

「ナイジェルッ!!」

 

 イレーネに胸ぐらを掴まれたナイジェルは、片時の躊躇もなしに彼女の首に手をかけてうつろな目玉を向ける。


「親切な忠告、一だ。俺に男も女も関係ねぇ。容赦なく顔面を殴るし歯が折れようと止めないし、鼻がへし折れて中身が飛び出たら爆笑する」

「私からも、親切な警告をひとつ。

 レオンの、アイツの、たったひとつの守りたかったものを、その口で蔑ろにするつもりなら――殺すわよ?」

 

 何時、殺し合ってもおかしくない二人の間に、ランディは慌てて押し入り、睨み合いを続ける彼らを引き離す。


「わかりました、事情はわかりましたから。ですから、レイさんの話はやめましょう。僕たちがするべきことは、レオンさんをどうやって助けるかを考えることです」

 

 無言で離れたナイジェルとイレーネは、何事もなかったかのように、殺気を裡におさめて口を開く。


「結論から言うが、根回しはほぼ意味がなかった。レオンはバカじゃねーし、そういう〝裏工作〟が大得意だったからな。どんなに言い繕っても、全ての悪行はレオン本人の為したことになってやがるし、世論が望む処刑はどう足掻いても避けられねーっつー展開だ」

「だから、私たちは、〝とても賢い方法〟を思いついた」

 

 拳をかち合わせ――金属質な音と共に、イレーネはニヤリと笑った。


「今日、行われる処刑に乱入して、レオンをさらう」

「い、いや、待ってくださいよ! そんなことをしたら、レオンさんが今までやってきたことが!!」

「あぁん? てめぇ、ついさっきまで、自分でやろうとしてたことだろうがボケ」

「僕がやろうとしてたことは、処刑が行われる前に、勇者としてこんなことはやめるように〝説得〟しようと思っていただけです! あなたたちみたいに、力づくで止めたりしたら、何のためにレオンさんはココまでしてきたんですか!?」

 

 イレーネは、(いさ)めるように片手を振った。


「言っておくけどね、レオンを救う方法としてはコレがベストよ。なんか勘違いしてるみたいだけど、あたしたちは〝時間稼ぎ〟をするだけ」

「面隠して本物の勇者様攫って、世の中が混乱してる間に、〝レオンの身代わり〟を用意してソイツを処刑させんだよ。世界は広いからな、瓜二つの〝人形〟を創り出すような奇跡じみた魔法が存在しててもおかしくねぇ」

「で、でも」

 

 ナイジェルとイレーネは、焦げ茶色のローブで全身を隠した上でフードを目深にかぶり、何の特徴もない白面を顔につける。


「わりーが、時間がねぇんだよ。『でも』も『しかし』も『待ってくださいよ』も壁にでも言ってりゃいいが、俺たちはお忙しいご身分ってやつでな」

「聞いてあげるほど優しくないの。そこでびくびく怯えて、決断できずに震えてれば、娼婦くらいは釣れるかもよ」

 

 その煽るような言葉を聞いて――ランディは、覚悟を決めた。


「……お言葉を借りると、『なんだか勘違いしてるみたい』ですね」

 

 ランディ・ウェルセクは、フードを引きずり下ろして、微笑みをたたえた口元だけを二人に露出させる。


「僕はドジを踏んだりしないので、そのバカげた〝お面〟は要りません」

「「クソガキ」」

 

 疾風と化した三人は、処刑会場へと駆け出した。




 史上最悪の極悪人として触れ回っていたせいもあって、俺の処刑を求める群衆たちは、広場にぎゅうぎゅう詰めになっていた。


 まるで焼きすぎた肉の塊みたいになった群衆は、この機を逃すはずのない商人たちが建てた市から酒やパンを買い込んで、腹の裡に欲を溜め込みながら元気よく罵声を上げている。


「死ね、このクズ野郎がっ!!」

 

 投石が額に当たって、流れ出した血が視界に入る。


「何人の魔族を殺したんだ!! アレだけ非道なことをして、どうしてそんな顔でいられる!!」

 

 明確な殺意をもって掴みかかってくる男たちは、わざと兵士たちが作った隙間から殴りかかってきて、横倒しになった俺に唾と足蹴をくれる。


「くたばれ!! 今直ぐ、死ね!! オレの家族を返せっ!!」

 

 人間も魔族も一緒になって、俺を詰り蔑み辱め、馬糞やら卵やら腐乱した死骸を投げ込んでくる。

 

 目や鼻や口に強烈な腐敗臭が入り込んで嘔吐しかけるが、どうにか呑み下して、暴行で折れた片足を引きずりながら処刑台へと向かう。


「うわ、くせぇ!」

 

 大抵を頭や顔面で受けた俺が、兵士に蹴り飛ばされて地面に倒れ込むと大笑いが起こり、そこに大量のゴミが降り注いでくる。


「殺せっ!! 早く、そのゴミ野郎を殺せっ!!」

 

 数人、集団に紛れ込ませた扇動者が上手く民衆を操って、嗜虐心と憎悪を高めていき、俺は這うようにしてギロチン台の前に立つ。


 ようやく辿り着いて得られたのは――唐突な〝静寂〟。


 急激に場が静まり返って、辺り一面が静謐さを取り戻す。

 

 あたかも、神の不興をこうむってしまったかのような……目元が腫れて唇が膨れ上がり、顔が変形して無残な姿になった俺の直ぐ横に、饐えるような臭いと汚物を気にもしないような近さで――聖女様が起立していた。


「あーあ、なんだか、とんでもない面になっちゃいましたね。醜悪無惨な悪人フェイスもここまでくると、可愛らしいキャラクター性立ち込めてきて、逆に子どもたちに人気出るかもしれないですよ。ひゅーひゅー、にんきものぉ」

「きょ、きょんなひょころにたっちぇおいへ、しょんにゃきょといいにきちゃんでしゅか、あ、あなひゃひゃ」

 

 処刑の度に流される血での穢れによって、処刑台は不浄の場として取り扱われる。本来であれば、決して聖女が立っていいような場所ではない。

 

 だというのに、彼女は、まるで『せっかく天気がいいのだから、外出でもしようかな』といった気楽さで直立している。

 

 そこには――聖女としての〝明確な意思〟が感じられた。


扇動者アジテーターを紛れ込ませていたとは言え、実際にあなたに暴力を振るい恥辱の限りを尽くし甚振ったのは、あなたが今から〝命〟を懸けて救おうとしている者たちですよ」

 

 聖女様は、夜の帳に差し込む月光のような瞳を、雲の隙間から森羅万象を見透かしているかのように俺へと向ける。


「それでも、あなたは、救おうと云うのですか?」

「……しぇいじょしゃま、かれらは〝勇者〟じゃないんでしゅよ」

 

 俺は、ほとんどが抜け落ちた前歯を見せつけながらニッと笑った。


「誰もが〝勇者〟みたいに立派だったら、俺の立つ瀬がないじゃないですか」

 

 奇跡的に〝まともな発音〟が出来たのは、途中で施してくれた聖女様の治癒のお陰なのか……彼女は、ただ微笑んで、俺の頬にそっと片手で触れた。


「あなたに逢えて、本当に良かったと思っていますよ。レオン・ミラエール〝殿〟。

 死ぬ前に治療を。それくらいなら、構わないでしょう?」

 

 この事態を深刻と見て、慌てて駆け寄ってきていた神官たちは、粛々とした声音で人々にその旨を呼びかける。

 

 聖女様の言うことにはさすがに逆らえないのか、ヒートアップしていた民衆は渋々といった様子で拳をおさめる。


 彼女の手に引かれた俺が、人目のない裏手に引っ込んだ瞬間――地を揺るがすような〝爆発音〟が鳴り響いた。




「や、やり過ぎですよっ!! 広場に穴を空けるなんて、修繕費が幾らかかると思って――」

「清廉潔白な〝御札〟を売って儲かってるんだから、文句なんて言いやしないわよ」

 

 屋根の上から最大出力で放たれた魔力の砲弾は、ものの見事に広場の中心に大穴を空けて、パニックになった見物人たちは怒涛の黒波となって逃げ回る。

 

 ランディ、ナイジェル、イレーネ……レオンと共に魔王討伐を成し遂げた三人は、民家の上で、今日のために拵えられた処刑台を見下ろしていた。


「へっへっへっ、まるで走り回るゴミだなコイツら」

 

 一瞬にして、悲鳴と狂乱で支配される広場。


 弓を振り絞ったナイジェルは、瞬く間に三本の矢を放ち、混乱で身動きのとれない五人の兵士が射抜かれて崩れ落ちる。


「え、ちょっ、まさか殺してないですよね!? 後々、交渉することになるんですから、不用意な攻撃は――」

 

 殺気――三人は俊敏な動きで三方向へと跳び、凄まじい勢いで屋根を突き破った〝根〟を避けて、轟音を立てながら飛来してきた〝瓦礫〟を紙一重で躱す。


「コレは……世界樹の根っこ……!?」

 

 破壊された広場の大穴から、触手のように伸び縮みしながら湧き出る〝根〟。その根は煽るかのように上下左右に揺れ、引っ剥がした床材を、秀逸なコントロールで三人へと投擲した。


 各々が回避行動に徹し、すり抜けるようにして、彼らは攻撃をやり過ごす。


「この世界で唯一、世界樹を自在に操ることの出来るのは――ナイジェルッ!! アイツらを殺せっ!!」

 

 二人の兵士に両脇を支えられたレオンが、ずるずると引きずられて裏手から現れ――瞬発的に放たれた矢は、世界樹の根に阻まれる。


 踏み込んだイレーネは宙空から叩き落とされ、ナイジェルの動きは絶え間ない投石によって封じられていた。


 だからこそ――ランディ・ウェルセクだけが、〝聖女〟の前に立っていた。


退いてください」

「退かしてみたらどうですか?」

 

 ギロチン台に首を嵌められたレオンの両目は虚ろで、ランディは焦燥から聖剣を抜け放ち、震える手で彼女に突きつける。


「そこを退けッ!!」

「ひとつ、良い教訓を与えて差し上げましょう」

 

 聖女は微笑んで、処刑人が刃を落とすためのボタンに手を伸ばし――がむしゃらに飛び出したランディは、夥しい量の世界樹に身体を押さえつけられ――レオン・ミラエールの首がぽろりと落ちた。

 

 弾け飛んだネックレス、古びて塗装が剥げたソレが、押さえつけられたランディの前にぽとりと落ちる。

 

 真っ赤な血で汚れたネックレスは、〝彼の死〟を厳かに明示していた。


「この世界には、死ななければならない〝勇者〟もいるのですよ」

「……あ?」

 

 眼の前の光景が信じられず、途轍もない目眩と吐き気、両手両足の力が抜け落ちて臓腑が外に飛び出したような感覚、自分の意思とは関係なく全身が小刻みに震えだし、唯一開いた口から絶叫が迸った。


「ぁあああああああああああああああああ!! こ、殺してやるっ!! お、お前だけは、殺してやるっ!! 嘘だぁああああああああああああああああ!!」

「あー、うるさいうるさい。コレだから、子どもは嫌いなんですよ。殺す殺すって思春期特有の殺意衝動、将来的には慙愧ざんきに耐えず殺したくなるのは自分でしたってオチになるのが透けて見えちゃってますよ、いやらしい」

「殺す」

 

 ランディ・ウェルセクは、藻掻くのをやめて、静かに確定事項として彼女に告げた。


「お前も、レオンさんを辱めた奴らも、そしてあの人を救えなかった自分自身も」

 

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔面を上げて、ランディは初めて〝人を本気で殺せる〟と思った。


「殺してやる」

「聖女的に予言しておきますが、必ずや後に恥ずかしくなって、夜寝る前に足をバタバタさせながら悔いることになりますよそのセリフ」

 

 鼻歌交じりに聖女は去っていき、ナイジェルとイレーネの咆哮と慟哭を耳にしながら、ランディ・ウェルセクはただじっと雌伏を過ごす。

 

 こうして、一人の勇者は、この世から消え去った。

































































 目を覚ました時、俺は荷馬車の上で揺られていて、顔を覗き込んでいる聖女様と目が合って仰天する。


「え、あれ、処刑はどうなったんですか? 傷も治ってるし、そもそも、なんでこんなところに?」

「処刑はつつがなく行われて首は落ちましたし、何もかもは聖女ぱわーで解決したので、心を籠めて感謝状を読んでもいいですよ。というか、読みなさい読め」

 

 『感謝状』と書かれた紙を手渡され、聖女様の直筆らしい文句(私は、一生、あなたの奴隷です云々)が連ねられたソレを受け取り、ようやく正気を取り戻した俺は慌てて口を開いた。


「お、俺が生きていたらダメじゃないですかっ! そもそも、止めないと言っていたくせに!!」

「は? 止めてませんし、実際、首は落ちたと言ったでしょうが。なんなんですか、遅れてきた反抗期ですか。死にたがりな反抗期ということは実は生きたがりですか、そんなワガママ言われてもそのままの君でいて欲しいママ困っちゃいますよ」

「説明してください! そのひねくれた長台詞は聞き飽きましたから!!」

 

 聖女様は、あからさまに『つまんねーなコイツ』という目で俺のことを見て、如何にも退屈そうに語り始める。


「いいですか、耳をかっぽじって出血しながら聞きなさい。

 月の光を浴びた聖女が、特有の〝奇跡〟を起こせることは知っているでしょう? 当然、歴代最高美少女点数をつけるなら1億点のわたしにも備わっているわけですが、その奇跡の御業は――」

「身代わりを創り出すこと、ですか?」

「はい出た、先回りして正解を言っちゃうやから~」

 

 思い返してみれば、彼女はその奇跡を〝俺の前で〟幾度も起こしていた。


 昼と夜で別人のように変化したり、俺にした説教を全く憶えていなかったり、神殿でその姿を見たと思ったら俺の部屋にいたり……俺の思い違いでも勘違いでもなく、アレは〝本当に別人〟だったのだ。


「だから、処刑の日取りを早めたんですね。今日は新月で、もし明日処刑が行われることになっていたら、聖女様の奇跡で処刑を偽装できなくなるから」

「だから、我が物顔で、正解を語るのやめてくださいよ。そういうこと平気で言うから、悪人面して生まれてきちゃうんです。さすがの聖女ぱわーでも、その極悪フェイスはどうしようもなかったですよ本気で」

「なんで、助けたんですか?」

 

 冗談交じりに俺を詰っていた彼女は、一人の少女として生まれ変わったかのようにゆったりと微笑んだ。


「『わたしは、聖女だから』」

 

 ――俺は、勇者だから

 

 俺の言葉を借りて真似た彼女は、あまりにも綺麗に笑えていて、日向に浮かぶその笑顔に見惚れる。


「今まで、あの分身に仕事を押し付けて、聖女らしいことは一度もしたことがありませんでした。でも、あなたのあの言葉を聞いて、あなたを助けられるのはわたしだけだとわかって、あなたの自己犠牲を真似てみようと思って……聖女として、救ってみたくなりました」

 

 粛然とした動作で、彼女は額に人差し指と中指を当て自分の唇へと運び――俺の唇をそっと撫でる。

 

 その祝福文字の意味は、『あなたと同じものを食べます』という共存の意味。だが、自分の唇に当てた指を相手の唇に押し付けると、それはまた違った〝共存〟を示すようになる。


「あなたと共に生きます」

 

 笑った聖女様はあまりにも神聖で、触れ難く近寄り難く、誰よりも光り輝いて見えて、無意識に俺の眦から涙が零れ出る。


「わたしは、もう教会を捨てました。聖女がいなくても、彼らは次の聖女を擁立して、信仰を保ち続けるでしょう。

 わたしを心から必要としているのは、あなただけです」

「俺は……あなたに、そこまでしてもらえるような人間じゃない。俺は、勇者だから、他の人たちを救わなきゃならない。救ってもらっちゃダメなんですよ」

「それなら、もう聖女も勇者も辞めましょう」

 

 困惑する俺の頬を撫でながら、彼女は慈愛溢れる笑みを浮かべる。


聖女様わたしは、勇者(あなた)の処刑を所望する」

 

 ぽっかりと空いた胸の穴に、その福音ことばはすっぽりとはまり込んで、俺はもう休んでいいのだと言われた気がして……彼女に微笑み返す。


「では、名前を。君の名前を教えてくれ」

 

 以前、聖女だった彼女は、少し驚いたかのように目を見開き、どこか恥ずかしげに唇を動かし始める。


「わたしの名前は」

 

 こうして、勇者と聖女は死に――新しい物語が始まる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 全部です。 [一言] そろそろ2020年も終わりますね。 年が明ける前には物語のその後を読みたいですね。 年が明けたらその後のその後を読みたいですね。 待ってます。 あと、もし続編を書く…
[一言] 〝肩書に踊らされているモノたちの物語〟そんな印象を受ける話でした。 3★付けました。
[良い点] この短編のなかで喜怒哀楽がつまってて読みごたえがありました。 話の流れも良くとても面白かったです。 そして雑な祝福が秀逸すぎw [気になる点] 短くして読みやすくするためなのでしょうが、情…
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