第6話:魔女の番犬
夢をみた気がした。
モノクロの世界で、少女が1人。
そしていつか見た黒い塊が彼女に向かって近づいていく。
そこに鳥やウサギが彼女の前に立ち塞がるも、力なく倒れて行く。
まるで魂を抜かれたように突然に…。
少女は両手を顔にあてて震えていた。
彼女から悲しさの他に怒りで震えているようにも見えた。
そして彼女が両手を顔から放した瞬間、周りの時空は歪みだし、周囲のものが彼女を中心に吸い込まれていく。
私もその渦に静かに吸い込まれていった。
力の限り、目を見開くと
私は水中にいた。
それも深く、いくら水面にあがろうとしても体は上がるどころかどんどん深くに降りて行く。
『僕をここまで連れてきてくれてありがとう!』
声の主はピクリともしなくなったあの金魚だった。
私は今の状況に混乱しながらも、驚きが重なって、大量の水を飲む形となった
ごぼごぼともがき苦しむ私を気にもせず、金魚は明るく声をかけてくる
『さあ、僕といっしょに遊ぼうよ!』
金魚があたりを気持ちよく泳ぎ出すと私の体も連れられるように水中を泳ぎ出す。
呼吸だけかできずに人魚のように泳ぎ出す自分の体はもはや自分ではなかった。
苦しい、息ができない…。
誰か助けて…!苦しい…!
今の私は紛れもなく道中苦しんでいた金魚だ。
『あははは、あははは』
楽しそうに金魚は泳いでいる。
死ぬほど苦しいのに疲労感と意識がぼんやりし始めて、もがく力を失い私は死を覚悟した。
その時だった。
空から銛のような大きくて鋭い何かが金魚を上から串刺しにしたのだ。
そしてその銛のようなものは、金魚を串刺しにした状態から水平に私の方にものすごい早さで近づいてくる
丸太のような大きなものと正面衝突するような予感を本能的に察知した私は反射的に体を丸めようとしたが、実際には巨人に蹴り飛ばされるくらいの衝撃をお腹から受けてしまった。
「ごはっ」
ものすごい痛みが腹部を襲いながらも、私の体は水面の方へと吹き飛ばされるように上昇し、気がつけば湖のほとりに打ち上げられていた。
「げほっげほっげほっ」
はじめは体内の水を吐き出そうとする気持ち悪さが襲い、次に襲ったのは腹部の痛み
「ううううううう…。」
唸るように私はお腹をおさえてのたれうちまわった
口から吐くばかりで息を満足に吸えない状況に私の意識は今にも途絶えそうだったが、ギリギリのところで聞こえた声によって繋ぎ止められた。
「おい、リッカ!しっかりしやがれ!」
今朝聞いたばかりの声のはずなのに、なんだか懐かしい気がした。
「師、匠…?」
「ああ、そうだ!ったくどこまでも心配させやがって!」
目をギラギラさせたリスが確かにそこにいた
次から次へと信じられない出来事が続いた私はたぶん師匠に「どうして?」という表情を送ったに違いない。
「心配で後つけてたらいきなり走り出しやがって…。無事で良かった…!」
そういうと師匠は私の鼻にしがみつくような形で安堵したようだった。
ーードシンッ
一息ついたのも束の間、大きな地響きと共に、私たちの心を揺さぶる音がした。
突如として湖から目の前に現れたもの背丈は、優に3メートルはありそうな黒くて紫がかった毛並みをもつ狼だった
本来なら怯えるところなのだろうが、
ここまで死にそうな体験が続くと、もう観念するしかない。
「…おいおいおいマジかよ。…なんでまた魔女の番犬がこんなとこにいやがんだ…」
「魔女の…番犬…」
「おいリッカ、逃げるぞ。あいつはマジでやべえ。死の魔女が連れているという番犬だ」
そう師匠は逃げるよう促すが、酸素の行き届いていない頭や体の私はどうしようもなかった。
「なにやってんだ!さあ頑張れ!」
そんな必死な声にももう笑うしかなかった。
「ははは…師匠ごめん。もうダメみたい、体が全然いうことをきかない。」
「何ビビってんだ!あいつに触れられれでもしたら死ぬんだぞ!さあ、早く!」
ちがう、そうじゃないと伝えたかったけど、
私の苦笑いも頬の筋肉を震わせるのが精いっぱいだった。
「…くそっ!まだ死にとうないけど、このまま逃げ帰ったら
もう二度と姉さんに顔向けできんさかい…わいが時間を稼ぐ!」
そういうと師匠は身の毛をブルッと体に電気を流したように震わせ、
毛を逆立て一回り大きくなった。
「グググググググ」
聞いたこともない師匠の声だった。
目は赤く光り爪はいっきに伸びだしたその姿はまるで魔物だった。
もう後ろ姿しか見えなくなってしまったその魔物も
かろうじでリスの原形があるからこその表現で、
これ以上巨大化や変身するならそれはもう化け物でしかない。
とにかく、見たこともない姿だった。
しばらく、魔女の番犬と師匠の睨み合いが続いた。
師匠が言った言葉は『触れられると死ぬ』ということ
つまり師匠からは手が出せない。
圧倒的不利な状況で魔女の番犬が待つ理由がわからなかった。
そして止まっていた時がついに動き出した。
最初に動き出したのは魔女の番犬だった。
ーードシンッ
大きな前足が私たちへ1歩近づいた。
それと同時に湖の水面が大きく揺れ、師匠に波が襲った。
師匠は微動だにしない。ただ目の前に、私に背を向けて立っている。
「こいつは俺の弟子だ。手を出すことは許さねえ」
低くよく響く声がした。
それはまぎれもなく師匠の声だった。
だが普段は独特の訛りで陽気に喋る師匠が、
今は別人のような声と話し方で魔女の番犬を威嚇した。
その声に見向きもすることなく、
魔女の番犬はさらに1歩踏み出す。
再び波が師匠を襲う
「これ以上先には進ませねえ、去れ!」
そう師匠は言うと師匠の手がミチミチと音を立てて膨れ上がった。
一触触発、まさにこの言葉が当てはまる状況だった。
師匠の声をきいてか魔女の番犬は師匠から目線を外し
その瞳はまっすぐ私を捉えた。
やっぱり狙いは私なのか。
こうも不幸が続くとそう考えてしまう。
それでもただ、なんとなく。
私もその瞳をまっすぐ見つめ返さないといけないような気がした。
私はぷるぷると体を震わせながらも
片手は腹部に置いたまま、もう片方の手で地面を支えに
なんとか上体だけを起こした。
あの瞳が私をそうさせたのだ。
そして魔女の番犬はさらに1歩を踏み出そうとする。
その様子をみて師匠も前傾姿勢をとる。
この1歩が今の状況を全て動かす。
そんな直感のもと思わず息をのんだ。
魔女の番犬の足が水面に触れる瞬間。
湖から突然、かすかに紫色を帯びた閃光が走った。
「うっ!」
一瞬目がくらんだが、それ以上に目の前の光景に驚いた。
先ほどまで私と師匠の前にいた大きな狼の姿はなく
その位置に立っていたのは黒に紫が混じった長髪の女性だった。
体はもやもやとした空気、オーラというべきか
煙と光の中間のようなものを身にまとい、
さらにその内にはなにか衣のようなものを着ているように見えた。
背中にはオーラが羽のような形となっており
だんだんと黒味を帯びて数秒すると黒い羽へと実体化した。
たぶんこの人が師匠の言っていた、『死の魔女』という存在なのだろう。
「驚いたな…魔女と番犬は同一人物だったとはな。」
師匠はそう言いながら爪を前に突き出し、魔女に警戒した。