ピエロ
トンネルを出るとそこは雪国だった。
というフレーズを国語の授業で耳にしたことが、
なんてきれいな言葉だと思った。
02、ピエロ
目が覚めるとそこは病室だった。
消毒液の匂いがしみついた清潔な病室。
僕は健康そのものであったが、点滴がついていると、
いかにも病人らしくみえた。
「やあ」
ベット横に座っていた白衣の男性が声をかけてきた。
彼はあろうことか僕のお見舞いの品物でジャグリングをしていた。
白衣をたまたま着ているピエロのようにしか見えない。
大人はみんな忙しい。
父も母も、ほかの家庭同様だいたいは遠くで忙しく仕事をしている。
こんなところでジャグリングしている大人はイリオモテヤマネコよりも珍しい。
「お医者さんなの?」と僕は尋ねた。
「医者ではないよ。」とピエロは返した。
「昨今の医者は君のような健康な人間にかまうほど暇じゃないよ。
私は、そうだな、医者をつくる方の人間かな」
「ツクル?」
「そう、ロボットのお医者さんを、ね」
「どうし「そんなことよりも、だ」
彼はジャグリングをやめて舞台を液晶パネルへと変えた。
「お母さんとお父さんが心配しているよ。先にこっちをやった方がいい」
ロボットの医者を作る人間がどうしてこんなところにいるのかとても気になったが、
液晶パネルに映し出されたたくさんのメッセージにも答える義務があった。
「君はとても愛されている」
舞台に立った役者のように大げさに彼は言った。
「とても、とても、ね」
とても愛されているのに、自殺を図った君は実に愚かだといわれている気がした。
液晶パネルには心のこもってるだろうメッセージが届いていた。
だろうというのは、メッセージを詳しく読んでしまうと僕はみっともなく泣いてしまうからだ。
彼らは僕がいじめられることを知らない。
家族が僕に傷ついてほしくないのと同様に僕もまた彼らが悲しむのはつらかったからだと思う。
僕はもうどうしていいかわからなかった。
目の奥が熱くなってきた。
しかし、隣にピエロが座っていたので泣きたいという気持ちはすぐに引いてしまった。
「ちゃんと返事したよ。」
「よろしい。さて、」
ピエロは再び舞台に上がった。
「君は白雪姫を知っているかい?」
僕はぽかんとした。
白雪姫?そんな単語聞いたこともなかった。
彼が何をいっているのかさっぱりわからなかった。
「それはなに?」
ピエロはとても悲しそうな顔した。
「大人はみんな忙しい」
とつぶやくように彼は言った。
「物語だよ。ストーリー。子供に聞かせるためのお話し。私はあまり好きではないが、ね。図書室なんてものはもうないのかい?本を読むための場所。」
「過去の文献を読むことのできるところはあるけど、使うときはみんな課題やレポートをやる時くらいかな。」
「そうか。」
ピエロは遠くを見ていた。
「大人は子供に物語を聞かす時間なんてないし、お世話ロボットは荒唐無稽なことは大嫌いで、学校は効率よく仕事ができる人間を育成する場所でしかない。」
彼は大きなため息をつくとこう続けた。
「世界はまだあの悲しい出来事から立ち直れていない。」
大人はみんな忙しい。
あの悲しい出来事というのは昔はやったドラックのせいでたくさんの人が死んでしまったことだろう。
簡単に死ぬことができる薬が、
簡単に手に入ってしまう時代に、
簡単にみんな死んでいった。
今はその薬が手に入ることはない。政府が厳重に管理しているからだ。
手に入れられるとしたら、安楽死を希望し、
審査に通った者だけであった。
「話が見えてこないよ」と僕はいった。
「その話と白雪姫がなにか関係あるの?」
「物語というのは人の心を成長させる。
世界中の不幸な出来事に比べたら自分の不幸なんてマシと思えるからね。」
僕をじっと見つめ、興奮気味にピエロは言った。
「さて、私は医療用のロボットを作っているのだが
それは心を治療するものなのだよ。子供のね。作ってるというか研究中なんだ。
なぜその研究が進められているかわかるかい?」
「わからない。」と僕は答えた。
「君のようにとても悩んでいる子供が増えているからだ。政府はそれの対応に苦慮している。
が、僕はそこに答えとして物語が足りないという結論を一応だした。」
一呼吸置き彼はこういった。
「その研究に協力してほしいんだ。」
やっと彼の目的がはっきり分かった。
要するに彼は僕という不良品の歯車を、どうにかして、
社会でまともに動くような歯車にするための仕組みをつくりたいらしい。
結局ピエロのやさしさはお役所仕事の延長だった。
僕の気持ちが歯車に引きつぶされてぐちゃぐちゃにされた気がした。
いじめてくるやつも、優しい家族も、僕のことを正常な歯車にしたい社会も、何もかも、
息苦しかった。
「君に強い人間になってほしいんだ」
「嫌だ」
僕はピエロをあらんかぎりの力をもって睨み付けた。
一瞬空気が止まった。
断られることを想定していなかったらしいピエロは「…えっ」つぶやき黙ってしまった。
僕は「もう、いいんだ。ほっといてくれよ!」
と言いたかったが、言葉にならずに下を向いて、ぎゅっと拳を握った。
お互い黙ったまましばらく時間が過ぎた。
とても長い間だったように思えたが、多分時間にして2分も立っていなかったと思う。
ピエロが口を開いた。
だがそれは子供相手に笑わせる優しいピエロではなかった。
「分かった。じゃあ取引だ」
お面を外し本来の大人の姿になった彼が言った。
「ここに例の自殺ドラックがある。大昔に流行った楽に死ねる薬だ。
私の研究に協力したまえ。そしたら」
彼は机に何かをおいた。
「これを君にあげるよ。」
目の前におかれたモノは、なんの変哲もないただの薬に思われた。
これが大昔たくさんの人の命を奪った薬。
おばあちゃんが死ぬために飲んだ薬。
そして、僕が望んでいることを叶える薬だった。