第三話
私は1週間の検査入院を終え、会社に復帰した。
木は邪魔なので包帯でグルグル巻きにして目立たないようにした。傍目では左手を負傷した怪我人に見えるかもしれない。木はまるで骨折した際の添え木のようだ。私としてはそう思われた方がまだ気は楽なのでいいのだが。
上司には医者の診断書を提出した。手に木が生えて休んでいましたというのは俄かには信じられないからだ。上司は訝しそうな顔をしたが、私がいざ手から生えた木を見せると表情を変えた。そして、診断書と見比べて「大丈夫かね?」と訊いた。上司にしても判断しかねたのだろう。ここで休みを伸ばして、解雇されても困るので、私は「大丈夫です」と力強く答えた。答えてから、少し不安にはなったのは確かだが。
職場の同僚は私に労わるような言動をした。腕に包帯を巻いていれば当然かもしれない。私はむしろ健康になりすぎたようなものなので、少し気は引けたのだが。しかし、その視線がいつしか違う物になっていることに私は気づいた。
労わるような視線というよりは、好奇の視線である。言葉は穏やかで優しいが、距離感を保つような感じだろうか。私はそこで気づいた。上司の口から私の木のことが漏れているのではないかと。
私は意を決し、尋ねる。「もしかしたら、知っているとか?」という私の問いに彼らは一様に視線を逸らした。やっぱり、そうだったか、それなら仕方ない。私は包帯を取った。もうどうにでもなれという諦め。しかし、彼らの反応は私の思ったものとは少し違っていた。
キャァという悲鳴も確かにあった。しかし、それよりも感嘆の声が多かったように思う。それはこの木がもたらした健康体という副産物のせいなのかもしれない。確かに私の体格はスマートで健康的なモノになっていた。それは私よりも周囲の方がより感じたのだろう。
彼らは興奮したようにしゃべりだした。「ダイエットに効果的なんですって」とか、「血糖値も大幅に下がるのか」とか、この木の効用に興味があるらしい。ある女性社員はブログに載せたいから写真を撮らせてくれと懇願した。私は自分の置かれた状況が意外にも好意的な対応だったことに胸を撫で下ろしたのだが、すぐに違和感を覚えた。
彼らは私に好感を持ってくれたのは確かだ。ただ、彼らの中で私に触れようという者はいなかった。それだけでない。一定の距離感を保ち、接触を極力控えているように感じた。確かにこの木は健康をもたらすモノなのかもしれない。しかし、私に触れることで感染する恐怖を彼らは持っているのだ。私はこの木を同僚たちに見せたことを後悔した。
しかし、この出来事が、数日後、意外な出逢いをもたらすことになることに、その時の私は知る由もなかった。