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勇者の活躍(?)の裏側で生活してます・後日譚  作者: ぞみんご
第二章 進撃のキツネとウサギ ……あと金髪
9/20

#009 ウサギは踊り、キツネも踊る?


 あたしの名前はラウラ。


 残念ながら不幸の星の下に生まれた子供うちの一人だ。


 生まれた時に幸運を掴めなければ、その後の人生で二度と幸運を掴むことはないだろう。少なくとも生まれた国――クリッツェン公国ではそうだった。


 両親は生死不明。というか誰が両親なのかも知らない。


 種族は少数派の中でも迫害され続けてきたウサギ耳族の亜種。だから徒党を組もうにも組むべき同族の相手が見つからない。


 生まれた場所は下から三番目に位置する貧民街(スラム)。そのお陰で身分がない。無いから他の都市や街に入ることが出きない。


 一つでもあれば難しいのに、ないない尽くしの三拍子がそろってしまったので希望なんてもの望む方が馬鹿だ。


 そういう意味では色々と残念ではあるけれど、そう悲観する事はない。何せ、自分のほかにも不幸な星の下に生まれた子供はたくさんいる。


 どれだけの子供が幸運に恵まれたかは分からないが、少なくともあたしの周囲には選ばれなかった子供で一杯だった。




 ……だけど、幸か不幸かは今のあたしには分からないけれど、幸運を得た……いや、幸運を掴めるかもしれないチャンスが巡ってきたのだ。




        ★  ★  ★




「……う……ん……」


 ラウラは顎の下を這い回るような不快な感触に身をよじり、鉛のように重たいまぶたをゆっくりと開いた。


 カーテンの隙間から差しこんでくる一条の光がラウラの顔を照らしていた。


 何時の間にか眠っていたらしい。


 そして不快の源は三〇(シード)ほどあるムカデだった。おおかた、開いている窓からでも入ってきたのだろう。それを掴んでは窓の外に放り出した。


 半分ほど覚醒した状態で周囲を見渡すと、自分が居るのは光学校の教室で、それも算数の授業中だったようだ。


 猫耳族の男性教師は黒板にせっせと問題を書いている。だから自分が寝ていた事に気づかなかったかもしれない。


「……では、エーゲル、アルニム、シラサギ妹。それぞれ前に出て問題に答えろ」


 はい、せんせい、と隣から鈴を転がすような声に一瞬で夢から覚めて、ラウラはハッと顔を上げた。


 視線の先には他の二名の男子生徒に混じり、キツネのもっさりとした尻尾を揺らしながら前に進んでいく義妹(リオ)の姿が飛び込んできた。


 リオ・シラサギ。


 ここ、エリザ第一光学校のアイドルにして、ラウラの義理の妹。


 母親譲りの綺麗な栗色の髪をゆるやかに揺らしながら、黒板に答を書いていくリオを、ラウラは見蕩れるように眺めた。他の二名は眼中に入らない。


(……やっぱり、リオは可愛い)


 ギュッと抱きしめたい。


 ただ黒板に文字を書いているだけなのだが、その後姿が妙に保護欲を抱かさせる。


 ラウラの意見に同意するかのように、周囲の生徒たち――特に男子生徒たち――も、彼女と同じような眼差しで見つめていた。


「(ねぇねぇ、ラウラちゃん)」


「(なに?)」


 隣の机――ラウラたち、低学年の教室は二人で一つのテーブルを使用する――で授業を聞いている普人族の女の子が身を乗り出して声を掛けてきた。


「(ラウラちゃんたちはもう二桁の計算が出きるの?)」


 リオが解いている問題は二桁の足し算だ。他の二人は一〇よりも少ない数字、それも繰り上がりのない足し算を解いていた。


「(二桁でも足し算は足し算でしょ? むずかしく考える必要はないんじゃない?)」


「(ふ~ん……二人とも凄いんだねぇ~……)」


 女の子は感心しながら自分の席に戻っていった。


 ラウラからすれば凄いとは思わないが、女の子は『数』の意味の理解があまり進んでいないせいだろう。それほど焦る必要はないと思っている。


(……あたし達は他の子たちよりも特殊なんだから)


 『特別』ではなく『特殊』。


 他の子供たちは家の手伝いをしながら学校の授業を受けている。遊ぶ為の自由な時間などあまりなく、それゆえに予習復習などをしている時間などはなかった。


 それに対してリオとラウラの二人は家の手伝いなどがなく、遊ぶ為や予習復習に充てる自由時間もたっぷりある。その上、大陸で一番頭の良いとされるリディアが後ろに控えており、暇を持て余した頭の良いお姉さん(メイド)たちが色々と家庭教師をしてくれる状態だ。


 他の子たちよりも一歩どころか一〇歩ぐらいは先を進んでいる状態である。


 仮にリオとラウラに並べる子供がいるとすれば、それは貴族かお金持ちの家の子供であり、家庭教師による専属授業を受けている場合だけだろう。


 周囲の視線を一身に浴びていたリオはちょっと難しいらしい二桁の問題を、一桁の問題に悩む二名よりも先に答を導き出した。


「せんせい、これで良いですか?」


 ラウラも自分の席でリオの問題を計算すると黒板に書かれた同じ数字になった。あとはその数字が正解かどうかだろう。


 過程(途中の計算式)よりも結果だけを気にする男性教師はリオの書いた答と自分の手元にある答を見比べ、


「うん……正解だ。シラサギ妹には簡単な問題だったかも知れないな。……もう席に戻っても良いぞ」


 リオは先生の『正解』という単語に満面の笑みを浮かべ軽い足取りで自分の席――ラウラの隣に戻ってきた。


「(やったね♪)」


 ――と、リオはラウラだけに伝わるよう小さくVサインを見せてくる。


 それに対してラウラも教師から隠れるように小さく、えらい、えらい、とリオの頭を撫でてあげる。


 リオは――普段それほど表に出さないが――『褒めてもらいたい病』をしっかりと患っている。特に自分からアピールしてきた場合はそれが顕著だ。


 この時に無視をしたり、気づかなかったりすれば後で不機嫌になることが多いので厄介な義妹である。


 リオから遅れること三分。ようやく残りの二名も計算を終えた。……ちなみに、どちらも不正解だった。


 教師による問題の解説が始まり、それが終る頃には授業終了を知らせる鐘の音が教室内に鳴り響いた。


「それじゃあ、今日の授業はここまで。今日教えたところは算数における初歩中の初歩だ。しっかりと復習するように」


 男性教師が教室から出て行くと、入れ替わるように別の女性教師が入っていきた。


 その女性教師の姿を見て、多くの生徒が首を傾げる。


 入ってきた女性教師は担任の先生でもなければ、次の授業を担当する教師でもない。


「だれだれ、あの女のひとー?」


「おまえ、知ってるかー?」


 正体不明の大人の登場に教室内がざわめきだす。


 担任教師でもなければ、授業を受け持つ教師でもない。挨拶を交わす程度であれば、担当外の教師の認識などこの程度であった。


「あれ、ナンシー先生だ」


 生徒の一人が教師の正体に気づいた。


 ナンシーは教卓の前に立ち、教室内を見渡してから、コホン、と一息ついた。


「私はこの学校で高学年を担当しているキャロルです。ラウラ・シラサギさんとリオ・シラサギさんは居ますか?」


「は~い」


「ここにいます」


 ナンシーの台詞に呼ばれた二人は反応する。


 リオとラウラに手招きし、やってきた二人の前に少々厚めの資料を差し出した。


「これはキミたちが来月に参加する予定の野外学習に関する資料です。お母さんに見せてあげてください。分からないところがあれば、私か街の中央にあるギルドのシトンと名乗る職員に質問してください。……わかりましたか?」


「は~い」


「はい」


 それじゃ、とナンシーは足早に教室から出て行った。どうやら、生徒たちに顔を覚えられていなかった事がショックだったらしい。


「リオちゃん、リオちゃん!」


「先生に何を渡されたの?」


 ナンシーがいなくなると、リオの下に女子のクラスメイトたちが集まってきた。男子たちは遠目にその様子を観察している。


 ラウラの側にはあまり人が寄ってこない。年齢が一つ違うことや、本人の対人スキルの低さに原因があった。ちなみに、ラウラ本人はあまりその事を気にしていなかった。


 人にはそれぞれ見合った役割があるし、自分がその役目に居ないと言う事を痛いほど理解していたからだろう。


 クラスメイトに囲まれた義妹の姿を後目に、算数の教科書とノートをカバンに納め、次の授業の教科書とノートを取り出していた。


「……えっと、野外学習のしおりだって」


「野外学習!? ……リオちゃんは何を選択したの!?」


 あたしは貰ってないよ、という声がそこかしこに上がり始める。


(……そりゃ、あんたたちと違うからでしょ)


 野外授業の選択するにあたっては、生徒が自宅で希望するコースを渡された紙に記入し、学校で教師に渡すようになっている。だから、選んだ情報が他の生徒たちには知られないようになっている。


 同じ希望を出しても担当する先方の事情により同じ日程になるとは限らない、というのが表向きの理由だが、若いうちから自分で選択する、という事を学ばせるのが裏向き(本当)の理由だった。


「わたしとラウラちゃんが選んだのは『Dコース』だよ」


「ほんとうッ!?」


「すごいッ!! さすがは無敵のリオ様だ!」


 次々にクラスメイトからリオの勇気を称賛する声が沸き起こる。一部の男子からは、「け、何が凄いんだか……」と陰口がこぼれていた。


 リオには何が凄いのかは分からないし、貶される理由――しっかりとリオの耳に届いていた――も分からないが褒められた好意は素直に受け取っておこうと思った。


「ねぇねぇ、なんで危険なDコースを選んだの?」


「な、なんとなく?」


「なんとなくで選んじゃうんだ~、やっぱり凄いねぇ~」


 本当はちゃんとした理由があるのだが、それを周囲に説明する理由がないので言葉を濁しているだけである。ただ、人が良いけど口下手なリオにはそれを上手く言葉にできなかった。


 「お義姉ちゃん、助けて~」というリオからの救助を求めるサインが何度も送られて来ているが、ラウラはそれら全てを無視することにした。


 だって面倒なのだ。


 ラウラは優等生として慕われているが、それは一部の生徒のみ。それもリオの姉という立場も理由に含まれている。


 リオはクラス中の生徒の心を掴んで離さないアイドルだ。そんなアイドルとの交流時間を邪魔しようものなら、クラスメイトから吊るし上げをされてしまう。


 何の対策も無しに助けの手を差し伸べるのは悪手だ。


 しばらくの間、リオがクラスメイトからの質問攻めにあっていたのだが、そろそろ助け出すかとラウラは動くことにした。


 ラウラは壁際に置かれた置時計を指差しつつ、リオの周りを囲むクラスメイトたちの耳に届くよう少し大きな声を出す。


「あんたたち、そろそろ鐘が鳴るわよ」


 ラウラが指摘したとおり、授業開始を告げる鐘の音が鳴り響いた。


 それと同時にドアが開き、次の授業を担当する女性教師が教室に入ってきた。


「はーい、みんな席に座りなさーい。ささっと準備しないと、授業が始まらないわよー。これが最後の授業なんだから、みんなも早く帰りたいでしょー」


 女性教師の言葉に、リオの周囲に集まっていた生徒たちは蜘蛛の子を散らすように自分の席へと戻っていった。


 リオも慌てて前の授業の教科書を片づけ、次の授業の教科書を取り出しつつ、


「(ラウラちゃんの裏切りものー)」


 と、ラウラだけに届くように愚痴を漏らすのだった。




        ★  ★  ★




 学校から帰り道、リオとラウラは丘の上にある屋敷へと続く五〇〇段近い階段をえっちらほっちらと登っていた。


 クラスメイトの多くは下層と中層に住んでいる家があるので、途中で別れると、そこから先はリオとラウラの二人だけしか姿がない。


 今日は算数の宿題がたくさん出たのでお昼ご飯を食べ終えたら、リディアと遊ぶ前にそちらを先に片付けなければならないだろう。


「ラウラちゃん」


「なに? また『グリコ』がやりたくなったわけ? あたしは嫌よ」


 ラウラの後ろをゆっくりと歩くリオの呼びかけに対し、ラウラは先回りするように言葉を重ねた。


 グリコとは、御堂更紗という女性から教わった彼女の故郷の子供が興じる遊びなのだが、この帰り道の階段で行うには少しばかり過酷だった。


 何せ、ジャンケンという競技に最低でも八〇回は勝利しなければならない。一〇回ぐらいなら我慢できるだろうが、そこまで行くと苦痛である。


 それに、学校に通うことそのものは苦ではないが、背の小さいラウラには階段の一つ一つの段差がネックだ。


 通常の馬車道である九十九折(つづらおり)の道だと下まで約四(キード)(=四キロ)ほどの距離があるので子供の足では一時間半ほど掛かる。階段数が多いとは言え、こちらだと二〇分、雨の日でも三〇分ほどだ。


 通学時間や万が一などを考えると階段の方が良いのである。


「違うよ~」


「じゃあ、なに……」


 後ろを振り返るとリオはナンシーから渡された資料に視線を落としていた。


 ながら歩きはとても危険だ。危ないから本当に止めて欲しい。怪我でもされたら義母であるセディアに自分が怒られてしまうかもしれない。


 義理とは言え、お姉さんという立場は辛いのだ。ただ……ちゃんと家族の一員として扱われているようで嬉しくもあった。


 リオは資料から視線を外さず、


「クラスのみんなはさ、どうしてわたしを『凄い』なんて言ったんだろうねぇー」


 どうやらリオにはクラスメイトに囲まれた理由が分からなかったようだ。


 だけど、ラウラにはクラスメイト達のとった言動を理解する事ができる。仮に、自分の立ち位置が彼らと同じだった場合は、その輪の中に加わっていたはずだ。


 加わっていなくても、輪の外からリオに憧憬の眼差しを向けていたかもしれない。


「……そりゃそうでしょ、あたしたちが選んだのが危ないやつだからよ」


「危ないって? それの何が凄いの?」


「他の子たちは安全なコースを選んだのに、あたしたちが危ない奴を選んだって意味よ。リオ、あたし達は例外だけど、ほとんどの子は街の外に出たことが無いのよ?」


「う~ん……それがどうかしたの?」


 リオは難しい表情をしながら首を傾げる。


 自分の説明ではリオに何が危険なのかが伝わらないようだ。


 他人への説明は難しい。教わる相手がそれを知らない場合は特にだ。教わる方が想像できない内容だと、どう説明したものかと悩み始める。


「……あのね、リオ。野外学習であたし達が選ばなかったコースはなんだった?」


「え? えっと……農業体験コースが二つ、漁業体験コースが一つかな」


「そうね。正確に言うなら麦の収穫体験、いちごとさくらんぼの収穫体験、エリザ南湖の地引き網体験の三つ。その三つはエリザの街の中で行われるものね」


 野外学習はエリザベス領だけの行事ではなく、実施される時期や細かな内容は違えどエレンシア王国全土で行われている一大行事だ。


 野外学習が行われるこの時期は、主食となる小麦・大麦の収穫時期にあたるため、それらを刈り取る作業には機械が無い為に人数が必要になる。


 人を雇うと賃金が発生する。安い賃金でも人が多くなれば費用は多くなる。


 それらを解消する為に、国有の農場であれば国防軍の兵士を駆り出したり、普段は鉱山で働いている犯罪奴隷などが一時的に農場で働かせたりもする。


 大規模農家ともなれば自前で多くの奴隷を買いこんで、安価な労働力として使役していたりするぐらいだ。


 それでも多くの小規模農家では人手は足りない。


 そこで農家以外の子供を強制的に参加させる為に始まったのが野外学習だった。


 表向きの理由は他業種の体験。しかし、裏の理由は無報酬での労働力の確保だった。


 一応、普段から家業の手伝いをしている農家の子供たちの為に領主が持っている果樹園での果実の収穫やエリザ湖で漁の体験が用意されている。


 ただし、そちらに数を割くと本来の目的から逸脱する為に、参加人数の枠があまり用意されていなかった。


 唯一、麦の収穫以外に参加人数の枠が定められていないコースがあった。


 ただし、枠の上限が無いわりには、毎年、そのコースに参加する生徒は少なかった。決して魅力が無いわけでも、人気が無いわけでもない。多少、他の三つに比べれば参加費が必要になるのだが、一般家庭に払えないほど高く設定されているわけではなかった。


 結果は要らない。参加するだけで『英雄』という称号が得られる。そして、この称号はその場限りや学校だけで通用するものではなく、卒業後の徴兵時代にも周囲から一目置かれ、自慢できたりする輝かしい称号なのだ。


「で、あたし達が参加するのは?」


 その体験コースの通称が『Dコース』であり、正式名称が――、


「狩猟体験! 弓矢でびゅーんと飛ばして、ドスンと獲物を射抜くの!」


「……飛ぶのは矢よ。……まあいいか。そう、リオが言った通り、あたし達が参加するのは狩猟体験。お義父さんがやっていたようなハンターのお仕事の体験ね」


 本当は職業的狩猟の体験であり、コウが参加していた何でも屋に近いハンターギルドの仕事とは違っているのだが、ラウラにはその違いが分かっていなかった。


 ただ、そうした認識を多くの人間がしていたのでラウラの知識があながち間違っているとは言えなかった。


 ラウラはゴールである屋敷の屋根を見据えながら、


「リオ、その獲物がいる場所は?」


「街の外!」


「そうね、具体的には森の中とか、山の中とか……人の住んでいない場所ね。そうした場所には人を襲うタイプの危険な動物もいるし、道がキチンと整備されているわけじゃないから、木や草といった自然だって脅威になるの」


 それがどうしたの、と言わんばかりにリオは先ほど以上に首を傾げる。


 義妹の姿を見てラウラは大きく溜息を吐いた。


 リオは頭が悪いわけでも察する能力が低いわけでもない。……ただ、(良い意味で)純粋かつ、(悪い意味で)天然なだけだ。


(……あそうか。リオはあまり経験ないもんね)


 個人や集団というよりも、弱者だけで行動するという経験が足りていない。


 少なくともラウラがリオに出会ってから、彼女はずっと守られている。それも最上級の剣や盾に。一般人が望んでも手に入らない最高の環境に。


 現在、住んでいる家は領主の屋敷。


 周囲を固めるのは最強の盾であるメイドのお姉さんたち。


 移動する際も平民が死ぬまで縁の無い高級の船や馬車。


 一般人が隣の街に行くことすら命の危機に怯える大冒険に等しいのに対して、リオの場合は丘の下にある市場へお買い物に出向くことと何ら変わりない日常的なこと。


 常に強者に守られているラッキーガール。それがリオだ。


 クラスメイトたちも街の外に出ていても、大抵は家族同伴の危険の少ない安全圏の中のはずだ。外が危険だと身を持って知っているわけではないはずだ。


 逆にラウラは知りすぎている。


 人がちっぽけな存在で、自然界の中では権力者と言えども下層に位置することを。


 街の権力者の交代により、ラウラを含めた多くの獣人族が貧民街から街の外へと追い出された。そして生まれ故郷を捨て、新たな安住の地を求め、各地をさまよい続けた。


 貧民街といえどもそこは人の営みが行われている安全圏。その外がどういう世界なのか当時のラウラには想像がつかなかった。それこそ今のリオと同じ状態だっただろう。


(……幼いあたしが生き残れたのは運が良かっただけ)


 外の世界はラウラの想像を超えたものだった。


 最初は千人近くいた集団も山賊や魔獣に襲われたり、嵐による土砂崩れで巻き込まれたり、食べるものが底をつき、力尽きては次第に数を減らしていった。


 魔獣に襲われた時は小さすぎて食べ応えが無いという理由で見逃され、山賊が襲ってきた時は集団の後方に位置していた為に逃げ切ることができ、土砂崩れの時はあと一〇歩ほど後ろにいれば巻き込まれていたに違いないだろう。


 多くの仲間たちが飢え死にしかけていた頃、野盗まがいの自称・傭兵集団とは言え、同じウサギ耳族――これは後に偽物と判明――という理由から食事を与えられ、仲間に入れてもらうことができた。


 最後の最後まで自分の力が役に立ったという認識はない。運も実力のうち、と言われているが、それすら偶然に過ぎないと思う。なにせ自分から選び、行動したという自覚がないのだ。全て周囲に流されるままに生きていた。


(……最後はちゃんと自分で選ぶ。それがあそこで得た唯一の教訓……)


 さて、自分とリオの認識の差を理解する事ができたのだが、これをどうやって彼女に説明すれば良いのだろうか?


 屋敷まであと一〇〇段ほどだろうか。


 後ろを振り返ると、視線の遙か先に街を守る為の背の高い防壁が見える。


 なんとなく説明の方針が決まった。これで駄目なら義母かリディアに丸投げだ。


「あのね、リオ。あたし達の生活って色んなモノに守られているの。街の周囲を囲うように作られた防壁だったり、街の中の治安を守る自警団の人とか……学校だと先生だね」


「う、メイドのお姉ちゃんは?」


「メイドのお姉ちゃんもその仲間ね。……で、そういうのは街の中だけだったり、お屋敷の中だけで通用するの。もちろん、街の外にもルールがあるし、治安を守るために働いている人だっている」


「うん」


「でもね、街の中も広いけど、街の外はもっと広いの。そうした外で働く人たちも普段は街の中で生活しているし、必ずしもあたしたちの側に居るわけじゃない。仮にその人たちに助けを求めたりしても、助けにきてくれるまで時間がたくさん必要になる」


「そう、なるのかな……?」


 エリザには領内を守る国防軍が駐留していない。人が増えた現在でも住民のボランティアによる自警団の人たちが頑張っている状態だ。


 そうした自警団の基本的な移動手段は徒歩になる。馬も持っているが数が少ないし、飛竜のような便利なものは持っていない。街から助けに来るまでに一日ぐらいの時間が掛かってもおかしくはないのだ。


「その人たちにだって自分の生活がある。自分のこれからの生活(いのち)と家族でもない他人の救助(いのち)を天秤に掛けて、自分の方が重ければ助けに来ないし、救助に来ても、そこで自分の方が重くなれば見捨てて帰ってしまう。間違っても、その事を攻めちゃだめだよ。重ねて言うけど、その人たちにも自分の生活があるんだから」


 他人の為に働けるのはとても素晴らしい事だと思うが、他人の為に自分が死んでしまうのはとても馬鹿らしい事だとラウラは思っている。


「あたしたちはメイドのお姉ちゃんたちが一緒にいたり、隠れて見守ってくれていたりするから分からないかもしれないけど、クラスのみんなはそういうことがないでしょ? 今度の体験学習にはメイドのお姉ちゃんたちは一緒にこないわよ。危なくなっても手を差し伸べてくれる優しいお義父さんもいないわよ」


「…………」


「上級生や引率する人がやさしい人かどうかも分からないわね。あたしたちが一番年下のはず。だから生意気な下級生だって、上級生に虐められたり、リーダーの人から置いてきぼりにされたりするかもね」


 体験学習には日頃から狩猟を行っている人がリーダーとなり、自分たちの面倒を見てくれるという形になっている。


 流石に一人で面倒を見るには子供の数が多いのでギルドに人を派遣してもらうよう要請してあるそうだが、派遣されてきた人たちも自分の身の回りで精一杯であろう。こちらに手を差し伸べてくれるかどうか不明だ。


 というか、子供嫌いの大人が派遣されてきた場合はどうなるのだろうか?


 侍従隊のお姉さんたちも親分(リディア)に命令されて隠れて見守ってくれるかもしれないが、他の参加者の目もあるので余程の事がない限り介入はしてこないはずだ。


 おそらく、自分たちが少しでも怪我を負えば、色んな人たちに迷惑を掛ける事になるだろう。特にラウラたちの引率を担当する予定のナンシー先生は今から胃を痛めている違いない。


 母親のセディアは、あらあらまあまあ、と笑って済ませるだろうが、周囲が勝手に特別扱いしているはずだ。もしかしたら、髪の後退具合を気にしている校長先生から何か言われているかもしれない。


 先ほどから無言でいるリオのうつむいた顔を下から窺うと、唖然とした表情を浮かべていた。


「……ら、ラウラちゃん」


「なに」


「こ、今度の体験学習は色んな意味で命がけなんだね?」


 リオもここに来て自分の置かれた立場が分かってきたようだ。


「そうね。狩場に行くまでも大変だし、獲物となるのは……鹿、鳥か、はたまた野ブタか。まあ、何になるかは分からないけど、動物だって生き抜く為に反撃してくるだろうし、他の人の矢が誤射かなにかで自分に飛んでくるかもしれないね」


「ふぉぉ……ど、どうしよう? パパが残した五番の箱(・・・・・・・・・・)を開けるべきかな(・・・・・・・・)?」


 困ったとき――特に身の危険を感じたら開けなさいと教えられた箱だ。


 他にも何らかの時に開けなさいと残された箱が全部で七つある。ちなみに、前回の騒動の元となった本が入っていた箱は二番である。


「……それは止めとこう。それを開けたら確実に、今、下の家でごそごそしているお姉ちゃんたちが泣いちゃうから。それに又、吊るされちゃうかもしれないし……」


 あれは辛い。人間の尊厳を根底から覆す奴だ。まだ普通に怒鳴られた方が良かった。


「じゃあ、三番はどうかな?」


「それは、あたしたちが家出したい時に持ち出すやつ」


「……四番」


「それは、あたしたちが嫁入りする時のやつ!」


 尚も抵抗しようとするリオに対して、ラウラは彼女が持っている資料を指差し、


「というか、資料に書かれているもの以外は持っていったら駄目なの! お義父さんが遺した奴なんか絶対に駄目! 他の人から白い目で見られる前に、メイドのお姉ちゃんたちに地の果てまで追い掛けまわされるに違いないわ!」


 たぶん、捕まって吊るされる。


 今度は犯罪者の如く、全てを吐くまで拷問され、死んだ方がマシということをされるに違いない。おそらく、リディアもそれを後押しするだろう。


 優しいお姉さんたちではあるけど、半月ほど前から義父と同じ扱いを扱いを受けるようになった気がする。シャレや冗談が通じないのだ。


 ラウラの体が恐怖からガクガクと震えはじめ、リオにもそれが伝染した。


 半月前の恐怖は今でも夢に見て、布団に大きな地図を描く要因にもなっている。


「……リオ」


「……ラウラちゃん」


 二人の視線が絡み合うと、ガシッ、と体を抱きしめあった。


「今度の体験学習、絶対に生き残るわよ!」


「うん、絶対に笑って屋敷の地を踏もうね!」


「ええ。絶対に死んだら駄目なんだからね!」


「それには準備が必要! 準備を怠れば、負け戦は必定! 負けたら死ぬよ! ラウラちゃん、絶対にパパの力が必要だよ!」


 二人の様子は、まるで桃園(とうえん)の誓いの交わした義兄弟のようである。どこで話がすりかわったのかは分からない。


 傍から見ると道化(ピエロ)に等しいのだが、当人たちは本気も本気である。……ただ、それほどまでに彼女たちは追い込まれていたのだ。


「それじゃあ……お義母さんが許可を出せば、一番の箱を開けよう!」


「敵は屋敷にあり! いざ、行かん。我らが戦場へ!」


 いきなり前言撤回するラウラと、とりあえず難しい言葉を述べるリオである。


 二人は階段を一気に駆け上り、息切れの状態で屋敷へと突入していった。





 しかし、当然の如くというべきか、突入した二人は門を守るメイドのお姉さんに力ずくで止められ、危ないじゃないか、と二〇分ほど説教されてしまう。そして、セディアの許可はおりなかったし、説得の最中に飛び出した汚い言葉が原因でキツめの二時間ほどのお説教を受ける羽目になるのだった。


ラウラは苦労人ですが、リオも苦労人です。

ラウラは笑っていてもどうにもならないと体験し、リオは笑っていればなんとかなると体験しています。

鏡みたいな姉妹ですね。

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