#008 親は嘆き、そして……
王様というのは、一言で表すとすれば『凄く偉い人』である。
一言、我がままを言えば、国内はおろか大陸中の美味・珍味をテーブル上に並べられるだろう。
一度、周囲に知らせれば、国中の美女・美少女が城に集まり、それらを選り好みで後宮に運び入れ、最後は自由に捨てる事だって出きるだろう。
一声、号令を挙げれば、近衛総軍はおろか、国中に散らばる軍人たちを整列させ、右へ左へと自由に移動させる事ができる。そのまま隣国に攻め入ることだって可能だ。
軍、政治、法律は言うに及ばず、国民一人一人の生殺与奪の権利だって握っている。仮に、街で平和そうに過ごしている無辜の民草に『気に入らないから死ね』と弄ぶ事だって可能だ。
王様がその気になれば何だって出きる。(これは困りものだが)王様にその気が無かったとしても周囲が勝手にやってくれる。
そんな事を出きるのがエレンシア王国の『王様』という地位だった。
……しかし、そんな王様でもままならない事があった。
「家族って何なんだろうね?」
難しい表情を浮かべて何を悩んでいるのかと思えば、ようやく口を開いて飛び出した言葉がそれだった。
「……はい?」
外務官僚の眼鏡エルフ――スペンサーは、対面に座るこの国の元首の顔を眺めながら、いきなり何を言い出すのか、と思わず呆れた表情を浮かべる。
「……アルバート陛下、それは今現在、関係する話なのでしょうか? 関係ない話ならば書類にお目通しをお願いします」
余りに真剣な表情だった為に何か不備でもあったのではないかと身構えていたら、これだ。恐らく奥方あたりにお小言でも言われただろう、と当たりをつけながら絶対の忠誠を誓う国王を促すことにした。
仕事が溜まっているのだ。ここで足踏みをしていると、次の仕事が詰まってしまう。そうなれば迷惑を被るのは自分だけではない。
アルバートの手元にある書類の案件のお陰で、近隣諸国と関係を持つ部署が、ここ半年ほど激戦場と化していたのを思い出し、彼は深い溜息を漏らす。
もう一ヶ月は我が家に足を踏み入れていない。
この前、家に帰った時などは四歳になる可愛い愛娘から『おじさんだれ?』である。腰の力が抜けて、二度と立ち上がれなくなりそうになった。
目の前の男ほどではないが自分の家庭も心配なのだ。もしかしたら、離婚危機が上がっているのかもしれない。
「ふむ……」
アルバートは眼鏡を掛け、書類に目を通す。
『プロトン条約の破棄、並びにプロトン協定の締結に関しての進捗状況』。
書類の中身は、西側にあるフロイトン王国と関係する事だった。
プロトン条約とは、約一〇〇年前に起こったレオーネ戦争を終結させる為、エレンシアとフロイトンの間で結ばれた講和条約である。
条約内容は以下の通り。
一、レオーネ西域の割譲。
二、賠償金として金貨六〇〇万枚を五年分割で支払う。
三、フロイトン王国軍は四万人以下までに軍備縮小。
四、フロイトン王国の財政は、エレンシア王国が決定権を持つ。
五、関税及び通行税の廃止による貿易完全自由化。
当時、フロイトンの領土の九割近くを占領したわりには優しい条約内容になっている。特に賠償金に関して言えば、捕えた国王などの身代金を含んだ額で、ぶっちゃけるとかなり格安な値段である。
当時、フロイトン王室の年収が金貨二〇〇万枚ほどで、通常なら捕えられた王族や貴族の身代金として彼らの年収の一・五倍ほど請求することが当時の常識だった。
それにエレンシア側が被った戦費や復興費などを鑑みると、最低でもこれの三倍は請求してもおかしくなかったのである。
額に見合わない講和条約を結ぶくらいなら、そのまま占領した方が良いとさえ叫ばれた中、当時の王室が講和条約に反対する多くの人間を押しのけて、正当な額を請求しなかったのにも理由があった。
まず、占領する際に相手側の大都市や広大な農地を焼け野原にしており、今後、一〇年間は満足な税収が無いと予測が立てられたこと。
そして最もな理由として、多額の賠償金を命じた所で相手国ができる対処方法は増税以外何ものでもない。緊縮を目指せば、その分、復興に時間が掛かり賠償金を払う余裕がなくなる。
その上、彼らは減額された賠償額ですら一五〇年という壮大な計画で払わせてもらえないかと言ってきたのだ。五年という月日で締結したのならば、五年で払わなければならないのだから気の長いような話である。
普通なら、相手に支払う気はないのではないかと疑う所だが、当事者の一方であるエレンシアも大陸中の国家に六〇〇年計画で払い続けてきた実績があったので、それほど問題にはならなかった。
代わりに長い時間を待つかわりに年に一回、駐在するフロイトンの大使を呼び出し、賠償金を支払うよう催促するのが恒例行事となっていた。
軍備の縮小と言っても、敗戦時にほとんどの軍人が殉職してしまっていたので、条約の一〇分の一も残っていなかったとされる。四万人という数字は国内の治安と国境の警備を計算した上で、元々過剰だった軍事を良い意味で縮小される結果にもなった。
財政の決定権に関しても、国王とその側近が敗戦の責任を取り、『国王が優位の立憲君主制度』から『国会が優位の立憲君主制度』へ自主的に遷移していったので、エレンシアは事後承諾するだけで、さほど介入する事はなかった。
貿易の完全自由化というが、関税や通行税の上乗せが掛からない分、安い値段で物が買えるようになったので国民からは嬉しい話である。
そうした緩やかな支配が一〇〇年ほど続き、現在も続いている。
――が、それらは一つの終わりを見せようとしていた。
エレンシア王国の再来年に行われるエーレ遷都に併せて、これらの条約を破棄し、フロイトン王国と新しい協定を結ぶ事を水面下で進められていた。
協定内容は、未払いの賠償金の一部破棄。新たな通商航海条約の締結……等など。
この協定が無事に締結されたならば、フロイトン王国は実に一〇〇年ぶりに主権を取り戻す事になる。
「相手の反応は?」
「はい。最初は急な話に先方も驚いておりましたが、概ね承諾を頂いております。現在の時点で議員の四割をこちら側に引きこんでおりますので、次回の議会が開かれる頃には六割は行けるかと」
議員を握る為に飴を提示しているが実弾ではない。
未払いの賠償金の変わりに、二つの国を隔てる山脈の東側にあるフロイトン王国の領土をエレンシアへ譲渡する案を相手に出していた。
面積にすれば約八〇〇〇平方キロメートル。
元々、山脈が国境代わりとなっており、指定された土地もフロイトンの所有になっているが、山がちな土地で国民が誰一人も住んでいない未開の土地である。これが承諾されれば、山頂ラインが正式な国境という事になる。
「仮初とは言え、国家の主権を相手に握られていたのだ。何時もなら反発するだけの独立派も、それらを取り戻せるとなれば、とりあえず賛成に回るだろう」
問題があるとすれば、独立派の反対に属する議員たちだ。保守派と言っても良い。
彼らは平和な時分に手に入れた自分達の既得権益を守ろうとする者たちで、議会の中の最大派閥でもある。
「……そういう連中が増えたのも、やっぱりぬるま湯が原因なのかね?」
「私には分かりかねます。しかし、そういった連中は『百害あって一利なし』です」
「選挙系議会の弊害かもしれないな。階段を順調に登っている時は上を向けるが、疲れてくると足元しか見えなくなるし、疲れていれば階段を上がる事を先延ばしにしたくなる。そして、それが大きな石となって上から転がり落ちてくるわけだ」
「特に当確ラインギリギリの議員は目先の人気取りに走りますからな。党は選挙に勝つ為に、国民に甘い飴ばかりをばら撒こうとします。ちなみに、次の選挙で落ちそうな議員に至っては、今のうちにばかりに献金集めと熱心だそうですよ」
「浄財集めに必死な教国を笑うことが出来ないね。――で、そういった議員たちはキミらの描いたシナリオではどうなってる?」
スペンサーは眼鏡の縁を指先で押し上げ、ガラス面をキラリと輝かせながら、
「基本的には何もしません。あちらの風船は今にも破裂しそうな状態です。おそらく、数年以内に破裂するはずです。そして破裂時に自己消滅するでしょう」
「そうなると内乱、もしくは分裂か……。予定通りとはいえ、胸が痛いね」
元々、フロイトン王国の前身は五つの部族が集まっていた土地だ。帝国崩壊時にそれらを考慮せずに一つの国家として独立させた。
主義主張が違うそれらの不満はいつ破裂するか分からない。破裂されれば、その余波は隣国であるエレンシアにも及ぶだろう。
想定外の破裂を避ける為に、エレンシアが採った手段は破裂する時期をこちらで指定することにしたのである。
「毎年、金貨四万枚の臨時収入はありがたいが、こちらはそれ以上の出費を迫られているからな。今のうちにあちらを切り捨てた方が身軽になれるだろう」
アルバートが王位を継ぐ前に蒔かれた種を、今刈り取るべく静かに動き始めていた。
書類にサインを入れていき、その手が止まった。
「そう言えば、もう一つの方は?」
エレンシアの西側にも属国があるのだ。
フェイブル自由国。五十年前の戦争における敗戦国。
そちらにもフロイトンと似たような作戦が水面下で進められていた。
「そちらは難航中です。こちらの条件を聞こうともしません」
フェイブル自由国は、エレンシアの旧王族が治める国家だったが、その血が途絶え、家臣であった八つの侯爵家がそれぞれの領地を治め、それらが同盟を結び、一つに纏まっている国である。
同盟が締結されて既に一〇〇年近く。その間は一応の平和が築かれていた。――が、今となっては同盟も一枚岩とは行かず、様々な問題を孕んでいる。
「あそこは中心の本丸を切り崩さねば、他をどうこうしようとも無駄か……」
「はい、親王国派や中立派の家々はなんとかなりますが、同盟内で最大の領地を持ちますロングデン侯爵家が反王国派ですからね。その盟主が首を縦に振らない以上、協定に意味を持たす事が出来ませんので」
親王国派が三家、中立が三家、反王国派が二家に分かれている。条件付で中立派を親王国派に引き入れることも可能だが、数で負けているはずの反王国派が経済的に他を圧倒している状態だ。
ロングデン侯爵家が同盟の盟主と言えども、エレンシアから見れば一地方の頭目に過ぎない。が、さりとて無視するわけにも行かなかった。
「あそこは自分の土地が占領されたわけじゃないからな。休戦協定にも反対していたし、最後まで徹底抗戦を貫こうとしていたらしいぞ」
「噂では北の戦争に介入しているとの話も出ていますが?」
「今の当主は熱心な信徒だからな。『聖戦』なんて宣言がされた以上、目立たない程度には介入するに違いないさ。……ま、人や資材などを流してはいないが、傭兵を雇うだけの金を送っているだろうね」
侯爵家が自分たちの軍を動かしていたら、宗主国としてエレンシアが討伐しなければならなくなるので余り派手な動きは見せていない。
その辺りはちゃんと弁えているつもりらしく、現状ならば領主の私財によるお布施ということで、宗教の自由の範囲内である。
アルバートはロングデン侯爵家の資料を取り出し、そちらにも目を通す。
「ロングデン侯爵領は優れた手腕として名高い現当主で持っているだけの土地だ。そして次期当主と目される人間は『ボンクラ』という評価。これをどう判断するべきか……いざとなれば、当代の御老公には退場してもらおう」
周りの家臣にもこれといった人間はいない。当主が倒れれば自然と瓦解する。
年も年だし、ちょっとした怪我が命に関わってきてもおかしくはなく、死んだとしても世間もそれほど怪しまない。ただ、好ましい手段ではない事は確かだ。
その手の手段というのは、必ずどこかに歪が溜まる。それが目に見える範囲で納まるのならば問題は無いのだが、目に見えない範囲となると対処が難しくなる。
「しかしあれだな。うちを嫌っている人間が一番うちから離れたくないとは……」
「個人の信条は横に置き、領民を第一に考える名君ですからね。こちらから離れるとそれに見合うだけのメリットがあるのか、デメリットが何なのかを考えたすえでしょう」
相手を忌み嫌っていても経済依存がある以上、突き放す事は出きない。やろうとすれば、それに代わるだけの新しい相手が必要だ。
「政治と経済とで交流の意味が違うか……」
「…………」
殺りますか――という視線を投げかけてくる。
ヤルなら早い方が良い。相手に時間を与えれば、その情報がどこから漏れるか分からない。他にも不測の事態が起こるかもしれない。
必要なのは妻にも教えられない罪を背負い、決断する心だ。
「……我々が正しいか、正しくないかは一〇〇年後の歴史家に判断を任せよう。我々は正しくなるように動こうか。――はい、後はよろしく」
「はい、わかりました。それでは私はこれで失礼させていただきます」
書類を受け取ったスペンサーはアルバートの前から辞する。
「ああ、そうだ。一つ、キミに訪ねたい事があるのだが……」
ドアの前に立ったスペンサーの背中にアルバートは声を掛けた。こちらに振り返ろうとする彼を待たずに一言、
「家族って何だろうね?」
「……失礼します」
スペンサーは颯爽とドアの向こう側へと消え去っていった。
★ ★ ★
――家族って何だろうね?
という問いかけを、この部屋に訪れた全員に投げかけてみたのだが、満足行く回答が得られなかった。
公務終了を知らせる鐘の音が城内に響き渡る。
「……ふぅ」
アルバートは道具類を片付け、机の一番下の引き出しから一通の手紙を取り出した。
封蝋には王女の紋章印が捺されていた。下の娘からの領内の様子と自身の近況報告を兼ねた手紙である。これが皇太子や領の紋章なら完全に仕事だ。
最初はウキウキした気持ちで封を切り、中身を取り出した……はずなのだが、直ぐにその気持ちは霧散してしまった。
四つ折りされた便箋を開く。
一番最初の便箋が、
『しりコーンされてしまえ!!』
(意味:ユニコーンに尻を掘られちまえ!! 上から三番目ぐらいに酷い悪口です)
――である。
しかも丁寧な字なのが逆に怖い。普通は文字を荒々しく書くものだ。
目をした瞬間、心臓が止まりそうになった。ただし、二枚目からはいつも通り、日常生活に関することが細かく記されている。
どうやら異邦人の遺した何かが発掘されたらしい。今はそれを解析しているそうだが、予想以上に難航しているらしい。
管轄する街の人口が増えすぎて、想定していなかったことが毎日起こるようだ。獣人自治区の件も同じように書かれている。
便箋を捲っていると、この手紙を書いたときのリディアの苦悩が伝わってくる。
娘は苦労しているようだ。親として助けてやりたい気持ちもあるが、娘がやっていることは王族としての勤めであり、将来的にはもっと重いものが圧し掛かってくる。今のうちから少しでも慣れさせなければならない。
そうして一枚目の便箋に戻る。
これだけは謎だ。本当に分からない。
「……ほんと、家族って何だろうね?」
アルバートは娘の心情が分からなかった。
何が原因でこんな事を書かれたのだろうか?
少なくとも二週間前に貰った手紙には、こんな風になるような事を匂わせる文章は書かれていなかったはずだ。
「彼が居れば、どうしてこうなったのかと探れるのだが……」
誤解を受けるかもしれないが、アルバートの命令によってリディアを監視している人間は複数いる。
街の外から遠めに観察する者もいれば、同じ屋敷の中で生活している者もいる。
しかし、近くも遠くも観察している者は娘と同性の人物。つまり、女性だ。
そういった人間の報告を聞くのも悪くないし、妻に相談するのも悪くない。男親よりも女親の方が娘の気持ちを察する事が出来るだろう。
しかし、父親としては自分と同じ男の方が色々と話しやすい。というか、愚痴をこぼしやすい。けれども部下には愚痴をこぼせない。
ありがた迷惑を発動させる人間に伝われば、親子関係など木っ端微塵に吹っ飛んでしまう可能性がある。
それに彼は頼りやすいのだ。
出会いの会話からしてそうなのだが、女性に対する主義主張は違えど、彼とはこれまでの人生で一番会話が成立しやすい人物だった。他の者だとああは行かない。
懐かしそうに過去に耽っていたら、ハッとなった。
今は過去に浸る時間ではない。これからどうすべきかと未来を考える時間だ。
「やれやれ、居ない人間を当てにするとは。私も老いたな……」
軽く頭を小突いて自戒していると、合図も無く唐突に扉が開いた。
ギィぃ……、
「たのもー!」
威勢の良い掛け声と共に姿を現したのはエメラルドグリーン色のショートカットをした妙齢の女エルフ。
その背中には金銀宝石の類を惜しみなく使用し、精巧な彫刻が施され、何故か弦のない大弓を背負っている。
無許可での入室、殺傷できる武器の携帯、言葉遣い……等など、この部屋の中に第三者がいれば、入ってきた者を不敬以前の問題だと叱責していただろう。
しかし、当人達は特に気にする事も無く、
「これはこれは、お久しぶりでございます。ミュラー老師」
「うむ、久しいのぅ、アルル坊や」
――と、親戚と挨拶するかのように言葉を交わした。
国王を『坊や』呼ばわりする女性の名前はイーリス・トリスタン・ミュラー。
エレンシアが誇る二大勇者の片割れ、『弓の勇者』である。
建前上として、剣と弓の勇者はエレンシア王の家臣とはなっているが、命令を出したり・聞いたりする関係でもなかった。
他にも、赤ん坊の時におしめを換えられているような間柄なので、アルバートが頭が上がらない相手の一人である。
「こうして顔を合わせるのは昨年の出発式の式典以来ですね」
応接用のソファーに腰を降ろし、対面に座るイーリスの顔を見た。
約一年ぶりに顔をあわせるのだが、その美貌に陰りはなかった。
「それ位になるのぅ。帰ってきた時はお主は姿を見せなんだし。恩師が遙かなる異国から帰ってきたというのに可愛げのない奴じゃ」
「スケジュールが合いませんでしたから。それであちらの様子はどうでしたか? 大陸の外に足を踏み出すなどなかなか出きるものではありませんからな」
イーリスは親善大使という肩書きで銀月大陸の外へと旅立っていったのである。
彼女の旅の目的地は金月大陸であり、その地に住まうドラゴンたちと親交を結ぶためだった。
片道に二ヶ月近くの航海を乗り越え、半年近く現地の生活に溶け込み、再び二ヶ月掛けて帰ってきたのが三週間前のこと。
王都に帰還するのに時間が掛かったのは旅の疲れを癒してからということだった。
他の同行者から一通りの報告を受けてはいるが感想は人それぞれ。こうして顔を合わせたのだから、本人の口からも聞いたほうが良い。
「習慣、食生活、文化……何から何まで違うのぅ。しかし、一番の違いは魔法じゃな」
「それほど違いますか?」
アルバートの問いにイーリスは大きく頷いた。
「違う。魔法の構築のやりかたは勿論じゃが、精霊の性格まで違うておる。こちらの魔法はあちらでは使えなんだ。まぁ、逆説的に申せば、あちらの人間がこちらの大陸で魔法が使えないということになるの」
「報告は受けておりますが、それは少し驚きですね。魔力の性質が違うのでしょうか」
銀月大陸で使われている魔法は、金月大陸では使えないという話である。詠唱しても、魔法陣を構築しても、その効果が現れないそうだ。
現時点で詳しい理由は分かっていない。
「あちらに居た専門家の話によれば、大陸ごとに同じ属性と言えども精霊に伝える為の言語が違うらしいぞ。あとは……何か言っておったが、わらわは理解できなんだ」
「ま、深く考える必要はないでしょう」
アルバートは同行した魔法学者から研究が必要だと報告を受けているが、それほど深刻にはとらえていない。大陸の外に覇権を広げる必要があるとは考えていないからだ。
そして、あちらがこちらを攻めてくることもないだろうと推測している。理由はエリザベス領に住まう最凶のドラゴンが居るからだ。
親交を結べば、人の行き来が生まれるだろう。あちらに住む人間が現れれば、あちらの魔法を覚えたら良い。あちらの方が魔法技術は上ということもあるし、無理にこちらの魔法を使用するまでもない。
もし、必要な人間が現れれば、その人物が自分で対策を考えれば良いだけの話だ。
「この後、お時間をいただけるのであれば、土産話や現地の詳しい感想は妻を交えて食事時にやりませんか? おそらくレオナとエリスも老師の話が聞きたいはずですし」
「うむ、それはわらわも望むところじゃ。しかし、その前にお主と話すことがある」
話ですか、と首を傾げるアルバートを後目にイーリスは聖弓を撫でながら、
「ちと知り合いから頼まれての、王都を離れ、エリザベスのエリザに向いたいのじゃ。で、その旅路の随行員として少しばかりの人員を借りうけたい。出発は一週間後、期間は二週間ほどじゃな」
「エリザベス領にですか?」
「そうじゃ。何か問題でもあるのかえ?」
人手を貸すのは構わない。勇者に最大限の援助をするのが国王の役目だ。
しかし、目的地の意味が分からない。当地で暴動が起きているわけでも、魔物が暴れているわけでもない。
それとも何か、現地では何かしらの事件が発生しており、老師にはその対処を願っているとか? あの手紙の意味は、その事件が原因でリディアに溜まったストレスのはけ口として使われたのだろうか。
「そう深く考えるではないぞ。リハビリじゃ、リハビリ! わらわを頼った人物が言うのには、子供の課外学習の護衛に人手が足らぬから、是非ともわらわの力を貸して欲しいと手紙を貰っただけに過ぎぬ」
「リハビリ……ですか?」
「あちらでは相応に充実した(狩猟)生活を送れたのじゃが、狭い空間に閉じ込められた船旅でかなり腕が錆びついておる。いきなり大きな仕事は無理だと思っておったから、頼みは良いリハビリになると思うのじゃ。……あとはアヤコに娘が生まれたという風の噂を聞いたので、その子の顔を見たいというのもある」
「なるほど。それなら人を手配させます」
幸い、イーリスの力を借りるような仕事は手元には無い。人材を貸すぐらいの頼みごとならお安い御用だ。ついでに娘の様子を探るよう頼もう。
お供させる人材を頭の中で思い浮べていると、イーリスの顔が前に乗り出し、
「それでじゃ、お主も来ぬか?」
「はい? どこにですか?」
「エリザベス領にじゃ。ついでに自分の目でリディアの様子を見ればよいではないか」
イーリスの台詞を理解し、彼女の顔をマジマジと見つめてしまう。
何故分かったのだろうか? と。
「種明かしをすると簡単じゃ。ここに立ち寄る前にレオナとエリスと偶然、顔を合わせての。そこでお主の相談を受けたわけじゃ、『旦那がリディアの事で困っているから相談に乗ってあげてほしい』とな」
どうやら二人の妻には自分の悩みがお見通しだったらしい。
だが、イーリスの話を受けることは出きなかった。
「しかし、私は国王です。国王としての公務がありますので、ここを簡単に離れるわけにはいきません」
「公務らしい公務はないじゃろ? 式典があるわけでもなし、外遊もないはずじゃ。何よりも今は夏じゃぞ! 夏といえばバカンスの季節じゃ!」
一部の地域を除けば、銀月大陸の季節は夏を迎えている。
主要生産物である麦の収穫を終え、各国の政府もバカンスシーズンに突入中。基本的にこの季節に式典などを開催したり、お呼ばれしたりすることはない。
アルバートも仕事を理由に拒否しているが、決裁が必要な書類は現地で処理する事は可能だし、竜便を使用して現地に届けてもらうことだって可能だ。
一応、その気になれば仕事はどこだって出きる。
城に王の姿がないのが原因ならば、アルバートそっくりの影役が王座に座っていれば良いだけの話である。
しかし、アルバートの背中を押すだけの理由が出てこない。
悩めるアルバートの耳に異邦の友人の言葉が甦った。
『あんたに足りないのは「言葉」じゃなくて「会話」だよ。勝手に自己完結していないで、相手とちゃんとした会話しろ! 会話をせずに言葉が足りないとか抜かすな。だから嫁さんや娘さんに嫌われていると勘違いするんだ』
なるほど、今回の件についても相手と会話が足りないから、勝手に悩むだけで歩み寄りの姿が見えないのだな。
アルバートの頭の中で繰り広げられた『行くか・行かないか』の攻防に決着がついた。しかし、それを安易に肯定するのも如何なものかと悩む。
王様はとても偉いけどとても面倒なポジションだ。
「……宰相が了承すれば」
無駄な抵抗だと分かりつつも、妥協案を提示する。
「それならほれ、あの小僧から了承を取っておる証じゃ」
イーリスが隠し持っていた書類を提示する。
そこには、
『陛下の身柄を貴殿に託します。煮るなり焼くなり自由にして下さい。――宰相』
と、宰相の直筆サイン入りで記載されていた。
余りの根回しが良さに、アルバートは頭を抱えた。
この国は大丈夫なんだろうか? 時々、各人の腰の軽さに凄く心配になる。
「はぁ~……、しょうがない。今回は皆の優しさに甘えようか」
とりあえず、自分が動いても目立たないようにしなければならない。
「それでは私も老師のリハビリをお手伝いさせていただきます」
「なんじゃ、そこは素直に『娘に会いに行きます』ではないのか?」
「あくまでリハビリのお手伝いです」
おかしな前例を作るとそれに甘えてしまいそうだ。
「ところで老師」
「ん?」
「家族って……何でしょうね?」
イーリスにも皆と同じ内容の質問を投げかけた。
しかし、今度ばかりはアルバートが悪かったのかもしれない。
「……それはあれか? 四〇〇歳を超えても天涯孤独の独身生活を送っておるわらわに対する皮肉か? 私は結婚しておりますが、貴女は結婚しないのですか? という嫌味なのか? ……あッ!?」
イーリスの額に青い筋が何本も浮かんでいる。
やばい。今度は自分が地雷を踏み抜いたのかもしれない。
「違います。決してそのような意味はございません!」
「はん! どうだかのう……」
イーリスの怒りはおさまりを見せないが、彼女は腕を組みつつ、
「わらわが思う家族とは……『一番近くて、一番遠い他人』じゃな。『家族』という単語に惑わされるようじゃが、所詮は赤の他人。お主はお主、レオナはレオナ、リディアはリディア、と個別の考え、感情で動いておる。似ることはあっても、まったく同じになることはあるまい」
なるほど、一番分かりやすく、自分には不思議としっくりくる回答だ。
(……そういえば彼も似たような事を言っていたな)
そう呟いた後、アルバートはやるべき事に取り掛かった。ひとまず、今夜の夕食に出すべきワインを考えよう。それから、宰相や大臣たちに嫌味とも言うべき過酷な労働を強いるべく、大量の作業を命じておこう。
後日、シトンの下にイーリスから参加可能という返事が届くのだが、その参加者の名前を見て『選択を誤った』と崩れ落ちるのだった。