#007 これが良い年した大人の難題という奴だ
エリザという街は日々、何かしらの犯罪・事件が発生している。
傷害・暴行、窃盗、殺人……と挙げればキリがない。
街の人口増加に伴い、そうした様々な問題を孕んでいるのだが、それは学校という小さな単位でも同じ事がいえるだろう。
数代にわたってエリザで暮らしている住民の生徒と余所からエリザに移住してきた住民の生徒たちの間で大小様々ないざこざが発生したり、時に怪我を負うような暴力事件だって起こったりする。
どの学年でも軽い学級崩壊の兆候が見られたりする中、一人の女性教師が今日も奮闘していた。
……はずなのだが、今日はいつもとは違う理由で頭を抱えているのだった。
「ぬぉぉぉ……」
エリザで第一光学校で今年の初めから教師として勤めはじめた新任の教師のナンシー・キャロルは、職員室にある自分の机の上で懊悩としていた。
今朝、上司である校長から配られた一枚の書類が原因だった。
嫌なものから目をそむけるように、窓の外に見える校門を出入りする子供たちの姿を眺めると、授業が終わり帰宅の途をつく低学年の子供たちが校門へと向かい、続いてこれから授業が始まる高学年の子供たちが教室へと向っていく。
「せんせい、さようならー」
「はい、さようなら~。気をつけて帰るんだよぉ~」
廊下側の窓越しに、ナンシーと同じように今年から学校に通い始めたばかりの普人族の少女が元気良く帰りの挨拶をしてくる。
「キャロル先生、おはようございます。今日もよろしくお願いしま~す」
「はい、おはようございます。キミはちゃんと宿題やってきたかな~?」
今年から担当することになった犬顔の少年は、宿題という単語を聞いて「やべぇ~」と漏らしながら慌てて教室へと入っていく。
この何気ない言葉のやり取りこそが、普段と変わらない学校の光景であり、自分が彼ら・彼女らの教師なのだと強く感じさせるものだ。
二年前までは――領都であるにもかかわらず――子供の数が少ないこともあって文字通り週に一度、光曜日だけ開かれる学校だった。しかし、今では子供が増え、それに対応する学校と教師が増やせなかったのでほぼ毎日、授業が行われている状況だ。
それでも全学年を捌くことが出来ないので、午前を一年生から四年生までの低学年。午後から五年生から七年生の高学年で授業時間を分けている。
教師は教師で、これまでは自営業と兼業で教育に携わるという形態だったのだが、今は教育一本、専業で就いている者が多い。ナンシーも専業で教師をしている内の一人だ。
子供と仕事が増えた事をぼやく同僚が多い中、彼女は教師という仕事に誇りを持ち、この道を選ぶきっかけとなった恩師に対して背を向けるようなことは行いたくなかった。
もちろん仕事に対する愚痴はある。しかし、それを職場に持ち込むようなことはしない。それが大人のマナーなのだ。
……だが、今日こそ自分が教師である現実を怨むことはなかった。
机の上に置かれた書類の束から赤い便箋を貼り付けておいた一枚の紙を引っ張り出し、その内容に目を通す。
今から一ヵ月後に行われる予定の社会科見学に関する資料だ。
『野外学習・Dコースの参加者』と大きく書かれた文字の下に、彼女が引率を担当することになった子供たちの名前が連なっている。
アドルフ・マンジュー――前期七年生、十二歳、男、獣人族
エミール・ヤング――前期七年生、十二歳、男、普人族
シャルル・ハワード――前期六年生、十一歳、男、普人族
ロリータ・コールマン――後期六年生、十歳、女、亜人族
ゲイリー・ルーニー――前期二年生、七歳、男、普人族
ラウラ・シラサギ――前期二年生、七歳、女、獣人族
リオ・シラサギ――前期二年生、六歳、女、獣人族
参加者は全部で七名。
特別、多くもなく少なくもない。例年と同じぐらいの集まりと言えるだろう。
男子に混じり、女子が三名ほど混じっているが、毎年、女子も参加している実績があるので気にする部分でもない。
三名ほど幼い年齢が気になるといえば気になるかもしれないが、こちらも毎年、勇気有る少年少女が少ないながらも参加しているのでおかしな点ではない。
そして、引率と言ってもナンシーが全ての面倒を見るわけではない。
王国では比較的、平和な土地柄として知られているエリザベス領ではあるが、それでも人間を捕食する野生動物が生息している。だから目的地まで領内にいる国防軍の兵士や雇われたハンターが生徒と教師の護衛に付き添うので問題はないだろう。
ナンシーも現在は教師の仕事をしているが四年前に退役したが軍属として――三年間の兵役時代を含めれば――一〇年近い経歴を持っている。
彼女は獰猛な魔物討伐や匪賊討伐などの多くの実戦に参加している古参兵だ。退役後も自主的に訓練を継続しているので、野生の熊に脱走兵や軍人崩れの無頼者ぐらいなら一人でも対応はできるつもりでいる。
では何がナンシーを悩ましているのかと言えば、一部の参加者が原因だった。
「はぁ~、よりにもよってこの二人かぁ~」
この二名を担当する同僚の男性教師が、ここ半年ほど胃痛に悩まされている事を思い出し、彼女は深い溜息をこぼす。
「『ラウラ・シラサギ』さんに『リオ・シラサギ』さんかぁー」
二人が所属するクラスの担任でも授業を担当しているわけではないので、二人の評価は全て伝聞ということになる。
父親は不在……鬼籍に入っているらしい。一応、義父の存在もあるらしいが、学校関係者は一度もその姿を見たことがない。母親は領主の館で働く官僚。一時期、ちょっとした有名人になった人物だ。
両者は姉妹として登録されているが、種族を示す耳がウサギとキツネと違うので義理の姉妹なのだろう。奴隷という制度があり、その時に親子が離れ離れになることがあるので、親戚の子供を養子として引きとり義理の姉妹になるという話も珍しくない。
別段、成果目標に達しない学業不良児だったり、授業を妨害したり、ましてやクラスメイトを虐めたりするような問題児だったりするわけではない。
成績について資料によればラウラは上の中。リオは中の上。どちらも学年全体で言えば上位に位置する順位で優秀と言っても良い。
運動に関しては、どちらも獣人族なので普人族のクラスメイト達に比べれば優秀だ。まぁ、ラウラのほうは多少ドンくさいところがあるらしいが、それは欠点といよりも愛らしい部分と言えるだろう。
「普通、そういう生徒だったらクラスから浮いたり、同類かヤンチャなクラスメイトから爪弾きにあったりするんだろうけどなぁー」
今のところ、その気配は見られない。
両名とも優れた愛らしい容姿、明るい性格なのでクラスメイトから人気がある。あと二・三年もすれば教師からは目の届き難いグループ争いのようなものが発生するだろうが、今の様子を見るとそれも大丈夫だろうとは思われた。
授業を行っている教師陣からの評判も上々。
人気のある両名が率先して熱心かつ真面目に授業を受けている為に、他のクラスメイトも二人に引っ張られるように真面目に教師の言葉に耳を傾けている。
他の曜日に通う同じ学年のクラスだと同じようにはいかない。二人に匹敵する優等生はいるのだが、それに反目する悪童もいるのだ。その両者が対立し、授業が上手く進められない要因となっている。
授業は真面目で成績も優秀。クラスメイトとは良好な友好関係を築いている。そして教師のお願いには反抗しない。ある意味、教師には扱いやすい真面目な優等生だといえるだろう。
「……額面上だと、良い子ではあるんだけどなぁー」
ナンシーの脳裏には、雨の日だろうが雪の日だろうが、顔をあわせれば元気良く挨拶する二人の姿の印象が残っている。ああいう子供を自分も産んでみたいと思う。
あれは学校が楽しくて、授業を楽しみに通っている顔だろう。教師冥利につく、教師としての魂に火をつけさせる子供だ。
でもなー、と眉をひそめながら書類のとある箇所に視線を向ける。
自分でやっておいてなんだが、掃除を怠って埃の溜まった部屋の四隅のような、そんな嫌なものを目にしてしまったと感じ、その箇所から視線をそらす。
エリザで暮らす彼女にとっては、かなり面倒な内容が書かれている。
「うん、私の視力が落ちているだけだよ。最近、小さな文字が見えなくなってきたな~、と思ってきたところだからさ」
ちなみに彼女の視力は両目ともに『五・〇』と平均値程度はある。
そぉ~と、再びその箇所に視線を向けると、無駄な抵抗をしていただけだったなと確認する事になった。
ラウラ・シラサギ、リオ・シラサギ 緊急連絡先 西区一番地
一般家庭の住所ならもう少し細かく分類されているのだが、この家の住所に関してだけは、これだけの文字数で事足りるのだ。
「他には何も……書かれてないよね~。書かれていないと言う事は――」
自分の席の背後――西側の窓に目を向ける。
視線の先、遙か遠くに領主の屋敷の尖塔が見えた。つまりはそういう事なのだろう。
この街の……いや、国内……さらに大陸でも最重要人物が住まう家。
母親が住み込みで働いているだけならそこまで苦悩する必要はないのだろうが、最悪なこと(?)に、領主と子供たちの仲は良好以上に良好なようだ。
ナンシーは生徒には見せられない恨みがましい瞳で領主の屋敷を睨む。
一般人と天上人が仲良くなるなよ!
その直後、領主の屋敷辺りから白い筋が天へと昇った、続いて大気を切り裂くような破裂音が響き、大空に薄い大輪の花が咲いた。
半月前の夜中に最初の一回目が行われ、それから二日おきに、今度は昼間に行われている恒例行事が始まった。
連続する音の衝撃波が彼女の脳を揺らし、記憶中枢を刺激した。
『もし、この二人に何かあった場合は分かるよね?』
今朝、書類を渡された際に校長が自らの首をちょん切るジェスチャーを見せながら放った言葉が再生される。
『大丈夫! また村からやり直せば良いんだからさ!』
続いて、校長の席を彼女の横の席で聞いていた無駄にマッスルな教師が、ニッコリと笑い歯をキラリと輝かせながら地獄への里帰りを示唆した。
『でもさ、学校は元より、街はおろか、最悪、エリザベス領に居られなくなるかもね~』
最後に、彼氏に振られたばかりの同僚がナンシーの不幸を嘲笑うかのような声が再生された。
誰もがシャレになっていない。
同じ職場の人間。ましてやナンシーは新人教師でもある。もう少しやる気の出るような励ましコメントは出ないのだろうか。
「ぬ、ふぬぬぅぅ……」
ナンシーはうめき、お腹をおさえた。
胃ではなく腸が痛い。今朝からずっとトイレと職員室を往復しているのだ。
「と、トイレに行ってきます……」
同僚に声をかけると、柔らかさを重視したチリ紙を抱える。
二日酔いか生理二日目のようなどんよりとした顔を浮かべ、とぼとぼとした足取りで職員室を後にした。
★ ★ ★
「マスター、まだやってるかしら?」
扉を開け、挨拶する。
やってるよ、というマスターの渋い声を聞きながら、ナンシーは慣れた様子で店内を歩き、指定席――カウンターの壁際にある席へと腰を降ろした。
「とりあえず、いつもの奴を」
横の席にカバンを置き、グラスを磨くマスターに注文を出した。
素っ気ない態度と具体的な注文ではないが、マスターは慣れた様子で頷いてみせ、「ほろ酔いセットね」と注文に取り掛かった。
マスターが注文した品を準備している間、店の中を軽く見回す。
彼女以外にもちらほらと数名の客が姿を見え、閉店間際の時間帯なのだが、それなりに客入りがあるようだ。
エリザに数多く飲食店が存在するのだが、ナンシーの給料で通える値段でお酒を提供しているのはこの店だけだ。
マスターが趣味でやっている店らしく、値段は手ごろで料理もそれなりに美味しい。たまに大きく外れる料理が提供される事もあるが、それもご愛嬌というものだろう。
聞いた話ではあるが、昔は道具屋なども兼業していたらしいが、今では小料理兼酒場として一本勝負しているそうだ。
そうこうしている内に注文の品がやってきた。
「はい、いつものやつねー」
「ありがとー」
エリザベス領の特産品になりつつある陶器のジョッキの中には甘いリンゴの香りが漂う果実酒がなみなみと注がれていた。
それをこぼさぬよう慎重に口元へ運んでくると、そこからは一気に傾けた。
リンゴの甘みの奥に隠れるようなアルコールの微かな刺激が喉の奥を湿らしてゆく。
そのまま、ゴクゴク、と喉に流し込んでいく。
「むっほぉぉーーーー!」
この一杯の為に生きている、と言わんばかりにジョッキを机に叩きつけた。
ブドウ酒ならこうは行かない。あれは小さなコップに注がれた液体をちびちび、恐る恐る、といった感じで喉に流れるだけで楽しむとまでは行かない。というか、注文する前に財布の中身を確認しなければならない。
それがどうだ! この謎のリンゴ酒はジョッキ一杯で二Rと薄給の財布に大変優しい価格設定だ。季節によってリンゴから別の果実に変わるらしいが、それも密かな楽しみである。
先ずは駆けつけ三杯――とまでは行かないものの、ナンシーは立て続けに二杯のジョッキを飲み干した。
ナンシーの飲みっぷりに誰も茶々を入れてこない。
「はい、セットの料理。鶏の焼き盛り合わせ」
出された鉄板には鶏の各種部位のぶつ切りを胡椒の味付けで焼いたのが山のように載せられていた。女性一人だと厳しいかもしれないが、そこは軍上がりのナンシーからすれば軽くたいあげれる量だ。
ササミをフォークでブスリと突き刺し、それを口へ放り込む。
マナーのなってない食べ方ではあるが、知ったことではない。第一、マナーを求めるような店ではないし、その手のうるさ型の客がやってくる店でもない。
周囲の目が気にならない訳ではないが、今は胸の奥底から噴出しそうになる怒りを押さえ込むことに必死なのだ。
今度は胸肉を口に放り込む。胡椒がピリリと利いており、お酒にピッタリだ。
やはり鶏肉は胸に限る。中にはモモのジューシーさを求める人間もいるらしいが――好みは人それぞれとしても――肉に脂を求めてはいけない。肉は肉だ。決して脂ではない。赤身を食べてこそ、肉を食べた気になる。
肉を口に放り込んでは酒で流し込む。この一連の作業を続けていると、五杯目のジョッキも空になってしまった。
「マスター、同じものをもう一杯!」
「良いけど……いつもよりピッチが早くないかい?」
いくら安いと言っても数を頼めば値段も上がる。ナンシーは週二回のペースで店に通う常連客なので財布の中身は大体の予想がつく。普段なら予算オーバーで財布の中身を恐ろしい目で睨んでいる頃合だ。
それ以上に店を持つ身としては、彼女の身も心配だが吐かれたり、お金が払えなくなった場合の方が心配である。一応、汚された場合は清掃費を取り、足りない場合はツケなどが利かずキッチリと取り立てている。
「大丈夫ですよ~、お給料も出たところだから財布の中は潤ってますから~」
「まあ、それなら良いけど」
マスターはジョッキに新しい酒を注ぎ、ナンシーの前に置いた。
それを一気に傾ける。
「ゴク、ゴク、ゴク……むっはー……ひっく……ちくしょー、あたしが何をしたっていうんだよぉ~」
ぼやきながら、胸肉を親の敵のようにフォークで何度も突き刺していく。
周囲に暗澹たる気配を振り撒く、質の悪い酔っ払いだ。
「キャロル君は、何か嫌な事でもあったのかい?」
マスターが優しい声色で語りかける。
「嫌なことー? ありました、ありましたよー」
だからどうした、と言わんばかりに怒りとも採れるような曖昧な笑みを浮かべ、鶏肉への攻撃を止めない。
上司と同僚の言葉も酷かったが、それ以上に酷いものが彼女の手元に届いた。
この男となら結婚しても良いかなー、と考えていた第二学校に勤める年下の恋人から、
『あー……今日、君の……その境遇に対して知り合いから連絡を受けた。……申し訳ないけど、今日から一人……いや、最近会ってないし、良い機会だから他人同士に戻ろうか?』
――と、今度顔を合わせば確実に前歯を無くしてやろうと決意する内容が書かれた手紙が家のポストに入っていたのである。
火の粉が自分の身に降りかからないようにと、こういう行動に出たのであろうが、最悪には変わりない。何より、自分が確実に処罰されるということが前提になっていることも許せない。
そんな腐った了見をする男などこちらからお断りだ。
とりあえず別れることを決めた男のことよりも、もっと深刻な問題が有ったことを思い出した。
ナンシーは酔い醒ましにと水を飲み込んでいく。ここからは酔っ払いではなく素面で話し合わなければいけない奴だ。
「……ねぇ、マスター」
「はい?」
「マスターって、裏にあるハンターギルドの偉い人なんでしょ?」
「まあね。……と言っても、今は半分引退している状態で相談役みたいな立場だけど」
酒場のマスター――改め、エリザにあるハンターギルドを取り仕切る立場にいるレキ・シトンは頷いた。
「じゃあさ、どうしてこの街には登録している人間が居ないわけ? 野外学習の護衛を頼もうとしたら断わられたんだけど……」
仕事帰りにギルドに寄り、野外学習で人を借りようと話に行ったのだが、ギルド側から貸し出せるような人材が居ないと言われたのだ。
「登録している人が居ない訳じゃないよ。ただ、今は居ないだけさ」
シトンの遠まわしな言い方に、ナンシーは首を傾げてみせる。
「今は居ない? それはどういう意味?」
「んー……そうだねー……上手くは言えないんだけど……」
と、シトンはグラスをテーブル上に置いて、
「ギルドに登録しているからといって、余所の商会みたいに常に雇用している状態(正社員)という事ではない。それはギルドが、何かしらの理由で人手が足りないから募集する、という状態になった相手に代わって人を紹介・派遣しているからだ」
「それは知ってます」
「ギルドには常に働く人がいない。街に人手が余っていれば、ギルドにそうした仕事は依頼されない」
「……つまり?」
「ギルドに仕事がないから、それを求める人が集まらない。今は街の人口が増えているからね、仕事は徐々に増えてきているけど、それ以上に人が余っている。だから、ギルドを通さなくても人が来るんだよ」
自前で人を集められるのであれば、仲介料が必要になるギルドを通す必要性はない。ギルドも仕事が無ければ、人を集める必要が無い。
今のエリザは人材の供給過多状態にあり、多少安い賃金でもその仕事に人が群がってくるのだ。
つまり、ギルドは開店休業状態である。
そうは言っても、ギルドの人材だからこそこなせる仕事は必ずある。月に何件かはそうした仕事が舞い込んでくる。それを狙っている人間もいるはずだ。
「それでもお金に困っている人が居るじゃないですか。そういう人たちは何処に?」
「そういう人間は余所に行ったよ。今は北のほうで隣国が戦争をやってるじゃないか。傭兵稼業は危険だけど、士気を高める為にお給料も良いからねー。実力者はそっちに周っちゃったの。残っているのはヤル気だけの人間ばかり」
「なるほど……」
現在、エレンシアにある北の国、クロスハートとクリッツェン・セインツィア連合軍が戦争を行っている。
クロスハートは徴兵制による自前の軍隊を持っているが、連合軍側――特に宗教国を名乗っていたセインツィア教国には治安維持に必要な最低限の人材しか揃っていなかったので、金を払う揃える傭兵が中心母体だ。
現在、約三万人ほどの傭兵が雇われている。
「……あそこ、傭兵を雇う金はどうしたんですかね?」
「お布施でしょ。在るかどうかも分からない天国だとか、来世に向けての徳を積む為だとか喧伝して、信徒から金を巻き上げているじゃないか。浄財だとか言ってるらしいけど、実際は巫女や司祭たちの交遊費に費やされるだけだろうけどさ」
信徒の数は号して一億人。仮にその信徒一人から銅貨一枚ずつお布施されたとしたら一億R。金貨に換算すれば一万枚にもなる。
もっとも、銀月大陸の総人口は三億ほど。その内、普人族が占める割合は四分の一の八〇〇〇万人ほどなので信徒の数は眉唾物だ。
一応、そんな教国が擁する宗教団体は、大陸最大の宗教団体でもあったので、巫女による聖戦を宣言した為に大陸中から義勇兵が参戦しているので、質はともかく数は揃いつつあるらしい。
「まぁ、余所の国の事は放って置くとして問題なのは……」
「ギルドには子供の安全を保障できるような信頼できる人がいないってこと」
ギルドに登録していた多くのハンターたちが傭兵として雇われた為に、各地のギルドでは人材の空いた穴を埋めるべく、余所のハンターの呼び込みが行われていた。
ちなみに戦地から遠いエリザでは、ハンターが余所に引き抜かれる立場だ。
残っているのは新人か、余り信頼できない三流ハンターばかりであり、子供たちの安全に関わるような大事な仕事を紹介できる人材がいないのであった。
「マスターの伝手でどうにかなりませんかね? 報酬のほうは精一杯勉強させていただきますので……」
これは、あの二人の安全がどうのこうのという訳ではなく、他の生徒たちの安全にも関わる重大な問題だ。
野外学習は余所の学校との兼ね合いもあるので簡単に延期が出来ない。最悪の場合は野外学習そのものを中止しなければならない。そんな事になれば、楽しみにしている子供たちが悲しみ、可哀想になる。
「そうは言われても……。その野外学習はいつなの?」
「えっと、三週間後――黒の月の十二日、光曜日に出発する三泊四日の日程です。事前協議に二日ほど時間を頂きたいですし、行き先の下見も行って欲しいですから……」
出発まで三週間。こちらに来て、直ぐに出発という訳にも行かない。彼らの準備にも時間が必要になるだろうし、休息も必要だ。
「となると、会議・休息・下見・準備に最低でも一週間ほどの時間が必要になるね。……う~ん、全てを最速にこなすとして、連絡・交渉に二日。それから六日以内に街にやってこれる人じゃないと無理か……」
シトンは腕を組んで、伝手の中で条件に合いそうな人材を探し出す。
ギルドマスターたるシトンにも伝手がない訳ではないが、難しい条件と時間の制約上、頼れる人間の名前が出てこない。
個人だと何名か思い浮かぶのだが、護衛という目的ならば集団を統率する能力や万が一に備えてのチームプレーが必要となる。そうなると日頃からチームで動いている集団の方が良いだろう。
しかし、これが難しかった。
元々、エリザ周辺を拠点とするハンターは個人もしくはペアで動いていることの方が多く、集団を必要とする依頼がある場合は、その都度、仲の良いハンター同士でチームを組む事が多かった。
普段から一緒に仕事をしていない人間同士がチームを組むのだ。その上、護衛という仕事は神経を使い、精神を消費する。ましてや、今回の護衛対象が子供というのも人選を難航させていた。
「……無理ですかね?」
「子供の相手が出来るという条件が必須だからねぇ~。一番頼りになる妖精チームは傭兵でいないし、三つのワンダーは修行中……」
一番手っ取り早いのは丘の上にある屋敷にいるメイド集団の一部を借りる事なのだが、彼女たちを動かす大義名分が無い。
これが、件の子供たちがテロリストにでも狙われているというのなら、王女である領主に火の粉が振りかからないようにするという理由で動かす事が出来るのだろうが、ただ街の外に出るというだけでは理由が弱すぎる。
シトン自身が動くというのも悪い手ではないが、既に一線から退き、六十を目前にして体力・技術の下落を自覚しているので、全ての子供たちの面倒を見るというのは不可能な話だ。
人格は抜きにして、実力に申し分ない人間が、最低でもあと三人ぐらいは欲しい。
余所のギルドに応援を頼むか? しかし、それをするには多額の金が必要となる。それを学校が用意できるとは思えない。
断わるべきか? うん、断わった方が……、
「……ああ、そう言えば」
都合のつきそうな名前が頭の中をよぎった。
実力はピカイチ、子供たちを相手にするのは……どうなるか分からない。問題はその人物を動かす事による余波が、どのように拡散されるのか予測がつかない。
もしかしたら最悪の結果を呼び込むこともありえる。諸刃の剣だ。
「どうですか? 誰か心当たりのある方が?」
「……とりあえず一名ほど。一応、連絡は取ってみるよ」
「そうですか! いやー、流石はギルドマスター! 頼んでよかったです!」
ナンシーはマスターの手を握り、ぶんぶん、と上下に揺らした。
「まだ確定のランプが点いたわけじゃないけどね」
「それでも今日のところは良いんです! とりあえず、少しでも実りのある話を校長に伝えられるだけマシですから」
何も決まらないまま一夜を過ごすよりは良い。明日、校長にネチネチとお小言を言われなくて済むことも素晴らしい。
安心すると喉が渇いてきた。
ここは酒場だ。頼むべきはただ一つ。
「マスター、もう一杯!」
「もう止めときなさいな……」
こうして一人の酔っ払いが産声を上げるのだった。
翌朝、凄まじい頭痛と吐き気、体の気だるさにさいなまれる事を彼女は知るよしもなかったのである。
今年もよろしくお願いします。