#003 彼はやっぱり彼だった
皆が対策本部のテント内に集まっていた頃、リディアはまだ自分の執務室にいた。
そこにはノートを胸に抱えたリオとラウラの姿もあった。そして、部屋の片隅に頭を抱えて縮こまっている侍従隊の大隊長の姿もあった。
「リディア……ちゃん?」
リオは弱々しい声でリディアに呼びかける。
「…………」
なぜか無表情。
驚きなのか、怒りなのか、それとも別の感情なのか、こちら側に伝わってくる感情が乏しくて上手く読み取れない。
まさかの『氷の王女様』降臨である。
怖すぎて、トイレで出してきたばかりなのにお小水が漏れ出しそうになる。
「あ、あの……リディアちゃん。こ、これはその……」
とんとんとん。
苛立たしげに机を指で叩く。
「ひぐっ!? ……きゅぅ~~……」
種族としての性なのか、それとも本人の性質によるものなのか、人一倍、小心者であるラウラがリディアから発せられる迫力にあてられ、立ったまま気絶した。
その様子を見て、リオは「裏切り者!」と小さく年上の妹分をヤジった。
対して、リディアはラウラの気絶を気にせず、視線の矛先をリオに狙い定めた。
「リオ」
「にゃ、にゃに!」
睨まれた方は溜まったものではない。リオの表情は引きつっていた。
「説明」
「ふぇっ?」
「説明、してください」
「え、えっと……説明と言われても……」
「説明、してくれるんですよね?」
問いかけるような口調になったものの、リディアの迫力は増すばかりである。
怒るなら、怒ってほしい。
怒鳴るなら、怒鳴ってほしい。
無表情で居られるよりは、そちらの方が何倍もマシだった。
しかし、リオの望みは叶いそうにもなかった。リディアの表情からますます感情の色が消え去っていく。
『氷の王女様』改め、『純氷の王女様』の誕生であった。
そんな『純氷の王女様』は、リオにズンズンと顔を近づけていき、
「つぶさに、事細かく、何一つ省くことなく、微細に至るまで」
少しでも動けば鼻と鼻がくっつきそうになる、互いの息遣いが感じ取れる距離にまで接近した。
これが遊びの『にらめっこ』ならどんなに良かった事か。今、少しでも笑えば、確実に生命の危機に繋がりかねない。
リオは必死に足を踏ん張り、目尻に涙を浮かべながら、リディアを見つめ返す。
「ふぇ……そ、そんなには無理……」
リディアはその返答を良しとせず、迫力のギアを一段から高めた。
その迫力に、頭上の耳は降参の態度を示し、恐怖から尻尾を股の間にいれる。それでも、リディアは許してはくれなかった。
「説明、してくれますよね?」
「うぇ……」
本気で泣きたくなってきた。
というか、リディアが何故ここまで怒っているのかが自分には分からなかった。今回の行動は純粋な善意から行ったものである。『褒めてもらえるかもしれない』という下心はあったにせよ、自分の行動が友人の助けに繋がると信じていたのだ。
ただ、幼いリオとラウラには『善意という名の悪意』という言葉を知らなかったのが原因なのかもしれない。
いや、もう少し、あとほんの少しだけ、リオが魔力に敏感でいたら、自分の抱えたノートから発せられる暗黒っぽい魔力を感じ取れたかもしれない。
「リオ。この場で隠し事は許されませんよ」
この時、リオは先に脱落したラウラを怨み、そして羨ましく思った。
自分達の前に居るのは聖女でもなく、王女でもなく、また日頃、自分達の遊び相手になってくれる優しいお姉ちゃんでもない。
今の彼女は優しい姉ではなく、こちらの生殺与奪を握った悪鬼羅刹なのだ。
そしてこれと同じような恐怖体験をするのは二度目である。
最初の体験は、大好きなパパに不用意に突進し(抱きつき)、その拍子にパパが大事にしていた瓶の中身を床にぶちまけてしまった時以来だ。
泣きながら何度謝っても許してもらえず、優しいお姉ちゃんが介入してくるまで延々と説教が続いた時と同じようなプレッシャーをリディアはかけてくる。
リオは恐怖にお小水をちびりそうになりながらも、簡潔で伝わりやすい説明を頭の中で考えていく。
ついでに自分達にノートを託した男に怨みの言葉を吐く。
(うぅ……パパのうそつき……)
リオはゆっくりとリディアに説明を始めた。
対策本部のテント内にリディアと侍従隊・大隊長のロロットも合流した。
アヤコは一般人と同じ待遇なので会議に参加する資格がなく、また、魔物退治の旅に出ている剣と槍の金髪コンビを除けば、屋敷に滞在する責任者全員集合となった。
しかし、机の中心に重ねられた五冊のノートよりも、放心状態で天井から吊るされている二つのミノムシに皆の視線が集まる。
ミノムシの正体は、体に縄をグルグルに巻かれたリオとラウラだ。
リオの実母であり、ラウラの義母であるセディアも心配そうに我が子を見つめるのだが、助けようという気力が湧いてこない。
その理由は上座に座るリディアの存在にあった。
「…………」
やはり無表情。
怖すぎて、誰も口を開こうとしない。
「あの、リディアさ……」
それでもセディアは意を決し、娘二人をあのような格好にした下手人であるリディアに説明を願い出ようとするが、
「…………」
じろり。
それだけでセディアは『蛇に睨まれた蛙』の状態に陥った。開いていた口を閉じると、徐々にリディアの視線から逃れるように顔を背けていく。
娘は最後まで頑張ったが、母はあっさりと逃げた。
実に対照的な親子だった。
「セディアさん」
「は、はい!」
「号令」
「えっ? ごうれい?」
「号令、してください」
「え、えっと……号令と言われましても……」
会議などを始める際に行われる号令は、秘書官であるセディアの役目になることが多いのだが、彼女は場の雰囲気に飲み込まれて、そのことが頭の中からスッポリと抜け落ちていた。
しかし、リディアはそんな彼女の不手際を叱責することなく、自分で進めることにした。今は僅かな時間でも惜しいのだ。
「では、私が行います。これから話し合うのは我々、身内の問題だけで済む話ではありません。対応を一つでも誤れば、エレンシアという国家の存亡の危機に関わるという事を肝に銘じておいてください」
リディアはそこで一旦、言葉を区切った。
自分の台詞が彼女達の中に浸透する事を待った。
案の定というべきか、集まったメンバーは全員が唖然としており、誰一人、自分の話を信用していないと思われる。
それはそうだろう。何よりも自分が一番信用していなかった。
もしかしたら、今日が最後の日になるかもしれないなんて。
(それでも……お父様よりも信用できるんですよねぇ~)
彼がやった事なので、自分の父親よりも信頼度が高かった。今回も、上手く事が運べば、自分達の力になってくれるはずだ。……たぶん。是非、そうであって欲しい。
自分が道化になる可能性もなきにしもあらずだが、たぶん、大丈夫だ。
(……駄目だった場合は、蹴り上げよう)
『何処を』とは宣言しないが、運良く再会した暁には抱擁の前に蹴り上げると心に誓うのだった。
三分ほど沈黙が続いた後、まず再稼動を果したのが相談役のシエナだった。
「……話が大きすぎてイマイチ飲み込めていないのですが、問題となっているのが、これらの本という訳でよろしいのですね?」
「はい。おおよその想像はついていると思われますが、このノートの製作者はあのコウさんです。以前の爆発騒動の比ではありません。『がお~』の再来だと思ってください」
「やっぱり……」と誰かの口から漏れる。
「それで、そのノートはどういうものなのですか?」
「中身は不明です。それとこれが世に出てきたのは私の不注意でもありますので、天井のミノムシさん達を怨まないでやってください」
『いや、そのミノムシが謎なんだけど……』と、ここにいる全員の心が一致する。
天井からぶら下っている二人のミノムシは、放心状態で気絶しているのか、こちらに何かを訴える気配は無く、ぷら~んぷら~ん、と浮かんでいるだけだった。
数少ない友人をああいう目に合わせるのは、やっぱりあの男の影響なんだよなー、となんちゃって忍者は他人事のように思った。
「話を戻しますと、ノートの解読作業や禁書指定などは後回しです」
「では、なにをするのですか?」
「リオの話によりますと、ノートを開く為には二つの解除作業が必要のようです。これは王城や古都の国立図書館にある禁書庫に保管されている本と同じなのですが……」
通常、禁書や重要指定された本には、悪用やイタズラなどを恐れて二つ、三つの封印が施されている。なので、本を読むためにはそれらを解除しなければならない。
この場合、金庫の鍵が二つあると同じ風に考えればよい。
そして、二つある封印のうち、一つはリオとラウラの手によって解かれていた。
「既に封印の一つが解かれています」
マドレーヌは腕を組んで、うーん、と唸る。
「……そうなりますと、もう一つの封印を早めに解除しなければなりませんね。中途半端に封印が解けた状態が一番危険な訳ですから……」
「多くの場合は次の解除をするまでの時間設定が施されていますので、解除チームを組むなどをせずに、わたくしがその作業を受けましょうか? 最悪の場合は、申し訳ありませんがリディア様のお手をお借りする事になりますが」
皆の予想通り、魔法解除系を得意としているクリスティーネが手を上げた。
少し想定していた予定とは違うが、時間が指定されている以上、まずはクリスティーネが試し、それでもダメだった場合はリディアが解除する、という流れになるだろう。
時間があれば、侍従隊の中から専門家チームを組む事が出来るだろうし、リディアの手を煩わせることも無かっただろう。
一応、クリスティーネが全力を尽くしたが無理だった、という名聞が立つことになるので、世間的――相手は身内になるが――な説明も容易になる。
クリスティーネに期待の目が向けられる中、二人だけ別の感情の視線を向けていた。
一人はリディアで、相変わらず感情が読めないでいる。そしてもう一人が、エリザにいる侍従隊の最高責任者である『なんちゃって忍者』こと、ロロットだ。
ロロットはクリスティーネに哀れみに似た視線を送っていた。
当のクリスティーネもその視線に気づき、
「大隊長。その目はなんなのですの?」
――と、年下の大隊長を相手にジロリと睨む。
嫉妬の感情を含んでいたのなら意味が分かるのだが、今回の場合は生贄に指名された哀れな子羊を見るような目をしていたので、どういう意味なのかが分からなかった。
ロロットは溜息を吐き、改めて、先ほどと同じ瞳をクリスティーネに向けた。
「う~~む……その、辞退した方がいいでござるよ?」
「それはわたくしの能力を疑っているという意味から来ているのですか?」
余りの物言いに、クリスティーネの目じりはつりあがった。
「いや、それは邪推でござる。拙者はクリス殿の能力を疑ったことはござらんよ。ただ、今回ばかりは相性が悪すぎるでござる」
「どういう意味ですの?」
「クリス殿は素直すぎて、ひねくれ者のシラサギ殿の罠を突破できぬでござる。これはお主の上司としての立場ではなく、同じ職場で働く一人の女としての助言でござる」
相手の言い方に、少しばかりカチンと来る。
「それを世間では、信じていないというのですわ!」
「この分からず屋! だから十一回もお見合いに失敗するでござる……ッ!」
「……にゃにゅおッ!? ……ふん。ござる娘の方こそ、この間も自分の元小隊の暴走を許したへっぽこのクセに……ッ! 助言なんて、ちゃんちゃら可笑しいですわ!」
どちらも触れてはいけない心の闇を切り裂いてしまい、頭に血が上ってしまった。二人は同時に椅子を蹴倒すように立ち上がり、譲り合わない。
両者の間で火花が飛び散る(比喩にあらず)。
「はいはい、二人のいがみ合いはそこまでです。ほら、ここで止まっておかないと、リディア様が見ているんですよ? お給料に響きますよ。良いんですか~、具体的には『〇』という数字が並んじゃうかも知れないんですよ~。……あ、税金の欄はちゃんと計上しますからね」
セディアのお給料を人質にした言い方はどうでも良かったが、彼女の横に座るリディアから発せられる怒気を感じ取り、二人はリディアの視線から逃れつつ、静かに自分の席に座ろ……として、後ろへと無様に転げまわった。
「い、痛い……び、尾てい骨が……」
「こ、後頭部と腰を打ったでごじゃる……」
両者とも、先ほど自分の椅子を倒していたことを忘れていたのである。
お尻と後頭部を押さえ、痛みに耐える両者の姿は、実に情けないものだ。
「…………」
「…………」
室内に微妙な沈黙と空気が流れ始めた。
二人は腰を押さえつつ、なんとか椅子に座りなおす。
「……コホン。ん、まあ、なんですか、ロロットの言い方が悪かったのは確かですが、クリスも頭に血が上りすぎです」
それを見届けたリディアは、場の空気を入れなおすことにした。
「……はい、申し訳ありません。ロロットさん、ごめんなさいね」
「……すまないでござるよ。こちらも悪かったでござる」
あとで小言を受けることになるだろうが、この場のやり取りは終わり。
予期しない喧嘩を見守っていた全員が背筋を伸ばし始める。今のやり取りは、あくまで本番前のお遊びとして受け取っておこう。本命はこれからなのだ。
給仕係が、気分転換を兼ねた新しい紅茶を皆のカップに淹れていく。
リディアはノートを手で示しつつ、
「さて、ロロットの述べた意見が、どういう意味なのかを説明する為に……ロロット」
「はい、でござる」
「あなたが試して、その様子を皆さんに見てもらいましょう。論より証拠、一度、自分の目で見てもらった方が理解も早いでしょうし」
ロロットは口直しに飲んでいた紅茶のカップを置いて、わずかに深呼吸。
そして、清々しいまでの満面の笑みで告げた。
「嫌、でござる」
キッパリと断言した。
ハッキリとした、問答無用の拒否だった。
「…………」
やり取りをしている当人達を除いた全員の顔がやや強張っていた。
リディアは、コホン、と咳払いしつつ、朗らかにもう一度言う。
「試してもらえません?」
ロロットはまたも満面の笑顔で告げる。
「却下、でござる」
「ロロット、やりなさい」
リディアは、一転して真剣な表情を浮かべる。
「否定、でござる」
「やれッ!!」
とりあえず、叫んでみた模様。
「無理ッ!!」
こちらも、叫び返した模様。トドメの一言に、リディアが崩れ落ちた。
周りの人間は置いてけぼり状態だ。二人のやり取りの意味が分からないし、ロロットがここまで拒絶する意味も分からない。命令拒否は重罪だ。いや、お願いしている状態だから、罪にはならないかもしれないが、心象は悪くなるだろう。
リディアの機嫌が再び悪くなる前になんとかしないといけない、という気持ちが周囲の行動をうながしていく。
「な、なぁ、ロロット。どうして、そこまで拒否するんだ? リディア様が困っているだろ? 私たちは主の手足なんだぞ? その手足が頭からの命令を無視してどうなる?」
「そうですわ、ロロットさん。何もそこまで拒絶しなくてもよろしいのでは?」
マドレーヌやクリスティーネが問うた。
ただ試すだけである。確かに怖い気持ちは理解できるが、そこまで全力で拒絶する必要はないはずだ。
リディアの台詞から察するに、ロロットは一度体験しており、そして命に別状はないと見える。ならば、試しにやってみせるのは、さほど悪くない案だ。
しかし、ロロットはそうは思っていない。
「ならば、お主がやってみればよろしいかと。なに、簡単でござる。ノートの上に手を置いて、『助けて、お父さん』と宣言すれば良いでござる。……拙者はもう、こりごりでござるよ……」
「お、おう……」
先ほど浮かべていた清々しい笑顔とは正反対、生力がまったく感じ取れることが無い、痛々しい笑みを浮かべたロロットの迫力に押されて、マドレーヌは言われたとおり、ノートの一番上に手を置き、
「助けて、お父さん」
と、小さな声で宣言した。
何が起こるのかと、全員が固唾を呑んで見守る。
「…………」
「…………」
『…………。…………。』
何も起こらず、はがゆく、もどかしい時間が三分ほど続いたころだろうか、焦れたマドレーヌはノートの上から手を退ける。
すると変化が起きた。
「な、なに……ッ!?」
「なんですの……ッ!?」
一番上のノートがパラパラと開き始め、強い光を周囲に走らせ、スモーク効果まで発生しはじめたではないか。無駄に凝った演出だ。
ノートの動きが止まると、場の雰囲気が最高潮に達したのか、
『他人が呼ぶ、嫁が呼ぶ、娘が呼ぶ! 「パパ、助けて」と俺を呼ぶ。聞け、嫁と娘たち! 俺はパパの仮身、人工精霊ヒメジ・ルージュ!!』
――と、明らかにヤル気の無い棒読み口調で高らかと宣言しながら、ノートの中央からコスプレ――アルバートの皇太子の服を身に纏い、ヒゲめがねを装着し、右手にはお玉、左手にはフライパンを装備。そして黒いドラゴンに跨った、八分の一サイズな上に偽名で詐称しているが――白鷺紅、その人が浮かび上がってきた。
(……ああ、彼はやっぱり彼だった)
良くも悪くも、全員の心が一致するのだった。
前ふり終了
9/8 精霊の名前を変えました