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勇者の活躍(?)の裏側で生活してます・後日譚  作者: ぞみんご
第二章 進撃のキツネとウサギ ……あと金髪
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#020 ギャラルホルンは鳴った……? ④


 アルバートと老人は馬車から五〇メートルほど離れた場所へとやってきた。その間、アルバートと老人の間には会話が一言も発生せず、お互いにただひたすら足を動かすだけであった。


 先に足が止まったのは老人の方だった。


 そこは残ったメンバーからの視線が馬車によって遮られるギリギリの地点。彼は足が止まるなり、その場で片膝をつき、臣下が主君に忠誠を誓うかのごとく、頭を下げた。


「……貴殿にそのような態度を取られるような関係ではないと思うが?」


 相応の地位にいる人物が膝をつく相手とは、自らが仕える主君とその家族に限られる。いくら相手の国の方が地位が高くとも、決して執って・執らせてよい行動ではない。


 ましてや、彼は『元帥』と言う軍部の最高の地位についていた人物である。酒の席で、酒が入った上での余興だとしても質が悪すぎである。これを誰かに見られでもすれば国際問題に発展する。


 特に老人の祖国はプライドだの、面子(めんつ)だのと、形式的で実質的内容を伴わない個人の名誉をとても気にするお国柄。国民は素直で純粋な人間(バカ)が多いのだが、上に行けば行くほど付き合うのが面倒くさくなるという厄介な国なのだ。


 老人は地面を見つめたまま、


「陛下の寛大な御心に感謝を示すしだいであります」


 と述べて、より深く頭を下げた。


「そこまで大層なことをした覚えは無いな。第一、今の私はキミが思っている人物ではなく、ただの身分詐称未満のオッサンに過ぎない」


 アルバートは振り返り、老人を冷めた目で見下ろした。


「それとも何かね? キミは自らの行動により、こちらをわざと貶めようとしているのかね? それでは先ほどの青年の言葉と正反対ではないか」


「そのような邪念は毛頭ございませぬ」


 老人は微動だにせず、ひたすら地面から視線を外さない。


 風に向ってしゃべる――とはこういうものなのか、とアルバートは微妙な知識が一つ増えたことに自嘲的な笑みを浮かべる。


 周囲に視線を向けると、自分たちを中心にした四方にゆらぎのようなものを見て取れる。周りの景色が少しばかりぼやけて見えるようになっていた。


 どうやら仕掛け(こざいく)は出来上がっているようだ。


 アルバートは鋭く冷たかった瞳をやめ、のんびりとした瞳に戻す。


「そろそろ寸劇を終わりにしてもいいかな?」


「……そのようですな」


 アルバートの言葉に頷き、老人は顔を上げた。


「お手を煩わせたようで」


「あれぐらいは構わない。……しかし、貴殿があのような態度を見せつけなければならないほど、事態は逼迫していると考えてもよろしいのかね?」


 こちらを見ているような視線を感じなければ、察知できる範囲に怪しい気配はない。しかし、超々長距離から覗きみることが得意な人間もいる。


 この場合、老人たちはこちらの庇護下に入った、もしくは、庇護下に入るのかもしれない、という疑念を抱かせるためのものだ。


 膝をつくという表現は少々大げさすぎるのだが、もしかしたら、相手に釘を刺すぐらいにはちょうど良かったのかもしれない。


 今はラピスが張った結界があるので盗み聞きや覗き見はおろか、精霊の目すら誤魔化せているだろう。内緒話をするにはもってこいの環境だ。


「追っ手があるとは思えませぬが、状況が状況ですので」


「状況か……それは大変だ」


 そう言いながら、アルバートは膝についた土を払いのけ、立ち上がろうとする老人に手を差し伸べる。


 老人は、礼を述べ、その手を掴みながら立ち上がった。


「改めてご挨拶させていただきます。ラーチェル聖王国……に住んでいたガリレオ・グラ……いえ、ガリレオ・テシオと名乗る、今は流浪を続ける老人ですな」


 そう名乗った老人は、最後に笑みを浮かべ杖の中心部で手の平をパシンと叩いた。


 アルバートも脳内にあるデータベースを検索する。


 ラーチェル聖王国。


 エレンシアの北部に隣接するナスカ砂漠内にある小さな国で、領土の面積はエリザよりも小さかった。


 セインツェア教国を盟主とする軍事同盟に加盟している衛星国家の一つ。


 交易路の要地として、ひいてはナスカ砂漠で隔てられた西と東を繋ぐ中継地(オアシス)として栄えてきた都市国家。


 周囲が砂漠に囲まれ、そこに強力な魔物が生息しているという過酷な環境の所為か、武道――主に大剣術――と魔法を基盤とした独自の文化を発展させており、多数の優れた武人を輩出している。


 目の前の人物は、その中でも特に有名な武人だ。


「『ラーチェルにこの人あり』と称えられた、テシオ卿のご高名はここまで聞き及ぶほどのものです……が、貴殿らがここにやってきた理由をご説明していただこう」


 いやその前に、とアルバートは(かぶり)をふり、老人を見据えた。


「貴殿らは我が国に安寧を求めて亡命を望むのか、それとも、祖国奪還を宿願とする為に亡命を望んできているのか。まずは、これらの回答をして頂きたい」


「そのどちらでもございませぬ。もう一つ、付け加えさせて頂けるのならば、別の土地に逃げる続ける為の助力を願うものでもありませぬ」


「では、何が目的で我が国に?」


「そうですな……」


 老人は空を仰ぎながら、杖の先で地面を数度叩いた。


「一言で申し上げれば、『解放』のためですかな」


 ちらりと馬車――その先にいる二人組へと目を向けた。


「陛下はあのお二人を御覧になられて、何か疑問……いえ、何ともいえない怪しさを抱きませんでしたか?」


「珍妙な顔をもつ二人のことかね? ならば、質問を質問で返すようで申し訳ないが、彼らは貴殿が忠誠を誓っていた一族の者たちかね?」


「まずはこちらの質問にお答え願えますかな」


 有無言わさぬ老人の迫力にアルバートは面を食らった。


 こちらを国王と知っていた上での言動だ。これでもし、アルバートに不興を買われでもすれば、意地の悪い人間ならここで会話が終了したも同然である。そうなれば、彼らの逃避行はここで終わることになるだろう。


(……それとも、わざと怒らせるとか? ……いやいや、ここで危ない橋を渡る理由はないはずだ。ならば、本当に質問に答えて欲しいだけとか? それでこちらの同情なり、なんなりかを買おうとしているのか?)


 頭の中でめまぐるしく計算が行われる。


(……隠されている情報をこちらが邪推することで共犯者に仕立てあげるとか? 流石に理論が明後日の方角に飛びすぎているな。結界を張り、会話をしている時点で共犯関係を築こうとしているようなものだろう)


 想像したところで相手の真意は分からない。


 内心で自嘲気味に深い溜息を吐く。


(……どうも調子が出ないなー。交渉に臨むだけの情報が足りていなければ、精神の統一も図れていない。王宮の執務室とは言わないが、せめて、室内で椅子に座った状態ならば話も変わるのだが……。無いもの強請りに、出たとこ勝負。こちらの状況として不利なものが二つも重なった状態だな)


 これでご褒美でもあれば頑張れる気もするのだが、それをくれる相手がいない。


 アルバートは短い時間ながら豚顔二人を眺めていたときの情景を頭に思い浮べる。


 身にまとう服は一流の物と称して差し支えの無いもの。豚顔の人間が身に纏っているものとしては違和感がないわけでもないが、獣人族出身の貴族や王族は存在しているので、絶対的なものではない。


 言葉遣いや所作については、アルバート自身の目と耳で確認できていないので判断のしようがない。それ以上に顔のインパクトが強すぎて他に不審な点は見当たらなかった。


 唯一、と称して良いのかは不明だが、獣人族のリオとラウラが二人に対して敵愾心を隠さずに表に出していた。


 あれによく似た行動を何度か目撃したことがある。


(……確か、仮装舞踏会で猫耳族に扮した普人族の男が、その猫耳族の集団に詰め寄られていた時に似ていたな)


 お忍びで参加した他種族に仮装することを趣旨としたパーティー会場で起こったことで、猫顔の被り物をしていた普人族の貴族が、同じ貴族の猫耳族や他の獣人族からつるし上げのように攻撃を受けていた。


 騒動となった原因は被り物の精巧さにあった。


 彫刻にせよ、絵画にせよ、人形にせよ、ありとあらゆる芸術分野では精巧さ、如何に実物(ほんもの)に近づけるかが評価の対象となっている。とはいえ、本物とまったく同じだけでは芸術家ごとの違いが出ない。そこで自らの芸術作品をアピールするために耳を長めにするなどの独自性(アレンジ)をいれるのだ。


 ところが、その時は加えられたアレンジが問題になった。


 精巧さを売りにしているのにそのアレンジによって猫耳族、ひいては獣人族全体のアイデンティティーを馬鹿にしている――と、最後はパーティー上でのシャレとして済まされなければ種族間紛争へと発展しかけていただろう。


 あの時の経験に照らし合わせればと、リオたちの敵意を向けた豚顔の二人組は獣人族のようで獣人族ではない何かを隠しているということだ。


「……あの二人は獣人族ではない、ということだな」


「何か根拠がおありですかな?」


「ない。しかし、野生のリスやキツネが野菜・果物の完熟サインを見逃さないように、獣人族もまた自分たちのアイデンティティーを(けが)そうとする者を見逃さない」


「逃げ回ってきた各地で獣人族の方々から敵視されてきた理由はそれでしたか……」


 その台詞に、なるほど、老人は諦観するようにうなずいた。


「ここまで来て隠し通すようなものでもありませんな。……お耳汚しになるかもしれませぬが、あの二人はラーチェル聖王国の第四六王子・オスカル殿下、第七六王女・アンジェラ殿下にございます」


「…………」


 説明されても元の顔が思い浮かばなかった。


 おそらく、一度ぐらいは顔合わせをしたことがあるはずだが、脳内のデータベースには彼らの名前すら登録されていなかった。


(……そもそも、小さな国のわりに王族の数が多すぎるのがいけない)


 ラーチェル聖王国は小さい国家を維持する為の手段として政略結婚を用いているので、王家の子供の数が例外的に多かった。


(……まぁ、ただの女好きの王が就いているためかも知れないが)


 処刑されたという王は七十過ぎの老齢ながらも新しい王妃を何人も迎えていた。死別や離婚なども含めれば三〇人ほど数えられ、産ませた子供の数は三桁に届くとか。


 エレンシアも婚姻の制度的には一夫多妻制を布いている。それは多種多様な種族を統治する上での止むを得ない処置。王家も次世代に確実に芽を残すために多くの妻を持つが、生まれてくる子供の数は多くても一〇人前後ぐらいに納まっている。


 そういう意味では、アルバートの子供が二人というのも反対に少なすぎるのだが。


「……アンジェラ殿下たちはセインツェアの枢機卿による外法の術によって、あのようなお姿に変えられたのです」


「外法の術?」


 聞き返すアルバートに、左様、と頷く老人。


「ワシはその場に居合わせたわけではありません。唯一、生き残った護衛のパオロの説明によれば、クーデターが成功された後、アンジェラ殿下の洗礼を行うために教国から派遣されてきたクライフ枢機卿なる人物がやったとか。オスカル殿下は実兄として洗礼の見届け人として立会い、巻き込まれたそうです」


「洗礼。……それはまた、クーデターが成功された後によくやるな」


 アルバートは自分のことではないのに頭を抱えそうになった。


 クーデターを起こしたのは自国の人間だが、それらを裏で支援したのは教国の人間だ。そんな人間を自分たちの懐に招き入れるとは、彼らに警戒心はないのだろうか。


「洗礼に関しましては、アンジェラ殿下本人というよりも、先王の側妃であられた母親が問題でしたので」


「……確か、貴国のしきたりだと成人している者の中で一番若い王子・王女が次の王になるのだったな」


 王の子供の数が多く、長子が継ぐとなれば王位の期間が短くなり、末端ともなれば生まれたばかりの赤ん坊となる。様々な意見がある中で生まれた折衷案が、成人した中で一番若い子供が次の王となっていた。


 成人していなければ王にはなれない。


 洗礼に関しては王の裁可が必要である。現在は空位なので、許可が下りないはずなのだが、なんらかのルールの抜け道をついたのだろう。


 危険がある中で、子供の安全よりも母親の執念(プライド)が勝った形なのかもしれない。


 アルバートが参加した王位継承レースの時も似たようなものだった。


 どちらかと言えば、アルバート本人は次期国王などには興味がなく、自分よりも能力が有った――と思われる――兄弟・姉妹が国王である父の跡を継げば良いと考えていた。しかし、六名いた王妃の中で序列が下から二番目だった母親がアルバートよりも継承に関して熱心だった。


 我が子を至高の玉座に座らせることで自分の価値を高めようとしたのだろう。


 アルバートは邪念をふり払うため頭を振ると、老人の目を見て疑問を口にする。


「……しかし、頭だけを豚に変えて意味があるのか?」


「旅の途中で出会った呪いを専門とする魔法使いによれば、『術の途中で邪魔が入ったせいでは』と聞かされました。その上で、最後まで術式が完成していれば家畜のブタとなんら変わりない姿になっていたであろうと。パオロを含め、護衛についていた者たちの決死の突撃が功を奏した、というべきですかな」


「それは……不幸中の幸いと言うべきかね?」


 老人の説明を聞き終え、アルバートは心底不思議そうに首を斜めに傾げた。


「……話は理解したが、何ゆえ我が国に足を踏み入れたのだ。先ほどは『解放』と申していたが、我が国は呪術の類に精通した人物はおらぬぞ? 無論、それなりの能力の持ち主はいるだろうが、貴殿の望みに適う人物はおらぬだろう」


 一般的に銀月大陸の呪術というものは、仕掛けられた側が一方的に不利益を被ることはない。特に今代の女神になってからは、必ず解除する手立てがあって、呪術が成立することになっている。


 そして、解除方法は基本的に一つだけ。


 呪術を成功する代償として設定された解除方法を成就すること、である。


 呪術の術式を破壊することでも解除は可能だが、成功率は低い上に、ほんの僅かな残滓でも残ってしまえば呪いは再び元に戻り、下手をすれば変質する恐れがある。


 また、術者本人を殺害したところで必ず解除されるとは限らない。とはいえ、解除の方法に術者や立ち合わせた者たちの殺害を指定する場合は多い。


 ちなみに、第三者の生命を解除方法に指定した場合はほぼ確実に呪術は失敗する。とある人物の趣味が入っていることもあるが、一命を課して成し遂げたいという感情が、難しい呪術を成功させる術となりやすいからだ。


 アルバートの見立てによると、人の姿を変えるような呪いの類いは術者の能力もさることながら、より高い代償を必要とするはずである。


(……解除方法としてポピュラーなのは『殺害』だ。術者や依頼者の生命を糧に呪術を施す場合が多いからな。……だが、テシオ卿がそれを心得ていないわけがない)


 老人の能力を鑑みれば、相手が巨大な集団の重鎮クラスの人物の命を絶つことくらいは容易いと思っている。老いたとはいえ、例え相手が堅牢な要塞に隠れていようと、そこに忍び込み、殺害するぐらいの能力は備えているはずだ。


 エレンシアに彼らがやって来たということは、エレンシアにその呪術の儀式に立ちあった人間がいる。もしくは、エレンシアに逃げ込んでいる人間がおり、その人物を探している道中、不運にもリオたちと遭遇してしまった――ということか。


(……私は経験が無いので事実がどうかは不明だが、呪術が成功したさいに掛けられた本人には解除方法が提示されるというが……)


 呪術の実験を行われ、その報告書に書いてあったことだ。


 天の啓示を受けるかのように、勝手にその者の頭へ情報が入ってくるらしい。そして、その情報を元に第三者が条件を達成しても、また、偶然に条件を満たした場合でも呪いは解けたという。


(……そうなると、護衛とはいえ集団で国境を越える理由がない、か)


 そもそも呪いを掛ける場合と違い、掛けられた呪いを解除する場合は基本的に当人は不要である(解除条件に当人が必要となった場合は除かれるが)。


 仮にエレンシア側に人がいたとしても、老人一人だけで動いたほうが目立ちにくいし、彼ならばエレンシアの有力な人物にわたりをつけることも可能だろう。


 お荷物を抱えれば抱えるほど目立つし、警戒されやすくもなる。


 無論、追っ手から逃れる為には老人の助力は必要なのだろうが、一年は無理でも一月ぐらいなら匿ってくれる人物はいるだろう。そこに預ければ良いだけの話だ。


(……いや、そもそも前提が違うのか。……そうかッ!?)


 アルバートにも天啓が下りてきた。


 これまで常識の範囲内で考えていた。――が、相手は常識では考えられない行動を取ってきている。大陸間を隔てる大洋を手作りイカダで横断するような無謀さにも似た行動には、それなりの理由があったのだ。


 それを踏まえて老人たちの目的は――、


私の娘(リディア)か……」


 アルバートのつぶやきに、『我が意を得たり』と破顔する老人。


「そう、偽者ではなく、本物の月の聖女様に殿下たちの呪いを解いてもらうために危険を冒しているわけです」


「……しかし、そこまで危険を冒す理由が分からないな。貴殿らが求めていることは、戦争の火種が無関係である我が国に飛び火する可能性が高いのだぞ」


 こうして河原で偶然顔を合わせたぐらいでは国家は動かせない。しかし、次期国王候補の人物と対面するとなれば邪推したくもなる。


 エレンシアがラーチェルに手を貸すかもしれない。いや、貸す方向に国は動き始めているのだ、と。


 老人はアルバートから視線を外し、祖国があった方角に顔を向けた。


「先ほど陛下は『不幸中の幸い』と申し上げられましたが、実際は幸いでもありませぬ。術式を途中で止められたことにより、呪いを解く方法が分からないのです」


 呪術が完成することなく途中で邪魔が入ったことにより、解除する為の術式の破壊と認識され、それが変質を生んだというレアなケースとなった。


 解除方法が分からない以上、それが分かるであろう人物が限られてくる。


「ワシは殿下たちが逃亡する為だけに助力を求められてきた場合は断わるつもりでした。しかし、彼らは生きるというよりも、正しく死ぬために助力を求めてきたのです」


「…………」


「ワシが心利く知恵者であるならば、陛下のお手を煩わせることもなかったでしょう。――が、ワシは剣一本で生きてきた武辺者。魔法(そちら)の方面にとんと詳しくはありませぬ」


 ここで初めて老人の表情から余裕が消えた。何処か生きることに疲れてしまった、老人そのものだった。


「陛下、我々は祖国解放でも、自由を求めているわけではありません。ただ、人として死にたいだけです」


 そう述べると、深く深く頭をさげるのだった。




        ★  ★  ★




 リオとラウラの幼い闘争本能(?)はそう長くは続かなかった。


 彼女たちの逆立った耳――ラウラの場合は垂れ具合が違っていた――は、プシューと空気の抜けていく風船のようにへんにゃりと(しお)れていった。――が、休憩することもなく、すぐさまピンと力を取り戻したのだった。


 誰か助けを求めるような声のようなものが耳に届いたのだ。


「――?」


 二人はキョロキョロと周囲を見回し、自分たちの耳を刺激する発信源を探し始める。


 そして直ぐに発信源を突き止めた。


 三台の馬車のうち、先頭を走っていた幌馬車の中から聞こえてきているらしい。


 彼女たちの視線に気づいたのか、それまで檻の中で大人しくしていた黒い獣たちも二人の視線を追うように馬車へと顔を上げ、それに釣られるように獣たちに熱心だったノアも問題の馬車に目を向けた。


「……あっちは?」


「ご老体が乗っていた馬車じゃが、もう一人ぐらい中に隠れているはずじゃ」


 ノアの問いにイーリスが答える。


 隠れている人間の気配は今でも感じ取れる。


 姿を現さないところを鑑みると、目の前の連中と未だに隠れている人との間に繋がりはないのかもしれない。偶々、同じ馬車に乗った同乗者(なかま)というところか。


 前方にいるパオロに向け、『お前らの関係者?』という感じの視線(ジェスチャー)を送ると、彼は否定するように首を横に振った。


「……ノア、お主が見てこい」


 あいよ、と軽く返事で膝についた土ぼこりを払いながら立ち上がろうとするノア。


「はい、はい! わたしも行きたい!」


 その横から、『わたしもわたしも』とリオの手が上がった。


 その自己主張に渋い表情を浮かべるイーリス。


 ノアを同行させるのでさほど心配はないが、この妖精、イタズラ好きという種族という以上に闇社会を統べる巨大組織のトップに君臨する一人なので、仮に馬車の中に荒くれ者が隠れていた場合、自分から行くと宣言したリオの身を守ろうしない可能性がある。


「だめ?」


 瞳をうるうるさせ、相手の良心をえぐるように上目遣いで懇願する。


「……女のわらわに行っても意味はないぞ」


「そんな! クラスメイトの男子たちと男の先生にも通用したのに……」


 自分の渾身の必殺技が通用しないことに慄くリオを後目に、イーリスは『幼女性愛者(ロリコン)揃いか……』と教育現場の荒れ模様に再び渋い表情を浮かべる。


 ちなみに、この技はリディアにも通用する――他の女性には通用しない――ので、彼女はちょろい聖女様であった。


「ボクのほうは別に構わないよ。一人で宝探しするのも気が引けるからね。そっちのウサギのお嬢ちゃんはどうする。一緒についてくる?」


 質問を投げかけられたラウラは首を横に振る。


「遠慮しておきます。何かあれば足手まといになる可能性が高いですし、ノアさんも二人同時に庇えないでしょうから」


「う~ん、遠慮しなくても大丈夫だよ。ふふふ、こう見えても十年ほど前までヤンチャで陽気な妖精さんとして愉快なしも……仲間を率いていたから、足手まといの一人や二人ぐらいなら微力ながらも守ることは可能だし」


 ノアの言葉は控えめ(?)だが、えらく自信ありげだった。


 あちょー、と謎の叫び声をあげながら次々にカンフーポーズを決めていく妖精。その姿に調子に乗ったときの某お嬢を彷彿させるイメージをラウラは抱いた。


 意外とあのお姉ちゃんに近いのかもしれない。


 顔を合わせれば気の合う友人として肩を組むか、同族嫌悪となり拳をぶつけ合うのか、果たしてどちらだろうか。だが、意外と初対面でも長年親交がある親友のように肩を組み合うかもしれない。


 今は関係ないか、と妄想を振り払った。


「いいえ、やはり結構です。敵が馬車の中だけとは限りませんから。遅れを取った場合に、あたしが怪我をするのは構いませんが、義妹が怪我をするのは我慢できませんので」


 ラウラはハッキリと言い放った。


 そう、目の前の集団は今は大人しくしてはいるが、味方になったわけではない。いつ何時、こちらに牙を向けるか分かったものではない。


 可能性をゼロにすることは不可能だが、低くすることは可能である。


 その立派な考えと口調にイーリスは密かに三度目の渋い表情を作ったのだった。




 リオとノアは問題の馬車の後方へとやってきていた。


 幌でしっかりと覆い隠されているので中が確認できない。だが、ノアとリオは中に人間一人が隠れていることがハッキリと分かっていた。


 パオロの話によれば、自分たちが乗り込んでいた馬車以外は他者の荷物が詰まれており、先頭の馬車に老人を含めた四名の人間が乗り込んでいたらしい。


「しかし、マヌケな人間がいたもんだね~」


 ここには居ない二人は道中、追ってきた黒い獣を対処しようと飛び降りたそうだ。ただ、悲しいことに黒い獣たちは勇気ある馬鹿二人には目もくれず、哀れ二人はその場に取り残されてしまったのだった。


 意気揚々と飛び出して行ったのに、その場には出迎えの(きゃく)の姿は見えず。駆け出しの売れない芸人のようだ。


 なんでも見目麗しい金髪の凸凹コンビらしいが……。


「わたし、そういう人を知ってるよ! セーちゃんにルーちゃんっていう二人。セーちゃんは間が悪くて、ルーちゃんは運が悪いよ!」


「ま、運の悪いというか、間の悪い人はどこにでもいるからね~。ボクもそういう人間を何人か知ってる。新人や周囲に気を使える優しい男なのに仏頂面の所為でその本質が伝わりにくい大和人とか、お酒に弱いのにお酒が大好きすぎるちびっ子妖精とかさ」


 懐かしげに昔の仲間を語りつつ、カバーの布を少しだけ動かし中の様子を探る。


 幌の内側は大小様々なサイズの木箱や樽が所狭しに積まれており、奥まで見通せない。一人ぐらいなら隠れられるスペースはありそうだ。


 リオの耳に届く音の発信源は積み上げられた箱のどれかにありそうだ。




 ガタガタッ!




 奥のほう――つまり馬車の先頭側――から箱がこすれあうような音が鳴った。


「(……ボクが先に乗り込んで中を確認するから、キツネちゃんはここで待機)」


「(うぃうぃ)」


 リオとノアは顔を合わせて頷きあう。


「(それじゃあ、行って来るよ)」


 ノアはそういい残して、馬車の中へともぐりこんでいった。


 こうなるとリオは手持ち無沙汰だ。ノアが出てくるのをただ待つだけである。


 しかし、待ち時間はそう長くはなかった。


 ノアが中に入ってから一〇秒にも満たない時間で、内側から「へぶぅッ!」という少し声が高い断末魔と、「召し捕ったり~」と勝利の雄叫びが同時に高らかと上がった。


「はやっ!!」


 余りの速さに思わず素っ頓狂(すっとんきょう)な声が出た。


 ここ数日で一番大きな声かもしれない。


「キツネちゃん、入ってきていいよ~」


「うぃうぃ」


 ノアの声に促されるままに馬車の中に入る。


 中はひと暴れ(?)があったとは思えないほど、覗いたときと同じ状態だった。


「何が隠されていて、何が助けを求めているのかはキツネちゃんの耳が頼りだよ」


 先に乗り込んでいたノアはロープでぐるぐる巻きにされ転がっている中年男(?)の上に女王様の如く腰を降ろしていた。


 舌を噛まないようになのか、はたまた、自由に喚かれることを防ぐためなのか、男の口にはご丁寧にも猿轡(さるぐつわ)がほどこされている。


 酒樽のような体型で手足が少し短いことから胴長短足という言葉がピッタリだ。


 殴られた跡がくっきりと残った頬がぷっくりと腫れあがっているので顔の美醜のほどは分からない。ただ、憎めない愛嬌そうな名残が見て取れる顔の額の中央に縦に細長い『◆』、左右の目下に『▼』という青い刺青マークを消しかけた跡が残っている。


 それ以上に目を引くのが、日焼けではない浅黒い地肌に赤金の髪という、ここらでは見かけることがない組み合わせの人間だ。


 行商の人たちが身につけている一般的なデザインの外套だが、その下に隠れている服がこれまた見慣れないものだ。


 かなり薄手のワンピースタイプで白い生地だ。暑い地方では涼しげな格好になるかもしれないが、夏になりかけの当地方では涼しいというよりも寒いかもしれない。


「…………」


「…………」


 男と目が合った。


 助けてくれ――助命懇願の篭もった視線だ。


 こういう場合、ノアが捕まえた人間を自分が勝手に助けてどうにかなるものではないし、最後まで隠れることを選択したのは彼なのだ。自縄自縛である。


 男の視線を無視して、救助を求めていた音の発信源を探す。


「どう、分かる?」


 ノアの問いかけに、弱々しく首を横に振って返した。


 第三者である自分たちが中に入った所為なのか、救助を求めていた者の力が弱ってしまった所為なのか、それとも別の理由からかもしれないが、聞こえていた声がぴたりと止んでいる。


 リオよりも聴力の良いラウラならば聞き取れる可能性があるかもしれないが、彼女はここには居ない人間である。


 では自慢の鼻はというと、こちらも全く駄目だった。


 汗とか香水などが混ざり合って――何やら懐かしい匂いも――漂っているので、不思議な匂いを特定することや、それの発信源を探ることなど不可能である。


 ノアは身近にあった樽の蓋を開けてみる。中身はバラバラのコルク片が入っていた。


「う~ん……これ全部をひっくり返すとなれば、時間と労力の無駄だからね~」


 木箱や樽は見える範囲だけでも五〇は下らない。


 また、必要があるとは言え他人の荷物を勝手に漁るのは自分の主義に反する行いだ。これが犯罪者の荷物ならば、そんな主義も簡単に返上するのだが。


「でもね、お外のワンちゃんたちのことを考えれば……」


 リオも身近な樽から中身を確認していく。


 これには木釘が入っていた。


「ワンちゃんたちは地の果てまで追ってくるだろうねー。街の城壁なんて軽がると乗り越えるだろうねー。住民たちは血の海に沈められるなろうねー」


 ワン子たちが心配げなリオ、何故か棒読みなノア。


「治安部隊だけでは足りないだろうし、情報が出なければ国防軍が動き出すのは遅れそうだしー。そうなると、赤ん坊たちは胃酸の海に溶かされ、子供たちは頭から鋭い(あぎと)で噛みくだかれ、大人たちは野太い足に踏み潰されるんだろうねー」


「どうしたの?」


 物騒な台詞を棒読みで続けるノアの様子にリオが首を傾げる。


「住民がいなくなればその街の名前は地図から消えるだろうねー。少しばかり生き残った人々は怨嗟の声を上げ、国に復讐を求める声を上げるだろうねー」


 その言葉にリオは首をちょこんと傾げた。


 果たしてそうなのだろうか?


 いくら大きな獣とは言え、街が全滅するほどの戦闘力があるのだろうか。それとも、ノアはあの黒い獣の正体を知っているのだろうか。


「うちの国の王様、あれで好戦的なところがあるからねー。国民の声を無視せずに拳を突き出すことに躊躇はしない。もう、相手が泣いて許しを乞うたとしても、無視して死ぬまで殴り続けるだろうねー」


「……いやいや」


 流石にそれはない。


 リオの目から見ればリディアの父であるアルバートは善人だ。


 とはいえ、娘のリディアも静かに闘志を燃やすくせがある。それでいて好戦的な部分を隠そうとはしない。父親と娘が同じ姿勢でいるとは思わないが、それらを踏まえると、戦争に発展する可能性は否定できない。


「……テティスの悪魔(・・・・・・・)


「――ッ!!」


 ボソリと呟かれた単語に一番反応を示したのは尻にしかれている中年男だった。


「ててぃす?」


「セインツェアとフェイブルに挟まれた小さな国の名前。国土の大きさはエリザを三つ横に並べた程度という小国。通称『看板倒れ』とも呼ばれているね」


 正式名称はテティス聖騎士国。


 セインツェア教国とフェイブル自由国に挟まれた小国。


 建前上は政治・軍事の主権を持っていることになっているが、実質はラーチェル聖王国と同じくセインツェア教国の衛星国であった。


 そして、周辺国の住民から嘲られる理由として、『騎士国』と名乗っているわりには騎士団が一つも無いという、正に看板倒れなありさま。


 領土の三分の一が飛竜が住まう山岳地帯、三分の一が妖精と精霊が棲んでいる森、残った三分の一が人の住む領域だが、砂漠に近い荒野である。人が住む領域の面積だけで見れば、エリザとそんなに変わらない領土であった。


 特産物は特にない。


 資源豊富は鉱山地帯だった山々には飛竜が居座ったことによって、二度と足を踏み入れることが叶わなくなり、森の方はというと、そこを支配している妖精と精霊に交流を拒まれている。


 残された平野部もある時を境に荒れ果ててきていた。元々、土地の痩せた荒野が広がっていたのだが、年々、荒野の波が街のほうへと押し寄せてきている為に農産物も生活に必要な量が採れなくなってきている。


 セインツェアの援助が無ければ、数年以内に地図上から名前が消えるだろうと言われていた国家である。


「ノアちゃんの知識も凄いんだけど、ワンちゃんたちは?」


 ノアの一通りの説明に感心しつつ、リオは肝心の獣について問いかけた。


「『テティスの悪魔』っていうのは、彼らの群れがテティスの首都を襲ったことからついたあだ名みたいなやつ。特徴が似ているから表の黒い獣はそんな通称で呼ばれている狼の仲間だと思うよ」


 テティスの悪魔。


 二〇〇年以上昔の話、犠牲者の数の確認が難しく、公式記録にもあやふやな点があるだろう。記録には、当時の首都であるデュッセルに一二七回の襲撃があり、死者は三〇八人、負傷者は一〇〇〇人を優に超えていた。


 それだけの犠牲が出たのに、襲ってきた獣を討ちとった数は一個体であり、その個体もかなり小さく『生まれたばかりの子供だったのでは?』と記述されている。


 他にも幾つかの逸話が有り、赤ん坊を攫われたさいに犯人を追って他大陸まで大洋を泳いで渡り、最後は下手人の喉笛に噛みつき、相手の頭を噛み砕いたとか。


 それぞれの生息地で呼ばれている名前もあるのだが、統一された正式名称というものはなく、通称のほうが世間に広まっている。


「じゃあ、ワンちゃんたちはその『ててぃす』からここまで?」


 テティスなる国の正確な場所などは知らないが、頭の中に浮かべた地図だとかなりの距離がありそうだ。エレンシアの北部国境から最短でも一〇〇〇キード(約一〇〇〇キロメートル)はあるだろう。


「彼らはエレンシアとフェイブルを分断しているエーディン・ブリギット山脈全体を生息圏にしているから、そこまで遠くはないよ」


「ふ~ん……あ、違うや」


 今度は精白前の玄麦だ。


「ま、椅子の様子からすると、彼らは千里の道を追いかけてきたかもしれないね。事が解決すれば、彼らも自分たちの住処に戻るだろうし、伝承が真実ならば報復もきっちりと行われる。その時に監視をつければ万々歳」


 ノアも獣の特徴だけでハッタリをかましたわけではない。


 男の顔にある刺青の位置と形に特徴がありすぎた。


 服装は別の地域に衣装を纏って変装しているのだろうが、一番特徴あるものが隠しきれていない。『耳隠して、尻尾隠さず』という状態だろうか。


 テティスはセインツェア宗教を国教に定めているが、土着の精霊教も同時に崇めている。その精霊教を基にした『精霊化』と呼ばれる独特の刺青文化が存在しており、成人の際に僧侶の手によって、額と目の下に刺青をする習俗(ならわし)があった。


「も一つオマケに、椅子の腕にご注目♪」


 その言葉に釣られてリオの視線が中年男の腕に向けられたことを確認したノアは、どこからともなくと小さなナイフを取りだし、軽く腕を振った。


 切りつけられたのは男の腕で、外套ごとその下の服の布を切り裂いた。


「……や、やき……にく、ば……ばんざい? 『やきにくばんざい』?」


 布の下から現れたのは『焼肉万歳』という教科書体で彫られた刺青だった。


「ピンポンピンポン、大正解ッ! いや、マジで凄いよ、キツネちゃんッ!! 神様の文字が読めるなんて、その年でもの凄い博識だねッ!!」


 リオはノアの大げさすぎる褒め方に照れてしまう。


 意味は分からないが、養父たち――特にちっぱい方のお姉ちゃん――の書いていた言葉や文字を単純に覚えていただけだ。


「――で、どんな意味があるの?」


 刺青そのものは風習として各地にあるので、特に怪しい点はなさそうだが。


「愛します、お金! 憎みます、税金! 消えやがれ、官憲!」


 シャキーン、と効果音が鳴り出すかのようにノアが男の背中の上に立ち上がった。


(ほどこ)すは、哀れな貧民! 盗むは悪徳商人、悪徳政治家! 狙うは国家転覆!! 目指すは世界制覇!!」


「おおぅ!?」


 ノアは握りこぶしを作り、力強く掲げた。


 空気は最高潮に高まってきた。


「我ら、平和を目指す『悪逆の疾風団』なりッ!」


「おおッ!!」


「……でも、やってることは素人相手に小銭を巻きあげる詐欺集団という…………まぁ、そんな心意気もやってることも、色々とちっちゃい組織だよ」


「……ちっちゃいねー」


 ノアのトーンダウンに併せ、リオも肩を落とし、熱かった空気は瞬く間に霧散する。


 気を取り直して、今度は木箱を開けてみると、カラフルな布生地が入っていた。


「でも、王様を倒すとしたら先生たちみたいな人たちから支持ってやつを得ないと駄目なんじゃないのー? リオたちを狙っても逆効果ってやつじゃ……」


 リオの感想に、ノアは訳知り顔で頷きつつ、


「ま、国家転覆みたいなことをやろうとしている手段として、わざわざガードの固い政府関係者(アルバートたち)なんて狙わないよ。備えの薄い一般市民(キミら)を狙って、傷つけられた彼らの不満を政府に向けさせるほうが楽だし、そっちの方が政権に与えるダメージは強烈だからね」


 そんなものか、と頷き、このことをリディアに教えてあげようと思った。


 彼女も日々、増えすぎた住民からの要望(つきあげ)に愚痴をこぼしていた。


「こんな連中も表向きは麦を扱う商会でそこそこの流通経路を持っているから、た~まにデカイ犯罪もしているんだけどね。今回はそれに当たるんじゃないかな? で、椅子の腕に彫られた刺青は、その組織のメンバーを示すものだよ」


「犯罪者さんも大変だねー。でも、そういう『やみそしき』はお肉食べる動物と同じで縄張りがあるんじゃないの? また、布だー」


 今度は厚手でチェック模様の生地が幾つも入っている。


 金髪コンビとやらは生地で商売でもしているのだろうか。


「あるよー、この辺は『那汰弟呱呱(なてでここ)』っていう武闘派ファミリーが仕切ってる。まったく、キミって奴はボクの縄張り(シマ)で何やってんだか……」


 『那汰弟呱呱』と『ボクの縄張り』という単語のコンボに男はギョッとした。


 男の首が潤滑油の切れたゼンマイかのごとくカクカクとした動きで曲がっていく。そして、最後まで回り終えると今度は街中で飢えた熊に遭遇したかの如く表情が固まった。


 ここにきて、ようやく自分を殴り倒した存在の正体が分かった。決して、自分たちのような小物が手を出して良い相手では無いことを。


「早く話したほうが身のためだよ?」


 男の動きと視線に気づいたのか、ノアはニッコリと微笑み――ただし、目は顔ほど笑っていない――を返し、口を塞いでいた猿轡を解いてやった。


 椅子となった男はブルブルと身体を震わしはじめ、額から滝のように大量の汗が流れ落ち始めた。口元がうっすらと動いている。


 リオが耳を近づけてみると、


「……ない。……いんだ。……レは悪くない。……あ、あいつらが悪いんだ。…………オレは悪くない」


 と、壊れたラジオのように自己擁護を繰り返し呟いていた。


「壊れたみたいだね」


「う~んと、訓練前のメイドのお姉ちゃんたちみたいだね」


「……いや、違うと思うけど。ま、現実逃避をしている点は同じか……」


 そんな彼をノアは冷ややかに見下ろしながら、


「普人族って、本当に(もろ)いよねー。イケイケ・ドンドンの時はどの種族よりも尊大っつーか、過信っつーか、『オレだけは大丈夫!』って考え方をして、それが覆されるとすぐこれだ」


「それは種族を問わないんじゃないかなー」


「そうかもね」


 もうちょっと芯の強い人間だと思っていたが、今回は人を見る目がなかったようだ。


 男を殴ったとしても正気には戻らないだろう。これだと、外に居る人間の手も借りて、全ての箱の中を確認したほうが早いかもしれない。


 予想が正しければ――当たる可能性は高い――隠されているのは獣たちの子供のはずだ。仮に発見する前に衰弱死でもされてしまえば、今はおとなしくしている大人たちも牙をむき出しにして襲い掛かってくるにちがいない。


 表にいる一〇頭ほどならば問題なく処理できるだろうが、それが更なる復讐を呼ぶ可能性がでてくる。


「……ボクとしては遠い未来に神話になりかねない獣たちとの全面戦争はゴメンだ。いちおう、この辺りには知人が多いからね。……やっぱり、人海戦術かな?」


 リオに問いかけてみたが、彼女の姿が見えなかった。どうやら、探しているうちに木箱の間にでもスッポリ入ってしまったらしい。


 外に呼びかけて自分も動こう、ノアがそう思って男から飛び降りた際、


「それじゃあ、ボクは外の連中に声をかけて来るから」


「わかっ――あ」


 リオから気の抜けた『あ』が飛び出した。


「なに!? その『あ』は見つかった『あ』!? それとも、別の『あ』なの!?」


 声がした方に慌てて向ってみると、船旅などの長期旅行の際に使用されるバスケット型の家具トランクの前にしゃがみこんでいるリオの背中を発見した。


「何か見つかったの?」


 背中越しに話しかけても無反応。


 問いかけを無視するような子供ではなかったので、その様子に首を傾げながら肩越しに覗きこんだ。


「――なにそれ?」


 リオの手の中には純白(ピュアホワイト)の布――ブラジャーがあった。


「……たぶん、女の人の下着」


「いや、そりゃあ見れば分かるけど……」


 見たところ、ブラジャーの持ち主はかなりのわがままぼでぃをお持ちのようだ。


 気にしてないけど、ちょっとムカついた。


 それと同じようなサイズの色違いブラジャーや対となるパンツが床に散らばっており、その横には蓋の取れた空の樽が転がっていた。


 樽に注目してみると、その側面には細かく開けられた小さな穴があり、それは空気穴としての役目があったのだろう。


 これは柵系などの隙間がある檻では運べない・運びにくい生き物を運ぶさいに樽を改造して作られるものに近い。また、通常の荷物と誤認しやすいので生き物を密輸される際によく使われる代物でもあった。


 空気穴の存在から中身は救助を求めていた正体(やつ)だろう。


 よくよく考えてみれば、中年男を殴り飛ばしたのは、後ろの角で出会い頭の一撃で吹き飛ばしたのだった。


「で、空になった樽の中身がどこにやったかと言えば……」


 おのずと家具トランクに視線が集まる。


「この中、だよね」


「そだね」


 幸いなことにトランクの鍵は解除が難しい魔導式ではなく、物理破壊が可能なスケルトンキー式であった。


「これは盗みじゃない。これは世のため、人のため、みんなのため……」


 目を閉じ、自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「何やってるの?」


「ん? 一種のおまじない……かな? 他人の物を壊すのは、ちょっとばかり勇気が必要なんだよ。さて、どっちかな?」


 リオに愛嬌あるウインクをするとトランクを見つめた。


 バスケットが横に二個並ぶ形のトランクで、左右で蓋と鍵が分かれている。


「たぶん、右じゃないかな?」


「ふ~ん……ま、いっか。駄目なら両方壊せば良いだけだし」


 理由は分からないが動物の勘というやつだろうか。


 リオの助言されたとおり、右側の蓋に手を掛ける。


 「そいや」という掛け声とともに、その細身からは想像しにくい腕力が発揮され、トランクの鍵が吹き飛び、無理やりこじ開けた。


「おぅ、マジでいたよ……」


 開かれたトランクの中を覗きこんでみると、下着の山の中心に黒いモコモコとした塊がうずくまっている。


 手をかざしてみても身動き一つとらない。


「死んではいないけど、かなり衰弱している……あ、触ったら駄目!」


「あいた……ッ!?」


 リオのぬっと伸ばしてきた手を反射的に叩き落した。


「噛まれるかもしれないし、寄生虫がいるかもしれないからね!」


「うぃうぃ……」


 野生動物なので地肌や毛の間に寄生虫がいる可能性があるから、素手で安易に触ることはできない。見た目だけで判断するしかない。


 とはいえ、専門家でも無いので詳しい病状など分かるわけもなく、状況から予測すると病状として怪しいのは一つだけ。


「呼吸が弱い……。狭い所に押し込められていたみたいだし、水もあまり飲ませていないだろうから、熱中症による脱水症状かな……」


 もっと酷い熱痙攣・熱疲労、最悪の熱射病かもしれない。


 馬車の中は幌によって陽射しが遮られているので、少しは涼しい。が、転がっていた樽の中に手を入れてみると、それなりに時間が経過しているはずなのに中は熱かった。


 死にかけているから、発見されれば不味いと思い、慌てて隠したのかもしれない。


「どうしたらいいの?」


「とりあえず身体を冷やしてあげるしかないかな。たぶん、重症レベルに近いかもしれないから水を飲ませたほうが危なくなるかも……」


 重症の場合、水を飲ませたほうが症状を悪化させる恐れがある。


「じゃあ、このまま放っておくの!?」


「だから冷やすって!」


 わめいてもどうにもならない。急いで体温を下げる必要がある。


 応急処置として水を身体にかける必要があるのだが、冷たい水もご法度だ。あとは、団扇などで風を送って気化熱で体温を下げること。


「キツネちゃんは、そこに転がっている下着を水に濡らしてくる。たぶん、入ってきたところにあった樽の中に飲用水が入っているから。無かったら、外の川まで走る! 理解したらすぐ動く! 足を動かせ、キミは止まっていても時間は止まってくれないぞ! ハリー、ハリー、ハリーアップ!!」


「い、イエッサー……じゃないや、イエス・マム!!」


 リオはパンツを数枚、掴むと走り去っていった。


 ノアはその背中を眺めて一言、


「なんで今のやり取りを知っているんだろう……。さて、子供が頑張るんだから、大人も頑張らないとね」


 首を傾げながら、ブラジャーを団扇代わりにしてパタパタと扇ぎはじめる。


 発症から一時間以内に適切な処置を行えば助かる見込みもあるが、それ以上ともなると完全な回復はありえない。


 体温が四一度を超えると脳細胞や臓器細胞の破壊が始まっているはずだ。


 応急処置を施した後は獣医に診せる必要もあるのだが、この世界の獣医は牛や馬などの家畜が専門であって、犬や猫は専門外である。


「生死のタイムリミットはすぐそこだね。くそっ、こんなことならカエル君を連れてくるんだった」


 カエル君なら高難度の回復魔法や蘇生魔法もお手の物だ。


 しかし、居ない人間に頼ることはできない。


 間に合うかどうかは、『神のみぞ知る』というやつだった。




        ★  ★  ★




「…………」


 話を聞き終え、アルバートは考えこんでいた。


 一人の人間としては彼らの現状に同情するし、その考え方も理解できる。また、助力してやりたい気持ちがないこともない。


 しかし、一人の国主としてはどうだろうか。


 国家同士の付き合いというものは政治にしろ、軍事にしろ、経済にしろ、そこに国益というものがあり、人のように情で付き合えるわけではない。


 まだ、市井の人間なら保護を名目にすることは可能だ。だが、彼らは王族という特別な存在。彼らの自己満足に付き合って、教国との外交問題に発展する可能性があり、万に一つも自国に対し国益が発生しない。


 仮に彼らの祖国が健在だったとしても、王位継承権の下位に属している彼らに恩を売った場合、こちらに見返りがあるのだろうか。


 無論、国家間の利益をそう簡単に割り切れるものではないが。


「……やはり、よいお返事は頂けませんか?」


「貴殿も分かりきっているだろうに……」


 今はアルルという偽名を使用している市井の人間だが、本質は一国の主だ。身内ならともかく、外国人(よそ)には対して情だけでは動けない。


 また、外務院の意向も聞かずに動いたとなれば、これまでの外交努力が泡となって消える可能性がなきにしもあらずだ。


 時には、一人を助ける為に大勢を見捨てるという決断が必要になるだろう。しかし、今が『その時』には該当しない。


 老人も予想していた回答だったのか、あまり気落ちもせず、苦笑いを浮かべた。


 この程度のお願いで『よし分かった! キミの望みを叶えてあげよう』とトントン拍子で話が進めば、『何か隠しているのではないか?』と相手の頭は大丈夫なのかと疑念を抱いてしまう。


「……まぁ、タダでことを運ぼうとしているわけですから陛下も安易に頷くことはできますまい。お手を煩わせる以上、相応の代価が必要ですからな」


 そういう問題でもないが、代価が何なのかは興味がある。


「一国の王を頷けさせるだけの魅力溢れる代価があるのかね?」


 老人は服の内側に手をいれ、手の平サイズの巾着袋を取り出し、それをアルバートへと差し出した。


 受け取ってみて、さほど重くはなかった。カチカチ、と金属製の硬い音と、手の平に伝わる感触として中身は薄い円状をしているように思えた。


 コインかな、と予想しつつ、老人に促されて紐の結び目を解き、中身を手の平へと落とした。


「コインか……」


 アルバートが予想したとおり、中身は数種類のコインだった。


 ただ、彼がこれまでに見たことがないデザインをしたコインだ。ラーチェルで流通している貨幣はエレンシアと同じ物であるので、別の物と考えるべきだ。アルバートは大陸に流通している全てのコインを把握しているわけではないが、裏表――どちらが裏なのか、表なのかは別にして――に、コインの価値を示すものがないので、市場で流通しているものではないだろう。古い貨幣か記念硬貨の類だろうか。


 精巧なデザインとは思うが、それだけである。


 古今東西のコインを蒐集する趣味は持ってないので、これで釣られるはずもなく、代価というわりには拍子抜けするものだった。


「――で、これがどうかしたのかね?」


「それはあのツナギの男が作り上げたものです」


「この程度ならば我が国にも職人がおるぞ」


「果たしてそうですかな?」


 どういう意味だ、と眉を顰めていると、老人の口から聞き捨てならない単語がこぼれ落ちた。


「彼は…………から教えを受けた最後の弟子になります。そして、ワシの希望を受けれてもらえるのであれば、彼を貴国にお譲りします。これは彼も同意済みです」


「――ッ!?」


 二重の意味で、驚きのあまり顎が外れそうになった。


 国王という立場と精神力をフル稼働してなんとか平然を保つことができた。


 人身売買にも似た交換条件だが、確かに魅力溢れる条件だ。男の能力が本物なら大陸の経済に新しい風を呼び込むことになるだろうが、その風が全てを破壊する嵐なのか、涼しさをもたらすそよ風なのかはアルバートにも分からない。


 よほど手際よく行わなければ信用を失うことになる。


 そうなると七〇〇年もの時間を掛けて作り上げてきた政治・経済・軍事・信用――全てが台無しになるだろう。


 アルバートをいくつかの絵図を頭の中に画いてみた。


 一、彼らを難民として保護するという体裁を整えて、男を手に入れる。しかし、周辺国が黙っていないだろうし、男の存在が少々劇薬じみている。


 二、彼らの提案を断り、ついでに教国に売り渡す。その際、男を誘拐する形でこちらに引き入れる。悪くない手だが、神の怒り(・・・・)を買う恐れがある。それを回避する為には他の神々の手を借りなければ――、


(――が、これは一番、選択肢としてありえないな)


 余りの悪手に苦笑いを浮かべた。


 神々はこちらを助けてくれるほど暇人でも酔狂人でもない。彼らは傍観者であり、自分たちのしたいことを遂行しているだけである。なにより、そんな恐れを知らない行為をできる人間などこの世には一人ぐらいだろう。


 そうなると、採れる手は三つ目だ。


 三、何も見ない・聞かない・言わない――リディアに全て放り投げる。


 実際、行動するのはリディアである。彼女がへそを曲げれば、こちらが何を言おうと絶対に動かない。第一、今は謎の宣戦布告(ばとう)による冷戦の最中だ。


 それにリディアも次期国王として決断することを学ばなければならないだろう。


 これは決して先送りではない。子供の成長を願う親心だ。


 なにより、大臣たちの承認なくして、王の決定という真価は発揮できない。


 もちろん、エレンシア王国の絶対的支配者であるアルバートが独断で決定を下すことに対して、木っ端役人である大臣たちが異を唱えることはできない。しかし、そうは言っても独断専行は必ず揉めるのだ。


 根回しを含めた意思疎通を図ること――そういう建前は大切である。


 アルバートは決断を下す。


「……ふぅー、私は何も聞かなかったことにする」


「…………」


 軽く手を上に掲げて、それを降ろした。合図である。


 アルバートは結界が解けたことを確認すると、背筋を伸ばし口調を変えた。


「リディア殿下への紹介状は書けないが、この場は見逃そう。殿下は今、クロッサスに居られる。……とはいえ、いきなりお目通りを願ったとしても門前払いは必然。ならば、これをお付のメイドにでも見せたまえ」


 そういって懐から銀色の印璽を取り出し、老人に差し出した。


 見た目は立派だが、中身はお土産物屋で購入できる品物である。


 老人もそれをうやうやしい手つきで受け取った。


「『アルル卿から受け取った』と申せば、殿下の元へと話が行くはずだ。そこから先は殿下のご判断次第である」


望外(ぼうがい)なご配慮、感謝します」


 やや大きな声でやりとりを行った。


 いささかマヌケな光景だが、結界が張られている間のやり取りは分からないだろうが、結論だけは出ていることを周囲に知らせることになるのだ。


「あとはキミらの運次第だ」


「ありがとうございます。このご恩は一生忘れませぬぞ」


 ひそひそ。大きな声ではないが、今度は更に声を小さくした。


「忘れてくれ。それと、だ。娘が君らの希望を聞き入れなかった場合だが……」


「……分かっております。あの男は必ず始末しておきますとも」


 老人の提案にアルバートは神妙に頷いた。


 テシオも切り札が何回も使えると思っていない。


 制御ができている内でも心臓に悪いのに、存在そのものが危ない人間を野放しにすることは、自国の為にも、平和の為にも、無理な話である。


 それゆえ、こういう血生臭い話が出てくるのだった。


 テシオがやらなくても、アルバートはやらなければいけない。


 話を終え、話し合いの結果を待ちわびている者たちの下へ戻ろうとしていた――。


「ところで、キミたちはどうやってここまで?」


 不意にアルバートが訊ねた。


「国境は……まあ、運び屋なり案内人なりの仲介人がいればやってできるだろう」


 国境全てに金網なり城壁が張り巡らされているわけではないので、根性と運さえあれば素人でも自分の足で歩いてこれるだろう。そこに案内をする人間がいれば可能性は高くなる。


 ただ、そこから先が難しい。


 ただ町に入るのはもちろん、町から町へ移動するのも難しい。ましてや、移動手段(ばしゃ)を手に入れて、移動するなど困難を極めるはずだ。


 そうなるようエレンシアは作られている。


「キミらが乗っていた馬車の御者だが、あれは御者に特化して作られた労働奴隷なはず。町から町へ決まったルートを移動するために使用されているのだが、融通が利かないことで有名だ」


 自動車でいうところの自動運転システムに近い。


 目的地まで自動で移動するのだが、人としての意志を奪われているためか機微というものが分かっていない。譲り合いの精神も無ければ、移動を始めると、到着するまでノンストップである。今回のような強制ストップの指示がなければ、トイレ休憩や体調不良者が出たとしても止まることは無い。


 御者が裏切ることもなければ、寝ている間も移動できるという利点もあるが、町中では不便さのほうが目立つのであまり利用されていない。主に、町と町の間を行き来する馬車で御者を用意できなかったなど、仕方ない場合に利用されていた。


「待ち合わせなどを理由に、町の外で乗せてもらうことなど不可能」


 町で借りれるだろうが、無法地帯でもなければ、身分証を持っていない不審者たちに大事な資産(ばしゃ)を貸す業者はいないはず。


 そうなると、誰かが手引きしなければならない。


 老人は答えた。


「……黙っていてもいずれは陛下のお耳に入ることですからな」


「ふむ?」


「我々に手を差し伸べてくださったのはセーラ第一王女殿下です」


「――――」


 一瞬、きょとんとアルバートの目が丸くなる。


 だがすぐに言葉の意味を理解したのか、アルバートは目頭を押さえて天を仰いだ。


「あの……おバカ娘めが……ッ!?」


「出発地のマンノウォーという都市で足止めを食らっていたのですが、酒場で偶然ご一緒させていただいた殿下が、目的地が同じということで手配していた馬車に同乗させて下さることになったのです」


 もう一人の女性は強く反対していたのですが、という呟きが続くのだが、そちらはアルバートの耳に届かなかった。


 なるほど、廃位されたとはいえ第一王女の乗った馬車なら、不興を買うことを恐れてチェックも疎かになるはずだ。


 老人たちの存在も、『わらわの友人だ』という一言があれば、それで済んでしまう。


「……お説教が必要だな」


 二時間コースは確定だ。




        ★  ★  ★




 椎心泣血(ついしんきゅうけつ)




 リオとラウラの現状を示した言葉だ。


 滝のように涙がこぼれ落ち続ける――まるで地獄のような光景を目を逸らしつつ、アルバートは事情を知ってそうなイーリスに訊ねる。


「なんで、お嬢ちゃんたちは泣いているんですかね?」


「リオは狼の子供の死を目にして、ラウラは晩御飯を消費してまで助けようとしたら、全力で拒否されたことに対してじゃな。ついでに、ロリータはもらい泣きじゃぞ」


 リオの方は知っている。


 衰弱していた子オオカミは結局、目を覚ますことはなかった。


 泣いたリオから子狼の死骸を差し出された大人の狼たちは、それを黙って咥えると大人しく立ち去っていった。おそらく、自分たちの縄張りに戻っていったのだろう。


 その件でノアはこの場に姿がなかった。


 事件を引き起こしたであろう壊れてしまった中年男を引き連れ、クロッサム側の街へ行ったのだ。事件のあらましを周辺の町へ知らせる必要がでてくる。


「しかし、ラウラ君のほうはなぜ?」


「立ち去った子ブタのお姫様が水を所望したのだが、生憎と手持ちがなくてな。ラウラが魚の水を搾り出そうとしたのじゃが、あちらの若い二人組に邪魔されたのじゃ」


 飲み水が無い場合の手段として、魚をタオルなどに(くる)み、搾ることで魚の水分を取り出すことも手段の一つだ。


「……邪魔ですか」


 ちらりとラウラを見下ろして観察してみた。


「……コロス。次に会ったらゼッタイにコロス」


 泣いてはいるが、悲しみというよりも怒りの血の涙に近い。


「どうも突き飛ばされたことが、ウサギのプライドを大きく傷つけたらしいぞ。お陰で子ブタたちに対する怒りが再び大爆発じゃぞ」


 優しさを施そうとした所での攻撃。


 その情景を思い浮べて、アルバートは深々と溜息をこぼす。


「――このことを娘が知れば、彼らの希望は受け入れられることはないだろうな」


 世の中、上手くいかないことだらけだ。


「残りの実習、二人は参加できるかな?」


 それだけがアルバートの気がかりであった。




















 おまけ。




「……ど……どこから……矢が、飛んできたのじゃ」


「……し、知りません……よ」


 頭に不可視の矢が突き刺さったちっぱい金髪とおっぱい金髪は、二人仲良く川の中に沈んでいたのだった。


良いお年を!


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