#017 ギャラルホルンは鳴った……?
実習三日目、一三時三二分。
日中の温度としてもっとも暑い午後の時間である。
ぱこーん、と小気味良い音がテント近くの河原に鳴り響いていた。
「しっかし、弓って奴は性に合わないなー」
「確かにキミは弓を構えるよりも、斧を振るっている方が似合っているよ」
「それは皮肉かよ? まぁ、何も考えずに腕を動かせるからなー」
アドルフとエミールが夜に備えて薪割りを行いながらの会話だった。
二日目の朝の実習こそ、その前に行われたデモンストレーションのショックから参加していなかったが、その日の夕方と今朝の実習には――この場にいないシャルルを含め――参加していた。
どちらも空振りで、狩りの成功者は今のところ女子生徒のロリータ一人である。
エミールが薪を置き、アドルフが斧を振るう。
「なんつーかさ、矢を放す際に頭によぎるんだよなー」
「よぎるって、あの時の光景がかい?」
あの時の光景とは即ち、昨日のデモンストレーションのことである。
「そうそう。いやな、肉屋でも姿そのままで売られていたり、首をちょん切られた頭がデンと台に載っていたりする光景は見たことあるけど、それは言ったらなんだが、遺体であって、生きているわけじゃなかったからなー」
市場ではなく、街の肉屋でも丸ごとのまま吊るされていることも珍しくなく、丸焼きなどのレシピが日常的に振る舞われているので生物の遺体と接する機会は多い。とはいえ、家で卵目的に鶏を飼うなり、実家が畜産業でも営んでいないかぎり、生き物を遺体へと変える機会は滅多にないだろう。
「えてして、僕らは生き物をご遺体に変える行為に躊躇するわけだ」
「……お前もか? ところで、そっちのお嬢さんはどうだい? やっぱり、獲物を前にして腕が動かなかったりするのか?」
アドルフとエミールの作業の横で、アドルフたちが四等分に割った薪を更に小さく割る作業を行っていたリオに問いかけた。
「う~ん、お家でたくさんさばいてきたからね~」
リオは自前のナイフで薪割りを行いつつ、返答した。
「さばいて? 何を捌くんだ? 魚か?」
「お魚さんもだけど、鶏さんの首ちょんぱから始まって、豚さんやお馬さんの玉球を引っこ抜いたり、鳥の巣を壊したりしてきたから、今さらというか……ね?」
その程度の葛藤はすでに乗り越えていた。
生きるためには何かを食べる必要があり、菜食主義でも――いや、菜食主義だろうと植物の生命を奪っていることになるので、逃れられない宿命みたいなものだ。
「……キミたちは、そんなことをしてきたのかい?」
エミールはちょっとどころか、かなりひいた。
幼いはずのリオが淡々と喋る姿に恐怖と重なった。
しかし、リオはその様子に落胆することはなく、肩を竦める程度に、
「パパがね、『人間だから大義名分を掲げたり、奇麗事をならべたりするけど、結局は他の命を消費して自分の命の延命処置をしていることには変わりない』ってさ」
更に、教育の一環で――最初は侍従隊のメイドの悪ふざけの一言から始まったものだが――屋敷の敷地内にある御料牧場で飼養されている鶏の屠畜作業を手伝ったりしている。ついでに、雄の子豚や馬の去勢作業も手伝ってきた。
また、屋敷の軒下などに作られた鳥の巣を壊して回ったこともある。中には雛が入ったままだったこともあるが、一時的に心を痛めるだけで、それ以降は慣れたものである。
ラウラは過去の迫害・逃亡生活から、リオは過去の一人で生活した時期と根が素直であるが故に、それが必要なことと理解していれば躊躇することはなかった。余談だが、リオの方が素直だからこそ残酷になりやすい。
「その年でよくやるなー……。感心はしないけど、スゲェと思うわ」
「あれ? みんなはしないの? 鳥の巣って確か……」
リオは手を止めて、二人の顔を見上げながら首を傾げた。
鶏の屠畜や子豚の去勢はまだしも、鳥の巣の破壊は冬の雪掻きや氷柱落としと同じく子供の仕事のはずである。
鳥の巣の破壊となれば聞こえは悪いが、それが行われるなりのちゃんとした理由がある。元々、エリザ湖を繁殖地や冬越え・夏越え・中継地点とする渡り鳥が多く飛来し、その結果、エリザの街を含めた周辺の町には様々な鳥の巣が作られやすかった。
そして、渡り鳥は各地を移動することで病気を運ぶこともあるので、特に東の獣人領で疫病が発生してからは街中にある渡り鳥の巣は可能な限り破壊をするようにと領主が公布を出していた。
報奨金は、証拠として巣が提出されれば巣一つにつき五Rが支給される。これは子供たちからすればちょっとした小遣い稼ぎになる。
こうした巣の発見などは視界の高さの関係上、大人よりも子供の方が気づきやすく、現にクラスの男子においては朝礼前の時間に戦果報告会のようなものが開かれているのを横目で見たり聞いたりしていた。
とはいえ、渡り鳥がやってくるには少し時期が早いので戦果そのものの数は少なく、多い者でも両手の指で事足りる数だった。
「オレんちは枝切り職人だからなー。仕事が入れば基本的に家族総出でやらないといけないから、そうした時間が無いんだ」
「ボクの父親は会計課の下級役人だからね、家族がそうした仕事をするとルール違反に当たるから駄目なんだよ」
アドルフは諦め気味に、エミールはしみじみと不参加の理由を口にした。
公布した仕事は街の予算、つまり税金から出る場合において、公務に属する職員及びその家族が手を出せば、内部者取引として刑罰を受ける可能性があった。それは子供といえども例外ではない。
仕事を行おうと思えば公布責任者――今回で言えばリディアの許可が必要である。影の薄い市長ならまだしも、領主まで許可を得にいく人間はいないだろう。
「そういうお前さんは稼いだんだろ? 口ぶりから結構な数を壊した風に聞こえるぞ」
「にゃ~……お小遣いはゼロかにゃ~」
苦笑いで誤魔化しておいた。
壊した数は五〇近くに上るが、収入はゼロである。
リオとラウラの場合は、屋敷の敷地内で作られた巣の破壊であり、本来ならば侍従隊が行うべき仕事を手伝う形で従事していたので、報奨金の支給はおろか、小遣いアップにも繋がっていなかった。精々、お姉様がたからの評価が上がるだけである。
最近、評価が下がりっぱなしなので、少しでも上げる必要があるのだ。ちょっと前までは屋敷のアイドル・リオちゃんだったのに、今は炎上中の嫌われ芸人の状態だ。
「ま、彼女のお母上が領主様の側近なのだからボクと似たような状態だろう」
「それもそうか」
彼らは勝手に勘違いし、勝手に納得する。
特にこちらから訂正する必要が無いので、そのままにしておくことにした。
今やっている薪割り作業を終らせなければ休憩に入れない。昨晩は薪が足りないという最悪のケースに陥ったのだから今日は多めに割っておく必要がある。
ラウラはロリータたちと共に昼食に使用した皿などの洗い物をしているので、義姉よりも先に終らせて、彼女を待っておきたい。
ラウラはラウラでリオに対して頼りになるお姉さんのように振る舞いたく、リオはリオでラウラに対して頼れる妹になりたいという仲良し姉妹だ。
リオは再び手を動かし始め、薪割り作業に戻ることにした。
四等分にされた薪にナイフをあて、ナイフの背を棒で叩いて、刃を薪に食い込ませていく。刃厚が細めであり、また、元の木が柔らかめとあってか、体重を掛けずともリオの弱い腕力でも簡単に割れていく。
せっせと薪割りに従事していると、再びアドルフの口が開いた。
「それはそうと、お前さん。今日も……その……」
「うぃ?」
「だからな……いやな……そのな…………ああ、だからな~……」
「――?」
どうも相手の様子がおかしいと思い、顔を上げてみれば、肝心のアドルフは左右の人差し指を合わせてモジモジしていた。
はっきり言え、男だろう――そう罵倒したい気持ちが湧かないわけでもないが、リオは相手が口を開くのを待つことにした。
待つこと三分、ようやくアドルフの決心がついたのかモジモジが止まった。
「その……昨日みたいに虫とかカエルとかを食べるのか? なんなら、オレたちの食料を分けても構わないんだぞ。多めに持ってきているし……流石に、その、なんだ? 小さい女の子たちがああいうゲテモノを食ってるところを見たくないというか……」
ああ、そういうことですか、と合点がいった。
余りに、もにょもにょ、という気持ちわるぃ……いや、彼なりに心配していているらしいことだけは分かった。
しかし、虫を食べることがそんなに悪いことなのだろうか?
普通に生活している分には縁の無いことを体験するための実習ではないか。その中に虫を食べることを含んで何が悪い。カエル君なんかはカエルの捌き方を指導して、一緒に食べていたじゃないか。
第一、あちらは共食いだぞ? それに比べれば幼女二人組が虫を揚げようが、カエルを焼こうがマシではないか。
立場上、王様と先生は嫌そうな表情を浮かべていたが、イーリスとラピス、それとノアは『しょうがないよね』という感じだった。他にライガーも褒めていた。
生徒の中でも、ゲイリーの見せた嫌悪は激しかったが、同性のロリータは最初こそ驚いた様子だったが趣旨を説明すれば納得していた。ここに居ないシャルルは分からない。彼は晩御飯を食べずに早めにテントで休んでいたので。
「だからさ、飯を持ってきていないんなら、周りから集めれば良いじゃないか」
「でも、バッタさんもカエルさんも美味しかったよ?」
バッタをこんがりと焼く前に糞尿を出来るだけ排出させたし、カエルも血管などもちゃんと丁寧に取り除いてから塩味で焼きあげた。
どちらも予想していた以上に食べられた。青臭さや泥臭さが無かったわけではないが、バッタは食べる際には翅と足をもぎ、お腹だけを食べてみたら、ちゃんとエビ――に近い――の味がしていたし、カエルも廃鶏よりも美味しく感じられた。
これで何らかの理由で家出したり、兵役に入った際に一人生き残った場合のサバイバル技術の知識と経験を積むことが出来たといえるだろう。
これにより他の同級生たちよりも一歩先を進んだことになる。このアドバンテージは後々の人生で大きく左右するに違いない。
「そうじゃなくてだな、お前さんたちの虫を食べる絵が駄目というか……」
「でもさ、先輩さんたちも来年からの兵役に入れば、嫌でも虫さんを食べるよ?」
エレンシアの兵役に入れば、遅くとも二年目から始まる各地での防衛業務に就けば場所によっては虫を食べることは珍しくないし、一年目の訓練期間に調理された虫が食卓に並ぶこともあれば、自力で確保させることもある。
エリザベス領は南北のエリザ湖があるので、当地ならではの訓練として、森で食べられる虫確保の訓練に素潜り漁で魚を獲る術も叩き込まれることになっている。
リオはそのことをリディアから聞かされたことがあったので知識として知っていた。だからこそ、養父の残したノートを参考に先に経験しておこうと思ったのだ。
「いや、そういう問題じゃないし……」
「じゃあ、何が問題なの? 食事をとることは生きる上で大事なことなんだよ?」
「ああもう……! どうやって説明すれば良いんだ!?」
えっへん、と小さな胸を張るリオにアドルフは頭を抱えた。そこに割れた薪を束ねていたエミールが友人に対して助け舟を出す。
「まあまあ、彼女にも自分なりの言い分もあるだろうしさ。ボクらの我を彼女に押しつけてもしょうがないよ」
「そうは言ってもだな……。で、どうなんだ? 今日も虫を食うのか?」
「今日は違うよー。虫さんはもういいの」
その言葉にアドルフはもちろんのこと、エミールもホッとした表情を浮かべる。
口では何だかんだとリオの考えを尊重していたのだが、内心ではゲテモノ食いに辟易していたのだ。
「今夜は虫さんじゃなくて、ウサギさんを食べる予定なの!」
ぴしり。
リオの一言に二人は凍った。
「昨日、ラウラちゃんが仕掛けた罠にねー、今朝になってウサギさんが掛かっていたの。だから、今夜はお肉が食べられるの~」
ただ、リオはそんなことお構いなしといった様子で言葉を連ねていく。
「楽しみだよね~。売ってるウサギさんのお肉は食べたことはあるけどね~。にゅふふ……あの子はどんな声で鳴くのかにゃ~、野生のお肉は筋っぽいのかにゃ~」
野生のウサギには野兎病という感染病の恐れがあるので、解体作業は見学することになるのだが、それはそれで勉強になって楽しみである。
「マジか……。神よ、オレは連夜で惨劇を見る羽目になるのですか……」
「え? 豚さんが良くて、ウサギさんが駄目なんて言わないよね? どっちも食べられるお肉には変わらないよね?」
そういうわけではないのだが、『そ、そうだね……』と返すのが精一杯の上級生たちであった。
★ ★ ★
『どんぐりころころ、どんぐりこ~』
陽気な合唱が牧草地に響き渡る。
歌手はリオとラウラ。
観客は同じ女子生徒のロリータ、大人組のラピスにイーリス。
そして周囲の放牧地でのんきに草を食んでいる牛と羊の群れ。
『ぼっちゃん、いっしょに遊びましょ~』
歌い終えると、拍手が起こる。
「……ちょっと変わったテンポと歌詞だね」
ロリータが感想を述べる。
「パパの故郷の歌だよ! ……教えてくれたのは別のお姉ちゃんだけど」
「ふ~ん……」
お姉ちゃんとは誰かは知らないが、パパが実父ではなく養父のことを指していることだけは会話を重ねていくうちに理解できた。
今回の遠征(?)も、その養父が原因なのだろう。
ウサギが確実に食べられると決まっているわけではないので、昨日同様、午後の休み時間を食糧確保に向けて動き出していた。
宣言したとおり、今日は虫が目的ではない。
「……よその川に向っているみたいだけど、テント近くの川では駄目なの?」
「あの辺りはお魚さんが少ないみたいなので」
今回の目的は魚である。
テントの近くを流れる川にも魚はいるが、元々、農水用として人工的に作られた水路の為に棲んでいるのも小魚ばかりなので食料向きではない。下流に向えば森から流れる多くの小川の合流により川幅も大きくなり、自然と棲んでいる魚も大きくなるが、そこまでは少し距離がある。
反対側、領境に向かい、クロッサム領を流れる本川があるので、そちらには手頃な魚が数多く棲息していると地元の人から教えてもらっていた。
今は領境を越え、クロッサム領側に約二キロほど入った所の道を歩いている。
ラピスとイーリスは護衛としてついて行く必要があるのだが、ロリータにはその必要は無い。残ってテントで休んでいても、ゲイリーとその他の男子との間で流れるギスギスとした空気が煩わしいので、リオたちに同行することにしたのだ。
(……それに、どうやって魚を獲るのかも興味があるし)
この国では魚を獲る場合、『銛で突き刺すか・網ですくう』の二択である。
しかし、二人にはそのどちらかを所持している様子はない。
リオとラウラの間を挟むようにバケツが仲良く握られているが、反対側は空だ。あとは、小さなショルダーバッグを肩からぶら下げているのと、ラウラだけが小さなベルトポーチをぶら下げているだけで、どちらもサイズ的に網が入っている可能性は低いだろう。
バッグの蓋の隙間から滑り止めの布のようなものを巻いた棒が見えているが、銛とするには短すぎる。もちろん、バッグが魔法により拡張されている可能性はあるが……。
見る者が見れば、バッグに入っている棒の正体が分かるのだが、こちらの世界では珍しいものなので、未見のロリータにはそれが何なのかは判らなかった。
「さて、お喋りはそこまでじゃ。目的の川は目の前じゃぞ」
イーリスがそう言うと、リオは駆け出し、ラウラも彼女に引っ張られていく形で駆け出していく。
草原を抜けた先には、ちょっとした風景が広がっていた。
「おお~、広~い!!」
「なんか凄いね~! リオ、ここが国で三番目に広い川幅らしいよ」
両者から感嘆の言葉が漏れる。
リオたちの身長では地平線――対岸をハッキリと目視することができない。少なくとも四キロ以上はありそうだ。
「……でも、川の水が少ないよ?」
現在の水量は一〇メートル有るか・無いかと言ったところだ。とても、国内でも有数の川幅を誇るとは思えない。
広義的に川幅とは堤防から対岸の堤防までの間の距離ということになるのだが、ちょっと大げさに堤防の位置を決めているのではなかろうか。
うろんな表情を浮かべていると、追いついたイーリスがリオの肩に手を置きながら、
「こちら側は支流といった奴じゃ、本流はもっと向こう側じゃよ。それと、今は流れている量は少ないが、増水時には見えている範囲、全てが水で埋まるぞ。対岸までは七キードほどにもなるのじゃ」
「ほえ~、それはなんか想像できないね~」
街の中央に川が流れているとはいえ、特殊な環境により滅多に増水・氾濫することがないエリザの中で生活してきたので、見えている範囲の全てで水が流れている光景がリオには想像できなかった。
しかし、イーリスが言ったとおり、雪解け水がピークを迎える春先と雨季を迎える秋の年に二回は川を渡ることが困難ほど増水するのである。
一行は、河原――ちょっと前までは川底だったという証拠なのか、僅かな草しか生えておらず、石と小岩ばかりが転がる水無川の部分へと降りていく。
川までの距離は二〇〇メートルほどだろうか。
「……わたしたち以外、人の姿が見えませんね」
ロリータは周囲を見まわして首を傾げる。
隣の領と繋がる主要街道にしては人の姿が無い。というか、ここにくるまでプルムの住民以外の人間と出会うことはなかった。
「基本的に行商以外は北周りのクロッサスか南東のルルガ経由で領間を移動するからの。対岸にあるレッチェという街はクロッサム領の駐屯地の一つじゃからな。軍人だけでは町は回らぬから一般市民も住んでおるが……まぁ、町の外にはそれほど出てこぬな」
「エリザベス側からこの川の手前までは無許可で来ることが出来るけど、間違っても勝手に川を渡ろうとしちゃ駄目よ。地図上の領境は手前にあるけど、実質的な領境はこの川になるからね」
ラピスが指を立てながら、なぜかドヤ顔で説明する。
「……無理に渡ればどうなるんですか?」
「ま、普通に行けば密入国扱いになるんじゃないかしらね?」
肩を竦めるラピス。
「時期が時期じゃからなー。クロッサムは牧草地が広がるだけで都会の影すらない田舎じゃが、仮にも一等貴族領じゃからの。国家として戦略的にも政治的にも重要な土地になるからのぅ……。捕まれば、身元が確認できれば罰金で済ませられるであろうが、不確かであれば拷問も避けられまい。ただなぁ……」
「ただ?」
「防衛体制が周囲の国境地域に比べれば今一つ……いや、今三つと遅れをとっていることは否めないはずじゃ」
牧畜関連は国一番の供給量を誇り、また、有数の穀倉地帯でもある。
その上、現在位置からは想像できないが、クロッサム領はフェイブル自由国と接する国境を持つ重要拠点でもあった。
国境には関所もあれば、兵が駐屯する要塞もいくつか築かれている。しかし、国境の全てが万里の長城のような城壁で遮断されているわけではないので、国境を越えることはそう難しいない。
また、そういう土地の割りには警備がザル――警備すべき面積に対して人手が足りない――になりがちで、国境を突破されれば手の出しようがなかった。だからこそ、捕まえた際の取調べが苛烈を極める。
「おぅ、ごうもん……ごうもんって、くすぐりの刑?」
「あ~、違うかな? そういう間接的ではなく、もっと暴力的というか……そうねぇ……上手な人が行えば大丈夫だけど、下手な人が行えば死んじゃうかしらね……?」
言葉を濁すラピス。
子供に拷問の説明をするのもどうかと思わないでもないが、無下に扱うのも駄目である。相手が質問して来た以上――理解するかはともかく――真面目に返答するのが大人としての役目であり、頭に『元』が付くとはいえ侍従隊で培った流儀でもある。
とはいえだ。
王族が相手なら見学させるし、侍従隊の新入隊員ならば体験させて教えてきた。言葉だけで全てを伝えるのは無理なので、どう説明すれば良いのやら……。
まぁ、中には拷問相手をワンパンチで潰した――頭をフッ飛ばした――新人もいたが、そういえば彼女もまたキツネ耳族だったな。
「じゃあ、お耳じゃいあんとすいんぐ? それとも、尻尾すぱいらるはりけーん?」
感慨に耽っていると、リオが袖をクイクイと引っ張りながらこちらを見上げていた。
まぁ、この娘たちなら大丈夫だろう。ここ数日だけの付き合いだが、精神的な脆さはなさそうだ。
「その二つが何なのかは分からないけど、多分、違うわね。かんた――」
「簡単に申せば、精神的苦痛・肉体的苦痛を相手に与え、相手が持っている情報を引き出すのじゃ。(逆さに)吊るしたり、(手足が牛に)引っ張られたり、(家族を)脅迫して自白をさせたり――と、色々じゃな」
ラピスの台詞を遮るようにイーリスが説明した。
見せ場を奪われたラピスは、恨みがましい視線をイーリスに向けるが、その程度では脅しにすらならなかった。
で、説明を受けた子供――特にリオとラウラは、
「(イタズラした罰に、木に)吊るしたり……」
「(物を壊した罰に、耳や尻尾を)引っ張られたり……」
『(味方をさせるために、美味しいお菓子で)脅迫して自白をさせる……』
最後はハモリ、そして曲解し、見事にまで勘違いしていた。
「……全部、パパと一緒だね」
「……ええ、お義父さんと一緒だわ」
それ故に恐ろしい。特に最後が。
唯一の男性、特異点、細いくせにやたらと頑丈な影響力がある……などなど、集団で生活するには邪魔な肩書きが多すぎた彼女たちの養父は、せめて義娘たちを味方に取り入れようとしていたのだ。
その手段がお菓子である。
特に再現不可能な『カステラ』の味は忘れられない。
「……お父上も同じ拷問? 子供に拷問を施すなんて、一体、どういう人なのかしら」
ロリータもまた勘違いしていた。
「まぁ、お主たちは身元がハッキリとしておるからの。おそらく、リディア王女がこちらの領主からお小言の一つや二つを貰う程度で済むであろう。大人であれば、そうは行かぬであろうがな」
リディアとクロッサム領の領主であるマルタ・クロッサム・ベッケンバウアーとの仲は平行線と言ったところだ。今回は子供なので小言で済むかもしれないが、仮に親のセディアが領境を無断で侵そうものなら、相手に有利な取引を提示するなど譲歩しなければならない。
リディアが下になるには理由がある。王女や次期・国王候補という看板を持っているが、現在はあくまで一等貴族の一人。立場は同等であり、あちらの方が先達者なので一定の敬意を払う必要があるのだ。
「私たちには川を渡る理由がないからどっちみち無関係な話ね。で、川で魚を獲るとは聞いていたけど、どうやって獲るつもりかしら? 投げ網?」
川の直ぐ横にまでやってきたラピスが川を眺めながら問いかける。
穏かな流れの中、そこそこサイズの魚影の姿が数多く目に留まる。
とはいえ、それは川の中間から向こう側を泳いでいる。ここから網を投げ入れたとしても専門家ならともかく、子供、ましてや素人の技術で届くだろうか。
川の中に入って銛で突くのはどうだろうか?
見たところ、水深は大人の膝ぐらいだろうか。ただし、元が雪解け水ということもあってか水温は低そうだ。
「これを使います」
ラウラとリオは肩から提げていたバッグを外すと地面に置き、蓋を開けると中から複数の棒を取り出した。
長い・短い、太い・細い、と様々なサイズをした竹の棒が八つ。
「何、それは?」
「『テンカラ竿』と呼ばれる、魚を釣り上げる為の道具の一つです」
「なるほど、アレが残したものじゃな。しかし、あやつは何も残さずに姿を消したと訊いておったが?」
「そうなの。パパが持ってきた物はほとんど持って帰ったみたいだけど、これは街の倉庫に保管されていたの。」
質問に答えつつ、棒を順番に繋げていく。
全てが繋がり、全長が四メートルほどまで伸びた。
「リオは何色が良い?」
ベルトポーチから、赤、青、緑……と、カラフルな紙の薄いケースを取り出し、リオの前に差し出した。
それを見たリオは、うーん、と首を傾げながら悩みつつ、
「黄色! それが一番見やすかったもん」
黄色のケースを受け取った。
中身はケースと同色の糸だ。彼女たちはそれを竿先にあるコブ紐に結んでいく。
「ずいぶん派手な色の糸と……ホコリの塊?」
ロリータは黄色の糸と、糸の先に付いていたホコリ(毛?)の塊の正体を尋ねる。
リオとラウラは、『ホコリの塊』と指摘されたものに苦笑いを浮かべるしかないが、知らないものはしょうがない、と頷いた。自分たちの時はもっと酷いコメントをした記憶があるのだ。
「ホコリの塊……いやいや、リーザお姉さん。これは『毛鉤』という魚を捕まえる針の一種です」
「――? ……それで捕まえるの? ……どうやって?」
小さすぎる針(?)でどうやって魚を捕まえるというのだろうか? 突き刺したり、引っ掛けるにしては小さすぎる。
その光景は、どうやってもロリータには想像することが出来なかった。
「えっとね、これはお魚さんが普段、食べているであろう虫さんとかを鳥の羽とか毛糸で真似ているんだって! で、お魚さんが間違えて食べるの!」
予備の毛鉤を渡され、それを観察する。
言われてみれば、確かに羽虫のように見えるかもしれない。これに魚が食いつけば、小さな返しのついた針が口に刺さり、糸で手繰り寄せるということになるのだろう。
そうすると、棒は反動で針を遠くに飛ばすための道具とみるべきか。
「それで、糸が派手なのは?」
「それは……えっと、糸に色が付いているのは、あたしたちが糸を見やすくするためだそうですが……実際のところ、よく分かんないです」
説明しているラウラもよく分かっていないらしい。
諸説色々とある中で有力とされているのは、川の中を流されている毛鉤の現在位置を把握する為に糸に色がつけられている、となっている。
基本的に、糸に色が付いていてもほとんどの魚は警戒心を抱かない。色の判定は多くても四原色ぐらいで、魚たちにとって釣り糸とは、エサについている紐ぐらいにしか思っていない。
ただ、エサに食いついた瞬間に紐が引っ張るものだからビックリして、本能で暴れるだけである。釣り針もよほどの場所に刺さらなければ痛覚も感じないらしい。
糸は色よりも太さの方が重要である。太さによって、水流や風の影響を受けやすく、それによって釣りエサの移動で良し悪しの差が生まれる。いくら魚でも、不自然な動きをするエサには食いつかない。
「ラウラちゃん、先に始めるよ~」
そう言い残して、リオは川下へ向っていく。この手の釣りは、川下から川上へ移動していくのが鉄則だ。
「では、わらわが付き添おう」
リオの背中を追う形で、イーリスも川下へと下っていく。
「こっちも始めます」
ラウラはその場から竿を振り始めた。
竿をしならせて毛鉤を魚の居そうな上流――岩などで水の速度が周囲とは違う場所へと投げた。
「…………」
毛鉤は、すいー、と何ごとも無く下流へと流れていき、それを見ていたラウラが竿をしならせ、再び上流域へと毛鉤を投げこんでいく。
それを何度か繰り返し、手ごたえが無ければ、違う場所に毛鉤を投げ入れる。
やっている方はともかく、見ているほうは結構暇だ。
「……けばりを投げいれる場所って決まっているの?」
「えっと……ちょっと、待ってください……」
ロリータの質問に、ラウラは一度、毛鉤を回収し、竿を地面において、バッグの中から例の手帳を取り出した。
ページを捲り、該当するページを開きながら、
「えっと……『魚の視力は弱いです。ですが、視野は人間よりも広く、位置の関係から、前よりも斜め後ろに重きを置いています。目の後方で素早く動くエサに鋭く反応します。以上のことから、毛鉤は魚の目の横を後ろから前へ移動させることでよく食いつきます』……だそうです」
魚の視野――前後左右の視野は三三〇度――人間は一五〇度ぐらい――とも言われているが、物がハッキリと見える複眼エリアは前方の三〇度ほどで、単眼エリアが広く、距離感がつかめない為に前方のエサよりも横のエサに本能で反応するのだ。
また、頭上は一〇〇度前後ほどあり、水面の屈折によりほぼ水平まで広がる。釣り人の中には姿勢を低くして川に近づくものも居るが、正直、そんなことをしても魚は気配を感じ取っている。見つかる前提で敵と判定されないよう工夫をした方が良いのだ。
よく、釣りとは『魚との知恵比べだ』と語っている人間もいるが、実際は魚の本能対人間の技術力の勝負である。いかに釣りエサを普段食べている物に似せるのかが腕の見せどころと言えよう。
「他にも『流れに巻き込まれて翻弄されているエサにも反応します』……だって。へぇ~、そんな風になっているのか」
背後からラピスが肩越しに手帳を覗きこみ、別の部分を読み上げた。
そんな彼女をジトッとした視線で一度だけ見つめてから、ラウラはロリータに振り返った。
「……そういうわけです」
「……ありがとう。なんとなく分かった」
単純に毛鉤を川に投げ入れているだけと思っていたが、なるほど、それなりにちゃんとした理由があるようだ。
ラウラはロリータの頷きを見届けてから、再び竿を振り始めた。
時折、ラピスがラウラにちょっかいを出し、それを見てロリータがクスクスと笑う。
のんびりとした空気が流れる。
「釣ったどぉ~~~~!!」
「だ、助けてくれぇ~~~~」
川下からリオの奇声が上がる。
それと同時に川上から切羽詰った金切り声が聞こえてきた。
その声に反応し、まずは川下のリオ側に視線を向けると、リオが満面の笑みを浮かべ誇らしげに釣り上げた魚を掲げていた。
次いで、川上に目を向ければ、川の中を水しぶきを上げながら四頭立ての馬車が向って来ていた。その両岸には、川中の馬車を追いたてるように一〇頭ほどの謎の黒い動物が砂煙を上げながら駆けている。
「……ちょっと、魚が逃げちゃうじゃない」
それらを見て、ラウラがボソッと毒を吐くのだった。
作中歌:どんぐりころころ(1921年)
作詞:青木存義 作曲:梁田貞
作詞、作曲、ともに著作権の保護期間は満了しております。
次回はできるだけ早く……したいな?




