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勇者の活躍(?)の裏側で生活してます・後日譚  作者: ぞみんご
第二章 進撃のキツネとウサギ ……あと金髪
15/20

#015 Ahead Ahead Go Ahead!! ④


 さて、収獲が終れば次は解体である。


 これには、グロッキーで午前の狩猟を休んだ男子たちも強制的に参加である。


 全員、手ぬぐいなどでマスクをした怪しげな集団と化している。


 標体として選ばれたのはロリータが仕留めた小型の野ブタではなく、猟師が事前に箱罠で捕えていた別の子ブタを用いることとなった。


 ロリータが仕留めた野ブタはちょっとした問題があり、解体処理がなされることなく、別の場所に運ばれていったのである。


 講師役を務める地元猟師の二人は、子ブタに即効性の睡眠系のお香を嗅がせる――嗅がされた子ブタはコロンと倒れた――と、清潔な台の上へと持ち上げた。


 猟師の反対側に子供たちが台を囲み、シトンと護衛メンバーの姿はここには居ない。


「今回は罠で捕えておいたものを使用するが、射獲した場合も同じだ。良い肉を採るためには幾つかの行程が必要だ。さて、解る者は居るか?」


 ヒゲ面の猟師の言葉にリオが応えた。


「わかりません!」


「勇気ある自己申告は重要だが、ここでは要らんぞ」


「は~い。ごめんなさい」


 ヒゲ面の苦笑いを見て、当人は至って真面目な風に頭を下げて謝るそぶりを見せつつも、相手から見えない顔には小さな舌が、べー、と出していたのだ。


 リオにしては珍しい行動だが、これには理由がある。


 ちらりと横にいるラウラの顔を見上げると、彼女は白い歯を見せ軽く微笑んでいた。午前の実習が終った時に打ち合わせをしておいたのだ。ここから先は必要以上に目立つようなマネはよそう、と。


 護衛チームが知り合いで味方になってくれるかもしれないが、あくまで自分たちは集団の中で最年少かつ女性なのだ。中立のロリータも女性ということで巻き込まれる可能性がある。それは絶対に避けなければならない。


 子供は大人の見えないところで、好き・嫌い・分からない、という感情で――大人も似たようなものだが――歪な人間関係を構築する。好き嫌いで人を分別することは構わないが、嫌いなら無視すれば良いだけの話である。


 ところが、『嫌い』という言葉は、『相手を叩き潰す』と同義語になるらしい。相手を屈服させないと気が済まないというのが理屈なのだそうだが、相手にされる側からすると馬鹿馬鹿しく、とても不条理だ。


 ラウラとリオも自分たちの置かれている立場を理解している。だからといって、理不尽な攻撃を素直に受け止めるつもりもない。人生、十全に楽しまなければ損だ。


 今朝のように無意味なストレスが溜まる時間を増やしたくない。ならば、その為には自分たちが馬鹿を演じれば良い。


 本当なら先ほどの質問の解答は知っている。


 ラウラとリオの手元にあるメモのような手帳には養父が書いた文字で、




 野生肉(動物・魚)における美味しいお肉の作り方・基本の五ヶ条。


  一、血抜き(可能なら限りで、絶対ではない)


  二、ストレス無き、速やかな絶命


  三、内臓の取り出しに腹腔内洗浄


  四、冷却による体温の放出(※最重要!)


  五、適正な熟成&解体




 ――と、記載されているからだ。


 ラウラは演じるのが苦手だし、そんなことをすれば相手が勝手に警戒する。だから黙っていることを選択した。幸い、リオは素直だ。愚直に義姉の言葉を信じてくれる。その上、彼女なら天然で済ませられる愛敬さを備えている。とても素晴らしい才能だ。


 養父の言葉を借りるなら、『才能は利用し、利用されるに限る』だそうだ。


 ならばこそ、リオの才能を利用するのが一番であった。


「ああそうだ。今回は課外授業として外で行っているが、本来、こうした解体作業などは可能な限り清潔で設備が整った室内で行った方が良いだろう」


 衛生面について追加で説明があった。これも手帳に記載されていた。


 それじゃあ始めるか、とヒゲ面がナイフを手に取り、野ブタの喉元を指差した。


「まずは、心臓が動いている間に頸動脈の太い血管などをナイフで切り、血抜き処理を行う。これは『放血』などとも呼ばれてる……ん、ここだな」


 彼は指で喉元を撫でながら頚動脈の位置を探り、探り当てるとすばやくナイフを走らせ、動脈を切った。薬が効いているのか、野ブタは声を上げず、ぐったりとしたままだ。


 切られた箇所から綺麗な赤色をした血がどんどん噴き出すように流れでる。


「……しかし、射穫の場合は完璧な血抜きを行うのは、ほぼ無理と言っていいだろう」


「無理って……それじゃあ、この作業に意味があるんですか?」


 まだ顔が白いままのシャルルの問いかけに、ヒゲ面は『良い質問ですね~』と言わんばかりに深い笑みを浮かべ、うんうん、と頷いた。


「血抜きの主な意味は三つ。個体の熱を奪うこと。腐敗を抑えること。そして、固まった血液と共に調理された場合の味の低下を防ぐこと。……まぁ、獲物や調理法によっては血抜きを行わない場合もあるから、その都度、変えていく必要があるだろうな」


 血そのものを扱う料理もあれば、血の味を楽しむ為にわざと血抜きを行わない場合もある。保存の方法さえ間違えなければ、調味料として使用できる。


 ヒゲ面の説明を引き継ぐ形で若ハゲの男性が固まりつつある血液を指差し、


「血液という液体(もの)は、獲物が死ぬとどんどん固まっていきますので、血液の体外への排出は難しくなります。射穫では難しいといった理由がこれになりますよ」


 リオは、ほえ~、と目をキラキラさせながら手帳を見返した。


 放血の項目には、『既に心臓が止まってしまった場合は、吊るすなどして重力を利用することでしか血は流れません』と書かれている。


 図として、服を掛けるハンガーを大型にしたようなもので吊るす絵が描かれていた。最終的には調理の前に塩をふりかけて、浸透圧で血を抜くようにも書いてある。


 台の上の子ブタは抜けるだけの血が抜けたのか、若干、白くなったように見える。


 呼吸音がなくなっていることから、心臓が停止し、絶命しているに違いない。


「……さて、血が抜けたら次は腹を切り、内臓を取り出す。こちらは『血抜き』よりもある意味、重要になるだろう。そして時間との勝負であり、丁寧さが求められる」


「時間との勝負?」


「そうだ。野生の動物は家畜として飼われているものとは違い、解体前に絶食しているわけではない。だから、胃や腸の中には消化中のものが入っている。心臓が動いていると、胃と腸も活動を続けるが、心臓が止まれば、活動も停止する。だが、胃液による消化が止まるわけではない。特に胃の中では発酵が進み、ガスが発生する。ガスは放置しておくと体内に回るので、結果的に肉が臭くなるのだ」


「狩猟で獲った肉が『臭い』と言われる要因の一つですね」


 再び、メモに視線を落とす。


 そこには、『時期、動物の大きさや種類によって変わるが、胃の中のガスが肉に回り始めるまでの時間は大体、三〇分ぐらい』と書かれていた。


 他にも『膀胱を破るな』や、『仮に穴を開けて、中身がナイフなどに付着した場合は、消毒するまで継続して使用しないこと』と注意書きがあった。


 説明した通り、良い肉を確保するためには心臓停止後、三〇分以内に内臓――特に胃と腸――を取り出さねばならない。しかし、今回は子供たちの教育などを兼ねているので、講師役を務める地元猟師の二人はゆっくりとした手つきで内臓を取り出していった。


「内臓を取り出す際は胃と腸、膀胱を傷つけないことだ。胃に穴が開くとガスが飛び出すし、腸や膀胱には糞や尿などが蓄積しているからな」


 ヒゲ面の男性はこわもての見た目とは違い、繊細な手つきでナイフを操る。若ハゲが『どこそこの血管を切る』などと分かりやすく説明していく。


「獲物が大きくなればなるほど、内臓も重くなる。特に胃の中には大量の消化物が詰まっているからな。持ち運びが面倒なら、内臓を取り出してから移動させるのも良いぞ」


「屠畜場でブタを解体しているところを見たことあるけど、そこでは頭を先に落としていたような……」


「頭を切り落として、食道から何から何まで全て取り出すやり方もあるが、今回はしない。これは師匠に教わった俺たち流儀のやり方だからだ。……とは言え、頭を落としたり、毛を剥いだり、と手順にはそれぞれの流儀があるからな」


「ちなみに、イノシシや親ブタの場合は生えている毛を抜いてから内臓抜きをするよ。これだって、正式な手順があるわけじゃない。それぞれに合ったやり方でやると良い」


 解体中の子ブタにはうぶ毛ぐらいの毛しか生えていなかった。


 ヒゲの腕がブタのお腹から出てくるのと同時に、心臓や肺、胃と腸など一通りの内臓がデローンと出てきた。それを見えやすいよう一つ一つ、分けて並べられていく。


 内臓を取られ、空洞になったブタの腹の中を水で綺麗にしていく。


「……さて、ここまでくると後は……」


 ヒゲ面と若ハゲが水の張られた樽を台の横に置いた。


 表面には無数の氷が浮いている。


「熱を保ったままの獲物をそのまま放置すれば肉が蒸れるし、菌が繁殖し、腐食しやすくなる。だから水などに漬けて冷やす必要がある……よっと」


 子ブタはあわれ樽の中に落とされ、浮かび上がらないよう蓋をされた。


「水なら、そこの川じゃ駄目なんですか?」


「あの川の下流域には肉食の魚が棲んでいるからな。血の臭いがする肉を川に沈めると、あとは想像したとおりの結果が待っているだけだ。それに、渇水気味で流れも遅い。漬けるとすれば上流域で、水質が綺麗でもう少し水量がなければ駄目だろうな」


「水がない場合、冬や春先なら雪があるだろうから、それを詰めても良いですね。あとは、冬なら軒下に吊るすのも有りです。近くに川が無ければ、すばやく水がある場所まで運ぶ必要が出てくるでしょう」


 リオはここまでの処理と手帳と照らし合わせた。


 見せてもらった手順と、メモの手順には特に気になるような差異は無かった。が、養父メモには『冷やす、兎にも角にも急冷が重要である』と、血抜き以上に大切なことだと書き記していた。


 ……ただ、世の中には『血抜き』を神聖視する声もある。


「あの……血抜きと冷やすのってどっちが大切ですか?」


「あん? う~ん……判らん。その辺りは人それぞれじゃないか?」


 曖昧な返答にも謝意を伝え、リオは手帳をポケットにしまいこんだ。偏見にもなるので彼には悪いが、その辺は習慣でやってそうで専門的な知識がないのかもしれない。


 母親(セディア)は駄目だ。彼女は苦労している時間が長かったせいで食に関して言えば、胃に入れば全部同じ、といった思考停止状態になる。


 そして、ルツィアとセーラも駄目。ルツィアも母親と同じ思考の持ち主だ。セーラにいたっては、彼女はお姫様の癖に胃と腸が鋼鉄並に頑丈なのであてにならない。


 リディアは……違う意味で駄目だろう。彼女の説明の仕方はその道の専門家ぐらいしかついて行けないぐらい専門用語のオンパレードだ。知識量が足りていない自分たちは置いてけぼりになってしまう。


 彼女は説明が嫌いではないし、意外と世話好き――お姉さんぶりたいから――でもある。ただ、こちらが理解できなかったというと、この世の終わりぐらいショックを受けて落ち込むので安易に頼れない。


(……パパが居れば……って、パパが一番ヤバイじゃん!)


 養父に聞けば、わりと丁寧な答が返ってくるであろう。ただ、その手には失敗の中でも最悪に類するお肉が盛られた皿が載せられているに違いない。そして、そのお肉を無理やりにでも口の中に放りこむはずだ。


 吐き気で胸が苦しくなるか、お腹がグルグルと唸りはじめるか、そのどちらかの理由でトイレに駆け込むに違いない。そうしてゲッソリとした顔で戻ってきた自分たちをしれっとした無表情で迎え入れ、こちらの恨みがましい視線も華麗に受け流し、逆の手には涎がこぼれ落ちるような美味のお肉が用意されている。


 結局、誘惑に負けてお肉を食べ、先ほどまで溜まりに溜まった恨みつらみがどこかへ綺麗さっぱりと消え去り、最終的には『お義父さん、大好き』と抱きつくのだ。


 ……ちくしょう、何度、同じ手法に騙されるのだ。騙される自分が情けない。それでいて、養父を嫌いになれないし、憎めしない。


 ムカつくまでに素晴らしい『飴と鞭』の手法。あれに抗える人間は数少ないはずだ。


 屋敷で一番頼りになるとすれば、お姉さん(メイド)たちだろう。ただ、彼女たちに教えを乞うと――養父よりはマシだが――実地で教えられるので骨が折れそう。


 こちらは飴がなく、ひたすらムチの連続だ。


 リオが頭を抱えているうちに、この後の処理についての説明が終っていた。聞き逃してしまったが、あとでラウラに聞いておこう。


「……それじゃ、処理の第一段階は終了だ。枝肉や精肉処理の行程については明日の昼に行うからな。それと、自分で獲った肉は自分で処理してもらうから覚悟してろ」


「僕らの授業は終わりですが、キミたちはこのまま待機していてください」


 そう言い残すと彼らは子ブタの沈んだ樽は待機していた荷馬車へと載せ、何処かへと旅立っていった。




        ★  ★  ★




 猟師の二人が去り、一〇分ほど経過した。


 子供たちは河原にポツンと置かれ、台の上には放置されたままの内臓があった。


「これってどうすんだ?」


 臭いに釣られてなのかハエなどの虫が飛び交い始めている。また、見ていて気持ちのいいものでもない。


「先生、いつまで居るんですか? もうすぐお昼ですよ?」


 アドルフが後ろで見守っていたナンシーに問いかける。


「え~と、もうしばらく待機です。もうすぐ、シトンさんがやって来るはずですから」


「いやー、遅れて申し訳ない」


 ナンシーの返事に反応するかのように、二つの樽を抱えてシトンがやってきた。


「あのぅ……その格好は?」


「ああこれ? 防疫(ぼうえき)用の服を一式借りてきて、着ているだけだよ」


 ちなみにシトンはというと、体を全部覆い隠すようなエプロンを装着し、頭には帽子、目の部分にはゴーグル、口にはマスク、二の腕から防備するような手袋――と、完全防御という出で立ちだ。


 彼は講師側の位置に立つと、持ってきた樽を台の上に置いた。


「あの人たちは何処に行ったんですか?」


「猟師さん? 彼らは牛の世話をしに自分たちの家に帰っているはずだよ。夕方にはもう一度、来てもらう手筈にはなっているけどね。……さて、ここからは私が授業を進めるから、まずはこれを見てもらおうか」


 二つある内の右側の樽の蓋を開け、中身を取り出し、子供たちの前に広げて見せた。


 一メートルほどの面積を持つのは、布ではなく動物の表皮だった。


「これは今朝、獲った野ブタの皮を授業用に剥ぎ取ってきたものなんだけど、何かおかしなところは無いかい?」


「赤い……ひし形みたいな模様がある……かな?」


 アドルフが指摘したとおり、皮の表面にはうっすらと赤く、ひし形をした模様が散らばっていた。人が蕁麻疹を発症した時によく似た模様をしている。


「これは豚丹毒(とんたんどく)という菌に感染した場合に、蕁麻疹型に症状が出たやつだ。この菌は人間にも感染するから、気をつけるように」


 『人にもうつる』と聞いて、生徒たちは台の前から後ずさりする。


 その様子に笑ったりせず、さらに脅すような声が出た。


「イノシシにも見られる症状だけど、イノシシには毛があるから発見は難しい。関節型もあるそうだが、見分け方は関節部分が腫脹(しゅちょう)――腫れあがったり、歩き方がおかしかったりすれば、まずこの病気を疑うこと。そうした現象が肉眼で確認され次第、直ぐに解体などの作業を中断するように」


「お肉とかは食べても?」


「いいや、全部破棄する。さっきも言ったとおり、この菌は人にも感染する。とは言え、感染しても治療薬があるから死に至る確率は低いだろう。破棄する際は、土壌に埋めるよりも焼却処分の方が良いだろうね。……まぁ、詳しくは獣医さんに頼るといい」


 そう言って皮を樽の中に戻し、装着していた手袋も一緒に入れると、蓋を閉じ、ロープで厳重に縛った。樽の側面には『要焼却処理』という文字がでかでかと書かれていた。


 さて次は、と台の上にあった内臓類を指し示した。


「この国に限らず、ほとんどの国では動物の内臓を食べないよう指導している。それが何故なのか……ヤング君は知っているかい?」


 いきなり指名されて、驚いた様子で背筋を伸ばす。


「えっと……魔法の存在が原因って聞いたことがある――いや、あります」


「その通り。人も動物も魔法を扱える。そして、魔法の源は『魔素』と呼ばれる未解明の存在だ。私たちは未解明ながらもそれを利用し、生活の礎になっている。ただ、その魔素を多く摂り過ぎれば……さて、どうなるのかなコールマン君?」


「『魔物』と呼ばれる存在になります」


「そうだね。じゃあ、魔素はどこにあるのかな、シラサギ君……は、二人居るから、妹さんのリオ君に答えてもらおうか」


「ふえ……ッ!? え、えーっと……わ、わかりません」


 リオは微妙に恥じ入った様子で小さく縮こまった。


「それでは、姉のラウラ君は?」


 視線が集中することを肌で感じながら、さてどうしようか、と首を傾げたかった。


 知識としてはあるが、それを答えるとまた――特にゲイリーから――嫌がらせを受けそうだ。だからといって、無様に馬鹿を演じるのも嫌だ。


 不特定多数の人間から『良い人・凄い人』と称賛されようとも思わないが、横に立つ義妹には尊敬される、誇れる義姉になりたい欲求はある。


 リオの無駄にキラキラとした悪意のない瞳がムカつく。あれで見つめられてしまってはどうしようもない。


 目立たない、という前言を早くも撤回することになりそうだ。


「……正確なことは分かっていない、というのが正解だと思います」


「ふむ?」


「魔物化した場合、体の中から精霊鉱石に似た『魔石』と称される石が見つかると聞いたことがあります。それは魔素が結晶化した、もしくは、内臓の一部――特に心臓が魔石化している、というのが通説だそうです」


「ふむ……それじゃあ、内臓が食べられない理由とは?」


 シトンはどこか楽しげだ。


「魔素が体内のどこから発生し、どこに溜まっているのかは分かりませんが、少なくとも内臓のどれかに違いない。――以上のことから、動物の内臓を食べないことで、少しでも魔素が自分の体内に蓄積することを防ぐ、ひいては、魔物化を防ぐことになる、という観点だからだと思います」


「素晴らしい。テストでも満点をあげられそうな解答だね」


 シトンは満足げに頷き、賞賛するために手を叩きはじめた。


 リオも義姉を誇らしげな瞳で見つめ、ロリータも無表情ながらも拍手で賞賛を表す。ゲイリーを除いた男子生徒からも賞賛の拍手が送られた。


 ラウラは彼らの反応を予想していなかったのか、頬を赤らめつつ、それでも意地で当たり前といった表情を崩さなかった。


「さて、内臓を食べないようにしてきている理由は分かってもらえただろうけど、それぞれの土地の食文化によっては内臓を食べることも珍しくないので、そのことを理解せずに批判や差別は行わないように」


 シトンは真面目な表情を崩し、微笑を浮かべながら、


「さて、食べないことを理解してもらったところで、キミたちはここに置かれた内臓を見てどう思う? さっきの皮のように、何か違いや思うところがあれば指摘して欲しい」


 そうは言われても、内臓は内臓でしかない。


 しかも、違いとか云われても、比較するべき対象の知識があるわけでもない。


 リオはこっそり手帳を開き、内臓のページを開いた。


 そこには確認事項として『表面が滑らかなこと。色に異常がないこと。形、大きさに異常がないこと』の三点が書かれている。


「ここにあるのは、今年生まれたばかりの子ブタだったから綺麗な内臓だ。この色・艶を覚えておくといい、今後、判断する際の基準にもなるしね」


 首を傾げ、頭の上に『?』を浮かべる子供たちに頷きつつ、


「内臓には寄生虫が棲みついていたり、人間にも感染したりする病気の素がついていたりする。表面から見て判るものや、切り裂いて判るものもある。そういった危険なものと見分けるための基準として覚えておくといい。さて、今のことを頭に入れといて……」


 今度は左側の樽を開け、中身を取り出した。


 予想通りというべきか、取り出されたのは大きめの内臓だった。


「これは肝臓という臓器。ここをよく見るといい」


 差し出された肝臓の端っこの部分を指差され、そこに視線が集まる。よく見ると、直径一センチほどの白く盛り上がった結節(けっせつ)があった。


「これは寄生虫による病変だね。他にものう胞(水袋)が有った場合も要注意。これも、肉も内臓も破棄すること」


 そんでもって、と樽の中から新たな肝臓を取り出した。


 それを見て、エミールとゲイリーが、ヒィ、と小さく悲鳴を上げる。


 今度は肉眼でもハッキリと判るほど白く凸凹に変形していた。


「こちらは肝蛭(かんてつ)という寄生虫が寄生し、凸凹に変形した肝臓だ。これは判りやすいぐらいに進行したものだが、結節だったり、管状に浮き上がる場合もあるから見逃さないように」


 肝臓に引き続き、腎臓、胃、腸、すい臓、心臓とそれぞれのチェックする項目を教えていった。


「はい、これが心臓を二つに割ったもの。ここにもあるよね、見えるかい?」


「なんか、うじゃうじゃっとしたのがある」


「これは細菌の塊だね。心臓は全身に血を送るポンプの役目を担っているから、血の中に細菌が混じり、全身に回ってしまう。こういう場合も、全部破棄したほうがいい」


 時に臓物を二つに切り、中の様子を確認したり、細菌が集まってひと塊になっている様子だったり、寄生虫が動いている様子なども観察した。


「……表・裏だけの表面だけに限らず、怪しい場合は中の確認も忘れないように。内臓は食べないけど、だからと言って、チェックを忘れてはいけない。どこに、何が、隠れているかは分からないからね」


「お肉だけ獲るんじゃ、駄目なんだね。でも、分かりやすいのなら良いけど、小さいのなら見逃しちゃうかも」


「不安が先立つようなら破棄することも一つの手段だ。仮に病気にかかったとしても、自己消費だけなら自業自得という笑い話で済むけど、他の人が病気になれば笑い話では済まなくなるからね」


「……本当に笑い話では済ませられないですね。家で鶏を飼ってますけど、あんまり考えたことがなかったです」


 シャルルはしみじみと頷いた。実家の苦労を初めて理解した気がした。


「人の口に入ることを前提に作られている家畜の肉なんてものは、大変な苦労の末にできているんだ。屠畜場の方々も病気や寄生虫を見逃さないようにしている。彼らにはもっと感謝していいはずだ」


 畜産農家は家畜が寄生虫に寄生されないよう、また、細菌にできるだけ感染しないよう清潔を保つなど日夜努力をしている。


 その上、人々の口に入るよう大量生産をこなさなければならない。家畜だって人間と同じく病気にかかるし怪我もする。それらを癒すため、細菌を殺すためには、最小限の薬を使用するのは当たり前の話だ。


 屠畜場とてそれは同じだ。少しでも美味い肉に仕上がるよう洗練された解体技術を駆使し、寄生虫や細菌を見逃さないよう細かい所までチェックしている。


 ……だが、口さがない人は『抗生物質漬け』や『薬物中毒肉』、『生き物を殺す野蛮人』などと悪態を吐き、根拠もない批判をしているが、そうではないのだ。


 誰かがやらねばならないことを彼らはしてくれているのである。それが金の為と言えるかもしれないが、彼らが居るからこそ安心して肉が食えるのだ。


「じゃあさー、なんで狩猟なんてするんだ? 肉や毛皮だって飼っている奴から採れるじゃん。あんたの言い方じゃ、そっちの方が安心なんだろ?」


「う~ん、事はそんな簡単じゃないんだけどね。何事にも適正な数値や境界線というものがあって、それを超えようとするものを制限し、踏み越えようとするものは排除しなければならないからね」


 ゲイリーの年上を敬わない生意気な口調にも、シトンは嫌な顔をせず説明する。


 シトンの説明は『風が吹けば、桶屋が儲かる』に似ているかもしれないが、実際、その通りで、単純のようで現実は複雑に絡み合っているのだ。


 そもそも、今回の狩猟対象である野ブタは、元を還せば、食用として飼われていた豚が何らかの理由で逃げ出し、野生種として生きているわけだ。


 森の中で暮らしている肉食動物は野ブタを食糧にするので、家畜として飼われている豚や羊が襲われる確率は低くなるだろう。その反面、数が増えれば肉食動物たちの生存率が上がり、繁殖して生まれる数も増えるだろう。そうなれば野ブタだけでは数が足りなくなり、家畜を襲いに来るかもしれない。


 また、野ブタは森の中でも人間側の生活圏に近い場所で暮らしているので、発見されやすく、それが新たな肉食動物を外から呼び込むことになる。


 例を挙げれば、飛竜や翼竜がそれに当たる。実際、野ブタの駆除する者が減ったここ一年ほど、余所から飛んでくる翼竜を目撃する回数が増えていた。


 他にも、在来種との遺伝子汚染が起こるだろうし、新種の病原菌や寄生虫を生み出すかもしれない。それが家畜に流れてきたら最悪だ。


 今は目に見える被害がまだ出ていないが、それは時間の問題だろう。


 野ブタ一つ取ってもこれなのだ。単純に狩猟と言っても、趣味の話でもなければ、肉や毛皮の採取というわけでもない。人間のエゴや余計なお世話かも知れないが、誰かが調整・管理してやらなければならない。


 しかし、簡単な説明で理解できるほどゲイリーは世界を知っているわけではない。こういうものほど、その渦中に身を置いてみないとなかなか理解し難いのである。


「意味がわかんねー、もっと解りやすく説明できねーの?」


「…………」


 流石に眉をひそめつつ、それでも微笑は崩さずにシトンは頭を掻いた。


 その横に立つナンシーは内心でハラハラ・ドキドキもので、思わず目を手で覆った。


「う~ん、こればっかりはキミがしっかり勉強して、様々な経験を重ねていけば次第に分かるようになると思うよ」


 確かに七歳児のゲイリーには難しい話かもしれない。詳しい過程を飛ばし、あいまいな結論だけを説明するという形にはなってしまったが、その過程を自分で考える切っ掛けとなってほしいというのが、今回の実習の趣旨でもある。


「先生は、生徒に分かるように説明するのが義務じゃないんですかー?」


「やめなよー」


 リオがゲイリーをたしなめた。


 リオ自身もシトンの話は難しくて理解できなかったが、説明が理解できなかったことを理由に相手を馬鹿にしていい話ではない。


「うっせーな。良い子ちゃんぶるなよ!」


「うきゃ……ッ!?」


 どん、とリオを押し飛ばした。


(……リディア様――いや、メイドさんが見ていれば、今ので彼は死んでいるなー。ルーニー家の坊やが我がままとは聞いていたけど、こうもアホの子だったとは……)


 シトンは大きく溜息を吐いた。


 顔面蒼白なナンシーとラウラに助け起こされるリオを、何故か勝ち誇るような目で見下しているゲイリーの立ち姿がとても哀れだ。


 これで彼は実習中、異性はおろか、同性の男子からも相手にされなくなるだろう。


 若者が愚か者であることは一種の称賛すべき美点ではあるが、それには限度がある。それを踏み越えた者には制裁という名の罰を与えなければならない。


 それが大人の大事な役目である。


「……偉そうにしているだけで、オッサンも分かっていないんじゃねー……のッ!?」


 口撃を止めようとしない、ゲイリーの頭に衝撃が落ちた。


「立場を弁えろ、餓鬼(がき)


 端で聞いていたリオやラウラはもちろん、ナンシーも、残りの子供たちも背筋が凍るような射殺さんばかりの鋭い瞳と温度の低い声がそこにはあった。


 というか、何時の間に後ろへと回ったのだろうか?




        ★  ★  ★




 爽やかさとは無縁の気持ちの悪い暗い森の中。


「あは……あははっ! あはははあははは! あはっ!! あひゃひゃひゃ……おえっ……あひゃひゃひゃははははははッ!!」


 ちっぱい金髪は笑っていた。涙を流しながら、けたたましく。


「ああ……コウ……。触ってもいいですけど、時間と場所を弁えてくだ……さい……」


 おっぱい金髪は身悶えていた。太ももをすり合わせ、くねくねと。


 明らかに様子のおかしい二人ではあるが、彼女たちの手には、いかにも怪しげな色彩を放つ食べかけのキノコが握られていた。


「あはははは! ひゃひゃひゃ、おい見ろ! 人がゴミのようではないか! あはは、あひゃひゃひゃはははははは……」


「コウ……えっちですぅ。ひゃう……ッ、こ、こんなにも逞しいぃ……」


 ちっぱいはキノコを食いちぎってはどこかの大佐に取り憑かれたかのごとく嗤い続け、おっぱいははもはもと甘噛みするように傘の部分をしゃぶっている。


 なぜ、こんなことになったかといえば、三〇分ほど前の出来事が原因だった。




「昼食の食材じゃ」


 ちっぱいが抱えてもってきたのは、その辺りの木の根に生えていたキノコ。


 見たことがあるのもあれば、明らかにやばそうな色合いのものもある。


 しかし、キノコというのは実にやっかいなもので、見た目だけで判断できるものは少なく、また、同じキノコでも季節や産地によって成分の差が激しく違いを見せることも少なくない。


 日本人の中に広がっているキノコに関する、毒々しい色、縦に裂ける、などは全て俗説・迷信と言っても過言ではない。


 専門家でも判定が難しいのだから、素人が簡単に手を出していいものではない。


「……とはいえ、他に食べる物がありませんからね」


 おっぱいは聖剣の刀身上で焼かれていくキノコを見ながら二重の意味で嘆息する。


 専門家でもないので、本来の彼女たちならば決して手を出す食材(もの)ではない。また、塩水に漬けるなどして中に寄生する虫を取り除く作業をしていないキノコだ。正直、あまり自分の口の中に入れたいものでもない。


 そして、聖剣はこういう使い方をするものでもない。魔力を流すことで発熱させることができるとはいえ、罰当たりな使い方と言えよう。


「二重の意味でお節介じゃ。所有者のわらわが行えば、それ即ち正道なり、じゃ。火を熾せば、外敵を呼び寄せる恐れもある。それに、保存食も無くなってしもうた以上、草かキノコを食す他あるまい」


 日帰りで依頼を済ませる予定だったので少量の保存食して持ってきていなかった。その保存食は昨夜の夕食で全て食べてしまっていた。僅かでも残すべきなのだが、二人は燃費が非常に悪いうえにかなりの健啖家でもあるのだ。


 更に理由を重ねると、昨日の大乱闘で予想以上に体力を消耗していたので、体がよりエネルギー補給を必要としていたのだ。


 食べられる草もあるだろうが、発見できない以上、キノコに頼るしかない。


「貴女は一応『勇者』ですから、大丈夫でしょうが……」


「ん? 精霊持ちも胃袋は丈夫だろうに、何を言っておる」


「この手の奴に強いのは『土』系です。私は水ですから、恩恵は三分の一程度です」


 水に溶けている毒なら直ぐに発見できるし、解毒も可能だ。


「わらわとて、それは同じじゃ。この剣はそれほど便利ではないぞ。一度は経験せぬと防いでくれぬのだ」


 リオは『鋼鉄の胃袋』と称したが、死なないだけで毒そのものに強いわけではない。猛毒を口にしても精霊や聖剣はすぐさま解毒してくれるわけではない。教育と経験を兼ねてしっかりと苦しむのである。


 キノコの中毒症状は、胃腸炎型、コレラ型、脳症型・神経型の三つに大別できる。


 詳しい説明は省くとして今回の場合、腹痛程度ならなんなく過ごせるが、仮にキノコの毒で肝臓や腎臓が破壊されていこうとも、わずかに遅れながら同等の速度の回復が行われていく。その間はのた打ち回るほど痛いし、苦しくなる。


 死に至るような重症でも回復するので、『本当に人間なのか?』と問われれば、本人たちも苦笑しつつ、肩を竦めるに違いない。


 閑話休題。


 聖剣の刀身上には、ほど良く焼かれた美味しそうなキノコの姿があった。


「……見た目はまあまあですね」


「見た目はのぅ……」


 シイタケに似たキノコが火に炙られ、傘の裏に溜まっていく出汁から良い匂いが立ち上る。日本人なら醤油やレモンを垂らせば最高だろうか。


 その香りは、昨日の夜から何も食べていない彼女たちの胃の中枢神経を刺激する。『ぐぐー、ぐぐー、早く食べろよー、ぐぐー』と何度も刺激してくる。


 ただ、別のキノコからは不味そうな臭いが漂ってくる。


「……お先にどうぞ」


「そなたもいっしょに食べるべきじゃろ!」


「いえ、二人とも行動不能になるのは阻止するべきかと……」


「……一人だけ助かるつもりか?」


 おっぱいの言い分は正論だが、ちっぱいからすれば道連れになる仲間も必要だ。


「毒キノコによる中毒症状が出るまで、早くても三〇分と聞いたことがありますから、私たちならば五分ほどかと。だからこそ、私は五分遅れてからにするべきです」


「……五分も待たず、今すぐ口に咥えるが良い!」


「止めて……ください……ッ!」


 ちっぱいは焼けたキノコを、おっぱいの口へ押しつけようとする。それを避ける為に、おっぱいはちっぱいの手を押しのけようと抵抗する。


 美女同士の雄々しいキノコの押し合いへし合いというと、見た目だけなら卑猥(ごほうび)と言えるかもしれないが、本人たちは至って真面目である。


 ちっぱいの『逃がさぬ』という視線(あつりょく)に耐えかねたのか、おっぱいは大きく溜息を吐き、そして頷いた。


「仕方ありません、ご相伴します。ですが……」


 押しつけられていたキノコを払いのけると、安全そうに思われるキノコを掴むと、そしらぬ顔でキノコを口に含み、咀嚼しては飲み込んだ。


「そ、そなた……いや、何も言うまい。……で、どのような感じなのじゃ?」


「……悪くないですね。ただ……」


「なんじゃ、もう毒でも感じたのか?」


「やはり……懸念していた通りと言うべきか……虫が舌にさわります」


「……それくらい消化しろ」


 こうして彼女たちは半日ぶりの食事にありつくのだった。ただし、自分の腹の調子を賭けるという博打に出てなのだが……。



「あはははは! ひゃひゃひゃ!」


「あふ…………っん、やぁ……は、恥ずかしいのに……、こんな……ッ!?」


 そうした博打に出た結果がコレなのである。


 彼女たちが口にしていたのは、世に言うところの『毒キノコ』であった。


 脳症型に属する毒キノコが起こした幻覚は、ちっぱい金髪は笑う方へ、おっぱい金髪はエロい方へと見せたのである。


「あはははは! ひゃひ……」


 電池が切れたかのごとく、突如、ちっぱいの笑いがピタリと止まった。


 そして、だらりと垂れ落ちていた右腕がぴくりとゆれる。


「…………」


 気だるげで緩慢な動きながらも、徐々に持ち上がり、指先を口の中へと突っ込んだ。


 そのまま喉の奥へと突き進み、指先を動かして、奥を刺激する。気持ち悪さと嘔吐感が浮き上がってくる。


「……ぅ、……ッ! ……ッ!? ……おえぇぇぇぇぇ……」


 うぇろうぇろうぇろうぇろうぇろうぇろうぇろうぇろ。


 キラキラしたとても汚い物がちっぱいの口からこぼれ落ちた。


「……はぁはぁ……やばかった。もう少しで死んだ伯父上の手を取るところじゃった。むぅ……やはり消化できぬキノコであったか……」


 酸っぱさの残る口元を腕で拭いながら、キラキラの中にほぼ原型のまま留められたキノコを見て嘆息する。


 吐いただけではなく、本来なら胃の洗浄も行うべきなのだが、そこは腐っても勇者。なんとなく大丈夫そうだ。


「……二つ目までは大丈夫だったのじゃが……と、あやつの方は……おぅ……」


 ちっぱいは自分と同じ賭けに出たおっぱいへと視線を向けて、その姿に息を呑む。


 そこには片手を股の間に差し入れて、太ももを切なげに擦りあわせているエロい女が横たわっていた。


「くあぁぁ……! ひあぁぁ……! こう……コウ……ッ!」


 興奮してきたらしく、しだいに喘ぎ声が大きくなり、呼吸も荒くなってきた。紅潮した頬が白い肌に映え、何とも色っぽい。その上、太ももの動きに合わせてダイナミックに動きまわる双子の山がなんともまた……。


「……ごくり……」


 普段の凛々しい姿とは正反対の淫靡な姿に、生唾を大きな音を立てて飲み込んだ。


 ちっぱいは自分の立てた音に羞恥から頬を朱に染めた。


「……女のわらわでも襲いたくなる色っぽさじゃな……。ああいうのが、男をたぎらせる要因なのじゃな……」


 自分には備わっていない色香と色気、それにい……平坦に近い自分の胸を触りながら相手の見事すぎる双子山と見比べて、再び、嘆息した。


 身長からいえば相手の方が一〇センチも大きいのだから、その分、身体全体の肉付きも増えるのは致し方ない。しかし、腰周りの細さに関して、両者にさほど相違がないという点が納得いかなかった。


 ……いや、理由は解っている。


 どの国の軍隊でも、装備に関してはできるだけ金が低くなるよう規格化される。特に鎧などは素材に限りがあるので、できるだけ少ない量で済ませたい。そうなると、どこかを締め付ける必要が出てくる。


 胸や尻は融通が利かないが、腰に関してはわりと融通が利く。補正下着(コルセット)で体を締め付ければ、それに合わせて骨や肉も形が変形するからだ。


 種族で差はあれど、大体の基準が約六〇センチ。


 世の女性たちは、鎧を製造する際に胸や腰から尻にかけてのラインは何とか希望に沿うようにするから、その分、腰を細くしろ――という、美の流行が理由ではなく、戦争が理由で腰を引き締めさせられていた。


 とはいえ、最近は鎧を着る機会がなくなり、また、補正下着を装着するようなパーティーに参加することもないので、ちっぱいもおっぱいも腰の嵩が増えてきている。


 ただし、ちっぱいは寸胴体型に近づいているだけだが、おっぱいは健康的でよりエロい体系になるという、真逆の結果となっていた。


「ぬぅ……アヤコもそうじゃが、背の高くて胸が大きい女は、腰周りが増えてもえっちぃだけではないか! ……いや、今はそのような話をしている時間ではないな」


 ちっぱいは頭を左右にふり、邪念を吹き飛ばすと、おっぱいが握っていたキノコを手に取り、しげしげと観察する。


「ふむ……これならば、吐かさぬでも大丈夫じゃな」


 ちっぱいが食べたキノコは消化が難しいタイプだったが、おっぱいが食べたキノコは時間の経過と共に症状が治まるタイプの毒だ。


 食べた時間とおっぱいの消化能力を考慮すれば、そろそろ回復するはず。


 それが証拠に、おっぱいのくねくねした動きが止まり、最初はぼぅっとした生気の無い表情を浮かべていたが、しだいに紅潮していた頬も通常の色へと戻っていく。


「…………」


 何度か目をしばたたかせると、最後はくわっと見開き、身体を起き上がらせた。


「……わたしは何をしていたのですか?」


 記憶が混乱しているのか、状況が上手く認識できていないらしい。


「……毒キノコを食べて、エロい姿をさらしておったのじゃ」


「……マジですか?」


「マジも、大マジじゃ。エロ過ぎて、男が襲いたくなる気持ちを理解したほどじゃ」


 ちなみに、思い人()の名前を出していたことは黙っておく。幻想とは言え、思い人とじゃれあう姿は、なんとなく面白くないからだ。


 ちっぱいの皮肉混じりの指摘に、そうですか、と特に慌てることもなく服についた汚れを落とし、乱れた身だしなみを整えていく。


「なんじゃ、恥ずかしがって、もっと慌てるのかと思っておったのに……」


 実につまらない。


「……まぁ、コウ以外の男性や赤の他人に見られたのならば兎も角、同じ男に同じ時間に醜態を晒したことのある、あなたなら特に恥ずかしいも何もないのですが……」


 おっぱいからすれば、醜態を晒したという記憶が有るならば兎も角、そうした記憶がないので羞恥する理由がなかった。……股も濡れていないし。


「さて、私の方はもう大丈夫ですが、貴女は良いのですか?」


 胃の調子と満腹具合の両方の意味を兼ねて問う。


「わらわの方は大丈夫とは言えぬが……まぁ、大丈夫じゃろう。死にはせぬ」


 全て吐いてしまったが、わずかばかり消化したものもある。聖剣の力を使用すれば空腹感を紛らわせるには十分といえよう。


 もちろん、後から反動が来てしまうことは確定済みだ


「そうですか。……ならば、今日中にこの森を抜けましょう。今度こそ、(トラップ)にひっかからないでくださいね。次はどこに飛ばされるか分かりませんから」


「な、なぬ……ッ!?」


 昨日は遺跡の中で四回。今日は森の中で一回、ちっぱいは罠に嵌まっていた。


 ちっぱい一人が飛ばされるのなら構わないが、どういう理屈からか、距離をとっていてはずのおっぱいまでもが巻き込まれるのだ。


「いやいや……わらわが悪いわけではないぞ! そう、仕掛ける奴が悪いのじゃ」


「お約束のように床のスイッチを踏んだり、壁の出っ張りを押し込んだり、天井から垂れ落ちていた紐をジャンプしてまでひっぱるわ……。挙句の果てに、あからさまに怪しげな部屋の床に描かれた怪しげな魔法陣に魔力を流し込んだり……」


 床からは火が噴き出し、壁からは槍が突き出し、天井からは大量の蛇が落ちてきた。最後に至っては阿呆としか言いようがなかった。


「久々に貴女のポンコツぶりを確認しました」


「あ、あれは、『魔力を流すな』と書いてある看板が悪いのじゃ!」


 『押すな』と書かれたスイッチほど押したくなるという心理に近い。ちっぱいは自業自得とも言うべき、魔法陣への魔力供給を行い、そして飛ばされた先がこの森である。


 場所の正確な位置は分かっていないが、生えている木の種類や土の感触などを総合すれば遺跡近くの森の深部ではないかと考えられた。


「今日に至っては落とし穴ですよ、お・と・し・あ・な! すとーん、と私の視界から姿を消した時のアレは滑稽(コメディ)、そのものでした」


「そのようなことを思い出すでない! ……というか、そなた、実はわらわを責めることで話を逸らし、先ほどの醜態を恥じているのではないのか?」


「それは邪推というものです。ですから、この話題は終わりにしましょう」


 その一言で、おっぱいは先ほどの件について区切りをつけた。


 しかし、ちっぱいが指摘したことは的を得ていたのか、その表情には――解る者だけ気づく程度に――恥じらいが浮かんでいたのだった。




        ★  ★  ★




「さーてと」


 罠を仕掛け終えたラウラは立ち上がり、額の汗を拭い払った。


 彼女がいるのは、今朝方、狩猟見学をしていた河原の反対側に広がる牧草地。


 なぜ、こんな場所で罠を仕掛けているかといえば、食料調達のためである。


 実習における食事は昼食を除いた分を自分たちで用意しなければならない。それは調理だけではなく、材料もおなじこと。


 初日の朝食と最終日の夕食を除いた六食分の材料となればかなりの重量になる。


 ただでさえ、リオとラウラは体が未発達なので運べる量は少ない。そこで、必要最低限の主食だけを持参し、副菜となる食材は現地で調達して賄うことにしていた。


 最悪、現地調達が困難を極めたとしても、持参した主食が侍従隊御用達の激マズ&高カロリーのビスケットなので味さえ我慢すれば餓死することは無い。


「……とは言っても、アレって美味しくないもんね」


 狙うは野うさぎ。つまり、ラウラのお仲間(?)である。


 夜間になればワラビーに似た小型のカンガルーも獲れるそうだが、あくまで、日の入りまでの自由時間を食料調達の時間に充てているので、それは狙えない。


 うさぎの通り道は事前に猟師から聞いておいたのだが、素人の手作りの簡素な罠ゆえに、獲れる確率は低いだろう。


 マナーとして、ここに罠があることを示す印のついた棒を突き刺した。


「アルルおじさーん、終りましたー」


 離れた位置で見守っていた人物――アルルおじさんこと、アルバートがいる土手の上へと向っていく。


 昨日こそ、突然の再会と相手の格好に驚いたりもしたが、今ではそういう存在なんだと受け入れているので、特に気にしないことにした。


 そんなアルバートはどこか複雑な表情を浮かべながら、坂を上ってくる娘の友人を引っ張りあげた。


「もう良いのかね?」


「持ってきた罠は全部仕掛けましたので」


「そうか……ところで、後学の為に聞いておきたいのだが良いかね?」


「はぁ……どうぞ」


 改まってなんだろうか、と首を傾げつつ首肯する。


「キミは……大丈夫なのかね? その……同族の肉を口にしても……」


 獣人族の人間が、呼び名のモデルとなった動物の肉を食べること自体は法律を犯しているわけでもなく、宗教的な禁忌にも指定はされていない。


 元が肉食系の獣人族なら珍しい話でもない――一部の虎やライオン系の獣人族は同族の肉を食って高みを目指す習慣さえある――し、草食系であっても嗜好や味覚は人間寄りになっている。もちろん、住んでいる地域の習慣にもよるのだが。


 では、どういった理由がアルバートの懸念を抱かせているのかといえば、単純にラウラの幼さを心配してのことだ。


 幼さが潔癖性を生むこともあるし、生に関するトラウマを抱きやすい頃合だ。


 仮に野うさぎを捕えて、殺して、捌いて、食べて――という、一連の作業でリオとラウラがトラウマでも抱こうものなら、ほぼ確実に娘から恨まれてしまう。


 アルバートのそんな心配をよそに、ラウラはきょとんとした表情で首を傾げた。


 やがて、アルバートの質問の意図を理解したのか、ぽん、と手を叩いた。


「……そういう壁というのは、とうの昔にお義父さんの手で無理やり乗り越えさせられましたから」


「……シラサギ君の手で?」


 ラウラは頷きつつ、遠い目を浮かべながら、


「お義父さんが『宗教かアレルギー以外で、食わず嫌いは許さん!』と、色々と食べさせられましたし、その中にはうさぎも含まれていました。命のやり取りもね……」


「彼、何をしたのさ……」


 聞きたくないが、聞かずにはいられない。


 ラウラの表情には、戦場で壊された兵士と同じ何かが滲み出ているからだ。


「昔、リオと翼に怪我をしていた鳥を拾ってきたんです。お義母さんは『駄目だ』って言ったから、お義父さんに手当てをしてもらったんです」


 弱った野鳥事件。


 あの時の出来事は、今でもラウラの脳裏に鮮明な記憶として残っている。


 リオとラウラは家の前に広がる浜辺で弱っていた野鳥――鴨類の鳥を拾ってきて、養父に助けて欲しいと求めたことが発端だった。


 羽根が折れ、おそらく二度と飛び立てないであろう鳥を見た養父は義娘の要望に応えつつ、ちょっとした現実(ざんこく)を見せたのだ。


「表面の傷は治ってましたが、怪我が原因で飛べなくなったんです。――で、お義父さんが次に採った手段が……」


「ああ……なるほど、食べたのか」


 そこまで言われて、アルバートにもなんとなく察しがついた。


 この世界ならわりとありふれた光景、子供時代における一種の風物詩といえよう。そうした試練(?)を乗り越えながら、子供たちは人間の業の深さを知っていくのだ。余談だが、エレンシアでは犬・猫などの家畜を自宅で飼うには多額の税金やら事故時の責任の追及や補償金が高くなるので飼っている人間は少ない。


 ただ、アルバートでも想像できなかったことがあった。彼女たちの養父が美味しく頂くためなら調理法(しゅだん)を問わない人間だということを。


「怪我は治ったけど飛べなくなった鳥を、お義父さんは水に沈めて殺したんです」


「……何故、そんなことを?」


「よく分からないですけど、そういう方法があるそうです。もがき苦しんで、ぐったりとするまで見学させられました」


 養父が採った手法は『エトフェ』と呼ばれる、主に鴨を屠殺する際に血を抜かず、窒息死させる手法だ。本来なら首の後ろに針を刺したり、電気ショック等で仮死状態にさせ、それが窒息死につながり、血を抜かないので体内に血がうっ血して、その結果、血が肉全体にまわる。


 それにより、肉に鴨特有の鉄分を含んだ風味が強くなるのだ。


「えーと、なんだったかな……確か……(ロック)鴨だったかな」


「ん? その鳥は肉が硬くて人には食べられたものではなかったはずだが……」


 別名、入れ歯クラッシャー鳥、または、入れ歯量産鳥。


 肉が硬すぎて噛み切れるとすれば顎の強い種族かドラゴンぐらいだと云われており、人が活用するとなればスープの出汁を採るぐらいである。


「だから、『沈めるんだ』って」


 通常、屠殺する際は即死させ、死の恐怖によるストレスを与えないようにする。


 ストレスがあると良質な肉とならず、PSE肉――肉の断面の色が淡く、やわらかすぎ、しまりがなく水っぽい状態の肉――や、DFD肉――肉色が赤黒くて濃く、肉質がしまっていて、断面が乾燥した状態の肉――といった異常肉となりやすい。


 では、養父がストレスを与えるような方法を採ったかといえば、


 ――血を抜かず、窒息死させると肉の味が濃くなる。


 ――ストレスを与えると、肉が柔らかくなり、味が薄くなる。


 本来なら相反する効果と言えるのだが、適切な処理を行えば、肉の味が濃くなり、肉が柔らかくなるという相乗効果を発揮するのだ。


 そうは言っても、肉の種類を問わず、素人が安易に行えば成功する確率など皆無と言えよう。下手をすれば、ぐずぐずに柔らかいレバー肉を量産するだけである。


「美味しかったんですよー……それも、最上の美味ってぐらい。アレを食べたら、怒る気力なんかどっかに吹っ飛んでしまいます」


「そ、そうなのかね……」


「カラスのお肉は美味しい。犬のお肉も美味しい。知ってます? 脳みそって美味しいんですよ。独特の香り、トロッとした食感がまた癖になるというか……」


 恍惚な表情を浮かべながら、手でトロトロ感を再現しようとする八歳児。


(……シラサギ君。キミは子供に対して何という食育を施しているのだ!)


 やりすぎだ。


 やりすぎである。


 実は本人たちが気づいていない――気づいているけど、気づかない振りをしている――だけで、既にトラウマ――深い心の闇を抱えているのではないのだろうか。


 アルバートはそんな心配を抱いてしまう。


 ちなみに、ラウラが食したという犬は食用犬として育てられた犬をリオ(・・)が買ってきたものであった。もちろん、食うためである。


 調理法は鍋。辛さの利いた味噌味だった。


「……今度はこっちが質問して良いですか?」


「ん、何かな?」


「午前中、ライガーさんから助言を受けたんですけど……」


 何が理由で来たのか、それとも、ラピスに関することか、と身構えていたらと、ラウラは全く違うことを口にする。


 ラウラはアルバートに午前中に起こった出来事と、ライガーから受けた助言に対する疑問を付け加えて説明した。


 特殊な立ち位置にいるとはいえ、ただの小市民が国王に助言を求めること自体が不敬であるとも理解しているし、余りに小さなことだとも理解している。そうは言っても、同性のナンシーはどこかこちらを避けようとしている節があるし、イーリスとラピスに聞いても『細かいことを気にするな』の一言である。シトンはゲイリーのせいで近づきにくく、ネドベドは口下手。妖精は今、リオの側に居るので機会が廻ってこない。


「ちなみに、シラサギ君は何と書いてあるのかい?」


 アルバートは気分を害することなく、ラウラの持つメモ帳に目を向けた。


「お義父さんのメモには、狙うなら『脳のある頭』『脊髄が通る首から背骨にかけて』『心臓もしくは肺』の三ポイントが書いてあって、出来るなら頭か首を狙うようにって」


「確かにシラサギ君の言うとおりだが……」


「……でも、ライガーさんは『胴体を狙え』って」


「それもある意味、正論だな」


 禅問答のようになってきた。


 頭上に『?』が乱舞するラウラの肩に手を置き、


「弓矢に限らず、何かを長く続ける・上達するには楽しさが必要だ。……だが、何をもって楽しいと判断するには個人差が出てくる。例えば、矢を射るだけでも楽しいと感じる者もいれば、的に中らなければ面白くないと感じる者もいる。初心者がイライラしたり、飽きやすくなるといえば、結果が出ない場合だ。それも特に、自分の中で描いた理想の結果に届かない場合にね」


「…………」


「狩猟となれば獲れた方が楽しいし、長続きに繋がるだろう。しかし、初心者に頭や首を狙えと言っても難しい話だ。だからこそ、獲れる確率を上げる為に胴体側を狙うべきだし、初心者である今なら命中させるだけでもモチベーションを維持できるはずだ」


 優しく諭すように言葉をかけた。


 ラウラはアルバートの台詞を自分たちに置き換える。


 リオは終始楽しそうだった。


 リオの場合、誰かと何かをやったということが重要であり、今回もみんなで狩猟を体験することを純粋に楽しんでいた。


 反対にラウラはイライラしているところがあった。


 ラウラの場合、何かを体験することも重要だと認識しているが、それには結果がともなって欲しいとも思っている。それが何故かと言えば――。


「私は現場で見ていたわけではないのだが、これまで聞いた話を総合すると、キミは追い込まれていたのではないかね? リオ君の前ではカッコ良い義姉でありたいという気持ちに。その思いが強すぎたのではないのかね?」


「あぅ……」


 その指摘は耳に痛い。


 未体験を経験することは楽しいし、弓矢を射ることによる心地よい疲れも最高だと思っている。その上で、獲れた方が何倍も楽しいだろうとも考えていた。だが、それ以上にリオに良いところを見せたかったようだ。


「だからこそ、獲ることよりも、まずは矢を命中させることに重きを置いた方が良い」


「……そうですね」


 ライガーやネドベドの助言の意味が理解できた。


 彼らはラウラが何処にモチベーションを置いているのかが見えていたのだろう。


 改めて思い返してみれば、あの時に感じていたイライラは獲れなかったことよりも、カッコいい義姉を見せることが出来ず、その為にプライドが傷ついていたのだろう。


「ふぉぉぉ……」


 ロリータの純粋な思いとは違って、自分はとても利己的な気持ちで反発していたということになる。穴があれば入りたい、とは正にこのこと。


 カッコ悪い!


 実にカッコ悪いぞ、ラウラ(じぶん)




「ラウラちゃ~~んッ!!」




 自己中心的だった自分に自己嫌悪していたら、どこからか聞き覚えのある元気の余った能天気な声が聞こえてきた。


 顔を上げて、声がした方に視線を向けると、河原でリオが元気よく手を振っていた。その横には蛾の模様に似た翅を持つ妖精が座っていた。


 ラウラとアルバートは二人と合流すべく河原へと降りていった。


「ラウラちゃ~ん!!」


 リオは『ラ~ブ♪』と言わんばかりに、ラウラへと抱きついた。


「ラウラちゃん、ちゃんとたくさん捕ったよ!」


 頭を差し出し、褒めて褒めて、と尻尾がグルグルと動きまくっている。


「偉いわね、リオ」


 義妹の頭を撫でる光景は微笑ましいのだが、アルバートは別の懸念を抱いていた。


 足元でカサカサとわりと大きな音の発生源である籠に目を向けつつ、その横で疲れた表情を浮かべて座っている妖精に小さく問いかける。


「(おい、ノア。キミたちは何を捕っていたのだ?)」


「(……虫)」


 具体的には何の虫だ――と続こうとしたのだが、それを遮るようにリオがラウラに籠の中身である戦果を見せた。


「結構、大きいのね」


 ラウラが籠の中から飛び出した虫を捕えて、感想を述べる。


「……ラウラ君、それは何かね?」


「――? バッタですけど」


 彼女の手には、手の平サイズの大きなバッタが逃げようともがいている。


「……それをどうするのかね?」


「夕飯に食べます。素揚げにするとエビみたいな味がするそうです」


 リオとラウラは揃って首を傾げる。


 自分たちは特におかしなことを言っているわけではないと信じている表情だ。


(……これもシラサギ君の薫陶(せんのう)によるのかね? 幾らなんでも、これはあんまりだ……ッ!)


 アルバートは思わず天を仰いで、目頭を押さえた。


 昆虫食がない訳ではないが、どちらかと言えば食材が採れない地方だったり、お金がない貧困層が手を出すのであって、食材が豊富になりつつある昨今のエレンシアでは珍しいといえよう。


 街の喧騒から離れ、自然の中に解放されれば、街で出来なかったことをやってみたくなる心情も理解できる。


 ……それでも……それでもだ!


 彼女たちは王族(リディア)の友人で、同じ屋根の下で暮らしている。そんな子が虫を食べるなどと噂が広まれば、下種で下劣、尾鰭はおろか背鰭、胸鰭に手足まで生えて勝手に走り回るに違いない。


 それくらいならアルバートもリディアも一笑する程度で済ませられるのだが、周囲の人間はそうはいかない。


 外聞というものは、本人たちよりもその周囲に居る人間の方が気にしやすい。王家に仕えることで名誉や存在意義を満たしている者などは特にだ。


 王の評判は自分の評価。名声は名誉に置き換えられ、常に誇れる相手であって欲しいと懇願する。


 個人、ましてや下々の考えなどを気にする必要もないのだが、捨て置けば相手が離れていく。裸の王様や孤独の王様になってしまえば、国家の運用が難しくなる。家臣とは実に頼もしくも面倒な存在である。


 さて、小ざかしい大人の理屈を小さな子供にどう伝えれば良いのだろうか。


「それじゃ、次はカエルを捕りましょう。こっちは鶏肉の味に似ているわ」


 ……もう、どうでもいいか。


 アルバートは説得を諦めた。そもそも、現在の自分はエレンシア王国の国王ではなく、隠居中の元・宮廷魔道士アルルだ。


「おおっ! カエルを食べるの楽しみ! ……あ、ノアちゃんも手伝ってね!」


「……ああ、分かっているよ。その為に来ているんだから……」


 ドナドナされていくノア。


 妖精といえばイタズラ好きの代名詞である。


 特にノアはその妖精の一族の親玉でもあるのだが、そんなノアの想像をはるかに超える何かがリオとラウラにはあった。


(……シラサギ君。キミの義娘はキミに似て、どこか規格外(へん)だ……)


 そんなアルバートの苦悩を余所に、リオとラウラはノアの手を引っ張りながら河に向って歩き始めるのだった。


キノコは素人が手を出してはいけないものです。

また、作中の解体方法は私が教わったやり方であり、絶対ではありません。それぞれの流儀がありますので。


次は、休憩のような短めの話になる予定です。


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