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勇者の活躍(?)の裏側で生活してます・後日譚  作者: ぞみんご
第二章 進撃のキツネとウサギ ……あと金髪
14/20

#014 Ahead Ahead Go Ahead!! ③


 実習・二日目。


 初日は移動に費やし、今日がある意味、スタートともいえる日だった。




 鈍色の雲が垂れこめており、霧が立ち篭もる森。


 一車線に舗装された道のどん詰まり。


 そこから先は馬車が通れるような道ではなく、かろうじて人が並んで歩ける程度の獣道が森に向って延びていた。


 舗装道の終点、折り返せるようわずかな空間に一台の荷馬車が停まっていた。


 その荷馬車に背中を預けるよう一人の虎顔の男性が立っていた。


 若い頃は見事な金色(こんじき)の毛なみを持っていたが、最近はすっかり白髪に生え変わったのが悩み、通常の虎よりもホワイトタイガーに近い顔立ち。


 黒のマント風コートに隠れているが、その下の服装は王国近衛軍将校のデザイン。襟元には退役後に贈られる将軍の勲章が付けられていた。


 その正体は、今回の体験学習における子供たちの護衛をするメンバーの一人。『熱血説教魔の格闘閣下』の異名を持ち、名はライガー・ジョーという。


 退役前は近衛軍第三騎士団、五〇〇〇名を統括する将軍職に就いていた。


 現役を彷彿させるような強持ての顔立ちとは正反対――慈愛の篭もった優しげな瞳で前方を眺めていた。


「…………」


 (よわい)十八のとき、父から近衛騎士という立場を継ぎ、軍人という職に勤仕(ごんじ)するようになってから五十年余り。正直に言えば、我が子と過ごした時間よりも余所の子供たちと過ごした時間の方が長い。


 その五十年という月日の間に様々な子供たちを見てきた。


 大人顔負けの大きな体格を持ちながらも、虫一匹触れない気の小さな少年。


 小さな体躯のわりには、熊と対峙しても一歩もひかない勇気を持った少女。


 もちろん、代わり映えしない普通の少年少女もいた。


 僅かな期間ではあるが、王族の子供たちの武術指南役を勤めたこともある。


 それらを総じて思うことは、自分が彼らと同じ年齢だった頃に比べれば国家は格段に裕福になり、それに反比例するかのように子供たちは精神的にも肉体的にもひ弱になってきているように見える。


 老人の『昔はああだった』『最近の若い者は~』という半分やっかみじみた話なのかもしれないが、衣食住が満ち足りることでどこか覇気やハングリー精神というものが低下しているように感じられるのだ。


 ……しかし、


「ふむ……」


 ライガーはお茶を一口含み、目の前で繰り広げられる光景を観察した。


 自分が立つ位置から五〇メートルほど前方にある木の上に四つの影があった。


 その手前には、木の上に人間が隠れていることを気づかずに暢気な足取りで寝床である森の奥へ帰ろうとする野ブタの群れ。


 野ブタの群れが近づくにつれ、木の上の影が動きだした。それに合わせるようにライガーも自分の聴力が上がるよう耳に集中し始める。


「(……狙うのは小さい奴から……)」


「(リオ、二番目を狙いなさい。……良い? 狙うのは列の二番目を歩く小さい奴よ。その前を歩いている親ブタは大き過ぎて、あたしたちの矢では致命傷を与えられないからね。リーザお姉さんはバックアップをお願いします)」


「(うぃうぃ、ラウラちゃん)」


「(……分かった)」


 ウサギ耳の幼女が、別の木の上から弓をひいているキツネ耳の幼女と巨人族の少女(?)に指示を出していた。


 『カエル君』ことネドベドがサポートしているとは言え、キツネ耳の幼女に出した指示の内容は的確だ。肩肘に力が入らず、落ち着いて状況を把握している証拠なのだろう。


(……慣れている、わけでもなさそうだが、妙に落ち着きすぎていて怖いな)


 街の外、狩猟体験という非日常的ともいえる状況を除いたとしても、目の前で進行している現状は、どう考えても孫よりも若い世代の子供がやっているとは思えなかった。


 使っている道具などは安値で流通している二級品であり、予備として荷馬車に積まれている物のほうがよっぽど高級品だ。


 多くの子供はこうした非日常となる会場では最初だけ見栄を張る。根拠も無いのに無駄に胸を張ったり、足元がおぼつかないのに背伸びしたり、ハッタリにもならないバレバレの嘘をついたり。それらには相手を歓迎する意味もあるのだろうが、どちらかといえば威嚇する意味合いの方が多い。


 自分にはこれだけの力を持っているんだぞ、という見栄(カード)なのだ。


 基本的に意味はないが、無かったら無いなりに困ったことに繋がるという見栄である。特に子供という時代においては必要なことだ。


 しかし、目の前の子供――特にウサギ耳の幼女、ラウラにそれらを匂わせるものはなかった。気になるとすれば、義妹と紹介されたリオの前ではお姉さんぶる傾向はあるが、それは微笑ましいレベルに済んでいる。


 技術は無いが、落ち着いている。その上、度胸もあるらしい。もっと重ねれば幼女たちは王女様の御友人なのだそうだ。もしかしたら、格下相手に見栄を張る必要は無いと考えているのかもしれない。


「……ま、それはないか」


 ライガーは自嘲気味に肩を竦めた。


 あの氷の王女様がその程度の認識を持つ人間と友情を結ぶことはないはずだ。


「……ライガー様、何か仰られましたか?」


 子供たちが通う光学校の教師で、今回の実習の引率担当でもあるナンシー・キャロルは緊張した面持ちで御者の席に座りながら聞き返してきた。もしかして、何か重要な話を聞き逃してしまったのだろうと不安に駆られていた。


「キャロル君、そう緊張するな。今のは単なる独り言だよ」


「そうは申されましても……」


 困惑するナンシーを見ながら、ライガーはくすくすと微笑んだ。


 緊張するなという方が無理な話であることも理解している。


 何せ自分の横に座る相手は近衛軍の将軍まで上り詰め、英雄の一人として称えられている人間だ。一兵士だったナンシーからすれば天上人であり、ライガーは覚えていないだろうが、彼が教官として派遣され、直々にしごかれた経験があるのだ。


 その上、同じ女性という理由から女の子(ラウラ)たちのバックアップを任されている。本音を言えば、それだけは辞めてほしかった。


 狩猟体験と言う名の学校行事ではあり、怪我など日常茶飯事ともいえる(けっかい)の外。日本のような何かと口うるさいPTAのような保護者会の存在はなく、子供の存在など単なる労働力としか見られていない世界なのだが、そこはそれ。何かあれば自分の存在自体が危うくなる。


 それを裏付けるかのように護衛として派遣されてきたのが、ライガー以上の英雄でもある聖弓の勇者。


 その二人にタメ口する妖精族の男の娘。


 ブーメランパンツ一丁の不気味な無口カエル。


 目深くローブを被っているので素性がハッキリしない女性(?)。


 見た目が好みではない金髪のイケメンオッサン


 ――と、元トップハンターとして名高いシトンの存在がちょっと霞んでしまうほど豪華すぎるメンバー構成。


 勇者と元将軍などという強力な二枚看板だけでも反則級だ。


 残りのメンバーも勇者や将軍が連れてきた人材だ。能力的に過不足はないだろう。シトンが誰と懇意にしていたのかは分からないが――口ではああ言っていても――本音は二人の要注意幼女を問題視しているのだろう。


「はぁ~、どうせなら素敵な男性がいれば良いのに……。老境、その手前、謎の生命体(カエル)と、年頃の男性が一人も居ないなんて……」


 ぶつぶつと毒を吐くナンシー。


 ……唯一、悲壮感溢れるナンシーを慰めるとすれば、本人がオッサンと蔑んでいる相手がこの国の最重要人物(こくおうへいか)ということに気づいていない点だろうか。


 ちなみに、学習体験を先導する現地の猟師たちは年頃の男性に組み分けされるのだろうが、生憎と妻子がいる既婚者なので端から選択肢の中から除外されていた。


 ライガーは難しい表情を浮かべるナンシーの心情を別の意味で察したのか、


「なに、名ばかりの老骨を呼び出したのだ、それほど対処が難しい獣やモンスターが出てくることはあるまい。大方、大型のイノシシか道に迷った熊ぐらいであろう」


 ――と、肩を揺らし、愉快そうに笑ってみせた。


「た、確かにそれは……」


 ライガーの言葉が真実であろうことは、ナンシーにも容易に想像できた。


 先導役の猟師もこの辺りで危険な動物は熊ぐらいだと言っていた。その熊とて自分たちが足を踏み入れている森は彼らの生息圏ではなく、現れるとすれば文字通り迷子になってしまった愚かな熊ぐらいだ。


 熊ならナンシー単独でも対処できる。


 次に懸念があるとすれば空に棲んでいる翼竜になる。地域的に彼らの巡回飛行ルートに含まれているのだが、現在の季節だと涼しくなる北部に移動している最中なのでまず除外して良いだろう。


 想定できる最悪のケースは魔物になる。しかし、地元住民からはそれらしい兆候は見受けられないと報告を受けているし、仮に魔物が姿を現したとしても対魔物のエキスパートであるイーリスが側に控えているから大丈夫だろう。


 こうしてナンシーとライガーが離れた位置から子供たちを見守っているのも、大勢で近づいたら獣に悟られるという理由以上に離れていても大丈夫だと認識しているからに他ならなかった。


 だが、今一番ナンシーが懸念していることは子供(リオ)たちの安全よりも自分自身の保身だった。恋人に逃げられた上に、念願かなって就けた教師の職まで失いたくない。しかも、下手な失敗をすれば領主に睨まれる恐れもある。


 一応、ナンシーの名誉の為に説明しておくが、本気で子供よりも保身を優先しているわけではない。本当に危機が迫れば真っ先に子供たちの盾になるだろう。


 しかし、今は余裕があるからこそ余計に駄目な方向へと思考が向くのだった。


「ところでキャロル女史。キミは目の前の光景を見てどう思う?」


 ライガーは気になっていた部分に関して、若者の意見を聞くことにした。


 ナンシーは言われてから子供たちを観察した。


 特におかしなところは見当たらない。落ちれば怪我どころか死ぬかもしれない高い木の上でも平気そうな表情を浮かべている所を鑑みれば、確かに見た目と年齢に反して度胸はあるかもしれない。――が、それが特段優れているとも、他の子供たちが劣っているわけでもなさそうだ。


 高所恐怖癖というのは誰にでも備わっている本能のようなもので、高いところを怖がることは正常な反応だ。


 幼い子供が足場の不安定な木の枝が待機場所として適当ではないのかもしれないが、一時的なものとしては問題ないだろう。


 そうして出された結論はというと、


「いえ、特に思い当たる箇所はございません」


 ――だった。


 狙う獲物が間違っているのではないかとも推察したが、彼女たちの持つ弓の張力を考慮すれば、とりあえず当たれば十分に(ほふ)るだけの威力(もの)はある。


 ならば狙うべき獲物(のぶた)が間違っているとか? 嘘か真かの真偽のほどは分からないが、魔物の中には『成り損ない』と呼ばれる傍目には見分けのつかない半端者が存在しているという。


 だがそれは御伽噺というか、酒場の酔っ払いが語る与太話と同じくらいの確率だ。


「ふむ……そうかね?」


 若いの意見を聞き、改めて前方を見据えた。その反応に『満足な回答を出来なかった』と誤解したナンシーは冷汗を滝のように流し始める。


(……ふむ。初弾は失敗したが、それを悔いている様子はないな)


 先ほどリオが放った矢は外れ、バックアップをしていたロリータの矢も外れたが、それにめげることも無く、次の獲物に狙いをつけて矢を構えようとしている。


 どうやら、今度は年長のロリータを先に撃ち、指示役だったラウラが彼女のバックアップに回るようだ。


(……そして次の人間にチャンスを回している。チャンスを前にしても集団行動の心得をちゃんと忘れていない)


 チャンスを前にして、それを譲るという行為は大人でも難しい。特に失敗した後は。


「あ、あのう……閣下は何をお気になさっておいでなのですか?」


「キャロル女史、敬語は要らない。確かに将軍職に奉じていた身だが、今は隠居しているただの老骨だ。……それに、この場においてはキミの方が立場は上だよ」


「そうは申されましても……」


 何度目か分からない似たような言葉のやり取りに笑いつつ、


「まぁ、無理を言っているのはこちらの方か。いやなに、昨今の子供――特に年少である女子(おなご)の二名の行いがな。若いのに度胸もある。何よりもウサギ耳をした女子は一歩後ろから世界を見ているように感じられるのだ」


「しら……いえ、ラウラさんの方がですか?」


「ああ……」


 ライガーが見たところ、ラウラは行動タイプではなく参謀タイプだ。


 あの指揮を出す際の仕草(くせ)をどこかで見た気がする。考え方は違うのだが、気配が自分のよく知る人物に似ているのだ。


 一〇〇〇年は生きているという人の姿をした化物に……。


「ラウラさんは、クラスの中でも副委員長的な立場みたいですから、もしかしたらサポートすることに慣れているのかも」


「リーダー役はキツネの耳をした娘さんの方か……」


 あちらの娘からは何も感じ取れない。強いて言えば『天然』だ。


 ラウラとは正反対、頭で考えて動くよりも、体が勝手に動くタイプである。


 その場のノリと勢いだけで行動し、その結果が良い方向に転がれば、ひたすら前に突き進める。しかし、一度でも転べば、もうどうにもならないだろう。


 ただ、危険な臭いがする。彼女の同族である魔王と同程度に。


 彼女自身が危険な存在――能力で計れば、確かに同年代の少年少女に比べても高いものがある――という訳でもなく、だからといって、不用意に手を出せば別の所から牙が飛んできそうな気がするのだ。


 深く考えて、一つの考えが頭に浮かんだ。


「そういえば、あの娘たちはお嬢さまの屋敷で生活しているのだったな。ふむふむ……仮に二人が屋敷のメイドたちに仕込まれていると考えれば、この状況に納得が行く」


 屋敷のメイド。即ち、羊の皮を被った狼の集団。いや、狼などという可愛げな比喩ではなく、オスに飢えたメスのドラゴンと言った方が正しいか。


 どちらにせよ、中身は見た目ほど可愛げのある幼女二人組ではないということ。


 アルバートが二人に注目するようにと言ったことも頷けるし、『白い悪魔』のラピスと、人嫌いで有名なネドベドがどういう理由からか、二人に好意的な立場を見せていた。


 そして、自分も二人に興味を抱こうとしている。


「ふふふ……面白い女子たちだ。あの時に見せた行動も頷ける」


 ライガーは感慨深げに髭をさする。


「……しかし、いつの時代も男は情けないな」


 次いで、ここに姿を見せない男の子たちに溜息を吐くのだった。




        ★  ★  ★




 時間は少し遡る。


 空は暗く、東の方角だけがうっすらと白かった。


 森を見下ろせる斜面の上に生徒たちが緊張した面持ちで腹ばいで寝そべっていた。


 別に眠ろうとしているわけではない。


 斜面の下の河原にいる野ブタの群れに気づかれないようにするためだった。


 野ブタまでの距離は三〇メートルほど。野ブタたちは上に人が隠れていることも気づかず、暢気に土を掘り返したり、小川の水を飲んだりしていた。


「みなさんにはこれから猟師さんによるお手本を見てもらいます」


 ナンシーは小さな声で生徒たちに話しかけた。


「お手本と言っても、ただ矢を射るだけなのですが、一部始終、これから起こる全ての出来事から目を逸らさないで下さい。そこには書物を読んだり、人づてに聞いた話では体験できない、ありのままの現実の世界があります」


『はい』


 生徒たちの元気のよい声に頼もしげに微笑んだあと、顔を逸らし憂鬱の(かげ)で表情を曇らせた。


(……さて、この内の何人が生き残れるかしら(・・・・・・・・)


 これから見せる光景に耐えられる子供はいるだろうか。


 自分もこれから起こるであろう光景を思うと、胃の酸っぱい液がこみ上げて来る。


「……お願いします」


 促されて、待機していた濃いヒゲ面をした男が弓を携えて動き出した。


 彼は地元で働いている猟師で、今回の実習でガイドをしてくれる存在だ。


「まず、あの木の根元を掘っている奴を狙いますから……」


 残っていたもう一人の若ハゲ男のガイドが説明する。


 ヒゲ面猟師は五メートルほど前に進み弓を構えた。


 矢の先にいるのは、顔をこちらに向けながら鼻先を使って器用に土を掘っている大人の野ブタだ。


 子供たちの視線がおのずとその野ブタへと集また。


 ただ、リオとラウラだけは首を傾げていた。


「(……狙うにしてはちょっと変だね?)」


「(……ええ。あのブタは確か額の骨が厚かったはず。狙うなら正面ではなく側面から狙うようにと資料にも書いてあったはずだけど……)」


 打ち下ろす形なので正確には正面から打ち抜くわけではないのだけれども、少しでも進入する角度が悪ければ分厚い骨に滑るか、弾かれるかしてしまう。


 他にも狙いやすい獲物がいるのに、わざわざアレを選ぶ理由があるというわけだ。


 どういう意図があるのだろうかと首を捻った瞬間、背中にとてつもない悪寒が走った。次に胃の辺りがムカムカしはじめ、酸っぱい物が逆流してくる感じだ。


「(……これは、もの凄く嫌な予感がするわ。お義父さんに見せられたアレ(・・)と同じぐらい……)」


「(……アレって?)」


「(……弱った野鳥事件)」


 ラウラの呟きを聞いて、リオの耳がへんにゃりと弱った。


 あの事件と似たようなことが、これから起こるだろうという予感がしてならない。


「(……覚悟をしておきましょう)」


 二人は歯を食いしばって、河原を見つめなおした。


「……撃ちます」


 次の瞬間、リオとラウラを除いた子供たちの目には何が起こったのか分からなかった。いや、何が起こったのかは解るのだが、それを脳が認識することを拒否していたのだ。


(……やっぱりね……)


 不思議なことにラウラの目には一部始終がハッキリと見えた。


 猟師が放たれた矢は、狙っていた野ブタの額に寸分の狂いもなく一直線に飛んでいった。そして、その矢が野ブタの額に当たったと思われたその瞬間、頭がハンマーで殴られた卵の殻のごとく飛び散り、吹き飛ばされた脳みそは熟れに熟れたトマトを全力で地面に叩きつけたような状態だ。


 必要以上に矢の威力が強かったのだろう。


 頭が半分吹き飛んだ野ブタが地面に倒れ、そんな状態でもまだ死んでいないのか、手足がじたばたともがき動いている。


 周囲にいた残りの野ブタたちも、突然、仲間に降りかかった凶事に気が動転しているのか、その場から動こうとしない。


 あまりにショッキングな映像に他の生徒たちも声が出ない。


「次、川沿いのところにいる奴を狙います」


 すぐさま次の矢が放たれ、今度は野ブタの横腹を切り裂いた。痛みとショックにより野ブタは逃げようとするのだが、切り裂かれた箇所から腸をはみ出しながら走っていた。


 ヒゲ面の猟師以外にも、イーリスやラピス、カエル君まで弓を構えた。


 次々に放たれる矢が雨のように降り注ぎ、野ブタたちに襲い掛かる。


 最前列にいた親ブタには面白いように矢を受けては倒れ、逃げ遅れた二列目以降の子ブタたちがモタモタしているうちに挽肉にされていく。


 中には半矢――非致死状態。お尻に矢が刺さっている――になった子ブタが、命からがら森の奥へ逃げようとしたのだが、二の矢が胴体を貫通することによって地面に縫えつけられ、その場で悶え苦しみながら力尽きた。


 他にも川の半ばで溺れ死んだり、あるブタは四本のうちの一つの足がもぎ取れ、またあるブタは頭と胴が別れるよう、真っ二つに千切れ飛んだ。


 矢が尽きたのか、そこで死体の生産処理が終わり、わずか五分ほどで河原には二〇頭前後の野ブタが転がっていた。


 弓を構えていたヒゲ面猟師が立ち上がり、河原に降りると、口から血を流しながらも生きていた子ブタの頭に斧を振り落とした。


 ピギィ、と小さな断末魔が子供たちの耳朶をふるわせた。


 ヒゲ面猟師が振り返り、上に向って手を振っている。その姿にナンシーは頷いた。


「はい、終ったわよ~」


 何でもなさそうな声と、パン、と強く叩かれた手の音で我に帰った。


 この光景がある程度予想済みだったリオとラウラを除けば、子供たちの瞳は焦点が合っていない、呆けた表情を浮かべていた。


「……なんだあれ……」


「……まじか……」


 ようやく脳が現実を理解し始めたのか、「怖い」「嘘であって欲しい」「夢を見たのだ」と、子供たちの口々から感想が漏れ始める。


 ラウラとリオも、自分の足元が妙に頼りなくて、揺れない地面に立っているはずの自分が揺れているような感覚に襲われた。


 予想していたとは言え、目に見えた光景が妙に非現実的のようでいて、死に切れていない野ブタの弱々しい鳴き声が鮮明に聞こえてきた。


 恐怖と不安から現実逃避を行っている生徒たちに理解を示しつつも、


「これから回収作業を行います」


 ナンシーの口から、自分でも意外なくらい冷徹な声が出た。


「転がっている野ブタをあそこにある荷車に載せ、地面に流れた血は川の水で流すなり、土を被せるなりします。回収しきれない肉片なども川の中へ放り込むか土に埋めます。そのまま放置しておけば、肉食動物を呼び寄せることに繋がりますからね」


 その台詞を聞いた生徒たちは信じられないものを見たような気がした。


 これから回収作業? あんな地獄のような光景の中? 血だらけのブタを触る?


 非難とも、拒否感ともつかない、感情の入り混じった視線がナンシーに向けられた。


「回収作業も狩猟行為の一つです。これをやりたくない人は、ただ殺傷行為が好きな野蛮人と同じように見られても否定できません」


『…………』


「あなたたちはまだ子供です。ですから、今回は強制ではありません。駄目な人は駄目だろうし、作業を拒否しても、今回の実習から排除されることはありません。また、参加者が不参加者を非難・批判してはいけません。誰だって恐怖することはあります」


 ナンシーの声は変わらず、しかし、どこか諭すような響きが混じった。


「では、手伝うという人だけ河原に下りてきてください。手伝えない人はここで見学です。ただし、目を逸らしたり、この場から逃げ出すことは許しません。全ての作業が終るまでここで待機です。……分かりましたか?」


 いささか緊張した声で、生徒たちから「分かりました」の声が返ってきた。


「それじゃ、よく考えて行動するように」


 そう言って、ナンシーは河原へと下りていく。


『…………』


 その場に残された生徒たち――特に男子――は、無言のまま視線を交わしあう。


 ただ、腐った魚のような瞳から放たれる視線の意味を読み解くと、『お前は行くのか?』ではなく『お前も行かないよな?』と後ろ向きの意見を持つ仲間を探す意味だった。


 誰もが動こう・動かそうとしない空気が漂う中、それを無視する形でリオとラウラが河原に向けて歩き始めていた。


 その後ろ姿を見て、同学年のゲイリーが呼び止めるように声をあげた。


「お、お前らは行くのか?」


「そりゃ、行くわよ」


「正気か!? お前らは馬鹿なのか!?」


 ラウラは同級生の台詞に長い溜息を吐いた。


 自分とて、何ともいえない黒いモヤモヤが胸のうちに溜まっていくことが判る。出来ることならやりたくない。自分がアレの種を蒔いたのではないのだ。他者が蒔いた種を刈り取る作業を手伝うなど、とても馬鹿らしい。


 しかし、その程度で足踏みしていては、こうして辺鄙な場所まで足を運んでいる意味が無くなるのだ。


 これは、一種の通過儀礼だ。


 先生や猟師さんは意図的な目的を持ってあの光景を自分たちに見せたのだろう。


 命を狩り取るという行為が、酒場で盛り上がる武勇伝でもなければ、吟遊詩人が吟ずる英雄譚でもない。もしかしたら、最低な部類に属するものなのかもしれない。


 狩猟とは、スマートでカッコいい行為なのだというイメージを、ガツン、と現実(リアル)という名前のハンマーでぶち壊された感じだった。


 即死できずに苦しむ子ブタの姿がまぶたに張り付いている。


 玄人の彼らでもああなのだ。素人の自分たちが行えば、もっと悲惨な光景を作ることになるかもしれない。弱っている獲物に自分でトドメを刺さなければならないだろう。


 自由意志に任せるとは言え、手伝えというのも頷ける。


 子供や初心者だからという理由で特別扱いするのではなく、むしろ積極的に色々とやらせた方が良いに違いない。自分の手でやらなければ何も覚えられないのだし、失敗しても貴重な経験となるだろう。


「あたしとリオは、下で作業を手伝う、ということを選択したの」


「……お前、団体行動を乱すのか!」


「団体行動ねぇ……。あのさ、ゲイリー君。自分の意見がみんなの総意のように話すのが一番愚かなことよ。選ぶのは自分だ、てナンシー先生が言っていたじゃない」


領主(えらいひと)の友人だからって、自分が特別だとでも思っているのかよ!」


 尖った言葉と敵意ある視線が背中越しにラウラの心臓に突き刺さった。


「…………」


 やれやれ、またそれか、とウンザリした。


 ラウラは柳眉な眉をひそめて、思わずゲイリーを非難する瞳で見てしまった。しかし、それもすぐに止めた。あからさまな不満や侮蔑の表情を浮かべているのは彼に限っただけの話ではないからだ。


 これ以上、無駄な押し問答が続けば、他のメンバーからも不満や不興を買うことになる。それを素直に買い取るほどラウラは愚かではなかった。


 こちらを見下ろす連中に、『仕方のない奴だ』と大げさに肩を竦めながらラウラは先を行くリオの背中を追うのだった。




 遠ざかる小さな背中を見送りつつ、残された生徒――アドルフ、エミール、シャルル、ゲイリーの男子四名は、誰からともなく互いに顔を見合わせる。


 何時の間にかロリータは姿を消し、河原に向って歩いていた。


「……アドルフ、良いのか? あんな小さな女の子が降りてるのに……」


「良いんだ!」


 アドルフは大きな声を出して、罪悪感にまみれた同級生の言葉を封じた。


「先生も、あの子も言っただろう。行くのも自由、待つのも自由。止める必要もない、あの娘たちは自分で望んで進んだんだ。第一……」


 アドルフは情けなくこわばった表情で同級生と下級生たちを見つめた。


「踏み出す勇気もない俺たちに、何ができる……?」


 一歩も前に動かず、震え続ける自分の足が情けなかった。




        ★  ★  ★




 太陽が昇りきる前に、午前の狩猟が終った。


 野ブタたちが完全に森の奥へと帰って行き、リオたち女子の狩猟チームは矢を回収し終えたあと、泣きの一発で仕留めた小型サイズの野ブタを荷馬車まで引きずっていた。


 そのブタを仕留めたのはロリータだ。


 ちなみに、リオとラウラは捕獲ゼロである。


「本当、残念だったねぇ~」


「外してばかり。何がいけなかったのかしら……」


 二人が放った矢は野ブタたちを貫くことはなかった。


 矢を放つ機会はたくさん訪れたし、可能な限り矢を放ったつもりだ。一度は、相手まで五メートルという外しようのない距離の上、完全に足が停まっていた奴すら外してしまったのだ。


 外すはずのない絶対的な距離。だからこそ、ショックで悔しい。


「あー、あたしは下手くそだー」


「いや……ラウラちゃんが下手くそなら、わたしはどうなるの」


 ラウラは惜しい感じの矢が何本かあったのだが、リオの場合は惜しかったことすらなく、全て大きく外れていた。


 母親のセディアは百発百中の名手だが、娘はその才能を受け継がなかったらしい。


「……失敗は誰にでもある。わたしも、たくさん外したし……」


 後ろ足を一人で持ち上げるロリータが、二人を慰めるように言った。


 彼女も外してばかりいて、仕留めたと言っても、狙っていた野ブタを外し、その陰に隠れていた子ブタに刺さったという始末だ。


 偶然過ぎて、達成感はあまりない。


「う~ん、姿勢が悪かったのかな?」


「踏ん張りが利かない、木の上だったからね。あ~、まだちょっと気分が悪いわ」


 限られた空間、下を見続ける辛さ。矢が尽きると、下に回収しに降りなければならず、矢を背負って再び木に登るという重労働。足場の不安定な木の上に居座り続けるということが、実は胃に来るのだということを初めて理解した。


 木の上は風が通り、暑くもなく、寒くもない、という快適な空間だったのだが、それでも気分が悪くなる。


 屋敷で練習していたときに慣れたつもりだったが、やはり現実……いや、実際に現場で体験するのとでは意味が違っていた。


 何しろ練習の動かない的とは違い、相手は動き続けるし、予想とは違う進路をとったりする。こちらが焦るあまり、矢の狙いが甘くなる。


 かといって、悠長に構えるわけにもいかない。


 チャンスは一瞬であり、それを逃してしまえばアウトだ。


 それを逃すまいと、余計な力が入るわ、体が緊張してしまうわ、と悪循環に陥ってしまった。その結果、微妙な動作のズレが発生したのだろう。


 更に、そのチャンスを逃した後、周りから来る無言の圧力に押し潰されそうになってしまう。別に彼女たちが悪いわけではない。矢を外し続ける中、絶好のチャンスを逃すと、どうしても『なにやってんだよ』という負の感情が無意識に湧きだしてしまう。


 たぶん、自分も無意識にそんな感情を放っていただろう。


「それにしても、中途半端な命中が一番辛かったわ」


「……そう、でしたね」


 ロリータも頷きながら同意した。


 矢を外したとき以上に、半矢になった時が最悪だった。


 傷つき、血を流し、痛みの鳴き声がドップラー効果で遠ざかっていくのを聞きながら、申し訳なさと自分の不甲斐なさが二乗倍になって襲いかかって来た。


「はぁ~、あたしって駄目だわ~」


 何度目かの溜息がこぼれた。


 未熟だ。自分の現状はその一言で表現できるものだった。


 どうして未熟なのかは分かっている。自分には圧倒的に努力と経験が足りていないのだ。しかし、それを短期で解消する術を持っていなかった。


 ――こうならないよう努力を重ね、本番に備えていたじゃないか。


 ――才能と努力が足りていないことぐらいちゃんと自覚している。


 ――だけど、もっと上手く自分はやれたんじゃないか。


 そんな複雑な思いが頭の中をぐるぐると駆け回っていた。


「ラウラちゃん、終ったことをくよくよしてもしょうがないよ」


 ぼやいてみても始まらないし、終らない。


「夕方、もう一度、最初から頑張ろうよ。駄目な部分は直せば良いんだし、直す部分が分からなければ、周りの大人に聞けば良いんだしさ!」


 リオは持ち前のポジティブさを発揮し、自分たちに分からないことは素直に経験者に訊いたほうが良いと、早速、行動に移した。


「あのさ、カエル君。あなたの目から見て、何が悪かったか分かる?」


 背後にいるネドベドに問いかける。


「……狙いすぎ……」


 あまりに短い答えが返ってきて、リオとラウラは腕の力が抜けかけた。


 二人には、ネドベドの短くとも的確な解答を理解する経験値がなかったらしい。


「それはどういう意味……なの?」


「……腕、悪い……」


 それは分かっている。弓を持ち始めて、まだ一ヶ月ほどだ。自前の弓に関して言えば、一週間ほどである。言い訳を許してもらえるなら、まだ手に馴染んでいないのだ。


「わたしの腕が悪いのは分かっているのだけど……」


「……違う。首、頭……もっと大きく狙う……」


 再度の短い返答に、まずます首を傾げるほかない。


「ネドベド、それでは女子(おなご)たちに一つも伝わらぬよ」


 前を歩くライガーの声が入ってきた。


「……じゃあ、お前が説明する……」


「……まぁ、あれだ。キミたちは狙いを限定しすぎているのだよ」


「限定?」


 狙いが悪いということなのか?


「そう。遠目にだが、キミらの矢先は常に頭か首の薄いところを向いていた」


「それって、悪いことなんですか?」


「いいや、全然悪くないぞ。上質の肉や皮を確保するためには、最適のポイントだ。しかし、それゆえに熟練者でも正確に射抜くのが難しくなる。……だから、まだまだ初心者のキミたちは、胴体など的が大きな部分を狙い、獲れる確率を上げたほうが良い」


 つまり、自分たちは難しい場所ばかりを狙っていたというわけだ。……ただ、それにはちゃんとした理由があるのだ。


「おそらく、キミたちは先に見た光景が脳裏に焼きついているのだろう。だからこそ、相手を苦しませず、即死させるべきただと無意識に狙いを小さく定めていたはずだ」


 ライガーの的確な指摘にリオとラウラが思わず顔を見合わせる。


 どうやら熟練した老兵には新兵の考えなど見透かされているらしい。二人は苦笑いするほかなかった。


「夕方の時は胴体を狙うべきかな?」


「まずは矢を命中させないといけないしね……」


 初心者が最初から高望みしすぎたのか。経験者の助言どおり、もっと獲る確率を高める方へと力を入れるべきなのだろうか。


「……でも、できることなら、相手を苦しませずにやりたいです」


 不意に、背後のロリータが口を開いた。


「え?」


「……わたしは、ここに来るまでは農業が行えない山奥の寒村で生活していました。……だから、狩猟期に獲れるお肉はとても貴重。……お肉の量、毛皮の面積の多い・少ないで冬を越せるかどうかの瀬戸際」


 相手に聞かせるような、自分に言い聞かせるような、よく分からない無感情な声。


「……彼らは生きている。わたしたちも生きている。……わたしたちが生き続けるためには、相手を殺す必要がある。……それは相手にとって、とても理不尽な行動」


『……リーザお姉さん(ちゃん)』


「……だから、わたしは殺すなら、情けを掛けることなくちゃんと殺します。……でも、不必要な苦しみを与えたくないです」


 その台詞は、不思議とリオとラウラの心に深く入り込むのだった。




「――でだ、わらわたちはどこに居るのじゃ?」


「……さあ、それが分かれば苦労はしません」


 金髪コンビは再び迷子になっていた。


次回、ほのぼの、きゃっきゃ・うふふな昼食会&午後の実習編。


そして、金髪の続・迷子編

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