#012 Ahead Ahead Go Ahead!! ①
黒の月の十二日。
暁の時間帯、漁仕事や畑仕事を生業としている人間が起き始める頃合である。
そうは言っても早朝、まだまだ街は静かに眠っている。しかし、リオとラウラは眠っていられるはずもなく、既に活動を始めていたのであった。
何と言っても待ちに待った実習当日である。堪えきれない欲求と期待感の高揚に、今か今かと体をウズウズと疼かせていたのだ。
「何度も言ったけど、引率してくださる先生やガイドをしてくださるハンター、護衛をしてくださる方々の言うことを必ず守りなさい」
『は~い』
背中に自分たちの体よりも大きなバッグを背負った二人は屋敷の門の前で母親から訓示を受けていた。
「守るべきことを守る。してはいけないことを行わない。たったこれだけでも事故が減るのです。集団行動で大事なのは安全確認が一番。猟果は二の次、三の次です。例え実習期間内で猟果がゼロだったとしても、それはそれで良い経験なのです」
『え~!! それじゃあ、ツマンナイ! 痛……ッ!?』
ちょっぷ!
セディアの鋭い手刀が二人の頭に落ちた。
「ツマラナイ! ではありません。矢先の安全を確認した上で矢を放つのです。駄目と感じたならば素直に矢を下ろしなさい。他の人たちと同じ獲物を狙いそうになれば貴女たちが引きなさい。安易な判断や行動はトラブルや怪我の元です。怪我しても・させても、色々と大変なのですよ? 分かっていますか?」
「え~、お母さん。そういう時の為に回復魔法があるんでしょう。だから大丈夫だよ、これまで怪我人が出てもそれで何とかなったって先生が言ってたし……」
「そういう問題じゃな~い!!」
ちょっぷ!
轟くセディアの絶叫と先程よりも威力の強い手刀がリオの頭に落ちた。その煽りを食らったラウラが『ひゃっ』と言って耳をふさぐ。
「セディア様、お嬢様もわか……いえ、なんでもありません」
見かねたコッペリアが助け舟を出そうとしたが、お前は黙っていろ、という視線に耐え切れず、すごすごと元の位置に戻っていった。
「まったく……! いいですか、貴女たちが肩に下げている弓矢は人を傷つける……いえ、殺すことができる道具です。正しく使えば危険から命を守ることが出きますが、誤って使えば相手の命を簡単に奪うのです。もちろん、ナイフなども同じと言えますが、自分さえ良ければ、怪我で済めば御の字――などという甘い考え方では確実に不幸を呼び込むことに繋がるのです。……リオが死んでもお母さんだけが悲しめば済みますが、他人の子を死なせればどうなるのか分かっているのですか!?」
「セディアさん。流石に言いすぎでは……」
今度は我が子と一緒に見送りに来たアヤコが怒れるセディアの肩を抑えた。しかし、セディアは言い足りないのか治まらない。
「言いすぎではありません! この安全感覚がポンコツの娘にはこれくらい言わなければなりません。だから、言いすぎではありません。本当に――」
くどくどくど……と、セディアのお説教が続く。
「お母さんの話は分かりましたか、ポンコツ娘たち!?」
「『たち』!? あたしにまで飛び火した!? ……いえ、なんでもないよ。ちゃんとお義母さんの言い分は分かったからね!」
「ポンコツは酷い……うん、でも、ごめんなさい。ちゃんとするよ」
「本当に分かっているのかしら? いいこと、体の怪我は魔法で治せても、精神的なものは癒せません。精々、強制的にその記憶を消すぐらいです」
反省するリオに、セディアは容赦なくたたみ掛けた。とたんにリオはしゅんとなり更なる反省の姿を見せる。
「まぁ、その通りなのですけど……。しかも、記憶を消す魔法の制御は難しいですからね、うっかり全部の記憶を消しちゃった――なんてことはよく聞く話ですし」
正確に扱える者など国内でも片手の数もいないだろう。リディアも女神の助力がなければまず間違いなく失敗するほど難しい魔法である。
いや、今はそんなことはどうでもいい。問題はリオとラウラがちゃんとしてくれるかどうかだ。今は反省している姿を見せているリオだが、それは形だけの反省かもしれない。実際、ズボンから突き出た尻尾がグルグルと楽しげに回っている。態度と感情が一致していないのだ。
横に立つ義理の娘であるラウラも似たような状態だ。彼女もリオの義姉として、一人の人間として、ちゃんと成長できるだろうか。成長してくれるのだろうか。
(……本当に大丈夫かしら?)
セディアは深々と溜息をついた。眉間の皺が深くなっていることが分かる。この二人を自分の目の届かない場所にやっても構わないのだろうか。
学校に通っている時間など常に目の届く範囲に居るわけではないが、呼び出されでもしたら直ぐに駆けつけられるという同じ街の中で生活している。しかし、今度はそうしたアドバンテージがなくなるのだ。
強制参加ではなく、自由意志による参加なので怪我をしてもその場における治療以上の補償はなく、仮に死亡しても同じだ。故意である場合を除いて学校や引率者、生徒たちへは免責されることになっている。
――が。
ただでさえ、領主の屋敷で生活しているという点から――露骨に避けられてはいないが――遠巻きに見られるという非常に厄介な立場なのだ。十中八九、こちらは何とも思っていなくても、周囲が勝手に邪推して行動する可能性が高い。
何よりも一番恐ろしいことは、何かあれば一番ダメージを受けるのはセディアではなくリオとラウラの二人であり、周囲から孤立する恐れがある。
セディア自身は現在の地位などはどうでも良いとさえ思っている。保身に走るほど今の地位に愛着や執着があるわけでもなく、正味の話、元・主人が残した遺産のお陰で働かずとも親子三人が死ぬまで楽に生活できるだけの金はあるのだ。街から離れて別の街に行ったり、ひっそりと暮らすのも悪くない。
そうは言っても、親心からすれば世間の子供たちといっしょに遊べるような道を歩ませたい。リオとラウラに重い十字架を背負わせて人生を歩ませる覚悟をセディアは持ち合わせていなかった。
(……あ~あ、愚痴を言ったり、相談する相手がいないのも辛いわね~)
周囲に既婚者もいなければ、年頃の母親仲間もいない。愚痴を言い合う相手だったルツィアは異国の空の下に旅立ち、母親仲間といえるかもしれないアヤコはどちらかといえば育児の先輩としてセディアが相談される側である。
思考が悪い方、悪い方へと進んでいく。
指先で眉間の皺を伸ばしつつ、セディアは小さく溜息を吐きながら、
「……今からでも参加を辞退させようかしら?」
病気などを理由に欠席させるのも手だ。子供の良き経験になればと思ったからこそ、狩猟体験の話を了承したのだが、今のままでは危うすぎる。こんな状態では怪我を通り越して本当に死ぬかもしれない。
娘の成長できるチャンスを奪うことに親として心が痛まないわけではないが、事故が起きてからでは遅すぎるのだ。先ほどは『悲しむだけ』と軽く言ったが、本当にそうなれば発狂してしまうに違いない。そして周囲に当り散らすだろう。
その姿は子供を想う親としては正しいのかもしれないが、集団で暮らす一人の人間としては間違っているのかもしれない。
母親の態度に本気を感じ取ったのか、二人は一斉にセディアに詰め寄った。
「それは嫌!」
「そうだよ、お義母さん! ちゃんと言われたことを守るから!」
二人は必死に訴えた。今さらそんな決定はご無体である。当日、不参加はできない話ではないが、ペナルティーとして今後三年間は小麦の収穫作業に回されてしまう。
来年は漁業を予定にしているので小麦は嫌だ。……腰が痛くなる。
娘の目と表情は真剣だ。尻尾も緊張状態である。遠足前のふわふわした気持ちは霧散しているかわりに戦場に行く前の緊張感に満ちた新兵のような状態だ。
「…………」
ガチガチに緊張するのは悪いとされているが、最初は緊張した方が良い。緊張はいずれほぐれるし、緊張していた方が周囲も何かと目を掛けてくれやすい。
(……ここまで言っておけばひと安心かな?)
セディアはそう思って肩の力を抜いた。しかし、ここで甘くしてはこれまでの流れが無駄になる。今、必要なのは『愛』という名のムチなのだ。
自分も通った道であるので、ここからは簡単だ。リオとラウラは集められたばかりの新兵となんら変わりない存在である。
度胸と服従には大声で復唱させることが一番である。
「そう……なら今から言うことを近所迷惑にならない程度の大きな声で復唱しなさい。ひとつ、先生やガイドの方々の言うことを必ず守ります」
『ひとつ、先生やガイドの方々の言うことを必ず守ります!』
「ひとつ、必ず獲物の姿を確認してから撃つこと。獲物の姿を目視せず『ガサ撃ち』なんてもっての外です」
『ひとつ、必ず獲物の姿を確認してから撃つこと。獲物を確認せず『ガサ撃ち』なんてもっての外! ……って、『ガサ撃ち』ってなに?』
初めて聞く単語に首を傾げる二人。
「『ガサ撃ち』とは木が揺れる音、草を踏む音などに反応して撃ったり、もしくは、見間違いや思い込みで撃ったりするなどの総称です。山や森に居るのは獣ばかりではありません。山菜を取りに来たり、山の手入れをしたりする人もいます。相手を確認せずに矢や魔法を放てば、その音を発した正体が人間の場合は必然と死傷する可能性が高くなりますので、絶対にやってはいけないことです」
「そうなの? でも、そんな簡単に人に当たるかな?」
「あたしたちは練習でも動かない的にしか当たらないのにね……」
「当たるからこそ人が死傷するわけなのですが……どういうわけか、そうした不祥事(?)においてはヘッドショットなどの急所に一発必中が起こりやすいのです。ですから、お二人もちゃんと確認してから矢を放つのですよ」
コッペリアとアヤコの説明に二人は『はーい』と神妙に頷いた。
それでは、とセディアは頷きつつ、
「ひとつ、獲物を狙う際は必ず矢先の安全確認を最優先。危ないと思えば素直に降ろすこと。猟果は二の次以降。矢を降ろしたことを注意されたり、怒られたりすればそんな人間とは付き合わなくてよし! なんなら先生かシトンさんに言いなさい」
『ひとつ、狙う際は矢先の安全確認を最優先。危ないと思えば猟果は二の次。怒られればアヤコお姉さんに告げ口します!』
「え、ちょっと……」
微妙に文言を変えられ、勝手に巻き込まれたアヤコだった。
「ひとつ、矢先の安全確認が取れればさっさと撃つこと。撃てる時はガンガン撃つ。撃つ時は息を止めてから一〇秒以内に行いなさい」
『ひとつ、安全確認後は素早く撃ちます。撃って撃って撃ちまくれ!?』
「よしッ! 貴女たちはまだまだ使えないミソッカスですが、心構えだけは半人前に成長しました。その調子で実習も頑張りなさい! ガンホー!」
『がんほー、がんほー、ガンホー!?』
ノリと勢いはとても重要なこと。
娘たちの大きな成長にセディアは満足げに頷いて見せた。
『いや、「よし!」じゃないでしょう』とか『どこの下っ端訓練教官ですか』というボヤキが背後から聞こえてきたが、それらを全てシャットアウトしたのだった。
軍曹に変わり、今度はアヤコが口を開く。
「えー、お母さんのお言葉の後で恐縮ですが、そこまで肩肘張る必要はありません。ガイドも経験を積んだベテランぞろいですし、護衛チームも強兵ばかりと聞いております。お二人は五日間の時間を心行くまで楽しめばよろしいのです。そして元気な姿で帰ってこられれば、わたくしどもも幸いなことにつながります」
『はーい』
アヤコの訓示は短く、二人も元気良く声を上げる。
「お嬢さま。アレらに関して使い方は頭の中に入っておりますか? 特に火に関しては扱いを間違えないように。……あ、あとは使用してみた実感などの感想をレポートにまとめて頂きますので、お忘れなきようお願いいたします」
『……うぇーい』
コッペリアの訓示に関して言えば、最後のレポートの下りで曇った表情でげんなりと返事をする。
実習には養父が作らせていた装備品を三つほど持っていく。それらは世界を変えるほどの大層なものではないが、扱い方を間違えなければそれなりに便利な品々である。
ただし、見る者が見ればちょっとした騒動になるかもしれないが……。
「そろそろ出発ね……」
セディアは懐中時計で時間を確認する。
集合場所は学校ではなく、河の中洲にあるハンターギルド前である。まだまだ余裕はあるが、最低でも十五分前には到着しておいた方が周囲の評価も悪くはならない。
「それじゃあ、ちゃんと元気な姿で帰ってくるのよ?」
「はーい! お母さん。アヤちゃんにリアちゃん。お姉ちゃんたち。行ってきま~す! ラウラちゃん、行こうっ!」
「……お土産話を楽しみにしておいて。……行って来ます」
リオとラウラは見送りの三人と門番をしていたメイドたちに頭を下げると、軽やかな足取りで階段を降りていった。
「……あの娘たち、大丈夫かしら?」
姿が小さくなっていく子供たちの背中を見送りながら、セディアは深々と心配げに溜息を吐いた。
やはり心配である。
「怪我などに関しては大丈夫でしょう。どうやら凄腕の治癒魔術師が参加するそうですから。むしろ心配なのは……」
『心配なのは?』
コッペリアの物言いにセディアとアヤコが首を傾げる。
「リオ様とラウラ様の二人と、残りの子供たちの覚悟の差でしょうか? お二人はここエリザでは珍しいタイプですので。先生のお話だと、残りの参加者も」
「あ~~……」
「なるほど……」
二人はコッペリアの懸念に合点がいった。
なるほど、確かに懸念があるとすれば覚悟の差になるはずだ。それは、ちょっとした差に見えるが、とても大きな差になるだろう。
「田舎の子供と都会の子供の差ですか……」
ちなみに、リオとラウラの両名は前者になる。
「まぁ、なるようにしかなりませんわね。……ところで話は変わりますが、セーラ様とルツィアさんのお話は聞きましたか?」
「ええ、月末にお帰りになられるのだとか……」
アヤコたちは門の下を潜りながら、話題を子供たちから金髪コンビにへと話の矛先を変えるのだった。
「――で、わらわたちはどこに居るのじゃ?」
「……さあ、少なくとも見覚えのある場所ではないことは確かです」
金髪コンビは迷子になっていた。




