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勇者の活躍(?)の裏側で生活してます・後日譚  作者: ぞみんご
第二章 進撃のキツネとウサギ ……あと金髪
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#011 戦は準備が大切? ②


 昼食を摂り終えたリオとラウラにコッペリアの三名の一行は、今度は馬車に乗り遅れるようなヘマをせず、最短時間で南港に到着したのであった。


 馬車の移動は思ったよりも早く到着するのだが、デメリットもちゃんとあった。


「あ~~、尻と腰が痛い~」


「短時間しか乗っていないのに」


 情けない格好で腰をトントン叩く義妹(リオ)をラウラは呆れた様子で眺める。


 どうしてこうもオバサン臭いんだろうか。自分も確かに腰が痛いのだが、我慢できないほどでもない。


「しょうがないよー、椅子がそのまんまの木だよ! 柔らかくないんだよ!」


「大衆向けの馬車に貴族と同じ革張りだの、クッション性だのと求めたら駄目。まだ地面が均等になっているだけマシだよ」


 車体の振動というものは地面の凹凸に由来するものが多くなるが、エリザの路面は滑らかなに整備されているので、僅かな振動よりも座るための椅子の方に問題が多かった。


 乗合馬車の椅子は柔らかさとは無縁の寿命重視の硬い木を採用しており、車体の振動よりも尻に対するダメージが大きい。特に屋敷にある貴族御用達の高級馬車に乗りなれているリオにとっては乗合馬車の椅子は針のムシロと相違なかった。


「……前から言おうと思ったんだけど、リオ」


「な~に~……はうあ!? い、今、『ピキッ!』って来たよ、ピキって……」


「ピキじゃなくてさ……あなた、ヘタレになったわね。……うん、貴族生活に毒されて楽に慣れすぎよ。一年前のあなたなら、そんな弱音があなたの口から漏れないわ」


 ラウラは、ズビシッ! とリオを指差し声高に指摘する。


 理由は既に判明している。何せ屋敷での生活が快適すぎるのだ。メイドの手によって至れり尽くせりの状態ではあるが、二人はそれを求めてはいない。しかし、現状において楽な生活をしているので、ちょっとでも不満があるとそれを口にしてしまうのだ。


 要するに上を体験しているが故に下が我慢できないのだろう。


 このままではいずれ、『パンがなければ、菓子パンを食べればいいじゃない』などと上から目線バリバリの馬鹿丸出しな台詞を言い出しかねない。


 これは良くない傾向だ。これ以上、性根が歪む前に矯正が必要だろう。


「……メイドのお姉ちゃんたちがしていたキャンプにあなたも行く? あたしたちが実習から帰ってきた翌日に第四陣が出発するらしいから」


「ラウラちゃん、わたしに死ねと!?」


 一ヶ月前に発生したS事件において、侍従隊の隊員たちの能力低下の懸念を抱いた元隊長(キツネ)は精神的な部分を含めて隊員たちの再教育に取り組み、その結果としてとある無人島で一週間ほどのキャンプを行うこととなったのである。


 キャンプと言っても基本的に無人島で一週間生活するだけのこと。隊員たちの能力を考慮すれば無人島で一週間の生活など『楽勝』の二文字である。


 後で一ヶ月ほど寝たきりになるだろうが、一週間ぐらいなら飲まず食わずで生活することができる。それどころか、戦闘行為を続けることだって出きるのだ。


 普通の無人島ならば、の話だが……。


 キャンプ地に選ばれたのはエリザから北へ船で三〇分ほどの距離にある小島。


 そこはちょっぴり凶暴で愛嬌のある生き物たちの楽園。普通の人間が足を踏み入れたなら一〇分もしないうちに彼らの胃の中に納められているだろう。


 既に第一陣、第二陣がそのキャンプの全日程を終え、現在は第二小隊の半数が第三陣として派遣されている。


 キャンプを終えた隊員は、どいつもこいつも死んだような目をして帰ってきていた。中には精神が擦り切れて除隊寸前の者まで出たのだ。


 プロフェッショナルですら根を上げるキャンプにド素人の自分(リオ)が参加すれば死ぬのは確定である。


 そんなリオの心配を余所にラウラは涼しい表情と、


「大丈夫、おそらく死なないわ」


「何を根拠に……ッ!?」


「アヤコさんと同じキツネだから。それだけでしぶとそうじゃない?」


「ひどッ!?」


 義姉の酷い言いぐさにリオは愕然とした。キツネという理由だけで死なないの種族差別だ。というか、魔王の眷属扱いは辞めてほしい。


「それじゃあ、下のお家で生活する? 屋敷と違って全てのことを自分たちでやらなければいけないから、少しは家事も覚えられるよ」


「……やだ」


「お義母さんは別に構わないと言ってるけど? 最近、わき腹のお肉がヤバイって鏡の前で叫んでいたし」


「ヤダ!」


 リオは俯いて力強く拒否する。


「あそこはヤダ! だってパパが居ないもん! 帰ってこないもん……ッ!」


「そりゃー、この世界に居ないからねー」


 家の住人に何故かアヤコ(妊娠発覚前)が増え、最初は和気藹々と過ごしていた。


 とは言いつつも、家主の居ない家は火の消えた暖炉のようなもの。その大きさと相まってか虚しさを漂わせる箱でしかなかった。


 次第に口数が少なくなり、ちょっとしたことでイライラしたりと、悪い方、悪い方へと進んでいってしまった。『まぁ、舵取りをする人間がいなければ集団生活は難しいので、あんなもんだったんだろう』というのが彼女たちの共通した思いであった。


 そんな空気に耐えられなくなって、最初に音を上げたのは意外なことにもルツィアだった。紅が居ないという理由以外にもあったのだが、彼が世界を去ってから四ヵ月後にはセーラに誘われるがまま旅立っていったのである。


 アヤコの妊娠が発覚し、病院検査に通い始めれば、リオとラウラも学校に通い、セディアが資格を持ち屋敷で仕事をするようになれば、おのずと上の屋敷で過ごす時間が増えていき、何時の間にか寄り付かなくなってしまった。


 人の住んでいない家は傷みが早くなるので定期的に掃除を行ったり、泊まりに行ったりしているが、定住しているわけではなかった。


「ふむ、リオはあの家に戻りたくないのね? 行きたくはないと?」


 こくりと頷く。


「そっか……じゃあ、しょうがないよね~」


「ん?」


 ラウラの口調――様子がおかしい。


 いぶかしんで顔を上げてみると、相手はまるでいたずらっ子のような顔をしていた。


「月末にセーラ様とルツィアお姉ちゃんが帰ってくるんだけど、その時は下のお家で過ごすんだよね~。行くのが嫌だというリオは不参加だね~。お土産は独り占めぇ~」


「は、謀ったね、ラウラちゃん!?」


 居なくなったルツィアだが、三ヶ月に一度は帰ってくる。セーラの『勇者修行の旅』に付き合って大陸中を回っているのだが、いつも大量のお土産を持ち帰ってきていた。ついでに、その旅先の様子や感想を聞くのがリオたちの楽しみでもあった。


 どうやらラウラはそのお楽しみを独占するつもりらしい。


 一〇〇匹単位の苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたリオをドSさ満載の笑みでほくそ笑むラウラ。


「お嬢様方、そろそろ出発しますよ」


 乗合馬車の乗車賃の支払いを済ませたコッペリアが二人に声を掛ける。


「は~い。今、行きます。……ラウラちゃん、覚えてろ~」


「そういう捨てゼリフを吐くのは負け組のすることだってお義父さんは言ってたよ。つまり、あなたは戦う前に負けているのよ」


 ラウラは肩をすくめる。


「ぐぬぬぬ……」


 リオは反論しようとしたが、結局は何も思い浮かばずに歯噛みしたのだった。




 南港の東の端付近までやってきた。


 船が停泊する往来の激しい場所を表とするならば、ここは万が一に備えて武具・防具・保存食を長期に亘って貯蔵したりする倉庫が軒を連ね、古くなり使わなくなった船や道具を解体するまで放置したりする、人通りの少ない裏の区画である。


 過去には物騒な連中がここを根城にしていたりしていたが、現在では警備兵の見回りが定期的に行われているので物騒というほどでもない。


 薄汚れたレンガ造りの倉庫が立ち並ぶ路地を抜け、右に曲がり左に曲がり、基本的に景色が変わらないので同じ場所にぐるぐる回っているような錯覚に襲われる。


「…………」


『…………』


 一行は無言のまま、コッペリアが先導されるがまま小道を進んで行く。


 そして街を守る城壁と倉庫に囲まれた袋小路のようなところまで入ってきた。


「こんな場所にお店があるの……?」


 周囲を見回しても店はおろか、倉庫の入り口すら見当たらない。壁、壁、壁である。


「はい、そちらです」


「でも、行き止まりだよ……?」


「ですから、こちらです」


 コッペリアが手を向けた先。今にも崩れ落ちそうな倉庫と城壁の間に敷かれた路面の一角に四角いデザインマンホールが埋まっていた。


 赤錆でボロボロになった四角いマンホールの上に木の板が置かれ、そこには『カン☆カムイ△金ギル●公認 ユ□コ近未来▽究所(かり)』という文字が彫られていた。


 ところどころ剥げていて読めない部分があるのだが、ここは自称・研究所らしい。


「かん……かむい……? ん~……汚くて読めない部分が多い。それにしても地下にあるなんて胡散臭いわねー」


「さびさびでボロボロだよ~。……でも、何で『(かり)』なのかな?」


 汚い、ボロい、胡散臭い、と言いたい放題の子供たちである。


「すいません」


 こんこんこん。


 コッペリアは赤錆のマンホールをノックする。


「……すいません」


 ごんごんごん。


「本当にやってるの、ここ?」


「やってなければ契約不履行です。すいません!!」


 どんどんどんどんどんどん。


 先程よりも強く叩いた。赤錆が飛び、マンホールはギシギシと唸り声を上げる。


 マンホールが開くよりも先に壊れるんじゃないかとハラハラ・ドキドキしながら見守っていたら、ガチャガチャと中から鍵が開けられる音がした。


「うっさいのー、今、何時だと思っとるんじゃ……」


「昼です。夜間や深夜営業でなければ働いている時間です」


 しわがれた声のボヤキにコッペリアはツッコミを入れる。


「……まあよい。ほれ、さっさと中に入れ……」


 マンホールの蓋が少しだけ開き、しわしわの手が『中に入れ』と招いていた。


「どうしますか、ここはわたくしの目的で訪れた場所ですので、お嬢様方はこちらで待機していただいても構いませんが?」


「わたしは行くよ~、中が気になるもん!」


「じゃあ、あたしも行くわ。北の港の倉庫では『テンカラ』とかいう暗号だったけど、今度は何かしら」


 マンホールの下は近未来とは無縁の縄梯子が掛かっていた。


 足を踏み入れた地下はというと、二〇帖ほどの人の手が行き届いた空間が広がっていた。使われなくなった保管庫か避難所跡を改築し、ぼんやりとした光源はむき出しの蝋燭(ろうそく)で、換気口として部屋の四角の天井に穴が空いていた。


 人が生活する分には環境的に十分そうだが、足の踏み場のないゴミ屋敷のような有様でもある。棒っぽい杖、盾っぽい板、濁りに濁った宝石っぽいやつ……などなど、一見すると研究成果に見えそうな、いやはや、よく見るとただのゴミのような、そんな怪しげなガラクタの数々。


 一応、設計図っぽい紙が広げられたテーブルが存在しているのだが、紙には何かをこぼしたような跡が広がっており、パンのカスがあちこちに落ちている。


 ぶっちゃけるまでもなく汚い。こんな場所だとGが生息している可能性が大だ。


「……まったく、連絡もなしにいきなりきおって……」


 悪態をついた主は全身を紫ラメという怪しげな色のローブで覆い隠し、その布から顔を覗かせたのは、初老を通り過ぎた皺だらけの老人だった。とがったワシ鼻、意外とふさふさで長い髪と眉にカイゼル髭は真っ白な白髪と変貌しているが、瞳は情熱が篭もったようにギラギラと輝かせていた。


 どう考えても危ない老人にしか見えない。


「で、ここって何になるの?」


 リオはゴミ屋し……いやいや、部屋の中を改めて見回した。


「表の看板を見なかったのか? ここは研究所じゃ。由緒正しき錬金術の総本山、カンナカムイ公認のな。専門は魔導関係じゃが、何でも解析するし、何でも作るぞい」


 金さえ払えばな、と付け足した。


「ラウラちゃん、ラウラちゃん。この木、胴体がうねうねと震えているよ!!」


 リオが指差した先にはこけしに似た物体がうねうねと動いている。


「妙齢の一人身の女性から頼まれた奴じゃな」


「こっちは水が流れていないのに水車が回っているわ!!」


 ラウラの足元では一四四分の一サイズのミニチュア水車がカラカラと水の力も借りずに回っていた。


「そっちは……まぁ、わしの趣味じゃ……って、壊すなよ。節穴の目にはガラクタに見えるかも知れんが、ガキンチョどもの小遣い程度で賠償できるようなものじゃないぞ」


「いえ、お嬢様たちは街で有数のお金持ちですから余裕で支払えます。それどころか、この研究所を丸ごとでも支払えるかと……」


「え、そうなの?」


 自分たちは初耳です、そんな表情を浮かべる二人だった。


「世も末じゃ……こんな自分のことすら把握していないもんが金をもっとるとは……」


 老人は目頭を押さえて天を仰いだ。


 だが、金持ちというのはえてして自分が幾ら持っているのか正確に把握している方が少ないだろう。ある水準を越えれば『たくさん』という単語で済むからだ。


 老人は室内にある唯一の椅子に腰を降ろし、コッペリアを見上げた。


「それで、この穴倉に今日は何のようじゃ?」


「依頼しておりました『ぜにがたこういち』を受け取りに参りました」


「あれか……じゃが、まだ出来上がっておらんぞ。何せ依頼されたときに『三年を目途に』と期限を言われておったからの。まだ一年半も残っておる。ああ、遊んではおらんぞ、設計の構想を終えて、試作段階に入ったばかりじゃ」


「そうですか。しかし、完成する予定はあるのですか?」


 部屋の中は完成品より未完成の方が多く見えたので、ある意味、当然の感想だった。


「あるに決まっておる! わしを誰だと思っておるのじゃ!?」


「学会から異端認定された、イカれたジジイだと思っております」


 コッペリアの容赦ない言葉の刃が振り下ろされた。振り下ろされた側の老人はダメージを受けていないのか、反対に誇るように胸を張りながら、


「はんッ! あんな頭の中に石が入った連中に認められとうないわい。あやつらこそが真の異端なのじゃからの。そう、わしこそが王道! 正道なのじゃ!」


「そのわりには、異端とかいう学会から貰った賞状を綺麗に飾ってあるね」


「強がり? ツンドラ? へべれけ?」


「適当に知っている単語を並べないの! でも、リオの言う通りかもね」


 事実、ラウラとリオが示した先には額縁に飾られた賞状があり、そこだけは掃除が行き届いているのか、周囲はおろか壁にシミ一つなかった。


「…………。…………」


 反論しようとしているようだが、口をパクパクさせるだけで言葉が出てこない。


 どうやら、先ほどの台詞は強がりだったようだ。


「おう……おじじのお顔が真っ赤っ赤です」


「浮き上がった血管が今にも切れそうね。確か……ノウコウソクだっけ?」


「リオ様、それを言うなら『脳溢血(のういっけつ)』です。ですが、今回は頭蓋骨の外ですから、単なる出血になるでしょう」


 容赦ない言葉の刃(第二派)が降り注いでいく。


 今度は耐えられなかったのか、プルプルと震えていた肩がピタリと止まると、


「……で」


『で?』


「でていけええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーッッッッ!!!!」




        ★  ★  ★




 主が不在の屋敷は深く、静かに、慌てていた。


 侍従隊の大隊長と各小隊の小隊長が集まり暫定対策会議が開催されていた。


「……以上のことが、会議を開く運びになった経緯(いきさつ)になります。なお、特別監視対象であるリオ様とラウラ様の監視任務につきましては、本小隊のカルメンシータ、フィオレ、ロベルタの三名が引き継いでおります」


 まず、第六小隊の小隊長であるトモエが事件の概要を集まった面々に説明していた。


「……それでポニー――ではなくて、カサンドラは見つかったでござるか?」


 街の外で臨時小隊の野外訓練の監督をしていたロロットが事件に巻き込まれた隊員の状況を聞く。


 トモエはその問いかけに頷きつつ、


「北部の港にあります二七番倉庫にて縄で縛られた状態のカサンドラを捜索隊のシルックが発見しました。縛られている時についたと思われる擦り傷を除けば、特に目立った外傷はなく、また、精神的な魔法が掛けられた跡もありません」


「無傷? 犯人はカサンドラ殿を無傷で鎮圧したということでござるか?」


「……はい。シエナ様の検査結果を待っている状態ではありますが、おそらく、即日の原隊復帰は可能かと思われます」


 ひとまず喜ばしい話である。


 常に人不足という状態の侍従隊には予備の人材はいない。東部に派遣された第四、第五小隊の穴を埋める為に本部から新人部隊を派遣してくるくらいだ。復帰に時間が掛かるだけならまだしも、予備役編入ともなれば目も当てられない。


 流れとして良いか悪いかは別にして、良い話の次は悪い話というのが相場だ。


「カサンドラや同じ任務に就いていたダフネにも確認をとりましたが、彼女たちは相手の顔は見ていないとのことです。カサンドラが言うには、監視対象を追うために移動を始めようとしたら、いきなり背後を取られ、そのまま抵抗する間もなく押さえつけられ縄で縛られたそうです。文字通り、手も足も出なかった……ということですわ」


「……それは本当ですか? いくらか油断が有ったとしても彼女は対人格闘術の達人ですよ? 私なんか一分も保ちません」


 キャンプの第三陣を率いているクリスティーネの代理として出席していたユーリアが両腕を抱きながら身震いさせた。


 魔法無しの一対一なら侍従隊でもトップクラスの格闘能力を持つカサンドラが無傷で捕縛されたという事実に、会議室の空気が重くした。


「で、カサンドラを捕縛した下手人は分かっているのかい?」


 今度は休暇中に呼び出されたマドレーヌが問いかける。


「それが……相手の人相や服装すら分かっていないので追うことも出来ません。現在、第六小隊の手の空いた者から順次投入している状況です。一応、外門で怪しい人物が出入りしていない確認をしておりますが、そちらから芳しい報告は上がってこないでしょう」


「通常任務もあるもんな。逐次投入は仕方なしか。……港の方はどうなんだ?」


「そちらにも人をやっておりますが、目ぼしい情報は……」


 本来なら犯人に繋がる情報を述べたいところだったが、何一つ分かっていない状態であった。初動が遅れたというわけではないが、後手後手を回っている感は否めない。情報の少なさもそうだが、圧倒的に人手が足りていないのだ。


 まず屋敷の主であるリディアが不在である。現在はエリザベスの隣の領地、クロッサムに赴いている。表向きは当地の領主の誕生日を祝う会に参加しているのだが、本命は獣人領で猛威を振るっている感染症の対策会議である。


 そんなリディアを補佐兼護衛する役目として第一小隊が派遣されていた。


 主が不在といえども屋敷の清掃や警備作業が無くなるわけもなく、ワクドキ・キャンプの所為で更に人が居なくなるという悪循環。臨時小隊はヒヨっ子の集まりなので探偵のような作業を行うにはスキルレベルが足りていなかった。


「自警団の方から何か情報はないのですか? 見慣れない人間がいるとか……」


 ユーリアの問いにトモエは力なく首を横に振る。


「まぁ、犯人の能力を考えれば自警団の実力だと門や港のチェックで発見できなければ、街で暴れでもしないかぎりは見つけられないだろう。それに、こういう犯人の場合は街の人口が増えすぎた欠点がモロに出てくる。人が多すぎて見慣れない人間がごまんと居るからな。おそらく、隣の番地にどんな人間が住んでいるとか分からないだろうな」


「で、ござるな~。拙者も馴染みの店以外の住民の顔を知らないでござる」


 ロロットが腕を組んで、うんうん、と大仰に頷く。


「侵入経路に関して話し合っても無駄だな。何せ、ここは重大な欠点を抱えている」


「ここは城塞都市として最大の長所である四方の壁が完全に街を遮蔽しているわけではありませんからね。……港は兎も角、中央を流れる河の存在がありますから。その点を突いて、水の中を潜って内部に侵入する手段を採れますし……」


 エリザが城塞として機能し始めた頃の仮想敵は他国の軍隊であり、それは陸から攻めてくるものばかりだった。湖から攻めてくることも考えられそうだが、龍伝説の噂が尾鰭を引いて、誰も水上から攻める事を考えていなかったのである。


 そうした理由から南北の港部分には城壁が存在せず、忍び込もうと思えばチャレンジすることは可能だった。


「実際、リディア様を狙っていた連中はそうしていたからな。最近は減ったが、正式に皇太子就任を果した時なんか暗殺者(おきゃくさん)で一杯だったもんな」


 マドレーヌの台詞に皆が、うんうん、と頷く。


 リディアを狙う人間は昔からごまんと居る――王女よりも聖女という立場が原因――のだが、それまでは近くに魔王(アヤコ)が徘徊していたので、命要らずの馬鹿しか狙ってこなかった。しかし、魔王が引退し、リディアが大国の次期国王候補の筆頭に就任した事によって、その命を狙う人間が倍増したのだった。


 それらは全て返り討ちにしたのだが、暗殺者たちのほとんどが水中から街に侵入していたのである。


「あ、そうだ。肝心のリディア様はどうなっているんだ? ろ……大隊長、あちらに連絡はとっているのかい?」


 二面作戦を採っている可能性が高く、こちらが囮ということもあるだろう。


 マドレーヌはロロットに訊ねたが、トモエが手を上げながら、


「既にわたくしの独断でリディア様には一報を送っております。具体的な命令は出されておりませんが、全権委任の秘書官(セディア)はこちらに対応を任せるそうです」


「それなら良いか」


 大隊長の許可が出ていない――小隊長の独断について思うところはあるが、緊急時においてはそれを可能としているので特にいうことはないだろう。


「犯人探しは引き続き第六小隊に任せるでござるが、休暇中の第三小隊には悪いでござるが、休暇は切り上げ、犯人探しに参加して欲しいでござる」


「ま、しょうがないな」


 休暇の取り消しは残念だけど、事が事だけに悠々と休んでいることはできない。


「それでは解散! ……でござる」




 しかし、この日、侍従隊は不審者を発見することは叶わなかったのであった。




        ★  ★  ★




 研究所を追い出された一行は、そのまま北上を始め、体験実習に必要な買い物を次々と済ませていった。


 「ひと狩り行こうぜ!」と簡単に言っても、現在の日本のように携帯ゲームと向き合ったり、ライフルや散弾銃を片手に車などで現地まで足を運び、日の出から日の入りという間に対象となる獲物を『探し(サーチ)狩る(デストロイ)』という流れの後、家に帰るという日曜ハンター、もしくはホテルに泊まって――車中泊という物好きも――翌日もやる一泊二日ハンターにはならない。


 強いて言えば、山の縦走、欧米の狩猟の方が近いと言えるだろう。


 欧米などの狩猟が一般的な趣味(ホビー)として認識されているお国などでは、山や森林に登山家用の山小屋ならぬハンター用の猟師小屋が建てられており、日が暮れればその小屋を目指したり、小屋間を移動しながら狩りを楽しんだりしているそうだ。


 しかし、エリザベス領内に大動脈たる主要な道路沿いなら兎も角、森や山にそんな便利な宿泊小屋があるわけではないので、大体が一週間分ほどの着替えと食料、食事を作る際に火が必要となるので枯れ木を切るためのノコギリや鉈を下げ、野営する為のテントや寝袋を背負って山から山を歩き続けることになる。


 装備重量には『ベースウェイト』なる量り方がある。


 これは『水・食料・燃料』などの消費アイテムを除いた総重量のことだ。お米の国では『ウルトラ・ライト』と称して一〇ポンド――四・五キログラムが一応の目安となるらしい(……ちなみに標準重量は二〇ポンド(九キログラム)になるらしい)。


 ところが、こちらの世界の装備はそれほど軽量化がなされていない。一つ一つの重量があり、加えて嵩張る物も多くなるので、最低限の装備数の最軽量でも三〇キログラムになるだろう。


 そこに一週間分の水と食料を加えれば四〇キログラム。その他にも、獲物を狩るための道具――弓と矢が必要になるので、総重量は四二キロぐらいにはなる。


 大人でも苦労する重量であり、子供からすれば自分の体重、それ以上の重量を持ち上げることは実質、不可能といえそうだ。


 なぜ軽量化がなされていないかと言えば、技術的な問題もさることながら魔法の存在を切り離すことは無理だろう。魔法の中には自身の身体能力を強化するものも存在する。


能力の強弱、時間の長短は個人の資質によるものなので何とも言えないのだが、平均的に一五〇キロほどの重量までなら一日、自由に動くことが可能である。


 そういう意味では一五〇キロまで重量を軽減しなくても良いということだ。


 だが、覚えておいて損がない身体能力を強化する魔法だが、覚える時期が徴兵時代の訓練ということになっている。それは肉体を必要以上に行使することになるので、身体の作りが不十分な時期に使用すれば、身体に悪い影響を及ぼす恐れがあるからだった。


 荷物以外にも難所が待っている。周囲の外敵である大型猛禽類や人を襲う肉食動物にも気を配らなければいけない戦備行軍にも等しい移動が待っているのだ。


 ぶっちゃけた話、七歳の子供が参加する方がおかしいのである。


 とはいえ、それは――、


「獲物を選べばそういうことになるのでしょうね」


 コッペリアはシトンから貰った資料に視線を落としながら呟いた。


 生息数が少ない獲物を選べば、山を越え、谷を越え、河を渡って、という行動が必要になるだろう。しかし、雀や鳩といった身近なものを選べばその辺の河原や野原で獲ることが可能だ。というか子供はそちらをメインとすべきだろう。


 資料には狩る予定の獲物の名前が記載されていた。




『野ブタ』『ケルヴァルケス』『アクタイオン』




 『野ブタ』は字の通り、家畜として飼われていた豚が逃げだして野生化したものだ。世代を重ねると先祖がえりを起こしてイノシシ化しているものもいる。


 野豚を放置しておくと餌を確保する為に土を掘ったり、木の根を掘り返したり、放牧されている家畜の豚を繁殖目的で襲ったりするので、エリザ周辺の地域では見つけ次第、駆除することを奨励していた。


 ケルヴァルケスはヘラジカに良く似た鹿である。成獣の平均体長は二五〇センチ。体重は四〇〇キログラムほど。最大級にもなると一トンを超えてくる。


 ヘラジカもそうだが、日本の鹿とは違い愛嬌の欠片もない。どちらかといえば牛であり、その角がごっつい奴と言った方が差し支えなさそうだ。


 性格は比較的温厚になるのだが、同族はおろか他種族に対しても縄張り意識が強く、グルメなのか広い牧草地の中から選び抜かれた美味しくて栄養素の高い牧草を狙って食べるので、こちらもまた駆除の対象である。


 アクタイオンはケルヴァルケスの突然変異であり、こちらは魔法を行使してくる。突然変異とは言え魔物でもなく、繁殖能力が低いためなのか縄張り意識も低いので放置しても構わない。だが、角は魔道具の材料になるし、毛皮には気品溢れる美しさがあるので高値で取引されている。


 基本的に捕獲・駆除は自由だが、相手の戦闘力は下級の野生ドラゴンに並ぶぐらいに強いので要注意だ。


 基本は野ブタを子供たちが狩り、ケルヴァルケスは大人だけで狩りを行い、子供たちは見学する形だ。アクタイオンは見かける方が稀なので、状況によってはケルヴァルケスと同じ形にするとなっていた。


「それにしても行き先がプルムですか……」


 狩猟体験が行われる地はエリザから北にあるプルムだった。


 ここは町全体が大きな農場兼牧場として機能しており、エリザとは違って住民が密集して生活しているわけではなかった。


 実習初日にプルムの最東端、クロッサム領との領境にある宿泊小屋まで行き、そこで一夜を過ごし、二日目から北にある森で野ブタ狩りを行う予定となっている。


 食料はエリザから全部持っていく予定だが、水は現地調達が可能。ただ、体験授業ということで水も持っていく。寝泊りはテント生活になるが、問題が発生すれば点在する小屋に避難することになっていた。


 プルムで飼育されている家畜を狙う野犬やらコヨーテ、人間も襲う大型猛禽類も居るのでエリザの中に比べれば危険度は跳ね上がるのだが、それでも人間の生活圏であり安全圏とも評価できる。


「しかし、わたくしが調べた限りですと例年ならば西側の精霊鉱山の周辺で実施されていたのですが、今年は随分と楽な場所が選ばれていますね」


 精霊鉱山周辺は危険地帯として知られている狩猟場だ。その分、価値がある動植物が生息していることもあるので学習場所としては悪くない土地である。


(……お嬢様たちが原因でしょうか?)


 場所の変更に至った理由を考えれば、リオ達の存在が尤もらしい理由になるだろうが、今回は他にも理由があった。


 確かに担当教師のナンシーが泣きついてこともあるが、例年ならば野ブタ等を狩るハンターが不在なので、このまま放置すれば数が増大する恐れがあるのだ。野ブタのしゃくり上げや体当たりこそ脅威だが、遠くから射撃すれば危険はないので新人にはもってこいの相手である。


 また、現場管理を任されたシトンからすれば護衛チームがちょっと(?)ばかり最強すぎたとしても、彼らは現場を熟知しているわけではない。どんな不確定要素が襲ってくるのか予測できない以上、安全運転する必要があったのだ。


「うぇ~ん、重いよ~」


「……っ、確かに重いわ……」


 泣き言が聞こえてきた。


 コッペリアの前方には四角い物体がゆっくりとした速度で進んでいた。その正体は大きなダッフルバッグを担いだリオとラウラだ。


 コッペリアは実習に必要な物として買ったものは持とうとせず、リオとラウラの自分たちに持たせていた。手伝っても良かったのだが、本番では自分で担いで歩かなければならないので今からその練習という理由からだ。


「選択を誤ったわ……これを担いで歩かないといけないのね……」


「ラウラ様、当日はもっと重くなりますよ」


 バッグだけで一・五キロはあるだろう。


 バッグの中は寝袋となる毛布と簡易枕、当日履くためのジャングルブーツと予備用の合計二足、雨が降ってきた場合のレインジャケット、ウォーターキャリーとなる革袋、カトラリーにカップ、照明器具のランタン、ロープ、修繕用のソーイングセット、ファーストエイドキット、コンパス……などなど一〇キロ以上は軽くあった。


 当日はブーツ一足分が軽くなる代わりに着替えや食料、弓と矢が追加される。


「テントは先生たちが用意してくれるらしいから良いけど……ご飯は自分で持ち込みはなぜ……? そっちも運んでくれれば良いのに……」


「しょうがないでしょ……それを含めて体験なんだから……」


 こうなってしまっては後の祭りである。


 これでも二人は日本の中学生男子レベル以上の運動能力はある。だけど、荷物を背負うという慣れない作業に苦戦していた。


「お二人とも、そんな前のめりにならず背筋を伸ばしてバッグと背中を密着させませんと重心のバランスが悪くなり、重く感じますよ」


 ウエストベルトやショルダーベルトといった便利な機能はついていない。肩に食い込む紐が締め付けるように痛いのだ。


「そ、それで、次はどこ……?」


「次は本日のメインイベント、そして最後の店になります。そこで弓と矢を購入することになっております」


「嬉しいような、悲しいような話ね。更に重たくなるのだから……」


 子供はひーこらと愚痴をこぼしながら、大人はのんびりと足を進めていった。




「あれ? シラサギシスターズじゃないか」


 やっとの思いで到着した弓矢専門店『シューティング・テル』の店前には思わぬ人物が待っていた。


 シスターズ呼ばわりしたのは誰だと思い顔を上げてみると、そこには昨年まで同じクラスで授業を受けていた元クラスメイトの普人族の男の子が立っていたのだ。


「えっと……」


「確か……」


 ただし、名前が出てこない。同級生のわりには背が高く、やや小太り気味でまん丸顔。これだけの情報では名前が思い出せなかった。


 なにせ去年は一クラス八〇人という大人数で授業を受けていたのだ。日頃から仲良くしていた相手ならともかく、今年から顔を合わせていない相手なのだ。すぐには出てこない方が普通である。


 いつまでも名前が出てこない二人の様子に耐え切れなかったのか、


「ゲイリー! ゲイリー・ルーニーだ!」


 と、彼は自分の名前を叫んだ。人に名前を覚えられていないのは結構恥ずかしかったり、悲しかったりするものだ。


 名前を聞いてようやくリオは思い出せたのか、拳で手の平をポンと叩いて、


「おお、ゲ()リー君だ!」


「誰がゲロリーだ! おれの名前はゲイリー! 『ロ』じゃない『イ』だ!」


「でも、ゲロったじゃん」


「うん、あたしも思い出した。確かにキミはゲロった」


「はいはい! ゲロりました! ゲロりましたとも! ちくしょう、親も居るんだからあの話をすんなよ!」


 ゲロリー……改め、ゲイリーは姉妹の容赦ない口撃に己の過去の過ちを認めた。どうやら彼の妙な仇名の由来をドアの向こう側にいる男性――ゲイリーの父親――には聞かれたくないらしい。


 ゲロった理由が、ゲイリーがラウラを虐めよう――ウサ耳を引っ張ろうとした――とした所に、現場を目撃したリオが義姉を助ける為に繰り出した侍従隊仕込みの一撃が彼の横隔膜(みぞおち)を正確に捉えたのが原因だった。


 リオとラウラは納得したのか、それ以上の囃し立ては行わないことにした。


「お前らも実習のかいもんか?」


「そだよ」


「しっかし、えらく大荷物だな?」


「これでも軽いものを選んでるわよ。それに入れ方を工夫するから当日は問題なしよ」


 ふ~ん、と納得したのか、していないのか、よく分からない頷きかたをする。


「それで、お前らも弓を買いに来たんだろ? 何を買う予定なんだ? ちなみにおれはこの店のオーナーであるギョームさんがつくってくれたクロスボウだ!」


 じゃーん! と、ゲイリーは背負っていたクロスボウを誇らしげに掲げてみせた。


 無骨なデザインながらも、ともすれば実用的とも表現できるデザインのクロスボウ。子供でも重たい弦が引けるように巻き上げハンドルがついていた。


 本体に『六〇』という数字が彫られているので、張力が六〇キロなのかもしれない。渡された資料にクロスボウの場合は張力が五四以上と書かれていたので、彼のクロスボウは合格品になる。


「どうだ! 凄いだろ!」


「凄いとは思うけど、ゲイリー君が凄いわけじゃないしねー」


「う、うるさいな! で、お前らは何を選ぶんだ?」


「弓」


 『弓』という言葉を聞いてゲイリーは目を丸くする。


 ゲイリーは貧乏人を馬鹿にする金持ちよろしく、フッと鼻で嘲笑した。


「ゆみ? ゆみって弓だろ!? お前らは馬鹿なのか? いや、弓を馬鹿にするわけじゃないぞ? おれが言ってるのはお前らが弓を使うことだぞ」


「はぁ~?」


「お前らの細腕で弓が引けるのか? いやいや、もしかしたら領主様からすご~い弓でも下賜してもらったのかなぁ~? 貧乏人からすればうらやますぃ~ねぇ~」


「その笑い方と言葉遣いは三下悪役でもやらないわよ……」


 下品な笑い方をするゲイリーへの、元クラスメイトからのツッコミだった。


 ゲイリーの父親は眉唾物の事件情報やゴシップ情報ばかりをあたかも真実の如く取り上げるタブロイド新聞社に勤務しており、そこそこ収入は高い。そして移民派閥の中核メンバーで地元民と摩擦を生み出す根源の一人でもある。


 家庭環境もあるのか、ゲイリーは地元派閥の子供に対してところ構わずに喧嘩を売ったりしていた。今回もそれが表に出てきたのかもしれない。


「残念だけど、弓も矢もこのお店で買うわよ」


「お姉ちゃんたちが使う弓はわたしたちだと重たくて使えないもん」


 侍従隊で使用されている弓は個人の魔力の波形にあったオンリーワンの仕様なので他人が扱うこと自体が不可能なのであった。


 リオは『重たい』と表現しているが、実際は指紋認証のドアロックのように魔力の波形が一致しなければ弦が引けない仕組みなのだ。


「あたしたちが使うのは魔弓だけど、魔力で弦が軽くなる一般的な奴だよ」


 エレンシアで一般的に普及している魔弓は、魔力を流すことによって張力が軽くなるという仕組みだ。コンパウンドボウは引く際の力は通常の弓と変わらず、引ききる直前に滑車によって三分の一程度に軽くなる仕組みだ。それに対し、ラウラたちが使用する魔弓は最初から最後まで張力が五分の一まで軽くなる仕組みである。


 構造の問題で通常の弓よりも大きく、重くなる短所もあるが、張力が強いものを扱えるので威力が向上し、狙う(エイミング)動作が楽になるという長所があった。


 他にも、流す魔力の量を増やし、魔力の波形を使用者と同調させれば更に軽くなったりするものだったり、矢のほうにも細工がしてあったり、中には戦艦の艦砲射撃にも似た『ズドン』系もある。


「クロスボウの方が優れてるだろ!」


「弓とクロスボウのどっちが優れているかなんてねー。ラウラちゃん、分かる?」


「さあね? 値段が高いぐらいじゃないの?」


 ラウラたちが購入する予定の魔弓は、最大公約数という魔力さえあれば誰にでも使え、エレンシアならどこの街でも購入することが可能な量産品で値段も手頃。対して、クロスボウは部品も多くなり、物好きな職人がオーダーメイドで作るので、少なくとも弓の倍以上の値段はした。


「それ以外にもクロスボウの方が優れてるだろ!」


「だから知らないわよ。……メイドのお姉さんたちは誰も使ってないわね」


 弓とクロスボウのどちらが優れているか、そんな議題はいつでも起こる。


 状況による、なんて言葉が出てきたらそれまでになるのだが、威力・有効射程・連射性・持ち運び――など、様々な項目を考慮して順番をつけるとなれば『ショートボウ<クロスボウ=<ロングボウ<コンパウンドボウ』という順番になるだろう(注:あくまで作者の考えです)。


「い、威力があるんだぞ!」


 クロスボウは威力に優れているといわれているが、それはショートボウに対しての話であり、(加速する為のストロークが短く、矢も軽くなるので)一般的にはロングボウに敵わない。もちろん、クロスボウを大型化や強化すれば威力は増すのだろうが……。


「め、命中精度があるんだぞ……ッ!」


 クロスボウといえば素人でも引き金を引けば矢が発射される点や狙いやすく熟練が不要と言われている。実際、日本でクロスボウでの狩猟が禁止になった理由は、狙いやすく、そこそこ高威力の為に獲りやすく、乱獲防止の為だったと言われている(もう一つは、馬鹿が橋の上から鴨を狙い、それを一般人が通報したからなんていう説もある)。


 ――が、


「そこは練習すればなんとでもなるよ」


「ろくに練習もしなければクロスボウも当たらないわよ」


「ぬぐぐ…………」


 二人の容赦ないツッコミにゲイリーは死に体であった。


「…………」


 もう止めて、彼のヒットポイントはゼロに近いわよ! という瞳を浮かべながらコッペリアは三人のやり取りを見守っている。


「というか、クロスボウって壊れやすいって聞いたし、壊れたら現地で修理なんて無理よ? あとさ、酒場のおじさんの話を聞いた? 距離が三〇(メード)ぐらいになるから、クロスボウだと難しいかもって」


 ラウラは容赦なくトドメを刺した。もしかしたら耳を引っ張られたことを根に持っているのかもしれない。


 クロスボウの有効射程は二~三〇メートル。ギリギリだ。


「うわああああぁぁぁぁーーッッ!!!! バカヤロォォォォーーーーッッッッ!!!!」


 捨てゼリフを吐いて走り去っていった。


「よし、勝った!」


「トドメを刺したのはあたしよ。ついでに当日本番でもコテンパンにしましょう」


「そだね」


 残された二人は満足げな表情を浮かべて彼が走り去っていた先を見つめた。


(……この、敵対者には容赦ない性格は誰に似たのでしょうか?)


 むっつり無表情のコッペリアは静かに涙を流すのだった。




 月明かりの下、エリザの空を黒き翼竜が飛んでいく。


 尻好きの金髪親父は部屋のベランダから、自分たちを送り届けてくれた者たちの後ろ姿を見送った。隣にいた弓を担いだエルフが訊ねる。


「何を物憂げな表情を浮かべておる」


「いや、これから起こることを想像すると胃の辺りがムカムカしてきてな」


 答えたあとに、ぼそりと付け加えた。


「過剰戦力すぎるな、と。娘やキツネさえ居なければ、この街を灰燼に帰すことも可能な戦力が本当に必要だったのかと」


「それほどの戦力かね? ……むむ、なんじゃ?」


 ベランダ近くに集まる気配に臨戦態勢のスイッチが勝手に入ったのだ。


「やっほー」


「……久しぶり……」


 子供っぽい妖精と二足歩行のカエルが右隣の部屋のベランダから声を掛けた。


「陛下、ただいま到着しました」


 今度は左側のベランダに二メートルは有りそうな虎顔の大男が現れた。


「これで全部かえ?」


「いや、あと一人来るはずだが……」


 参加者は自分を含めて六名。しかし、ここに集まったのは五名だった。


「……にょほほ、既に居るよ~」


 にゅっと、逆さになった顔が上から現れた。


 どうやら、上の階のベランダに足を引っ掛けている要領で釣り下がっているらしい。


「おっと……」


 その際に被っていた帽子が万有引力の法則に従って落ちた。


「……マジ?」


「……げろげろ?」


「……陛下、そいつは最悪です……」


 帽子によって隠されていた髪がこぼれ落ちる。何年も掛けて伸ばしたであろうロングヘアは白銀色(・・・)に輝いていた。染めてはいない。地毛である。


 他にも頭上にはピクピクと動く獣耳。髪に隠されていながらも飛び出ている尖った耳。生粋の人間にはありえない様相だ。驚くなと言う方が無理である。


「裏社会で最強最悪の暗殺者、氷結のど根性ハンター、熱血説教魔の格闘閣下、王国暗部が生み出したハイブリットにして魔王のお姉さま。……いやはや、引退した老骨ばかりじゃが、確かにそれほどの戦力じゃな。一国の軍隊ぐらいならひと捻りじゃ。……これで貴様の嫁が居れば、ドリームメンバー勢ぞろいじゃぞ」


 ここに集まったメンバーは尻好き親父が『殿下』と呼ばれていた時代に、命を狙い・狙われた関係の者たちばかりである。実力・経験共に国内最高レベルの人間ばかりだ。


「それにしても、これだけのメンバーが集まれば安心だよね」


「……やりすぎ……げろ……」


「今回は非公式の旅ゆえに表立った人材を選べなかったのだ。仕方あるまい。さて、久しぶりの友との再会を祝おうじゃないか」


 うぃ~っす、と集まったメンバーは尻好きの部屋へと入っていく。


 しかし、彼らはまだ知らない。


 同窓会とも気楽に考えているイベントで二人の少女が暴れることを。自分たちの知識では想像できない世界があるということを……。


 ともあれ今夜のところは、久しぶりの旧交を温める大人たちであった。


次回から実習編ですな。

ケルヴァルケスは絶滅したヘラジカの古代種と同じ名前ですが、性格や姿が同じかどうかなんて不明ですので、悪しからず。

クロスボウや弓との比較は私の実体験からの感想です。

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