#010 戦は準備が大切? ①
その日、少女たちは監視されていた……。
わくわく・どきどきの野外学習まで残り一週間を切ったとある平日の朝。
リオとラウラの義姉妹はお供にコッペリアを引き連れて街中を歩いていた。
彼女たちの目的は野外学習に必要となる道具の買出しだ。
そして、最初の目的地は野外学習である狩猟の引率責任者であるシトンが経営する酒場である。そこで狩猟に必要となる矢の情報を得るためだった。
必要なものは屋敷でそろえようと思えばそろえられるのだが、屋敷にあるものは基本的に侍従隊の装備であり、彼女たちの為に用意されたオーダーメイドだったり、市販品の中でも最高級品だったりする。要するに一般人ではなかなか手の届かない品物だ。
それでは同行する生徒たちと差が生まれ、リオ達が仲間外れになる可能性があるので、可能な限り、街で売っているもので参加することにしたのである。
一応、可能な限り街の子供たちと同じようにしてほしい、という二人の養父だった男の意向も含まれていたりするのだが、その言いだしっぺの本人が自分の言葉を守っているかと言うとそれは別の話である。
――なぜなら彼は『馬鹿親』なのだ。『親馬鹿』ではない。
コッペリアと久々のお出かけに楽しそうなリオが、コッペリアを挟んだ反対側を歩くラウラに声を掛ける。
「……そういえばさ、わたしたちって弓が引けるの?」
普段から練習はしている。ただし、子供用の張力が低い弓を用いているので狩猟には耐えられないだろう。
余談にはなるが、お米の国のような弓(コンパウンドボウ)を狩猟道具として認めている国では、狩猟用ともなれば最低でも十八キロ、推奨として三五キロの張力が必要とされている。とてもじゃないが小学一年生の子供の細腕で引けるものではない。
ちなみに、弓は威力が弱くて半矢――致死状態に至っていない――が増えると言われている。確かに初速こそ銃には遠く及ばないが、二〇ミリを超える大口径に二〇〇~三〇〇グラムほどの矢を使用するので――マグナム実包には劣るものの――一般的な三〇口径の弾よりも威力があると言われている。少なくとも拳銃クラスよりは強力と言えそうだ。
そして命中の方も、慣れれば五〇メートルほどの距離がワンホール――既に当たっている矢に放たれた矢が当たる――になるので、こちらも拳銃よりも精度が良く、当たりやすいといわれている。
欠点は、矢がライフル弾よりも重く場所を取るので、数が持ち込めないという事なのだが、再利用が可能という点では痛し痒しなのかもしれない。
さて、脇道はここまでにして本題に戻るとして……。
リオの意見は最もな事かもしれないが、それを聞いたラウラは駄目学生の意見を聞く教師のように溜息を吐きながら、
「……ちゃんとお義母さんの訓練時の話を聴いていた? 練習の時は普通の奴を使っているけど、本番は魔力が必要となる魔弓を使うって。今日はそれも買う予定よ」
「……にゃはは」
「笑って誤魔化すな」
ワザとらしい笑みを浮かべるリオにラウラは半眼で睨んだ。
この可愛らしい顔に多くの人間が騙されるのだろうが、今回ばかりは騙されるわけにはいかない。
キリッとした表情を作り、笑みを続けるリオを睨みつけた。
これでは忙しい仕事の合間を縫って自分たちの訓練のコーチをしてくれた義母が浮かばれない。日頃の家族のコミュニケーション不足を補う為にかなり無理をして時間を空けてくれていたのに……。
弓の練習は熱心に行っていたのに、肝心の部分は右から左の耳へと通り抜けていたようだ。これではいずれ怪我を負う事になるだろう。
失敗してから得るものもあるだろうが、今なら怪我を負う前に得ることができるはず……なのだが、えてして人間と言うのはお馬鹿である。自分が痛い目に会う前はこちらの話を聞いてくれる可能性が低い。
楽天家でもあるリオをどうしようか、と考えていたら二人の中間に立っているコッペリアがラウラをむっつり無表情のまま見下ろし、
「ラウラお嬢様」
「なに、リアお義姉ちゃん?」
珍しい――ラウラはそう思った。
コッペリアはこちらから話しかけない限り、自分から話しかけることは少ない。もちろん、何らかの役目を担っている時は別なのだが。
そのコッペリアが自分から話しかけて来たのだ、もしかしたら重要な話かもしれない。そう思ったラウラはコッペリアの口元に注視し、息を呑んで身構えた。
「その『マキュウ』とは何なのでしょうか? 球状の物体が分身したり、消えたり、ありえない角度で曲がったりするのでしょうか?」
「…………」
「それとも、他者に対しての科学的な説明を放棄する為に、相手の心理の隙間を突いたという、ありえそうで、ありえないかもしれないものでしょうか?」
「……なんですか、それは……」
ラウラからすれば初めて聞く話だ。というか、『分身って何?』と首を傾げてしまう。そもそもコッペリアには魔弓という単語の意味が伝わっていないのかも知れない。
気まずい空気が流れる中、コッペリアは眉をひそめ、
「……そのお顔ですと、わたくしの知識が間違っていたようですね」
「いやいや、全然大丈夫(?)だよ。知らないことは駄目じゃないよ! そっちの馬鹿はお義母さんの話をあたしと一緒に聞いていたのに忘れているんだから! そっちの方が重罪だよ! 鉱山行きの重労働罪よりも死刑だよ!!」
「そうそう、わたしはしけぃ……って、ラウラちゃんってば、ひどいッ!?」
違うのですか、と悲しそうな表情を浮かべて肩を落とすコッペリアに驚いたラウラとリオは慌てて漫才を始めた。
こういっては何だが、コッペリアは非常に役に立つ人材(?)だ。友人のリディアよりも、親のセディアよりも相談しやすい相手である。その相手に嫌われてしまえば、今後の人生に大きな落とし穴を形成する事になる。
二人の様子を見たコッペリアはすぐさまいつも通りのむっつり無表情に戻り、
「冗談です」
と、のたまった。
コッペリアの台詞に二人は大仰に肩を落とす。というか、コッペリアも冗談を言うのかと逆に感心してしまった。それによくよく考えてみれば、コッペリアはアヤコの育児の手伝いや、屋敷の仕事の手伝いなどの空いた時間にたくさんの本を読んでいる。それこそ屋敷の図書室にある本全てを読み終えたと言っていた記憶がある。
本当にそうであるならば、魔弓のことくらいなら百も承知のはずだ。
「ラウラちゃん。マキュウって何? やっぱり『竜巻○○』とか、『ロイヤル・フェニックス○号』とか? それとも理論上打てない構造の下に落ちる奴とか?」
リオがいきなり乗ってきた。既に終った話題だと言うのにだ。お調子のりにはお仕置きが必要である。これは帰ってから義母を交えて行おう。
それにしても話題のネタは誰がしゃべったのだろうか? 義父にしては話題に微妙な鋭さが足りていない。闇のお姉ちゃんはこういう展開に持っていかない。消去法でサイドポニーのお姉ちゃんだろう。
あの女はしつこかった気がする。
「ラウラちゃん、ラウラちゃん」
「あによ」
「ごめんネ!」
「……はぁ~~、もういいよ」
二人であたしを虐めればいいんだわ、と不貞腐れるラウラだった。
★ ★ ★
「定時報告」
『こちらポニー。特に異常ありません』
『ガイアです。対象のエンジェル1、エンジェル2、ドール1が目標の店内に入りました』
「中の様子は探れませんか? 会話だけでなく、対象が渡したり、渡されたりしている品物とかがあれば、その正体について詳しい報告がほしいです」
『私は無理です。対象が入った店の河を挟んだ対岸に陣取っていますので』
『こちらも無理です。……というか、ドール1が鋭すぎて、いつもより五割ほど遠い位置から監視していますので。……なんですかね、あの察知能力は?』
「風の噂では人類が造りたもうたドラゴンに対する最終兵器だそうですよ。それよりもポニーは契約精霊を飛ばせたと記憶しております。その能力で中の様子は無理ですか?」
『内部に侵入するのは可能ですが、私の力では同調能力が低く、何を話しているかまでは把握できません。それに視力も低いので二Mも離れてしまえば、ぼやけて誰の顔か判断がつきませんので、この作戦には向いておりません』
「そのような欠点がありましたの……それでは、今回は諦めましょうか……」
『……意見具申。私かポニー自身が店の中に入るのはどうでしょうか?』
『一〇秒ほど時間を頂ければ可能ですが、相手もこちらの顔を知っていますので危険だと思われます。しかし、ご命令があるならば』
「最後ならともかく、最初からそれを選択することは愚策になりますので今は止めておきます。貴女は対象を先行する形で監視する役目ですから、今の動かないように」
『了解』
『了解です。……あ、発見されそうになれば無理はしませんから』
「……あのですね、仮にも貴女は精鋭なのだから対象に発見されるようなドジを踏まないように。次の定時報告は一二〇〇。相違ありませんか?」
『間違いありません』
『同じく相違ありません』
「報告終わり」
★ ★ ★
シトンの酒場を後にしたリオ・ラウラ・コッペリアの三名は街の東側に通じる橋を渡っていた。
「どういう順番でいく?」
店の場所はバラバラに位置し、開店時間も違うので上手に回らないと時間の無駄になる。おそらく、全てまわるとなると一日仕事になるだろう。
リオの問いかけにコッペリアは頭の中にエリザの地図を思い浮かべ、本日、行くべきお店は事前に覚えておいたので、架空の地図と店の位置を照らし合わせていく。
北回りだと正午の前後辺りに中央まで戻ってこれる。南回りだと半分ほど回ったところで正午を迎えるだろう。そうなると、その辺りには飲食店がないのでここらでお弁当を買って持ち運ばなければならない。
買い物が二人分ともなれば荷物が多くなると予測されるので、それは邪魔で面倒だ。
「お二人とも北区のお店から回りましょう。回るべきお店の数も少ないですし、順調にいけば、ちょうどお昼頃に中央に戻ってこれるはずですので」
「それじゃあ、北周りの乗合馬車で港まで行こうか?」
ラウラの提案に二人は頷く。
「急がないと駄目だよね?」
そうと決まれば早く向わなければならない。住民の希望とリディアの政策が一致して街の中を巡行する乗合馬車だが、まだまだ運行本数が少なかった。
現在のところ、一時間に一本のペースで北周りと南回りの二便があるだけだ。また馬車の方も大型クラスとは言え定員は十二名と人数が限られてくる。
動力が馬なのでギュウギュウ詰めで乗り込むことは不可能。定員オーバーの際は黙って諦めなければならない。
「もう少し大きな馬車か、本数が増えたら良いのにね~」
「しょうがないよ。一本の馬車を走らせるのに馬は二頭必要になるし、怪我とか疲れとかで交替を考えると更に二頭ほど要るって言ってたもん。馬は高いんだよ? それに辻馬車(タクシー)や余所との兼ね合いもあるから無茶な拡大は駄目だって」
エリザでは人数が少なかった時代に都市間を結ぶ乗合馬車の整備を優先していたほか、エリザ湖の沿岸にある街を行き来する湖運業の方も手がけなければならなかったので、エリザの街中まで手が出せていなかった。
その結果、街の中を荷物を持って移動する際は辻馬車を利用することが多くなり、その上、東側の土地には水路が張り巡らされており、その水路を行き来する小船もあるのでライバルが多かった。
「この前、お母さんが唸ってたよね~、『予算が、予算が!』って」
「街の人も無茶言い過ぎなんだよ。あれも欲しい、これも欲しいって。予算が限られているんだから取り捨て方式で優先順位を組まないとお金だけ無くなっていくよ」
「だよね~。晩御飯のオカズを量で補うか、質で補うかと同じだ。でもさ、良いお肉でもちょびっとだと満足しないし、まずいお肉が大量にあっても困るよねぇ~」
「そこは料理人の腕の見せどころでしょう」
ね~、と頷きあう二人をコッペリアは悩ましげに眉をひそめながら眺めていた。
「(……子供がする話題なのでしょうか?)」
本数を増やして欲しいという住民からの要望は多いが、その分、維持費も馬鹿にならない。一本の乗合馬車を運行するには最低でも馬が二頭、御者が一名、助手が一名、整備士が一名、壊れた際の替え馬車が一台……と、金と物が必要になっていた。
エリザベス領には他にも街や村が存在する。一つの街に予算を集中させる事は、たとえそれが領主の街だろうとしても無理な話だった。
「お二人とも急ぎませんと馬車が出てしまいますよ……って、あ……」
足元がゆっくりとなりがちな子供を急かすコッペリアだったが、無情にも彼女たちが乗るべき馬車は目の前で発車して行った。
「……しょうがないよ。うん」
「……しゅうがないね。歩いて回ろう」
お喋りに夢中で歩くことを疎かにした罰だ。
三人は無言で歩き始めるのだった。
彼女たちが目指した店は『手作り工房クラウン』の看板が飾られた工房だった。
ここは主に銅板を鍛造加工し、鍋などを製造する工房である。
ドアに掛けられたプレートが『開店中』であることを確認し、中へ入っていく。
「あらあら、可愛いお客様ね」
出迎えたのは優しげな表情を浮かべた妙齢の女性。この店の工房主の奥様だ。
「それで今日のご用件は? あ、亭主に用があるなら呼びますけど?」
相手の台詞にリオとラウラは顔を合わせて、それからコッペリアの顔を見上げる。ここに来た理由は自分たちではなくコッペリアにあるのだ。
コッペリアは赤いトートバッグの中から勘合符の束を取り出して、その束の中から青い札を女性に差し出した。
「『キドニー』の名前で予約していた者です。過日、注文しておりました品物を受け取りに参りました」
最初は首を傾げていた女性も注文を思い出したのか、両手をポンと合わせて、
「ああ! あの注文ですね。はいはい……」
そう言い残して女性は店の奥へと姿を消していった。
リオはコッペリアのスカートの裾を、くいくい、と引っ張りつつ、
「ねぇ、リアちゃん。何を注文していたの?」
「旦那様がご注文なさったものです」
今度はラウラが問いかける。
「お義父さんが? 何で偽名を?」
「『なんか怒られそう』という理由だからそうです」
その言葉を聞いてリオとラウラは納得がいった。
あの養父ならそんな台詞を言いそうだったからだ。自重すれば良いのに、慎重さを大切にしているわりには危険な道をノンストップで進んで行くので周囲から妙な反感(?)を買ったりするのだ。
しかし、ここは普通の工房。
工房主は街の名工の一人として称えられてはいるが、あくまで一般の範囲におさまっている。常識外のことは一切起こらないだろう。
(……大丈夫。たぶん怒られないはず!)
(……怒られるとすれば、箱を開けたリオだけのはず!)
ある意味、楽観した状態で待つ二人の子供の前に、工房の奥から三つの――一つは大きさが違う――箱を抱えて女性が戻ってきた。
「えっと、一応は注文通りに出来たのだけれども、こちらは最初の設計図は断念して、次善策の設計図を元に作ったらしいの」
横長の形をした二つの箱を指差しつつ、女性は謝った。
「構いません。そうなる事を予想して旦那様は二つの設計図をご用意したのですから。……ああ、何もご主人の腕が悪いとは申しておりません。あの形を整形することは難しいと想定していましたので」
「そうねぇ~、綺麗に作るのは難しいと頭を抱えていたわ。まぁ、新しいことに挑戦するのは男の子の特権だものね。はい、これ」
「ありがとうございます。それで代金はいかほどに?」
「前金で十分だよ。……いや、でも、少しだけ、ほんのちょっぴり赤字かも……。はは、そこは次もお願いすることでこちらも勉強するということにします」
少し涙を浮かべた様子の女性を無視するかの如く、「そうですか」と納得するように頷いて、カウンターの上に置かれた三つの箱をトートバッグの中に詰め込んでいく。
「あ、あたしが自分で持つよ!」
「いえ、これらはまだ完成という訳ではございませんので……」
そう言い返して、コッペリアはラウラの申し出をやんわりと断わった。
未完成? ふ、不吉すぎる――と、ラウラは慄くのだった。
「それじゃあ、またのご来店をお待ちしております」
見送りに出てきた女性は、人好きのする優しげな笑みでヒラヒラと手を振っていた。
「ばいばい」
「ありがとうございました」
「では、これにて失礼します。お嬢様がた、次のお店に向いましょう」
三人は次の店に向かう為に歩き始めた。
――が、次の目的地はリオたちの足で二〇歩も進まないうちに到着した。というか、さっきの工房の隣の店舗だった。
コッペリアは店の入り口の前で立ち止まり、その場でクルリと回転するとリオとラウラに頭を下げた。
「……ここはわたくし一人で入りますので、大変、申し訳ございませんが、この場でしばらくお待ちください」
「あ、うん。いいよ」
リオの返事を聞いて、コッペリアは店の中へと入っていく。
この場に取り残されたリオとラウラはどちらからということもなく、お互いの顔を見合わせるとそろって首をかしげた。
「なんだろうね?」
「分かんない。でも、ここって板金を曲げ加工する工房だったと思うけど……」
正直に申せば、予想が全然できない。
「やっぱり、一番の箱が原因かな?」
セディアには反対されてしまったが、二人はこっそりと箱を回収し開けたのである。
中身は薄いノートが一冊に便箋が一枚。
そして便箋には『箱の番号と共にコッペリアに聞きなさい』と書かれていた。
そもそも養父が残した箱の中で今回、開けてしまった一番と隠している場所さえ教えてもらっていない七番に関して言えば、中身の説明を受けていなかった。
二番はお金に困った場合、三番は家出する場合、四番は養父が未帰還で嫁入りする場合、五番は身の危険を感じた場合、六番は学校だけの授業じゃ物足りなくなった場合――と、それぞれ箱の隠した場所と中身について説明を受けていた。
七番に関しては、仮に――ありえないと思われるが――箱を発見したとしても安易に開けてはいけないと厳命されている。
もし開けた場合は、
『う~ん……たぶん、国……いや、大陸中の有力者から追われることになるんじゃないかな? はは、まるで国際指名手配犯の重罪人だね』
――と、楽しげに不吉な言葉を残したのである。
彼の目が笑っていなかったので本当に追われる可能性が高い。
それでも、どうしても、リディアなど他の誰も頼れなくなって、もう自分たちの力ではどうしようも出来ない場合のみ開けなさいと諭された。
そして箱の在りかについてはイヌかコッペリアに訊きなさいと言い残していた。それとなく両者に尋ねたことがあるのだが、どちらも中身は知らないという。
「……今さらながらに思うんだけどさ」
「なに、ラウラちゃん?」
「あたしたちのお義父さんって実は凄いんだよね。王様とか王族と仲良いし、トールちゃんなんかのドラゴンとも仲良いし、こうして何かあった際に備えてあたしたちに色んな物を残してくれたりと……」
「……お金も凄い残してくれてるもんね~」
リオの台詞にラウラも同意するように頷いた。
最初、養父が残してくれた額は新天地で親子三人で生活する分には困らない程度だったが、現在は家の借金の返済に充てていた様々な特許使用料等の収入が全額、彼女たちの懐に入ってきている。
その金額は本人が在籍していた頃よりも更に増えており、今ではちょっとした財産……というレベルではなく、一般家庭(農家)の生涯年収を遙かに越えた額があった。
リバーシや積み木などの売上げは微々たるものだが、返済の主力だったジャムが現在では国内外を含め全部で五〇の工場が稼動・生産されており、その数は今後も増え続けるだろうと予想されている。
他国に輸出もしており、その売上げたるや凄まじいもので本人が背負っていた最初に背負った借金とほぼ同じ金額が、毎月、リディアを経由して支払われている。それだけ多くの収入がある理由として、多くの国の主食がパンということが挙げられるだろう。
税金として半分は国庫に納められているのだが、これには一つの裏話があった。
本来の受取人である紅が不在の為、代行として養子であるリオとラウラの両名が指定されており、二人は――世間に公表こそされていないが――高額納税者として一部の人間から認識されていていた。
「……不謹慎だけど、誘拐されても身代金が払えちゃうね」
「まず狙われないけどね。……あ、出てきたよ!」
店の中から出てきたコッペリアは入っていった時と姿が変わらない様子だった。少なくとも肩にかけたトートバッグの体積に増えた様子が見られない。
「お待たせして申し訳ありません」
ぜんぜん待ってないよ、とリオとラウラは首を振る。実際、五分も待っていない。
「何を買ったの? 見せて、見せて~」
「それは帰ってからのお楽しみということで」
その言葉にリオは悲しげな表情を浮かべたが直ぐに元の笑みに戻した。
楽しみは最後に取っておくもの――そういう心境からだった。
「それじゃあ、次行こうか」
「そうですね……と、行きたい所なのですが、既に次の目的地の前に到着しております。もうしばらくお待ちくださいませ」
そう言って、コッペリアは道路を挟んだ向かい側にある工房へと足を運んでいった。今度の店舗も板金加工を行うことを示す看板が飾ってあった。
「あっちも板金工房?」
「確か……すっごい軽くて硬くて折れにくい金属を切ったりする工房だったと思う」
『ティターンズ工房』と看板が掲げられており、過去に黒月大陸から移住してきた巨人族が営んでいる板金加工の工房だ。
この工房が扱っている金属は、扱い難さからそれまで職人や研究者から見向きもされなかったらしいが、こちらはその金属を自在に加工する技術を持っていた。
「……でもさ、儲かっているようには見えないね」
リオは工房を見て失礼な台詞を漏らした。
商品の見本となる金属がショーウィンドウの向こう側に飾られているのだが、うっすらと埃は溜まっているし、その前を通る商人たちから見向きもされていない。
儲かっている会社というのは必然的に掃除も行き届いている。掃除を怠るような会社は長く続くイメージが思い描けない。
建物そのものはわりと新しい。それまでは南区で営業していたそうだが、街の再開発計画により北区に移転してきたからだろう。
歴史そのものは長い工房なのだが、業績は低空飛行を続けており、ただでさえ名前が知られていなかったのに、こちらに引っ越してきてより業績が悪化していたのである。
そんな零細工房にコッペリアは何の用があるのだろうか?
ショーウィンドウに飾られた銀色の金属を眺めていると、こちらも埃のかぶっていたたくさんの額縁、その中の一つに視線が吸い寄せられていった。
「あれ? でもさ、ここってパパ(のお金)が投資している工房だよ……」
「あ、本当だ……」
リオが指差した先を追い、ラウラもそれを確認した。
並べられた額縁には工房の後援者と思われる名前と金額が記載されている。その一つに養父の偽名も一緒に並んでいた。
先ほども出てきた養父の収入の一部を街の発展に繋げようと投資している。一応、リディアがそれとなく選出し、セディアがその中から選んだ商会や工房などに投資しているのだが、彼が帰還する前に選んでおいた工房を優先することを条件にしていた。
母が投資している会社は母の名前が記載されているので、ここは養父が選んで投資している工房ということになる。
記載された投資金額は一〇〇万R。金貨一〇〇枚に相当している。赤字の零細工房には破格の金額と言えるだろう。
しかし、あの養父がこんな工房を無条件で投資するだろうか? お金を使う時はダイナミックに使っていたが、締めるところは締めていた。少なくとも先行きの見えない会社に投資するような慈善家ではなかったはずだ。
「……わかんないや」
「実はもの凄~い技術を持った工房なのかな? でも、ここの金属は魔力と相性が悪いって、お姉ちゃんが言っていたような……」
リオは首をかしげ、ラウラは腕を組む。
全ての金属を把握しているわけではないが、金属萌えというメイドに連れられて教えてもらったことがある。曰く、「ここは駄目な金属だ」と。
しばらくするとコッペリアが外に出てきた。他者に見分けがつかないだろうが、ちょっと満足げにホクホクした表情をしている。
「お待たせしました~」
声の調子も軽そうだ。よほど良いものが買えたのか、逆に安くなったのか。
何を買ったのか訊いてみたい衝動に駆られたが、おそらく、先ほどと同じようにコッペリアは教えてくれないだろう。
「リアお姉ちゃん、次はどこに行くの?」
「あと一軒ほど、銀細工店にて旦那様の注文の品を受け取る予定ですので、それらの次がお嬢様たちの第一目的地のナイフ店になります。そこでハンティングに必要なナイフを購入する予定です」
おお、と感嘆の声を漏らす二人。
コッペリアの買い物がもう一軒続くとは言え、待ち時間が短い為にさほど苦にはならない。その次にようやく自分たちの買い物が出きる。
買うものが刃物である。
ワクワク&ドキドキだ。
リオとラウラは次の店に軽くなった足取りで向っていった。
ナイフに限らず刃物の製造方法は概ね三通りと言われている。
金槌等で鋼材を叩いて整形する鍛造。
板状の鋼材を切り出しや削り出しで整形する切削加工(ストック&リムーバル法)。
型の中に溶かした鋼材をはめ込んで整形する鋳造。
どの製法にもメリット・デメリットが存在しているので、どれが一番素晴らしいという話でもない。要はそれぞれに合った製法を選択すればよい。
ただし、この世界では刃物に魔力との相性の良さが求めらているので、一部の鋼材を除けば鍛造以外の製法だと魔力との相性が悪くなり、また、そうした理由から良質な鋼材が回ってこない。
鋳造式や切削加工で作られたナイフは、質が同じだとしても鍛造で作られたナイフよりもワンランクからツーランクは値段や価値が下がってしまうのだった。
そうは言っても、切削加工の製法そのものは大規模な工場を必要とせず、また、魔法を併せて行使すれば作業そのものは難しくないので、日常生活で使われるような包丁や一部の愛好家や趣味人が自作などをして楽しんだりしていた。
三人が訪れた店は自前の工房を持たず、そうした趣味人が作ったナイフを販売している営業専門のお店であった。
店内に入るとお客の数は少なかった。開店して間もない時間だからだろう。
「ひょえ~、一杯あるね~……」
リオとラウラは店内の様子に目を丸くする。
一〇帖ほどの店内の壁際に並べられた棚の中にはハンドル構造からブレードの形状や刃の長さや角度が異なった様々なナイフが並べられていた。
作成者やら鋼材やらと絞り込むにはたくさんの情報がありすぎる。
素人がこの中から目的にあったナイフを見つけるのは骨が折れそうだ。
コッペリアも魔道具ならともかく、普通のナイフに対する造詣が深いわけではない。そんな彼女の目からすれば棚の品は三流の刃物が並んでいるようにしか見えない。それは決して悪い意味ではなく、単に彼女の対象生物がドラゴンに限られているからだった。
店員に意見を聞こうと思ったが、他の客の対応をしているのでこちらの相手をしている時間はなさそうだ。
「……お姉ちゃんの誰かについて来てもらえば良かったかな?」
ナイフ好きのメイドが何名か存在し、給料をつぎ込み一〇〇本近くコレクションしている者も居れば、わざわざ鋼材から自作する趣味人もいる。
そうした人間がいれば参考意見を求めることが出きたのだが……。
「マニアは暴走しがちですので違う意味で大変かと」
「一度、喋りだすとノンストップだからね」
ラウラは一度、そうした趣味人の集まりに参加し地獄を見た経験がある。
ナイフなどの現物を討論する会はまだ良い。物には一長一短があり、そして必要とされる現場が違うので、最終的には互いの意見を尊重しあうのだ。
これが絵画などの芸術的な感性が試される分野は違う。あそこは己が信条こそが最上であると言わんばかりの戦場なのだ。
最初は穏かな雰囲気で始まるのだが、議論が徐々にヒートアップして行き、最後は取っ組み合いの喧嘩が必ず発生するのだ。ひとしきり暴れた後、最後はにこやかな笑みを浮かべた――所々に引っかき傷がある――顔で次回の開催を約束する。
一度参加すると、その次も熱心に誘われるから堪ったものではない。
参加したくない気持ちを要約すれば、彼ら・彼女たちは暴れたいのか、討論したいのかよく分からない場に変貌するからだろう。そして、傍観者でいる自分がひどくつまらない存在に思えてくるのだ。
自分が参加型の祭りに参加していない見学者とでも言うべきなのだろうか。
ラウラはブンブンと頭を振って雑念を吹き飛ばした。今はお買い物の最中。こちらに集中するべきだ。
「とりあえず、一度、自分の好みにあった物を買って帰って、それから意見を聞いたら良いじゃないかな? 失敗は次の成功への糧だよ」
「かな? うん、一本ぐらいならお小遣いの範囲で買えるし、次はヘソクリを使おう」
お金持ちらしい意見が飛び出し、その案が採用されることになった。
『野外用』と書かれた棚の前でナイフを見定め始めた。
「こう……握りやすいのが良いのかな?」
「これ重たいよー。こっちは軽そうだけど、刃が薄いし……」
軽い方が良いのか、それとも刃が長い方が良いのか。選択肢が多すぎるから、逆に選択することが出きないでいる。
「なんだあれ……」
「マジかよ……」
ああでもない、こうでもない、と三人でナイフを選んでいると、突如、背後でざわめきの声が上がった。
何事か!? と振り返ってみると、どうやら入り口の扉の前に立っている新しく入ってきた客の二人が騒ぎの原因のようだった。
「おいおい、あれって妖精族じゃ……」
「しかも翅付きだ。オレ、生まれて初めて見たぜ……」
窓から差し込んだ光に反射する蜂蜜色の髪、同じ色の瞳、子供のような小さな体躯までは普人族となんら変わりないが、背中から特徴的な翅脈を持つ二対四枚の大きな翅が飛び出していた。
ただし、
「模様が『蛾』ですね」
翅脈の模様が禍々しく、美しさとはかけ離れた存在である。
愛らしい少女のような顔立ちをしているが、カンフー道着を身に纏った堂々とした立ち姿は人を寄せつけにくい神秘性(?)と大人の威厳を漂わせていた。
そしてもう一人(?)はというと、
「カエルだよな……?」
「ああ、蛙だ。しかも二足歩行する蛙だ……」
窓から差し込んだ光を浴びてテカテカと光り輝く黄金色の肌、大きくてつぶらな赤い瞳、大根が摩り下ろせそうなつぶつぶ、叩けば響きそうなでっぷり太鼓腹、スプリンターを想像させるような長く筋肉が引き締まった足……と、明らかに両生類のカエルと思われる生物が二足で直立していた。
ただ……黒いブーメランパンツを穿き、股間部分がモッコリしている。
愛らしさと不気味を兼ね備えた妖精とただ不気味なだけのカエルの組み合わせ。その上、カエルの威風堂々としたモッコリ具合に周囲の人間はドン引きしていた。
目立つ二人はリオたちとは反対側にある棚へと歩み寄っていった。その際、棚の前にいた先客は怯えながら立ち退いたが、二人は気にしなかったようだ。
不気味な二人組に周囲の視線が集まる。どれも危ないものを見る瞳をしている。
居心地が悪い空気が漂う中、そんな空気を読まない子供たちがいた。
「……か、カエルさんだ! ホッペか顎がぷくっと膨らむのかな?」
と、リオは「ふぉぉ」と頬を赤らめながら二足歩行するリアルカエルに感動し、
「カエルの足って美味しいんだよね~。故郷じゃご馳走だったもん」
ラウラは食べ応えがありそうな太もも部分を見て、じゅるり、と唾を飲みこんだ。
ラウラの反応にリオは二重の意味で驚く。
「え? カエルって食べれるの? っていうか、ラウラちゃん食べたの!?」
「この辺りでは食されませんが、この国でも北部や更に東部の人は食べるそうですよ」
「うん、あたしの故郷も食べるよ。全部じゃなくて後ろ足だけだけど……。レストランではモモを軽く油で揚げてから、バターで焼いたりしたり、臭いが気になるならニンニクを入れたりしていたよ。それに子供カエルだったらあたしでも捕まえられるから、よく壁を乗り越えて捕まえに行ってはレストランや市場の人に売っていたもん」
ラウラの暮らしていた貧民街の側に食用カエルの一大生息地があり、そこで捕まえたカエルを売ることが唯一の収入源だった。
子供カエルと言っても大きさはゴライアスガエルほどもあり、大人になると全長四メートルほどにもなり、食欲旺盛なので人間の子供を襲ったりもする。また、カエルを捕食する大型猛禽類や野生ドラゴンと遭遇することが多く、ラウラは暢気に語っているが命がけの捕獲作業となっていたりした。
そうしたリスクのわりには報酬が少なく、片足につき一Rという安さなので数で勝負するしかなかった。今ならぼったくりの値段と分かるが、当時は唯一の収入源と貴重な蛋白源だった。採れる部位のうち、モモは現金に替えるために売るのだが、硬いすね肉は獲った者の所有物となる。
そうしたすじ肉で作れる料理が貧民街で食べられる唯一のご馳走だったのだ。
「味は……味はどうなの?」
リオは肉切り包丁のようなナイフを手に持ちラウラに話しかける。今からでもリアルカエルに飛び掛らんとする勢いだ。
ラウラは刃渡りの短いナイフで架空の肉を骨から削ぐようにしながら、
「うん? そうだね~……あたしはすねの部分しか食べたことがないけど、スープにすると美味しかったかも。反対に焼くと硬くてゴリゴリしていたから食べられたものじゃないね。他の誰かが『歯が欠けたー』とか言ってた記憶があるし。それとさ、すねってね、細い骨があるから上手く避けて、削ぐようにとらないと駄目なんだよ」
「ほぇ~……」
リオは素直に感心した。
年齢が一つだけしか違わないが、やはりラウラは自分よりもたくさんの経験がある。即ち、経験値が高い女だと言うわけだ。
たしか経験値の高い女性を褒める言葉があった。あれは……、
「流石はラウラちゃん! ビッチだね!」
「ブフォッ!?」
「リオお嬢様、それでは相手を侮辱・罵倒する発音です。正確には『ヴィッチ』です。舌の先端を前歯の裏側に押し当てつつ……」
リオは無邪気に褒め、ラウラは義妹の酷い台詞に噴き出し、コッペリアは舌を器用に丸めながら正確に発音してみせた。
屋敷で毎日行われているほのぼのとした光景がここにはあった。
「くっくっく……あーはっはっはー!!」
そんなほのぼのとした家族の光景を壊す、堪えきれず思わず笑ってしまったような、そんな笑い声が彼女たちの側から響いてきた。
音のするほうに目をやると、視線の先、わずか一メートルほどの距離に先ほどの二名が立っていた。笑ったのは妖精のほうだ。
改めて間近で見ると妖精の方はリオよりも小さく、カエルのほうはラウラよりも少し大きかった。
妖精はお腹を押さえつつ、
「めんごめんご。いや、ほんと、笑ってごめんね~」
見た目の雰囲気とは違い、気安い少年のような口調だ。
妖精はコロコロと笑いながら、
「いや~、可愛らしい女の子が突然『ビッチ』とか尖った台詞を言うからさ~、ほんと、何ごとかと思っちゃったよ」
「大きな声で申し訳ありません」
「いやいや、子供は元気が一番! な、カエル君」
「……《こくり》……」
妖精の横に立つカエルは頷いただけで言葉は発しなかった。
リオはジッとそんなカエルを見つめる。そして意を決するように口を開き、
「カエルさん! 名前はなんて言うんですか?」
「……ネドベド……」
「大砲ですか?」
「……カエル……。……オス……」
コッペリアの謎のツッコミにカエルは冷静に返答する。その後もリオがカエルこと、ネドベドに話しかけるのだが、彼は貝の様に口を閉ざしていた。
妖精は謝罪するように、
「すまんな、カエル君はシャイで、口下手で、人見知りなんだ。だけどな、色んな意味で実力は確かなものを持っているぞ!」
人見知りのわりにはパンツ一丁という格好である。
様々な種族が暮らしているエレンシア王国なのだが、その中には服そのものを着用しない種族も存在している。ネドベドもそうした種族の仲間なのだろう。
「ところで、キミらは何が理由で悩んでいるんだい? もし、ナイフのことでお悩み中なら、ナイフに一家言を持つわたしが相談に乗るぞ?」
妖精の申し出にリオとラウラはコッペリアを見上げる。
確かにありがたい申し出ではあるのだが、簡単に初対面の人間に相談しても良いのか判断がつかなかった。リオとラウラのバックにはリディアがついている。
目の前の人物がそうであるとは限らないが、二人をだしにしてリディアに近づこうとする者は世の中にごまんと居るのだ。
コッペリアはジッと妖精の顔を見つめる。
おそらく、善意からの申し出なのだろう。妖精の瞳には欲のような濁った色は見受けられない。妖精という種族的なイタズラ――へっぽこナイフを教えられる――の可能性もありえるが、そうであれば買いなおせば良いだけの話である。
自分たちでは永久に決まらなかったのだ。ここは申し出を受け入れよう。
「そうですね。是非ともお願いします」
「うんうん。で、どんな目的のナイフなのかな?」
「あ、それは……」
こうしてリオとラウラのナイフ選びが加速するのだった。
★ ★ ★
「定時報告」
『こちらポニー。特に異常ありません』
『ガイアです。こちらも特に異常ありません』
「依然として変化はなしですか?」
『無しです。ナイフ工房で一時的に身元不明の人物と会話をしていた様子ですが、どうやらナイフのアドバイスを受けていただけのようです』
『無いです。エンジェルたち監視対象は現在、北港の貸し倉庫の中に居ます』
「……どういうことですか? 本当にただのお買い物なのですか?」
『普通にお買い物をしているだけのように見えます。まぁ、ドール1だけが中に入っている店舗もあるようですが……』
『ドール1が単独で入った店の店員に話を聞いてみましたが、どの店も注文を受けていた品を受け取りに来ただけだと証言しております。ただ……』
「ただ?」
『どの店も偽名で予約されていたようです。訪れた順に、「キドニー」、「ネイチャー」、「ポット&ハインリッヒス」、「フラスコ」になります。それと酒場で「タイトー」という酒を一瓶(二リットル)購入していったそうです』
「偽名とはまた念の入ったやり方ですわね……しかし、あの方との関連性について見当もつきません。何らかを示した暗号だとは思うのですが」
おそらく、注文した本人にしか分からないはずだ。
『最初の店を除けば、注文の品は職人ごとに部品の作成を依頼していたらしく、完成の予想図は誰も分からないそうです』
『……ワンワン、私たちはなんでこんな事をしてるんですかね?』
「貴女たちもエンジェル1とエンジェル2が新しい遺産を掘り起こしたことを知っていますでしょう? 災難が発生する前に事態を掌握しておく必要があるのです」
『でも、見たところエンジェルたちの野外学習に必要な道具のお買い物ですよね? それほど危険なこととは思えませんが? まぁ、こ……いや、ドール1がお供をしている点は不可解ですが……』
「わたくしがこの目で確かめた訳ではありませんが、お二人が開けたという箱の中には薄い一冊のノートが入っていたそうです。中身はエリザを含めた周辺の街に点在する商店や工房の名前だけだったそうです。それらの店については既に確認済みです」
二人が取り出したノートはリオの机の上に無造作に放置されており、また、既に発見された三冊のノートほど厳重な保管跡があるわけでもなく、おっかなびっくりの様相で中身を確認した隊員は何もなさに拍子抜けしたそうだ。
そして、名前が記載されていたそれらの店には確認するための人間を派遣したが、それらしい発見や痕跡は見つからなかった。反対に何もないという点が不気味とは言えるかもしれない。
だからこそメイドたちの主は、リオとラウラをいつも以上に厳しく監視するよう侍従隊に命令をだしていたのである。
「それにしても偽名を使いましたか……。ある意味、予想しておくべき事柄ですのに頭の中からすり抜けておりました。おそらく、残りの店も偽名で登録してあるのでしょう。もしかしたら、街中の店や倉庫を一から洗いざらいしなければ……」
『……この辺りに闇市場と繋がりのある店は少なかったと思いますが? 全部、監視しているし……。あれは、ここ一年ぐらいで出来た店ばかりだし……』
ご禁制の品物だろうが、なんだろうが、一定の需要がある以上、供給される流通経路は存在する。お上であるリディアも必要悪と黙認している上で、どの店がそうなのか全て把握している。
しかし、彼女たちの養父がこの街に在住していた頃には、そういった店は影も形もなく、また、余所から品物が流入さえしていなかったはずなのだが……。
「わたくしも彼の人が我々に知られずにそれらと接近していたとは思いません。流石に疑心暗鬼に囚われすぎのような気もします。しかし、今回はそうした楽観論は必要ありません。万が一……いえ、最悪を想定して動くべきです。ガイアも一ヶ月前の事を思い出しなさい。忘れたのであれば、クリスティーネ様のお姿を思い出しなさい」
『……あー、あれねー……。あれは嫌だよねー』
第二小隊の隊長であるクリスティーネは、前回の騒動で勝ち組のような負け組みのような微妙な立場に立たされていた。
確かに最上級の杖を手にしたのであろうが、その杖を握ると某魔法少女のコスプレ姿――しかも、毎回服装が違う――に強制的に変身させられ、魔法を使用するためにはカードが必要になり、そのカードの魔法は使い勝手が悪いという悪循環に陥っている。
その上、これまで持っていた支給された杖を失くしたという失態を国から……某お局様から攻められ、処分は国王の沙汰を待っている状態だった。
おそらく、重い処分は下されないはずだが、いつ来るか分からない恐怖に精神がガリガリと削られているに違いない。
今回の任務において、仮に何かを見逃したならば、短期間で二度目の失敗ということになり、自分たちにも同様の処分が下されるかもしれない。いや、下手をすれば、自分たちは外様な分だけに余計に重たい処分になるかもしれない。
そうなれば祖国にまで面倒を掛けることに。
ワンワンこと、監視責任者で第六小隊の小隊長のトモエは、通信機となっている魔道具を力強く握り締め、
「決して気を抜かないように。それこそ彼女たちの一挙手一投足を見逃すな」
『了解。今度は少しばかり近づくことにします』
『…………』
「どうしました、ポニー?」
先ほどからガイアばかりの声で、ポニーの声が魔導具から流れてこない。
『あ、いえ……先ほどから誰かに見られているような気がして……』
『ポニーは綺麗な顔立ちをしているから、男から見られているんじゃないの?』
『まったく、そんな訳ないでしょ! 私の勘違いに違いないわ……あ、エンジェル1が倉庫から出てきました。次いでエンジェル2、ドール1も出てきました』
「……ポニーは対象の監視に移行してください。ガイアは貸し倉庫の店員に話を聞いてください。何か発見があれば報告を。次の定時は一四〇〇です」
『了解しました』
『了~解』
「報告終わり」
さて、これから彼女たちはどう動くだろうか? どこで尻尾を出す?
…………。
いや待て。
ポニーが視線を感じていたと報告した。
ただの勘違いだけなら構わないのだが、彼女は現在、監視対象は言うに及ばず、街の人間から察知されないよう隠行の魔法を行使しているはずだ。そうすれば仮に目の前に立っていても普通の人間なら気にならない存在になっているはず。
彼女が全力を出せば、自分でも気づかない可能性の方が高い。
ましてや、高度な魔法を見破れる人間は限られているので、彼女を見つけられるということは実力が拮抗しているか、それ以上という話になる。
相手の正体が分からない以上、無理は禁物、一時撤退すべきである。
トモエは魔道具に魔力を注ぎこみ、
「緊急。ポニーは急いで現場を離れなさい。ガイアはそれの援護。離脱後は交代要員と入れ替わりなさい」
『ガイア、了解』
ガイアから返答はあったが、肝心のポニーから返事がない。
離脱を優先しているのか、既に捕まっているのか。どちらにせよ返事が出来ない状態でいることは確かである。
「ああ、もう……ッ!」
トモエは魔道具を机に叩きつけると、緊急時のマニュアルに従って行動し始めた。
「やれやれ……」
この大陸ではありえない髪色をした彼女は、パンパンと土ぼこりを落とし、さきほどの軽い運動の際にずれた帽子を目深に被りなおした。
「上が甘っちょろいと、下も甘々になるのかな? ……ああ、キミも精進しないと駄目だよ。それじゃあ、迎えが来るまでそのままでね」
猿轡をされ、縄で縛ったポニーを無人の倉庫内に転がした彼女はちらりと丘の上にある領主の館をみやり、
「……ああ、あの子は息災かな?」
――と、口元をニヤリと歪ませ、倉庫から立ち去っていったのだった。
後編②に続く……
紅が作らせているものはなんなんですかね?
最初の一つを除けば、たぶん正解できる人は少ないでしょう。
後編にも謎掛けが出てくるかも知れないからこうご期待。
ちなみにリオとラウラの年収は日本円に直すと2~30億円ぐらいになると思われます。
あくまで日本のお仕事ごとの年収とエレンシアの年収(金貨の枚数)とで類推した金額ですから、必ずしもこうであるとは限りません。
あくまで参考額です。




