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 看病と言ってもただ長い時間、誠のそばにいるだけのことです。静かな病室には心電図の規則正しい音が響き渡り、それが私をますます不安にするのでした。

 「 大丈夫。ずっとママはそばにいるからね。ちゃんと応援してるからね。だから、誠もがんばるのよ」

 目を閉ざした誠にそっと言葉をかけます。安らかに眠っている姿を見ていると、ふいに涙が一筋、私の頬を伝って落ちました。それにつられるように次から次へと涙がこぼれてきます。

 知っていた。私は事故が起こることを知っていたのに、何もできずにただ見ていた、そう傍観していたのです。何てことでしょう。自分の息子がこんな目に会うとわかっていて、それでも阻止できなかった自分の無力さに、今ごろになって泣けてきました。

 しばらくうつむいたまま、私はベッドに腰をおろしていました。

 カバンの中で携帯が振動しました。病院内なのに電源を切っていないことにやっと気付き、あわてて切ろうとしましたが、表示されていた名前を見てすぐに電話に出ました。

 「ああ、俺だけど……」

 待っていた相手。今、最も頼りになって、私がしっかり支えなければならない人。

 「あ、今病院にいるの。ねえ、今夜いっしょ――」

 「今日さ、ちょっと上司に誘われちゃって、さ。帰り遅くなるから」

 私の言葉を遮り、ささっと要件を述べて、誠二さんはきってしまいました。

 多分、しばらく呆けた顔で固まっていたのだと思います。自分がどんな顔をしていたかなんて考えもしませんでした。最近こんなやり取りが増えたことが思い出されました。誠が生まれてから少し冷たくなったのを感じていましたが、特に最近冷たくなってしまいました。

 誠二さんは誠をものすごくかわいがっていて、ものすごく甘やかしていました。あれを親ばかと言うのでしょうか。それでも、誠に嫉妬する時もありました。考えれば考えるほど私はつくづく馬鹿な女だと思いました。

 病室を出るときに一目誠を見て、それからコンビニの弁当を買って家で食べることにしました。その弁当はごくありふれた、でもしっかり身も詰まっている弁当でした。

 私はがっつきました。何かが不満でした。しかし、何が欠けているかわからぬまま弁当は空になり、私はいつの間にか洋服のままベッドにもぐりこみました。



 目の前に菜の花畑が広がっていました。まわりを見わたしても菜の花だけ。他にあるものといえば、茜色の空と月ぐらい。

 はじめはとてもはしゃいでいました。というのも、一度こういうどこまでも広がる楽園のような花で埋め尽くされた場所に行ってみたいという幼い頃の夢があったからなのです。

 しかし、それはよく考えてみれば、その時見て楽しむものなのでした。いつまでもいたいと思っても、長い時間見ていると、その悪さというものがわかってしまい、途端に面白みがなくなってしまう。

 私の場合もそうでした。時間が経つにつれ、不安になってきました。いつこの花畑を抜け出せるのだろうか、私はなんでここに来たのだろうか、どうしてこんな所にいるのか。

 さらに時間が経つと、不安は恐怖に変わりました。菜の花がざわめきはじめ、茜色の空が闇に私を引きずり込もうとしてきます。

 ふと後ろを振り向きました。いつの間にか、さっき私のいた場所が闇に覆われていて、どんどん菜の花畑を侵食してきました。

 たまらなくて私は走り出しました。ときどき振り返ってみるたびに、その闇はだんだん私との距離を縮めています。

 ついに、その闇は私の体の半分を飲み込みました。それでも懸命に逃れようと思いました。 でも、結局は息が切れてその場に倒れてしまい、全てをあきらめました。

 もう、どうなってもいい。

 一瞬そう心で思ったかと思うと、たちまち視界を闇が覆い尽くしました。



 まぶしい日の光がまぶたを通して目の中に入ってきました。寝返りをうっても変わりませんでした。仕方なく、重たい体をなんとか起こして現状することができました。

 ――そういえば、洋服のまま寝ちゃったんだっけ。

 せっかくの服がしわだらけの汗だらけでした。

 気がつけば、汗でぐっしょりと全身がぬれていました。さっきの変な夢のせいでしょうか。

そのまま風呂場に直行してシャワーを浴び、普段着に着替えました。

 もう、深く考えないようにしよう。考えたってはじまらない。

 私は考えるよりまず行動するところがあると友人に言われたことがあります。確かにくよくよするくらいなら、それを改善しようと思います。考えるだけ深みにはまるのなら、行動すればよいのです。

 そんな風に考え直しながらキッチンに向かう途中、体が椅子にぶつかって、かかっていた誠二さんのコートが落ちました。拾おうと思ってかがむと、どこか香水くさいように思いました。私の使っているものと違います。もっと高級な……。

 慌ててコートのポケットを探りました。すると一枚の紙切れが床にはらりと落ち、同時にとてもきつい香水のにおいが部屋中に漂ってきました。

 紙切れにはホテルの名前が書いてありました。割引券のように小さな紙切れで、私は手のひらにのせて、握りつぶしました。

 両手がふるえ、自分では認識できない感情が浮いては沈みました。もうその時、何を考えていたか覚えていません。ただ、その状況を理解できていませんでした。

 どのくらい経ったことでしょう。突然、どこからか曲が流れてきました。我に帰って、音源のポケットに手を入れて携帯電話を取り出します。手にとった瞬間に曲が途絶えました。着信履歴を見てみると、友人の名前が書かれており、下のほうに「探偵」と書いてありました。

 ――そうだ。探偵に聞いてみよう。何か、わかるかもしれない。

 一度ためらったものの、どうしても感情がこみ上げてきて、胸が苦しくなってくるのです。

 「では、要件を」

 「これからの私達夫婦についてです」

 「はい、かしこまりました。えー、では、五日以内にご報告させていただきます」

 これでよし。もう、何も、考えないようにしよう。

 そう思ったものの、あの冷たい誠二さんの態度を思い出してしまい、洗い物をしているときにお皿を一枚割ってしまいました。



 暗い部屋に響くのは壁掛けの時計の秒針の音だけでした。

 もう0時をとっくに過ぎたと思います。私の目の前には電話機が置いてあり、椅子に座って私はずっと待っていました。

 ふいに電話が鳴り響き、暗闇の中に点滅する光が現れました。

 ゆっくりと手を伸ばし、受話器を静かに耳につけました。待っていたはずの電話なのですが、どうしてもその事実をどこかで否定していた心が行動自体を拒絶しているのを感じました。

 「お、まだ起きてたんだ」

 相手の声は、誠二さんの、あの声でした。

 「……いまどこ」

 「ちょっとさ、仕事が忙しくって。今日は泊まってくよ」

 よくドラマなんかにありそうなパターン。

 「そう……」

 わかっています、だいたいどんな場所にいるのかぐらいは。

 「どうした?元気がないね」

 「……」

 もう、すべてわかってしまいました。つい一時間前にあの探偵から連絡が入ったのです。

 受話器を静かに戻しました。そして、かすかにカーテンの間から漏れる月の光へ近づいて、ベランダに出ました。

 簡単に言えば、これから誠二さんは私と別の道を行くことになっていました。

 私は見捨てられるのです。

 もう、何も考えません。考えることが無駄だから。どうせ捨てられるのなら。

 疲れてしました。

 夜風が生暖かく、月がきれいでした。つい先ほどまで雨が降っていたせいなのでしょう。ベランダから街を見下ろしました。煌々と光を放ち、騒音が響き渡り、まるで動物のように生きているような気がしました。真下には、ただ広がっているコンクリートがありました。すぐに楽になるでしょう。

 両手に体重をかけ、両足が宙に浮いたと思うと、いつの間にか体はベランダの外にあり、風を切って落ちていました。

 落ちていくとき、誠のことを思い出しました。意識がもどったらどうなるのでしょうか。誠二さんが引き取ってくれるでしょうか。一瞬不安になりましたが、なるようになるでしょう。もう、どうでもいい。この世なんてなるようになるんだ。私一人が消えたって、世の中にとって大きな損害にもならない。

 日常が、また、ただ、繰り返されていく。

 そう思うとどこか胸が痛みましたが、もう私に関係のないことです。

 地面につく寸前に少し、そうほんの少しだけ誠二さんの顔を思い出しました。

 私は幸せだったのでしょうか。

 彼に会って、結婚して、憧れだった東京に住んで、家事をこなし、特に趣味もなくただただ時間が過ぎていったこの時間は、私にとって何か意味でもあったのでしょうか。

 地面がかすんで見えなくなったと思うと、すぐに視界が暗闇に染まりました。



 目が覚めると、ボクの隣には看護婦さんがいた。

 「あっ」

 ボクが目を覚ましたことに気付いて、あわてて病室を出て行くと、すぐにパパが入ってきた。知らない女の人も一緒に入ってきた。

 「誠っ!よかった……」

 パパはボクの手を握った。暖かさを感じた。

 「ちょっと痛いよ」

 そういうとちょっと握った手を緩めてくれた。

 「本当によかった」

 そういえば、ママの姿が見えない。ボクがおぼれる直前に何か叫んでいたような気がした。もしかして、事故が起こることがわかっていたのかな。そんなわけないか。

 「ママは?」

 パパは少し困った顔をし、知らない女の人と顔を見合わせた。

 「えっとな、ママは今ずっと遠いところへ出かけちゃったんだ。もうずっと帰ってこないけどな、その代わりこの人がお前のママになってくれるんだ」

 知らない女の人はにこっと優しく笑って、よろしくねとボクに言った。

 「うん」

 よかった、優しそうで。怒りっぱなしのママよりずっといいや。

 いつの間にかそばにいたお医者さんは笑った。

 「今のところ障害は見られないようですし、まあ、すぐに退院できますよ」

 「ありがとうございます」

 近くの窓から外の景色が見れた。道の脇の木はまだ緑だけど、もう蝉のうるさい声は聞こえなかった。

 そうだ。借りてたゲーム、返さなきゃ。早く退院できたらいいな。

 思い切り伸びをすると、あくびも一緒にでてきた。

 

初めて書き上げた作品で、あまりできはよくないのですが、批判をいただけたらお願いします。

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