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もうすこし続くのでぜひ視てください
初めて使ったのはキャンプ中のことでした。
夜、私はなかなか寝付けませんでした。地面はごつごつとしていて、寝袋の上からでも寝心地がよくなかったですし、おまけに虫の鳴き声がうるさいのです。誠二さんも誠も遊びつかれてすぐ寝てしまい、寝付けないのは私だけでした。
居心地が悪くて寝返りをうつと、視界に入ってきたのは、カバンのポケットからはみ出ている、今朝貰ったティッシュでした。手にとってよく見てみると、電話番号が書いてあります。
起き上がってテントの外に出て、ポケットから携帯電話を出して番号を入力しました。
まわりにも数個テントが立っていて、まだ外で話をしている人もいます。五月の暖かい風が私の体を通り抜けていきました。
通話ボタンを押し、ルルルルルと発信音が聞こえてきます。なかなかつながりませんでした。あきらめて終話ボタンを押そうとしたとき、
「はい、おまたせぇ〜いたしました。未来探偵本社でぇ〜ございます。会員ナンバァ〜をどうぞぉ〜」
男の声でした。変な所で伸ばすので聞き取りにくかったのですが、そんなことより会員登録なんて聞いていません。ティッシュにも書いてありませんでした。
「あの、まだ会員じゃないんですけど……」
「あぁ〜。ではぁ〜、お名前とすぐぅ〜に連絡のつぅ〜く電話の番号をぉ〜おねがい〜しますぅ〜」
私は自分の名前と携帯電話の番号を伝えました。すると「あぁ〜。あなた〜でぇ〜すか」となにか納得して、言葉を続けました。
「では、ナンバァーを覚えてくだぁ〜さい。MN0001です〜」
私が初めてのお客となった瞬間でした。別にほとんど何も変わりはないのですが、最初というのはどこか気持ちよさというものを感じました。
「ではぁ〜、さっそくぅ〜依頼のぉ〜ないよーですがぁ〜」
そう言われて気付きました。特に何も考えないで、ためしに電話してみただけなのです。しかし、初回は無料なのですから、何かしら適当なことを頼んでみようと私は思いました。本当に未来がわかっているのかも、まだ信じてはいませんでした。
「じゃあ、一番近いうちに起こる事故を調べてください」
結局思いついたのはこれだけでした。と、言っても一番心配なことです。家族がどんな事故に遭ってどんな状態に陥るのか。誠二さんが、誠がいなくなったら私は生きていけません。そしてできることなら阻止したいと思っていました。
「わかりぃ〜ました。ではぁ〜、一週間以内〜に連絡い〜たします」
電話が切れた後、私はしばらくその場に立っていました。
夜空を見上げてひとつ大きな息を吐くと、どこか気持ちがすっきりと爽快になりました。寝床から「何かあったのかぁ?」と誠二さんの寝ぼけた声が聞こえてきます。
「ううん。なんでもないの」
私は夜空に背を向けて、テントにもぐりこみました。
未来探偵から電話がかかってきたのは翌日の昼間でした。
一日中遊びまわれるこの日は川に行って遊ぶことになっていました。山道を車で小一時間走っていくと、上流の砂場のあるスポットに着きました。あまり大きな川でもなく、人がまわりにぽつぽつといるので、ここなら思い切り誠をあそばせることができると思いました。
「あんまり遠くに行っちゃだめよー」
車を降りてすぐに飛び出していった誠の背中に向かって私は叫びました。
「うん、わかってるっ」
誠二さんが誠と一緒に遊んでいる間、私は立てたパラソルの下、一人砂浜に座って二人を見つめていました。同時に昨晩の事を思い出している自分も一人ぽつんとさみしくたたずんでいるような気がしました。あの時、半信半疑ではありましたが、心のどこか隅ですっかり信じきっている自分がいるのを感じていたことを今でも覚えています。多分、不安だったのでしょう。
ふと気がつくと、そばにおいてあるカバンの中から携帯電話のバイブレーションが聞こえてきました。
こんな時に誰からだろうと思って、さっきまで昨晩のことを思い出していた私は慌てて電話に出ました。案の定、相手は未来探偵からでした。
「報告は、我が社ではすぐにご本人に直接伝えることになっております。その際にまわりに誰もいないか、音が漏れていないかを確かめて下さい」
確かに私からしてみれば他人に家族の未来を、しかも不幸な未来を聞かれたくありません。でも、ここまで厳重にする必要があるのでしょうか。
「はい。問題……ないです」
少し疑問に思ったものの、その時は気にしないことにしました。
「ではご依頼の件ですが……」
心臓がバクバクとなってしまい、つい胸に手を当ててしまいました。
「息子さんの誠くんですね」
本当に心臓が跳ね上がったかと思いました。私が未来探偵の人と接触したのはあのティッシュをもらったときだけ。息子を見たわけでもないし、それに名前まで知っているなんて。
「本当に未来が見えるんですよ」
私の考えを見透かしたように、電話の向こうの男は言いました。
「そ、それで?」
「五月四日午後二時四分五十八秒に、お子さんが溺れて意識不明の重体になりますが、幸いなことに一命は取りとめます」
四日。今日のことでした。慌てて腕時計を見てみると、まだ針は一時二十分をさしています。
これで災難を防げる、そう思って肩の力が一気に抜けました。
「質問等はありますでしょうか。答えられる範囲で応答いたします」
「いえ……ありません」
言葉に力がこもってないのは言っている私自身感じられました。
「わかりました。今回は初回限定サービスとして無料にさせていただきます。次からは先日お配りしましたティッシュに記載されています――」
動揺していて、それから先の説明は上の空でした。
二時ギリギリに昼食を理由に二人を呼びました。あらかじめ用意していたカップ麺にお湯を注いで三分待つだけ。食べている間に事故の起こる時間は過ぎてしまうだろう、と思っていました。
「もう三分経ったろ。誠、食っていいぞ」
誠二さんが防水機能付きの腕時計を見ていいました。この腕時計は以前私が誠二さんに送った誕生日プレゼントです。結婚前に送った時計をいまだはめてくれていることに私はすこしだけ照れてしまいました。
「もういいや。ごちそうさま」
そんな声が聞こえて、振り返ったときにはもう誠は川に入る寸前でした。
「ま、まって!」
慌てて呼びかけたので声が裏返ってしまい、誠の耳まで届かなかったのでしょう。どんどん川の方へ行ってしまいます。私は裸足で駆け出しました。誠を助けることだけしか考えられませんでした。
視界がぶれました。わけもわからないまま、私は砂浜に倒れこみました。ジンジンと倒れた後につま先に痛みが襲ってきました。口に砂が入りました。
今度は視界がぼやけました。そして涙が頬をつたって落ちていくのを感じられました。
遠くで息子の叫びが聞こえました。
私は何もできない。何もしてやれない。一体何をしているんだろう。
つま先の痛みはもう感じられませんでした。