その弊害
パン!パパン!
空砲が軽やかに空中に撃たれ、春爛漫なこの季節、恒例の武術試合が行われた。
腕に覚えのある貴族や軍人等が国の内外から集まり槍試合だの馬術試合だのが行われるのだ。
その警備や警護に近衛兵団は勿論、軍団も対応に大忙しだ。
「アオイ様、もうお決めになられました?」
「あ・・ええと・・すいません、まだです」
アオイ様は小さなお顔を難しげに顰められ、可憐な刺繍がこれでもかっと施された真っ白なハンカチを握り締めた。
私ともう一人のアオイ様付きの近衛兵、ユリア・ヘイストロームはチラと目を合わせる。
・・・まだだって。
・・・どうするの。もうすぐ始まるんじゃない。
コロッセオのような円錐形の会場では、槍試合が決勝を迎えていた。その後最後の剣術試合が行われる予定だ。なので会場の端では次の剣術試合の準備や選手達が集い始めていた。
そしてアオイ様のおわすこの貴賓席の真下、私の頭痛と慢性疲労の元凶共が雁首並べてアオイ様をガン見してる。
(ウゼェ・・・)
私はまたアオイ様の手元にあるハンカチを見つめる。
春を祝う祭りの一環であるこの武術試合だが、年頃の男女を結ぶイベントでもある。
意中の君がいる男はその君に試合に出る事を伝え(告白の代りだな)、その君がOKなら白いハンカチをやる。という在り来たりなものだ。説明がぞんざいだって?気のせいだ。
さて、真下の男共だが当然アオイ様のハンカチを狙ってるんだろう。
イングベルグ様は軍団に籍を置いているからわかるが、剣術はからきしと聞くシュナイダー様とルードヴィーグ様も?間違って死んでも相手に文句言うなよ?更には主催者側であるはずの陛下やそのサポートの左宰相まで参加するつもりですか?何考えてるんですかアンタ達は。
ああ、ほらほら右宰相閣下がこっちに気付きましたけど?青筋も浮かんでますけど?その夫人で陛下の姉君でもある我が上官のジリアクス団長が無表情でこっち見てますけど?更にはルードヴィーク様の厳格さで有名なお父上も軍団長閣下も学術長閣下も見てますよー。この5人のどこがいいのか追っかけまくる王族貴族の婦女子達の視線が痛いっ!即死レベル!
私が眉間に皺を寄せて耐えているとアオイ様は漸く決心なさったようだ。
「決めましたっ!」
どよどよ・・・周りが波打つ。
やっとか・・はよ終わってくれ。この剣術試合が終われば閉会式して解散だ。今日は早く上がれますように。
「ティッティさん!受取って下さい!」
・・・・・・なんでやねん。
私は唖然としているだろう顔でアオイ様を見た。
えっと・・・私ですか?
それないわー。絶対ないわー。空気読んで欲しいわー。
私は助けを求めるようにファルベ殿を見た。だが緩く首を振られる。次にユリアに向けたが視線を外されてしまった。
・・・・やるしかないのか?しかし何故私?やるべき奴等ならいるじゃないか、あそこに。捨てるほどいるぞ?
この際、殺したそうに私を射抜く奴等の視線は無視する。
「お言葉ですがアオイ様、何故私に・・・もっと相応しいお方がいらっしゃるかと思います」
取りあえず、遠巻きに断りを入れてみる。「迷惑なんだよねー」というオーラも混ぜてみる。
「あ、あの、何故だかは知らないんですけど私のハンカチを・・・でも誰に渡していいかわかんなくて!・・あまり皆さんの事知りませんし。で、でしたらいっその事一番近くにいるティッティさんかユリアさん(ここでユリアの肩が跳ねる)にお願いしようと・・」
5人を狙う婦女子が聞いたら撲殺されそうなセリフを吐くとアオイ様は大きな目に懇願を乗せて続けた。
「でもよく聞けばユリアさんは右手を怪我したそうなのでティッティさんに・・・無茶なお願いしてると思うんですけど助けると思ってお願いできませんか?・・・あの、ティッティさん?すいません、あの迷惑ですよね」
助けたくもないしお願いもされたくないんですけど。もちろん迷惑ですとも。
アンタは何を言ってるのかわかっているのか?戦う事しか知らない筋肉バカ共と刃を潰してあるとはいえ真剣でヤるんだぞ?私は確かに兵団に身を置いているが、れきとした女だ!体格も骨格も筋肉も腕力だって劣るに決まってるだろ!キズモノになったらどうしてくれる!誰が責任とってくれるんだ!ハンカチなんて誰に渡しても大差ないよ!あんた等で勝手に取り合いっこしてくれ!善良な薄給一兵士を巻き込むな!
・・・しかし、諸々の負の気持ちを笑顔で覆い尽くして畳んで厳重に鍵を施し、ストレスという名の脳内倉庫に放り込む。
「何を仰いますアオイ様。迷惑だなんてとんでもない、身に余る栄誉にございます」
私は取って置きの余所行きビッグスマイルで膝まずいた。
・・・大人だから。ここで断ってもいいが後がな・・後が・・
恐らく私が受け取らねばあの5人が取り合いっこして騒ぎ、剣術試合は遅れに遅れ、右宰相閣下や総団長その他の部署にまで迷惑が及ぶに違いない。ああ空気の読める己の体質が恨めしい。
「貴女様の御心に添い叶える為、このティッティ・ティッカネン。全てを昇華する事を白き薔薇に誓います」
歯どころか顎まで浮きそうなセリフを吐き、ハンカチを握る白い手を白手袋の両手で包む。そしてそのまま引き寄せ甲にキスを軽く落とした。ヤケクソのようににっこり微笑むとアオイ様以下周りの侍女達が赤くなる。同性相手に赤くなってどうするんだ?
ハンカチを受け取り、制服の胸ポケットに差す。
「ユリア、代わりの警護の手配を頼む」
「了解。気を付けて」
「ああ」
私は同情たっぷりの目で送るユリアに頷くとアオイ様に一礼してから踵を返した。
貴賓席から降りると待ち構えていた5人に囲まれ因縁を付けられそうになったが
「おやぁ?そこにいるのはクソ忙しい筈の陛下とそれに輪を掛けてクソ忙しい筈の左宰相閣下ではありませんか」
一人の美しい麗人が割って入った。
「あ、姉上・・」
陛下がさっと青褪める。他の4人も動揺が激しい。
「我が夫が捜しておりましたよ、お二方。あれあれ!タイニオ見てみろ!イングベルグ殿や荒事がお嫌いなシュナウダー殿やルードヴィグ殿まで!私の可愛い部下を囲んで一体何の騒ぎだと思うね」
「そうですねぇ、俺にはまっこと因縁つけてる様にしか見えないですね」
軽やかながら辺りを威圧する声は半端なくコワイ我が上官でもあるジリアクス団長と、せせら笑いも悪どそうなタイニオ様がいた。タイニオ様の何時もはダラけた薄青い目が苛烈な色を見せて弟でもある左宰相を見ている。こっちも怖い・・・
「騒ぎなどと大袈裟です、姉上。俺はアオイの選んだ・・・この兵士の(毎日のようにお会いしているはずだが・・大事なアオイ様の近衛兵の名前ぐらい覚えておいた方がいいと思いますよ。まぁいいけど)激励したたんです。なぁ?」
ジリアクス団長より15歳下だと聞く弟陛下は部下であるはずの姉近衛兵団長に敬語で答えた。今にも敬礼しそうだ。そして私にそうだよな!と圧力を掛けてくる。
他の4人も「そうそう」と頷き合い陛下と同じように私に圧力を掛けてくる。圧力5倍だ。ていうかそんなにウチの団長怖いんですか。まぁ確かに悪ノリしている団長は怖いけども。団長が「そうなのか?」と言わんばかりに私に目を向ける。しかしこの目は・・・もう知ってる顔だな。
「実を言うとこれからです、団長」
!!!!!
5人の頭の上にビックリマークが同時に浮かぶのが目に見えるようだ。
グフフフ・・・最高の気分だぜぇ・・・・ってバカ!これ以上恨み買ってどうするんだ!
私は慌てて諂うためにへらりと笑い、揉み手しそうな勢いで
「なんちゃって!そうそうそうでした!申し訳ありません陛下!緊張のあまり記憶がブッ飛んでいたようです陛下直々の奨励このティッカネン一生の宝として心に刻みこれからも日々精進すべくがむばります」
若干棒読みだがしかも噛んだがこの際よしとしよう。
近衛兵生活で鍛えた表情筋をこれでもかとフルに出し、その場は何とか収まった。ハァ・・・。
「まったく面倒に巻き込まれやがって・・」
タイニオ様が呆れたように息をつく。
「私のせいじゃないですよ。私だって出たくありません。命令ですからしょうがないです」
「それにしたってな」
「大丈夫ですよ、適当なところで負けてきます。心配ないですって、これでもBランクですから」
意外に心配性な副団長に軽口で言い、私は簡素な兜を被ると整列のためテントを出た。と、タイニオ様が前に立ちはだかる。
大きな影に自分の影がすっぽり入り、普段は意識した事もない男女の性差に 不意に 体が竦んだ。
「・・・タイニオ副団長?」
「気をつけろよ」
「へ?あ、は、はい」
眉間に皺を寄せ何時になく険しい顔のタイニオ様。こっちまで緊張してくる。やめてくれ。
「勝ったらご褒美のチューしてやるからよ」
私はポカンと口を開けた。
なななな なな なんなんなんだと?
「おい、あとお前だけだぞ」
「へっ?あっ!」
可笑しそうに私を促すタイニオ副団長が顎で示すと整列を終えた集団が見えた。慌てて駆け出す。
さっきの・・なんだったんだ?タイニオ様ってあんなキャラだったっけな?てか私とそんな接点ないし。いきなり過ぎだし。身分だって相当かけ離れてる。だから・・・からかわれただけなんだ。
何度そう思っても・・・頬の熱さは中々消えない。
試合の結果だって?負けたさ、当然。意外といい所までいったんだけど3回目に当たった人が最悪だった。先輩のガイナス様だったから。・・・・あの噂本当だったよ。ガイナス様と対峙すると人生の走馬灯が見えるってな。
でも最後まで全力を出して戦ったつーわけで私の面子もアオイ様の名誉も何とかなった。全身ズタボロだが。
でさ、思ったわけだよ。閉会式が終わって夕日が射す会場でな。
「なぁ~にやってんだろなぁ私」
ってな。
・・・私とユリアがブチ切れる日はそう遠くないだろうな。