いつまでも普通を乞う
これは、人嫌いの私の懺悔の様な話。
昔から、職員室が苦手だった。
その空間は私にとってあまりにも冷たく、人の目が襲い掛かってくる場所だから。
鍵を借りに行くときも、提出物を届けに行くときも、一人では行けず誰かについてきてもらった。
元から私は先生を目の前にすると声が出ず、困ることが多々あった。
そのせいで、私が先生を呼ぶと聞こえず何回もいう事になり、最終的には別の先生が私に「どうしたの?」と聞きに来る始末だ。
なんとも情けなく、そんな自分を私も親も嫌っていた。
私が苦手なのは職員室だけではなかった。
移動教室で一人で教室に入る事、牛丼屋、あらゆるお店のレジ、町で一人待っている事、電車で人と人の間の座席に座ること、塾の扉を開ける事。
それら全てが私は嫌いで、できる限りやりたくない。
そして、それら全て【人の目が集まる】 それが私が苦手な事の共通点だった。
他人でも、友人でも私は人の目が嫌いだ。というか、顔が苦手だ。
目や眉、声のトーン、口の動かし方、口角、全てで人の感情が分かるからだ。
どんなに親しい友人でも、色んな人でもそれはどうしても隠せない。
人生を歩むうちに、確実に一人は私の事を嫌っている人物が現れる。まぁ当たり前だ。
でも、私はそんな奴らにも【変な人】と思われたくないのだ。
どんな人でも、二度と会う事がない人物でも、私は嫌われたくない。
自己中であり、自意識過剰なのは理解している。
よく親族に「人はお前なんか見ていない」と何度も言われた。だが、私は一度でも人の目に映ったのならば好印象をだかれたい。できれば不意にでも見ないで欲しい。
それぐらい、人目に付くのは苦手で大嫌いだ。
このままではいけないと自分でも分かっている、だから最近は買い物へ出かけるようにしている。
けど、基本的に外へ出るのは苦手である。
服装はどうだろうか、マスクは外すべきか…いや、不快に思う人がいるだろうから付けておこう。
そんな事を考えて、考えて、町のガラスに反射する自分を流し見て、自分が【普通】である事を確認する。
普通でないと、虐められる。それは私の経験則であり、信条だ。
だけど、私は愚かだと部類される人間なので、上手くいかないことがある。
私は何かをすると、人が集まってくる性質を持っているらしい。
ただ席に座っているだけでも、町を歩いているだけでも、登校しているだけでも。
そして、それはモテているとかそういうのではなく、単純なる悪意からそうなる。
誰か一人が、私の事を嫌いになったとする。
そうすると、その友人が便乗し私へ悪戯をする。
それが波紋の様に広がって、追いかけられたのが何回もある。
ゴミ箱に何回も私物を捨てられた、何回も殴られた、何回も侮辱された、何回も何百回も、ただの日常の動作で私は嫌われた。
多分、どこかで私がその子の嫌なことをしてしまったのだろう。
でも、それに私は耐えられるほど強くない。
だから、侮辱されたら言い返せるようになってしまった、嫌なことをされても笑うようになってしまった。強めなことを言ってしまったとき、嫌われない様に慰めたりフォローを言うようになってしまった。怒っていないのに、怒っているようなフリをしてしまうようになってしまった。
自分を強く見せる癖が、頼れるような人物を目指しているような、自信過剰の様な人物のフリが出来てしまった。
普通が手に入らなくなってしまった。
母からよく「何故お前は普通ではいれないのか」と問われたことが何回もある。
だからこそ、私は確認したい。
この状況でこの言葉を言うのは本当に平気なのか、相手がつまらないと感じている、普通ならばどうすればいいのか。
普通であるのは私の幸福であり、安心への近道であるのだ。
モブで構わない、忘れ去られて、卒業アルバムを振り返り「誰だっけ?」と思われたい。
それぐらい、私は人の記憶に残りたくない。
だから、私はこの【苦手】が嫌いであり、普通ではない自分が大嫌いだ。
いつか、私が普通でいられる日は来るのだろうか。




