冷却
【翌朝 浅野の部屋】
浅野は枕に寄りかかり、両手を頭の後ろで組んで、天井を見上げながら少し不敵な笑みを浮かべていた。昨夜、普段はクールで恥ずかしがり屋な「青」が、自分の下で完全に崩れ落ち、足を痙攣させ、その魂までもが自分の指先に「かき乱され」て行方知れずになっていた……。男としての征服欲と達成感が、思い返すだけで全身を突き抜けるような快感を与えていた。
「本当に……最高だったな。」彼は小さく独り言を漏らした。
一方、彩靜はすでに「スナイパーモード」を再起動させているようだった。彼女は無表情で起き上がると、昨夜の情熱の痕跡が体に残っているのも構わず、淡々とベッドを降りて、床に散らばったオフホワイトのセーターとスカートを拾い上げた。
その動作はあまりにテキパキとしていて、昨夜、喘ぎ声を上げながら泣いて許しを請うていた少女は、浅野の幻覚だったのではないかと思わせるほどだった。
しかし、彩靜が襟元を整え、洗面所へ向かおうと部屋を出る直前、ふと足を止めた。振り返りはしなかったが、髪の毛の隙間からのぞく耳の先は、血が出るほど真っ赤に染まっていた。
「……この、変態っ!」
彩靜はぶっきらぼうながらも羞恥に満ちた言葉を投げ捨てた。その声には「顔も見たくない」という意地が混じっていた。
浅野はその久しぶりの罵倒を聞いて、思わず小さく笑った。彼は身を起こして彩靜の強張った背中を見つめ、悪戯っぽく、それでいて磁気のある低い声で言い返した。
「あんなに可愛い声で鳴いていたのは、どこの誰かな? 僕は隅から隅まで、はっきり聞いていたけどね。」
「っ……!!」
彩靜の肩が、まるで流れ弾に当たったかのように激しく震えた。彼女は振り返り、両頬をぷっくりと膨らませて浅野を鋭く睨みつけると、そのまま逃げるように部屋を飛び出していった。廊下からは彼女の慌ただしい足音が響いてくる。
「仕事に行くから! さよ.なら!」彩靜は語気を強めて言い放った。
【ZERO-DELAY 東京本部:女子トイレ】
彩靜は急いでトイレに駆け込み、鍵を閉めると、震える手でセーターの襟元を広げた。鏡の中に映る白い鎖骨の下や首筋には、淡い赤色のキスマークや指の痕がいくつか点在していた。
(浅野君のバカ……こんなに目立つようにするなんて……。)
彼女は顔を赤らめ、バッグからコンシーラーを取り出すと、丁寧にそれを塗り潰していった。一塗りするたびに、昨夜、浅野に跨がられ、指で中をかき回されたあの窒息するような快感が脳裏に蘇る。
「ふぅ……落ち着いて、後藤彩靜。あなたは今、『青』なのよ。」
彼女は深く息を吐き、化粧ポーチを片付けると、再び無表情で冷静な姿に戻って外へ出た。しかし、トイレを出た瞬間、訓練を終えたばかりの数人の女性後輩たちと鉢合わせしてしまった。
「あ、後藤先輩、お疲れ様です!」
「先輩……顔がすごく赤いですよ? 風邪ですか?」
普段は氷山のように冷徹な先輩が、今はまるで「潤いを与えられた」かのような紅潮を帯び、羞恥のあまり足早に走り去るというあまりに可愛い姿に、後輩たちは呆然と立ち尽くした。
「天あ……今の先輩の小走り、可愛すぎじゃない?」
「後藤先輩の人気、また爆上がりしちゃうね!」
【大学:キャンパス中庭】
「それで……やったのか?」
親友のユウトが目を丸くし、浅野の鼻先まで顔を近づけて、野次馬根性丸出しで聞いてきた。
浅野はベンチに座り、アイスコーヒーを手にしていた。昨夜の彩靜の震える脚と、途切れ途心の喘ぎ声を思い出し、心拍数が勝手に上がる。彼は平静を装ってコーヒーを一口飲むと、隠しきれない得意げな響きを込めて淡々と答えた。
「いや、準備(避妊具)はちゃんとしておいた方がいいと思ってさ。でも……」浅野は声を潜め、ユウトの耳元で囁いた。「彼女を『いかせ』たよ。」
「はぁっ?!」
ユウトの叫び声に通行人が一斉に振り返った。彼は信じられないといった様子で浅野の肩を激しく揺さぶった。
「後藤をイかせただと?! 進度、俺を追い抜いたじゃねーか! うちの氷室は普段大胆なフリして根は超保守的だから、そんなこと絶対させてくれないのに……お前、普段はインテリぶってるクセに、隠れ肉食系だったのかよ!」
揺さぶられてコーヒーがこぼれそうになりながら、浅野は軽く笑った。脳裏には今朝の彩靜の「この変態」という言葉が浮かんでいた。
「彼女が……犯罪的なまでに可愛いからいけないんだ。」浅野は遠くを見つめ、心の中で決意した。ここまで来たら、次のデートには必ず「あれ」を準備しておこう、と。
【レモンティー専門店:数日後】
店内のエアコンは十分に効いていたが、浅野健二の心は冷え切っていた。
あの狂おしい夜以来、二人の関係には非常に微妙な変化が生じていた。一気に進展するかと思いきや、彩靜はまるで驚いた小カタツムリのように、完全に殻の中に引きこもってしまったのだ。
今では、浅野が少しでも近づこうとしたり、腰に手を回そうとしたりするだけで、彩靜は感電したかのように飛び退く。顔を爆発しそうなほど赤くし、普段は照準を合わせるための鋭い瞳でうろたえながら彼を睨み、突き放すのだ。
「ど、どうしよう……キスもまだなのに、接触拒否されちゃった!」
浅野はカウンターに突っ伏し、この世の終わりのような顔をしていた。攻略完了かと思いきや、今では手を繋ぐことすら叶わぬ夢になっていた。
【店内の隅】
彩靜はノートパソコンで忙しそうに何かを操作するフリをしながら、時折、肩を落とした浅野に視線を向けていた。
(……恥ずかしい、本当に死ぬほど恥ずかしい。)
彩靜の心の中は絶叫で満たされていた。浅野を見るたびに、昨夜、自分から「いっちゃう」と喘いだ場面や、彼の指に「かき回された」感触が勝手に再生される。その快感があまりに強烈すぎて、今、彼に触れられるだけで全身の力が抜けてしまいそうだった。
「青」としての最後の尊厳を守るため、彼女は一時的な「接触拒否」を選ぶしかなかった。
【レモンティー専門店:夕暮れ】
浅野は彩靜の避け続ける様子を見て、作戦変更を決めた。強引に触れようとするのをやめ、レモンティーを一杯注文して、静かに彼女を見つめることにした。
「彩靜。」浅野が優しく呼ぶ。
「……ん、何?」彩靜はトレイを抱え、泥棒を警戒するように3メートルの距離を保っている。
「今は触らせてくれないけど……でも、僕は変わらず君のことが大好きだよ。」浅野は爽やかで誠実な笑顔を浮かべた。
「昨夜のこと、ごめんね。でも、1ミリも後悔してないよ。君が受け入れてくれる日まで待ってる。」
彩靜は呆然とした。ブラウンの瞳が微かに揺れ、強張っていた肩がゆっくりと解けていく。彼女はうつむき、小さな声でポツリと呟いた。
「……変態。も、もう少しだけ時間を頂戴。」
「路人(通行人)先輩、この変態! 昨日も不意を突いてキスしたわね!」
凜の澄んだ、元気いっぱいの怒鳴り声が店内に響き渡った。口では罵っているものの、彼女の手は今田の歪んだエプロンを整えてあげており、その瞳にある鋭い刃は、すでに少女特有の甘えへと変わっていた。
今田はただデレデレと笑い、後頭部をかきながら、完全に幸せの中に浸っていた。
この、あまりに「健全」で自然な進展を見せるカップルを眺めながら、浅野は黙ってアイスコーヒーを啜った。苦味が心の奥底まで染み渡る。
「いつになったらキスできるんだろうな……。」浅野は低く呟き、視線は無意識にカウンターの奥へと向いた。
その時、彩靜はロボットのように硬直した動作で画面を見つめていた。彼女にも今の凜の「不意打ちキス」という言葉は聞こえており、脳内は再びオーバーヒートして蒸気が出そうになっていた。
(き、キス……浅野君も私としたいのかな?)
(でも昨夜……もっと凄いことまでしちゃったし……うぅ……。)
考えれば考えるほど顔が赤くなり、手元が狂ってグラスを割りそうになる。
浅野は彩靜のその「拒絶」しつつも愛らしい背中を見つめ、深く息を吸った。焦っていた気持ちは次第に落ち着きを取り戻していく。カメラマンとして追い求めていた「瞬間の爆発力」を捨て、彼は原点に立ち返ることにした。
(大丈夫だよ、彩靜。もっと時間をかけて、君のそばにいるから。)
(一ヶ月でも、一年でも、一生でも。)
彼は「進度」を考えるのをやめ、ノートに次回のデートプランを書き留め始めた。今回は制限指定の映画も見ないし、閉鎖的な空間にも行かない。植物園や海辺など、彼女をリラックスさせ、再び「普通の女の子」としての幸せを感じられる場所へ連れて行こうと考えた。
彼は待っている。あの天才狙撃手が心の鍵を開け、自ら「キスしてもいいよ」という羞恥に満ちた眼差しを向けてくれるその瞬間を。




