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ZERO-DELAY  作者: WE/9
ZERO-DELAY:平凡なリズム

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85/102

後藤さん

平穏な午後の静寂は、鋭い驚き声によって破られた。


「うわっ!」


凛は、ただ鳴り止まない彩静のスマホを取ってあげようとしただけだった。しかし、画面に表示されたプレビュー通知を見た天才少女は、手に持っていたティーカップを握り潰さんばかりに驚愕した。


「彩静!これ、一体どういうデータ異常!?いつの間に個人的に連絡し合ってるのよ、しかも彼の方から誘ってきてるじゃない!」


凛がスマホの画面を全員に向けると、そこには「浅野」からのメッセージが表示されていた。


『後藤さん、日曜日に公園で綺麗な光が撮れそうなんだけど、一緒に散歩に行かない?』


「ええ。」彩静は意外なほど冷静に答え、スマホを手に取り返した。その口調に動揺の色はない。「この間、彼が店に来た時に『寒色系の写真』について意見を聞きたいと言われて、連絡先を交換した。ただの友人としての誘いよ。」


「普通の友達は二人きりで公園になんて行かないわよ!それはデートのSOP(標準作業手順)第一歩でしょ!」今田がカウンターの後ろから激昂して飛び出してきた。「それに彩静先輩、断らなかったんですか?あなたみたいな氷みたいな性格の人が、もし公園で何かされたら……いや、逆に先輩が彼に何か(格闘術とか)しちゃったらどうするんですか!」


「浅野健二、脅威レベル:E級。」彩静は淡々と返した。「私のロジカルな判断では、これは無害な社交活動よ。」


店内はかつてない混乱に陥った。湊と今田はコーナーに隠れ、すでに「日曜日・公園追跡援護計画」を練り始めている。


「いいか、二番弟子。」湊は真剣な顔で公園の地図に線を引いた。「お前は高所からの観測を担当しろ。俺はジョギング中の市民に変装する。うちのエーススナイパーをあのカメラ小僧に連れ去らせるわけにはいかない。組織の損失……いや、俺たちの損失だ!」


「了解です!最新型の遠隔集音デバイスを持参します。」今田は拳を握り、使命感に燃えていた。


「ちょっとあんたたち、脳みそがネットワークから切断されたわけ?」凛は呆れてツッコミを入れたが、彼女もまた黒いキャップの角度を微調整し、追跡に参加する準備を整えていた。


「追跡はやめなさい。二人で行かせてあげて。」


ずっと静かにお茶を淹れていた暁が突然口を開いた。声は大きくなかったが、そこには拒絶を許さない威厳があった。全員が静まり返り、この店の中心人物に視線を向けた。


暁はティーポットを置き、深い紺色の瞳で窓の外を見つめた。その声には優しさと全てを見通すような響きがあった。


「湊、今田。あなたたちは本当に、彩静が普通の大学生に拐われると思っているの?」


「でも……」今田が弁解しようとしたが、暁の視線に制された。


「あの子は、氷のように冷たく見えるけれど、その心は誰よりも『温度』を感じることを切望しているわ。彼女が持っているあの写真を見て。」暁は彩静がテーブルに置いていた横顔の写真を指差した。


「浅野くんは唯一、あの氷層の下にある彼女の『普通の女の子』としての側面を捉えることができた人よ。」


暁は、スマホで返信を打っている彩静の方を向いた。彩静の耳の付け根は、極めて微かに赤らんでいた。


「行かせてあげなさい。これは任務でもデータでもない。彩静が自分自身のリズムを探している最中なのよ。私たち『経験者』は、その日は静かに店番をしていましょう。」


湊は呆気に取られたが、すぐに苦笑して地図を置いた。「暁がそう言うなら、俺たちの追跡計画はボツだな。」


今田もまだ心配そうではあったが、暁の「勝負あり」という表情を見て、黙ってデバイスを片付けた。


彩静:『わかりました。日曜日、会いましょう。』


メッセージを送信した後、彩静はカウンターの裏で忙しく働く仲間たちを見た。彼女は自分の首筋に触れた。そこには凛のような絆創膏は貼られていない。しかし、彼女の心拍数はその瞬間、わずかに110bpmを超えていた。


暁が彼女の横を通り過ぎる際、軽く肩を叩いた。


「行ってきなさい、彩静。覚えておいて。その日の光と影は、計算するのではなく、ただ感じるだけでいいのよ。」


「……はい、暁さん。」


【新宿御苑:日曜日 朝 10:00】


朝の公園。芝生にはまだ真珠のような露が残り、微風が桜の枝先を優しく揺らしている。


後藤彩静は、珍しくいつものポニーテールを解き、棕櫚色の長い髪を肩に流していた。オフホワイトのニットにネイビーのロングスカートを合わせ、執行官としての鋭さは影を潜め、どこか優雅な雰囲気を纏っている。彼女は鏡の前で三回も襟元を整えた。わずか0.1秒で着替えを完了させる彼女にとって、これは極限の「こだわり」だった。


「ハイ、後藤さん。」


浅野健二がカメラバッグを背負って走ってきた。相変わらず太陽のように明るく、純粋な佇まいだ。彼は彩静の前で立ち止まり、少し決まり悪そうに頭をかいた。「前に名前を聞き間違えちゃって……本当にごめんね、後藤さん。」


赤くなって謝る彼は、目の前にいる隠密組織の天才スナイパーを、極めてありふれた苗字だと思い込んでいた(以前の聞き間違い)。彩静は彼のぎこちない様子を見て、訂正することなく平穏に答えた。「構わない。行きましょう。」


二人は湖に面した木製のベンチに並んで座った。


空気は不思議な沈黙に包まれた。この「コミュニケーション障害」コンビ——一人は無表情な冷静スナイパー、もう一人はシャイで純粋な写真学科の学生——は、どうやって会話を始めればいいか分からずにいた。浅野は手のひらに汗をかくのを感じ、沈黙を破るために大切にしているフィルムカメラを取り出し、説明を始めた。


「あの……後藤さん、このカメラを見て。すごく古いけど、この機械的な構造が魅力的なんだ。撮影する時、光がレンズを通ってフィルムに痕跡を残す。その瞬間が永遠になるんだ……試してみる?」


浅野は慎重にカメラを彩静に手渡した。彩静はそのずっしりとした機械を受け取った。軽量化された狙撃銃とは、重心のバランスが全く違う。彼女は慣れた手つきで脇を締め、右目をファインダーに寄せ、左目を自然に閉じた。


その瞬間、広大だった公園が一つの精確な四角い枠に切り取られた。


「……ん。」彩静は低く唸り、フォーカスリングを回し、指をシャッターダイヤルに滑らせた。「狙撃鏡スコープ……いえ、望遠鏡とよく似ているわね。」


「君、ピントの合わせ方……すごく独特だね。」浅野は隣で少し見惚れていた。


彩静はファインダー越しに湖の対岸を観察した。彼女の脳内では、本能的に風速、光の屈折率、弾道の偏差が演算され始める……しかしすぐに、彼女はそれらのデータを全て消去した。ファインダーの中に、今まさに飛び立とうとしている一羽の白鷺を見つけたからだ。


「シャッターは、ここ?」彩静が尋ねた。


「うん、優しく押し下げて……」


——カシャッ。


金属製のシャッターが閉じる軽快な音が響いた。彩静はカメラを下ろし、浅野を見た。


「今の瞬間、あの鳥がどこへ飛んでいくかは重要ではないと感じたわ。」彩靜は浅野を見つめた。口調は相変わらず淡々としているが、深い瞳には微かな光が宿っていた。


「重要なのは、あそこにいたあの瞬間を、私が留めたということ。この感覚は……目標を仕留める(ヒットさせる)よりも心が安らぐわ。」


「後藤さん……」浅野は彩静を見つめ、また頬を染めた。彼は、撮影に集中する彩静の姿が、今まで撮ってきたどんな風景よりも美しいと思った。


【新宿御苑:日曜日 午後 14:00】


午後の陽光が木漏れ日となって、小石の道に断片的な光のを落としている。


「後藤さん、あそこの反射を見て。」


浅野は彩静の隣を歩きながら、隠しきれない興奮を声に乗せた。二人は公園内をあてもなく散歩し、光と影、焦点距離、そして平凡だが美しい瞬間について語り合った。


彩静は相変わらず口数は少なかったが、浅野が語る一輪一輪の花の「表情」を静かに聞き、時折、プロのようなフォーカス動作で無言の相槌を打った。


時間が経つにつれ、当初保たれていた「安全なソーシャルディスタンス」は、いつの間にか縮まっていた。


「こっちの角度の方がもっといいかも……あ。」


浅野が遠くの時計塔を指差そうと手を振った瞬間、その指先が不意に彩静の手の甲を掠めた。


その瞬間、空気が物理的に歪んだかのような錯覚が走った。


「……っ!」


彩静の体が硬直した。戦場を駆け抜け、肌への接触に極端に敏感なスナイパーにとって、それは本来「背負い投げ」を誘発する危険信号だ。しかし今、彼女の神経伝達物質は重大な演算エラーを起こしていた。


触れられた場所に、微弱な電流が残っているかのような感覚。


浅野はカメラを落としそうになるほど驚き、耳の付け根まで真っ赤にして、しどろもどろに謝罪した。


「ご、ごめん!後藤さん!わざとじゃなくて……手が、手がうっかり……」


「……大丈夫。」彩静は素早く手を引き、指先でスカートを軽く摘んで、視線を湖面へと逃がした。自分の心拍数が120bpmのレッドラインを突破しているのを感じる。ZERO-DELAYの教本によれば、これは「重度のオーバーロード」による警報レベルだった。


空気は異常なほど甘酸っぱく濃厚になり、草木の香りさえどこか酔いしれるようなものに変わっていた。


散歩も終わりに近づき、夕日が二人の影を長く伸ばし、やがて一つに重なった。


浅野は立ち止まり、カメラバッグのストラップをきつく握りしめた。激しい葛藤の末、彼は決死の任務に挑むかのように、勇気を振り絞って彩静を直視した。


「あの!後藤さん!」


「ええ。」彩静も足を止めた。


「来月……僕の大学で写真学科の作品予展があるんだ。僕、この一ヶ月で撮った作品をまとめた展示をするんだけど……」浅野の声は少し震えていたが、その瞳はどこまでも真剣だった。「もしよかったら、後藤さん……来てくれないかな?君に、僕が撮った作品を見てほしいんだ。」


それは単なる誘いではなく、自分の世界を相手に見せたいという、告白の前奏曲のようなものだった。


彩静は、浅野の綺麗で透明な瞳を見つめ、暁が言った「光を感じる」という言葉を思い出した。


「行くわ。」彩静は微かに頷いた。棕櫚色の髪が夕日に輝く。「時間と場所を教えて。遅れずに会場に行く。」


「本当!?よかった!」浅野は嬉しさのあまり飛び上がりそうになった。その純粋で爽やかな笑顔が、再び彩静の心にクリティカルヒットを与えた。


公園で散歩している彩静に比べ、こちらの「カップル(?)」の今日のテンポは明らかに火爆ハードだった。組織が残した残余データノードを処理するため、二人は東京の半分を横断する追跡任務を遂行していた。


「今日の任務は、マジで簡単じゃなかったな……」


今田は、買ったばかりの「二人で座っても狭くない」という触れ込みのソファに全身を投げ出した。着替える気力もなく、襟元は乱れ、顔には硝煙に燻された疲れが滲んでいる。


「ふん、私の聡明な頭脳があったからクリアできたんでしょ。」


凛は機嫌が悪そうに彼の隣に座り、トレードマークの黒いキャップをテーブルに放り投げた。毒づいてはいるが、その小柄で整った顔には疲労の色が濃く、黒い長髪も少し乱れている。彼女は文句を言いながらも、自然に靴を脱ぎ捨て、足を今田の太ももの上に乗せた。これは彼女の「領土拡大」後の日常的な動作だ。


「そうだな……ありがとな、凛。お前がいなきゃ、俺の脳みそはマジでフリーズしてたよ。」


今田は目を閉じて笑った。声は次第に小さくなる。ソファの感触は柔らかく、部屋の温かな照明と隣から漂う馴染みのあるシトラスの香りが、一日中張り詰めていた神経を急速に弛緩させた。


数分もしないうちに、今田の呼吸は規則正しく重くなり、夢の世界へと誘われていった。


「ちょっと、モブ先輩。」凛は足の指で、意地悪く彼の足を突ついた。「寝るならベッドで行ってよ。ここで寝たら風邪引くでしょ。そしたら私が看病しなきゃいけなくなる。そんなデータ負担、ごめんだわ。」


「ん……あと一分……」今田は夢うつつのまま応じ、起き上がるどころか、逆に凛のいたずらな足を抱き寄せ、枕代わりにしてしまった。


「あんた——!」


凛の顔がカッと熱くなった。蹴り飛ばして起こしてやろうと思ったが、今田の目の下にできた薄い隈と、寝ている時の無防備でどこか子供のような表情を見て、振り上げた手は空中で止まった。


「……ったく、使い物にならないモブね。」


凛は呟いたが、その声は独り言のように小さかった。彼女は小さくため息をつき、体をずらしてソファの背もたれに身を預けた。傍にあった薄いブランケットを手繰り寄せ、今田と自分の足に掛ける。そして猫のように、慎重に今田の肩に頭を乗せた。


この平凡なマンションの一室には、狙撃鏡も演算システムも存在しない。ただ、二つの重なり合っていく心拍のリズムだけが流れていた。



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