チップの回収
ニューヨークと台北の特級執行官たちが合流に成功したことで、「人間の形をした怪物」たちの部隊はついにその戦力を完全に解放した。もはや後方の防御を案ずる必要もなく、足止めを食らった仲間に気を揉む必要もない。
そして、この死神部隊の最前線に立つのは、ZERO-DELAYの最終兵器――湊と曉だった。
「零、全域スキャン。バイオ反応をすべてマークしろ」
湊の声がイヤホン越しに響く。氷のように冷たく、それでいて地獄のような怒りを孕んでいた。
『スキャン完了。前方500メートル、メデューサ核心近衛軍……数は120』
零(ZERO)の声は、今や亡きハリーの周波数を微かに帯びていた。『お二人さん、思う存分暴れておいで』
「曉」
湊が静かに呼ぶ。
「ええ」
曉は微かにうつむき、深紺色の長髪がその瞳を覆った。だが、彼女の手にある漆黒の長刀は、すでに心悸を揺さぶるような唸りを上げている。ハリーが犠牲になってから、二人が初めて見せる「同期率100%」の戦闘態勢だった。
降り注ぐ電磁銃の猛火は豪雨のごときだったが、湊と曉の瞳には、その致命的な弾道すら静止しているかのように遅く映っていた。
湊は両手で改造拳銃を構え、前傾姿勢のまま黒い残像となって駆け抜ける。彼の射撃はもはや制圧のためではなく、緻密な「芸術」だった。敵の重装甲を避け、生体兵の首の隙間や、センサーの中心を正確に射抜いていく。
バン! バン! バン!
湊が引き金を引くと同時に、曉の影が彼の側後方から躍り出た。彼女は湊の肩を蹴って宙へと舞い上がり、長刀で完璧な円を描く。
――斬。
三体の重装兵の首が同時に宙を舞った。曉は着地と同時に止まることなく湊と交差し、湊はリロードの合間に左手で暁の背を支え、彼女を再び敵陣の核心へと送り出す。
それは死角なき輪舞だった。湊が遠方の脅威と狙撃手を正確に排除し、曉は黒い旋風となって湊の周囲5メートル以内に近づく生体兵を塵へと変えていく。
「遅すぎるわ」
曉が冷徹に言い放つ。彼女の速度はすでに生理的限界を超え、虚空には残像の太刀筋と敵の血飛沫だけが残された。メデューサが誇る改造兵たちも、彼らの前では屠殺を待つ仔羊に過ぎなかった。
【基地核心ゲート前】
最後の近衛軍たちが自爆防御システムを起動させようと試みた。
「させるか」
湊の身が閃き、士官がスイッチを押す0.1秒前にその手の平を撃ち抜いた。間髪入れず曉が側翼から踏み込み、長刀を一突き――士官の胸ごと背後のコンソールを貫通させた。
曉はゆっくりと刀を引き抜く。刀身の血が銀色の床に滴り落ちた。彼女は顔を上げ、目の前にある巨大な、冷たい紫光を放つ核心ゲートを見据えた。
そこが、メデューサ本体の所在地だ。
「湊、着いたわ」
ゲートに映る自分たちの影を見つめ、曉の声は恐ろしいほどに静まり返っていた。
湊は拳銃を収め、頬の返り血を拭った。彼の深い眼差しには、ハリーの最期の言葉と、血溜まりの中でがいた今田の姿が焼き付いていた。
「これは組織の目標のためじゃない」
湊は低く呟き、ゲートにそっと掌を当てた。「ハリーのため、人類のため……そして、俺たちの余生のためだ」
「行きましょう」
曉が隣に立ち、二人の影がゲートの前で一つに重なった。
【一方その頃:医療区】
同時に、医療カプセルの中の今田が猛然と目を見開いた。体はまだ衰弱していたが、透明なハッチ越しに、入口で狂ったように銃を撃ち、自分を守り続ける凜の姿が見えた。
「凜……」
今田は震える手でハッチを叩いた。
彼はもう、後ろに隠れているだけの「通行人先輩」ではなかった。
医療区の赤信号が激しく点滅し、耳を刺す警報音と機械的な足音が入り混じる。メデューサの残存部隊が、ZERO-DELAYの退路を断とうとこの最後の避難所へ雪崩れ込んでいた。
凜は医療カプセルの前に立ち、肩で息をしていた。カプセルの電力表示が明滅するのを見つめ、奥歯を噛み締めて通路へと向き直る。
「この扉を通りたければ、私の銃に聞いてからにしなさい」
凜の瞳は刃のように鋭く、手にしたサブマシンガンから怒りの火線を吐き出した。押し寄せる自動機械兵を正確に撃退していくが、あまりの物量に弾薬は底を突きかけていた。
その時、医療カプセルから急激な排気音が漏れた。
今田は強引にハッチを押し開け、よろめきながら這い出した。視界はまだ霞んでいたが、本能が彼を凜の元へと突き動かした。
しかし、細くも力強い手が彼を制した。
「後ろに下がってて」
凜は振り返ることなく、冷徹で鋭い声を出したが、微かに震えるその声には彼女の恐怖が滲んでいた。「大丈夫、私に任せて」
「でも、君は……」
「黙って!」
凜が猛然と振り返った。その瞳には、いつもの強気の裏に一筋の涙が浮かんでいた。彼女は大腿部のホルスターからタクティカルピストルを引き抜き、迷わず今田の手に押し付けた。
「持ちなさい。今度は……もう二度と倒れないで」
今田は手の中の冷たい金属の感触に、凜の体温を感じた。彼は深く息を吸い、おぼつかなかった足取りをしっかりと踏みしめた。その眼差しは、いつもの卑屈さを捨て、揺るぎない決意を宿していた。
「……分かったよ、凜」
二人は背中合わせになり、狭い通路で最後の防波堤となった。凜の動きは跳ねる音符のごとく速く、今田の動きは平凡ながらも恐ろしいほど正確で、一発一発の弾丸が敵の側翼を封じ込めていった。
守備隊が敵の重装兵に押し潰されようとしたその時――。
――ドォォォン!!
通路の突き当たりの通気口から、幽藍色の電磁光束が貫通し、二体の重装兵の頭部を蒸発させた。
「あれは……彩静姉さま!」
凜が歓喜の声を上げた。
崩れかけた高台の上で、彩静は肩の激痛に耐えながら、梟の遺した電磁狙撃銃を鉄骨に固定していた。乱れる茶色のポニーテール、その表情には天才狙撃手としての絶対的な冷静さだけがあった。
「医療区周辺の脅威をロック。凜、今田、援軍を連れてキャンプへ撤退して。私が援護する」
バン! バン! バン!
銃声が響くたびに、脅威が一つずつ消し飛ばされていく。
彩静の神懸かり的な援護のもと、凜と今田は残った医療班と共にキャンプへと突入した。今田は今度こそ凜の背後を死守し、飛び散る破片から彼女を身を挺して守り抜いた。
ようやく安全なゲート内に逃げ込んだ時、凜はボロボロになりながらも自分を追い続けてきた「通行人先輩」を見つめ、初めて彼を罵らなかった。
「ねえ、今田」
「ん?」
「……ありがと」
凜はキャップを深く被り、赤らめた顔を隠した。
【本部指揮センター:最後の防衛線】
指揮センター内の灯りは、崩壊の衝撃で不規則に明滅し、空気には焼けた回路の臭いが立ち込めていた。神宮寺司司令は、目の前のデータストリームを穏やかに見つめていた。その深い瞳にはもはや焦燥はなく、湖のような静寂が宿っていた。
「零、すべての支援を医療区へ回し、負傷者を援護しろ。その後……ここに残っている全員を地上へ避難させろ」
『了解、司令。ですが……あなたの脱出ルートが指定されていません。キャンプで再起を図るおつもりですか?』
「いや、私はここに残る」
司令は懐から煙草を一本取り出し、火をつけずに指先で転がした。「自爆装置の最終認証には、指揮官のバイオメトリクスが必要だ。私はここで見届けなければならない」
通信が0.5秒途絶え、次の瞬間、零の激昂した声が響いた。
『神宮寺司令! 自爆装置は技術流出を防ぐためのもので、あなたが自殺するためのものではありません! あなたまでハリーのようにバカになったのですか!?』
零の珍しい怒りに、司令はただ小さく笑った。
「零、君は進化したな。人間の心配ができるようになった。私がここで認証しなければ、自爆は発動しない。ここを爆破しなければ、メデューサの残党はここを越えて凜たちを追撃するだろう。私がここにいる限り、この指揮センターが最高の『餌』になるんだ」
司令は零の返答を待たず、全域チャンネルへと切り替えた。
「私は神宮寺司だ。これより、私と共にしんがりを務める小隊を募る。これは、必ず死ぬ任務だ」
一瞬の静寂の後、整然とした、しかし力強い応答が返ってきた。
「C小組、了解。司令、最初から生きて帰るつもりはありません。門前で死を共にします」
「ああ、感謝する」
司令はチャンネルを閉じ、再びモニターを見据えた。「零、最終指令を実行しろ。全員避難だ。これは命令だ」
「司令が撤退しない……!?」
リロードを終えたばかりの凜は、零からの避難指示を聞いてその場に凍りついた。
「嘘よ……あんなに、最小限の犠牲で終わらせるって言ったのに!」
凜の声が震え、17歳の少女としての意地がその瞳に再び宿る。
今田は凜の腕を必死に掴み、火の海へ戻ろうとする彼女を止めた。
「凜! 行こう! あれが司令の覚悟なんだ!」
今田の目も赤く充血していた。彼は遠くの指揮センターを見据えた。「僕たちが残ったら、彼の犠牲が無意味になっちゃうんだ!」
高台の上では、彩静が狙撃銃を収めていた。彼女は指揮センターの方向を見つめ、ゆっくりと、正しい軍礼を捧げた。肩からはまだ血が流れていたが、その瞳には敬意が溢れていた。
「司令……後藤彩静、命令を受領しました」
C小組の兵士たちが、扉の両脇に重火器を構える。神宮寺司司令は煙草に火をつけ、深く吸い込み、白い煙を吐き出した。
「ハリー、あっちで寂しがってるんじゃないか、お前」
司令は拳銃のスライドを引き、金属音が静まり返った部屋に清々しく響いた。
「零、湊と曉、それに子供たちに最期の言葉を伝えてくれ」
「人生はギャンブルだ。未来を君たちに託す。……私の賭けが当たっていることを願うよ」
ドォォォン!!
敵の破甲弾によって扉が吹き飛び、強烈な光が、冷静に微笑む司令の顔を照らし出した。
司令の瞳の中で火光が躍る。硝煙と轟音の中で、彼は異常なほどに平穏だった。煙草が、燃え尽きる。
「ハリー、ミッチェル……すぐに行くよ」
司令の口元に安らかな笑みが浮かび、細長い指がコンソール上の、幾重にもロックされた赤いボタンを力強く押し込んだ。
【自爆シークエンス認証:生体照合――神宮寺司。カウントダウン:180秒】
ズゥゥゥン!!!
それはすべてを消し去る爆発ではなく、精密に計算された区域崩落だった。指揮センターの支柱が先に砕け、巨大な指揮塔が雪崩れ込んできた敵兵ごと、崩壊した鋼鉄の墓標となってメデューサの包囲網を押し潰した。
地響きが新宿全体を震わせた。
【キャンプ外縁:突破戦線】
背後から回り込み、キャンプの息の根を止めようとしていた改造兵部隊の過半数が、この大規模な崩落に飲み込まれた。炎の衝撃波が廊下を走り、残った敵をなぎ倒す。
「今だ!!」
今田は身を挺して凜を護り、衝撃が収まるや否や、誰よりも早く立ち上がった。「今だ、みんな突っ込め!」
「通行人先輩のくせに……今回は早いわね!」
凜は泥を拭い、奥歯を噛み締めた。背後で燃えながら地底へと沈んでいく指揮センターを見つめ、瞳の涙を意志へと変える。司令が命を賭して作ってくれた「隙間」を無駄にはしない。
「振り返るな! 全員――メデューサ本部に総攻撃をかけるわよ!」
凜の怒号に呼応し、生き残った執行官と援軍は、目覚めた獅子のごとく司令の遺した廃墟を踏み越え、最後の目的地へと突進を開始した。
【メデューサ核心ゲート前:南西方】
湊と曉は、足裏から伝わる激しい振動を感じていた。零(ZERO)との同期を通じて、自爆認証の起動音を聞いたのだ。
曉の体が微かに震え、刀に付着した血が手の震えで滴り落ちる。
「司令が……」
「曉、止まるな」
湊が彼女の肩を掴んだ。その漆黒の瞳には、かつてないほどの決意が燃えていた。「ここで俺たちが死ねば、全員の犠牲が無意味になる。残りの180秒で、メデューサを道連れにするんだ」
『自爆の衝撃でゲートの防御機構がダウンしたわ』
零の声は、今や葬列の鐘のように低く響く。
『権限奪取。……最後の殺戮を始めましょう』
ガシャァァン!
巨大な、冷たい紫光を放つ核心ゲートが、炎と震動の中でゆっくりと開かれた。
【メデューサ本部:最終領域】
ゲートの先は、もはや冷たい機材室ではなかった。そこは、純白の広大な空間。その中心で、一人の女性の形をした仮想イメージが、データで編まれた玉座に優雅に腰掛けていた。
「ようこそ。……神の、終着点へ」




