始まり
新宿地下の廃墟と化したトンネル。静寂を切り裂くように、最初の一発となる鋭い狙撃音が響き渡った。その弾丸はメデューサ前哨基地の赤外線スキャナーを正確に貫き、赤い警戒灯は狂ったように暗赤色の点滅を開始した。
「今この瞬間から、世界のことは気にするな。隣にいる奴だけを見ていろ。残りは俺たちが片付ける」
湊の低く、緊張感に満ちた声が全員のイヤホンに同期して響く。それは戦前の動員演説などではなく、互いに背中を預け合うための最後通牒だった。
「ニューヨークの部隊が後方から強襲をかける。A組(湊、曉、彩静、明、星玲、今田、凜)、お前たちの任務は東側からメデューサ基地全体へ浸透し、可能な限りの破壊工作を行って敵の防衛網をこちらへ引きつけることだ」
浸透部隊は、疾うに放棄された新宿支線の鉄路を進んでいた。トンネル両側の配管からは耳を刺すような蒸気の音が漏れ、空気には古い鉄錆の臭いと火薬冷却剤の熱気が混じり合っている。
この極限の圧迫感に、若い執行官たちは窒息しそうになっていた。
今田は手中のアサルトライフルを強く握り締め、指の関節が白く浮き出ている。彼は隣を走る凜を盗み見た。彼女はうつむき加減にサブマシンガンのマガジンを確認していた。鴨撃帽を深く被り表情は読み取れないが、微かに震える指先が、彼女の内面が表面ほど冷静ではないことを物語っていた。
そして列の最前線を行く湊と曉。二人は背中合わせに進み、その歩法はあたかも一つの生き物のようだった。この最強のコンビに言葉は不要だ。視線が交わるたびに、それは致命的な戦術指令へと変換される。
二キロメートル先、東京都庁横の超高層ビル屋上。
夜風が彩静の茶色い長髪を荒々しく乱すが、一メートルを超える狙撃銃は手すりの上で岩のように微動だにしない。寒風の中で銃口から吐き出された僅かな白霧が、瞬時に霧散する。
「青(Ao)、配置完了。待機中」
彼女の声は感情の一切を排し、冷徹だった。更衣室で見せた赤ら顔や不安など、初めから存在しなかったかのようだ。高倍率のサーマルスコープ越しに、彼女はメデューサ基地入り口に立つ二名の重装サイボーグ兵を既にロックオンしていた。
「零、環境パラメータ修正」彩静が低く命じる。
零(ZERO)のデータストリームが、即座に彼女の網膜上に展開された。
『風速3.2、湿度85%、距離2100。弾道校正完了。彩静、あそこにいるのは君の仲間だ。しっかり見ていてやれ』
「分かっているわ」彩静の指がトリガーにかかった。
その頃、指揮センター内。
神宮寺司司令は、巨大なホログラムマップの前に独り立っていた。その指の間には、火のついていない一本の煙草が挟まれている。
「ハリー、十七。新宿区内の全民間監視システムの接収を開始しろ」司令の眼差しは深く、その口調には死にゆく者特有の淡々とした響きがあった。
「了解、司令」ハリーの少年のような声が、今は異常なほど厳粛に響く。「メデューサの外壁ファイアウォールへ侵入中。十七は台北組のデータ連動を担当して」
「明、星玲」司令はモニター越しに、爆薬を設置しようとしている台北組の二人を見た。「危険を感じたら、撤退を優先しろ。これは司令としての個人的なアドバイスだ」
「司令、俺たち台北人は途中で投げ出す習慣なんてないんですよ」明はモニターの向こうで明るい笑みを浮かべ、イグナイターを起動させた。
「始めろ」湊の命令が下る。
ドン!
彩静の放った最初の一撃である徹甲弾が、基地大門の電力システムを瞬時に粉砕した。
ズドォォォン――!
明と星玲が設置した爆薬が東側の外壁を吹き飛ばし、巨大な突破口を開いた。
「突っ込め!」湊が怒号を上げ、硝煙の中へと真っ先に飛び込んでいった。
大戦が正式に火蓋を切った。そしてこの戦いの終着点には、犠牲の影が静かに、だが確実に全員を覆おうとしていた……。
爆破の硝煙が晴れぬ間に、重厚な合金の扉が轟音と共に崩れ落ちた。
冷たく硬質な機械感に満ちたこの地底基地内で、ZERO-DELAYのメンバーたちは足を踏み入れた瞬間、四散する死神と化した。その役割分担は、精巧な歯車のように噛み合っている。
「曉、俺から離れるな!」
湊は低く吠え、改造拳銃を両手に構えて残像のごとく敵陣へ突入する。曉は阿吽の呼吸で彼の側後方へと滑り込み、長刀と銃火が死の領域を編み上げていく。彼らの目的は明確だ。最速で戦域を横断し、南西方向へと突き進んで、そこで血戦を繰り広げている他の特級執行官たちと合流すること。
そこには、彼らと同じような「怪物」たちが、最終集結を待っているのだ。
同時に、明と星玲は逆方向へと猛然と駆け出した。
「星玲、カバーを頼む!」明は重い爆薬包を背負い、狭い通路を高速で移動する。
「分かってるわよ! 私のセンサーを振り落とさない程度に走りなさい!」星玲は片手でタクティカルタブレットを操作し、もう片方の手で正確な点射を繰り出す。
彼らは最短時間でメデューサ東翼の全動力源と冷却配管に爆薬を仕掛けなければならない。これは時間との戦いであり、同時に自らを死地に追いやる任務でもある。引火すれば最後、火柱が通路を呑み込む前に撤退しなければならないのだ。
そして、最も混乱し、最も危険な中心交戦区域に残されたのは、今田と凜だった。
彼らの任務は最も単純で、最も残酷だ。――ただ戦い続けること。
彼らはこの浸透作戦における「釘」だ。敵の胸元に深く突き刺さり、あらゆる火力と注意を引きつけ、他のメンバーに任務を完遂させるための。
「はぁ……はぁ……」
今田は耳元を掠める弾丸の熱気を感じていた。元来は臆病な性格だった彼だが、この瞬間、背後で響く凜の急切な射撃音を聞きながら、彼の脳は異常なほど冷静だった。
「凜、左側にサイボーグ兵が三体! 俺が抑える、お前が仕留めろ!」今田は大声で叫び、遮蔽物から飛び出して狂ったように火力を叩きつけた。
「あんたに言われなくても分かってるわよ、路人(通行人)先輩!」凜は歯を食いしばり、サブマシンガンから怒りの火線を吐き出させた。
『彩静、東側通路に不明な熱源を検知。明と星玲に急速接近中だ』零(ZERO)の声に焦燥が混じる。
「見えているわ」
二キロ先の大楼屋上で、彩静の茶色い長髪が激しくなびく。彼女の瞳孔が収縮し、赤外線モードで壁の向こう側の影を捉えた。
「メデューサのトラップ部隊ね……。明と星玲を袋小路に追い込んで爆殺する気だわ」
彩静の指がゆっくりとトリガーに沈み込む。指先は寒さと緊張で白く強張っていた。
「たとえこれが最後の戦いになっても、ミスだけはさせない」
ドン!
青い曳光を引いた特種狙撃弾が新宿の夜空を切り裂き、基地外縁の通風管を貫通。爆薬の集積所のすぐ隣にある自動消火システムを精密に撃ち抜いた。一瞬にして東側通路は濃霧に包まれ、明と星玲に決定的な五秒間の猶予を与えた。
新宿の上空には骨を刺すような寒風が吹き荒れる。彩静はこの絶対的な高度から全員を護りきれると信じていた。――あの紫色の流光が夜の帳を切り裂くまでは。
ギィン!
それは通常の火薬の爆音ではない。高圧電磁加速による咆哮だ。紫の弾丸は破滅的な運動エネルギーを伴って彩静の肩甲骨を掠め、彼女の背後にあった鉄製の避雷針を一瞬で粉砕した。
彩静はミリ秒単位の反応でローリングを行い、銃を構え直すと、サイドスコープで左側約800メートル先にあるビジネスホテルの屋上を捉えた。
そこには、華奢な体つきの少年が立っていた。一際目を引く薄い水色の髪。手には紫色の光を放つ重電磁狙撃銃を握り、こちらへ向かって傲慢な笑みを浮かべている。
メデューサ第一の狙撃手――梟。
『へぇ、“青”。君みたいに可愛い女の子だからって、手加減はしないよ』
イヤホンに強制割り込みのノイズと共に、梟の軽薄だが危険な声が響く。
彩静の瞳が一瞬で凍りついた。彼女は網膜上の補助照準を再校正する。この圧倒的な圧迫感。これまでの戦いで一度も出会ったことのない強敵だ。
「ふん。お坊ちゃま相手なら、私も手加減するつもりはないわ」
彩静は冷たく言い放ち、即座にトリガーを引いて報復の一撃を見舞った。
ドン!
弾丸は正確に梟の正面にある遮蔽物を粉砕した。
「零(ZERO)、トラブルよ」彩静はデータリンクで低く告げた。視線は梟の微細な動き一つさえ逃さずロックしている。「敵の第一狙撃手が介入。私はこいつに専念するわ。凜たちの背後の安全……一時的に貴方に預ける」
『了解。君のセンサー権限の一部を受領した』
零の電子音に重みが混じる。直後、膨大なブルーのデータストリームが、先ほどまで彩静が監視していた下方戦区を覆い尽くした。
『私の演算だけで支援できるのは恐らく十五分が限界だ。彩静、それまで死ぬなよ』
「勝つわ」彩静は深く息を吸い、ポニーテールを再び結び直すと、銃と一体化した。
その頃、彩静の遠距離支援を失った明と星玲は、圧力の劇的な増大を感じていた。
「くっ、モニター画面が全部真っ赤よ!」星玲が焦燥しながらタブレットを叩く。「明、最後の爆弾はどこ!?」
「すぐ先の冷却室コアだ!」明は重い鉄の扉を押し開けたが、彼は気づかなかった。ドア枠の上が不気味な赤色に点滅していることに。「急げ、これを仕掛ければ……」
ピピピ、ピピピ……!
「明! 危ない!」
ハリーの声が星玲のイヤホンで弾けたが、既に遅かった。
ズドォォォォン!!
冷却室の入り口に仕掛けられていたトラップ爆薬がメデューサによって遠隔起爆され、巨大な衝撃波が明と星玲を同時に吹き飛ばした。天井の鉄筋が歪んで崩れ落ち、彼らが今来たばかりの入り口を完全に封鎖した。
【メデューサ基地:東側中心区域】
彩静の精密な長距離火力を失い、戦場のリズムは混沌と狂気に染まっていた。本来なら狙撃弾によって排除されるべき重装兵の脅威が、今や交戦の中心にいる凜と今田へと殺到している。
『右側45度、十秒後に10時方向からカットインが来るぞ!』
『背後からの強襲に注意しろ。軽量装甲のサイボーグ二体が排気管から降下してくる!』
零(ZERO)の声がイヤホンの中で頻繁に切り替わる。その電子音には過負荷による震えさえ混じり始めていた。彼は人工知能として、数千の戦場変数を強引に演算し、彩静が抜けた防衛の穴を必死に埋めようとしていた。
「うるさいわね! 零、いちいちブツブツ言わないで!」
凜が鋭い怒号を上げる。その小柄な体は弾雨の中を高速で駆け抜けていた。激しい動きの中で黒いヘルメットが跳ね上がり、その下からナイフのように鋭く、どこか狂気を孕んだ瞳が露わになる。
援護を失った凜は、自らの射撃の天賦を崩壊の淵まで引き出すことを余儀なくされていた。遮蔽物を探すことをやめ、絶対的な速度で敵の群れを跳躍。手中のサブマシンガンからは、狂乱とも言える火線が吐き出され続ける。
だが彼女の背後で、今田は既に満身創痍だった。
腹部の傷口は激しい動きに従って絶えず出血しているが、彼は一歩も退かなかった。凜の視覚の死角を、必死に守り続けている。
「私のリズムに付いてこれないなら……視界から消えなさい!」
凜は今田に向かって叫んだ。口調は相変わらず辛辣だが、今田にはその声の奥に隠された震えが分かった。それは仲間を失うことへの恐怖だ。
【新宿天際線:都庁高台】
「……消えた?」
彩静は狙撃姿勢を保ったまま、こめかみを冷汗が伝い落ちた。先ほどの撃ち合いの後、梟の姿が熱源探知からも音響測位からも完全に消失したのだ。
これは一流の狙撃手にとって最も危険な信号。――相手が「狩りのモード」に入ったということだ。
彩静の指がトリガーの上で微かに震えた。梟は今、間違いなくどこかに潜んで彼女の眉間を狙っている。もし今、彼女が身を起こして下方の地上部隊を援護すれば、90%の確率で梟に頭を撃ち抜かれるだろう。
しかし、高倍率スコープの先には、血の海に倒れた明と星玲(信号は微弱だが)が見えた。腹部を負傷しながらも凜の前に立ち続ける今田が見えた。
彩静は深く息を吸い、茶色の瞳に静水のような落ち着きを取り戻した。彼女は梟を探すことをやめ、自らの防御を捨てた。
「自分の命よりも、仲間の帰る場所を守る方が大切よ」
彼女は防御用の鋼鉄シールドを力任せに跳ね除け、梟の射線が通りうる月光の下へとその身を完全に晒した。銃口を素早く動かし、凜を包囲している重装機甲へと再び狙いを定める。
「青、援護を再開する」
ドン――!
一発の徹甲弾が空気を切り裂き、凜の目前にいたサイボーグ兵の頭蓋を粉砕した。
ドン――!
二発目の弾丸が今田の側面にあった自動砲台を破壊した。
彩静はその瞬間、スナイパーとしての優位性を放棄した。彼女は自らの命を囮に使い、凜と今田が生き残るための「秒」を買い取っていたのだ。
寒風の中、彩静は息を殺して眼下の戦場を見据え、指先がトリガーを押し込もうとしたその時。
「危ない!」
長年の戦場で培われた直感が彼女の背筋を凍らせた。彼女は射撃を強引に中断し、体を右側へと極限まで転がした。
ズキュン!
鈍い衝撃音と共に、紫色の電磁弾丸が彩静のヘアバンドを掠めるようにして通り過ぎ、彼女が今しがた伏せていた床に焦げ付いた穴を穿った。
彩静は素早く反転し、右手で腰からタクティカルナイフを抜き放つと、左手で通信機を叩いた。
「こちら青。第一狙撃手が近接距離まで接近。零、下の援護は任せたわ。余所見をしている暇はない!」
『了解した。演算リソースを極限まで振り向ける。……無事でいろよ』零(ZERO)の声には重苦しさが漂っていた。
「へぇ、青。こんなに近くで君の可愛い顔を見るのは、ニューヨーク以来だね!」
影の中から梟がゆっくりと姿を現した。その薄い水色の髪は月光に妖しく輝き、手には同様に紫の幽光を放つ電磁ナイフを握っている。彼は無邪気な子供のように笑っていたが、その瞳は毒蛇のように冷酷だった。
彩静は彼の挑発を無視し、茶色のポニーテールを風になびかせた。重心を低く保ち、その瞳は刃のように鋭く研ぎ澄まされる。
「ニューヨークで仕留めきれなかったのは、私の不徳よ。今日、ここでその借りを返すわ」
二人の頂点に立つ狙撃手は、屋上で超近距離の格闘戦を開始した。刃が交錯し、耳を刺すような金属音が響く。狙撃手の近接戦闘に華やかさなどない。あらゆる手数は、わずかコンマ数秒の隙を作り出し、銃を抜いて仕留めるためのものだ。戦況は、死を孕んだ均衡へと陥っていった。
【地下基地:中心交戦区域】
一方、階下の戦場では既に均衡が崩れ去っていた。
「零! 左よ! 左側の音が消えたわ!」
凜は狂ったように叫び、手中のサブマシンガンは過熱によって白い煙を上げ始めていた。彼女の戦闘リズムは既に人類の限界を超え、跳躍しながらの一撃一撃が正確にサイボーグ兵の命を刈り取っていく。もしこれがゲームなら、彼女の動きは間違いなく「チート」と呼ばれるレベルだろう。
しかし、彼女は正面の濁流を食い止めることはできても、背後の綻びを護りきることはできなかった。
「ガハッ……!」
今田がよろめいた。その動きは目に見えて鈍くなり、視界は汗と血に濁っている。
零の音声ガイダンスがあっても、今田の身体反応はもはや追いついていなかった。さらに一発の流弾が彼の肩を削り取り、肉を抉った。それは本来「かすり傷」に過ぎないものだったかもしれないが、既に多量の出血を重ね、数十箇所もの挫傷を負った体にとって、それは彼を膝突かせる決定的な一撃となった。
「今田! 通行人先輩、何やってんのよ! 動きなさいよ!」
凜が振り返った時、膝を突きながらもライフルの筒先を支えにして必死に立ち上がろうとする今田の姿が目に入った。
「すまない……凜……」今田は無理やり弱々しい笑みを浮かべた。口角から血が滴り落ちる。「どうやら……君のリズムには、もう付いていけそうにないな……」
「うるさい! 私の許可なく脱落なんて許さないわよ!」
凜の声には涙が混じっていた。彼女は狂ったように掃射を続けながら、今田の側へと後退しようと試みていた。




