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ZERO-DELAY  作者: WE/9
引き継ぎ

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負傷者リスト

デスクの上には、雪片のように舞い込んだ戦術動員令、物資申請書、そして「美杜莎メドゥーサ」ウイルスの変異に関する最新の分析レポートが山積みになっていた。**ミナト**は腫れぼったいこめかみを揉み、血走った目でそれらを見つめる。ここ数日、彼は過剰なほどのブラックコーヒーだけでこの街の運用を支えていた。


「湊、彼らが戻ったわ」


オフィスの扉が開かれ、**アキラ**が落ち着いた足取りで入ってきた。その声には、珍しく微かな安らぎが含まれていた。


「お? あの騒がしい師弟か」湊は顔を上げ、電子ペンを置くと大きく息を吐いた。


「そうか、今日はもう今田と凜の休暇明け(收假日)だったな。時が経つのは早い……」


今田のあの実直な顔と、凜の激しいリズムを思い出し、重苦しかった気分が少しだけ和らいだ。しかし、彼はすぐに指揮官としての厳格さを取り戻し、真剣な表情で言った。


「まず医療班に今田の全身スキャンをさせろ。バイタルが安定していても、腹部の傷が9割以上塞がっていなければ、次回の新宿ノード突襲計画には参加させない。二度目の『今期絶望シーズンアウト』なんて、今の我々には耐えられないからな」


「彼らならもう医療班に向かったわ」曉は頷いたが、すぐにその瞳に陰が差し、語気が異常なほど冷たくなった。「でも湊、あの二人よりも、今あなたにはもっと深刻な問題があるわ」


湊の心臓がドクンと跳ねた。嫌な予感が背中を駆け抜ける。「どうした? Wが動いたのか、それとも……」


彩靜アヤセよ。彼女が倒れたわ」


【本部医療班:特別集中治療室】


湊が駆けつけた時、病室内には機器の規則正しい電子音だけが響いていた。


彩靜は真っ白なベッドに横たわっていた。いつも整えられていた茶色のポニーテールは枕の上に乱れ散っている。顔色は透明に近いほど蒼白で、普段はあんなに安定して銃を構えていた、黒い袖套アームカバーに包まれた両腕が、今は点滴を打たれながら力なく横に投げ出されていた。


「これはどういうことだ?」湊は傍らの空間――**零(ZERO)**のモニターへと向き直った。


「……申し訳ありません、湊さん。私も全力を尽くして彼女を止めたのですが」


零の電子音声は、自責の念に満ちているように聞こえた。


「ログによれば、後藤執行官は過去72時間において、シミュレーション訓練時間が20時間に達し、実戦任務への出席率は100%でした。彼女はすべての休息勧告を拒否し、美杜莎の外郭組織に対する掃討任務をすべて強引に引き受けていたのです」


「馬鹿な……」湊はベッドの少女を見つめ、声が怒りで震えた。「これじゃ自殺行為じゃないか!」


「彼女のデータパフォーマンスは完璧な水準を維持し続けていました。ですが30分前、射撃場での90回目のシミュレーション中、突発的な心不全によりショック状態に陥りました」零の声が沈む。「彼女が倒れる直前に下した最後のコマンドは……『凜と今田には教えるな』でした」


曉が入り口に立ち、昏睡する彩靜を見つめながら淡々と口を開いた。


「確信犯ね。彼女はあの日、今田が撃たれた時にサイドを守れなかった罪悪感を、この自虐的なやり方で埋めようとしたのよ。自分がもっと強く、もっと正確になれば、次の流血は防げると信じ込んで」


湊は沈黙した。彩靜の指先が赤く上気しているのを見て、その「天才ゆえの自負」が転じた「深い自責」が、敵の弾丸よりも鋭く彼女を傷つけたのだと悟った。


湊が戦術プランの策定に戻ろうと身を翻したその時、廊下の向こうから急ぎ足の足音が聞こえてきた。


検査を終えたばかりの今田が、凜に支えられながら歩いてきた。二人の顔には復帰の喜びが浮かんでいたが、湊と曉の険しい表情、そして「後藤執行官」の名札が掲げられた病室を見て、その笑顔は凍りついた。


「先輩……」今田は湊を見つめ、声を震わせた。「彩靜さんは……どうしたんですか?」


湊は一瞬躊躇したが、やがて口を開いた。「彼女は少し休みが必要なだけだ。そう……おそらく、しばらくの間な」


凜は何も言わなかった。だが、今田の腕を掴んでいた手は猛烈に強まり、その瞳にはかつてない動揺が走った。彼女は、彩靜が永遠に冷静で、永遠に後方から自分たちを見守る「眼」だと思い込んでいた。だが、その眼は過度な負荷によって、とうに血の涙を流していたのだ。


「零、司令室との面会を予約してくれ」


「了解、湊」


【司令室】


司令室の光は暗く、壁に映し出された巨大な新宿の立体地図だけが幽幽たる青い光を放っている。空気は鉛を流し込んだように重く、息が詰まりそうだった。


神宮寺司司令は主位に座り、指を組んで顎を乗せていた。その対面で湊が不安げに歩き回る。テーブル上の戦力分布図では、日本チームを象徴する駒が損傷を示す黄色い光を点滅させていた。


「司令、状況は想像以上に最悪です」湊は足を止め、テーブルに両手をついた。


「新宿突襲を前に、我々の小隊で動ける戦力は実質的に**ミン星玲シンリン**の二人だけです。今田の傷は塞がったばかり、凜はこの期間中つきっきりで看病にあたり、前回の爆発的な消耗からも精神・体力ともに全快とは言えません」


彼は深く息を吸い、声を震わせた。


「そこへ来て、最も安定していた彩靜までが倒れた。決戦前夜に、日本最強のはずだった小隊が傷病に蝕まれている。このままでは、新宿の防衛線に自ら突破口を明け渡すようなものです!」


湊は激昂し、血走った目で地図の赤点を見つめた。「今から他国の支援を仰いでも間に合わない。戦術の擦り合わせだけで一週間は消える。なぜ……なぜ私が指揮を執ってから、これほど問題が頻発するんだ!?」


湊の声が低くなる。それは指揮官という仮面の下に隠された、仲間への深い自責だった。


「自分を責めるな、神楽カグラ


神宮寺司令の重厚で揺るぎない声が、湊の混乱を断ち切った。司令は立ち上がり、窓の外で渦巻く暗雲を見つめた。


「戦場において唯一不変なのは『例外トラブル』だ。我々もかつて同じような絶境に立たされたことがある。今より酷い状況だったこともある。これは君のせいではない。我々が時間と競っているだけだ」


司令は振り返った。その瞳には、かつて第一線で戦っていた頃の殺気が宿っていた。


「新宿突襲の戦略は変えない。君と曉が直接、隊員として現場に降りろ。 指揮は私が執る。零と連携してバックアップする。子供たちが倒れたのなら、今度は我々『大人』が彼らの代わりに踏ん張る番だ」


湊は息を呑んだ。司令が自ら指揮を執り、かつての黄金コンビである自分と曉を最前線へ送り出す決断をするとは。


「その後の美杜莎との決戦については……」司令はため息をつき、眼差しを和らげた。


「彼らの回復を祈るしかない。もし彩靜と今田が間に合わなければ、権限を使ってニューヨークのハリーやミッチェルたちに支援を要請する。大きな借りは作ることになるが、この子たちの命に比べれば安いものだ」


「司令……」湊は老上司を見つめ、胸の不安が僅かに凪いでいくのを感じた。


「行け、神楽。曉に伝えろ。武装を整えておけとな。明晩、新宿で最後のアドバンス・ミッションを完遂するぞ」


【医療班 廊下】


凜は彩靜の病室の外に立ち、黒い鴨舌帽を固く握りしめていた。ガラス越しに管だらけの彩靜を見つめ、壁を背に必死に立っている今田を振り返る。


「ねえ、通行人先輩」凜の声は低く、かつてない決意を秘めていた。


「どうした、九条」


「私たち、守られてるだけじゃいられない。大人の背中すら見失ってしまったら、それは本当の敗北よ。明晩の新宿……這ってでも、私は行くわ」


【本部 メインホール】


警報が低く轟く唸りへと変わり、ホールの柔らかな照明が消え、刺すような赤い警戒灯が点滅を始めた。その光は、執行官たちの冷徹な横顔を等間隔に照らし出していく。


神宮寺司司令が指揮台に立ち、その威厳に満ちた声がスピーカーを通じて空間全体に響き渡った。


「注目せよ! これは演習ではない。東京本部と台北支部の初の大規模作戦統合である。目標は明確だ。新宿地下にある美杜莎の自動化補給ラインを完全に切断し、連中の物資源を断つ!」


ホールの中心に全息投影ホログラムが展開され、零(ZERO)の皮肉めいた、だが正確な戦術解説が始まった。


「皆さん、戦術コアの零です。今回の『断脈行動オペレーション・ベイン』では5つの小隊が同時に出動します。B、C、D、Eチームは東西南北の通風孔から突入。そして、当初の**Aチーム(日本最強組)**ですが、負傷者のため大幅な変更があります」


モニターに表示されたAチームの名簿には、巨大な黄色の警告ラベルが貼られていた。


「後藤彩靜執行官は身体衰弱のため、出撃不可。今田執行官は腹部の傷が未完治のため、戦闘序列から除外します」零は言葉を切り、厳粛なトーンになった。


「そして九条凜執行官。あなたは後方支援ロジスティクスに編入します。前線が崩壊するか、不可抗力による極端な事態が発生しない限り、あなたの登場は許可されません」


「続けて詳細な戦術を解説します……」


指令を聞き終え、執行官たちが散っていく中、凜は一人、ホールの隅でタクティカルジャケットを握りしめて立ち尽くしていた。その指先は白く強張っている。


「凜……」


今田が青い病衣の上に上着を羽織り、足を引きずりながら近づいてきた。戦場へ飛び出す準備はできているのに、ベンチへ押し込められた凜の悔しそうな表情を見て、彼の胸は痛んだ。


「そんな目で見ないでよ、通行人先輩」凜は振り向かず、氷のような声で言った。


「彩靜が倒れて、あんたは使い物にならない。そして私までモニターの前で湊先輩や曉先輩が命を懸けるのを見てるだけ……。こんなの、トンネルの中で死ぬより最悪よ」


「これも戦術の一環だ、九条」今田は静かに諭した。


「お前は俺たちのチームの切り札なんだ。今お前を使い潰して、美杜莎の反撃が来た時、誰がここを守るんだ?」


「守る?」凜は顔を向けた。その瞳に涙がよぎったが、語気は鋭かった。「チームメイトも守れないのに、この空っぽの本部を守って何の意味があるのよ!」


その傍らでは、明と星玲が武装の最終チェックを行っていた。台北から来たこのコンビのプロフェッショナリズムは凄まじい。明はいつものように穏やかな表情でマガジンを確認し、星玲は明るい笑顔で曉と湊にサムズアップを送る。


「任せてください、曉先輩、湊先輩」明は流暢な日本語で言った。「サイドは台北チームが引き受けます。初の統合ミッションで、東京チームに恥をかかせるような真似はしませんよ」


湊は警官時代の特注ベストに身を包み、不敵な笑みを浮かべた。だがその眼光は鋭い。


「いいだろう。あの美杜莎の化物どもに見せてやろうぜ。本当の『ゼロ・ディレイ(零延遲)』ってやつを」


司令の合図とともに、5つの小隊は夜の新宿へと消えていった。


本部内では、凜が冷たいモニターの前に座り、隊員たちのバイタルサインが一つずつ点灯していくのを見守っていた。彼女は待っていた。最も起きてほしくない、けれど戦うためには切望せざるを得ない「突発事態アクシデント」を。



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