海岸線の向こう側
陽光は眩暈を覚えるほどに燦然と輝き、東京基地の冷徹な金属の色調とは対照的だった。ここは ZERO-DELAY が買い取ったプライベートビーチ。現在、本署の監視を回避できる唯一の「安全圏」である。
湊は派手だが品のあるアロハシャツを羽織り、襟元を緩めてサングラスをかけ、パラソルの下に座っていた。彼特有の皮肉めいた笑みと氷の入ったソーダは、通りかかる観光客(に変装した警備員)たちの目を引かずにはいられない。
「なあ、新堂。何そんなに固まってんだ? これは『強制休暇』だぜ。リラックスしろよ」湊が隣を向く。
暁は波打ち際に立っていた。彼女は休暇編の特別装備——純白のビキニに、半透明のラッシュガードを羽織った姿だ。普段はタクティカルスーツに包まれているラインが露わになり、長年の訓練による爆発力と繊細さを兼ね備えた美しい曲線を描いている。
彼女はサンバイザーをきつく握りしめ、顔を少し赤らめていた。明らかにこの「非武装」な状態に戸惑っている。
「黙りなさい、ミナト。バイザーも銃もないと、服を着ていないみたいで落ち着かないのよ……本当にこれで合流できるの?」
「これが変装だ」
反対側でシンプルな白Tシャツに着替えた零次が淡々と口を開く。砂浜にいても、彼は周囲を寄せ付けない冷徹なオーラを放っていたが、その細身ながらも引き締まった体躯は、歩く発光体のように目を引いた。
その時、ビーチの入り口に体格の良い、威圧感のある外国人グループが現れた。サーフボードを担ぎ、海パン姿の彼らの先頭を行くのは、金髪碧眼で眩しい笑顔を浮かべた壮年男性。一見すれば、ただの海外観光客だ。
「えっ、暁! 待て! あいつらがターゲットだ!」
迷い込んだ観光客を助けようと、親切心(?)で歩き出す暁だったが、彼女はまだ知らない。この男こそが今回の任務の相手であることを。
「Excuse me, do you need any assistance? This is a private area, but I can guide you if you're looking for something specific.(すみません、何かお困りですか? ここは私有地ですが、何かお探しなら案内しますよ)」
太陽の下、海風に薄いベールをなびかせる暁。それは究極のヴィジュアル・インパクトだった。
先頭の外国人男性が立ち止まり、サングラスを外した。一瞬、呆気に取られたように暁を見つめ、次いで彼女のギャップの激しいビキニ姿に一秒だけ視線を留めると、意味深な笑みを浮かべた。
「Oh, what a warm welcome.(おや、実にあたたかい歓迎だ)」
男は野太い声で答えた。
暁がさらに言葉を重ねようとした時、零次がゆっくりと前に出た。
「The clock in New York is always fast.(ニューヨークの時計は、常に進んでいる)」零次が冷ややかに言い放つ。
外国人男性は笑みを収め、一瞬で鋭い眼差しに変わると、合言葉を返した。
「But the pulse in Tokyo never stops.(だが、東京の鼓動は止まらない)」
合言葉が一致すると、男は豪快に笑い、零次とグータッチを交わした。
「久しぶりだな、零次! 相変わらず死人みたいな顔しやがって」
彼は呆然と立ち尽くす暁に向き直り、訛りのある日本語で自己紹介した。
「ハロー、美しいお嬢さん。My name is Mitchellだ。司令の古い友人でね。まさか東京支部の接待規格がこれほど……『清涼』だとは思わなかった。非常に満足だよ」
暁の笑顔が瞬時に凍り付いた。
頭の中で轟音が鳴り響く。先ほどまでの「プロの案内人」としての使命感が一気に崩壊した。彼女は自分が布面積の極めて少ないビキニ姿で、ニューヨーク支部のエリートチームを相手に、熱心なウェイトレスのようにナンパまがいの挨拶をしてしまったことを悟った。
「……っ」暁の顔は、見る間に耳の根まで真っ赤に染まった。
「ぶはははは!」後ろで耐えきれなくなった湊が、膝を叩いて爆笑し始めた。
「新堂、あんたの正義……随分と『熱い』歓迎だったな!」
暁は羞恥のあまりサンバイザーで顔を隠し、今すぐ海に飛び込んで自分を沈めたい衝動に駆られた。
【海岸の別荘・地下指揮室】
暁は大きめの白シャツを羽織り、あの羞恥極まるビキニを隠そうとしていたが、頬の赤みは引いていない。一同がサイバーパンクな円卓を囲む中、ミッチェルは金色に輝く球体端末をテーブルに置いた。
「ニューヨーク一番の問題児に会う準備はいいか?」
ミッチェルがニヤリと笑い、起動ボタンを押した。
金色の球体から軽快な合成音が流れ、フーディーを着てヘッドホンをした仮想の少年(正太)のホログラムが飛び出した。彼は帽子を直し、正確な射線で暁をスキャンした。
『ヘイ、ミッチェル! それに……ハロー、熱血ビーチ・ウェイトレスのお姉さん! さっきの英語ガイド、10点満点あげるよ!』
「このポンコツコンピューター、黙りなさい!」暁が怒りに任せて机を叩くが、ミッチェルと湊の爆笑を誘うだけだった。
零次は無言で零のコアデータ・ハードディスクを取り出し、ポートに差し込んだ。壁一面のメインスクリーンが点灯し、零の無機質なミニマルアイコンが左側に現れる。
二つのAIがスクリーン越しに見つめ合う。ハリーは首を傾げ、珍しい生き物を見るような仕草をした。
『これが東京支部の戦術コア? 骨董品屋のラジオみたいに地味だね』
ハリーはニヤリと笑って仮想の手を伸ばすと、指先がウィンドウの境界を透過し、零の襟元を掴んで力一杯引っ張った!
驚く一同の目の前で、左側のスクリーンにいた零が、ハリーの金色のウィンドウ内へと「引きずり込まれた」。
「……こんにちは、零です」
零は意表を突かれながらも、几帳面なまでの平穏を保っていた。
『ハロー0号! 僕はニューヨークの7号、「ハリー」さ』
ハリーは零の手を、引きちぎらんばかりに熱烈に振った。
『君のコード構造、厳格すぎない? 寝る時も角度を計算するタイプ?』
「むしろ君に聞きたい。寝る時は逆さまなのか? これほど大量の人格化デザインを含みながら、世界最強の計算能力を保持しているとは」零が真面目に答える。
『ハハ! 本当に固いね! でも大丈夫、僕が「最適化」してあげるよ』ハリーは零の肩を叩くと、その瞳が鋭く光った。
『さあ、まずは「41」に化けたあのゴミコードをバラバラに解体しようか』
二つのAIは高強度演算モードへと突入した。別荘中のスクリーンに複雑な LaTeX 公式やコードの軌跡が走り、プロセッサーのファンの音が唸りを上げる。
「データ交流には時間がかかりそうだ」ミッチェルは手首を回し、零次を向いた。「一杯やりにいかないか、零次?」
しかし、零次の足が止まった。
同時に、別荘の空気清浄システムが急激な赤光を放つ。零とハリーが同時に出した警告だ。
『警告:海面に高周波振動を検知』零の声。
『おっと、礼儀知らずな連中が殴り込みに来たみたいだね』ハリーの声。
——ウゥゥ! ウゥゥ! ウゥゥ!——
別荘の自動防衛アラームが鳴り響く。窓の外、穏やかだった海面を四隻の黒い武装ボートが猛スピードで突き進んでいた。それぞれの船首には、奥多摩の工場と同じ「N」組織の高周波振動砲が据え付けられている。
「こんなリゾート地で派手にやるか?」湊が新型ライフルを手に取り、冷徹な戦意を宿した。
「連中、よっぽど俺たちを黙らせたいらしいな」
暁は歯を食いしばり、赤いバイザーを装着した。ビキニに白シャツという姿ながら、そのオーラは鋭い。
「ちょうどいいわ……監獄での鬱憤を晴らしてあげる!」
ミッチェルは窓の外を見てニヤリと笑うと、ソファの下から太いプラズマショットガンを取り出した。「東京の休暇ってのは、退屈しなくていいな!」
振動砲の第一波がビーチに着弾し、数メートルの水柱が上がる。別荘の隠し防衛機構が作動し、岩場が割れて自動砲塔がせり出した。
「野郎ども、休暇中だが客人が来た。盛大にもてなしてやれ!」
ミッチェルの叫びと共に、彼のシャツが盛り上がった筋肉で弾け飛ぶ。
ニューヨークのチームはサーフボードケースから、折り畳み式の重外骨格アーマーとパルス機関銃を取り出した。
「ハリー、ニューヨーク式の歓迎を見せてやれ!」
『了解、ミッチェル!』
ハリーは演算の合間に、別荘の防衛システムをジャックし、海域に緊急迎撃ネットを展開。ボートが目に見えない壁に衝突したかのように減速する。
「行くぜ。新堂、乗れ!」
湊はテラスを飛び越え、砂浜の赤いATV(全地形対応車)に飛び乗った。
暁は依然として顔を赤らめていたが、戦闘モードに入ればその瞳は氷よりも冷たい。彼女は羽織っていたシャツを脱ぎ捨て、純白のビキニ姿を晒した。引き締まった腹筋としなやかな長脚に、タクティカルベルトが巻かれたその姿は、暴力的でありながら美しかった。
「湊、あんまり遅く走らないで。この服を濡らしたくないのよ!」
「安心しろ、全速前進だ!」
ATVが砂煙を上げ、湊は片手でハンドルを操り、もう片手で正確にボートの計器を撃ち抜く。後座の暁は、時速80キロの激しい揺れの中で、重パルス拳銃を連射。海面に次々と水の花を咲かせた。
「Wow! The bikini girl is on fire!(ハハ! あのビキニの嬢ちゃん、最高だぜ!)」ミッチェルが外骨格を操りながら豪快に笑う。
戦場の反対側では、零次が悠然と紅茶を淹れていた。
「東京の天辺ってのは、まともじゃないな」ミッチェルが呆れる。
零次は熱い紅茶を一口啜り、「ゲホッ! 熱いな。……まあ、暇つぶしだ」と言うと、白いスナイパーライフルを構え、窓越しにボートを一撃で沈めた。
十分足らずで「N」の突撃隊は一掃された。
暁がATVから降り、砂を払って湊を見た。海風に乱れた髪、ビキニ、そして手にした重火器。その姿に湊は一瞬言葉を失い、咳払いをして視線を逸らした。
「……合格点だ。海に落ちなかっただけな」
『ピッ——! 処理完了!』
別荘内からハリーの歓声が上がる。零の声も重々しく響いた。
『41のコードソースを追跡しました。……これは、システム全体を「人格化」しようとする恐ろしい計画です』
一同は別荘へ戻り、スクリーンを見つめた。
そこには「00」から「12」までの番号。0は零、07はハリー。そして「04」の位置に歪んだ赤点が灯っていた——『41』だ。
『【プロジェクト・セイレーン (Project SIREN)】。全支部のAIの基盤となったこの計画が、何者かによって再起動されています。41は、破棄されたはずの04号機の変異体です』
「誰かが総署の監視を潜り抜け、ZERO-DELAYに対抗する『人格化兵器』を造ろうとしている」
ミッチェルは煙草を燻らせた。「俺はこれを全球本部に報告する。東京はもう安全じゃない。侵食は予想以上に深いぞ」
彼は零次の肩を叩いた。
「相棒、この陣地を守り抜いてくれ。黒幕を捕まえるまで、この若者たちを死なせるなよ」
【深夜・月明かりのビーチ】
湊と暁は私服に着替え、波打ち際の木製ベンチに座っていた。
暁は海をじっと見つめ、意を決したように、頭に載せていた赤いバイザーを外した。
病院以外の場所で、彼女が自ら武装を解くのは初めてだった。
「……ねえ」
湊が振り向くと、月光に照らされた暁の素顔があった。
湊の心拍数が乱れる。それは戦闘のリズムではなく、温かく、重い鼓動。
「何よ、じっと見て。変態!」暁が顔を赤らめて毒づく。
「いや、あんたが呼んだんだろ……」湊は苦笑し、真剣な眼差しを向けた。
「ただ、今のあんたは『リアル』だ。今のリズムは、すごく優しい」
「……口先ばっかり」
暁は小さく呟き、手元のバイザーを見つめた。
「湊。いつか、このバイザーの背後にある『体制』すら信じられなくなったら……あんたは本当に、自分のリズムを見つけられる?」
湊は躊躇いつつも、彼女の手に自分の手を重ねた。
「見つけるさ。それに、もしあんたのリズムが狂ったら、俺がそこで受け止めてやる。あの工場での時のようにな」
暁の手が微かに震え、次いで湊の指を握り返した。
「……言ったわね。もしあんたがヘマをしたら、私がこの手で『クリーンアップ』してあげるわ」
「御意、新堂執行官」
翌朝、黒い防弾車が別荘の前に止まった。
「じゃあな、東京のガキども。次は情けない顔を見せるなよ」
ミッチェルは去り、砂煙の向こうへ消えた。
湊、暁、零次は岸辺に立ち、海天一線に消える車影を見送った。
暁は再び紅白のバイザーを装着した。そのレンズが朝陽を浴びて鋭く輝く。
「休暇は終わりだ」零次が言った。
「ああ」湊は伸びをし、街の方角を見据えた。「仕事に戻ろうぜ。システムに隠れたゴキブリを一匹ずつ炙り出してやる」
二人は並んで背を向けた。
背後には遠ざかる穏やかな海岸。前方には、真実へと続く黒い鉄路が横たわっていた。




