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ZERO-DELAY  作者: WE/9
引き継ぎ

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68/102

少し休みましょう。

廊下には医療スタッフの慌ただしい足音が響き渡り、病室内には消毒液の刺すような冷たい臭いが立ち込めていた。


「よく聞いて、お嬢ちゃん。君の友達はさっきまで大量出血してたんだ。今はバイタルも安定してるけど、この後もし意識が朦朧としたり、熱が出たり、何か異変があったら、すぐにナースコールで知らせて。聞いてる?」看護師が記録板を手に、厳しく言い聞かせる。


「あ?……あ、はい。ありがとうございます、看護師さん」


**リン**はどこか上の空で答えた。彼女はベッド横の丸椅子に座り、肌身離さず持っていた黒い鴨舌帽キャップを脱いで、力なく膝の上に置いていた。分厚いタクティカルジャケットを脱ぎ去り、黒いタンクトップ一枚になったその姿からは、強靭な外見の下に隠されていた、少女らしい痛々しいほど細い腕が露わになっていた。


彼女は、腹部に何層ものガーゼを巻かれ、ベッドに横たわる**今田イマダ**を呆然と見つめていた。普段はヘラヘラと笑い、自分から「通行人先輩」と疎まれてばかりいた男が、今は不気味なほど静まり返っている。


凜の指先は無意識に帽子のつばを握りしめ、その瞳に宿るのは戦場での暴虐さではなく、深い無力感と不安だった。彼女は、今田が自分の身代わりに弾丸を受けたあの瞬間を思い出していた。あの厚い背中が、記憶の中にあるあの白髪の男の背中と重なって見えた。


「バカ先輩……ただの通行人のくせに……」彼女は自分にさえ聞こえないほどの小声で呟いた。


本部の最高地点では、避雷針が暗雲の下で孤独に佇んでいた。


**彩靜アヤセ**は一人、屋上の縁に座っていた。ここは彼女にとって最も馴染み深く、心を落ち着かせられる場所のはずだったが、今は高所の刺すような冷風が彼女の思考をかき乱していた。


執行官の正装に身を包み、黒い袖套アームカバーに覆われた両手を膝の上で重ねる。眼下に広がる街の灯りを見つめながら、彼女の脳裏には今田が撃たれた瞬間、コンテナに飛び散った鮮血の光景が何度も再生されていた。


狙撃手としての彼女の任務は、保護と監視。だが今日、彼女は自らの慢心ゆえに、仲間を失いかけた。


「今すぐ、凜に謝りに行くべき?」


「でも……彼女、今は私のことを恨んでるよね。私がサイドをちゃんと見てなかったせいなんだから」


「それとも今田が目を覚ましてから、二人一緒に謝罪しに行くべきなの?」


彩靜はうつむき、茶色のポニーテールが胸元に垂れた。常に冷静だったその表情は崩れ、深い自責と迷いが取って代わった。人見知りで社交が苦手な彼女にとって、こうした感情面での「技術的ミス」は、弾丸を一発外すことよりもどう対処すべきか分からなかった。


雨がぽつぽつと降り始め、彼女の袖套を叩き、濃い色に染めていく。


雨足は強まり、東京のネオンを斑な色へと変えていった。彩靜は雨にポニーテールを濡らすままにしていた。寒さで、黒い袖套の下の指先が白く強張っていく。


その時、屋上へ続く鉄扉が微かな摩擦音を立てた。黒い傘を差した人影がゆっくりと現れ、彩靜の後ろで足を止めた。


「そんなところで風に当たっていても、放った弾丸は戻ってこないわよ、彩靜」


それは**アキラ**の声だった。彼女は近づきすぎず、ただ傘を差したまま、天気の話でもするように平然とした口調で、彩靜の心の最も柔らかい欠落部分を的確に突き刺した。


ミナトがいないから、隊員のケアは私の仕事だと思ったの」


清廉で落ち着いた声。彩靜が顔を上げると、傘を握る曉が隣に立っていた。曉のマントが風に煽られて激しく音を立てる。氷のように冷たいその瞳は、今は責める色もなく、遠くの街並みを静かに見つめていた。


「曉先輩……」彩靜は消え入るような声で呼び、申し訳なさそうに視線を落とした。「すみません、低級なミスをしました」


零次レイジや湊に出会う前、私も何度も間違った選択をしてきたわ」曉は自嘲気味な懐かしさを込めて、ゆっくりと語り始めた。


「当時の私の能力は突出していたけれど、私が行くチームはいつも損害が酷かった。隊員が私のリズムについてこれないことが我慢できなくて……ストレスが極限に達して、戦場で指示通りに動かない仲間の足元に威嚇射撃をしたことだってあるわ」


彩靜は驚いて曉を見た。彼女の目には、曉は常に冷静で強大、絶対的な正義の象徴に映っていた。曉にそんな混乱した過去があったなど想像もできなかった。


「あの頃の私は……本当に狂っていたわ」曉は淡々と言い、視線を彩靜へ向けた。「でも、その過去があったからこそ理解できたの。チームワークは完璧な勝率を求めるためのものじゃない。ミスをした時に、誰かが引きずり上げてくれるためにあるのだと」


曉は言葉を切り、彩静の瞳を真っ直ぐに見据えた。その眼差しが厳格なものへと変わる。


「彩靜、覚えておきなさい。あなたたちのチームは、防御よりも『攻撃性』に振り切った凜を中心に構築されている。唯一の『眼』であり遠距離火力であるあなたは、常に仲間の安全を警戒しなければならない。けれど同時に……仲間が傷つくという重圧を背負う覚悟も持たなければならないの」


「重圧を……背負う覚悟?」


「そうよ」曉は硝煙の匂いが染み付いたその手で、彩靜の肩を優しく叩いた。


「もしあなたが、仲間が傷つくのを恐れて躊躇えば、あなたの照準は狂う。あなたの自責は今田を救わない。今田たちを次の戦いで生かして帰せるのは、あなたの手にある、絶対に揺るがない一挺の銃だけなのよ」


彩靜は曉を見つめた。傘の縁から雨が滴り落ちる中、心の奥底にあった氷のような窒息感が、曉の冷たくも重厚な経験によって、ゆっくりと溶かされていくのを感じていた。


病室内、心電図の規則正しい「ピッ、ピッ」という音が静寂の中に響いていた。窓外の雨は次第に止み、洗われた空気には清涼な湿り気が混じっていた。


どのくらいの時間が経っただろうか。ベッドの上の今田のまぶたが微かに動き、重い意識がようやく闇を突き抜けて覚醒した。


目を開けると視界はまだぼやけていたが、最初に感じたのは腹部の鈍い痛みだった。無意識に体を動かそうとして、自分を抑えつけるような重みに気づく。


焦点が合うと、彼は呆然とした。


凜がベッドの脇に突っ伏し、あの黒い鴨舌帽を枕にして眠っていたのだ。普段は帽子の中に隠されている黒い長髪がシーツの上に乱れて広がり、細い腕はベッドの縁を固く握りしめている。夢の中でも眉間に微かな皺を寄せているのは、先ほどの戦場の焦燥の中にまだいるからだろうか。


「……?」今田の脳がゆっくりと再起動し始める。


天井を見つめながら、記憶が断片的に蘇る。撃たれた時の焼けるような感覚、無理やり負傷者を守り抜いたこと、凜の怒りと驚愕に満ちた顔……そして世界が暗転した。


(こ、これはどういう状況だ? 噂に聞く主人公限定の病室ラッキーイベントか?)


今田は心の中でツッコミを入れ、自分を落ち着かせようとした。眠っている凜を見つめる。刺々しい武装を脱ぎ捨てた今の彼女は、どこにでもいる普通の強情な少女に見えた。その頭を撫でようかと迷い、手が僅かに動いた瞬間、ベッドの微かな振動が、危険に対して極めて敏感な射撃の天才を目覚めさせた。


「……!」


凜は弾かれたように顔を上げ、瞬時に鋭い視線を取り戻した。しかし、目を開けて気まずそうに自分を見ている今田の姿を捉えた瞬間、その鋭さは霧散し、剥き出しの狂喜へと変わった。


「今田!」


今田が反応する間もなく、凜は帽子を放り出し、彼に飛びついてその首に強くしがみついた。


「うっ……ううっ……この大バカ通行人……っ!」


今田は硬直した。腹部の傷が僅かに引き攣れたが、痛みなど感じないほど脳がフリーズしていた。


「り、凜? 落ち着けって……い、痛い……」今田は戸惑いながら低く囁いたが、首筋に伝わる少女の震えと湿り気を感じ、その眼差しも次第に穏やかなものへと変わっていった。


彼はゆっくりと手を伸ばし、その小さな体を抱き返した。


遠い昔、凜が冗談めかして「ハグ一回につき給料天引きね」なんて減らず口を叩いていたことを思い出す。あの時の抱擁は少女の悪戯だった。だが今、この抱擁は重く、震えていて、あまりにも真実だった。


医務室の入り口で、扉を開けようとしていた彩靜が動きを止めた。


彼女は陰の中に立ち、ドアの隙間から見えるその温かく、けれどどこか胸が締め付けられるような光景を見つめていた。その手には、謝罪のために持ってきた高級チョコレートの箱がある。黒い袖套の下の指は箱をきつく握りしめ、白い指先がさらに白くなっていた。


「……今は、入ったら凜に殺されそうね」


彩靜の後ろから声がした。曉がいつの間にかそこに立っていた。彼女は彩靜を見つめ、淡々と言った。「二人きりにしてあげなさい。彩靜、オフィスへ行くわよ。湊が忙しさで死にかけてるわ」


彩靜は黙って頷き、最後にもう一度だけ病室を振り返ると、曉の後に続いた。


廊下には重く規則正しい足音が響く。今田は片腕を凜の肩に回し、体重の大部分を彼女の小さな体に預けていた。腹部の傷は処置済みとはいえ、一歩踏み出すごとに神経を逆撫でし、彼は足を引きずりながら進むしかなかった。


凜はいつもの刺々しさを鳴り潜め、うつむいたまま、黙って今田の杖代わりとなっていた。慎重にオフィスの重い扉を押し開ける。


室内の空気は異常なほど重苦しかった。曉は壁に背を預け、無表情に腕を組んでいる。湊は疲労困憊の様子で、机に山積みになった戦術書類や動員令を血走った目で処理していた。傍らに座っていた彩靜は、今田が入ってきた瞬間に体を硬直させ、その清廉な顔に緊張を走らせた。


「よお、今田。話は聞いてるよ」湊は電子ペンを置き、深い申し訳なさを込めて顔を上げた。


「悪いな、今は状況が混乱しすぎてて、見舞いに行く時間も取れなかった」


「大丈夫ですよ、湊先輩。俺もそんなにヤワじゃないですから」今田は無理に笑みを作り、視線を所在なげにしている彩靜へと向けた。


今田は深く息を吸い、真剣な口調で切り出した。「彩靜、これからも……凜の援護を頼むよ」


「えっ?!」


彩靜は弾かれたように立ち上がった。驚愕して今田を見つめ、助けを求めるように曉と視線を交わした。


「あの……ごめんなさい!」


彩靜は突如、今田に向かって深く頭を下げた。勢い余って茶色のポニーテールが胸元へ跳ねる。黒い袖套の下の指先は不安げに制服のスカートを握り、声は微かに震えていた。


「私が零(ZERO)に『二人を監視できる』なんて大口を叩いたのに、慢心からサイドの警戒を怠った……そのせいで、こんなことに。すべては私の責任です」


オフィスに短い沈黙が流れた。今田は、普段は機械のように冷徹なこの「天才狙撃手」が、今は間違いを犯した子供のように怯えているのを見て、凜の支えをそっと外し、痛みに耐えて背筋を伸ばした。


「彩靜、顔を上げてくれ」今田は穏やかに言った。「戦場に100%の予判なんてない。君は負傷者を救い、あの敵を仕留めてくれた。もし君がいなかったら、俺は今頃ベッドじゃなくて霊安室に寝てたはずだ」


彼は隣で気まずそうにしている凜を一瞥し、言葉を続けた。


「それに分かってるんだ。君が後ろで見守ってくれているからこそ、凜はあんな命知らずな攻撃ができる。だから、これからも俺たちの『眼』でいてくれ」


彩靜はゆっくりと体を起こした。青白くも揺るぎない今田の瞳を見つめ、何も言わずに小さく頷く凜を確認すると、彼女の指先の震えは止まり、代わりに静かな力強さが宿った。


「……分かりました」彩靜は囁くように答え、その瞳に「青」としての冷静さを取り戻した。「一発の弾丸が尽きるまで、二人の背中を守り抜きます」


和やかさを取り戻した小隊を見て、湊は満足げに頷いた。しかし、今田の体を心配そうに見つめると、厳しい口調で告げた。


「決まりだ。お前ら二人は、大戦の一週間前まで休暇を取れ」


湊がこめかみを指で押さえながら放った言葉に、オフィスの空気は凍りついた。


「はぁ?! ちょっと待ってくださいよ、先輩!」凜が尻尾を踏まれた猫のように跳ね上がり、顔を真っ赤にした。


「なんで私も休みなんですか! 怪我したのはこの通行人先輩でしょ、私じゃない! 訓練だってまだ山ほど……」


「今のあんたは、怪我してるのと変わらないわ」曉が傍らから冷徹に、本質を突き刺した。


「心が乱れているのよ、凜。それに、一番馴染みの相棒と出撃できない今のあんたが任務に出れば、自分どころか守りたい相手まで死なせることになる」


凜は下唇を噛み、反論の言葉を飲み込んだ。蒼白な顔の今田を振り返り、その瞳に葛藤が走る。


「それにだ」湊は今田を見て、意地悪な笑みを浮かべた。


「今の今田は歩くのだって一苦労だ。帰る途中で傷口が開いたり、着替えや食事の世話をする奴がいなけりゃ、それこそ本当に『今期絶望シーズンアウト』、事務職行きだ。自分の盾がスクラップになるのを見てられるか?」


「……それは自業自得よ、いい気になって英雄ぶるから……」凜は毒づいたが、今田の腕を支える手には、彼がそこにいることを確かめるように力がこもっていた。


「そういうことだ。宿舎の連動権限は申請しておく。凜、今田の傷の手当て、ガーゼの交換、それから食事の管理。全部あんたに任せる。命令だ、九条執行官」


「ちっ……分かったわよ! 全く面倒くさい!」凜は嫌悪感を剥き出しにして今田を睨みつけた。「おい! 通行人先輩、聞いたか? この期間中に傷口がどうこうなんて泣き言言ったら、私が直々にバラバラにしてやるからね!」


「……お手柔らかに頼むよ、九条メイドさん」今田は、心配でたまらないくせに素直になれない凜を見て、柄にもなく冗談を飛ばした。


「誰がメイドよ! 死にたいの!?」


夕陽が二人の影を長く引き伸ばしていた。凜は二人のタクティカルバッグを背負い、もう片方の手で今田をしっかりと支え、足を引きずりながら宿舎への廊下を歩んでいく。


彩靜は遠くの角に立ち、渡しそびれたチョコレートの箱を抱えて、二人の後ろ姿を静かに見守っていた。


「挨拶しに行かないのか?」**ミン**がどこからか現れ、棒付きキャンディを転がしながら尋ねた。「貴重な平和な時間だぞ」


「いいえ」彩靜は首を振り、黒い袖套の下の指で箱をそっと緩め、微かな微笑みを浮かべた。「今のあの二人には、『監視する眼』なんて必要ないから」


彼女は背を向け、訓練場へと歩き出した。二人が休んでいる間、彼女はもっと強くならなければならない。大戦が訪れた時、二人を絶対に守り抜く守護神になれるように。



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