悲しんでいる暇はない
ZERO-DELAY 戦略最高会議室
長テーブルの両側には世界各地の支部から集まった高層たちが並び、空気は固く凍りついていた。モニターに映し出された白鷺零次の顔写真には「グレー(登録抹消)」のラベルが貼られている。それは組織にとって単なる戦力の損失ではなく、一つの灯台が消えたことを意味していた。
「零次が『隊長』を務めて、もう十年になる」一人の高層がデスクを叩き、厳しい口調で言った。
「この役職に実質的な行政裁決権はない。だが、彼は部隊の魂だった。この十年間、あの矛盾に満ちた冷静さと人間性で、崩壊の淵に立つ全隊員たちの理性を繋ぎ止めてきたのは彼だ。今、誰がその後を継げるというのだ?」
「神楽湊はどうだ?」別の者が提案した。
「彼の戦術指標はすべてトップクラスだ。元警察官としての応変能力も備えている」
「湊は確かに天才だ。だが、彼は零次ではない」年老いた委員の一人が首を振った。
「我々老いぼれとの政治的駆け引き、そして極限の戦場において敵を震撼させ、戦友を安堵させるあの絶対的な存在感……湊はまだ若すぎる。優秀な指揮官にはなれるだろうが、『支柱』となるには力不足だ」
会議室に沈黙が流れる。零次の強さは、新兵に最も優しい言葉をかけながら、同時に最も残酷な手段で戦場を掃討できる点にあった。その極致とも言える矛盾は、今の湊にはまだ越えられない溝だった。
その時、終始沈黙を守っていた神宮寺司令がゆっくりと目を開いた。穏やかだが拒絶を許さない権威に満ちた声が響く。
「一人の人間で零次を代用できないのなら、二人を使えばいい」
彼はモニターに二つのファイルを表示させた。
「新堂 暁。彼女は現在、純粋な戦闘力において唯一零次の領域に触れうる存在だ。彼女の存在は戦場における絶対的な武力制圧であり、隊員たちに直感的な自信を与える。彼女は『影』の利刃だ」
「神楽 湊。彼は対人交渉に長け、トップクラスの戦場指揮能力と洞察力を持っている。組織を円滑に動かす潤滑剤だ。彼は『意志』のナビゲーターだ」
司令は一同を見渡し、最終決議を下した。
「暁に戦術裁決と武力威嚇を、湊に現場指揮と人心掌握を任せる。暁を、何者にも脅かされない『強さの象徴』とし、湊を、大衆を導く『理性の声』とする。この二人の結合こそが、今我々が構築しうる最も完璧な継承案だ」
新しい任命状が下った時、湊と暁は窓辺に立ち、下方でメンテナンス中の黒い列車を見つめていた。
「隊長、か……」湊はモニターに映る役職名を見て自嘲気味に笑い、隣に立つ冷徹な暁を振り返った。
「なあ新堂、こいつは苦労しそうだ。お前が前で人を殺し、俺が後ろで『なぜ殺したか』を説明して回る。最悪なコンビになりそうだな」
暁は振り向かず、ただ窓の外を見つめたまま淡々と言った。
「……もし貴方の指揮がミスをすれば、貴方が敵に殺される前に、私が貴方を処理するだけよ」
「はは、お前らしいな」湊は背伸びをし、その瞳に深い光を宿した。「先輩が遺したこの後片付け、しっかり守り抜かないとな。……あの子たちが、俺たちを見ているんだから」
彼はデスクに置かれた零次の白いスーツを見つめ、暁は金庫の中の退職用の航空券を見つめた。二人は分かっていた。自分たちは零次の代わりではない。零次がこの世界のために最後に遺した、最強の防衛線なのだと。
任命状が下ってから数日、東京支部の空気には微妙な変化が生じていた。
凛は整備エリアの二階に立ち、下で戦術を練る湊と暁を見下ろしていた。黒いベースボールキャップを目深に被り、両手をポケットに突っ込んで鼻を鳴らす。「隊長があの回線切れ先輩と暁姉さん? この組織、解散まで秒読みじゃないの?」
口からは毒しか出ないが、凛の強張っていた肩は明らかに緩んでいた。彼女は心の奥で分かっていた。この二人以外、あの場所に立つ資格のある者はいない。本部の空降部隊が来るより、この継承こそが彼女に隠かな安らぎを与えていた。
一方の今田は、呆然と皆を見つめていた。凛を慰めるための言葉を山ほど用意し、ティッシュまで買っておいたというのに、皆の立ち直りの速さは驚異的だった。悲しみを効率へと変えるその冷徹さと強さに、今田は ZERO-DELAY の核心メンバーと自分という「普通の人」との埋めがたい差を痛感していた。
深夜:暁の部屋
狭い窓から月光が差し込み、禁欲的なその部屋には今、稀有な優しさが満ちていた。
暁はシャワーを浴びたばかりで、髪の先にはまだ湿り気が残っている。ゆったりとしたバスローブに身を包んだ彼女は、戦場の死神ではなく、少し疲れを見せて湊の腕に寄り添っていた。湊はベッドの端に座り、逞しい腕で彼女の肩を抱き寄せ、その細い体を自分の胸に預けていた。
「湊……」暁は天井を見つめ、少し掠れた声を出した。
「私たち、本当に『隊長』になったのね」
「ああ、そうだな」湊は彼女の濡れた髪を遊びながら、軽いトーンで返した。
「……これから隊員たちの前で、もう貴方に手を引かれたり、弱さを見せたりしてはいけないのかしら?」暁の瞳に不安が過る。隊長の座は名誉であると同時に、枷でもあった。魂の支柱という重圧が、自分から「人間」としての柔らかさを奪ってしまうのではないかと恐れていた。
湊はそれを聞き、すぐには答えなかった。彼は不意に、暁の手を強く握りしめた。指を絡め、暁が微かな痺れを感じるほどの力強さで。
「緊張するな、新堂隊長」湊は彼女の耳元に顔を寄せ、安心させるような低い声で囁いた。
「先輩を神様か何かだと思ってるのか? 零次さんだって昔はたまにヘマしてたさ、お前が見てなかっただけでな。あの人が支柱だったのは、自分を偽らなかったからだ」
彼は彼女の手をさらに強く握り、強引だが優しい口調で続けた。
「外ではお前は絶対的な武力の象徴だ。でも、ここではただの『暁』でいい。お前らしくいろ。面倒なことは全部、俺が片付けてやる」
暁は絡み合う二人の手を見つめた。湊の強引な優しさに、心の不安が溶けていく。彼女が何かを言いかける前に、湊はふっと身を乗り出し、彼女の綺麗な額に軽くキスをした。
「考えすぎると早く老けるぞ。おやすみ、隊長殿」
暁は一瞬呆然とし、冷ややかだった頬に淡い朱が差した。彼女は顔を伏せ、湊の首筋に顔を埋めると、極めて小さな、消え入りそうな声で答えた。
「……おやすみなさい」
その夜、地下トンネルでは黒い列車が静かに待機していた。新しい隊長たちは嵐の前の、束の間の静寂を分かち合っていた。
新しい一日が始まる。ZERO-DELAY 東京支部の基地には、消えぬ機油の匂いと、息が詰まるような緊迫感が混ざり合っていた。
メデューサの最初の進攻は阻止されたが、誰もが分かっていた。これは大戦前の短い休息に過ぎない。零次の死は基地の防壁に亀裂を入れ、その隙間を緊張と不安が埋めていた。
隊員たちが戦術整備に追われる中、基地の放送システムからクリアな電子音が響く。**零**の、平穏だが権威ある声が廊下の隅々まで届いた。
『各員に告ぐ。全職員へ通達。』
『近日中にメデューサとの決戦が予想されるため、現段階より「防御的交戦状態」へ移行する。任務中にメデューサのメンバーに遭遇しても、深追いは厳禁とする。すべては戦力温存、および自身の安全確保を第一優先とせよ。』
放送が少し間を置き、さらに厳粛なトーンに変わる。
『なお、新任隊長の二人――神楽湊、新堂暁は、直ちに第一会議室へ出頭せよ。以上。』
「なによ、あいつらに会っても追っちゃいけないわけ?」凛はソファに寄りかかり、放送を聞いて不機嫌そうに唇を尖らせた。
「洗脳されたゴミ共を野放しにする方が脅威でしょ?」
彼女は黒いベースボールキャップを深く被り直し、瞳には負けず嫌いな強情さを宿した。師匠を失ったばかりの彼女にとって、戦闘だけが唯一の感情の出口だった。
「命令だよ、九条」今田は傍らに立ち、零次から譲り受けた黒い銃を丁寧に拭いていた。その口調は以前より落ち着き、どこか先輩らしい風格を漂わせている。
「僕らだって先輩の仇を討ちたいけど、今は不用意に動けば敵の罠に嵌まるだけだ。それに……君の反応速度なら、あいつらが目の前に現れたところで大した問題じゃないだろ?」
凛はそれを聞き、今田を横目で睨んだ。かつて臆病だった「通行人先輩」の瞳に宿る意志の強さを見て、彼女の鋭い防衛本能が少しだけ緩み、彼の成長に微かな驚きを感じていた。
「ふん、口が上手くなったじゃない、通行人先輩」凛は銀色の手袋……ではなく銀色の手銃(拳銃)を鮮やかに収め、上着を掴んだ。彼女の口元に挑発的な笑みが浮かぶ。
「まあいいわ! 行くわよ、通行人先輩。仕事よ! 追撃がダメなら、逃げる前に一発で仕留めればいいだけでしょ!」
「あ、おい! 待ってくれよ!」今田は慌てて銃を収め、小さくも殺気に満ちた背中を追って走り出した。
【第一会議室】
自動ドアが滑らかに開いた。
湊と暁が並んで室内に入る。暁の髪からはまだ昨夜の微かな香りが漂い、その瞳はいつもの冷徹さと正確さを取り戻していた。湊は清々しい表情をしていたが、入室の直前、机の下で暁の手のひらを無意識に握り、二人だけの励ましを伝えてから自然に手を離した。
会議室の大型スクリーンには、メデューサの最新の世界規模の移動軌跡が映し出されている。
神宮寺司令が振り返り、新しく任命された二人の「部隊の支柱」を見つめた。
「隊長の両名、よく来た」零の声がスピーカーから響く。
「これから話すのは、メデューサの真の首領についてだ」




