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ZERO-DELAY  作者: WE/9
死神の信物

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58/102

休憩

特訓が二時間目に入ると、訓練場内の酸素は激しい熱量によって焼き尽くされたかのようだった。零次の指令に従い、四人は項目を交代。それぞれが最も不得手とし、かつ生存確率において最重要となる「弱点補強」のフェーズへと突入した。


凛は、普段は魂の一部のように扱っている黒いキャップを脱ぎ、無造作に放り投げた。露わになった額には汗が滲む。彼女は黒い長髪をヘアゴムで高いポニーテールにまとめ、邪魔な上着を脱ぎ捨てた。身に纏うのはタイトな黒のスポーツタンクトップ一枚。華奢な肩には汗が光り、両手にはタクティカルバンテージが巻かれている。


彼女の項目は、絶対領域からの射撃から近接格闘へと切り替わった。


「ドォン!」という重い衝撃音。凛は巨大な二足歩行訓練用ロボットのなぎ払いを受け、三メートルも吹き飛ばされて緩衝マットに激突した。


精密な弾丸を操る射撃に比べ、小柄な彼女にとって近接格闘は圧倒的に不利だ。体重とリーチの差により、ロボットの鋼鉄の肢体を前に、彼女は何度も叩き伏せられた。


「姿勢が高い。」零次の声が場外から冷淡に響く。「射撃のリズム感に頼りすぎだ。接近戦でのリズムは相手が支配するものだ。立て。トンネルの中で腰をへし折られたくないのならな」


凛は奥歯を噛み締め、唇から一筋の血が滲んだ。彼女は再び立ち上がる。その瞳に宿る強情さは刃のように鋭い。彼女は正面衝突を避け、夢の中で見た「壁を抜ける少女」の軽やかさを思い出しながら、ロボットの駆動系の隙間を探り始めた。


凛の激しさとは対照的に、今田の訓練エリアは異様な空気を放っていた。彼の前には複雑な動態障害ゾーンが広がり、無数の回転刃、火炎放射、そしてランダムに落下する巨石が配置されている。


今田が訓練しているのは、**戦場でのポジショニング(走位)**だ。


重いウェイトベストを着込み、滝のような汗を流しながらも、彼の平凡な瞳には驚異的な集中力が宿っていた。爆発的な力はないが、彼は「細部を観察すること」にかけては天才的だった。


火炎が噴射される一秒前のバルブの震えを見抜き、回転刃の軌道のわずか千分の一秒の偏差を察知する。鋼鉄の糸の上を這う蜘蛛のように、その動きは優美とは程遠く、むしろ無様ですらあったが、あらゆる回避は死の境界線を的確に掠めていった。


「いいぞ、今田」零次は彼の軌跡を見つめ、密かに頷いた。「お前はチームの『目』だ。全員が突撃している時、お前だけは生き残り、皆を出口へ導かなければならない」


**アキラ**は中距離射撃ポジションに立っていた。彼女には零次から最も過酷な禁令が下されていた。ショットガンの使用禁止、およびナイフの使用禁止だ。


ショットガンで強引に道を切り開き、ナイフで優雅に仕留めるスタイルに慣れた暁にとって、それは両腕を切り落とされたも同然だった。彼女は今、単発のタクティカルライフルのみを使用し、四方八方から迫り来る仮想敵に応戦している。


「武器の特性に頼りすぎだ」零次のホログラムが少し離れた場所でミナトに語りかけていたが、それは明らかに暁に向けられた言葉でもあった。「ショットガンの制壓力(火網)を失っても、お前は正確に戦場を支配できるか?」


暁の表情は依然として冷徹だったが、引き金を引く速度は次第に上がっていく。一発一発のセミオート射撃が、標的の関節や急所を確実に穿つ。彼女は決戦を前に、自らを全能の殺戮兵器へと作り変えようとしていた。


ミナトは依然として廃墟の戦場に閉じ込められていた。


対戦相手は「全盛期」の零次の投影。白い影が廃墟の中で現れては消える。それは「残像歩」の極致だった。ミナトの呼吸は完全に乱れ、全身は仮想センサーがもたらす火傷のような熱に覆われていた。


「まだ遅いぞ、神楽」投影された零次は空中で高難度の回し蹴りを放ち、ミナトの練習用銃を弾き飛ばした。「リズムが迷っている。俺にどれだけの時間が残されているかを考えているな。俺をどう殺すかを考えろ」


ミナトは瓦礫の山に突っ伏し、激しく肩で息をした。目の前の完璧で、強大で、それでいて幻のような零次を見つめ、昨夜の無力感と悲しみが再びこみ上げる。


「先輩……」ミナトは体を支えて顔の汚れを拭い、瞳に狂気じみた炎を宿した。「あんたの言う通りだ。行ってしまうというのなら、この一ヶ月で、あんたの強さの証を全部、俺の骨に刻み込んでやる!」


特訓が四時間目に入ると、激しい動きと機器の稼働により訓練場内の温度は跳ね上がり、空気中には微かな電子の焦げた臭いと汗の匂いが漂った。


一同は体力の限界点に達していた。凛の黒いタンクトップは汗で肌に張り付き、今田は膝を震わせながら重いウェイトに耐えている。暁の銃口は依然として安定しているものの、高頻度のリコイルによってその手首は痺れきっていた。


その極限の緊張の中、突如として激しい咳き込みがリズムを切り裂いた。


「ゴホッ、ゴホゴホッ……!」


高所から全場を監視していた零次の体が、激しく揺れた。口元を手で押さえようとするが、咳は肺を吐き出すかのように重く続く。そして、驚愕する一同の前で、常に松の木のように真っ直ぐ立ち、疲れを知らぬはずだったあの男が、ついに片膝を地面に突いた。左手で必死に床を支え、爪が合金の床を引っ掻く鋭い音が響く。


「師匠!」


「先輩!」


ミナトと今田が真っ先に反応し、障害物ゾーンを這うようにして零次の元へ駆け寄った。


「先輩、大丈夫ですか!?」ミナトが肩を支えようとしたが、零次の体は白いスーツ越しでも分かるほど異常に熱を帯びていた。それはエンジンが焼き切れる直前の、死の熱量だった。


後方の暁と凛も駆け寄ろうとしたが、零次は震える右手を掲げ、弱々しく宙を振った。


「来るな……」その声は掠れて消え入りそうだったが、拒絶の意志だけは固かった。


彼は拒んでいた。この子供たちに、自分が崩壊していく姿を見せることを。「機長」としての威厳が墜落することを、彼は許さなかった。


零次は深く息を吸い、脳内を駆け巡る溶岩のような激痛をこらえながら、少しずつ、一寸ずつ立ち上がった。両足は微かに震え、顔色はスーツと同じほどに青白かったが、それでも彼は冷淡な表情を維持してみせた。


「……何でもない。少し風邪を引いただけだ。騒ぐな」


それは誰も信じない嘘だった。


ミナトは零次の充血した瞳を見つめ、胸が引き裂かれるような思いだった。唇を噛み締め、瞳を潤ませている暁を一瞥し、これ以上の特訓は全員の理智を壊すと悟った。


「先輩」ミナトはあえて強気な、だが零次に逃げ道を作るような口調で言った。「四時間連続の高強度特訓で、皆の成長曲線は飽和状態です。そろそろ休憩にしませんか? 俺も一服したいですし」


零次は数秒間、沈黙した。ミナトを見、そして不安と恐怖に満ちた瞳で自分を見つめる後輩たちを見渡した。


「……許可する。一時間休憩だ。ゼロ、シミュレーションを終了しろ」


照明が柔らかな暖色に変わると、一同は糸が切れたように床へ崩れ落ちた。零次は一人、監控室モニタールームへと消えた。ドアが閉まった瞬間、隙間から抑えきれない激しい咳が漏れ聞こえた。


それは音のない悲劇だった。誰もが死神のノックを知りながら、隣人の足音だと思い込もうとしていた。


訓練場の灯りは柔らかな薄黄色に変わったが、一同の心の影までは照らし出せなかった。


更衣室内の空気は澱み、運動後の熱気と、どこか不安を誘う薬品のような臭いが混ざり合っている。


今田はベンチの端に座り、タオルを握りしめたまま汗を拭うことも忘れていた。彼の視線は、端でうなだれる零次へと注がれていた。男は膝に手を突き、肩で息をしている。その一つ一つの呼吸が、ひどく重く、苦しげだった。


今田は、事態が致命的であることを悟っていた。昨夜のミナトの言葉、そして今の零次の崩壊。それら全てが、巨大な岩のように彼の胸を圧迫していた。自分はこの悲劇の前であまりに無力な存在に思え、水の一瓶を渡すことさえ躊躇われた。彼はただ静かにうつむき、更衣室を出ていった。より親しい搭档パートナーたちのために、場所を空けるように。


中央に座るミナトは、靴紐を結び直しながら、零次の微かな独り言を耳にした。


静江しずえ……もうすぐ、君のところへ行くよ……」


ミナトの指が凍りついた。一度も聞いたことのない名。その声には、生死を越えた疲労と愛惜が滲んでいた。ミナトの心に強い好奇心が芽生えたが、彼は振り返ることも、問うこともしなかった。


それが零次の心の最奥にある魂の欠片であり、墜落を前にした男の最後の私心であることを知っていたからだ。彼は友人として、部下として、最後の体面を守ることを選んだ。


反対側の女子更衣室では、湯気が立ち込めていた。


暁と凛は二人ともアンダーウェア一枚の姿で、汗が鍛えられた筋肉のラインを伝い落ちていた。戦場から戻ったばかりのような野性的な美しさが漂う。暁の湿った長髪が肩にかかり、凛は不機嫌そうに自分のポニーテールをいじっていた。


暁は凛の背後に回り、ヘアゴムを受け取ると、優しく、それでいて拒絶を許さない手つきで彼女の乱れた黒髪を整え直した。


「痛っ……もうちょっと優しくしてよ」凛は小さく文句を言ったが、体は正直に力を抜き、暁に身を預けた。


暁は凛の顔を自分の方へ向けさせた。強気だが、今にも涙が溢れそうなその瞳を見つめる。暁はタコのできた手で、凛の青白い頬を軽く叩いた。その声には、滅多に見せない情愛と託託ゆだねが込められていた。


「凛、近接格闘……ずいぶん上達したじゃない」


暁は静かに賞賛を口にした。そして声を潜めて続ける。


「次の休憩の時……その刺々しい言葉はしまっておいて、零次に甘えに行きなさい。あいつは強情だけど、あんたなら……少しは、あいつの心を癒してやれるかもしれないわ」


凛は呆然とした。暁の疲弊しながらも揺るぎない瞳を見て、この「姉」が師匠を守るバトンを自分に託そうとしているのを感じ取った。


「……分かってるわよ、うるさいわね」


凛はうつむき、自分の足先を見つめた。その瞬間、17歳の天才少女は、全ての我儘を捨てて、消えゆく白い背中を抱きしめる決意をした。



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