交鋒と帰還
「これまでの契約で、一番割に合って、一番頭の痛い内容だったよ。」
スタック司令は、画面に表示された任務達成率を眺めながら、こめかみを指で揉んだ。凛の独断専行、そしてミナトとアキラによる「非公式な支援」の結果、ニューヨーク支部はわずか二日間でメドゥーサと二度の高強度接触を果たすことになった。混乱は極めたが、その成果は驚くべきものだった。
『ええ、司令。』メインモニターにハリーが現れ、少年の姿をしたエージェントが膨大なデータリンクを高速で操作する。
『この二度の接近戦により、メドゥーサ特殊部隊の「周波数特性」をキャプチャすることに成功しました。狙撃手「梟」の行方は依然として不明ですが、マンハッタンのデータネットワークに追跡用のトロイの木馬を仕掛けてあります。』
ハリーは顔を向け、部屋の反対側に立つ、それぞれ複雑な表情を浮かべた東京のメンバーたちを見た。
『契約期間は五日間でしたが、皆さんはわずか二日で目標を大幅に上回って達成しました。』ハリーはいたずらっぽく微笑む。
『せっかくですから、契約満了までニューヨークのアフタヌーンティーでも楽しんでいかれたらどうですか? まだ時間はありますよ。』
「二日で……終わりか?」
今田は呆然と立ち尽くしていた。昨夜、凛の手を握った時のあの華奢な感覚や、背後から抱きしめた時の体温が、まだ左手に残っているような気がした。彼にとって、この二日間の衝撃は過去二十年の人生を遥かに凌駕していた。
「何よ、通行人先輩。まだニューヨークに残ってメドゥーサにボコられたいの?」
凛が柱に寄りかかり、包帯の巻かれた左手を気にしながら言った。毒舌は相変わらずだが、今田に向ける眼差しには、いつもの嫌悪感が消え、自分でも気づかないほどの「依存」が滲んでいた。
「い、いや! ただ……早すぎるなと思って。」今田は顔を赤くし、慌てて視線を床に落とした。
「ハリーの話じゃ、残りの仕事は彼一人で十分らしい。」ミナトが伸びをしながら、雅痞な笑みの裏に少しの疲労を滲ませる。
「この数日はトラブル続きで、みんなの心拍数のせいで本部のセンサーが焼き切れそうだったってさ。本当にお疲れ様。帰る前に、たっぷり寝ておけってよ。」
ミナトの隣に立つアキラは黙々と装備を整えていた。深い青色の長い髪に表情を隠しながらも、その視線はずっと、ハリーが表示した「原型体」のぼやけた写真に注がれていた。
皆が帰国プランを話し合う中、青だけは一人、大きな窓の前に立ち、マンハッタンの激しい車の流れを見つめていた。
「ハリー。」青が静かに呼ぶ。
『はい、青執行官。』
「あの……弾丸の記号。本当に追跡できないの?」
『現在のデータ量では、あの「0」の記号の由来を解析するには不十分です。』ハリーの声が少しだけ柔らかくなる。『ですが、君のリズムが揺れているのを感じます。青、あの少年が怖いのですか?』
「怖くない。」青はポケットの中にある弾丸を強く握りしめた。瞳に宿ったのは、かつてないほどの執着だった。「約束なの。次は必ず、あいつの素顔を暴いてやる。」
ハリーの声が再び全員の通信チャンネルに響いた。
『皆さん、この数日間ニューヨーク支部をひっくり返してくれましたが、認めざるを得ません。君たちがいると、データ分析は……実に面白い。』
ハリーのホログラムが優雅に一礼する。
『残りの追跡は僕に任せて、君たちは職務を全うしてください。東京の桜の季節に、良い夢が見られますように。』
空港へと直行するはずの黒い高速列車が、コンクリートのトンネル内を疾走している。車内の照明は冷ややかな静寂を保っていた。誰もが平穏に搭乗できると思ったその時、車内放送からハリーの、皮肉混じりだが切迫した声が流れた。
「執行官の皆さん、ご注意を。スクールバスの帰り道に少しトラブルが発生しました。チケットを持っていない乗客たちが、無理やり乗り込もうとしています。」
ハリーの口調はすぐさま暗号化されたプライベートチャンネルに切り替わり、低く鋭い声になった。『青、リストの中にあいつ——あの狙撃手が含まれている。』
青の体が微かに震えた。膝の上に置いていた両手が強く握りしめられ、瞳孔が一瞬で細くなる。
『いいかい、作戦変更だ。』ハリーが地図上に戦術ポイントをマークする。『列車は前方のトンネル内で緊急停止する。下車後、絶対に前へは突っ込むな。後方の遮蔽物で待機しろ。前方から支部の支援部隊が連中を追い込んでくる。そこで前後から挟み撃ちにする。』
キィィィィィィ!!
耳を突くような摩擦音と共に、列車はトンネル中央の緊急避難ホームに停止した。ハッチが開くと同時に、メンバーたちは素早く飛び出し、赤く点滅する警告灯に照らされたトンネルの壁際へと陣取った。
静まり返ったトンネル内に、レールに滴り落ちる水音だけが響く。
その時、列車の左側、闇の奥深くから、重く貫通力のある銃声が二発轟いた。
パン! パン!
弾丸は誰の急所も狙っていなかった。青のわずか二メートル横にある信号灯を正確に撃ち砕き、火花を散らして壁に深い弾痕を刻んだ。
これは暗殺ではない。剥き出しの「一騎打ち」への招待状だ。
「あの野郎……」青が低く呟いた。感じたのは、自分と同じ源流を持ちながら、より狂気的なリズム。相手は暗闇の中で狙撃鏡越しに、彼女へ挑発的な囁きを投げかけていた。
「行ってください、先輩。」今田が銃のグリップを握りしめ、顔色は青白いながらも強い視線で言った。「ここは僕たちが守ります。誰にも邪魔はさせない。」
ミナトとアキラも同時に武器を構え、青に背を向けて半円形の防御陣を敷く。
「死ぬんじゃないわよ、アオ。」アキラが冷たく言い放つ。ショットガンはすでに装填済みだ。「あんたは、私たちの盾なんだから。」
青は振り返らなかった。握りしめていた「0」号弾をタクティカルベストの奥深くに仕舞い、背負っていたロングレンジ・ライフルを手に取った。普段の内気な空気は霧散し、代わりに闇と一体化するような静寂が彼女を包む。
「……ありがとう。」
青の姿は残像となり、列車の左側にある支柱の影へと消えていった。
同時に、トンネル前方から激しい銃声が聞こえ始めた。ニューヨーク支部の支援部隊がハリーの計画通り、メドゥーサの地上部隊をこちら側へと追い込み始めている。
だが、この混乱した戦場の中心に、絶対的な静寂を保つ領域があった。二人の狙撃手だけの聖域。青と「梟」は、列車の残像と鉄骨を隔てて、命を賭したかくれんぼを開始した。
『青、風偏0、温度一定。』ハリーの声が耳元で純粋なメトロノームへと変わる。『あいつは君の第一撃を待っている。』
「……必ず、あんたの顔を見てやる。」
青はボルトを引き、呼吸を極限まで抑えた。点滅する赤い光の中に、深い青色の髪を一瞬捉えた。
トンネル内の赤い光が明滅し、地上部隊の交戦音が狭い空間に耳を裂くような残響を轟かせる。だが、列車の左側の影に潜む二人にとって、それらの音は遠い異世界の出来事のようだった。
『青、注意して!』ハリーの警告が緊張を帯びる。『データによると、あの「梟」が戦術を変えた。高地の優位を捨てて、近接戦闘を仕掛けるつもりだ!』
狙撃鏡越しに、青は暗闇の鉄骨の間を高速で駆け抜ける残像を捉えた。相手のリズムは異様に不気味で、激しい雨の中で水面をかすめる鳥のように、着地点が全く予測できない。この極度の暗闇と障害物が入り乱れた環境では、長距離狙撃は意味をなさない。
「……来たいなら、来ればいい。」
青は迷わずバイポッドを畳んだ。後退するどころか、帽子のつばを下げ、自ら相手の気配へと突っ込んでいった。
二人はわずか二十メートル足らずの狭い点検通路で、正面から激突した。
ドォォン! ドォォン!
二発のライフルの轟音がほぼ重なり、重たい弾丸が空中で接触して火花を散らす。そのまま後方のコンクリート壁にめり込んだ。力と精度の試射であり、互いの狙撃手としての矜持への敬意でもあった。
一撃で仕留められなかった二人は、ほぼ同時にライフルのストラップを緩め、重い銃身を脇に下げた。すれ違う一瞬、ハンドガンの抜銃音と金属音が響き渡る。
「はぁっ!」
青はサイドステップで相手の銃床による一撃をかわし、反転してグロックを抜き放ち、連射を叩き込む。「梟」の反応は人間離れしており、空中で不可思議な捻りを加え、トンネルの梁を蹴った反動で青の銃口を蹴り上げた。
体術と至近距離射撃(C.A.R. System)を組み合わせた、死のダンスが始まった。
激しい肉体の衝突の中、梟は力の差を利用して猛烈に突き放した。青は凄まじい衝撃で数歩後退し、湿ったレールの端で靴底が耳障りな音を立てる。
赤い警示灯の下、梟は立っていた。深い青色の髪が風に乱れ、顔の半分を覆っているが、その瞳だけは愉悦の光を湛えてこちらを射抜いていた。
「へぇ……ZERO-DELAYの天才スナイパー『青』って、案外可愛い女の子なんだね。」梟の声は少年特有の透明感を持ちながら、不快なまでの嘲弄を含んでいた。まるで目の前の相手を敵ではなく、面白い玩具として見ているかのようだ。
青は重心を立て直し、激しく息を吐きながら、茶色のポニーテールを揺らした。流弾で切れた頬の血を拭い、瞳から内気さは消え失せ、代わりに凍てつくような戦意が宿る。
「……メドゥーサの『梟』が、こんな乳臭いガキだとは思わなかったわ。」
青の容赦ない反撃。その言葉は梟の逆鱗に触れたのか、余裕の笑みが消え、代わりに歪んだ狂気が顔を出す。
「ガキ……? お姉さん、今の言葉、後悔させてあげるよ——」
二人は再び残像となって絡み合った。至近距離で互いの引き金を引き合い、マズルフラッシュが互いの顔を照らし出す。青は感じていた。相手の技が自分と極めて酷似しており、呼吸の頻度までもが同期し始めているのを。
同時に、列車の反対側では。
「あの狙撃手たち、狂ったようにやり合ってる……」今田は凛の側に控え、左側のトンネルで絶え間なく弾ける火花を見て、心臓をバクバクさせていた。
「放っておきなさい。」アキラが近づこうとするメドゥーサの兵士をショットガンで吹き飛ばし、険しい表情で言った。「アオならやれる。私たちの仕事は、目の前の雑魚を片付けること。あの『姉弟喧嘩』に誰も割り込ませないわよ。」
凛は遮蔽物に寄りかかり、負傷しながらも鋭い眼光を崩さない。彼女は低く今田に告げた。「通行人先輩、右後方に集中して。アオのリズムが崩れたら、あんたを殺すわよ。」
「わ、わかってるって!」
トンネル内の戦闘は、最終的な白熱段階へと突入した。
トンネル内の空気は焦げ付き、希薄になっていた。青と梟の戦いは、銃撃戦から純粋な格闘と制圧戦へと変貌していた。衝突するたびに金属と肉がぶつかり合う鈍い音が響く。
「やるじゃない……あんた、結構いけるね……」梟は激しく息を切らしている。身のこなしは依然として速いが、動作にわずかな乱れが見え始めていた。
「狙撃手が遠くで引き金を引くだけの仕事だと思っているなら、大間違いよ。」青の声は依然として平坦で、温度を感じさせないほど冷たい。彼女は梟の関節の動きを一つ一つ逃さずロックしていた。
「実力で敵を外側に留まらせるのと、近接戦闘が弱くて外側に配置されるのとでは……意味が違う。」
その言葉は鋭い針のように、梟の自尊心を貫いた。
「……ナメるなよ!!」
梟は低く咆哮し、腰のタクティカルナイフを抜き放った。もはや距離を取ることをやめ、狂ったように刃を振るう。少年特有の爆発力とスピードを活かし、青い残像となって青を追い詰めていく。
鋭い閃光が走り、梟の突きが青の鎖骨を狙う。
青の反応は極めて速かった。後退せず、むしろ刃に向かって半歩踏み出し、鉄の爪のように正確な動作で梟のナイフを握る手首を封じ、右手で相手の肩を強く抑え込んだ。二人は瞬時に力比べの膠着状態に陥り、互いの熱い吐息を感じるほどの距離で見つめ合った。
梟は至近距離で青を見た。普段は無表情な彼女の顔が、今は激しい体力の消耗と集中によって、息を呑むほどの気高さと美しさを湛えていた。
「ははっ……その冷たい女の子が、ようやく少し表情を見せたね。」梟の口角が狂気的に吊り上がる。歪んだ興奮を孕んだ声で言った。「可愛いけど、ここでお別れだ——」
梟が強引に振り切り、もう一方の手で奇襲をかけようとしたその時、彼のイヤホンに耳を突くようなノイズが走った。
『梟、撤退。任務中止だ。』
メドゥーサ指揮官からの、氷のような命令だった。
同時に、列車の反対側では、銃声の轟音が急速に弱まっていた。
ミナトとアキラがZERO-DELAYの中核メンバーとしての圧倒的な戦力を見せつけていた。アキラの深紅のショットガンは前方の通路を焦土に変え、ミナトは精緻なリズム感で火線の中をすり抜け、残ったメドゥーサの兵士を次々と片付けていく。
「残り二体だ。」ミナトは呼吸を整え、雅痞な笑みを消して司令官レベルの冷酷さを纏う。「今田、あいつらを罠に追い込め。」
「了解!」今田は凛を守りながら、手汗をかきつつも正確に動いた。手榴弾の余波と制圧射撃を組み合わせ、強引に突破を試みるメドゥーサの残党を袋小路へと追い詰めた。
ハリーの声が全員のイヤホンに響く。
『メドゥーサ地上部隊の85%が損失。残存個体は自己防衛プログラムを起動しました。青、君の方の「梟」もすべての支援を失ったよ。』
撤退命令を受けた梟の瞳から、狂熱が瞬時に冷めていった。彼は遠くの片付けられた戦場を一瞥し、そして目の前の強力な女性スナイパーを見つめ、ゆっくりと力を抜いた。
「どうやら、今日の遊び時間はここまでのようだね。」梟は少し残念そうに口を尖らせると、身を翻して後方の闇、鉄骨の影へと飛び込んだ。
「待ちなさい!」青は即座にハンドガンを構えたが、引き金を引く直前で止まった。
暗闇から、この年齢には不釣り合いなほど深い響きを持った梟の最後の声が届いた。
「アオお姉さん、そんな顔しないで。またすぐ会えるよ……僕たちがいるべき場所でね。」
青は誰もいないレールの脇に一人立ち尽くし、銃を握る手を微かに震わせていた。振り返ると、ミナトとアキラがこちらへ歩いてくるのが見え、今田が慌てふためきながら凛を抱えて叫んでいた。
「青さん! 無事ですか!?」今田の焦った声がトンネルに響き渡る。
青はゆっくりと銃を下ろし、肩にかかった髪を整えた。いつもの無表情で、少し人見知りな様子に戻り、駆け寄ってくる仲間たちに小さく頷いた。
「……大丈夫。」
だが、彼女は分かっていた。ニューヨークのトンネルでのこの「偶然」は、巨大な歯車が回り始めた序章に過ぎないことを。
【JFK空港線:高度一万フィート】
飛行機は厚い雲海の上を穏やかに進んでいた。機内にはエンジンの低い唸りと、疲れ果てたメンバーたちの静かな寝息だけが満ちている。
青は一人窓側に座り、長い髪でうつむいた横顔を隠していた。膝の上には「0」の刻印がある弾丸。指先が無意識に金属の縁をなぞる。張り詰めた戦闘の中では生理的な本能と対抗心で乗り切ったが、今、冷静になると、遅れてやってきた違和感がノイズのように脳内に広がっていた。
「アジア系の顔立ち……」青が低く呟く。
ようやく気づいたのだ。異国の地であるニューヨークの深部で出会ったメドゥーサのエリート狙撃手が、アキラと酷似した顔を持ち、それどころか、あんなにも流暢で自然な日本語で自分を弄び、挑発してきたことに。
「ハリー……いいえ、零。」青が座席のモニターを起動させると、白髪の男のシルエットが明滅した。
『はい、青執行官。君のバイタルは、今高度な思考状態にあることを示しています。』零の声は淡々としているが、どこか師匠のような慈しみが含まれている。
「『梟』について……メドゥーサのデータベースに、本当に彼の記録はないの?」
『残念ながら、メドゥーサのデータ・ファイアウォールは極めて強固です。』零が答える。『現時点では敵対勢力であること以外、彼がなぜメドゥーサにいるのか、どのような訓練を受けたのかは一切不明です。』
青は窓の外の真っ暗な夜空を見つめながら、あの少年が最後に闇に消える時に見せた狂気的な笑みを、心に深く刻んでいた。
長いフライトを経て、飛行機はようやく慣れ親しんだ土地に着陸した。東京の空気には淡い桜の香りが混じっており、ニューヨークのあの冷たく鉄錆の匂いがする雨とは対照的だった。
月台に立つメンバーたちは、それぞれの拠点へと戻る準備をしていた。
「通行人先輩、レポート忘れないでね。」凛が服の埃を払いながら、今田に指を突きつけて命じる。鋭い口調だが、包帯を巻いた手は今田に大切にエスコートされていた。
「わかってるって、凛……帰ったらちゃんと薬塗れよ。」今田は顔を赤くし、名残惜しそうにしながらも、その瞳には守り抜いた者の余裕が宿っていた。
ミナトとアキラは肩を並べて立ち、顔を見合わせて笑った。二人にとって、ニューヨークの死闘は、いつか訪れる平凡な未来のためのリハーサルのようだった。
「アオ、あなたも大阪に帰るのよね?」アキラが振り返り、ずっと黙っていた少女に声をかけた。
ZERO-DELAYにおいて、ほとんどの者は一生をコードネームで呼び合って過ごす。名前は執着であり、弱点でもあるからだ。
青は、ニューヨークで共に死線を越えた仲間たちを見つめた。これまでの疎外感や人見知りが、今、かつてない温かさに取って代わられていた。彼女はゆっくりと立ち止まり、全員に向けて深く一礼した。
「この数日間……お世話になりました。」
声は相変わらず小さかったが、もう震えてはいなかった。大阪へ向かう黒い列車に乗り込む直前、彼女は足を止め、振り返ってアキラとミナトを見つめた。
「あの……実は、私の本名は……」
彼女はこの数日間で見せたことのない、最も誠実で、何の武装もしていない微笑みを浮かべ、静かに言った。
「**佐藤 彩静**といいます。」
その四文字は、この混乱した任務の最後の句読点のようだった。コードネーム「青」という冷酷な狙撃手ではなく、戦闘のディテールに一歩遅れて悩む一人の二十歳の少女として。
「佐藤彩静……」アキラがその名を繰り返し、口角を上げた。「いい名前ね。次に会う時は、彩静って呼ぶわ。」
黒い列車のハッチが閉まり、彩静の姿はトンネルの奥へと消えていった。残されたメンバーたちは、誰もいないレールを見つめていた。ニューヨークの契約は終わったが、歯車は、まだ回り始めたばかりであることを誰もが確信していた。




