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ZERO-DELAY  作者: WE/9
新しい始まり

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29/102

いたずらな貴方

【ZERO-DELAY 台北支部・中央ホーム】


イエロー・トレインがゆっくりとホームに滑り込み、ドアが開いた瞬間、台北特有の湿った空気と冷房の清涼な香りが吹き込んできた。


ホームでは、仕立ての良い白いロングコートを纏い、黒髪を隙なくまとめ上げた女性が静かに待っていた。その瞳は刃のように鋭いが、ミン星玲ホシレイが無事に戻ったのを見た瞬間、その奥に極めて淡い慈しみが宿った。彼女こそ、台北支部の最高統帥――林誠一リン・チェンイー司令である。


「おかえりなさい」


林司令の声は清廉で簡潔だった。彼女はミナトアキラに視線を向け、微かに頷く。「神楽執行官、新堂執行官、お疲れ様。神宮寺司令から概略は聞いているけれど、ここでは実地データこそがすべてよ」


「林司令、初めまして」


湊はトレードマークの優雅な微笑を浮かべたが、心の中では密かに評価を下していた。(この街のリーダーは、想像以上に圧が強いな)


しかし、厳粛な空気は三秒と持たなかった。


明と星玲が列車から降り立った瞬間、ホームの両側で待機していた台北支部の隊員たちの目が一変したのだ。それは集団的な「観察」の視線だった。


「教官、今回の東京出張……ゴーグルは無事でも、心拍数はかなり跳ね上がったんじゃないですか?」端末を操作していた若い隊員がニヤリと笑い、その声は駅の半分にまで響いた。


「星玲! あんた、東京で拐われなかったみたいね。明教官の『ガード』が完璧だったってわけ?」別の女性執行官が星玲に歩み寄り、肩をぶつけた。


星玲は曉に台北支部の自動販売機を紹介しようと興奮していたが、この一斉の視線にさらされ、一瞬で茹で上がった海老のように顔を真っ赤にした。彼女は明の裾を掴もうとした手を慌てて引っ込め、小さな拳を振り回して抗議した。


「みんな、何バカなこと言ってるの! 私たちは世界を救いに行ってたんだからね! 十七セブンティーン、早くこいつらに説明してよ!」


十七のホログラムが壁一面のスクリーンに映し出された。彼女は相変わらず不愛想な表情だったが、そこで驚くべき言葉を口にした。


『バイタルモニタリングによれば、星玲が明執行官と共にした七十二時間以内において、心拍数の異常な変動回数は四十八回を記録しました。基地医療部は、二人の「ソーシャルディスタンス・センサー」が故障していないか、優先的に検査することを推奨します』


「十七! あんたまで……!」


星玲はホームの隙間にでも隠れたいほど羞恥に震えた。


明は相変わらず落ち着いた様子で林司令に報告を続ける。「司令、任務の全行程は記録済みです。星玲の働きについては、非常に信頼できるパートナーであったと断言します」


その「生真面目」すぎる回答に、場内からは善意に満ちた笑いが漏れた。台北支部において、この二人が**「友達以上、恋人未満」**の象徴であることは周知の事実だ。教官と訓練生というロジックで自己暗示をかけている明本人を除いて、全基地の人間が、二人がいつ正式に「合流」するかに賭けている。


「台北のリズムは、意外と温かいんだね」


湊は曉の耳元に寄り添い、この賑やかな光景を見ながら低く笑った。


曉は星玲の狼狽える様子と、冷静を装いつつもどこか居心地が悪そうな明の横顔を見つめ、その瞳を少しだけ和らげた。しかし、林司令が持つ地図の入ったケースに視線を戻したとき、その瞳は再び冷徹なものへと戻った。


「林司令」曉が口を開く。「本題に入りましょう」


林誠一は微かな笑みを収め、基地の奥へと背を向けた。「地図は十七に預けて、全力で解析させるわ」


【台北支部・整備エリア】


データの解析ランプが機房で点滅している間、星玲はようやくチャンスを掴んだ。彼女は興奮した様子で曉の手を引き、後ろからは悠々自適な湊が続く。三人はハイテクでありながら南国らしい熱気を帯びた台北支部を散策した。


「曉お姉ちゃん、見て! これは台北限定の特製エナジードリンク、レモンティー味だよ! あっちは訓練場、後でシミュレーションシステムに案内するね!」


星玲は止まることを知らない小鳥のように、琥珀色のポニーテールを跳ねさせながらはしゃいでいた。


一方その頃、明はこの散策には加わっていなかった。彼は一人、整頓された整備エリアに残り、俯きながら、東京から持ち帰ったタクティカル装備の手入れを熟練の手つきで行っていた。


「よお、明」


三十代前半の体格の良い執行官が歩み寄ってきた。台北支部の先輩、通称「ホン哥(兄さん)」だ。彼はロッカーに防具を放り込みながら、廊下の向こうを歩く星玲たちを顎で示した。


「お前ももう二十五だ。ZERO-DELAYのような最前線部隊じゃ、現役は三十が限界だろう?」宏哥は軽い口調だが、戦友としての真実味のある気遣いを見せた。「人生設計は考えてるのか? 二線の教官に退くか、それとも完全にこのトンネルを去るか」


明は手を止めた。彼の視線は整備エリアの強化ガラスを通り抜け、遠くの自動販売機を指差して笑っている星玲、そしてその後ろを行く湊と曉に注がれた。


彼はしばし沈黙した後、淡々と、だがどこか憧れを孕んだ口調で言った。


「どうでしょうね。自分の昇進より……全員が無事に引退して、みんなで世界一周旅行に行ける、そんな日を期待しているかもしれません」


「ははは、世界一周? お前らしからぬロマンチックな話だな」宏哥は明の肩を叩き、声を潜めてからかった。「まあな、お前には守らなきゃいけない『彼女』もいることだし。お前がいなきゃ、星玲のあのじゃじゃ馬は世界をひっくり返しかねんからな」


普段の明なら「ただのパートナーです」と真顔で否定するところだ。しかし、今回は違った。


最後のパーツを組み込み、「カチッ」と小気味良い音が響く。明は顔を上げ、からかうような表情の宏哥に対し、極めて淡いが優越感に満ちた笑みを浮かべた。


「独身の人間にはわからないでしょうね、宏哥」


「……?!」


宏哥は用意していた次の冗談を喉に詰まらせ、目を丸くして明を凝視した。


「お、おい……今なんて言った? お前、ついに認めたのか?!」


驚愕する宏哥。台北支部で「理性の塊」と呼ばれた明が、初めて公の場ではない場所で、戦闘論理ではない言葉で、自分を「独身ではない人間」に分類したのだ。


「おい! 十七! 聞いたか!? 明の野郎、ついに白状したぞ!」宏哥は壁の端末に向かって叫んだ。


スクリーンには十七の不愛想な顔が現れ、データが瞳を駆け抜ける。


『録音データをバックアップし、私のプライベートアーカイブへ暗号化転送しました。宏哥、明執行官の構文論理によれば、現在の自信度は98.5%に達しています』


明は宏哥の騒ぎを無視し、優雅に道具を片付けると、濃色のスーツジャケットを羽織り直した。彼の視線は再び遠くの星玲へと向けられた。その瞳の奥には、最後まで守り抜くと決めた確かな優しさが宿っていた。


【休息強制と温泉】


「十七と零の共同解析には二十四時間かかるわ」林司令の口調が、報告を終えてわずかに和らいだ。「それまで、執行官は強制休息とする。東京と化学工場で散々暴れてきたのでしょう。硝煙の臭いを洗い流してきなさい」


その言葉を聞いた瞬間、湊の目が輝いた。彼はゆっくりと曉の側に歩み寄り、自然な動作でその肩に手を置くと、耳元で磁気のある声を囁いた。


「『強制休息』っていうなら、昨夜の続きをじっくり『検討』しなきゃいけないんじゃないかな。台北のベッドは、東京よりも寝心地が良いかもしれないよ、曉」


曉の頬が瞬時に赤く染まった。この男が何を考えているか、痛いほど理解していたからだ。拒絶の言葉を口にしようとしたその時、廊下の向こうから活気のある声が突進してきた。


「曉お姉ちゃん! 湊さん! 早く早く!」


星玲が柔らかそうなタオルを抱えて走ってきた。「基地の裏に北投ベイトウの秘密温泉支線が繋がってるの! ミンがもう予約してくれたから。台北に来たなら、炭酸硫黄泉は絶対外せないよ!」


湊の表情が瞬時に崩れた。獲物を目前にして逃げられたような顔だ。曉は湊の遺憾極まる横顔を見て、思わず吹き出した。彼女は指を伸ばし、湊の額をパチンと弾いた。


「痛っ……曉、これは殺人だよ」


「バカなこと言ってないで」曉は眉を上げ、警告と慈愛の混じった視線を送る。「警告しておくわ。一日中そんなことばかり考えないこと。今は任務中よ。大人しく温泉に浸かってきなさい」


曉は星玲の後に続き、呆然とする湊と、ちょうど通りかかった明が残された。


「明……」湊が恨めしそうに後輩を見る。


「湊執行官、たまの温泉は戦術的焦慮を和らげるのに有効ですよ」


明の瞳は死んだ魚のように澄み切っており、先輩の怨念など微塵も感じていないようだった。


【台北支部・女湯】


白く煙る湯気が、薄暗い灯光の下でたゆたっている。硫黄の柔らかな香りが漂う中、曉はゆっくりと湯船に身を沈めた。


「はぁー、最高!」星玲が縁に寄りかかり、お湯を跳ねさせる。「曉お姉ちゃん、肌がすごく白いね! 湊さんが食べちゃいたいような目で見るのも納得だよ」


「変なこと言わないで……彼はただの冗談よ」曉は顔を赤らめ、濡れた髪をかき上げた。


「冗談じゃないよ。あの目は、私もミンの瞳の中に見たことがあるもん……」星玲は顔を赤くし、小声で尋ねた。「曉お姉ちゃん、湊さんと一緒にいるとき……怖くない? 明日、トンネルの中で死んじゃうかもしれないってこと」


曉は水面に映る自分の影を見つめ、瞳を深めた。


「以前はそうだった。命令を遂行するためだけに生きていたから。でも今は……彼がいるから、『明日』という言葉が、少しだけ待ち遠しいものに変わった気がするわ」


【台北支部・男湯】


熱い湯煙が立ち込める中、男湯は静寂に包まれていた。


湊はお湯に深く浸かり、どんよりとした目で天井を仰いでいた。その「ご馳走を奪われた」ような落胆ぶりは、さっきの任務成功よりも顔に出ていた。


「湊執行官。そんなに独りになれなかったことがショックなら、この温泉で少し『頭を冷やす』といい」


明が淡々と告げる。


「明、君のような情緒のない男には、この挫折感はわからないよ」


明は笑みを収め、真剣な眼差しで湊を見た。


「湊。彼女たちは戦場では誰よりも強いが、まだ二十歳にも満たない子供だ。甘えるべき時期に体制に拾われ、道具として育てられた。だからこそ、僕たちは彼女たちにより優しく接するべきだと思わないか? その優しさは、単なる独占欲であってはならないはずだ」


湊の心に、衝撃が走った。これまで自分の「愛」だと思っていた強引な振る舞いが、暁を傷つけてはいなかったか。明の静かな守護を目の当たりにし、湊の中に初めて自責の念が芽生えた。


(僕は本当に……あの傷ついた少女を愛せていたんだろうか?)


【深夜の回廊】


温泉から上がり、三十分後。宿舎へ戻る廊下で四人は合流した。


曉と星玲は湯上がりで肌が桃色に染まり、厚手のタオルに包まれていた。曉の鎖骨には水滴が残り、無防備な美しさを放っている。


曉は身構えていた。いつものように湊が「曉、今の姿は犯罪的だね」と軽口を叩き、強引に触れてくると思っていた。


しかし、歩み寄ってきた湊は、ただ静かに曉の前で止まった。


その瞳は澄んでおり、曉には理解できないほどの「慈しみ」が宿っていた。


「ゆっくり休めたかい?」湊は穏やかに、温かな風のような声で尋ねた。彼は手を伸ばしたが、曉の肩を軽く叩いただけで、指先一つ長く留めなかった。「台北の温泉は確かにいい。明日も早い、早めに休みなさい」


湊は星玲に頷くと、そのまま自分の部屋へと背を向けた。


曉はタオルを握ったまま、呆然とその背中を見送った。


「……?」


曉は言いようのない違和感を覚えた。いつも強引なあの男が、豹変した。そのギャップが、逆に彼女の心をざわつかせた。


【深夜の対話】


午前二時。曉は寝付けず、大厅ロビーへと向かった。そこで二階のフェンスに寄りかかり、深夜待機する隊員たちを静かに見守る湊を見つけた。二人はしばし、夫婦のような阿吽の呼吸で他愛もない会話を交わした。


しかし、宿舍への帰り道。いつも湊が曉を壁に押し付けるこの場所で、湊は拳一つ分の距離を保っていた。


「湊。……何か考えているの?」


「……ああ、隠しきれないな」湊は力なく笑った。「泡を浴びながら、明と話したんだ。彼の聖人のような温かさに比べたら、自分はただの獣だと思ってね。曉、僕は君が本当にその『リズム』を望んでいるのか、一度も聞いたことがなかった」


曉は自責の念に駆られる湊を見つめ、そっとその胸に顔を寄せた。


「湊、聞いて。明には彼の優しさがあるけれど、あなたにはあなたのリズムがあるわ。確かにあなたは時々クズだけど……一日中手を握ったりして、みんなの前で私を困らせたりするけれど」


曉は顔を上げ、微かに微笑んだ。


「でも、もし私があなたの強引さを嫌っていたら、二度目なんてさせなかった。わかる?」


曉は湊の頬を撫で、耳元で囁いた。


「だから、あまり考えすぎないで。私の心拍を速くさせる、いつものあなたでいて」


曉は「おやすみなさい」と言い残し、部屋へ消えた。


残された湊は、頬に残る熱と曉の香りに包まれ、不敵な自信を取り戻した。


「……今の、戦闘許可って受け取っていいのかな?」


湊は低く笑った。今回の鼓動のリズムは、どんな時よりも強く、激しかった。



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