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ZERO-DELAY  作者: WE/9
西新宿の亡霊

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25/102

夜の告白

部屋のしつらえは、暁の性格そのもののように簡潔で無駄がない。唯一生活感を感じさせるのは、机の上に置かれた湯気の立つ二つの茶碗と、先ほど湊が何気なくベッドサイドに置いた、元々は暁のものだった濃紺のタクティカルジャケットだけだ。


柔らかな暖色の明かりの下、二人は寄り添って座っていた。仕事終わりの疲れは、この瞬間、静かな依存へと変わる。湊は暁を抱き寄せ、清潔なシャンプーの香りが漂う彼女の長い髪に顎を乗せ、右手をごく自然に彼女の腰に添えた。


湊は窓の外に広がる東京の夜景を眺めていた。かつて自分を窒息させた「スカベンジャー」は物理的に排除され、世界は表面的には平穏を取り戻している。零次が持ち帰った警告は影のように差しているが、今この瞬間の暁の体温、彼女の穏やかな呼吸は、湊に未だかつてない幸福感を与えていた。


それは、このまま「脱走」し、彼女と共に平凡な未来へ逃げ込みたいという、二人だけの「共同のわがまま」だった。


しかし、腕の中で大人しくしていた少女が、その静寂の中でかすかに体を動かした。暁は顔を上げず、夢うつつのような低い声で、けれど無視できない真剣さを込めて言った。


「湊、言ったよね……これが全部終わったら、何もかも話してくれるって」


湊の指が彼女の腰を優しく撫で、その瞳には温かな色が宿る。「ああ、言ったな」


「知りたいの……三年前、西新宿で本当は何があったのか」暁はようやく顔を上げ、暖灯の下、濃紺の瞳で湊を真っ直ぐに見つめた。そこには抑え込んでいた渇望が潜んでいた。「それと、あなたと『スカベンジャー』は……いつから、どういう関係だったの?」


――カチッ。


湊の、暁の腰に添えられていた手が、明らかに震えた。


記憶の奥底に封印していた、火の海と悲鳴、そして歪んだリズムに満ちたあの夜が、暁の一言で決壊した濁流のように脳裏に溢れ出した。それは彼の罪であり、彼が「ジョーカー」となった起点だった。


部屋の空気が一瞬で冷え切った。


湊は長い沈黙の後、喉仏を上下させた。屋上での零次の警告を、そして「体制」という名の無形の手を思い出す。しかし、暁の透明で混じりけのない瞳を見た時、彼は悟った。ここで嘘を選べば、ようやく築き上げた二人の「未来の想像」は、その瞬間に崩壊するだろう。


彼は約束したのだ。もう隠し事はしないと。


「それは……『裏切り』と『リズム』の狂いについての物語だ」


湊はゆっくりと目を閉じ、再び開いた時、瞳の奥のキザな笑みは消え失せていた。代わりにそこにあるのは、透き通るような荒廃だ。彼の声は低く掠れ、まるで地獄の底から拾い上げてきた残骸のようだった。


「三年前の西新宿、数百人の命を奪ったあの爆発事故は……決して偶然じゃない」


湊は暁の手を強く握りしめた。その指先は氷のように冷たい。


「当時の俺は、奴らを追うエリート警察官であると同時に、奴らが内定していた……次期首領だったんだ」


物語の歯車が、静まり返った深夜に、耳障りな軋み音を立てて回り始めた。


【三年前・新宿警視庁分局・刑事課執務室】


ヘッドホンから流れるのはBPM180を超えるハードコア・テクノ。十九歳の神楽湊は書類の山に囲まれた席の中央に座り、修長な指でキーボードを叩き、人間業とは思えないリズムを刻んでいた。


当時の彼には、後のような余裕のある雅な気質はまだなかった。


その眼差しは氷のように冷たく、黒髪は今よりも無造作で鋭い。警察界史上最年少の「天才捜査官」として、彼の効率は先輩たちに畏怖されたが、同時に執務室の中で孤立した岩のような存在でもあった。


「おい、神楽。この資料、お前が……」一人の老刑事が報告書を持って近づくが、湊は顔も上げずに遮った。


「残りのデータは添付ファイル4。ロジック分析は2ページ目の末尾だ。あんたらの脳みその回転数が昨日の天気予報を超えてるなら、こんな低レベルな質問で俺の時間を無駄にするな」


湊は視線すら向けず、その言葉には剥き出しの軽蔑が混じっていた。


「このガキ……!」


老刑事が顔を真っ赤にして怒鳴ろうとしたその時、煙草の香りが漂う厚い手が、湊のヘッドホンをしっかりと押さえた。


「まあまあ。血気盛んなのはいいが、全員を心筋梗塞にさせちまったら、誰が後片付けの逮捕状を書いてくれるんだ?」


湊は眉をひそめてヘッドホンを外し、少し疲れは見えつつも人懐っこい笑顔を浮かべた老刑事と目が合った。


それが、佐伯だった。


この執務室で唯一、湊に気安く触れることができ、かつ湊から反撃されない男だ。佐伯は使い古された、テカりのある旧式のスーツを着て、ネクタイは曲がり、手の中には潰れた「ピース」の箱を握っていた。


「佐伯先輩」湊は呆れたように目をそらした。口調は鋭いが、敵意だけは消えていた。「人の心臓を心配する暇があるなら、自分の誤字だらけの巡視報告を心配したらどうだ。あの亀のような遅さこそ、心停止ものだぞ」


「ははは、このガキ!だからお前にチェックを頼んでるんだろうが!」佐伯は湊の黒髪を乱暴に撫で回し、抗議を無視して自分の上着を彼の背中に放り投げた。「行くぞ。今日は給料日だ、美味いもんを食わせてやる。毎日こんなうるさい音楽を聴いてると、難聴になるぞ」


【西新宿・路地裏のラーメン店】


西新宿の夜。ネオンの光と影が交差する。佐伯は湊を連れて、地図にも載っていないような細い路地に入り、古びた提灯が下がる「味自慢」という看板の小さなラーメン店の前で足を止めた。


店内は五、六人も入ればいっぱいの狭さで、空気中には濃厚な豚骨スープの香りと温かな湯気が充満していた。


「特製二つ!麺大盛り、チャーシュー追加で!」佐伯は大声で注文し、慣れた手つきで湊をカウンターの端の席に座らせた。


ここはエリートとしての湊すら通用しない空間だった。隣り合う二人の肩が触れ合うほど狭い。


「こんな場所の衛生状態は……」湊が文句を言おうとした瞬間、割られた割り箸が手に押し付けられた。


「食えばわかる。これが警察官のソウルフードだ」佐伯は店主が運んできた熱々のラーメンを満足げに見つめた。そして自分の丼から厚切りのチャーシューを二枚、湊の丼へ放り込んだ。


「タンパク質なら足りてます」湊はぶっきらぼうに呟いた。


「育ち盛りがつべこべ言うな」佐伯はスープを一口啜り、至福のため息をつくと、その眼差しはどこか遠くを見つめた。「湊、お前は時々世界をハッキリ見すぎている。それはいいことばかりじゃない。ほら、このスープの油分を一滴残らず分析しちまったら、不味くなるだろ?時には少しバカになって、ゆっくり歩かないと、道端に咲いてる花も見落としちまうぞ」


湊は湯気の立つスープを見つめ、長い沈黙の後、小さく言った。「この体制の中で足を止めたら、クズ共に食い尽くされるだけだ」


「だからこうして、俺が前で立ってるんだろうが」佐伯は横を向き、慈父のように湊の背中を叩いた。その声は異常なほど真剣だった。「お前は才能がありすぎて、ポッキリ折れやすい。いいか、いつかお前が速く走りすぎて道を見失いそうになったら、後ろを見てみろ。この先輩がいつでもケツを拭いてやるからよ」


それは湊が人生で初めて感じた、血の繋がりを超えた絆だった。彼は答えず、ただ箸を強く握りしめ、塩辛くて、けれど異常なほど温かいそのラーメンを胃袋に流し込んだ。


「……先輩」


「ん?」


「次は、俺が奢りますよ」湊は彼を見ず、丼の底を見つめたまま言った。


「へっ、このガキも少しは可愛げが出てきたな!」佐伯は嬉しそうに大笑いし、湊がスープを吹き出しそうになるほど強く背中を叩いた。「じゃあ、西新宿で一番高い寿司に決まりだ!」


あの夜の湯気の中で、湊は未だかつてない安らぎを感じていた。こんな不器用で、けれどリズム感のある日常が、ずっと続いていくのだと思っていた。


佐伯が前にいてくれる限り、自分には退路なんて必要ないと。


翌朝、あの耳を刺す警報音が響く電話が鳴るまでは。


【三年前・西新宿三丁目・総合オフィスビル】


清らかな朝の陽光は生気をもたらすどころか、西新宿の街角に立つ半壊したオフィスビルを無情に照らし出していた。割れた窓ガラスから火炎と煙が噴き出し、ガラスの破片が雨のように降り注ぐ。


「湊!データなんか構うな、救助が先だ!」


佐伯はひしゃげたパトカーのドアを蹴り開け、怒鳴りながら銃のセーフティを外した。隣にいるのは、タブレットを叩きながら爆発の頻度を計算している天才少年――神楽湊だ。


少し前、彼らは「スカベンジャー」と呼ばれる武装集団と街頭で激しい銃撃戦を繰り広げたばかりだった。湊の精密な射撃が敵の火力を抑え、佐伯は経験を活かして若手警官たちを率いてビルの低層階へと突入した。


その時、全警察官の無線に、冷たく抑揚のない男性の機械音声が割り込んだ。


『全職員へ。私はAI戦術システム――「ゼロ」。』


湊の動きが止まった。彼がその声を聞いたのは、これが初めてだった。


『これより、当区域の全行動を「ゼロ」が掌握する。「クリーンアップ・プロトコル」に基づき、現場の混乱度は通常警官の負荷を超過。全警官は500メートル外へ即時撤退せよ。部隊に引き継ぐ。繰り返す、即時撤退。』


「撤退だと?中にまだ数十人の一般人が取り残されてるんだぞ!」佐伯は無線に向かって吠えた。


だが、体制の前では警察官の怒りなど無意味だった。ブラックトレイン(初期型)が近くのトンネルに到着し、全身黒の重装備に身を包んだ部隊が強引に割り込み、佐伯や湊たちを封鎖線の外へと追いやった。


しかし、ビル内の構造はAIの予測を超えていた。封鎖線の外からも、黒ずくめの部隊が難航し、幾度かの誤射事故さえ起きている膠着状態が見て取れた。


その時、再び無線が鳴った。「ゼロ」の声は凍えるほど冷徹だった。


『戦術効率の低下を確認。外周警官の還流支援を許可。誘導火力として敵の注意を惹きつけよ。』


それは地獄への命令だった。救援要請ではなく、通常警官を「生贄」にするためのものだ。


「デコイ……?俺たちを何だと思ってるんだ!」若い同僚が恐怖に叫んだ。


「クソっ、デコイだろうが何だろうが知るか!」佐伯はビルの上層階で再び起きた爆発の光を見つめ、その瞳には愚直なまでの正義感が燃えていた。「一般人が三階にいるんだ!湊、お前はここで待ってろ!」


「先輩!」


湊の声も届かず、佐伯は老獅子のように火の海へと飛び込んでいった。湊は今にも崩れそうなビルを見つめ、そして背後で無表情に「プロトコル」を遂行する黒衣の部隊を見た。その瞬間、彼の中の「リズム」が完全に狂った。彼は毒づきながら、銃を抜いて後を追った。


煙の充満するビルの二階に湊が飛び込んだ時、彼は人生で最も消し去りたい光景を目にした。


「プロトコル」が「排除率」を優先した結果、二度目の指向性爆破を誘発させたのだ。天井が激しい震動と共に崩落し、巨大なコンクリート塊が鉄筋を巻き込みながら、逃げ遅れた市民を引き上げようとしていた佐伯の上に直撃した。


「佐伯先輩!!!」


湊は狂ったように駆け寄ったが、煙の中で彼が最初に目にしたのは、血の海に沈む同僚たちの姿だった。彼らは敵の銃弾ではなく、体制が「掃除」のために引き起こした崩壊によって命を落としたのだ。


その時、煙の中から黒い傘を差し、顔の半分に火傷を負った男が現れた――若き日のバラックだ。


バラックは瓦礫の下で血を吐く佐伯を見下ろし、そして崩れ落ちる湊を振り返ると、残酷な笑みを浮かべた。


「これが君の忠誠を誓ったものの正体だ。奴らは命一つ一つの価値を計算し終わっている。そして君の先輩は……どうやら『消耗品』の欄に分類されたらしいな」


湊は地面に膝をつき、十本の指で熱い瓦礫を掘り起こした。爪が剥げ、血が滴っても構わずに。佐伯は最期まで潰れた「ピース」の箱を握りしめたままだった。温かかったその瞳から光が消えゆく直前、彼が湊に残した視線は怒りではなく、湊への「心配」だった。


無線から、再び「ゼロ」の冷淡な声が響く。


『目標区域の排除率98%達成。誘導火力の犠牲は想定範囲内。作戦終了。』


「犠牲……想定の範囲内だと……?」


湊は佐伯の冷たくなった遺体を見つめ、そして遠くで実験データの回収に追われ、死者に一瞥もくれない黒衣の部隊を見た。彼の中の「警察官」としての鼓動は、その瞬間、完全に死に絶えた。


彼は血の海の中で、ゆっくりと差し出されたバラックの手を握った。



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