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ZERO-DELAY  作者: WE/9
西新宿の亡霊

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24/102

銀と黒の対話

暗闇の中、ミナトの意識は深海に沈む砕石のように落下し続けていた。しかし、その絶対的な虚無の中で、温もりを帯びた記憶が逆流し始め、終わりのない溺れるような夢を織りなしていく。


彼は最初の起点を見た。


トンネル内を疾走する黒い列車の中、照明は凍えるほど冷たかった。新堂 シンドウ・アキラが向かい側に座り、腕を組んでいる。深紺色の長い髪が、糊のきいた執行官の制服にかかっていた。彼女の瞳に温度はなく、ただの「元警察官」である彼への、隠しきれない嫌悪感だけが宿っていた。当時の彼女にとって、彼はリサイクル不可能なゴミの山であり、その口から出る言葉はすべて氷のような教条だった。


しかし、夢の旋律は変わり始める。彼は、自分がどのようにしてこの氷山を攻略していったかを見た。任務の合間の軽薄な口説き文句、死地での共闘、そして狭い路地や薄暗い指揮室で繰り返された強引なキス。暁が最初は拒絶し、憤り、最後には彼の手の中で運命を受け入れたように溺れていく姿を見た。


画面は、N 組織との大戦前夜の、あの深夜で止まった。


部屋には事後の余熱が漂い、空気は粘り強く重い。暁の深海のような長髪は枕の上に乱れ、普段は戦闘のために張り詰めている彼女の身体が、今は赤裸で、無防備に彼に寄り添っている。彼女は湊の胸に顔を埋め、その鼓動を聞きながら、すべてのプライドと防備を脱ぎ捨てた純真な瞳で彼を盗み見ていた。その瞳は、徹底的な依存に満ちていた。


夢の中の湊は、手を伸ばし、彼女の頭を何度も優しく撫でた。彼女は満足した猫のように目を閉じる。


その瞬間、夢の中の純真な笑顔が、現実の血と涙にまみれ、絶望的に彼の名を呼ぶ顔と重なり合った。


かつての幻影のような温かい触感と、現実に手のひらに落ちた冷たい涙が交錯する。


夢と現実は、この瞬間に完全に融合した。


医務室内の機器が規則的なビープ音を鳴らしている。それはこの凍てついた基地で唯一の鼓動だった。


湊が重い瞼を辛うじて開けたとき、視覚が戻るより先に、温かく湿った感触が冷たい手のひらに落ちた。霞む視線を集中させると、見慣れた深紺色の長い髪と、執行官としての威厳を失い涙に濡れた顔がそこにあった。


「……湊」暁の声は掠れ、震えていた。


湊が目を開けたことを確認した瞬間、暁は体制も尊厳もかなぐり捨て、彼の体に飛び込んで抱きしめた。彼女の身体は激しく震え、失いかけた恐怖が彼女を飲み込もうとしていた。湊の首筋に顔を埋め、熱い涙がシーツに染み込んでいく。彼女は本当に怖かったのだ。夢の中の「ジョーカー」が、永遠に彼女の神楽湊を奪い去ってしまうのではないかと。


湊は胸に感じる重く真実味のある体温を受け止め、意識を深淵から呼び戻した。彼は何も言わず、包帯の巻かれた右手を力なく持ち上げ、夢の中で何度もしたように、暁の乱れた頭をそっと撫でた。


その仕草に、暁はさらに激しく泣きじゃくった。しかし、それは安堵の涙だった。二人は静かな医務室の中で、時間が止まったかのように長い間抱きしめ合っていた。


互いに見つめ合っていた、その時。


「久しぶりだな、二人とも」


冷淡で、それでいて微かな温度を孕んだ声が入り口から聞こえた。


暁は飛び上がり、気まずそうに湊の腕から離れると、慌てて手の甲で涙を拭った。


そこには、細身で銀白色の長髪が微かな光に輝く男が立っていた。シベリアの荒野から持ち帰った冷気がまだ消えていない、その冷ややかな瞳が狼狽する二人を静かに見つめていた。


白鷺 零次シラサギ・レイジ。戦力天花板と呼ばれた男が、長い北方任務を終えてついに帰還したのだ。


「零次さん……」湊はベッドに寄りかかり、蒼白な顔にいつもの雅な微笑を浮かべた。「随分と間の悪い帰還ですね」


「悪かったな、お熱いところを邪魔して」零次はゆっくりと部屋に入り、雪の匂いが残るコートを椅子の背に掛けた。


シベリアの氷雪がこの瞬間に溶けたようだった。零次が冷淡であることに変わりはないが、彼の登場により医務室の重苦しい空気は和らいだ。暁は俯き、頬を林檎のように赤く染めている。最強の男の前では、あのクールな執行官の威厳は跡形もなかった。


零次は湊の傷跡を見て、瞳の奥に複雑な感情を走らせたが、すぐに淡々と言った。


「目覚めたなら、しっかり休め。これからの片付けは、涙を流すだけで済むような代物じゃない」


生死の境を彷徨い、今は恋人同士のようにぎこちない二人を見て、零次の口元にかすかな笑みが過った。


「持ち帰った問題は山積みだが……俺が予定より早く帰ったことに免じて、詳しい話は夜にしよう。今は、自分たちのリズムを取り戻せ」


そう言い残すと、彼は反論の隙を与えず、医務室の重厚な防護扉を閉めた。レモンティーの香りが漂う小さな空間が、再び二人のものになった。


「白鷺先輩……全く、相変わらずなんだから」暁は気まずさを隠すように呟き、ベッドの横に座り直した。そして、文句を言い続ける。「あんたが捕まってる間、私がどれだけ心配したか分かってるの? もし本当にあんな殺戮マシンになってたら、私がこの手で……」


言葉が終わる前に、暁の白い手が湊の指の間に滑り込み、包帯の巻かれた手と強く、十指を絡ませた。


これまでにないほど強く。お互いの生命線を結びつけるかのように。


湊は指先から伝わる力を感じ、バラックの洗脳で壊れかけた心の領域が、温かな流れで修復されていくのを感じた。彼は低く笑い、サイドテーブルにあるレモンティーを見た。


「暁」湊の声は掠れていたが、ひどく優しかった。


「……何よ」暁は不機嫌そうに顔を上げたが、瞳はまだ赤い。


「あと二ヶ月で、君も二十歳だろ?」湊は楽しそうに彼女を見た。「そうすれば、堂々とお酒を飲めるようになる。でも――」


彼はわざと言葉を伸ばし、握り合っている手に力を込め、暁の深海のような、今は羞恥に揺れる瞳を覗き込んだ。


「どうあがいても、君は僕より年下だ。だろ、暁ちゃん(暁妹)?」


「……『暁ちゃん』って呼ぶな!」


暁は目を見開き、顔から火が出るほど赤くなった。戦場では無敵の執行官が、この一言で完全に崩れた。手を引き抜こうとしたが、湊に強く握り返される。


湊の蒼白ながらも輝くような笑顔を見て、暁は結局、本気で怒ることはできなかった。彼女は俯き、湊の手のひらに額を預け、蚊の鳴くような声で呟いた。


「……勝手にすれば、バカ湊」


廊下では、零次が壁に寄りかかり、中から漏れる微かな笑い声を聞いていた。彼は懐から、シベリアの氷原で守り続けた、角の黄ばんだ写真を取り出した。ミチェル、神宮寺、そして赤ん坊を抱いた男。


「神楽……お前の成長は、その秘密の重さに耐えられるか?」


彼は独り言を漏らし、銀色の影は通路の闇へと消えた。


医務室の空気は、先ほどよりもさらに濃密に固まったようだった。


暁は重なり合った手を見つめ、湊の意地の悪い、しかし弱々しい笑顔を見た。心臓の鼓動が爆発しそうだった。死神とすれ違った後の恐怖が、本能的な衝動へと変わる。


「……もう行くわ。零がデータ報告を待ってるから」


彼女は立ち上がろうとしたが、その瞬間、躊躇した。大きな決心をしたかのように、彼女は身を屈め、湊の乾いた唇に、羽が触れるような純情なキスをした。


暁の頬は焼け付くように熱くなり、彼女は慌てて部屋を飛び出そうとした。


「逃げるのか?」


湊の低い笑い声が響いた。暁が反応するより早く、包帯の巻かれた手が正確に彼女の後頭部を捉えた。


湊は彼女を引き戻し、有無を言わせぬ覇道さで彼女の視線を固定した。「行かせるわけないだろ。まだ楽しみ足りないんだ」


暁が声を上げる間もなく、湊は彼女の唇を塞いだ。それは先ほどの試しのようなものではなく、熱く、深く、侵略的なディープキスだった。


湊は熟練した手つきで彼女の歯列をこじ開け、舌を絡ませる。死の淵から生還した慶びと、抑えていた渇望のすべてをそのキスに込めた。暁の脳内は真っ白になり、湊に握られたまま、レモンティーの余韻が残る彼の吐息に溺れていった。


暁が息絶え絶えになったところで、湊はようやく手を離した。


「行っておいで、暁ちゃん。次は忘れないように。これが『ジョーカー』のリズムだ」


暁は茹で上がったように真っ赤になり、湊を睨みつけると、今度こそ後ろを振り向かずに走り去った。


病室で、湊は彼女の背中を見送りながら、指先で自分の唇に触れた。彼の瞳は、次第に鋭く沈んでいった。零次の帰還は、「平穏」の終わりのカウントダウンであることを、彼は知っていた。


翌日


午後の陽光が防弾ガラスを通り、冷たい床を照らしていた。


湊は清潔な病衣を脱ぎ、グレーのフーディーと黒いパンツに着替えた。顔色はまだ青白く、包帯が数日前の惨劇を物語っていたが、その口元には雅な微笑が戻っていた。


「早くして。あの薬臭い病室に戻りたくないならね」


そう言うのは暁だ。今日は重い装備を解き、紺色の常務服を着ている。彼女は湊の荷物を甲斐甲斐しく整理していたが、その視線は決して湊と合わなかった。


数日前のあの強烈なキスの記憶が、彼女の脳内で火のように燃え盛っていたからだ。


「暁ちゃん、さっきからそのレモンティーばかり見てるけど、何かついてる?」湊がからかうように言った。


「……うるさい! 消費期限を確認してるだけよ!」


暁は跳ね上がるように反論し、慌ててお茶を鞄に詰め込んだ。彼女は事務窓口へ向かい、いつもの冷酷な執行官を装う。


「手続きはまだ? ZERO-DELAY の効率が警察並みに落ちたの?」


窓口の職員は彼女の気迫に圧倒され、平謝りした。


湊はその後ろ姿を見つめていた。不器用だが、この数日間、彼女が一度もこの階を離れなかったことを彼は知っていた。


手続きを終え、二人は出口へ向かう。大気には、死から生還した「明」からの台北の茶葉の話や、今夜の草壁教官との集まりの予定が流れていた。


「君と一緒なら、何でもいいよ」湊の言葉に、暁は少し狼狽えて歩を早めた。


その時、化学防護服を着た清掃員たちが、巨大な黒いタクティカルケースを運び、二人とすれ違った。ケースの縁には暗褐色の血痕がこびりつき、強力な洗浄液の鼻を突く臭いが漂っていた。


暁は顔を顰めて避けたが、湊は足を止めた。彼の獣のような直感は、それが単なる機材ではなく、強引に終結させられた「生命の残骸」であることを察知していた。


「湊? どうしたの?」


「……いや、何でもない。暁ちゃんの二十歳の誕生日に、レモンティーを箱買いしてあげようと思ってね」


「バカ湊! 二度とその呼び方してみなさい!」


二人の声はエレベーターに消えた。背後のモニターにはニュースが流れていた。「昨夜、世田谷区で大規模なガス爆発が発生。生存者の兆候はなし――」


【ZERO-DELAY 本部・屋上テラス】


深夜の風は鋭く、地上数百メートルの希薄な冷気を孕んでいた。東京のネオンがダイヤモンドを散りばめた死装束のように広がり、都市の腐敗を覆い隠している。


湊が重い扉を開けると、そこには銀色の背中があった。


白鷺零次は避雷針に寄りかかり、銀の髪を風になびかせていた。彼は非番の格好で、点火された煙草を指に挟んでいた。


「退院早々この風か。メンタルケアは零にしっかりやられたようだな」


「あいつは嫌味しか言いませんよ。前輩、シベリアの風でも目が覚めませんでしたか?」


「あそこは静かすぎてね。ここの喧騒がちょうどいい」零次は笑い、月光の下で透き通るような銀色の瞳を湊に向けた。「暁は?」


「先に帰らせました。ここ数日、あいつは……疲れ果てていたから」


零次は紫煙を吐き出し、吸い殻を奈落へと捨てた。その動作には、言いようのない粛殺の気が漂っていた。


「湊、お前が一日ほど昏睡していたのは知ってるな」零次の声が急に低くなった。慵懶な態度は消え、極限の冷徹さが宿る。「この一日の間に……『スカベンジャー』は**移除リムーブ**された」


湊の身体が強張った。「移除? それは……」


「言葉通りだ。お前たちが撤退して十分後、司令が『清掃プロトコル』に署名した。アビス(深淵部隊)が拠点のすべてを封鎖し、降伏した者はすべて後頭部を撃ち抜かれた。バラックたちが隠れた部屋には、白燐ガスが流し込まれたよ」


湊の瞳孔が収縮した。鉄さえ溶かす熱の中、彼らが跡形もなく炭化した光景を想像した。


「裁判も記録も、死体さえない。昨夜の『ガス爆発』はすべてを焼き尽くし、零がネット上の痕跡をすべて抹消した。今、この世にスカベンジャーという言葉を知るのは、俺とお前、そして司令だけだ」


零次は手すりを越え、虚空に座るように縁に腰掛けた。


「これが俺たちの忠誠を誓うものの正体だ。熱い奪還作戦は執行官に見せる英雄劇だが、無慈悲な『移除』こそがこの機械の本質なのさ」


湊は拳を握り締め、包帯に爪が食い込んだ。「……バラックの言う通り、俺たちはただの番犬ですか?」


「いや、俺たちはそれより少し上だ。『消毒剤』さ」零次は湊を見た。冷たく、それでいて優しい、最強の男の慈悲。「暁にはまだ言うな。彼女の夢見る『平凡』を守ってやれ。汚れ仕事は、死に損ないの俺たちが背負えばいい」


零次は立ち上がり、湊の肩を叩いて去っていった。


「それと、暁の出生……ミチェルが残した手紙は、彼女の二十歳の誕生日に渡す。今の二人には、まだその重さは背負えない」


テラスには再び死寂が戻った。足元深く、獲物を飲み込んだ体制の満足げな唸りのように、黒い列車の響きが聞こえていた。



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