N (中)
静寂に包まれたロビーに、エレベーターの到着を告げるチャイムが異様に鋭く響いた。扉がわずかに開いた瞬間、湊と暁は完璧なクロスファイアで、門外にいた二人の哨兵を仕留めた。
「ハリー、合流地点の安全を確保しろ!」湊が通信チャンネルで叫ぶ。
その声が終わるや否や、ロビーの南北にある重厚なゲートが轟音と共に上がり始めた。ゲートの向こうから、異なる都市の空気を纏った二つの精鋭小隊が姿を現す。
南側から現れたのは台北A組だ。リーダーの**「明」**のアー甲には流線型の青い光が走り、背後には身軽な部下二人が続く。明がタクティカルマスクを外すと、そこには親しみやすい笑みを浮かべた顔があった。頬に擦り傷はあるものの、その瞳は非常に穏やかだ。
仲間を失い硬直している暁に、彼は歩み寄り、戦術グローブをはめた手を差し出した。そして日本語で語りかける。
「台北支部、隊長の明だ。南側まであんたたちの暴れる音が聞こえてたよ。見事だ」明の言葉には、人を安らげる力があった。「さあ、一緒にこの悪夢を終わらせよう」
暁は呆然と差し出された手を見つめ、ようやくその手を握り返した。声が微かに震える。「……東京A組、新堂暁。よろしく」
一方、ニューヨークA組の空気は重かった。隊長のミッチェル・Jrは父・ミッチェルを彷彿とさせる黒金の重装アーマーを纏い、背後には沈黙を守る二人の隊員を従えている。手にした重電磁散弾銃からは、凄まじい余熱が立ち上っていた。
彼は挨拶を無視し、真っ直ぐ湊の前へ歩み寄った。湊は、老ミッチェルと瓜二つの冷静な瞳を見て、胸に衝撃を受けた。
ミッチェル・Jrは沈黙の後、力強く湊の手を握り、低く標準的な英語で語りかけた。
"My father... he praised you highly in his last encrypted message. He called you a genius of rhythm."
(親父が……最後の暗号通信でお前を絶賛していた。リズムの天才だとな)
湊はその手の重みを感じ、確信した。目の前の青年は、あの寒いジョークを愛し、平和のために戦死した男の息子なのだ。
「……親父さんのことは、残念だった」湊が低く応える。
「謝る必要はない、神楽湊」Jrはマスクを下ろし、瞳を鋭く光らせた。「俺たちがすべきことは、親父がやり残したことを完遂することだ」
その時、三つのシステムボイスがロビーに鳴り響いた。
『こちら零』
『17(セブンティーン)』
『7(セブン)』
最高優先権を持つ零の声が宣言する。
『リージョン協調リンク、同期率100%。核心エリアに不明なエネルギー反応を検知。三国A組、統合完了。目標:核心コントロール室。ミッションコード:TRIDENT』
湊、明、Jr。三人のリーダーは視線を交わした。異なる都市から来た彼らの鼓動は、今この瞬間、一つになった。
「行くぞ」湊がグロックバイザーを下ろす。「全てを終わらせに」
三国の精鋭で構成された「TRIDENT」は、仄暗い円形廊下を疾走していた。そこは工業的な質感を脱ぎ捨て、冷徹な外星テクノロジーと紫色の光脈が交差する異様な空間だった。
『報告:台北B組、装甲強化兵の伏撃に遭遇。損耗率60%。南側リフトを突破不能』17の声はノイズに塗れている。
『ニューヨークC組……通信断絶』ハリーの声は機械的で空洞だ。『西側の進攻は失敗。地上部隊は再編中で、側面の援護は不可能』
空虚な廊下に足音が響く。十人にも満たない孤軍となった彼らの表情は険しい。
零の声が全員のイヤホンに響いた。それは人間を「慰める」ことを模倣しようとする、不器用な声だった。
『前方核心エリアに大量の高エネルギー反応。現在のデータに基づけば、援護なしで四体以上の深淵強化兵と対峙した場合……生存予測率は**3.02%**です』
チャンネル内は死の静寂に包まれた。
『しかし注意してください』零が急いで付け加える。『これは静的データに基づく「仮説的推論」に過ぎません。神楽執行官の「リズムの偏差」や明執行官の「極限回避」といった変数は考慮されていません。確定事項ではないのです』
「3パーセントか……」明が自嘲気味に笑い、汗を拭った。「聞いたかい? 俺たちにはまだ、英雄になるチャンスが3パーセントも残ってる」
暁は答えず、銃を握り締めた。AIが「仮説」で慰めようとする時、現実は直視できないほど残酷なのだ。
その沈黙を破り、天井が音もなく裂けた。
「散れ!」湊が殺気を捉えた。
だが、一歩遅かった。漆黒の新型強化兵が影から襲いかかり、異形化した利刃が明の背後にいた台北隊員の阿誠(ア誠)を貫いた。
「阿誠!」明が叫ぶ。
悲鳴を上げる間もなく、阿誠の体は引き裂かれた。強化兵が電子ノイズのような咆哮を上げ、血塗られた瞳で一同を凝視する。
バイザーの生存率が再び書き換えられた。
[ 2.98% ]
「その数字を見るな!」ミッチェル・Jrが散弾銃を乱射し、強化兵を押し戻す。「ハリー、リミッターを全部外せ! この3パーセントを100パーセントに変えてやる!」
エレベーターの扉が閉まる音が、戦場を二つの世界に分断した。
外側は、名実ともに地獄だった。
**大門剛**が獣のような咆哮を上げ、過負荷で赤く光る機械腕を振るう。前には四体の「深淵強化兵」が立ち塞がっていた。
「へっ、白髪の……まだやれるか?」大門が肩で息をする。腹部の装甲は裂け、鮮血がベストを染めていた。
**白鷺零次**は、銃身が熱で紫に変色した長銃を構え、冷ややかに答えた。「左を見ておけ」
一人の強化兵が視認不能な速度で突進する。大門は機械義肢を地面に叩きつけ、電子振動シールドを展開した。「止めろぉぉ!!」
【ドォォォォン!】
衝撃の中、零次が大門の肩を蹴って宙を舞う。長銃を棍棒のように扱い、強化兵の油圧ラインを正確に叩き折った。
「大門、最大出力だ!」
「オラァァ!」大門の脈衝が敵のバランスを粉砕する。
着地寸前、零次はハンドガンを抜き、シールドの反射スポットへ三連射した。強化兵のエネルギー核が誘爆し、鉄の塊が霧散する。
束の間の静寂。
北翼のプラットフォームには仲間の死体が転がっていた。A5、A3、A4……。ソフィアは意識を失い、壁に寄りかかっている。
大門は弾薬箱に腰を下ろし、血の混じった痰を吐き捨てた。そして懐からウィスキーの瓶を取り出す。「帰ってから飲むつもりだったんだがな……」
零次は歩み寄り、瓶を受け取った。汚れなき顔は今や返り血に塗れ、白髪が顔に張り付いている。
「……あの馬鹿共のために」零次は低く呟き、最後の一口を飲み干した。
「残りの三体は……俺が引き受ける」大門が立ち上がり、最期のタバコに火をつけた。「自爆プロトコルは解除済みだ。一歩も通さねぇ。……お前は行け」
零次は悟った。これがこの男の最期の優しさなのだ。
「生きて帰って、酒を奢れ」零次は背を向けた。
「ハッ、なら急げよ、冷徹男!」大門は背中で手を振り、再び開いたゲートへと突っ込んでいった。
地響きが止んだ。
北翼プラットフォームは崩落し、大門の自爆によって強化兵は消滅した。
零次は瓦礫の中を歩く。壊れた操作パネルの側には、絶命してもなお門を守る姿で事切れた大門がいた。
零次の瞳は血走り、体は限界を超えて警報を鳴らしている。
「零との接続が断たれたか……」彼は虚空に問いかけた。「ハリー、いるか?」
『ここにいるよ』ハリーの電子音が狂気を孕んで響く。『君の数値は限界だ。もう一度やるかい? 脳をAIに捧げる「神格シミュレーション」を』
「ああ。リミッターを全て焼き切れ」零次は大門の遺体の傍で屈んだ。
『君の脳は10分で焼き尽くされるよ』
「構わない。……そのチップに手を貸せ」
零次がチップに触れた瞬間、電流が走り、脳内に直接ハリーの声が響く。
『同期率100%リクエスト――確定かい?』
「確定だ」
零次の瞳孔が収縮し、無機質な銀白色に染まった。高圧電流で血管が浮き上がり、長銃が悲鳴のような共振音を上げる。この瞬間、彼は人間を超越した戦場の神となった。
彼は震える手で、大門から受け取った酒瓶を掲げ、残りの残滓を飲み干した。灼熱のようなアルコールとアドレナリンが、彼に最期の「人間」としての体温を感じさせた。
瓶が砕け、零次の体から残像が消えた。
「ハリー、間に合うか?」
『間に合うよ……でも、君の心臓は耐えられるかい?』
零次は、爆発しそうなほど激しく打つ鼓動を感じた。
「……これを撃ち殺し尽くすまでは、止めさせない」
【ドォォォォン!】
白い閃光が廊下を貫き、空気との摩擦で火花を散らした。
核心エリアの空気は水銀のように重く、紫のパルスが壁を走る。
台北A組の最後の一人、**阿豪**が柱に寄りかかっていた。腹部を貫かれ、鮮血が青いアーマーを染める。
明が駆け寄り、震える手で傷口を抑えた。「しっかりしろ! 十七、ナノ医療剤を!」
阿豪は血に染まった手でそれを拒み、微笑んだ。「無駄だよ、明……あんたは、いいリーダーだった」
「死に急ぐな。これは個人の犠牲じゃない……俺たちの『使命』だ。……じゃあな、明」
阿豪の手が力なく落ち、アーマーの光が消えた。
「阿豪!!!」明の叫びを、強化兵の鉄靴の音が踏みにじる。
戦場の中央では、湊と暁が極限の連携を見せていた。
湊がリズムを捉えて中距離から制圧し、その隙を縫って暁が至近距離から散弾を叩き込む。
「スイッチ、暁、引け!」
暁が後退し、その頭上を湊の弾丸が掠め、敵の腕を弾く。だが二人の体力は底を尽きかけていた。
もう一方では、ミッチェル・Jrが狂犬のように散弾銃を吠えさせていた。部下一人を失いながらも、明と共に二体の強化兵に立ち向かう。
「ハリー! 十七! 弱点はまだか!」
『解析不能……装甲が動的に再構成されています』
地を揺らす重拳が明とJrを吹き飛ばした。倒れた二人の上に、黒い鉄の塔が死の刃を振り上げる。
生存率はついに絶望の数字を刻んだ。
[ 0.8% ]
その瞬間、音速を超えた破空音が響き、純白の閃光が廊下を爆裂させた。
第一体目の強化兵は腕を上げる暇もなく、胸部を電磁弾で粉砕され吹き飛んだ。
「白鷺先輩……!」暁が目を見開く。
硝煙の中に立つ零次は、過負荷の電光を全身から放ち、銀白の瞳で冷徹に告げた。
「止まるな。ここは、お前たちの戦場じゃない。湊、暁、明! 残った者を引き連れて先へ行け!」
零次の通信が全員に割り込む。
「零! 十七! 俺への支援を全て打ち切り、演算リソースを先行組へ回せ! ここは俺とハリーが片付ける」
『了解……白鷺執行官、武運を』
廊下には零次とJr、そして最後の一人が残された。
零次は防御を捨てた。長銃を電磁刃に切り替え、銀色の弧を描く。
「ハリー、0.001秒の隙を」
『神格同期、開始!』
死の網を縫うように踊り、零次はハンドガンで関節の核を撃ち抜いた。着地ざまに長銃を敵の心臓部に突き立て、雷光で貫く。
「次だ」零次が吐血した。
Jrはその背中に畏敬の念を抱き、狂ったように援護射撃を続ける。「この光に続け!」
零次の心拍数は限界を超え、通信越しにハリーへ届いていた。
「ハリー……まだ、動けるか?」
『ボクのコアも焼き切れる寸前さ……一緒に行こう、地獄まで』
ハリーの幼い、楽しげな声が響く。
「ああ」零次は最後の強化兵を捉え、残像となった。
強化兵の巨斧が迫る。零次は避けず、腕を砕かれながらも右手の銃をその頭部に押し当てた。
「ハリー……フルパワーだ……!」
白い光が全てを飲み込み、廊下に静寂が訪れた。
光が消えた後、零次は焦げた床に膝をついた。左腕は力なく垂れ、白い装甲は剥げ落ちている。
背後には、炭化した強化兵の残骸。
Jrたちは戦神のような背中をただ見つめていた。
零次はゆっくりと立ち上がり、湊たちがこじ開けた核心の扉を見据えた。
生存率は、彼がその手で引き戻したのだ。
「休め、ハリー。……まだ力があるなら、B組とC組を助けてやれ」
『了解……』
視界の端でハリーのアイコンが消えた。零次は、重く、ゆっくりと、だが確かに打つ自分の鼓動を感じながら、硝煙の向こうへと消えていった。




