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ZERO-DELAY  作者: WE/9
新参者

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DAY ONE

新宿の雨は、いつも安っぽいネオンの匂いがする。


巨大な電子看板にはバーチャルアイドルの作り笑顔が映し出され、その下を蟻の群れのような群衆が通り過ぎていく。無数の足音、話し声、そして遠くの車流音。それらが混ざり合い、混沌としながらも安定した「都市のリズム」を刻んでいた。


地下鉄の出口、その陰に一人の男が立っていた。ぶかぶかなレインコートに身を包んだその男は、宣戦布告の一言もなく、ただ懐から違法改造された自動小銃を取り出した。


――銃声。


最初の一発は、平穏という名のキャンバスを無残に引き裂いた。


返信を打とうとスマートフォンを眺めていたサラリーマンが、糸の切れた人形のように倒れ込む。群衆はコンマ数秒だけ硬直し、直後、鼓膜を突き刺すような悲鳴が爆発した。男は無表情に引き金を弾き続け、暗い雨幕の中で火花が激しく散る。


「全員伏せろ! 遮蔽物に隠れろ!」


パトロール中の民警二人が即座に応戦する。ベテランの老警官が親子を庇いながら応援を呼ぶが、身を乗り出した瞬間、弾丸が彼の脇腹を正確に貫いた。


「先輩……!」


若い警官が悲鳴を上げる。老警官は雨の中に滑り落ち、その深い紺色の制服は、みるみるうちに鮮血に染まっていった。


犯人は故障した電化製品のような乾いた笑い声を漏らし、乱射を続けながら十字路の中央へと歩を進める。


その時だった。


すべての警察無線のチャンネルが、鋭い電子ノイズに切り替わった。そして、感情の欠落した——どこか機械的なユーアを湛えた男の声が割り込む。


『――親愛なる同僚の諸君。ここからは「ゼロ」が戦局を引き継ぐ。「空間プロトコル」を発動せよ』


救出に向かおうとした警官たちが、その声を聞いた瞬間、一斉に動きを止めた。その顔に浮かんだのは安堵ではない。恐怖に近い畏怖だった。


「引け! 早く引け!」


負傷した老警官が傷口を抑え、顔を青ざめさせて叫ぶ。


「一般人を連れてこの場を空けろ……! あいつらが来るぞ!」


警察は狂ったように群衆を押し戻し、イエローテープを張り巡らせる。犯人を包囲するためではない。繁華街の中心に、物理的な「真空地帯」を無理やり作り出したのだ。


犯人が異変に気付く。人波が消えるのが早すぎる。目の前の警官たちは自分を見ようともせず、ただ足元のアスファルトを凝視している。


地底深くから、微かな振動が伝わってきた。


それは地震ではない。数百トンの質量が、時速数百キロから一瞬でゼロへと急停止した際の物理的なフィードバックだ。


「――ッ!」


案発地点からほど近い駅。建物の陰に隠された廃線跡の入り口から、大量の冷却煙が噴き出した。


光を飲み込むほどに黒く、流線型の列車が、音もなく姿を現す。窓はなく、鏡のように滑らかな表面が、ネオンの光を危うく反射していた。


新宿三丁目の地下深く。地図上では「変電所」と記された、決して電車が通ることのない秘密の軌道に、黒い列車が猛烈な減速で滑り込む。


ハッチが開くと同時に、二つの影が弾け飛んだ。


彼らはエレベーターには向かわない。行き止まりに見える通風孔の壁へと直走る。


先頭を行く女、その腕には血のような赤色のラインが発光している。彼女は垂直の壁を駆け上がり、流線型のプロテクターから噴射される加圧ガスを利用して、重力を無視した軌道を描く。


続く男は、肩と腰に雪のような白銀の合金を光らせていた。細身でありながら豹よりも鋭く、梁を片手で掴み、一回転して上層の通路へと躍り出る。


二人の流光が地下から突き抜け、わずか十秒で地上へと飛び出した。


【目標地点到達:新宿三丁目 13番出口】


犯人は狂ったように外囲の警察へ銃弾をバラ撒いている。


「退避しろ! 全員下がれ!」


老警官の絶叫が響いた瞬間、空から赤い影が舞い降りた。


赤いラインを刻んだ女が、隕石のような勢いで犯人の目前に着地する。衝撃で新聞スタンドの破片が舞い散る中、彼女は回転の勢いそのままに、漆黒の装甲脚で犯人の銃身を叩き折った。


バキィッ、という硬質な破壊音が響く。


犯人が恐怖に顔を歪めて後退する。だが、その背後の影には、もう一つの白い影が音もなく立ちふさがっていた。


雪白の装備を纏った男が、銃のグリップに手をかけ、氷の鏡のような冷徹な瞳で犯人を見つめる。彼はすぐには撃たず、わずかに首を傾けた。混迷する殺意のリズムを感じ取るようにして、一言だけ呟く。


「――クリーニング(処理)」


鈍い銃声。


雨音は止まない。犯人の額に刻まれた孔から力が抜け、その体は泥水の中へと崩れ落ちた。


女は立ち上がり、腕の赤い光が静まるのを待つ。白衣の男は優雅に銃を収めると、遠くで立ち尽くす民警たちを一度だけ見やった。


負傷した老警官の箇所で、彼の視線がわずかに止まる。冷淡さの中に潜む微かな温もりが過ったが、すぐに彼はインカムを起動した。


ゼロ、清掃員の手配を」


二人は再び残像となり、闇の中へと消えていった。


一間、静まり返ったオフィス。


テレビには新宿の事件が映っている。


「……満足か?」


デスクの向こう側で、疲れ果てた老人がテレビを消した。


神楽かぐら みなとはソファに座り、両手を廉価なスーツのポケットに突っ込んでいた。暗くなった画面を見つめるその指先は、彼にしか聞こえない律動リズムに合わせて膝の上を叩いている。


「神楽、君は私が知る中で最高の警官だ」


長官がデスクに一通の書類を押し出した。更職届。


「だが、君のその『リズム』……体制は君のような異類を許さない。警察に必要なのは天才ではなく、部品パーツなのだよ」


湊は笑った。雅痞がぴな気質を漂わせる、どこか孤独な微笑。


「部品は替えが効きますが、リズムが狂えば命は終わりですよ」


長官は沈黙の後、引き出しから一通の白い封筒を取り出した。


「もう一度引き金を引きたいなら、ここへ行け。……奇妙な場所だが、君の周波数には合っているかもしれん」


差し出されたのは、セラミックと金属の中間のような質感を持つ純黒のカード。磁条もなく、文字もない。ただ光の加減で地下鉄の路線図のような環状のエンボス加工と、灰色の『0』が浮かび上がる。


「これは『切符』だ。発車時刻はない。場所は奥多摩の奥地、廃棄されたトンネルの入り口だ。そこへ行けば、自ずと理解できるだろう」


湊は冷たいカードを指先で弄んだ。その動きには、生まれ持ったような律動感がある。


「奥多摩か……。引退後の静養には良さそうな場所だ」


彼は立ち上がり、長官に軽く会釈した。更職された身でありながら、オフィスを去るその背中は、どんな時よりも軽やかだった。


【奥多摩深山・廃棄0号トンネル】


深夜の山。雨は都市部よりも暴虐だった。


湊は簡素なバッグを手に、苔と砕石に覆われた旧いレールを踏みしめる。ここは数十年前に廃止された支線のはずだ。


トンネルの入り口で、彼は黒いカードを取り出した。


カードがセンサーに近づいた瞬間、周囲の混沌とした雨音が「変わった」。


雨粒の打撃音、木の葉の摩擦音。それらがまるで強大な力によって強制的に校正キャリブレーションされたかのように整う。レールの深部から、彼が最も愛する機械の拍動が伝わってきた。


トンネル内から気圧が押し出される低い唸りが響き、暗闇の奥から鋭い白光が放たれる。


黒い列車が猛烈な速度で突き進み、湊のわずか一メートル前で、目に見えない重力に捕らえられたかのように静止した。


ハッチが開く。冷気と共に溢れ出した白霧の向こうに、流線型の鋼鉄の獣が横たわっている。


湊は深く息を吸い込み、その瞳を鋭く尖らせた。


足を踏み入れた先は、未来感の漂う空間だった。壁面には深青色のデータ流が走り、人間工学に基づいたサポートスタンドが並んでいる。


そこには、先ほどの二人がいた。


「こいつが例の『リズムマスター』? 笑わせるわね」


赤いラインを刻んだ女――新堂しんどう あきらが冷笑を浮かべる。


「決めつけるのは早いよ、曉」


白い装備の男――白鷺しらすぎ 零次れいじが短刀を収め、湊の呼吸頻度を観察するように見つめた。


その時、拡音器から軽快で生真面目な声が響く。


『ZERO-DELAYへようこそ、神楽湊様。私はシステムAI「ゼロ」。任務開始前に警告を。初乗車で吐き気を催すことがあれば、それは本列車の加速度が、お客様の羞恥心を超えているせいです。……これはジョークです。笑ってください』


湊は一瞬呆然としたが、殺気立った同僚たちを前に、少し気まずそうに告げた。


「神楽湊だ。よろしく頼むよ」


「白鷺零次。彼女は新堂曉だ」


零次が湊の手を握り返す。


「出すよ。掴まってて」


列車は三秒で音速に達した。壁面のスクリーンに、世界各地の犯罪率が歴史的新低を記録したデータが映し出される。


『零延遲(ZERO-DELAY)プロトコル発動から十八ヶ月。東京、台北、ニューヨーク、ソウル……。世界中の首都圏における犯罪損害率は、歴史的最低水準に達しています。我々の仕事は、犯罪を死という絶対的な等式で解決すること。それだけです』


「完璧なユートピアだな」


湊が淡々と返すと、曉がヘルメットを脱ぎ捨てた。清廉で、しかし頑なな面容。


「ユートピアじゃない、効率よ。警察の『交渉と手順』なんて無意味な傷亡を増やすだけ。あんたのリズムが邪魔になるなら、私がこの手で叩き出すわ」


一傍の零次も、細い指先を刃に滑らせる。


「長官が推薦するからには、それなりの理由があるんだろう。この数値を壊さないでくれよ、新人」


湊は目を閉じ、深く息を吸った。


再び目を開けた瞬間、散漫だった気場は消え、その瞳は列車の脈動と完全に同調していた。


「データがこれほど綺麗なら、維持してやらないとな」


湊は不敵に微笑み、AIコアを見上げた。


「なあ、零。本部はまだか?」


『終着駅まで、あと六分です』



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