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彼の神さま誉さま。  作者: 花より団子よりもお茶が好き。


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◇【参の弐】コウヨウ◇

 

 気を失い、次に目を開けた時にはあの家の縁側に寝かされていた。

 今日のように春の木漏れ日が射し込んで……あろうことか、誉の膝の上に頭を預けて――


 その光景を思い出し、思わず(かぶり)を振った。

 ……山道を下る足音が、静寂(せいじゃく)に響く。

 もう直ぐ其処に祠の屋根が見えていた。

 更に数歩進むとこぢんまりとした祠が目に留まる。


 誉は生前それはそれは強い支配者(ドム)だったらしい。コウとは真逆の特性、それを持ったまま神として生まれ変わってしまったようだと、少し困った顔でそう言っていた。

 正直コウ自身も会う前から〝そうだろう〟と思ってはいた。

 普段から薬と理性で騙し騙し抑え込んでいた欲求は誉というたった一人の存在により容易く暴かれ、瞬く間に〝枯渇(こかつ)状態〟と呼ばれる症状へ陥ったのだ。

 支配や命令、慈愛でこの身を満たしてくれる強い存在が目の前にいると本能で悟っていた。

 乾ききった砂漠で狂ったように水を求めるように、その全てを欲した感覚。

 理性を保っていられなくなり、気付いたら誉を押し倒し、その身に触れていた。真っ白なその身に……愚かにも介抱までされて。


「……忌々しい」


 喉の奥で、苦い呪文のように呟く。

 自身を最も脆く浅ましい弱者へと引きずり下ろす、この身が。

 誉に関わるようになって、一年。

 結局我慢が利かず誉に頼る日々が続いているが、未だにこの感情と折り合いはついていない。

 おまけに誉はコウのこの複雑な感情を知ってか知らずか『僕はいつでもいい』などと言ってのける。

 素直に受け入れられずにいると『照れなくても』などと言い、おまけに『早く特定の相手をみつけるように』などと言う。


(納得いかねぇな……)


 たどり着いた祠の横に黒い靄が立っていた。

 おそらく不幸な事故で亡くなった野犬か何かだとコウには分かる。

 決して悪い存在ではないということも……。


「こんな所に居座んじゃねえよ」


 まるで誰かを待っているかのようにちょこんと大人しく座って。


「なんだ成仏したいのか。なら待ってないで自から神のもとへ行くんだな。山の上にある粗末な家だ。行ってみろ。あの主人なら快く迎えてくれるだろうさ」


 野犬の形をした靄が風と共にとぐろを巻いて消え失せた。おそらくただ姿を消しただけ。


「は、まだ時期じゃないってか」


 コウは祠の直ぐ脇にある井戸まで行くと水を汲んで持っていた手拭いを濡らした。

 絞った手拭いを片手に祠へと戻ると、右手で祠の屋根にある落ち葉や花弁を払い除ける。

 そして開いたままの扉の奥に佇む石像へ手拭いを伸ばした。

 その石像は柔和な面立ちで慈愛に満ちた微笑みをたたえ此方を見据えている。

 両手を左右に伸ばしてまるで万物へ救いの手を差し伸べるように、そして包み込もうとしているかのように。

 細く彫られた腰に丈の長い着物、そして長い髪は美しい女性を思わせた。

 その頬についた土埃を手拭いで拭う。


「俺の……女神」


 ぼそりと呟く。


「――おや、若いのに感心だねぇ」


 背後からの声に咄嗟に振り向くと、曲がった腰に両手を置いた老爺(ろうや)がいた。

 穏やかな顔立ちで開いているのか閉じているのかわからぬ瞳はいつものように目尻が下がり優しそうだ。

 見知った顔だった。村に孫と二人で住んでいる。何度か頼まれて鼠が穴を空けた家の壁を直したことがある。ついでに鼠駆除も。


「この間は助かったでなぁ」

「あぁそりゃあ良かった。またなんかあったら言ってくれ」


 コウは誉の前ではあまり見せない愛想を浮かべて老爺の話に合わせた。何しろこれでも大事な顧客だ。

 すると老爺の後ろからひょこりと幼い顔が現れる。こっちをじっと見てから「なんだコウか」と言ったのは他でもないこの爺さんの孫だ。

 おかっぱ頭の黒髪に育ちに似合わぬ真っ赤な着物。


「これお雪。そんな言い方をしては失礼じゃろう」

「だってウチ、こいつ嫌いなんやもん」

「こら! まったく……すまんねぇあとできちんと言って聞かせるでなぁ」

「いいや爺さん、気にせんでいいさ。俺はどうにも子供に嫌われるみたいだからな」


 みよの反応にこのお雪の反応だ。

 今まで特に意識したことはなかったが今この時を持ってコウは確信する。

 いくら気さくな青年を演じても子供にはその裏が見えているのだろう。


「と、悪い。邪魔だったな」


 コウは祠の前から体をずらしてその場を譲った。


「すまないねぇ」


 そう言って老爺は祠の前までくると屈んでその中を仰ぎ見た。


「あぁいつ見ても美しい神様じゃて」


 両手を顔の前で合わせて有り難いとばかりに拝む。


「誉さまや、誉さま。あなた様のお告げの通り、水路がちいとばかり、くたびれておりましたじゃ。今、村の若い衆が総出で直しておりますれば。新しく山から川の水を引く話も出ております。直に水の問題も消えてなくなりましょう。……皆、あなた様のお陰でございます。〝景明(かげあき)さま〟」


 景明、その名に孫のお雪が反応する。


「爺ちゃんそれ、だあれ?」

「おや言ってなかったかねえ。この像の元となった御方だよ。昔はのう、ここはもっと大きな領地でそこを治めていた方が景明さまという方じゃった。景明さまは誉さまの愛称で慕われておってなぁ、それはそれは美しい殿方だったそうじゃ」


 老爺はまるで見てきたかのように、懐かしげに遠くを見詰めて語る。

 だがお雪はその言葉に小首を傾げた。


「誉さまは女の人だよ?」


 そう、誉のことは誰もが女神だと讃えるのだ。殿方という言葉に疑問を持つのもなんら不思議ではない。


「そうじゃなあ。そうじゃ、まるで女神のように慈悲深くお美しい方だったそうじゃ。だからじゃろうなぁ。亡くなられてから誰もがその姿を惜しみ誉さまは女神さまであったと語り継いだのであろうなぁ」

「えぇ?」

「ふふ、お雪にはまだ難しい話だったかね」 


 老爺は立ち上がる。


「お前さんも早く水路の修理を手伝っとくれ、人手は多い方がいいからのう」


 コウへそう言うと「それではまた」と軽くお辞儀し、お雪を連れて村へと山道を歩いて行く。


「そうじゃお雪、あの祠を作ったのは儂らの先祖様なんじゃぞ」

「そうなの?」

「儂も子供の頃に儂の祖母から聞いた話じゃてな、正確なことは分からんが……本当の誉さまの祠は景明さまが亡くなられたもっと西の――あるとも――言われ――」

 

 コウは二人を見送りながら、その背後で蠢く二つの靄に目を凝らしていた。

 不気味な黒い靄が二人の背中を追い、その靄を先ほどの野犬の靄が追い払おうとしているのだ。


「……」


 生温い風がコウの頬を撫で、通り抜けた。



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