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彼の神さま誉さま。  作者: 花より団子よりもお茶が好き。


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◇【参の壱】コウヨウ◇


(――全くもって忌々しいな)


 コウはいくぶんか気分がよくなった体で、誉の住むはりぼての家から離れ、山を下っていた。

 人が殆ど通らぬ獣道だが誉が日々使い、そしてこの道を頻繁に行き来するコウによって、それなりに手入れが行き届いている。

 ふと小さな野鳥の鳴き声が、しんとした山に落ちた。


「こんな体でなければな……」


 道に飛び出る邪魔な枝を片手でへし折るとパキリと乾いた音が響く。


(この体がアイツの〝命令〟なんか求めなければ、なんの支障もねえってのに)

    

 へし折った枝を放り捨て、悪態をつく。

 先程まで割れるように痛んでいた頭は、今は嘘のように消えていた。胸を焼いていた不快な焦燥感(しょうそうかん)もあの細腕に抱き締められた瞬間に霧散(むさん)してしまった。

 

 早く特定の相手を見付けるように言う誉の言葉が頭に浮かぶ。


(うるせえな)


 コウがこの村に来たのはおよそ一年程前のことだ。

 きっかけはただの噂だった。『山の上に天女のような白い神が住んでいる』その話を聞きつけて一縷(いちまつ)の望みを持ってこの村まで来てみれば、誉という名の女神を祀っていた。

 その姿を確かに見たと言う老いぼれた爺さんの言葉を半信半疑で山へ入ると、小さな祠の裏手にある藪の奥深く、蛇行した山道が続いていたのだ。

 だが山道を登るにつれて激しい憔悴感に襲われた。

 冷や汗をダラダラと流し立っていられなくなって動悸のする胸を押さえ、その場に倒れ込む。

 〝発作〟だ。抗いたくとも逃れられない支配されることへの渇望。

 割れるような頭の痛みは薬草を煎じて飲めば抑えることは出来る。だがこの欲だけはそう簡単に切り離せるものではない。

 これはコウが生まれながらに持っている、この世でもっとも珍しい〝服従者(サブ)〟と総称される者の特性だ。

 それは病とは異なり治す術もない。


(おかしい。普段はこんな……まさか、近くに〝いる〟のか?)


 いたとして、今までこうなったことがない。

 ここまで激しい飢えのような苦しみを味わったことがなかった。

 そもそも基本的には互いに分からないものなのだ。


(仮に居たとして支配する者(やつら)の〝威圧〟とも違うこれはなんだ?)


 立ち上がろうと踠くが視界がぐにゃりと傾き、再度地面に手をつく。

 荒くなる呼吸に耳鳴りまでも襲った。

 胸の奥から何かがじわりじわりと迫り上がる。自身でも知らない己の深いところに潜む欲という名の本能が全身を犯すように広がっていく。

 恐怖を覚えた。己を見失う恐怖を。

 堪らず意識を失いかけたその時――その声が静かに響く。


『大丈夫かい?』


 はっとするほど澄んだ声。

 澱んだ空気が一瞬で一掃されるような――けれど春の日差しのように穏やかで、身体ごと包み込むかのようなやわらかな響き。


『まさかこんなところに、君のような子が来るなんて』


 ゆっくり顔を上げると目の前に白雪のような真白の長髪が視界を奪った。

 次に白い着物が目に飛び込んだ時には、目の前の誰かが湿った地面に膝をついているのが分かる。

 頭を何者かに……抱き込まれている。

 その者の着物の裾が、無垢な白から土色に汚れる――それが嫌に気になった。


『あぁこんなにも〝飢餓〟が進んで……今楽にしてあげようね』


(なんだ……この声、この声は……なんなんだっ)


 一言発せられる度に、体がふわりと軽くなる。


『大丈夫。よく頑張ったね』


 ドクンと心臓が跳ねた。


『こんな状態で……今まで大変だったろう。よく我慢したね』


 悦びで脈を打つ。


『〝いい子だね〟』

『っ!』


 一瞬にして真っ白になった視界、気付いた時にはそのしなやかな体を押し倒していた。

 地面に美しく広がる雪花の長髪。

 柳眉、睫、肌、その真っ白な雪景色の中で咲く、一際目立つ瑠璃色の瞳。


(コイツ……!)


 咄嗟に押さえ付けていた両腕を離した。

 体の芯から熱に浮かされ視界が霞む。

 だというのにその姿を目に留めた瞬間、過去の記憶が堰を切って鮮明に甦る。

 アイツだ。

 己が長年探し続けていた〝その人〟なのだと。


『やっぱり君……僕が見えているんだね』


 一瞬何を言われているのか分からなかった――品良く伸ばされた白い手が頬に触れる。


『大丈夫。さぁこちらに〝おいで〟耳を僕の胸に当ててごらん』


 それだけで、自身の意志とは裏腹に心と体が歓喜する。

 言われるがまま導かれるまま、その胸元へと顔を沈めた。女とは異なる膨らみのないなだらかな感触。

 すると赤子を慰めるかのように後ろ頭を撫でられる。


『よくできたね。ほら、君には心臓の音が聞こえるかい?』


 耳を当てると、どく、どくと静かに脈打つ音がした。


『心臓の音を聞くと落ち着くと言うからね……少しは楽になるといいのだけど』


 正常な思考であれば素直に受け入れ難い状況だというのに、さっきまで暴れていた発作と本能的欲求が徐々に鳴りを潜めていく。

 代わりに今までに感じたことのない多幸感(たこうかん)に包まれた。

 それに気付いたのか『良かった。君はいい子だね』と、また頭を撫でられ、背中をとんとんと軽くあやされる。

 

 別の意味で頭がおかしくなりそうだった。


 咄嗟に立ち上がり、逃げるように距離を取る。


『それだけ元気ならもう大丈夫そうだね』


 土埃を払いながら優雅に立ち上がるその姿、日の光が真っ白な髪や衣に反射する。

 人とは思えぬ美貌、神々しさ、柔和な面立ちはまるで

 

(――なるほど、女神か)


 言い得て妙だ。

 緑生い茂る山の中で、白百合のように凛と立っている。


『僕は誉と呼ばれている神だよ。君は? 〝教えて〟』


 正常じゃないからなのか、今はコイツから発せられる一言一言が全て、命令に聞こえる。

 その言葉に高揚し、乾いた心に水が浸透するように悦びが広がる。

 だが理性では、それを好ましく思わない己がいた。


『っ俺は……紅葉(コウヨウ)


 あがくように小声で呟く。


『……? コウって言うのかい?』


 ただの問いだ。命令でもなんでもない。答えなくてもいい。

 だが命令されたように錯覚してしまう、これはなんだ?


(きちんと応えなければ……違う、くそっ)


『コウって言うんだね。教えてくれて〝ありがとう〟』


 正しくは違う。だが気付かず述べられた(れい)。今度はそれを〝褒められた〟と錯覚し気分が高揚する。


『これから〝よろしく頼むよ〟コウ』


 その瞬間、意識が落ちた。

 

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