◇【弐ノ弐】生け贄 ◇
みよをここに連れてくる前。
そう、みよが正に〝生け贄〟として捧げられようとしていた瞬間のことだ。
誉は身投げ崖と呼ばれる名所にいた。
その崖の下、川辺には大人ばかり集まっており、先頭には祭司のような出で立ちの者と子供一人分の唐櫃を運ぶ男衆。
それらを見守る村人の誰かが「可哀想に」と言い、誰かが「仕方ない」と言った。
彼らの視線の先にはやはり、今まさにその場に置かれた唐櫃がある。
その中に〝みよ〟がいる。
誉はそれを知っていた。何しろ彼は神なのだ。
なんならみよが生まれた瞬間。いやその両親の馴れ初めまで知っている。
崖の上からひそかにその光景を目に止めて、この場をどう納めたものかと頭を悩ます。
「直接彼らの前に姿を現し、僕に雨を降らせる力が無いことを伝えるか。いやそうしたとして誰が信じるというのか」
しかしどうにかして止めねばならなかった。このような事はどう考えても人の道理に反する。
何よりあまりにみよの境遇が憐れでならない。あの子はまだ齢四つ。
もう少し寝れば五つになる。
「おい、ほっとけよ」
まさに出て行こうとした時。
誰かに強く腕を引っ張られた。誰かとは言ったが一人しかいない。
「コウ……悪いけど行かせておくれ。こんなのは間違っているよ」
「アンタが行ったって何も変わらないさ」
「そうかもしれないけどね。じゃあこうしよう。僕が時間を稼ぐから、その間にコウが」
「手は貸さないぞ」
「そうかい。それじゃあ僕が動くしかないね」
「いいから、もう少し様子をみろよ」
誉はコウの手にそっと触れて、その手をやんわりとどける。
「頼むよ。家も両親も失って、挙げ句の果てにこんな……」
誉は今でもよく覚えている――昨年のことだ。
ある一角で火事があったのだ。運が悪いことに、それがみよの家であった。
そこまで立派ではないよくある素朴な家屋は、あっという間に炎で包まれ、それと同時に彼女の両親も燃え上がり、翌朝には還らぬ人となった。
まだ火種が奥に潜む赤と黒が混じった家の残骸、折り重なるように落ちている人と思わしき焦げて砕けた骨。
忙しなくそれを片付け始める大人たち。
その焦げきって形を無さなくなった家の前で呆然と立ち尽くす、みよ。
人と木の焼けた匂いは酷いものだった。
それを切っ掛けにみよは言葉を失い。
その後、親戚をたらい回しにされた上に、冷遇され満足に食事も取れず、挙げ句の果てには生け贄として白羽の矢が立った。
それも、生け贄として捧げられたとて、恵みの雨など叶えられないというのに。
これでは無駄死にというもの。
「これでもこの地の神だよ。あの子のことは当然よく知っている。だからこそ」
「だからこそ、愚かな村人たちの事もよく知ってんだろ。……アンタは、例えば人殺しでも助けるってのか?」
「もちろんだよ。そもそも僕がまともな神であればこんな不条理はおきなかった。このような事に誰かを巻き込むなんて」
コウはもう呆れたといわん顔で「勝手にしろ」と舌打ちすると顔を背けた。
その時だ。まさに今、みよの入った唐櫃が川に沈められようとしている。
「コウ、君の言うことも一理ある。だから〝こうしよう〟」
誉はそう言って、川岸に強い風を吹かせて川を波打たせた。
急な高波に足を取られそうになった男衆が目を泳がせる。
村人達が異変を感じ取り、なんだなんだと騒ぎだした。
「まさか誉さまがお怒りなのか?」
「そんなまさか、誉さまは〝美しくお優しい女神様〟だぞ」
「ではせっかくの生け贄をモタモタと渡さぬから、お怒りなのか?」
男衆が唐櫃を慌てて川につけた。
その瞬間、誉は心の内でありったけに叫んだ。
『ええいっやめよ!』
誉の、少し高いがしっかりと〝男〟と分かる声が辺りに響き渡った。
「……だ、だれだ?」
「お、お前か?」
「私じゃないわ」
恐る恐る辺りを見回し声の主を探す。
だが見つけられる筈もない。誉は崖の上に潜んでいるのだ。
(良かった。効いている)
誉はほっと胸を撫でおろし、そして覚悟を決めると、もう一度心の内で強く言葉を発した。
『下賤の民が。お主らごときに名乗る名など持ち合わせてはおらん』
誰かが「ヒィ」と悲鳴を上げた。村人達はすっかり怖がって、祭司の後ろにきゅっと小さくまとまっている。
唐櫃を沈めていた男衆も顔を真っ青にして固まっていた。
祭司が冷や汗をダラダラ流しながらなんとか叫ぶ。
「あ、ああああなたは何者か!? 我々の誉さまへ捧げる生け贄の大事な儀式の最中に、なんたる無礼な!」
『無礼だと……私がその誉さまの遣いと知ってのことか?』
「なっ!?」
『今すぐその唐櫃を岸に戻せ』
真っ青になった男衆は、言葉をすぐに理解出来ずにいると、誉はもう一度言った。
『今すぐ戻せと言っている!』
はっと我に返り、慌てて唐櫃を岸に運び戻した。
そして勢いよく砂利の地面に頭を垂れる。
「も、申し訳ありませぬ!」
「お許しを! お許しを!」
その様子に他の村人や祭司たちも続けて石だらけの地面に額をつけた。
『良いか愚かな民よ。誉さまはお怒りである。生け贄を捧げたとて誉さまは喜ばん。これでは一向に雨など降らぬ。その方らが今やるべき事は他にあるのだ』
ぶるぶると震えながらも、民達はその先を待った。
『水路を整備なさい。川から農地へ、田畑へ水を引くのです』
「へ、へぇ……それは既に行っておりますが」
『現状では不十分であると何故気付かない。山から流れる川から引きなさい』
「は、はい」
『それと今の水路は壊れている箇所がないか、よおく探しておきなさい』
「……」
「こ、これ本当に誉さまの遣いか?」
男が一人、少しだけ顔を上げ、隣の者へと囁く。
『ほぉ、私を疑うということは誉さまを疑うということ。良い度胸です』
「ヒイイィお許しをー!」
だが誉のその言葉で再度石だらけの地面へ額を擦り付けた。
あまりに勢いが余っていたのでおそらくよほど痛いだろう。
『分かったのならさっさと行け! 水路だ水路! 誉さまはそうおっしゃっている!』
「分かりました!」
「分かりましたー!」
一斉に来た道を辿って森の中へと消えて行く。
(よし、これで)
男衆が慌てて唐櫃を持ち上げ去ろうとしたのが目に入り、誉までも慌てた。
『待ちなさい! 唐櫃は置いていけ!』
「や、でも誉さまは生け贄にお怒りと」
痛いところを突かれてしまったと思わず言葉が引っ込む。
けれどこのまま連れて行かれてしまえば結局みよは救われない。
『今回に限り生け贄は誉さまが面倒を見ると言っている。ですから置いて行きなさい』
「へ、へぇ」
男らは困惑した顔をしながらも唐櫃から手を離した。
誉はそれに安堵して、更にこう付け加える。
『それともう1つ、皆に伝えなさい。子は宝です。誰の子であれ皆で大切に育てるようにと』
残っていた男衆は、拍子抜けしたような顔で返事をすると、やはり一目散に村へ向かって森の中へと消えて行った。
誉は急いで崖下へ駆け下りると、直ぐに唐櫃の蓋を開けて、みよの無事を確かめた。
中には乾いた唇をきゅっと引き結び、手鞠を抱き締めたみよがいた。その瞳に涙をためて小刻みに震えて。
良かった生きていたと彼女へ手を伸ばすが、びくりと震えたのを見て手をおろす。
「たいした名演技だな。……まだそこらに居るかもしれないぞ。姿を見られたら」
「面倒だって? 安心なさいな。彼らがまだ居たとしても、誰も僕らを、この唐櫃も視認できないからね」
「……それが出来てどうして雨は降らないんだ」
「神力を使う規模が違うからね」
誉が苦笑すると、コウはそれ以上何も言わず、みよが入った唐櫃を黙って片腕に持ち上げた。
「なんだ……あいつらわざわざ四人で持ち上げて、大袈裟だな」
コウは拍子抜けした顔をした。
それもその筈、本当に儀式のためだけに彼らは大袈裟に振る舞っていたのだ。
そしてそのまま誉が暮らしているはりぼての小さな家まで運び。
着いて早々、みよは桜の木の根元に引きこもったというわけだ。




