◇【弐ノ壱】生け贄 ◇
――知ってるか?
誉さまと言う神を。
力は弱いが、心根の優しい土地神だ。
数十年前、命を落としたのをきっかけに、奴は神となった。
ある土地のある村のその山に住んでいる。
はりぼての小さな家で、贅沢もせず一人寂しく、人々の幸せだけを飽きもせず願っているのさ。
というか本当は幸福の神なんだが、わけあってその土地にいついちまった。
だが可哀想に、神力が劣るので殆んどなにもできやしない。
だから奴はたびたび村へ出向いては、自ら彼らの願いを叶えようとする。
例えば病で伏せった母親を元気にして欲しいと言われれば、金を稼いで薬を買って届けてやり、腹を減らした子供が木に実った柿をとれないと悲しんでいれば自らとってやった。
だが殆どうまくいかない。
結局その母親は最後には亡くなり、柿に関しては人様の土地のもんを取るなと、神の癖して人間の爺さんに怒られた。
バカな奴だよ、ホント。
当然、どうやったって叶えられない願いもあるわけで。
例えばまさに今、その真っ只中だ――
◇◇◇
「あぁどうしてこんなことに」
「どうしてもこうしても、雨が降らないのが原因だろうよ」
「そうかもしれないけどね。だからってどうして人々は〝生け贄〟なんて考えるんだい?」
「そりゃあそれこそどうしようもねぇさ、昔っから困ったら神に生け贄を捧げるのが定番だからな」
――お天道様が照り、青々とした爽やかな香りと小鳥の鳴き声が春を感じさせる。そんな天気の良い日だった。
くれ縁の縁側で男二人並んで庭を眺める。
一人は上品に腰かけて、一人は柄悪く腰かけて、上品な男はうなだれて、柄の悪い男は達観したような顔をして。
二人が見つめる庭では、桜の根元に身を縮こませた白装束姿の幼女が一人、赤い手鞠を抱き締め怯えたようにこちらを窺い、しゃがんでいた。
「まだあんなに小さいのに」
ひらひらと舞い踊る花びらが、上品な男の白い髪に落ちると、彼はその瑠璃色の瞳を悲しげに揺らした。
「大きいも小さいも関係ねぇだろうさ。生け贄なんざ、たいていあとで角が立たないもんが選ばれる」
柄の悪い男がそう言うと、上品な男――〝誉〟は、縁側の石段にある草履に足を滑らせると、しずしずと立ち上がった。
彼の腰まである真っ白な髪は、陽に照らされると僅かに青みがかる。
無地の*単衣、真っ白な着物を纏う彼は、ある意味この世の者とは思えない。
少なくとも隣に柄悪く座る男――〝コウ〟が想像する神そのものだ。
「僕が雨を降らせることが出来たなら、こんなことには……」
誉はそのまま桜の根元まで行くと、幼女に目線を合わせるようにゆっくりとしゃがむ。
幼女の黒い瞳が不安げに誉を見上げた。
「怖がらせてすまないね。ただお腹を空かしていやしないかと心配になっただけなんだよ。これは見たことあるかい?」
そう言って懐から白地に金の刺繍の巾着を取り出す。巾着から*懐紙に包んだそれを取り出して、自身の手の平へと中身を空けた。
桃色、白色、黄色、そして緑の砂糖菓子が彼の白い手の平の上でコロコロと転がる。
「金平糖って言うのだけどね」
誉は目尻を下げて穏やかに話す。
「これはね本当は高価なものなのだけど、お供え物に――」
幼女は突然立ち上がると縁側に向かってぱたぱたと走り出した。
誉は驚いてその姿を目で追う。
裸足で土の上を走って縁側に座るコウに距離をとりながら登るようによじよじと縁側に上がった。
部屋の奥へ行きたいのだろう、しかしコウが怖いのか中々奥へ行こうとしない。
小さな体で手鞠を抱き締めたまま、一生懸命タイミングを計っている。
別にコウがよっぽど巨大で出入り口を塞いでいるというわけではない。両開きの襖は全開にしており、部屋に入ろうと思えば幼い体でも二三歩あれば辿り着く。
だがおそらく小さな子供にはそれはそれは大きく恐ろしく見えているのだろう。まるで一歩動けばこの世の終わりとでもいうように。
誉はゆっくりと立ち上がる。そしてコウを警戒し、もはや悲しげに涙を浮かべる幼女へ優しく言った。
「大丈夫だよ。その人はね。この金平糖を持って来てくれた人なんだ。ほらコウなにか声をかけておやりよ」
するとコウは鼻で笑うと「別にとって食やしねぇよ」と意地悪く口端を上げ、幼女と同じ黒い瞳をその子へ向けた。
余計怖がってしまったのを見て、誉は思わず額をおさえる。
「おやめよ。それじゃあ逆効果……あっ」
その小さな姿は部屋に入るのを諦めて、*くれ縁を走って行ってしまう。
「みよちゃん……」
「ふはっ」と笑うコウ。
誉は「笑い事かい?」と呆れながら近付いて、その頬に軽く触れた。
堀の深い顔立ちに峻烈な眉。鷹のような眼。そして右目には黒色の眼帯。
繊細な印象のある誉とはまるで異なり獰猛そうだ。
「それで無くともお前は強面なのだから、自分で思うより穏やかに接しなさいな」
だがコウは深いため息をついて誉の手を払いのけると、自身の無造作に伸びた黒髪を掻き上げて、彼から目を逸らした。
「生易しくしたって良い方向に転がるもんでもないだろ」
「だからといって無闇に怖がらせる必要もないんじゃないかい。お願いだよ。あの子はずっと傷付いて」
「ふん、にしたってな。一言くれぇ何か発してもいいもんだろ。ここ来てからもだんまりじゃねえか」
誉は苦笑すると、コウの隣へ静かに腰を下ろした。
「コウ、あの子は声が出せないんだよ」
そう、幼女――〝みよ〟は声が出せない。正確にはある事件を切っ掛けに言葉を発することが出来なくなったのだ。それを土地神である誉はよく知っている。
「それにしても困ったね。すっかり怖がって」
誉はくれ縁の奥、曲がり角を見詰めた。
いつから切っていないのか無造作に伸びた黒髪が少しだけ見えた。
小さな手を壁に添えて、つぶらな瞳がこちらをうかがっている。
「アンタを怖がっているんじゃないか?」
「……お前もそう思うかい。でもああする以外にどうすれば穏便にことを運べるかわからなくてね」
誉はしゅんと顔を曇らせた。
どうしてこうなったのか――ことは数刻前に遡る。
*単衣…裏地を付けずに仕立てた、本来は初夏や初秋着る軽やかな着物
*懐紙(かいし/がいし)…文字通り懐に入れて持ち歩く紙のこと。現代でいうところのティッシュ、ハンカチ、メモ帳、ポチ袋、お皿など、何役もの機能を一枚でこなす非常に便利な万能和紙。茶道でよく使われる。
*くれ縁…日本家屋の縁側のうち、雨戸やガラス戸・障子の内側に設けられたタイプの縁側のこと。誉の住みかははりぼての小さな家だが、生前彼が住んでた屋敷の影響からくれ縁が部屋をぐるっと囲む回廊のようになっている。




