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彼の神さま誉さま。  作者: 花より団子よりもお茶が好き。


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1/3

◇【壱】後悔 ◇


 それは――山々が茜色の紅葉(こうよう)で、美しく染まった時期だった。


(どうしてこうなった。なぜこうなった……僕はただ、人々を幸せにしたかった――それだけなのに)


 西の空が淡く色づいた頃、目の前に広がるのは人々の争いだった。

 鬼のような形相をした者達が睨み合い、口々に怒鳴る。


「〝(ほまれ)さま〟の優しさにつけ込んで、もう堪忍ならん!」

「お前たちこそ誉さまを独り占めするな!」

「そーだそーだ!」

「くそ、誉さまがこのような者達に情けをかけなければ、こんなことには……っ」


 南には裕福そうな身なりをした者達が、北には貧相な者達が農具を得物がわりに抱えて、それぞれ主張する言葉に必ず彼の名をあげた。


「誉さまを――〝景明(かげあき)さま〟を悪く言うなこの頭でっかちのお坊っちゃんが!」

「なんっだと、貴様こそ誉さまの御名(ごめい)を軽々しく口にするでない! まったくこれだから――」


 誰かがその男の(ひたい)めがけて石を投げ付けた。

 それが合図となり、とうとう人々の波が重なる。

 あちこちで上がる怒声と暴力。

 こうなる前に何度も止めたのだ。

 だがもう声を上げても、誰も彼の言葉に気付かない。


 ――辺りが朱色に染まった。

 夕焼けかと思ったが、違う。


「火事だー!」

「誰かが火を放ったぞ!」

「どうせアイツらだ!」

「水を」

「こりゃあいい、やりかえしちまえ!」

「そんなこと言っている場合か!」


 あっという間に火の手が回った。

 (かね)のある無しに関わらず家々が、その真っ赤な炎で呑み込まれる。

 焼けた匂い、空高く上がる灰の煙、人々の混乱の声。


「誉さま!」

「誉さまはどこ!?」

「誉さま助けてください」

「きっと、誉さまがなんとかしてくれる!」

「誉さまああ――」


 燃え盛る炎を背に、彼は力なく歩いていた。

 現実を直視できない虚ろな目。

 ふらふらと頼りない足取りで、ただただ進む。

 人々の叫び、怒り、嘆き、悲しみ、そして――彼へ助けを求め、泣き呼ぶ声。

 何度も何度もその名を叫ぶ声。

 迫ってくるようなそれらが頭の中へ流れて来ては通り抜ける。


(僕はただ、与えられたものを返したかった、その筈が――)


 もう何も考えられなかった。

 ただこの空間から離れるべきだと、本能がそう告げている。

 己には、この状況を変える術など――持ち合わせていないのだと。


 彼は気付けば崖の上にいた。

 それは森の中にある川辺にあり、身投げ崖とよばれる名所。

 足元を見れば、崖の下では濁流が今か今かと待ち構えている。

 炎で染められたように真っ赤に広がっていた空はいつの間にか青黒く変わって、だが遠目に見えるその朱色が、まだ現実が終わっていないのだと突き付ける。

 

 ――その時だ。

 誰かの名を叫ぶ声がした。

 草木を掻き分ける音。暗くて辺りが見づらい。

 彼から少し離れたところで、逃げ込むように元服前の子供が走り込んで来た。

 目の前が崖であると気付くと、足を止めて舌打ちをし、崖へ背を向けると己が走って来た森の中を、剣呑な目で睨んだ。


「やっと追い詰めたぞ」


 その森から、ガラの悪い男どもが一人、二人、三人と現れた。


「テメェ、なんで言われた通りやらなかった?」


 先頭の男が片手に刃物を持って、少年に突き付ける。


「それだけでなく火までつけやがって」


 後ろの二人もじりじりと前へ詰めた。

 だが少年は、汚物でも見るように「ハッ」と吐き捨てて言う。


「冗談じゃねーや。俺はなぁ、うすぎたねぇことは散々やらされてきたが、人殺しだけは――ごめんなんだよ」

「は、よく言うぜ。テメェがおこした火事でどれだけの人間が死んだだろうなあ?」

「なんだ良かったじゃねえか。お目当ての奴も死んだんじゃねえか? 見てこいよ。まぁ死んでたとして、見付けられるかは知らねぇがな!」

「っとに、生意気なガキだぜ。おらあ前からテメェが気に食わなかったんだよ。隙があれば噛み付いてやろうと狙う、その生意気な目つきがな」


 そう言った男の目が、嫌悪から、急に嫌に気味の悪い目つきへと変わった。

 まるで自身がこの世の頂点であるかのようなそんな――


「どうもテメェは一つ、忘れてやがる。俺が〝支配者(ドム)〟で、テメェが〝服従者(サブ)〟だってことをよ」


 少年の身体が一瞬震える。遠目でも分かった――まるで抗えない何かを前にしたように。

 刃物を持った男が、その手を静かに下ろす。

 辺りを支配する冷酷な空気。


「死ね」


 彼らに背を向け、少年が――飛んだ。

 

 一瞬で全身に血が通った。考える暇もなく身体が動いていた。

 先に崖先に辿り着いた刃物の男を押し退けて、少年を追って崖から身を投げる。

 頭上から「なんだアイツは!?」と叫ぶ声が遠い。

 視界の先には黒龍のような濁流、今まさに呑み込まれようとする小さな身体。

 驚いたように見つめる暗緑色の瞳と目があった――刹那、その身体が大きな飛沫と共に、一瞬にして濁った川の流れに沈む。

 続け様に彼も濁流に呑まれた。川底に頭を打ったかと思う暇もなく、身体が流される。

 目を開けば、汚れた視界には何も映らない。砂利が目に入り痛みが走り、思わず薄目に少年を探す。

 身にまとった貧相な布切れのような服が目に入った。


(いた……!)


 濁流から顔を上げて、少年の姿を追う。

 

「くそっ!」


 流されながらも必死に水を掻き分け近付こうとするが、人二人分、なかなか縮まぬ距離、まだ生きているのかどうかすら分からない。


「――っダメだ〝生きろ!〟」


 精一杯息を吸って濁流に潜り込んだ。


(ダメだ! ダメだ!)

 

 少年の貧相な足が見えた。必死になって手を伸ばして、ようやくその片足を掴む。

 そのままその身体を抱き込み。川面へと這い上がる。


「はぁはぁっ」


 川の流れは変わらず荒い、気付けば雨が降り、土砂降りとなり、水嵩が増した。

 雨で視界の悪いなか、岸を目の端に捉えた。

 少年を抱えて、岸を目指しながら彼は叫ぶ。 

 

「ダメだ……死ぬな、死ぬな!」


 だが、少年の身体は微動だにしない。


「生きるんだ!」


 いっそう強くなった川の流れに、二人の身体が呑み込まれていく。

 なすすべなく流されながら、決して離すまいと子を内に抱き締める。

 彼の身体が川底の岩という岩に容赦なく叩き付けられた。


 ――諦めていた筈だった。

 どんなに心をつくしても全て裏目に出てしまうのだ。

 人を救いたいなど、幸せにしたいなどと、人の身でありながら、あまりに傍若無人であったと。

 思い知ったばかりだと言うのに、だがどうしてか、どうしても願わずにはいられない。

 

(あぁ神よ。本当にこの世におわすのならば――どうかこの子を、この子だけでも幸せに――)


 ◇◇◇

 

 ――固い砂利の上。

 川辺にうちあげられた少年が目覚めた時には、彼は既に――冷たくなっていた。



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