第98話「幸せの貸借対照表、資産は無限大」
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王宮の大広間。
シャンデリアの煌めきの下、数百人の貴族たちが静まり返り、演台に立つ私を見つめている。
隣には、愛する夫アレクセイ。
足元には、自慢の息子アレクと娘エレナ。
私はマイクを握り直し、少し震える声でスピーチを続けた。
「……正直に申し上げますと、私はお金が大好きです」
会場から、クスクスと小さな笑いが漏れる。
アレクセイさんが隣で「知っているとも」と小声で呟き、私は肘で彼を小突いた。
「お金があれば、お腹いっぱい食べられます。お金があれば、寒さに震える夜を過ごさずに済みます。かつて、弟と妹を抱えて路頭に迷いかけた私にとって、金貨の輝きは『命の輝き』そのものでした」
私は会場の隅にいる、レオとマリーに視線を送った。 立派な騎士団の制服を着たレオ。
洗練されたドレスを着こなし、若き社長として輝くマリー。 彼らが私に小さく手を振ってくれている。
あの子たちを守れたこと。それが私の最初の誇りだ。
「ですが、アインスワース家に嫁ぎ、この規格外の夫と子供たちに囲まれて暮らすうちに……私の『計算式』は狂ってしまいました」
私は眼鏡を外し、ありのままの目で会場を見渡した。
「夫が私のために不器用に選んでくれた、価値のつかないプレゼント。息子が得意げに見せてくれた、0点のテスト用紙の裏に書かれた発明の設計図。娘が泣きながら部屋中に咲かせた、売ることのできない泥だらけの花々」
私の言葉に、アレクが照れくさそうに視線を逸らし、エレナが「えへへ」と笑った。
「市場価値で言えば、それらは全て『ガラクタ』かもしれません。帳簿上は『雑損』として処理されるべきものです」
一呼吸置く。
「けれど……今の私にとって、それらはどんな高価な宝石よりも価値があるのです。 お金は大事ですが、それはあくまで『手段』。そのお金を使って笑い合える『家族』という存在こそが、何にも代えがたい『目的』なのだと知りました」
私は隣のアレクセイさんを見上げた。
彼のアメジストの瞳が、優しく私を映している。
「ですから、私はここに、アインスワース家の最新の財務諸表を発表します」
私は背筋を伸ばし、高らかに宣言した。
「負債の部──ゼロ。資本の部──愛と信頼。そして、資産の部──『計測不能』です!」
一瞬の静寂。 そして、ワァァァァァッ……!!
雷鳴のような拍手が、大広間を揺らした。
貴婦人たちが目元を拭い、厳格な貴族たちが頷き、
若者たちが口笛を吹く。
それは、形式的な儀礼の拍手ではない。心からの祝福の音だった。
「……素晴らしいスピーチだ、リアナ」
「いいえ。……ただの、惚気ですよ」
アレクセイさんが私を抱き寄せ、キスをした。
フラッシュの嵐。歓声の渦。
「よっ! 王国一の幸せ者!」
最前列で、フレデリック国王陛下が立ち上がり、
ニヤニヤしながらワイングラスを掲げた。
「だがな、公爵夫人よ! 資産が無限大というのは感心だが、税金は負けてやらんぞ? しっかり納税してくれよ!」
「もちろんです、陛下。……その代わり、王宮への『出張経費』はきっちり請求させていただきますからね?」
私が切り返すと、会場はさらに大きな笑いに包まれた。 堅苦しい儀式は終わり。
ここからは、誰もが笑顔になれる本当のパーティーの始まりだ。
「ママー! おにく! おにくあるよ!」
「エレナ、行儀が悪いです。……ですが、あのローストビーフの焼き加減は絶妙ですね。確保に向かいましょう」
子供たちが料理の並ぶテーブルへ駆けていく。
その後ろ姿を見守りながら、
私はアレクセイさんと共にバルコニーへ出た。
夜風が心地よい。
熱狂から少し離れ、二人だけの静かな時間が流れる。
「……夢のようだな」
アレクセイさんが、王都の夜景を見下ろして呟いた。
「十年前、君と出会った頃の私は、こんな未来が来るとは想像もしていなかった。……仕事だけに埋没し、心を凍らせていた私が、こんなに笑えるようになるなんて」
「私もですよ。……まさか、国の宰相と結婚して、花を咲かせる娘や天才児の息子を育てるなんて、どんな事業計画書にも書けません」
私たちは顔を見合わせて笑った。
不確定で、予測不能。 だからこそ、人生は面白い。
「……ありがとう、リアナ。私を見つけてくれて」
「いいえ。……私の方こそ、貴方に拾ってもらえて幸せでした」
私たちは自然と寄り添い、ダンスを踊るようにゆっくりと体を揺らした。
音楽は聞こえないけれど、二人の鼓動がリズムを刻んでいる。
「……ねえ、アレクセイさん」
「ん?」
「これからの十年代も、また色々なことがあるでしょうね。……喧嘩もするでしょうし、子供たちが反抗期を迎えるかもしれません」
「ああ。アレクが『クソ親父』なんて言い出したら、私は寝込んでしまうかもしれん」
「ふふ。その時は私が慰めてあげますよ。……『追加料金』でね」
アレクセイさんは嬉しそうに私の腰を引き寄せ、耳元で囁いた。
「ああ、いくらでも払おう。……私の全てを使って」
甘い沈黙。 満月が、私たちを祝福するように明るく輝いていた。 特別な夜。
特別な時間。 けれど、心のどこかで私は思っていた。
この煌びやかなパーティーも素敵だけれど、早くあの騒がしい家に帰って、いつものコーヒーを飲みたい、と。
深夜。
帰りの馬車の中は、静かな寝息に満たされていた。
「……むにゃ……ケーキ……もうたべられない……」
「……zZZ……計算完了……」
遊び疲れたエレナとアレクは、向かいの席で寄り添うように眠っている。
エレナの手には、お土産でもらったクッキーの包みが握りしめられ、アレクの膝には愛用のビデオカメラが乗っている。
「……寝顔は天使だな」
「起きると怪獣ですけどね」
アレクセイさんが、自分の上着を子供たちに掛けてあげた。
その横顔は、宰相の顔でも、公爵の顔でもなく、ただの優しい父親の顔だ。
「……リアナ」
「はい」
「今日は、いい日だったな」
「ええ。……資産価値の高い一日でした」
私はアレクセイさんの肩に頭を預けた。
馬車が石畳を進む振動が、心地よい眠気を誘う。
「明日からは、またいつもの日常だ」
「そうですね。……溜まっている決算処理もしないと」
「アレクの実験の騒音と、エレナのガーデニングも待っている」
「貴方の公務も山積みですよ」
私たちは苦笑した。
明日になれば、魔法のようなパーティーは終わり、
現実がやってくる。 でも、それが少しも嫌ではない。 むしろ、待ち遠しいくらいだ。
「……ねえ、アレクセイさん」
「なんだ?」
私は眠気の中で、ふと思い出したことを口にした。
「……先日のプロポーズの件ですが」
「うん」
「契約更新の条件に、一つだけ付け加えてもいいですか?」
アレクセイさんが少し身構える気配がした。
「……なんだ? まさか『家事分担の比率見直し』か? それとも『夜食の禁止』か?」
「いいえ」
私は彼の耳元で、小さく囁いた。
「……来月の私のお小遣い、少し上げてもいいでしょうか?」
アレクセイさんが目を丸くし、それから肩を震わせて笑った。
「……ははっ! 感動的なスピーチの後に、それか?」
「現実的な問題ですよ。……今日、子供たちのドレスやスーツで予算オーバーしちゃいましたから」
「分かった、分かったよ。……君の交渉術には勝てないな」
彼は私の手を握りしめ、優しく指を絡めた。
「明日、朝一番で交渉しよう。……私のポケットマネーから捻出するさ」
「期待していますよ、スポンサー様」
馬車が公邸の門をくぐる。
車窓から見える我が家は、真っ暗だけれど、どこよりも温かい場所に見えた。 祭りは終わり。
でも、私たちの物語の本番は、いつだって「なんでもない日常」の中にある。
明日の朝は、きっとまた騒がしい。
パンが増殖し、怪しいコーヒーが出てきて、アレクセイさんが愛を叫ぶ。 そんな「愛しき計算外」の日々へ、私たちは帰っていく。
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