第97話「祝賀パーティー、主役は遅れてやってくる」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
「……緊急事態です。現在、予定時刻を十五分超過しています」
アインスワース公邸、二階の衣装部屋。
十歳の長男・アレクが懐中時計を見ながら、無慈悲なカウントダウンを告げた。
彼はすでに、マリーのブランドが仕立てた子供用タキシードを完璧に着こなし、髪もセットして準備万端だ。
「わかっています! ……ですが、現場の状況がカオスなんです!」
私は悲鳴に近い声を上げながら、クシとヘアスプレーを両手に持って走り回っていた。
本日のメインイベント、国王陛下主催の「アインスワース公爵夫妻・結婚十周年祝賀パーティー」。
王都中の貴族が集まる晴れ舞台だというのに、我が家は出発直前になって大パニックに陥っていた。
「イヤァァァ! このドレスやだぁ! チクチクするぅ!」
部屋の中央で駄々をこねているのは、本日の小さな主役、五歳のエレナだ。
レースたっぷりの白いドレスを着せようとした瞬間、彼女の機嫌が損なわれた。
そして、彼女が泣くとどうなるか。
ボッ! ボボボッ!!
「あああっ! エレナ、待って! ドレスからタンポポを生やさないで!」
彼女の魔力に呼応して、最高級シルクのドレスの裾から、次々と黄色い花が咲き乱れていく。
さらに悪いことに、彼女の背中からは光の羽が出現し、パタパタと空中へ逃亡しようとしている。
「パパ〜! ドレスやだ〜! パパのシャツ着る〜!」
「うろたえるなエレナ! パパがなんとかする! ……よし、パパのシャツだな? 待っていろ、今脱ぐから……」
「脱がないでくださいアレクセイさん!!」
私は空中に浮いたエレナを風魔法でキャッチしつつ、半裸になろうとしている夫を叱り飛ばした。
アレクセイさんは、今日の主役であるにも関わらず、髪はボサボサ、ネクタイは曲がり、顔面は蒼白だ。
「だ、だってリアナ、エレナが泣いているんだぞ!? 私のシャツで機嫌が直るなら……」
「貴方が裸でパーティーに行くつもりですか!? 国際問題になりますよ!」
私は深呼吸をした。 落ち着け。
私は元・敏腕経理係。
どんな赤字案件も、冷静な計算と対処で乗り切ってきたはずだ。
「……アレク。プランBに変更です」
「了解。マリー叔母様が予備で送ってくれた、『妖精風ドレス』ですね?」
「そうです。それと、お父様の冷却魔法で、エレナの背中の羽を一時的に『冬眠』させて」
「承知しました。……お父様、出番です」
アレクの的確な指示で、アレクセイさんが指先から微弱な冷気を出し、エレナを包み込む。
「ひゃっ! つめたーい!」とエレナが驚いて地上に降りた隙に、私は花だらけになったドレスを脱がせ、動きやすいシフォン素材のドレスへと早着替えさせた。
「……ふぅ。セーフです」
私は額の汗を拭い、鏡を見た。
そこには、髪が乱れ、メイクが崩れかけた「公爵夫人」が映っていた。
「お母様。残り時間、あと五分です」
「……化粧直しの時間は?」
「計算上、不可能です。……今のままで行くしかありません」
アレクが首を横に振る。 王宮までは馬車で二十分。 すでに開宴時間は過ぎている。
主役が遅刻など、前代未聞だ。
完璧な姿で登場するはずだったのに。
これでは、アインスワース家の恥を晒すことに──。
「……リアナ」
その時、身支度を整えたアレクセイさんが、私の肩に手を置いた。彼は鏡の中の私を見て、優しく微笑んだ。
「そのままでいい」
「え?」
「少し髪が乱れていても、必死に子供たちを守ってくれた君の姿はどんなに着飾った貴婦人よりも美しい」
彼は私の乱れた後れ毛を指で直し、耳にかけた。
「それに、私たちが『完璧な夫婦』じゃないことくらい、陛下も国民も知っているさ」
「……」
「行こう。ありのままの私たちを見せつけに」
私はハッとした。 そうだ。私たちは、最初から泥臭く、計算外のトラブルを乗り越えてきた夫婦だった。 今さら「お上品」ぶったところで、どうせすぐにボロが出る。
「……そうですね。開き直りましょう」
私は眼鏡の位置を直し、ニヤリと笑った。
「ただし、遅延損害金は陛下に請求しますよ。『家族サービス残業』ですから」
王宮、大広間。
数百人の貴族たちがざわめき始めていた。
予定時間を過ぎても、主役が現れないからだ。
「おい、どうしたんだアインスワース公爵は?」
「まさか、夫婦喧嘩でもして欠席か?」
「いや、あの家なら『家が爆発した』とか、そういう理由かもしれんぞ」
好き勝手な噂が飛び交う中、玉座に座るフレデリック国王だけは、ニヤニヤと楽しそうにグラスを傾けていた。 その時。
ギギギ……ッ!
重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。
会場の空気が一瞬で張り詰める。
近衛兵が、腹の底から声を張り上げた。
「アインスワース公爵閣下、ならびに公爵夫人、ご入場──!!」
ファンファーレが鳴り響く。
まばゆい光の中、シルエットが浮かび上がる。
そこに立っていたのは──。
「……えっ?」
「手……繋いでる?」
貴族たちが目を丸くした。 そこには、優雅に腕を組んで歩く夫婦の姿はなかった。
中央に、凛とした表情のアレクセイとリアナ。
そしてその両脇には、二人に手を引かれたアレクとエレナ。 四人が一列に並び、しっかりと「手をつないで」入場してきたのだ。
「……パパ、ひとがいっぱい!」
「ああ。みんなエレナを見に来たんだよ」
「お父様、歩幅を合わせてください。エレナが転びます」
コソコソと話しながら、しかし堂々とレッドカーペットを歩く一家。
アレクセイのネクタイは少し曲がっている。
リアナの髪飾りは、よく見るとエレナが道中で作った「シロツメクサの冠」だ。
完璧とは程遠い。 けれど、その姿は──。
「……なんて、幸せそうな」
誰かが呟いた。 作り笑顔ではない。
形式だけのパートナーではない。
そこにあるのは、確かな体温と絆で結ばれた「家族」の姿だった。
「遅いぞ、アレクセイ! 主役は遅れてやってくるものだが、限度がある!」
国王陛下が笑いながら出迎えた。
アレクセイさんは悪びれもせず、王の前で片膝をつくどころか、エレナを抱き上げて見せた。
「申し訳ありません、陛下。……娘のドレスに花が咲くという『開花予報』を見誤りまして」
「ほほう! それは吉兆だな! ……おい、楽団!
もっと愉快な曲を弾け! アインスワース家の到着だ!」
ワルツのテンポが上がり、会場の空気が一気に華やいだ。
遅刻という失態さえも、この家族にかかれば「演出」に変わってしまう。
パーティーの中盤。 恒例のスピーチの時間となった。壇上に上がった私たち夫婦に、数百の視線が集まる。
「……本日は、私たちのために集まっていただき感謝する」
アレクセイさんがマイクに向かう。
彼は隣にいる私を見つめ、少し照れくさそうに、
でもハッキリと言った。
「十年前、私はこの場所で彼女に愛を誓った。……正直に言えば、当時は勢いだけだった」
会場からドッと笑いが起きる。
「だが、この十年間。彼女は私の想像を遥かに超える『計算外』の幸せを、毎日もたらしてくれた。……苦しい時も、楽しい時も、そして家が植物園になった時も」
アレクセイさんは私の手を握りしめた。
「リアナ。君と出会えて、本当によかった。……これからも、私とこのカオスな家族を導いてくれ」
割れんばかりの拍手。
次に、マイクが私に回ってきた。
私は眼鏡を直し、会場を見渡した。
高価なドレスを着飾った貴婦人たち。権力を持つ貴族たち。かつての私なら、彼らの「資産価値」ばかりを計算していただろう。
「ご紹介に預かりました、アインスワース家の『経理係』兼、妻のリアナです」
私が名乗ると、クスクスと温かい笑いが起きた。
「十年前、私は借金を背負い、人生の『赤字』に絶望していました。愛や幸せなんて、数値化できない曖昧なものは信用できないと、そう思っていました」
私は、壇の下で見守る子供たち──冷静にビデオを回すアレクと、口の周りをクリームだらけにして手を振るエレナを見た。 そして、隣で私の手を痛いほど強く握っている夫を見た。
「ですが、十年経って、ようやく一つの計算式が解けました」
私は皆に向かって、静かに語りかけた。
「幸せとは……銀行口座の残高ではありません。宝石の数でも、領土の広さでもありません」
一呼吸置く。
「それは……『予定通りにいかない毎日』の中にあります。泣いて、怒って、トラブルに駆けずり回って……そして最後には、みんなで笑って食卓を囲む。そんな『計算外の日常』こそが、何物にも代えがたい資産なのだと」
会場が静まり返る。
そして、すすり泣く声が聞こえ始めた。
「夫は言いました。『計算できない愛を解こう』と。……ええ、解けません。永遠に解けそうにありません。だからこそ──私たちはこれからも、この愛おしい難問に、家族全員で挑み続けようと思います」
私が締めくくると、一拍の静寂の後、雷鳴のような拍手が巻き起こった。
国王陛下が立ち上がって拍手をしている。
カトリーヌ様が、ハンカチで目元を拭いながら「いいスピーチよ!」と叫んでいる。
「……ふっ。いいこと言うな、経理係殿」
「ええ。……事実は数字より奇なり、ですから」
アレクセイさんが私を引き寄せ、額にキスをした。
会場中から「ヒューヒュー!」と冷やかしの声が飛ぶ。
「ママー! パパー! エレナもー!」
「僕も、家族写真に参加します」
子供たちが壇上に駆け上がってきた。
アレクセイさんがエレナを抱き上げ、私はアレクの肩を抱く。四人で寄り添い、フラッシュの嵐を浴びる。
これが、アインスワース家。
規格外で、騒がしくて、とびきり幸せな私の居場所。
窓の外では、十年前と同じように、美しい花火が夜空を彩っていた。
けれど今、私の目には、花火よりもずっと輝く「三つの宝石」が映っている。
「さあ、パーティーはこれからですよ! ……今日はとことん楽しみましょう!」
「ああ! 予算など気にするな! 今日は無礼講だ!」
主役は遅れてやってきた。
そして、最高の笑顔で、新しい十年の扉を開けたのだった。
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