第92話「長男の才能、魔法画家という道」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
あの日、夜明けと共に産声を上げたのは、元気な女の子だった。
蜂蜜を溶かしたようなトパーズの瞳は私譲り。
月光のように輝く銀髪は夫譲り。
そして、お腹が空いた時だけ正確に泣き、抱っこされると瞬時に営業スマイルを浮かべる「ちゃっかりさ」は──間違いなくアインスワース家の血筋だ。
彼女の名は、エレナ。
光り輝く者、という意味を込めて名付けられた、我が家の新しいプリンセスだ。
それから三ヶ月。
アインスワース公邸は、完全に「エレナ中心」に回っていた。
「……ああっ! エレナが笑った! 今、パパを見て笑ったぞ!」
リビングルームにて。 在宅勤務中のアレクセイさんが、宙に浮かべた書類を放り出し、ベビーベッドへ駆け寄った。 彼の執務机の周りには、重要な国家機密書類と、使用済みのオムツとおしりふきが混在している。 宰相としての威厳は、完全に崩壊していた。
「……アレクセイさん。それは笑ったのではなく、生理的微笑です。あるいは、貴方の顔についたミルクのシミを嘲笑しているだけかと」
「厳しいなリアナ! ……だが可愛い! 世界一可愛い!」
私は呆れつつも、授乳クッションを整えた。
産後の肥立ちも良く、私は既に少しずつ仕事を再開している。 もちろん、アレクセイさんが勝ち取ってくれた「育休制度」のおかげで、夫婦で協力しながら子育てができているのはありがたいことだ。
「……それにしても」
私は部屋の隅に目を向けた。そこには、キャンバスに向かって一心不乱に筆を動かす、五歳の長男・アレクの姿があった。
「アレク。……また絵を描いているのですか?」
「はい、お母様。今は話しかけないでください。……光の屈折率を計算中です」
アレクは妹のエレナが生まれてからというもの、暇さえあれば彼女のスケッチをしている。
最初は「弟じゃなくて残念」などと言っていた彼だが、いざ妹ができると、誰よりも彼女を観察し、気にかけていた。 やはり、お兄ちゃんなのだ。
「アレク様は、本当に絵がお上手ですねぇ」
お茶を運んできたセバスチャンが感心して覗き込む。
しかし、アレクは納得していない様子で筆を止めた。
「……ダメです。これでは不十分です」
「おや? とても美しく描けておりますが」
「解像度が低すぎます。それに、エレナの『質感』と『動き』が再現できていません」
アレクは不満げに眉を寄せた。
「赤ちゃんは、一秒ごとに変化します。今のこの笑顔も、次の瞬間には泣き顔になる。……静止画の油絵では、彼女の『現在価値』を保存しきれないのです」
「は、はあ……」
セバスチャンが困惑している。 アレクの主張は極めてアレクらしいが、要するに「妹が可愛すぎて、今の姿を完璧に残したい」ということだろう。
「……ガンダルフ師匠に相談してみます。……『光魔法』と『幻影魔法』の応用で、解決策が見つかるかもしれません」
アレクはブツブツと呟きながら、自分の部屋へと引き上げていった。
その背中は、芸術家というよりは、新技術の開発に挑むエンジニアのようだった。
数日後の週末。 ガンダルフ学園長が、週に一度の「出張レッスン」にやってきた。 最近では彼もすっかりエレナにメロメロで、頼みもしないのに「知育玩具」を大量に持参してくる。
「フォッフォッフォ! エレナちゃん、いないいない〜ばぁ!」
「……学園長。その『いないいない』で本当に姿を消すのはやめてください。心臓に悪いです」
私が注意していると、二階からアレクが降りてきた。
その手には、一枚の大きなキャンバスが抱えられている。
「皆様。……完成しました」
「おお、アレク君。新作か?」
「はい。……従来の絵画の概念を覆す、新しい記録媒体です」
アレクは自信満々に、リビングの中央にキャンバスを立てかけた。
そこには、何も描かれていない真っ白な紙が貼られているだけに見える。
「……何も描いておらんではないか」
「いいえ。……見ていてください」
アレクが右手をかざし、微量の魔力を流し込んだ。 その瞬間──。
フワァッ……
真っ白だったキャンバスに、色が滲み出した。
いや、色は「発光」していた。
そこに映し出されたのは、ベビーベッドで眠るエレナの姿。まるで鏡を見ているかのように鮮明で、銀髪の一本一本、肌の瑞々しさまでが完璧に再現されている。
「うむ、上手じゃな。……だが、これだけならただの写実画──」
「ここからです」
アレクが指をスライドさせた。 すると。
『……あう〜……』
絵の中のエレナが、あくびをした。 そして、小さな手を動かし、ぱちりと目を開け、こちらを見てニコリと笑ったのだ。 絵の中から、赤ちゃんの甘い匂いと、柔らかな温かささえ漂ってくる気がする。
「なっ……!?」
「う、動いた!? 絵が動いたぞ!?」
アレクセイさんとガンダルフが絶叫した。
アレクは涼しい顔で解説を始めた。
「光魔法で『視覚情報』を、風魔法で『音声情報』を、そして氷魔法で『時間』を固定しました。……名付けて『魔導絵画』です」
アレクは胸を張った。
「これなら、エレナの成長記録を劣化させることなく、半永久的に保存できます。……再生には微量の魔力が必要ですが、コストパフォーマンスは悪くありません」
「……天才か」
ガンダルフが震える手で絵に触れようとした。
「幻影魔法をここまで緻密に……しかも『物質』に定着させるとは! これは魔法史を塗り替える発明じゃぞ!?」
「そうですか? ……僕としては、ただのホームビデオ代わりですが」
アレクにとっては、妹を記録するための手段に過ぎないらしい。だが、私の「商人としての目」は、別のものを見ていた。
(……これは、売れる)
肖像画を描くには、何時間もモデルとして座っていなければならない。
だが、この魔法なら一瞬で記録し、後から動く姿を楽しめる。
貴族の結婚式、子供の成長記録、あるいは遠く離れた恋人への手紙……。
需要は無限大だ。
「……アレク。貴方、とんでもない商品を開発しましたね」
「商品? ……これを売るのですか?」
「ええ。とりあえず特許を取りましょう。……『アインスワース・スタジオ』の設立です」
私が電卓を弾く幻影が見えたのか、アレクはニヤリと笑った。
「……承知しました。技術提供料は、売上の三〇%で手を打ちます」
「二〇%です」
「二五%。…これ以下なら、技術を封印します」
「交渉成立です」
私とアレクがガッチリと握手を交わした、その時だった。
「……あうー!」
ベビーベッドにいた本物のエレナが、アレクの「魔導絵画」を見て声を上げた。
彼女は興味津々な様子で、小さな手を絵の方へ伸ばしている。
お兄ちゃんが作った、自分が映っている不思議な板。
「おや? エレナも気に入ったみたいだな」
アレクセイさんが微笑ましく見守る中、エレナの手から、ふわりと金色の魔力が溢れ出した。
それはアレクの鋭い氷の魔力とは違う、重く、温かく、そして「干渉力」の強い魔力。
ポンッ。
エレナの魔力が絵に触れた瞬間。
絵の中の「エレナ」が、キャンバスの枠を超えて、ポロンと実体化して飛び出してきた。
「「「はあぁっ!?」」」
全員の目が飛び出た。 絵から抜け出した「幻影のエレナ」が、床をハイハイして動き回っている。
そして、キャンバスの中は真っ白に戻ってしまった。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
「……まさか、幻影に『質量』を与えたのか!?」
ガンダルフが悲鳴を上げた。 アレクも呆然としている。
「……僕の計算外です。……エレナの魔力特性は『具現化』……?」
アレクの推測通りなら、この子は「イメージしたものを現実に引きずり出す」というとんでもない力を持っていることになる。 本物のエレナは、自分の分身が増えたのを見て、キャッキャと手を叩いて喜んでいた。
「ふふ。ふふふ」
私は乾いた笑いを漏らした。
長男は「記録」し、長女は「具現化」する。
そして父は「凍らせ」、母は「売りさばく」。
「……アレクセイさん。我が家の教育費、もっと稼がないといけませんね」
「あ、ああ……。育休が終わったら、死ぬ気で働くよ……」
幸せで、騒がしくて、そしてやっぱり規格外。
アインスワース家の未来は、どこまでも明るく、そしてカオスに満ちていた。
長男アレク、五歳。魔法画家としての才能を開花。
長女エレナ、〇歳。兄の魔法をハッキングする大物の片鱗を見せる。
この姉弟が巻き起こす伝説は、まだ始まったばかりである。
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