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第87話「三年後、アインスワース家の朝」

「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」



季節は巡り、庭の木々が三度目の葉を落とし、

また新たな芽吹きを迎えていた。

王都の公邸にも、穏やかな春の光が差し込んでいる。


「……おはようございます、お母様。本日の気温は摂氏十八度。湿度は四十%。絶好の『資産運用日和』ですね」


階段の上から、澄んだ幼い声が響いた。 私がダイニングテーブルから顔を上げると、そこにはフワフワと宙に浮きながら降りてくる小さな影があった。

銀色の髪に、左右で色の違う神秘的な瞳──

オッドアイ。

右目は夫のアレクセイさん譲りの高貴なアメジスト、左目は私譲りの、蜂蜜を溶かしたようなトパーズ。 二つの宝石を宿したその美少年は、今年で五歳になる息子、アレクだ。


「おはよう、アレク。……階段は足を使って降りなさいと、何度言ったら分かりますか?」


「重力に逆らうことで魔力制御のトレーニングをしているのです。……それに、階段を歩くより〇・五秒のタイム短縮コストカットになります」


アレクは生意気な口調で言い訳をしながら、私の隣の席に着地した。

魔力の才能は父親譲り。 そして、この屁理屈と計算高さは、間違いなく私譲りだ。 嬉しいような、末恐ろしいような成長ぶりである。


「おはよう、アレク! パパのハグを受け取る権利をやろう!」


キッチンから、エプロン姿のアレクセイさんが飛び出してきた。 手には焼きたてのパンケーキが載った皿を持っている。


「氷の宰相」としての威厳はどこへやら、彼は完全に「朝の料理担当兼・息子溺愛係」として定着していた。


「……遠慮します、お父様。今は糖分摂取が最優先事項です」


アレクは冷静に右手をかざした。 パキィン。

空中に小さな氷の盾が出現し、突進してくる父親を見事にガードする。


「ぐっ……! また防御魔法の強度が上がっている……!?」


「隙だらけですよ、お父様。……いただきます」


アレクは盾の隙間からパンケーキを受け取り、

優雅にナイフとフォークを使い始めた。 アレクセイさんは氷の盾に額をぶつけながらも、どこか嬉しそうに目を細めている。


「……見たか、リアナ。五歳にして『無詠唱』で私の接近を防ぐとは。……やはりこの子は天才だ」


「ええ。貴方の英才教育のおかげですね。でも、家の中で魔法合戦をするのは修理費がかさむので禁止です」


私はコーヒーを啜りながら、手元の新聞に目を落とした。


一面記事には、『アインスワース温泉郷、三年連続で「行きたい観光地ランキング」一位を獲得』の見出しが躍っている。 北の領地は今や、王国屈指のドル箱リゾートとなり、我が家の資産は順調に増え続けていた。

借金に追われていたあの日々が嘘のように、平穏で豊かな暮らし。


「……んっ」


不意に、軽い目眩がした。 コーヒーの香りが、

いつもより少し鼻につく気がする。


「どうした、リアナ? 顔色が悪いぞ」


アレクセイさんが、瞬時に父親の顔から夫の顔になり、私の背中を支えてくれた。 その手からは、私を落ち着かせるための微弱な冷気が送られてくる。


「いえ、なんでも……。少し寝不足かもしれません。最近、決算期で忙しかったので」


「無理は禁物だと言っただろう。……今日は仕事を休めないか?」


「そうもいきません。午後は予算委員会がありますし」


私は気丈に振る舞い、立ち上がろうとした。

その時だった。


「……お母様」


パンケーキを食べていたアレクが、フォークを置いて私をじっと見つめていた。

そのアメジストとトパーズの瞳が、何かを見透かすように深く輝いている。


「アレク? どうしました?」


「……お母様のお腹の中、魔力の流れが変わっています」


アレクは椅子から降り、トコトコと私の元へ歩み寄ると、私の下腹部にそっと手を当てた。


「……二つ、あるよ」


「え?」


「お母様の魂の光の隣に、もう一つ。……すごく小さくて、温かい光が見える」


時が止まったような静寂が、ダイニングを包んだ。 私は自分の腹部に手を重ねた。

言われてみれば、心当たりはある。 最近の眠気。

味覚の変化。そして、この何とも言えない体の奥の温かさ。 それは、五年前──アレクを授かった時に感じたものと同じ感覚だった。


「……まさか」


アレクセイさんが、恐る恐る口を開いた。

彼は私の顔と、アレクの手が触れているお腹を交互に見つめ、信じられないという表情で固まっている。


「リアナ……? 本当か……?」


「まだ、確定ではありませんが。……でも、アレクの『魔力感知』は、王宮の探知機よりも正確ですから」


私はアレクセイさんを見上げ、自然と微笑みがこぼれた。


「……計算外の『特別ボーナス』が、来てくれたようですね」


「……ッ!!」


アレクセイさんは言葉にならない声を上げ、私とアレクをまとめて抱きしめた。

彼の体温が上がりすぎているのか、触れている部分が熱いくらいだ。


「ありがとう……! ありがとう、リアナ! ……アレク、聞いたか! お前にお兄ちゃんの役目が回ってきたぞ!」


「……ふうん。弟か妹か、まだ分かりませんが」


アレクは抱きしめられながらも、冷静に分析を続けている。 けれど、その口元は明らかに緩んでいた。


「僕の計算では、弟ならキャッチボールの相手、妹なら将来の政略結婚のカードとして……いえ、可愛いマスコットとして、我が家に利益をもたらすはずです」


「アレク、素直に『嬉しい』と言いなさい」


「……悪くない気分です」


アレクは照れ隠しのように顔を背け、私の服の裾をギュッと握った。


「……僕が守ります。お母様も、この『新しい光』も。お父様が頼りない時は、僕が氷結結界で守護しますから」


「ははは! 言ってくれるな、我が息子よ!」


朝の光の中で、新しい家族の予感が私たちを包み込んでいた。 幸せの絶頂。

このまま今日という日が、穏やかに過ぎていくと思っていた。


コンコンコン。 不意に、玄関のドアが叩かれた。

使用人が出るよりも早く、重厚な足音が廊下を近づいてくる。


「……失礼致します! アインスワース宰相閣下!」


現れたのは、王宮魔導師団の制服を着た使者だった。

彼は息を切らし、深刻な表情でアレクセイさんに敬礼した。


「朝早くに申し訳ありません。……緊急事態です」


「なんだ? 今日は私はオフの予定だが」


アレクセイさんが不機嫌そうに振り返る。

使者はチラリとアレクの瞳──特徴的なオッドアイを見て、言いにくそうに告げた。


「閣下ではなく……ご子息、アレク様に関する件です」


「アレクだと?」


「はい。……王立魔法アカデミーの観測機が、

今朝方、王都内で『規格外の魔力反応』を検知しました。その発生源が……」


使者はアレクを指差した。


「……今朝の『階段での浮遊』および『朝食時の無詠唱防御』。その魔力波形が、アカデミーの定める『特級危険指定』の数値を記録したとのことで……」


「は?」


私とアレクセイさんは顔を見合わせた。

ただの日常のワンシーン。

階段を降りて、パンケーキを守っただけ。

それが、国の監視網に引っかかるほどの数値だったというのか?


「アカデミー長からの召喚命令です。『直ちにアレク・アインスワースを連行し、能力測定を行いたい。場合によっては、五歳だろうと即時の強制入学を検討する』と……」


「……強制、入学?」


私の脳内電卓が、警報音を鳴らした。


『危険信号:家族の団欒に対する重大な脅威』


アレクはまだ五歳だ。 親元を離れて寮生活?

そんなことは、母親として──そして、これからお兄ちゃんになろうとしているこの子の環境として、断じて容認できない。


「……お断りします」


私はアレクを背にかばい、蜂蜜のようなトパーズの瞳を鋭く光らせて使者を睨みつけた。


「うちの子はまだ、一人でトイレに行けるようになったばかりです(※嘘です。三歳でマスターしました)。……アカデミーだろうと何だろうと、私の大切な『資産』を勝手に持ち出させるわけにはいきません」


「し、しかし……!」


「リアナの言う通りだ」


アレクセイさんも、先ほどまでのデレデレ顔を消し去り、「氷の宰相」の冷徹な仮面を被った。


「私の息子を実験動物のように扱うなら……アカデミーごと氷漬けにしてやるぞ?」


公邸の温度が一気に下がる。

新たな命の喜びと、それを脅かす外圧。

アインスワース家の物語は、ここから「子育て編」から「神童アレクの学園?編」へと、新たなステージに進もうとしていた。


「……面白くなってきましたね」


アレクが私の後ろで、オッドアイを輝かせて不敵に笑った。 その表情は、やはり夫にそっくりだった。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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