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第80話「開業前夜、客が来ないなら呼べばいい」

「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」



「……全滅です」


オープン前日の午後。 完成したばかりの「アインスワース温泉郷」のロビーで、私は真っ白な予約台帳を見つめながら、深いため息をついた。


「王都に送った招待状への返信はゼロ。旅行代理店からの予約もゼロ。……帝国の圧力は、私の想像以上に根深かったようです」


報告を受けたアレクセイさんも、腕組みをして眉間に皺を刻んだ。


「王都の馬車組合が『北への運行』を拒否しているらしい。……移動手段が断たれては、どんなに素晴らしい施設を作っても、お客様はここまで辿り着けない」


「ええ。これでは、この楽園は誰にも知られずに雪に埋もれてしまいます。……私の計算ミスです」


重苦しい空気が漂う。 ゼノンさんは「酒が飲めれば客などどうでもいいがのう」とあくびをしているが、私たちは笑えない。このリゾートの成功に、領地の未来が懸かっているのだ。


その時だった。


「ねえ、お姉ちゃん。……なんでそんなに難しく考えてるの?」


ロビーのソファで、優雅にホットミルクを飲んでいたマリーが口を開いた。

9歳になった彼女は、ふわふわのファーが付いた帽子を被り、少し大人びた──いや、どこか私に似た「計算高い」目をしていた。


「難しくなんてないわよ、マリー。これは物流と政治の問題で……」


「違うよ。お姉ちゃんは数字には強いけど、『女の子の気持ち』が分かってないの」


マリーはカップを置き、カツカツと小さなブーツの音を響かせて私の前に立った。


「旅行会社のおじさんたちがダメなら、使わなければいいじゃない。……私のお友達はみんな、お家に専用の馬車を持ってるわよ?」


「お友達……? 王都の貴族学校の?」


「うん。公爵家のエリザベスちゃんとか、伯爵家のソフィアちゃんとか」


マリーはニッと笑った。


「彼女たちに行きたいって思わせればいいの。……そうすれば、パパにおねだりして、自分の家の馬車で来てくれるわ。貴族のお父様たちは、娘のお願いに弱いでしょ? ……そこの義兄さんみたいに」


マリーが視線を向けると、アレクを抱っこしていたアレクセイさんがビクリとした。


「……む。否定できん」


「でしょ? 流通ルートなんて関係ないわ。『パパ、あそこに行きたい!』の一言が、最強の通行手形なのよ」


私はハッとした。 この子は、流通の先にある「決裁権者パパ」を動かすための「むすめ」を正確に把握している。 9歳にして、この商才……。やはり私の妹だわ。


「……採用よ、マリー。でも、どうやってその『行きたい』を引き出すの?」


「任せて。……お姉ちゃん、とびきり可愛い便箋と、乾燥させたお花を用意して。それと、ゼノンおじいちゃん」


マリーは賢者に向かって指を立てた。


「おじいちゃんの魔法で、手紙に『いい匂い』をつけてほしいの。開けた瞬間に、『わぁっ!』てなるようなやつ」


その夜、アインスワース家のリビングは、さながら「秘密の招待状工場」と化した。


「いい? 文章は短く、謎めいて、かつ魅力的に」


マリーはペンの先を噛みながら、プロデューサーのように指示を出す。


「『アインスワース領に来てください』なんてビジネス文書はゴミ箱行きよ。……こう書くの」


彼女がサラサラと書いた文面は、こうだ。


『雪の中に、秘密の花園を見つけたの。そこは氷のお城の中で、お花がいっぱい咲いていて、ドレスじゃなくて水着で遊ぶのよ。温かくて甘〜いフルーツ牛乳も飲み放題。……大人には内緒の、私たちだけのパーティーをしましょう』


「……すごい。『大人には内緒』と書きつつ、親に見せることを計算に入れているのね」


「当然でしょ。お父様たちは『娘だけの秘密の場所』なんて心配で放っておけないもの。絶対についてくるわ」


マリーはウィンクした。 恐ろしい子だわ。

私たちは彼女の指示に従い、ドーム内で咲いた色鮮やかな花を押し花にし、招待状に貼り付けた。

ゼノンさんが南国の花の香りを封じ込め、アレクが仕上げにキラキラ光る無害な魔力粉を振りかける。


出来上がったのは、ただの手紙ではない。

極寒の冬に飽き飽きしている令嬢たちへの、

「春へのパスポート」だ。


「よし、二十通完成! ……これを王都への速達便に乗せるわ。これくらいなら、帝国の検閲もスルーするはずよ」


「頼んだわよ、マリー」


数日後。王都、公爵邸。 窓の外の雪景色を退屈そうに眺めていたエリザベス嬢の元に、一通の手紙が届いた。 可愛らしいウサギの封蝋。 封を開けた瞬間──。


フワァッ……


部屋の中に、甘く、温かい南国の花の香りが広がった。 中からこぼれ落ちたのは、見たこともない鮮やかな色の押し花と、キラキラ光る粒子。


「まぁ……! 何これ、素敵!」


エリザベス嬢は手紙を読み、目を輝かせた。

氷のお城。水着のパーティー。

甘い牛乳。 退屈な冬休みに、これ以上魅力的な誘いがあるだろうか。


「お父様! お父様ーっ!!」


彼女は手紙を握りしめ、父親の執務室へ駆け込んだ。


「ここに行きたいの! お友達のマリーちゃんのお家なの! 『秘密の花園』があるんですって!」


「えぇ? し、しかし今は北の方は情勢が……」


「嫌っ! 行きたいの! ソフィアちゃんも行くって書いてあるわ! 私だけ行けないなんて嫌ぁぁぁ!」


公爵は、涙目で見上げてくる愛娘と、手紙から漂うあまりに良い香りに、一瞬で陥落した。 ガレリア帝国の通達? 知ったことか。 娘の涙より怖いものなど、この世にない。


「……馬車を出せ! 最速で北へ向かうぞ!!」


そして、プレオープン当日の朝。

アインスワース領の街道を見張っていたレオが、望遠鏡を覗いて叫んだ。


「……来た! 来たよ姉さん!」


地平線の彼方から、黒い点々が近づいてくる。

一つではない。十、二十……。

それらは、みすぼらしい乗合馬車ではない。金箔で家紋が描かれた、最高級の貴族用自家用馬車の大行列だった。


「すごい……。本当に来たわ」


エントランスで出迎えた私は、その光景に震えた。 帝国の経済封鎖も、旅行会社のボイコットも関係ない。「顧客の熱意」が、物理的な障壁をこじ開けたのだ。


「ふふん。計算通りね」


私の隣で、マリーが得意げに胸を張った。

9歳の小さな名プロデューサー。

彼女の読み通り、アインスワース温泉郷は、開業初日から「貴族令嬢たちの貸切パーティー会場」として、華々しいスタートを切ることになった。


馬車から降りてきた令嬢たちが、氷のドームを見て歓声を上げる。


「キャーッ! 本当にお城みたい!」


「マリーちゃん、久しぶり! すごい場所ね!」


「いらっしゃい! 待ってたわよ!」


マリーがお友達に駆け寄り、手を取り合って笑う。 その背後では、疲れ切った、しかし娘のために雪道を走破した父親たちが、安堵の表情で降りてきていた。


「……やれやれ。娘には敵わんな」


「おお、宰相閣下。……ここは随分と温かいですな」


アレクセイさんが彼らを出迎える。

これで勝負ありだ。

王国の重鎮たちがこれだけ集まれば、帝国の圧力など無意味になる。


私はマリーの頭を撫でた。


「よくやったわね、マリー。……貴女は将来、国一番の大商人になるかもね」


「えへへ。……でしょ? お姉ちゃん」


マリーは無邪気に笑い、そして小声で付け加えた。


「……あ、今回の成功報酬は『新作のドレス三着』で手を打つわよ? 経費で落としてね♪」


ちゃっかりしている。 アインスワース家の女性陣は、どこまでも強く、逞しい。

さあ、リゾートの開幕だ。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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