第69話「ベビー用品の選定、シルクか木綿か」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
「リアナ。至急、決済を頼む」
昨夜の「お腹発光事件」から一夜明けた、日曜日の朝。 アレクセイさんが血相を変えてリビングに入ってきた。 その手には、公務の書類ではなく、百科事典ほどもある分厚い本──『王室御用達・ベビー用品カタログ』が握られていた。
「気が早いですね。まだ妊娠二ヶ月ですよ?」
「早くない。昨夜の光を見ただろう? 我が子は桁外れの魔力を持っている。凡庸な装備では、あの子の才能を受け止めきれない」
彼は真剣な顔でカタログを広げ、私の膝の上に置いた。その瞳は、国の行く末を案じる宰相の目ではなく、完全に舞い上がった「新米パパ」の目だ。
「そこでだ。我が子の『肌着』を決めねばならない」
彼はカタログの、金色の付箋が貼られたページを指差した。
「見てくれ。この『幻の天空蚕』から紡いだプラチナ・シルクの産着。肌触りは雲のようになめらかで、火属性魔法への耐性まである。一着五万ベルだ」
「……却下です」
私は即答した。
「五万ベル? 赤ちゃんの肌着に? あり得ません」
「なっ……なぜだ! 我が家にはそれくらいの資産はある!」
「お金の問題じゃありません。機能性の問題です」
私は眼鏡を押し上げ、経理係兼・主婦としてのプレゼンを開始した。
「いいですか、アレクセイさん。シルクは手洗い必須です」
「使用人に洗わせればいい」
「そういうことじゃありません。赤ちゃんは一日に何度もミルクを吐き戻したり、オムツから……その、漏らしたりするんですよ? そのたびに高級シルクを使い捨てるつもりですか? 非効率の極みです!」
私の剣幕に、アレクセイさんがたじろいだ。
「む……。汚れることなど考えていなかった…」
「肌着は『木綿』一択です。吸水性が高く、ガシガシ洗えて、煮沸消毒もできる。赤ちゃんの繊細な肌にも一番優しいんです」
私がカタログをめくり、木綿のページを開くと、アレクセイさんは不満げに眉を寄せた。
「木綿か……。庶民的すぎないか? アインスワース家の跡継ぎが、ただの植物繊維に包まれるなど……」
「植物を馬鹿にしないでください。木綿は偉大です」
「だが! 私は……あの子には、苦労させたくないんだ」
アレクセイさんが、ふと声を落とした。 彼はカタログから目を逸らし、窓の外の雪景色を見つめた。
「私の生家は、厳格だった。服は儀礼用の窮屈なものばかり。肌触りの良い毛布も、甘い菓子も、『貴族としての甘えだ』と禁じられていた」
「アレクセイさん……」
「寒かったよ、リアナ。……だから、我が子にはそんな思いをさせたくない。最高に柔らかくて、温かくて、高価なものに包んでやりたいんだ」
彼の言葉には、幼い頃の孤独と、父親としての切実な願いが込められていた。
お金を使うことが、彼なりの「愛の証明」なのだ。 胸がキュッとなる。
この不器用な人を、どうして愛さずにいられようか。
「……分かりました」
私はそっと彼の手を取り、自分の隣に座らせた。
「貴方の気持ちは、痛いほど分かりました。でもね、アレクセイさん。赤ちゃんにとっての『最高』は、値段の高さじゃないんです」
私はカタログの、「オーガニックコットン」のページを指差した。
「これを見てください。化学肥料を使わず、手間暇かけて育てられた最高級の綿花です。お値段は一着三千ベル。普通の木綿の三倍です」
「……三千ベル?」
「はい。シルクほど高くはありませんが、その肌触りは魔法のように優しく、汗を吸い取り、冬は空気を含んで温かい。貴方が求めている『優しさ』は、きっとこれです」
私が提案すると、アレクセイさんはカタログをじっと見つめ、そして私を見た。
「……汗を吸い、温かいのか?」
「はい。貴方が幼い頃に欲しかった温もりは、きっとこういう『日常の心地よさ』だったはずです」
「……そうかもしれないな」
彼は憑き物が落ちたような顔で、小さく笑った。
「君の言う通りだ。……私はまた、見栄と数字に囚われていたようだ」
「ふふ。それが貴方の可愛いところですけどね」
私はメイド長を呼び、オーダーシートを渡した。
「メイド長。このオーガニックコットンの産着を二十着、発注してください。……それと、お出かけ用のシルクのを一着だけ。パパの顔を立てて」
「かしこまりました、奥様」
「リアナ」
アレクセイさんが、嬉しそうに私の肩を抱いた。
「ありがとう。君は最高の母親になるな」
「貴方も、最高のパパになりますよ。ちょっと過保護すぎますけど」
私たちは笑い合い、カタログを閉じた。
これで「肌着戦争」は平和的解決を迎えた。 と、思いきや。
「よし! 肌着が決まったなら、次は『名前』だ!」
アレクセイさんは、ソファーの下から、さらに分厚い革張りの本を取り出した。
ドスン、とテーブルが揺れる重さだ。
「……なんですか、それ」
「古今東西の人名辞典と、我が家の家系だ。
昨夜、徹夜で五百個ほど候補を考えておいた」
「五百個!?」
彼は目をキラキラさせて、羊皮紙のリストを広げた。
「男の子なら『アレクサンダー・フレデリック・ジークフリート・アインスワース』。
女の子なら『エリザベス・カトリーヌ・アンジェリカ・アインスワース』。どうだ? 強そうだろう?」
「長すぎます! テストで名前を書く間に時間が終わっちゃいますよ!」
「むぅ……。では、魔力を込めて『メテオ』とか?」
「キラキラネームも却下です!」
ベビー用品の次は、名付け戦争。 アインスワース家の騒がしくも幸せな準備期間は、まだまだ続きそうだった。 お腹の赤ちゃんが、呆れてポコッと動いた気がした。
読んでくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。




